「……なに、してるんですか?」
そう言って眺める先にあるのは、片腕の親指一本で逆立ちをしながら本を読んでいるサウザー。
かれこれ三十分ばかり、殆ど動かずに同じ姿勢を保っているのだから、遂に聞いてしまった。
もっともな質問に対して、サウザーは『作業』と言わんばかりに簡単に言った。
「何と言われてもな。修行としか言えん」
とは言っても、南斗聖拳の中では基礎中の基礎で、鳳凰拳の大半を修めたサウザーがやるようなものではないのだが
目を離したら何をするか分かった物ではないので、こうしてここでやれる物をやっている。
フェイトからしたら、かなり無茶な姿勢で平然と答える様に、どこか気のない返事をすると、それ以上言う事が無いのか黙った。
そして考える。
魔力値が低く、魔法技術が発達していないと思われていた世界で、それに反比例するかのように強力な拳法と呼ばれる力。
南斗鳳凰拳。
南斗六聖拳の一つと言っていた事から、同じような力を持つ物が少なくとも五つもある。
フェイトにとっては、魔力があるのが当たり前で、魔力を持たない人間がここまで強い力を持てるという事が信じられない事なのだ。
しかも、自分でも不覚を取った暴走体をジュエルシード諸共切り裂いた人は、まだ弟子の身であると言う。
ジェエルシードを真っ二つに出来るのなら、人間なんて容易く切り裂く事が出来る。
非殺傷設定も何も無い、そういう力を持った人間が沢山居るかもしれない世界。
……なんだか少しだけこの世界が怖くなった。
『……イ…』
ふと、どこからか声が聞こえてきたような気がして、フェイトが辺りを見回したが
サウザーは已然として本に目を通しながら指一本で体を支えている。
はっとなって、意識を集中させると、今度は、はっきりとした声が聞こえてきた。
『…ェイ……フェイト!聞こえたら返事してよ!』
「ア……『アルフ!』」
咄嗟の事で、少し声に出てしまったのか、ちらりとサウザーの方を見る。
声が小さすぎて聞こえていなかったのか、あるいは恐ろしいほど集中しているのかは分からないが
器用に片腕で本のページをめくっていて、気付いた様子は無かった。
『ああ、よかった。一人で突っ走るもんだから、どうなったのかと心配してたんだよ』
フェイトの頭の中だけで交わされるこの会話。
別に、二重人格とか、木人形にされて気が触れたとかいう類の物では無い。
「念話」と呼ばれる、魔力を持った人間同士で交わされる、一種の通信手段である。
『それで、ジュエルシードはどうだったんだい?』
『……駄目だった』
まさか、真っ二つにされたと言うわけにもいかず、手に入らなかった事だけを伝える。
気落ちしている様子を察したのか努めて明るく、励ますように冗談混じりに続けた。
『そっか……、でも、まだ始まったばかりさ。気長に行こう。ね?
けど、無事でホントよかったよ。念話も通じないから、やられちゃんじゃないかと思って、泣きそうだったんだからね』
『あはは、ごめんね、アルフ。でも、やられちゃったのは本当だよ』
やられたという言葉に、笑い声がピタリと止まった。
直後、慌てふためいているのだから、普段からフェイトの身を案じている事が容易に見て取れる。
『……えぇ!?け、怪我は?体は大丈夫なのかい!?』
『封印だけならできるけど、今すぐには動けそうにないし、暴走体と戦うのは難しいかな』
『……ちょっと待ってな。すぐそっち行くから』
『ア、アルフ?』
言った瞬間、アルフがやたらとドスの利いた声になったので焦ったのだが、何度やっても念話が繋がらない。
しばらくして、ドドドドドド、と遠くの方から近付いてくる音に、フェイトがまさか、と冷や汗を垂らすと
サウザーが片腕一本で跳躍し、空中で体勢を整え身構えた。
「……来るか」
誰に対してでも無く言った瞬間、部屋の中へと踏み込んできたのは、オレンジ色の毛並みを持った巨大な狼。
口から覗く二本の犬歯を剥き出しにしながら、威嚇行動を取っている。
サウザーもまさか狼だとは思っていなかったらしく、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに南斗の拳士の顔付きになった。
サウザーが放つ気に当てられたのか、狼が一層威嚇を強めると、体の重心を前にずらし始める。
対してサウザーの取った構えは無形。
両腕を下げた自然体が南斗鳳凰拳の構え無き構えなのである。
一、二秒睨み合ったかと思うと、先に仕掛けたのは狼の方だった。
先手を取られた、と思うより先に目の前に獣の爪が迫る。
即座にバックステップで間合いを取ると、掠めるようにして爪先が通り過ぎ
一瞬の隙が見えた瞬間、サウザーが鳳凰の爪撃を繰り出すべく間合いへと踏む込む。
だが、獣の爪先をも凌駕した拳は、何も無い空を切り裂くに止まっていた。
「俺の拳をかわすとは、ただの獣ではないな」
視線の先には、狼にしては異様なまでの跳躍力で中空を舞う姿。
忌々しげに言った瞬間、サウザーの胸から斜めに裂け目が三本奔り、薄く血が滲み出した。
この攻防は時間にして僅か三秒足らず。
介入する暇も無く始まってしまった戦いを見るだけだったフェイトも、互いに第二撃を繰り出そうと構えている姿を見てようやく声をあげた。
「ま、待ってください!ほら、アルフも止まって!」
サウザーも狼も、今にも必殺の間合いに踏み込もうとしていたのだが、フェイトが心底慌てた声で叫んだので動きを止めた。
「アルフ?まさかこいつの名か?」
アルフと聞いて、何故か砂時計を思い浮かべてしまったが、まぁそれは関係無い。
一旦間合いから離れ、その狼を眺めると、何やら額に赤い宝石のような物が埋まっている。
色こそ違うが、最近、似たような物を相手にしただけに、何となくだがどういう関連なのか分かった気がした。
「随分、派手にやってくれたな。……どういう事だ?」
血を指でなぞりながら、いくばくか語気を強めるサウザーを見て、フェイトが小さくなった。
暗に、まだ隠している事があるなら今の内に話せ、と言われたというのもあるが、サウザーが怪我したというのが原因だろう。
アルフと呼ばれた狼は、威嚇こそしなくなったものの、警戒している事は一目で分かる。
よく見ると、首筋辺りから血を流しており、その傷はサウザーが負った物より少し深い。
両者共に、攻撃を紙一重でかわしたと思っていたのだから、痛み分けというところか。
「この子は、アルフと言ってわたしの使い魔なんです。……いいよ、アルフ」
すると、狼の姿が変わり、人の姿を取るようになる。
五秒も経たないうちに、狼の毛並みと同じ色の長い髪の女がそこに立っていた。
ここまで現実離れさせられた光景を見せられては、これ以上の説明を求める気も失せるという物だ。
まぁ、考えるだけ無駄だと、思考を『あ、新記録……』とばかりに投げ飛ばしたわけで、納得したわけではない。
それは向こうも同じだったようで、狼だった女は首筋を押さえながらサウザーを睨み付けていた。
「……あんた、一体何者なんだい。魔力を持ってない人間が、あたしにこんな傷を付けるなんて」
話す言葉こそ強気だが、その目には、ほんの少しだけ怯えの色がある事が見て取れる。
ただの人間の手刀と思い、避けようともしなかったのだが、突如として凄まじいまでの悪寒が奔り、反射的に中に逃げてしまった。
その選択が正解だったと気付いたのは地面に着地し、フェイトが声を出して止めた瞬間、首筋が浅く裂けた時。
あのまま手刀を受けていれば、間違い無く首が落ちていたのだから、警戒するのも無理は無い。
そんなアルフを抑えるかのように、フェイトが今まであった事の全てを話し始めた。
「へぇ、南斗聖拳ねぇ。そんなモンがあるなんて、全然知らなかったよ」
一通りの事はフェイトが説明したのか、なにかもう自分の家のように馴染んでいるアルフが首を縦に振る。
当たり前のようにフェイトの横にあぐらかいて座っているのは、図々しいを通り越していっそ清々しい物があった。
「いや~、フェイトが動けないって言うから、てっきり早トチリしちゃってさ
怪我してるみたいだったし、あんたみたいなのが居たら勘違いもするってもんさ。あはははは」
軽く笑い飛ばしているが、この犬畜生様は勘違いという言葉だけで済まそうとしている。
南斗の使い手だから避けられたものの、そうじゃなかったらどうするつもりだと思ったのだが、まぁこの際はいい。
「それで、どうするつもりだ。俺の見立てでは、それなりに動けるようになるまでは二、三日はかかるはずだが」
連れて帰るにしろ、戦えるようになるまではそのぐらいはかかる。
そもそも、一般人なら全身の骨を砕かれ即死してもおかしくないような衝撃を受け
山の斜面に体を激しく打ちつけながら転がり、この程度の傷で済んだのだからバリアジャケット様々である。
それに戦えると言っても、無理を押して何とか戦えるという意味であり、全快には程遠い。
魔法が影響を受けるかどうかは知らないが、肉体的な力は五分も出せれば良い方だろう。
少なくとも、全く体を動かさないというわけではないのだから、どこかに隙は出来る。
昨日のようなのと戦り合うつもりでいるのなら、その一瞬の隙は今度こそ致命的な物になりかねないのだ。
とはいえ、そう忠告してやるだけで、そこから先はサウザーの与り知る所ではない。
相手の力量を見誤り、己の力を過信して、無様に敗れていった拳法家の話なんてのは、拳法に関わる者であれば知っていて当然の事だ。
特に北斗南斗との戦いにおいては、二度目があるという事は限りなく少ない。
病や傷を負っているのなら、それも含めてが今の己の力量。
傷を癒し万全の状態で望むか、傷を押して分の悪い賭けに出るかは当人次第である。
「それなんだよねぇ。あたしは回復魔法なんて使えないし
時間をかけるしか無いんだけど、フェイトは無茶するからね。ま、そこが可愛いんだけど」
その辺りの事は、アルフも理解しているらしく、何度も首を縦に振りながらフェイトを眺めている。
そして、サウザーの方へと向き直ると、頭を下げて言った。
「だからさ、無理にとは言わないけど、しばらくフェイトをここで預かってくれないかい?」
「アルフ!何……っで!」
予期しなかった申し出に、フェイトが声を荒げ立ち上がろうとしたが、傷が痛んだのかすぐに膝を着く。
サウザーも、さっきまで互いに殺し合う一歩手前だった相手にそんな事を言い出す真意が掴めないのか、いぶかしむ様にして訊いた。
「……本気か?」
「ああ、本気も本気。ジュエルシードはあたし一人で探せないこともないけど
そうするとフェイトが付いてきそうだし、そんなんじゃ何時まで経っても怪我なんて治りそうにないしね」
フェイトが何か不服そうにしているが、こればかりは聞けないとアルフは断固拒否の構えだ。
「あたしはフェイトの使い魔。フェイトの言うことなら何でも聞くつもりだけど、今はそれ以上にフェイトの体が心配なんだ。……頼むよ」
言うや否や、アルフが床に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。
そんな姿を見て少し考えたが、フェイトが心配というのは嘘偽り無いようだし
助け出した時点ではそうするつもりだったので承諾する事に決めたのだった。
「ふぅ……、まぁ、いいだろう」
サウザーがそう言うと、アルフの体がたちまち狼の姿へと変わり人の言葉を吐いた。
どうやら狼の姿でも口は利けるらしい。
「助かったよ。……フェイト、ジュエルシードが見つかったら、すぐ戻ってくるからね」
「うん……。アルフもあんまり無茶しちゃ駄目だよ」
「……念のために言っておくけどフェイトに手を出したらガブっといくよ」
今は動くのは無理だとフェイトも自分で動くのは諦め、別れの挨拶を済ますと、アルフが弾丸のようなスピードで飛び出し山の中へ入っていった。
「……どうも、昨日から信じられぬ事ばかり起こるな」
狼を見送りながら、頭をかいてそう呟く。
願いを叶える謎の宝石に、魔法に、人狼ときた。
ここまでされれば、次に喋るマスコットが現れても驚かない自信はある。
もっとも、大抵の物は素手で引き裂いたり出来るのだから、逆に驚かれそうではあるが。
そんな風にしていると、どこか遠くの方から車が走って来る音が聞こえてきた。
山の中の荒れ道だが、南斗の道場を経由できるぐらいの道は通っている。
それに急時の場合はヘリだって飛ばす事もある。
北斗神拳、南斗聖拳、元斗皇拳。
いわゆる三斗の中では、各拳士の実力の高さはともかく、最も組織力が高いのは南斗である。
南斗列車砲なんていう、頭のネジが軽く二、三本は抜け落ちたような馬鹿げた代物まであるのだから、そのぐらいの装備はあって何の不思議でもない。
とにかく、ここに車で来れるのは南斗の関係者しか居ない。
車のエンジン音が止まって少しすると、また遠ざかっていく。
当代の南斗聖拳において、最強との呼び名の高いオウガイが戻ってきたのだった。
「戻ったぞ。サウザー」
サウザーにとっては聞き慣れた、フェイトにとっては始めての声が響く。
その瞬間、フェイトは少し、いや、かなり驚いた。
「お師さん!」
半ば飛 び出すように表に出て行ったサウザーの顔からは
さっきアルフと対峙した時のような剣呑な表情はなりを潜め、年相応の少年らしい顔付きと口調に変わっていたからだ。
「どうでした?道場の方は」
「それについて後で話がある。わしの留守中に何か変わった事はあるか?」
「それが……少し、思いもしなかった拾い物が」
そんな会話が壁の向こうから少しずつ大きくなってくるのを聴いて、フェイトが顔を強張らせた。
全てを外から破壊する南斗聖拳の使い手。
実際にその力を目の当たりにしただけに、怖いという思いは少なからずある。
サウザーに対しては、助けられたりした経緯から、そういった感情を抱いてはいないものの、その師まで同じかというわけにはいかない。
そんな風にしていると、サウザーに続いて部屋の中に入ってきたのは、長い髪を後ろに結び、同じ色の長い髭を蓄えた、少し厳しそうな人物だった。
「お師さん。この子です」
「うむ……」
値踏みするかのように眺められて、フェイトがまた小さくなった。
元々、人見知りしやすいというのもあるが、オウガイの年齢に似合わぬ体付きや、厳格そうな顔付きに少々萎縮してしまっている。
その丸太のように太い腕が自分の方に向けられたのを見た瞬間、体が小さく跳ね、思わず目を瞑ってしまった。
そして、ポンと置かれるあったかい物。
薄っすらと目を開けると、大きな暖かい手がフェイトの頭の上乗せられていた。
「あ……」
気恥ずかしさから、声が出そうになったが、すぐに止まった。
「大した物は無いが、怪我が治るまではここに居なさい」
フェイトの頭を撫でるオウガイの表情は、今までフェイトが見た誰の物よりも優しく、どこまでも深く大きい。
記憶の中でしか与えられていなかった、親が子に与えるような『ぬくもり』が何とも心地良く感じられる。
そうしている内に、フェイトの頭の中からは、この世界が怖いという感情はどこかへ消え去ってしまっていた。
ヒャッハー!あとがきだーー!
闘気とは非情の血によってのみ生まれる物!
よって聖帝様もラオウも、現時点では闘気を身につけていないため、落鳳破等の闘気技は使えません。
威力的には殺傷設定の場合、無印のSLB=剛掌波ぐらいかと思ってるんですがね。
北斗において、ぬくもり全一のお師さんと、母からのぬくもりに飢えているフェイト。
需要と供給が見事に一致した結果こうなった、今では「たわば」している。