ここは、ロアナプラの繁華街から少し離れた港町の二階建て建物の一室。
ツヴァイ達が住居兼事務所として借りているのは3LDKの間取りに事務所として使っている部屋からは海が一望でき、物件的にはかなり良好のはずなのだがいかんせん潮風にあてられて所々錆びついており、かつてアメリカの裏社会で限りなくトップに近づいた組織の大幹部の部屋とは思えない程寂れた一室にツヴァイ達三人は難しい顔を突き合わせていた。
「クロウ・・・悪いけどもう一回言ってくれるかい?」
頭痛を堪えるかのようにこめかみを抑えながらリズィは隣に座る親友であり護衛対象であり、雇用主のクロウディアに問いかける。
「お金がないのよ!!」
リズィよりもさらに激しい頭痛を感じているのか、クロウディアは誰から見ても美人と言える顔の眉間に深い皺を刻んでいた。
「ロアナプラにきて数ヶ月、何の後ろ盾もない私達に仕事なんてあると思う?今まではインフェルノ時代に蓄えたお金で何とか生活してきたけどそれもそろそろ限界よ」
「ちょっと待て、それにしたって早すぎないか?アメリカならともかくここはタイだぞ、物価だって全然・・・・・」
「あんた達が毎晩毎晩飲みに行ってお金を湯水の如く使っているからでしょうが!!」
テーブルを挟んでソファに座るツヴァイが口を挟もうとするが、怒鳴り声に一蹴される。
「そんなに行ったか?」
「あたしの記憶ではそんなに・・・」
訝しの視線を交わらせるツヴァイとリズィの前に、一冊のノートが叩きつけられる。
そのノートには几帳面な字で「家計簿」と書かれていた。
「「か、家計簿ぉ!?」」
驚愕の表情を浮かべ、素っ頓狂な声を上げる二人になぜか得意気なクロウディア。
「これでも出来の悪い弟がいた身ですからね。これぐらいは当然よ」
「お、お前・・・・意外に家庭的だったんだな」
「一応、親友を自称しているあたしでもこれは予想外だったよ・・・・」
「お黙り!それよりもこの家計簿を見てみなさい!!」
破れんばかりの勢いでノートを開き、これまた几帳面の字で描かれた数字の羅列を二人に突きつける。
「「・・・・・・・」」
その内容にさすがに閉口せざるをえない。
ほぼ毎日の様に酒代の項目があり、その額は平均数万ドル、酷い時には一晩で数十万ドルの金が酒代に消えていた。
「これで分かったでしょ!?うちの経済状況はあんたら二人のアル中によって切迫してるのよ!!」
「い、いや、そんなに飲んだ記憶がないんだが・・・・」
「あんたら記憶無くなるまで飲んでいるからでしょうが!!何度ゴミ捨て場で寝ていたあんたを担いで帰ってきたと思っているの!?」
「そ、そんなこともあったのか・・・?」
自分の酒癖の悪さを認識すると共に、そこまで酒に溺れてしまうほど摩耗している自分にうんざりする。
「一人でシリアス入っているんじゃないわよ!!そんな暇があるならバイトでもして来なさい!!この駄犬!!」
容赦のない罵倒と共に強烈な平手打ちをくらわせられ、ツヴァイは肩を落として沈黙する。
その時、クロウディアのデスクに備え付けられていた電話が鳴り響く。
「はい、御電話ありがとうございます。こちら万屋アースラです♪」
女の変わり身というものはいつ見ても、殺し屋のそれよりも卓越した技術だとつくづく思う。
何の訓練もなくそれを生まれつき持っている女というものは、何より恐ろしいとツヴァイは改めて感じた。
「はい、ご依頼内容はどのような物でしょうか?当社は殺し屋から戦艦の艦長、マダオ(まるで駄目なオウギの略)の嫁等と幅広い人材を揃えております!!・・・・・え?」
それまで上機嫌だったクロウディアの声色が一気にクールダウンする。
「・・・・はい・・・・はい・・・いえ、喜んでお請けさせていただきます。はい、これを機に今後も当社を御贔屓に・・・・はい、では失礼させていただきます」
電話を切るなり、引き攣った笑みをクロウディアはツヴァイに向けた。
「あら?意外と仕事が早いのね」
依頼主のバラライカと呼ばれるロシアンマフィアの頭目の事務所に着いたのは正午になりかけの時だった。
「ホテル・モスクワ」。ロアナプラでも三合会に次ぐ勢力を誇る組織の頭目からバイトの依頼が来たのは一時間程前のことであった。
「で、依頼内容は?」
「あら?聞いてないの?」
意外そうに顔をしかめるバラライカ。
バイト内容はクロウディアから頑なに教えられずにいたため、直接聞くしかなかったのだが、
「なん・・・・・・・・・だと」
その内容を聞きながら案内されたビデオ機材が並ぶ一室を前にツヴァイは愕然とした。
「聞こえなかったの?ポルノビデオの編集のバイトよ」
「・・・・・・」
閉口するツヴァイの表情がよほどお気に召したのか、バラライカは上機嫌に続けた。
「さすがのファントムも雇用主の命令に逆らえないってわけね」
「知っていたのか?」
「仕事柄ね。この街の新参者を一通り調べるのは当然のことよ」
考えてみれば当然のことであった、素性を知らぬ者にバイトとはいえ「ホテル・モスクワ」が仕事を依頼することなどありえない。
別に隠していたわけではないが、自分の預かり知らぬところで自分の過去を探られるのはいい気分ではない。
だが、ここでへそを曲げるほど子供ではないし、せっかくのバイトを不意にすればクロウディアに何をされるか分からない。
「で、何本やればいいんだ?」
極力顔に出さないように努めたが、バラライカはそのツヴァイの一連の行動に歪んだ笑みを浮かべ、機材の説明を始めた。
「船便の遅れるって?」
葉巻を加えたバラライカがけだるそうに、来訪者の言葉を復唱する。
「電話ですむようなことをわざわざ言いに来たの?」
「ダッチに言ってくれよンな事」
めんどくさそうに吐き捨てるのは、ラグーン商会の二挺拳銃こと、レヴィであった。
同行しているのは先日の酒場の一件以来ラグーンに籍を置くことになったホワイトカラーの東洋人のロックと呼ばれる男は、ツヴァイが編集するポルノビデオの映像に気まずそうに視線を逸らしていた。
逆にレヴィは興味津々といった様子で画面を覗き込んでくる。
「ま、なんでもいいわぁ、今日中にこれを十五本片付けなきゃいけないのよ」
「やっているのは俺だがな・・・・」
さも、自分一人で仕事をしているかのような口調のバラライカにツヴァイは、こめかみを引き攣らせながら呟く。
「まぁ、バイトが見つかってよかったわ、あたしがやってたら頭がおかしくなりそうよ」
(バイト代の為だ、バイト代の為だ、バイト代の為だ)
自分に言い聞かせることで目の前の機材を撃ち抜きたくなる衝動を抑えるツヴァイに、ロックだけは同情の視線を向けていた。
「夜には会合もあるのよもう・・・・・勝手にヤクを撒いてるどっかのバカの話。大迷惑よまったく」
今にも死にそうな声を上げるロシアンマフィアの頭目を尻目にツヴァイは黙々と作業に没頭する。
「なぁ兄ちゃん、あれケツに入れてんのか?」
「・・・ケツだ」
レヴィの問いに律儀に答えてしまう自分の性格が恨めしかった。
一通りの世間話を済ませ、ラグーンの二人が部屋を後にする。
「じゃあな兄ちゃん、続き頑張れなぁ」
「死にたくなる・・・・・」
去り際のレヴィの言葉に、ツヴァイは誰にも聞こえない声で呟いた。
バイトが終わったのは日が傾き始め、ロアナプラに夜の世界が訪れる手前の刻限だった。
僅かに出たバイト代を握り締め、ツヴァイが訪れたのは繁華街の食堂市場。
朝から何も食しておらず、昼食もあのようなバイト内容では喉を通らず、少し早いが夕食をとることにした。
器に注がれたフォーを持ち、テーブルに着く。
特に食に拘りはないが、ここのフォーは不思議とツヴァイの味覚を心地よく刺激してくれるので暇さえあれば食していた。
半分も食べ終えたころ。市場が喧騒に包まれる雰囲気を感じ、箸を止め辺りに視線を飛ばすと、逃げ惑う人々の奥に銃を構えた見知った短いポニーテールを見つける。
「またあいつか・・・・」
うんざりしながらフォーをかき込み直すツヴァイ。
言わずもがな、先刻会ったラグーン商会の二人組であった。
トラブルメーカーと呼ばれる人種にはこれまでに何人も出会ってきたが、行く先々で面倒事を引き起こすラグーンの二人組はトラブルメーカーというよりもトラブルそのものと言った方が正しいのだろう。
今回もどのような経緯でトラブルを巻き起こしたのか知らないが、レヴィがロックに銃口を向けているところを見る限り、痴話喧嘩の類であると予想がつく。
そんなことにいちいち光りものを持ち出す辺りが、この街が常識から外れた存在であると改めて思い知らされる。
瞬間、銃声が轟く。
「ほんとに撃つのか・・・・」
スープも残らず飲み干し、ツヴァイはゆっくりと席を立つ。
背後からはロックとレヴィが言い争う声が聞こえてくるが、すでにツヴァイは満腹感から来る眠気を堪えるほうが重要であった。
遠くからパトカーのサイレンの音も聞こえてきたがそれもツヴァイにはどうでもいいことであった。
「よう、またあったな兄ちゃん」
御馴染のイエローフラッグのカウンターでグラスを傾けていると、そこにレヴィがやってきた。
後ろには、顔を腫らし左のこめかみに銃痕の掠り傷を付けたロックがついて来ていた。
「バイトはどうだったよ?」
「・・・・・・」
それを忘れるために飲んでいるのに、一瞬にしてアルコールが体から抜けていくのがわかってしまい、忌々し気に表情を歪めるがレヴィは構わずツヴァイの隣に陣取る。
「そういや自己紹介がまだだったな。あたしは・・・・・」
「知っているよ、ラグーン商会の二挺拳銃だろ?そっちは最近入ったロック」
「え?俺の事も知ってるの?」
「耳は早いほうなんでね・・・・」
意外そうな表情を浮かべるロックに一瞥もくれずにグラスの中身を飲み干すツヴァイ。
「まぁ、ロックのことなんざどうでもいいさ。あんたは最近来たモンだろ?どこで仕事とってたんだい?」
「俺か?・・・・・・」
少し考えて、ツヴァイは皮肉気に口元を歪ませ、
「俺は、殺し屋から戦艦の艦長、マダオ(まるで駄目なオウギの略)の嫁等と幅広い人材を揃えている万屋アースラの玲二だ。」
「あん?」
「あんた日本人なのか?」
それぞれ思うところが違う疑問を浮かべる二人をよそに、ツヴァイは店主のバオにおかわりを要求した。
後に、バイト代を使い込んだとクロウディアにこっ酷い制裁を受けることなど露知らず、ツヴァイはこの妙な街の住む妙な二人組との出会いをどこか楽しんでいた。