五千年。文字で書くのは簡単であるがそれはもう膨大な年月である。人間にとっての五千年がそうであるようにエルフにとってもそれはもう長い年月である。そんな長き年月を生きた生き字引とも言える存在、誇り高き女剣士ジャンヌが人間同士の戦いにて戦死した事はエルフ達に少なからず衝撃を与えていた。この世に生まれ気付けばそこに居た存在がもういない。確かにジャンヌはエルフの平均寿命から言っても凄まじく長命である。エルフ達の中では『あのババアは不老不死の薬か何か飲んだんじゃね?』と言われるぐらいジャンヌは生き過ぎた。数多のエルフの誕生とその最期を見届けた女傑の最期はエルフ達には想像もつかない位、彼女はエルフ達の日常に入り込んでいた。「よもや本当に精霊達の御許に行く事になるとは・・・不老ではあったが不死身ではなかったのですな、貴女も」現ネフテス統領テュリュークは自らを『小僧』と呼んでいた憎らしい姿を思い浮かべながら呟いた。見た目若々しく、戦えば猛々しく。性格にやや小憎らしい所はあってもそれ以外は若き者達の規範となり続けた女性だった。自分もネフテス統領として多少の影響力は持っているとは考えるが彼女に比べれば微々たるものだった。彼女はたまにひょっこりと評議会議会室に現れ、倦怠しつつある議員たちに嫌味などを言って引っ掻き回していたこともある。現在のエルフの国の評議会の大半の議員たちは変革を放棄し、自らの任期中に何も起こらないことを望む者ばかりである。そんな議員たちにとってジャンヌは目の上の瘤であり、いざという時の切り札でもあったのだ。その切り札を自分たちは失ってしまった。確かにジャンヌは此方に攻め入る動きを見せたロマリア教皇の殺害に成功した。彼女の腕ならば追手に追われようが返り討ちにして帰還できたはずなのだ。「帰還できた筈なのに何故・・・?」テュリュークはジャンヌに彼女が戦死することになった任務を伝えた際にジャンヌが言っていた言葉を思い出した。確か彼女は五千年前、悪魔に出会って以降勝ち逃げされていると言っていた。何かの冗談だとその時は思ったがもしやその悪魔は本当にいるのであろうか。『いずれ仕留める』と息巻いていた彼女が戦場でその悪魔を目撃したら・・・?思い出せ、あの蛮人達の戦争では何が起こっていたのか、帰還したビダーシャルの報告を思い出せ。蛮人同士の争いは何故かロマリア側の総大将が致命傷を負っても続いたらしい。ガリアの王が火石を使い何千人もの人間を殲滅した。理解しがたいことだが戦争中にそれをやったのだ。その混乱の最中、ロマリア教皇はジャンヌに致命傷を負わされた。本来ならそこで戦が終わっても良かった。だがあろうことかそのロマリア教皇が『聖戦』を発動していた為戦いはなおも続いた。その最中におそらくジャンヌの身に何かが起こり、撤退することなく戦死したらしいのだ。戦地を遠巻きに眺めていたビダーシャルの目を持ってしても戦場が混乱中でジャンヌが如何なっているかなどは確認は出来なかったらしい。だが彼は不思議な光景を多々見たと言っていた。曰く、突如濁流が戦場を駆け巡った。曰く、その濁流からどんぶらこと大きな桃が流れていた。曰く、桃が見えなくなったら爆発音がした。曰く、眩い光が見えた直後、悲鳴がした。曰く、ガリアの戦艦が何故か両断されていた。曰く、何故か勝利国はガリアでもロマリアでもなかった。・・・正直最初と四番目はともかく、あとは意味不明でビダーシャルは疲れているのだと思った。ジャンヌが戦死したハードすぎる戦場で大きな桃が流れてるとかどういう冗談なのだろうか?確かにここ最近可笑しなことは起こっている。どうやら悪魔の力を持った蛮族が四人同時期に存在する時代になったと警戒はしていたが、鍵はこの時代に揃っていなかった。それだけで安堵はしたが、危険分子であるロマリア教皇を排し、ガリア王を手懐けさえすれば悪魔の脅威からエルフ達を守ることが出来ると思っていた。実際それは上手くいっていたし、これで安心だと思っていた。そう、安心だった筈なのだ。だが最近だ。ごく最近なのだ。一部の精霊の力が何処かへ流れている、との報告があった。エルフ達は精霊の力を駆使して魔法を使っている。エルフだけではない。亜人や幻獣や妖魔もこの先住魔法を使えるのは自然の力を味方につけているからだと信じているのだ。だが、その精霊の力が具体的に言えば水の精霊魔法が此方の意図した効果より範囲が小さくなっているのだ。別に精霊の力が弱まっているというわけではないのだ。だが何だか使いにくくなっている。まるで『誰か』に優先して力を分け与えているから此方の精霊魔法の効果が薄まっているような感覚だった。その影響からか、最近は水石を精製することがかなり難しい事になってしまった。元々結晶精製は難度が高いのだが水石のみ更に難度が跳ね上がり、今や精製出来ても微々たる量になった。・・・このままではオアシスの空調を快適な状態に保つことが難しくなると、魔法装置の管理者が嘆いていた。「・・・今、確かに何かが動いている。我らの与り知らぬ場所で何かが」テュリュークは険しい表情で呟く。彼の悩み事はそれだけではない。ジャンヌの死により最近調子に乗ってきた勢力が彼の頭を痛めつけていた。その者達は停滞と緩やかな退廃に向かっていく祖国に現れた狂信者とも思える集団だった。自らが正しいと信じ、その他全てを認めないエゴの塊・・・。『鉄血団結党』、そんな名称が彼の頭をよぎった。彼らの思想は単純明快である。砂漠の民、エルフの敵は皆殺しという考えだ。ロマリア教皇殺害も実は彼らの意見が一部採用された形なのだ。彼らはガリア王も手にかけろと叫んでいたがそれは穏健派と称される者達の反対でそれはなしになった。「最初はロマリア軍皆殺しとか叫んでおったしな、あやつらは」それを鉄血団結党の長、エスマイールの口から聞いたときは正直引いた。そんな輩達が水軍を私兵化状態に置いているのは大問題ではないか?このまま彼らが力をつけていけば人類との大規模な争いは避けられない事態となる。ロマリアの教皇を殺害した際も正直そうなるかもという危惧はあったのだ。だが、そうはなっていない。そうはなっていないのだ。それがテュリュークは不気味でならなかった。エスマイールなどはエルフに恐れをなして攻める気すら起こしていないのだろうから今が好機だなどと叫んでいる。確かに人間にエルフが負ける事はない。ないはずなのだ。それはテュリュークも信じているし、他のエルフ達とて確信めいた想いを抱いているのだろう。人類が独自の魔法を使おうともエルフの精霊魔法には及ばないのが常識なのだ。悪魔の能力を使用できるのも微々たる数。魔法を行使する前に制すれば良いのだから過度に恐れなくとも良いはずである。まあ近いうちにロマリア教皇に代わる悪魔の能力者が出現するだろうが、先手を取ればいいだけの話なのだ。例えば使い手を誘拐して独房に入れれば人類は悪魔の力を最大限に行使できないのだから。鉄血団結党などは使い手が現れればその度に殺せばいいと提案してるが現実的ではない。そんな頻繁に殺していては向こうの防衛も堅固になるからである。火石を戦争でそれも同族に使うという発想を持つ種族に対して彼らの見通しは些か甘い気がするとテュリュークは考えていた。エルフは確かに人間より優れたものが多いが、エルフとて万能ではない。ビダーシャルは結晶精製の能力をジョゼフに利用されていた。彼にとって非常に不本意な事だったであろう。もし、真に万能なるものならばジョゼフを出し抜いたはずだとビダーシャルは言っていた。エルフを利用した男を出し抜く者など存在が信じられないが、その男は戦争に敗れている。これが一体どういう意味なのかはテュリュークは認めたくはなかった。人間の中にエルフを利用したジョゼフを出し抜いた者が存在する。その存在がいるとすればそれはエルフにとっても脅威である。ビダーシャルの報告ではガリア前王ジョゼフはビダーシャルが良い意味でも悪い意味でも驚嘆するほど柔軟な考えの持ち主だったという。ビダーシャル自身が『敵に回せばそれ自体がエルフにとって脅威となる存在』と評価するほどの人物であったらしい。だがそのジョゼフは負けたのだ。・・・一体誰に敗れたというのか?ビダーシャルの報告を聞き終わった後、自分はそう尋ねたと記憶している。『・・・『碌でもないただの人間』でしょうな』ビダーシャルはそう答えた。ビダーシャルはジョゼフを負かした者を知らない。しかし彼はおおよその見当はついていると言いたげな表情で言った。それでもって『碌でもないただの人間』と称した。・・・普通エルフが人間を呼ぶときは『蛮人』の呼称を使う。ビダーシャルが思い描いているその存在は確かに人間だろう。だが彼が『蛮人』と呼ばない存在なのだ。『・・・我々の脅威となり得る存在なのかな?』険しい目だったかもしれぬ視線でビダーシャルに尋ねた。『扱い次第では。現状では《悪魔》の復活を妨げている存在ですが』ビダーシャルは暗にその存在はエルフを助ける存在かもしれないと言っている。だが余計な危害を加えればその存在は此方に仇なす存在となり得る・・・。そんな存在を鉄血団結党が知ればどう動くだろうか?知れたことである。彼らはその存在を排除しようと動くはずだろう。エルフの脅威は徹底的に殲滅するのが彼らの思想なのだから。テュリュークとしては彼らにその存在が知られる前に一刻も早くその『碌でもないただの人間』とやらの身柄を押さえるべきかもしれないと考えた。そうでもしなければ余計な真似をしそうな連中がその存在に危害を与えて厄介事に発展しそうだからだ。それに彼らがその人間を殺した結果、悪魔が完全復活となれば目も当てられない。そういうことになればエルフと人間の戦いは本格的なものになる可能性が極めて高い。そのようなことは好ましい事とはいえないと判断したテュリュークは帰還したばかりのビダーシャルに次なる手を語るのだった。全てはエルフの同族達を守るため。そう信じて。「さて・・・『碌でもないただの人間』とやらは我々エルフに何をもたらしてくれるのか」テュリュークもビダーシャルも知らない。その『碌でもないただの人間』はジャンヌが五千年追い続けていた存在という事を。その『碌でもないただの人間』は既に人間達の一部には『悪魔』と呼称されている事を。その『碌でもないただの人間』が水石の精製難度を跳ね上げた原因である事を。彼らは知る筈もない。そろそろ土石の精製難度も上昇するという事実を。・・・あれ?そう考えると十分に脅威じゃないか?しかしエルフ達がそれを知ることなど現段階ではある筈もなかった。精々『悪魔の復活を妨げている存在を保護する』という任務を秘密裏に遂行させることしかテュリュークには出来なかった。一方、何故か重要人物として保護対象になってることなんて知る由もない自称『碌でもないただの人間』の因幡達也は無事にトリステイン魔法学院に帰還していた。頭髪ではなく陰毛が凄まじく伸びたコルベールだったが薬の効果は永続的ではなく、暫くして伸びは止まった。しかしながら毛の処理に大変時間がかかり、処理が終わったころには夜明けを迎えていた。そのコルベールであるが、現在は血眼になって学院長のオスマン氏を探している。だがオスマン氏はすでに先手を取っていた。コルベールが学院長室に怒鳴り込んで入った際、机に書置きが残されていた。『髪が伸びてきたので散髪してきます。探さないでください。《オールド・オスマン》』正に嫌がらせ或いは愉快犯的書置きである。自らは下の毛が増毛するという有難くない結果に終わったのに唆した本人は散髪だと?コルベールは激怒した。必ず、かの邪知暴虐な学院長を燃やさねばならぬと決心した。コルベールは冗談はあまり分からぬ。コルベールは学院の教師である。杖を振い、生徒と交流して生きてきた。しかし頭髪については、人一倍敏感であった。コルベールは父も母も無く女房も絶賛募集中である。そんな彼が守るべきものは生徒であり自らの頭髪である。その頭髪にかける思いを冒涜した学院長が許せずコルベールは彼の捜索のため憤怒の念を抱きながら学院長室を飛び出したのだった。「そういうわけで今日のコルベール先生の授業は先生が『走れコルベール』状態なので自習です」俺がそう報告すると教室内は歓声に包まれた。「走れコルベール状態ってのが意味分からんが自習なんだな?」「そうだマリコルヌ。自習なのだから自主的な学習をする時間だ。新魔法の開発や魔法薬の調合レポート作成に使い魔との親睦、読書に女体談義に花咲かせようとそれが自らの身になれば大いに自由なんだと俺は思う」そもそも自習時間に真面に自習する生徒が多い学院ではないだろう。自習と聞いた瞬間、大半がお喋りに花を咲かせている。まあ中にはモンモンことモンモランシーのように何やら怪しげな薬を調合してる者やタバサのように読書していたりする奴もいるし、ルイズやレイナールのように自習時間を有効に使ってマジで勉強してる学生もいる。ルイズは言動がアレだが座学は極めて優秀である。その種はこういう時間の努力にあるんだろう。俺はルイズの使い魔である。昨日の自分より良くあろうとする今のルイズの姿勢は好ましく素直に応援したい。俺にできることはないだろうが、手伝える事があれば手を貸しても良いかもしれない。俺はそんな殊勝な心を持ってそっとルイズに近づいた。周りの雑音で遠くからは聞こえなかったが、どうやらルイズは何かブツブツ言ってた。俺は数式とかやってんのかと暢気な事を思いつつ、耳を傾けた。「タツヤが帰ってきたことでメイド達の警戒が緩む筈…タツヤも帰ったとはいえ疲れが残って集中力が減少してる筈だから隙は必ず生まれる筈…」・・・一体何を企んでいるんでしょうかこの主は?「まず不意打ちで爆発…それじゃあマコトに被害が…食事に睡眠薬を混入…」「それより深夜に起きて襲うってのはどうだ?」「それは試したけどあのエルザってチビメイドが起きてるから深夜より早朝がいいわね」「成程、早朝ならば全員寝てる可能性があるな。しかしシエスタは思いの外早起きだぞ」「そこは言葉巧みに誘導してシエスタにはタツヤを襲うよう上手く口を合わせておくわ」「おお、そうなれば足止めも完璧だな」「そうよ。問題は私が早起きできるかどうかなんだけど…こればっかりは早寝することが重要ね」「早寝して早起きする…健康にも良い事だな」「ええ、健康にも良い行動を持ってマコトも持っていく。これ以上完璧なプランはないわ」「流石だな」「ええ、自分の知将ぶりに惚れ惚れするわ」「ああ、口に出さなきゃ完璧だったな」俺がそう言ったその時ルイズは初めて此方を向いた。そして彼女は目を限界まで見開いた直後、頭を抱え机に突っ伏した。「違う、違うのよ!?脳内会議なんてしてないわよ私は!途中なんか声がリアルになったなぁ?まさか私の中に新しい人格が潜んでたなんて思ってないわ!?よもやその人格に絶賛されて自分の才能にうっとりしてたわけじゃないのよぉぉぉぉ!?」俺はルイズの肩に手を置いて優しい声で言った。「いつものことじゃん」「ちょっと…見ないで…そんな生温かい目で私を見ないでェェェェ!?」「分かった。この屑」「一気に視線を氷点下にもしないで!?」「貴女を熱い眼差しで見たくありません」「普通に言うな!?」ルイズは涙目で俺をぽかぽか殴り始めたがすぐに額を押さえられジタバタしていた。そんな俺たちの様子をじっと見ていていたのか、ギーシュの声が聞こえた。「あぁ~、いつもの魔法学院に漸く戻った気がする」いつの間にか俺は魔法学院の日常に組み込まれていたらしい。少し嬉しい気がしたが、俺は元の世界に帰る気満々なのは変わらないからね?……でも少しだけ、少しだけ嬉しかった。(続く)・1スレ目が上がってるのは間違えてこの話を1スレ目に上げてしまったからです。ご迷惑お掛けして申し訳ありません。