クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十四)「……」「………」 話がある、と我々を誘った間桐桜嬢は、未だ口を開かない。 士郎も、彼女の言葉をただ待っている。 それも当然か。 士郎は、間桐嬢に対し、負い目を抱いている。 自分から話しかける資格など無いと、思い込んでいる。 間桐嬢も、並々ならぬ決意であるとは言え、 この場に立っているだけで、相当にエネルギーを消耗しているのだろう。 しかし、このままではいつまで経っても話が進まない。 仕方がない。 塩を贈るか。 とは言っても、私に出来ることは、きっかけの水を向けることだけ。「間桐さん?」 促すように、問いかける。 さて、この一言が、私にとって吉と出るか凶と出るか。 私の言葉に、間桐嬢は頷く。 私に向けられた視線に、感謝の意が込められていたと見るのは、自惚れか。「衛宮先輩。 最初に、いろいろなことについて、お詫びします。 今日、こんな所で待っていたこと。 あの時、ひどいことを先輩に言ってしまったこと。 あれから今まで、連絡もしなかったこと。 本当に、すみませんでした」 そう言って、彼女は深く頭を下げる。 それに対し、士郎はただ、首を横に振るだけだった。 まだ、自分は彼女に話しかけることは出来ない、と思っているのか。「その上で、厚かましいことは分かってますけど、聞いてください。 私、今から先輩にいくつかお願い事をします。 叶えてくれ、なんて言いません。 でも、最後まで聞いていていただけますか?」「……分かった、桜」 彼が、大きく頷く。 この場所に来て、初めて発した彼の声は、この上なく誠実だった。 間桐嬢は嬉しそうに微笑み、それから大きく深呼吸した。 両掌を組み、胸に当てる。「じゃあ、ひとつ目のお願いです。 氷室先輩と別れて、私とお付き合いしていただけませんか?」 ……これはまた…… 願い、と言うには、あまりに直球過ぎる物言いだ。 しかも、当の私を目の前にして。 二年間培ってきた、彼への信頼に寄るものなのか。 それとも、玉砕覚悟の体当たりか。 ……いや、違う。 彼女の目の光は……「それはできない、桜」 間桐嬢の願いが直球なら、士郎の答も迷い無きフルスイングだった。「あれから、俺もずっと考えてた。 《家族》なんて言葉で、お前をずっと閉じこめてたけど、 俺にとってお前は、きっとそれ以上の存在だったんだと思う」 間桐嬢の目をじっと見つめながら、士郎は続ける。「でも、今俺が愛しているのは、鐘だ。 氷室鐘が、俺にとって、一番大切な存在なんだ。 桜、たとえお前であっても、この気持ちに嘘はつけない」 ……喜びが、湧き起こってくる。 二人きりのとき、『好きだ』とは何回か聞いたが、第三者の前で、きっぱり言ってくれたのは初めてだ。 それも、私にとって恋敵である女性の前で。 浅ましい女と言われようが、この喜びを消すことは出来なかった。 しかし、彼は辛そうに顔を歪めている。 当然だ。 自分が大切にしている人の気持ちを、否定したのだから。 彼らしい苦悩だが、それは……「はい、わかりました」 満面の笑みを浮かべた、間桐嬢の顔によって、かき消された。「……桜?」 あっけにとられる士郎。 まあ、普通の反応だろうが、一歩後ろで双方の姿を見ていた私には分かる。 あの願い事を口にしたとき、間桐嬢の目に期待の色は無かった。 いや、あるいは多少は滲んでいたのかもしれないが、それよりも遙かに光るものがあった。 それは、あえて言葉に直せば《決着》。 今までの自分の想い、自分の立場、自分そのものに対する、区切りと言うべきもの。 言わば道程標(マイルストーン)を設置し、新たな一歩を踏み出すための行い。「今、先輩の恋人になることはあきらめます。 氷室先輩といっしょにいる先輩を見てて、私の入り込む隙間なんて無いって、分かってましたし」「……」 目を白黒させながら、頭を掻く士郎。 今まで、死にそうなほどに悩んだ分だけ、ギャップも大きいのだろう。 しかし、その驚き故に、言葉の裏に隠された意味には気付かないようだ。 いや、それは普段の彼であっても同じことか。 ……《今》は、あきらめます、と来たか。 ふと思ったのだが。 彼女と私は、案外似ているのではないだろうか。 物事を深く考えすぎる点。 思考ばかりで、なかなか行動に移さない点。 一度行動に移すと、徹底的に突っ走る点。 策謀を巡らしながらも、行動は意外に単純、という点でも同じだ。 ちなみに、極秘に入手した情報によると、スリーサイズも私と近似値であるという。 ……どちらが勝っているか、士郎の前では言わないが。「じゃあ、ひとつ目はこれでお終いです。 二つ目のお願い、よろしいですか?」 明るく笑っていた間桐嬢の顔が、表情はそのまま、目の光だけ真剣さを帯びる。 士郎も私も、改めて背筋を伸ばした。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。