ロマリア宗教庁から突如聖敵にされてしまったガリア国民の混乱は尋常ではなかったが、ガリア軍やガリア王ジョゼフのお触れにより、国民達の感情はひとまず外敵ロマリア許すまじという感情が大多数であった。しかしながらブリミル教徒は連日リュティスの寺院に群がり、この戦争が一刻も早く終結する事を切に願っていた。何ともいえない微妙な空気を漂わせたかつての華の都リュティスでは、この聖戦の行方で話題が持ちきりである。占領軍として現れるであろうロマリア軍の統治を嫌う者達はそのロマリアの侵攻に怯えていた。怯える心を奮起させていたのは、危機的状況にあるガリアを立て直そうと働く宮廷貴族たちである。彼らは祖国の為に働くのだが、肝心の王がなにを考えているのかが全然分からず不安な日々を送る羽目になっている。リュティスの郊外、ヴェルサルテイル宮殿の敷地内に建てられた迎賓館では閑散としていた。考えても見ろ、こんな緊急事態に暢気に他国からの大使や文官が滞在している筈がない。宮殿の主人であるガリア王のジョゼフはわざわざここにベッドを運び込ませて、仮宿舎としていた。ベッドに座り、何ともつまらなそうに青い美髯を撫でながら床に置かれた古いチェストを眺めている。そのチェストには、懐かしい過去が込められていた。幼い頃、広い宮殿の中、五歳のシャルルと八歳のジョゼフはかくれんぼに興じていた。『ハァ・・・!!ハァ・・・!!ハァ・・・!!』幼い頃のジョゼフは荒い呼吸をしながら、自分の隠れるべき場所を焦りながら探していた。小姓たちが使うチェストを見つけた彼は、唾を飲み込みその中へ隠れた。このチェストは魔法によって中が三倍ほどの広さになっている。蓋を閉め呼吸を整えると、ジョゼフの心に澄み切った何かが広がるのが分かった。心が穏やかになっていく。落ち着いていくのが分かる。いいぞ、ジョゼフ。俺は探して探してやっと見つけたのだ。一人になれる場所を。ここにいるかぎり俺は見つからず、しまいには捜索願の触れまで出されるに違いない。嗚呼、何と言う素晴らしい空間だろう。この空間を提供する小姓達の給金をあげてもいい気分になりそうだ。だが、そんなジョゼフの穏やかな時もあっという間に終わりを告げた。『兄さん・・・みいつけた』シャルルが蓋を開けて顔を覗かせて言った。ジョゼフはあまりの恐怖にちびりそうになったが、兄の面子もあるのか、威厳を持って言った。『シャルル!?お、お前、何故ここが分かった!?』『えへへ。『ディテクト・マジック』を使ったんだよ。そしたらここが光ったんだ。これ、マジックアイテムだったんだね!』『お前、その歳でもう『ディテクト・マジック』を覚えたのか・・・なんて奴だと驚く所だが・・・』シャルルは得意げな笑顔を浮かべた。『だが、かくれんぼでその魔法は反則だ。もう一回お前が探す方だ、シャルル』『えええええ!?何そのルール!?』実に優秀な弟だった。よく出来た弟だった。故に国民からの支持も自分の比ではなかった。万人に愛される君主となるはずだった。だが、弟は完璧すぎたのだ。「お前が悔しがる所はついに見れなかったな。貴様を殺す際もお前は笑っていた。何処の聖人君子だお前は?ガリアは聖敵だとよ、シャルル。まあ、俺がけしかけたんだがな。それでも何とも思わん。どうでもいい事に思えるのさ。あまりに面倒だから俺は考えたんだシャルル。そうだ、まとめて灰にしようとな。シャルル、貴様が作れなかった王国はあの世で作れ。どうやらこの国の人々は心の底ではお前が愛したガリアを同様に愛しているようだからな。せめて華々しく散らせようと思う。それが俺がお前に出来る手向けのようなものだ。そうしても俺が泣けるかどうかは知らんがな」そこまで呟いた時、ドアが弾かれるようにして開かれた。ジョゼフが煩わしそうにそちらを見ると、彼の目前には人の足が飛んできていた。それを避けきれずにジョゼフは妙な呻きと共にその飛び蹴りを喰らってしまった。ガリア王であるジョゼフを飛び蹴りで蹴り飛ばしたのは彼の娘であり、王女でもあるイザベラである。彼女はタバサとは従姉妹の関係にあたり、タバサにいつも無理難題を押し付けている張本人であった。彼女は大股で吹き飛んだ父王の元へとつかつかと歩いていき、彼の胸倉を掴んだ。その表情は憤怒に満ちていたが、少し蒼白気味であった。「父上、これは一体どういうことです?」「どういう事とは?」「ロマリアと戦争になったと聞き、外遊先のアルビオンから帰ってみればこの騒ぎ!しかも聖戦ですと?」「正直、それがどうしたと言いたい」「あぁ?それがどうしたですって?よりにもよってエルフと手を組むからこうなるのです!聖戦とか疲れるから嫌だと言ってたのは父上ではありませんでしたか?」「誰と組もうが勝手だろう。むしろあの長耳どものほうが物分りはいいと俺は思うのだが」父のその発言にイザベラは眉を顰めた。そして思った。ついにおかしくなったかと。そして自分を責めた。ああ!外遊なんて行くんじゃなかった!と。イザベラは幼い頃、母が亡くなってからはこの父と定期的に話すことに決めていた。普通は関係が浅くなるものだが、母の遺言で、父を見張っておけと言われたのでその通りにしていた。見張っている間は大人しいのだが、この父、自分が目を離している隙にとんでもないことをするのだ。シャルル暗殺や、エルフとの同盟などはその良い例である。「で、聖戦は行なわれているわけなのですが、王国がなくなるかもしれませんね。私たちはどうなるのです?」「知らんわ。気に入らんなら国を出ろ。何、母親似だからその辺の男はすぐ引っかかる。孫の顔は見せろよ」「アンタは娘をその辺の男と結ばせる気ですかー!?」「お前、男の選り好みしてたらすぐに結婚適齢期を過ぎてしまうぞ?時には妥協も必要だろう。しかもお前は性格に難があるのだ」「父上に言われたくありませんね」「同じような性格でも性別の違いで差があるのだ。自覚しろ」「聖戦で戦死なさる前に死にますか?父上」「娘に殺されるのは父親としてどうかと思うから却下だ。これ以上話しても俺の考えは変わらん。去れイザベラ。そろそろ貴様も箱庭から飛び出す時だ」「ええ、出て行ってやりますとも!父上なんて大嫌い!」「可愛く言ったつもりだろうが正直痛いぞ」「大きなお世話です!!?」イザベラは大股で、父王の寝室から出て行く。騒がしい奴だ、と面倒くさそうに頭を掻くジョゼフ。次いで現れたのは、長い黒い髪のシェフィールドであった。「ミューズか」「ビターシャル卿からより伝言です。例のものが出来上がったとのことです」「そうか」ジョゼフはにやりと笑うと、立ち上がった。歩きながら、シェフィールドはこの一週間で集めた情報をジョゼフに報告した。死体の見つからなかった裏切り者がタバサと接触しているかもしれない事。ヨルムンガルドをほぼ全滅させてしまった事。自分が焦りによって失敗を誘発してしまった事。そして・・・。「何?ロマリア側もエルフを味方につけている恐れがあるだと?」「はい。その女によって私は撤退を余儀なくされました」「エルフどもにロマリアの思想に賛同する者がいたのか」「わかりません。ですがそのような存在と思われる女がいたのは事実です」無論これはシェフィールドの仮説に過ぎず、彼女からすればあれほどまでの強力な魔法を単体で放つなど人間業ではないと思ったが故の危惧であった。「面白い。謎の武器に謎の女エルフか。退屈の中にも刺激はあるようだな」愉快そうなジョゼフの様子に、シェフィールドは軽い嫉妬を覚えた。その二つの要素の中心にいる人物。忌々しきあの虚無の使い魔。その存在をジョゼフが本格的に興味を持ったら自分は捨てられるのではないのか?彼女は不安に駆られながら、ビターシャルの待つ礼拝堂へと進んでいった。礼拝堂に入っていくとジョゼフは身震いした。「お気づきになられましたか?」「いや、寒い」肩を竦めてジョゼフは言い、更に奥へ進む。シェフィールドは先程言った自分の言葉が恥ずかしかった。まあ、ジョゼフもジョゼフで彼女がどういう反応をするのか観察して何気に楽しんでいたのだが。礼拝堂の地下へと続く階段を降りていくと、うっすらと煙が見えてきた。下に行くにつれて煙は濃くなり、更に奥で激しく火が燃える音が聞こえる。だが、不思議と気温は下がっていくように感じた。やがて真冬並の寒さになっていった。吐く息が白い。「炎はかなり上がっているが、気温は下がる。実に奇妙な光景だな」「周囲の熱を吸い取り凝縮するのが『火石』ですから」階段を降りた先の倉庫の真ん中には大きな櫓があり、その前ではビターシャルが一心不乱に呪文を唱えている。彼の手の先には赤い拳大ほどの石があった。「火石は完成したのか」「火石の精製に完成という概念はないな。何を持って完成とするかはお前たちが決める事だ。我々は曖昧さを嫌うから適当に決める事はしない」「やれやれ・・・人間批判は忘れんのだな」「・・・お前たちはこれを何に使うのだ?」「その前に聞きたいのだが、例えばその火石はどのくらいの土地を燃やすことができるのだ?」「質問の意図は?」「まあ、そんな細かい事はいいから答えてくれ」「・・・そうだな。この大きさならば十から二十リーグは灰にできような。だが、お前たちの技術では解放することなど・・・」「そんなもの、俺の虚無を使えば可能だ。だよな?ミューズ」「ええ」「虚無だと?お前がか?」「隠してるつもりは全くなかったがな。エルフも案外鈍いのだな」「理解できんな。お前たちにとってその力は切り札であるはずなのに、どうしておめおめと私の前に姿を現すのだ?」「ハハハ!知った所でお前は如何する?俺を殺すか?それとも無用な争いは嫌と言うのか?」「・・・残念ながら殺した所で新たな悪魔が復活するだけだ」「面白い。俺が死んでも変わりはいるのか!」「そういうことだ。少なくともお前なら御せると思った」「確かにロマリアの頑固者どものような使い手が増えたら貴様らにとっては地獄だろうな。だからこそ貴様達は全力で俺の意に添わなければならんのさ。そういう意味では俺は、エルフと一番に分かり合える人間なのかもしれんな!」ビターシャルは冷たい目でジョゼフを睨む。「驕るな。これは分かり合うとは言わん」「見解の相違というわけだな。まあいい。では先程のお前の質問に答えよう。だが、既に分かっているのではないのか?」「・・・本気か貴様。これを同胞に使おうと言うのか貴様・・・!!」「用いるんだな、これが」「悪魔のようというか悪魔だな」「火石を作ったのは何処のどいつだ?それに貴様は罵りこそすれど俺を止める気はないだろう?人間同士が何やっても関係ないからなぁ!そうだろう?」「・・・やはり私はこの地に来るべきではなかったな」「気にするな。ああは言ったが、結局悪いのは武器を作った者ではなく、使う者なのだからな。お前が気に病む必要はないから同じものを後二、三個作れ。安心しろ。使うのはあくまで俺だ。気にせず励むがいい!ハッハッハッハ!!」高笑いするジョゼフを睨みながら、ビターシャルは火石を作る作業に戻った。閑散としていた迎賓館に、久々に客がやって来た。ジョゼフとしてはこんな状況でガリアへやってくるのは何処の馬鹿だと思い、その客人を歓迎した。そして彼は、その客人の姿を見て破顔した。「ごきげんよう、ジョゼフ殿」「突然のご訪問だな。ようこそ、アンリエッタ殿」哂うジョゼフに微笑むアンリエッタ。そこに温かさなど微塵もなく彼らの間には吹雪が吹き荒れている。ジョゼフの傍らにはシェフィールドが控え、アンリエッタの側にはアニエスが控えている。アニエスはシェフィールドの姿を見て、アルビオンでルイズを襲った女だとすぐに思い出した。かくして二人の王は対峙し、会談が始まる。アニエスがアンリエッタの持ってきた鞄から書類を取り出し、ジョゼフの目の前に置いた。ジョゼフはそれを無造作に手に取り、一枚ずつ読み始めた。「・・・成る程。これは破格の提案だ。ハルケギニア列強の全ての王の上位としてハルケギニア大王の地位を築き、他国の王はそれに臣従する。ロマリアを除いてか」「ええ、聖下におかれては、我らにただ権威を与える象徴として君臨していただきます」「その初代大王に余を推薦すると言うのか?」「はい。ただし条件は一つ。エルフと手を切る。これだけですわ」「正に破格だね。だが、この申し出、ゲルマニアが首を縦に振るか?」「もとより王として格下のゲルマニアにトリステインとガリアの連合に意を挟めるわけはございませんわ」「言うではないか。いやはや、見損なっていたのだが大した政治家ではないか、アンリエッタ殿」「お褒めに預かり恐縮ですわ。エルフではなく、わたくしが貴方をハルケギニアの王にして差し上げましょう」「・・・目的はなんだね?」「貴方がエルフと手を切れば、少なくとも人間同士が戦う聖戦は終わります。世界大戦より、無能王を抱く方がまだ赦せます」「本格的にロマリアと余をぶつける気か」「地獄も楽な方がいいでしょう?」「最もだな。よろしい、では此方も条件を一つ提示したい」「どうぞ」「余の妃となれ」「承りました」「ほう、嫌がると思えば」「わたくしでよければ、喜んで」「・・・大した役者だよ、好いてもない男に抱かれる覚悟とは。だが恥ずかしながら余はそのような女を抱けぬ小心者でね、あまり本気にするな」ジョゼフが笑うと、アンリエッタは屈辱からか、顔を真っ赤にさせた。「ふん、大方初夜の晩に余の首を掻き切るつもりであったのだろう」「その後家畜の餌にするつもりでしたのに・・・」ジョゼフの笑みが少々引き攣った。「やれやれ、とんでもない策士だな。危うく家畜の餌になる所であったわ。やはり人間は理性が大事だな。ああ、アンリエッタ殿、あなたはいい王になるだろうな」「・・・それではお触れをお出し下さい。三国を統べる王が後ろにいるとなればロマリアも・・・」「だが、真に残念ながらその提案には乗れん。これが余の理性の答えだ」「・・・何が足りないとでも?」「いやいや、むしろ十分すぎる。だがなアンリエッタ殿。そうではない、そうではないのだ。俺は別に世界など欲してはいない。大王の座なのどいらんのだよ。たしかに貴女の提示した条文は素晴らしいものだ。俺も舌を巻いたよ。だがな、残念ながら前提が違うのさ。貴女は言ったな、地獄も楽な方がいいと」「ええ」「俺はその楽ではない方の地獄が見たいのさ。だから、聖戦を止める気などない」「お戯れを」「いんや、俺は本気だよ?貴女方には理解はできないかもしれんがね」アンリエッタは全身から汗が噴き出るのを感じた。だが、倒れはしなかった。理解は出来ない。だが、この男はそれを平然と言い放った。そういう存在だと理解をしなければならない。彼は本気だ。本気すぎる。あの若き教皇とは違うようで似ていると思うほど、この男は本気だった。「まあ、ここに来たのも何かの縁、どうせなら地獄見物と洒落こみたまえ、アンリエッタ殿」ジョゼフはそう言って再び笑った。その笑い声はアンリエッタにとっては絶望の響きしかなかった。そんな彼女の様子を見つめる影があったことはこの時点では誰も知らなかった。(続く)