ロマリア連合皇国。ハルケギニアでは最古の国の一つに数えられるこの国は、ガリア王国真南のアウソーニャ半島に位置する都市国家連合体である。始祖ブリミルの弟子の一人、聖フォルサテを祖王とする『ロマリア都市王国』は、当初はアウソーニャ半島の一都市国家に過ぎなかった。しかし、聖なる国というプライドが暴走し、次々と周りの都市国家を併呑していった。大王ジュリオ・チェザーレの時代には半島を飛び出し、ガリアの半分を占領した事もある。そこが最盛期だったようで、ジュリオの時代が終わった後、ガリアの地からは追い出されてしまい、併合された都市国家群は、何度も独立、併合を繰り返した。度重なる戦争後、ロマリアを頂点とする連合制を敷くことになった。その為なのか、各都市国家はそれぞれ我が道を行っていることが多く、特に外交戦略においては、ロマリアの意向に全然従わない国家もある。そんな事だから、ロマリアはハルケギニアの列強国に比べて、国力で劣るロマリアの都市国家群は、自分達の存在意義を、ハルケギニアで広く信仰される『ブリミル教の中心地である』という点に強く求めるようになった。ロマリアは始祖ブリミルが没した地である。祖王の聖フォルサテは墓守として、その地に王国を築いたのだ。彼がその地に王国を築いたのは、ブリミルの眠りを外敵から守るためなのだが、その子孫達は何を勘違いしたのか都市ロマリアこそが、聖地に次ぐ神聖な場所であると、自分達の首都を規定した。その結果、ロマリアは皇国と呼ばれるようになり、その地には巨大な寺院、フォルサテ大聖堂が建設され、代々の王は教皇と呼ばれるようになり、全ての聖職者及び信者の頂点に立つことになっていた。「光溢れる地とはよく言えたものですね。理想郷と言うより無法地帯ではありませんか」トリステイン女王アンリエッタは、馬車の窓から覗く、ロマリアの街並みを眺めて溜息をついた。宗教都市ロマリアは、ハルケギニア各地の神官達が『光溢れた土地』と、その存在を神聖化しているが、実際はハルケギニア中から流れてきた信者達が、仕事もすることもなく、ただ、配給のスープに列をなしている。その後ろでは着飾った神官達が談笑しながら、寺院の門をくぐっている。・・・新教徒達が実践主義を唱えるのも致し方ないことだ、とアンリエッタは思った。貴女の国の何処かの誰かさんの領地は実践主義っぽい事をやっているんですが。まあ・・・その何処かの誰かさんはブリミル?何それ食べれるの?え?神様?知らんがな。という感じなのだが。アンリエッタはふと視線をずらすと、目の前の席に腰掛け、居心地の悪そうに身を竦ませた銃士隊隊長の姿が見えた。どうやら、いつもの鎖帷子ではなく、貴婦人が纏うようなドレスに身を包んでいるので、落ち着かないらしい。まあ、そんな格好をしていれば、どこぞの名家のお嬢様のようなのだが、彼女は武人である。最近母性に目覚めたりしたが、基本は武人である。「慣れぬ格好でしょうが、お似合いですよ?隊長殿」「おからかいになりませぬよう。私の使い方をお間違えですぞ?このような服を着る為に、ロマリアくんだりまで来たわけではありませぬ」「わたくしには護衛もこなせる有能な秘書が必要なのですよ。近衛隊長は剣を振るだけが仕事ではありません。時と場合に応じて、やんごとない身分のお方や、賓客を相手にすることもあるのです。一通りの作法を身につけていただかねば、わたくしが困ります」アンリエッタはそうした意味も含めて達也を近衛隊の隊長にしようと企んでいたのだが、その隊長はギーシュになってしまっていた。正直、今思うと地団太を踏みたいほど悔しいが、ギーシュもギーシュでそこそこ有能だと評価していた。「しかし、剣や拳銃を身につけていないと、このような場所では落ち着きませぬ」ウエストウッド村に滞在していた時はアニエスはその剣と拳銃を身につけることはあまりなかった。理由は村の子どもが怖がるというほのぼのした理由だった。ちなみにその武器を子ども達の手の届かないところに保管したのは達也である。現在アニエスはドレスに戸惑っているが、これはウエストウッド村の滞在時、エプロンを着ける時も同様だった。・・・今ではある意味戦闘服と化しているが。「仕方ありませぬ。それがこの国の作法のようですから」「万一の場合、陛下をお守りする事が出来ませぬ」「肉の壁になるとはおっしゃらないのね」「私が斃れたら、誰が陛下のご乱心を止めると言うのですか?」アンリエッタとアニエスは互いににらみ合い、イヤ~な笑みを浮かべている。この方々は、ロマリアの聖堂騎士団が守ってくれるとは本気で考えてはいないようだ。アンリエッタ達は、とある式典に参加するために、はるばるこのロマリアまでやって来た。多忙の為来るのはやや遅れたが、それでも式典の2週間以上前には到着した。・・・多忙という字をアンリエッタが本当に分かっているのか疑問だが、多分分かっていてもスルーだろう。ロマリアは、周りを城壁で囲まれた古い都市である。古代に造られた石畳の街道が、整然とした街並みの間を縫っている。実に清潔感溢れる場所だった。この点は見習うべきか、とアンリエッタは思った。大通りの向こうに六本の大きな塔が見えてくる。その形はトリステイン魔法学院に似ていた。まあ、この建築物をモデルに魔法学院は造られたのだから似ていて当たり前である。パクリ?オマージュと言いたまえ。「あれが宗教庁ですか。魔法学院に似ておりますが、規模は全く違いますな」「一魔法学院が宗教庁より規模があればそれはそれで問題でしょう。自尊心だけは強いですからね。・・・さて、どうやら到着のようですわね」到着したはいいが、馬車のドアを開けに来る神官も貴族もいない。馬車寄せに並んだ衛兵たちは、礼を取ったまま動かない。様子を伺っていると、玄関前に勢ぞろいした聖歌隊が、指揮者の杖の下、荘厳な賛美歌を歌い始めた。これがロマリア流の歓迎のようだ。「馬車の中で一曲聞かせるつもりですかな」「大した演出ですわね。まあ、面白いかどうかで判断すれば微妙ですが」アンリエッタからすれば歌を聴かされることには慣れていたし、ましてや賛美歌など耳が腐るほど聴いていたのでもはや飽きていた。ド・オルエニールに来た時は、心が躍ったのだが・・・歌が終わると、指揮者の少年が振り向いた。白みがかった金髪の美少年だった。「月目?」所謂オッドアイだが、ハルケギニアでは月目と呼ばれ、縁起悪いものとされている。それなのに聖歌隊の指揮者とはよほどの事情があるのか。アンリエッタは聖歌隊のもてなしを労う為、窓から左手を差し出した。社交辞令だ。指揮者の少年は、右腕を身体の斜めに横切らせ、アンリエッタに礼を奉じて寄越し、そのままの格好で近づく。それから恭しく、宝石でも扱うようにアンリエッタの左手を取り、唇をつけた。「ようこそロマリアへ。お出迎え役のジュリオ・チェザーレと申します」偽名だろうな、とアンリエッタは思った。その少年は、アルビオンで七万を迎え撃つ(笑)達也を見送ったジュリオだった。「貴方は神官ですね?」「左様で御座います、陛下」「まるで貴族のような立ち振る舞いですわ。いえ、感心しているのです」「ずっと軍人同然の生活をしていたものですから、自然と身につきました。先だっての戦では、一武人として、陛下の軍の末席を汚しておりました」「そうでしたか。ではお礼を申し上げなくては」「あり難いお言葉、痛み入ります。それではこちらへ。我が主が陛下をお待ちで御座います」ジュリオは馬車の扉を開けると、アンリエッタの手を取った。アニエスもそれに続き。アンリエッタに同行していた使節団の一行も、それぞれやって来た出迎え役のロマリアの役人たちと挨拶を交わしていた。彼らに手を振って、アンリエッタはアニエスのみを連れて、ジュリオの案内で先に進む。その表情は達也を襲った時の狂乱の顔ではなく、一女王としての冷ややかとも思えるほどの微笑みだった。一方、ド・オルエニール。達也の屋敷の執務室。普段使われる事は滅多にないこの部屋に、達也はいた。執務室内にはゴンドランと農夫らしき格好の男と、体格の良い女性がいた。「えーっと、夫婦での申し込みですか」「へえ、そうです」「ちょっとアンタ!この方は領主様なのよ!そんな力のない返事で如何すんの!」「し、しかしよう・・・こんなに若いとは・・・」「貴族様になんて事いうんだいアンタは!前もそうして余計な事を言って追い出されたんじゃないのかい!」「うう・・・スマネェ・・・」「追い出されたとは穏やかではないな」ゴンドランが不安そうに呟く。「この領地は経験者、それも夫婦は優遇します。タロンさんとコロンさんでしたね?この領地には牧場として使用していた土地があります。そこを提供しましょう。畜産部門は我が領地に欲しい産業でした。私たちは貴方達の来訪を歓迎いたします」あまりにもあっさり決まったので、この夫婦の妻の方、赤い髪をした女性、コロンは俺に対して、疑いの眼差しを向けた。「失礼ですが領主様。土地まで提供してくれるのは嬉しいのですが、何か裏があるのではないでしょうか?」「領地の特産品を増やしたい。畑だけでは限界がありますのでね。牧場は何とかしたかったんですよ」まあ、家畜とかその品種にブランドがつけば収入も上がるんじゃないの?色んな病気に気をつけなければいけないが。あのミミズがいる以上、この土地の土や牧草は栄養があるらしいし。そもそも、此処で取れた農作物って余る場合が多いし、処理に困っていたんだよね。家畜の糞は肥料になるしな。「・・・私たちは貴方達の力が必要です。どうか、この領地の発展の為に力を貸していただけないでしょうか?」「・・・この領地としてはあなた方を追い出すような真似は致しません。いえ、させません。あなた方を追い出した所が泣いて悔しがる程にこの領地を盛り上げて行きましょう」この人たちは畜産部門なのでミミズの対策部隊には回さない。しばらくは牧場経営に勤しんでもらう。性格にやや不安があるようだが、そんなのは些細な事である。ゴンドランはニヤリと笑いながら、この牧場経営をしようとする夫婦に言った。「無論、あなた方の子作りの環境も此方で整えますが?」「え゛!?」「随分ストレートに言うんですねェ・・・」「まあ、この領地はまだまだ子どもが少ないですから。そういう期待も込めて夫婦は歓迎しているんですよ」孤児院の子ども達は二十人に満たないし。空きはまだ沢山あるから、その辺の孤児を拾って住まわせても良いんじゃないか?まあ、それは流石にどうかとゴンドランに反対されたが。この領地の次世代対策も急務である。俺がいなくても勝手に発展していくような領地になって欲しいな。達也が面接中のその頃。どう見ても同棲してるとしか思えない同居人、エレオノールは屋敷地下の書庫にいた。達也が来た時は鍵をされていた地下の扉だが、地下一階までは解放されていた。魔法研究所主席であるエレオノールはもしかして研究の資料があるんじゃないかと、書庫に来たのだが・・・書庫にあったのは絶版されている本や、自分の知らない本や、御伽噺の本などが並んでいた。勿論、現在もある書物もあったのだが。「『始祖の愛した食事』・・・何このどうでもよさそうなタイトルの本」固定化の魔法でもかかっているのだろうか?随分書物の保存状態は良い。魔法の研究の本もあったが、魔法研究所のそれとは違い、魔法の実用的な研究が記されていたものばかりだった。例えば目玉焼きを効率よく作る為の火加減とか、スカートめくりがばれない程度の風の加減など・・・実用的?下賎も程がある研究をこの地でやっていたというのだろうか?凄くアホらしいが。エレオノールは本を本棚に戻した。ふと、一冊の本が彼女の目に止まった。『根無し放浪記』エレオノールはそのタイトルに覚えがあった。確か、その内容が始祖を馬鹿にしているとかで出版禁止になった問題作らしい。詳しい内容は自分も分からない。見てみれば『根無し放浪記』は全部で30巻あるようだった。「どんな内容なのかしら・・・?」エレオノールは『根無し放浪記』第1巻を手にとって読み始めた。そこそこ裕福な家に生まれた主人公、ニュングはまともに魔法が扱えない。次男ということもあり、女性にも恵まれない悲しい人生を打破する為に、自分探しと称して若き身で旅に出ることにした。でも、一人旅は何だかとっても寂しい。と、いう訳で使い魔を召喚して一緒に旅しようと考えた彼は、108回目にしてようやく召喚を成功させた。煩悩の数と同じ回数、同じ呪文を唱えた彼の前に現れたのは、褐色の肌の幼女だった。『おおーっと!?人間を召喚してしまった!?・・・いや、いいのか?』『何言ってるのよアナタ。わたしは蛮人なんかじゃないわ』訳が分からないといった様子の幼女はフィオと名乗る。彼女の耳は長く尖っていた。所謂エルフを召喚してしまった馬鹿の物語らしい。自分探しの旅をする男、ニュングと、外の世界を知らないエルフの幼女、フィオが、フィオの故郷へ向かって旅をする話・・・というのが第1巻のあらすじだ。問題なのがこの物語、ブリミル没後1000年が舞台なのである。その時期は人とエルフは土地を巡って争っていた時期だ。それがロマリアなどの怒りを買ってしまったのだろうか?『この俺、ニュングの二つ名は『根無し』!定住する家がないからな!』『偉そうに言うな!』所謂ホームレスの彼らがバイトしながら路銀を稼いだり、狩りをしたり、遊んだりしてだらだらと旅をする内容だった。そこにフィオの姉と名乗るシンシアが現れるのだが、そこでフィオの故郷が滅ぼされた事を知らされる。人間が滅ぼしたのかと聞けば、違うと言うシンシア。彼女達の故郷を滅ぼしたのは他ならぬエルフであり、滅ぼされた理由はその故郷に住むエルフが、『ダークエルフ』と呼ばれる者達だから、ただそれだけの理由だった。そして、シンシアを追って来たエルフと戦闘するというのが第2巻である。その後はエルフと戦ったり、人間と小競り合いを起こしたり、何故か城に招かれたり、宝物庫に侵入して書物を拝借したり、拝借した祈祷書の呪文を詠唱したら使えてしまったり、様々な騒動を繰り広げて行き、ニュングとシンシアが結婚したりした。この辺りも問題である。特に独身の身にとっては。恋愛模様はニュングとシンシアが繰り広げていたのだが、それでは召喚された少女はどうだったのだろうか。読み進めたいが、時間も遅い。また次の機会にしよう。エレオノールは本を閉じ、書庫を後にした。大聖堂には、途中で見かけた貧民達が集まり、毛布に包まって天井を見つめていた。アンリエッタはその光景に驚く事になった。「・・・彼らは?」「アルビオンからやって来た難民たちです。行き先の手配が決まるまで、此処を一時の滞在所として解放しております」「教皇聖下の御差配ですか?」「勿論です」ロマリアの象徴たる大聖堂を難民に開放するとは・・・いや、まあ、それが聖職者の仕事だろといえばそれまでだが、実際行なう者は多くはない。此処にいる難民たちはロマリアが光の国と信じてやって来たはいいが、仕事もすることもないこの国は彼らにとっては闇しかない。せめて彼らが新聞でも何処かで目にすれば、どっかの領地の求人を目にすることができたのだが・・・・・・。ロマリア教皇、聖エイジス三十二世は、執務室で会談中とのことである。十五分ほどすると、執務室の扉が開き、中から子ども達が現れたのでアンリエッタは驚いた。「せいか、ありがとうございました」年長と思しき少年が頭を下げると、周りの子ども達も一斉に頭を下げる。そして子ども達は踵を返すと、笑いながら駆け去っていく。「これは一体・・・?」「ああ・・・あの子達は如何してるだろうか・・・」アンリエッタは子ども達を微笑みながら見送っていたが、アニエスは何故か現在ド・オルエニールの孤児院にいる子ども達の事を思い出していた。親か!?そんな二人を、ジュリオが促した。「では、中へどうぞ。我が主がお待ちで御座います」教皇の謁見室は、執務室というには雑然としており、本で埋め尽くされた部屋だった。宗教書ばかりでなく、むしろ、歴史書が多い。特に戦史関連が多く、博物誌も数多くあった。戯曲に小説、滑稽本まであった。大振りな机の上には、『真訳・始祖の祈祷書』が積み上げられている。その書物を片付けている、髪の長い、二十歳ほどの男性がいた。彼は人の気配に振り向く。「教皇聖下・・・」聖エイジス三十二世ことヴィットーリオ・セレヴァレはアンリエッタ達を見ると微笑んだ。「これはアンリエッタ殿。少々お待ちいただきたい。今すぐにでもおもてなしの準備をしますから・・・」ジュリオが呆れたような声で言った。「聖下、お言葉ですが、この日、この時刻にアンリエッタ女王陛下がトリステインからおいでになられるのはご存知でしたよね?」「わ、わかっていますよジュリオ。ですがわたくしは彼らにこの時間、文字と算学を教える約束をしていたのだよ」「それは昨日までの予定には入っていないようでしたが?」「少年少女に知識を分け与えるのは大人の義務と思いませんか?ジュリオ」「またその場の勢いで請け負ったんですか貴方は!?そんな事だから何時まで経ってもこの部屋の整理が出来ないんですよ!?」「また増築すべきでしょうか」「要らない本を捨てるか売りに出せばよいでしょう」「知識の結晶を捨てるなどとんでもない!」遠路はるばるここまで一国の女王を呼びつけておいて、待たせた上に何だろうか、この口げんかは。まあ、破天荒な人物であることは分かるが。教皇はアンリエッタ達に目を向けた。「遠路はるばる、ようこそいらしてくださいました」「いえ、敬虔なるブリミル教徒として、駆けつけて参りました」アンリエッタはこの教皇の才を計る為にロマリアまでやって来た。彼の背後で、本棚の本が落下しているのが少々気になるが、深々とアンリエッタは頭を垂れた。公式の席でアンリエッタの上座に腰掛けることの出来る人物は二人。ガリア王ジョゼフとこのヴィットーリオの二人である。「頭をおあげ下さい。何、あなたのお国の宰相殿が譲ってくれた帽子です。畏まる必要はございません」トリステイン宰相マザリーニ枢機卿は、次期教皇と目された人物だったが、彼はトリステインという国が好きになり、ロマリアの帰国要請を断ったのである。「マザリーニ殿は本当によくしてくださいますわ。では聖下。お言葉に甘え、質問をさせていただきます」「なんなりと」「この国の矛盾についてどうお考えでしょうか?」「ええ、光溢れる国など、現状では幻想でしかありません。信仰が地に落ちたこの世界では、まず誰もが、目先の利益に汲々としている。その結果、神官たちが好き勝手に生き、民たちは日々のパンにさえ困っている。こちらとしても、各寺院に救貧院の設営を義務付けたり、免税の自由市を作り、安い値段でパンが手に入るように差配いたしています。その結果、わたくしを新教徒教皇と揶揄する輩も少なくありませんが、自称新教徒達は、自分が大きな分け前に預かりたい連中でしょう」ヴィットーリオは心底迷惑だという表情で続けた。「まあ・・・現状はそれが限界です。これ以上神官たちから権益を取り上げれば、確実に内乱になり、わたくしはこの帽子を取り上げられる事でしょう。貴賤や教義の違いで争う事は愚の骨頂です。人は皆、神の御子です。それが争うなどと!」アンリエッタは静かに話を聞いていた。「何故、信仰が地に落ち、神官達が、神の現世の利益を貪るための口実にするようになったのか?それは我々に力がないからなのです。わたくしは以前、貴女にお会いした時に言いました。『力が必要だ』と。人は自分の見たものしか信じません。ならば、見せ付けなければなりません。真の神の力を。神の奇跡によって、エルフたちから聖地を取り返す・・・。真の信仰への目覚ましとして、これ以上のものはありません」「聖地を取り返すと言っても、6000年以上もエルフはあの場に留まっているのですよ?むしろ此方が奪う方でしょう」「ええ、相応の抵抗はあるでしょうね」ヴィットーリオは後ろを向くと、一つの本棚に向き直る。「ふんっ!!!」顔に似合わぬ掛け声をあげ、その本棚をずらそうとし始めた。しかし、力が足りないのか顔を真っ赤にしても微動だにしない。「ぐぬぬぬぬ・・・・・・はぁっ!!」ヴィットーリオが一層気合を入れたその時だった。可愛らしい音が謁見室に響いた。「「「「・・・・・・・・・・・・・・・」」」」ヴィットーリオはばつの悪そうな表情で言った。「ジュリオ、助けて下さい」「最初からそうおっしゃってください!?客人の前で放屁とか末代までの恥ですよ!?」「いいえ、あれは放屁などでは御座いません。きっと、神の口笛が失敗したのでしょう」「都合が悪い事は全て神のせいにしないように」「申し訳ありません」二人は本棚をずらし始めた。ずらした先にあったのは大きな鏡だった。ヴィットーリオはジュリオから聖杖を受け取り、祈るような声で呪文を唱えた。アンリエッタが今まで耳にした事のない、美しい賛美歌のような透き通った調べだった。呪文が完成すると、ヴィットーリオは緩やかに、優しく、杖を鏡に向けて振り下ろした。そうすると、鏡が光りだす。だが、その光は唐突に消えて、鏡にはこの部屋のものではない映像が映り始めた。その光景を見て、アンリエッタは思い出した。ド・オルエニール地下にあった鏡のことを。「これは・・・」「これが始祖の系統・・・虚無です」「聖下・・・まさか貴方は・・・」「はい。神はわたくしにこの奇跡の技をお与えくださいました。ですが、わたくし一人では足りません。多くの祈りによって、さらに大きな奇跡を呼ぶために我々は集まらなければなりません」神々しい輝きに打たれながら、アンリエッタは息を呑む。その身体が、かすかに、震えていた。(続く)