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No.18721の一覧
[0] オーバーロード(オリジナル異世界転移最強もの)[丸山くがね](2012/06/12 19:28)
[1] 01_プロローグ1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[2] 02_プロローグ2[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:24)
[3] 03_思案[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[4] 04_闘技場[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[5] 05_魔法[むちむちぷりりん](2011/06/09 21:16)
[6] 06_集結[むちむちぷりりん](2011/06/10 20:21)
[7] 07_戦火1[むちむちぷりりん](2010/05/21 19:53)
[8] 08_戦火2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:59)
[9] 09_絶望[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:28)
[10] 10_交渉[むちむちぷりりん](2011/08/28 13:19)
[11] 11_知識[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:37)
[12] 12_出立[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:29)
[13] 13_王国戦士長[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:53)
[14] 14_諸国1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:39)
[15] 15_諸国2[むちむちぷりりん](2010/06/09 20:30)
[16] 16_冒険者[むちむちぷりりん](2010/06/20 15:13)
[17] 17_宿屋[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[18] 18_至上命令[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:46)
[19] 19_初依頼・出発前[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:44)
[20] 20_初依頼・対面[むちむちぷりりん](2010/08/04 20:09)
[21] 21_初依頼・野営[むちむちぷりりん](2010/11/07 18:11)
[22] 22_初依頼・戦闘観察[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:30)
[23] 23_初依頼・帰還[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:38)
[24] 24_執事[むちむちぷりりん](2010/08/24 20:39)
[25] 25_指令[むちむちぷりりん](2010/08/30 21:05)
[26] 26_馬車[むちむちぷりりん](2010/09/09 19:37)
[27] 27_真祖1[むちむちぷりりん](2010/09/18 18:05)
[28] 28_真祖2[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:15)
[29] 29_真祖3[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:50)
[30] 30_真祖4[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:47)
[31] 31_準備1[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:33)
[32] 32_準備2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:41)
[33] 33_準備3[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[34] 34_準備4[むちむちぷりりん](2010/10/24 19:36)
[35] 35_検討1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:58)
[36] 36_検討2[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:55)
[37] 37_昇格試験1[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:52)
[38] 38_昇格試験2[むちむちぷりりん](2011/01/22 07:28)
[39] 39_戦1[むちむちぷりりん](2010/12/31 14:29)
[40] 40_戦2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[41] 41_戦3[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:42)
[42] 42_侵入者1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:40)
[43] 43_侵入者2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:42)
[44] 44_王都1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:51)
[45] 45_王都2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:57)
[46] 46_王都3[むちむちぷりりん](2011/10/02 07:00)
[47] 47_王都4[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:38)
[48] 48_諸国3[むちむちぷりりん](2011/09/04 20:57)
[49] 49_会談1[むちむちぷりりん](2011/09/29 20:39)
[50] 50_会談2[むちむちぷりりん](2011/10/06 20:34)
[51] 51_大虐殺[むちむちぷりりん](2011/10/18 20:36)
[52] 52_凱旋[むちむちぷりりん](2012/03/29 21:00)
[53] 53_日々[むちむちぷりりん](2012/06/09 14:02)
[54] 54_舞踏会[丸山くがね](2012/11/24 09:16)
[55] 55_邪神[丸山くがね](2013/02/28 21:45)
[56] 外伝_色々[むちむちぷりりん](2011/05/24 04:48)
[57] 外伝_頑張れ、エンリさん1[むちむちぷりりん](2011/03/09 20:59)
[58] 外伝_頑張れ、エンリさん2[むちむちぷりりん](2011/05/27 23:17)
[59] 設定[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:44)
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[18721] 52_凱旋
Name: むちむちぷりりん◆bee594eb ID:a65bc0f8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/03/29 21:00
「あんなものがあるものか!」

 男の野太い声に合わせ、テーブルにコブシが叩きつけられる。
 飲み物の入った複数の――7つのコップが倒れたりしなかったのは、叩きつけられたコブシに絶妙な力が入っていたからではなく、テーブル自体が頑丈なものだったためだ。もしコップが倒れれば大惨事は免れなかっただろう。というのもテーブルには書類を含んだ、濡れやすいものが無数に乗っていたのだから。
 大声に反応した者はいない。男と同じ席に座した他の6人の男たちは、黙って大声を上げた男に同じように視線を向けている。ただ、その瞳には様々な――異なる感情を含んでいた。
 同情、理解、困惑、そして侮蔑――。

 大声を上げた男は数度呼吸を繰り返し、己の体内に宿った熱を吐き出す。それから己の前に置かれたコップを無造作に掴むと、ぐぃっと一息に呷った。充分に中身の入っていたコップが一気に空になるほどの勢いで。
 それだけ飲み干さなくては、己の喉の渇きを癒せなかったのだろう。そんな行為を黙って見ていた1人の男が口を開く。

「取り敢えずは追撃をどうやって行うかを考えるべきでしょう」

 その男の発言は、先ほどの大声を上げた男の激情を再燃させる。

「お前はさらにあれに追撃をしろと言うのか!」

 先ほどよりも強い感情を込めた声は、まるでビリビリと大気を震わすようであり、心弱いものであれば目を伏せて怯えてしまうほどの威圧を兼ねていた。しかし、向けられた男も決して心が弱い男などではない。平然と見返し、その顔には薄い笑みすらある。

「そうですが。何か変なことを言いましたでしょうか?」
「変な? 変とかそういう問題ではない! あれのどこに追撃の必要がある! もはやあれは王国の軍としての体裁も整えてはいない、王国よりかき集められた単なる平民だ! 逃がしてやるのが人間として正しい行いであろう!」
「……その意見には反対させていただきますね、将軍。私たちは帝国の軍を皇帝陛下より預けられたもの。そして今回この地まで来たのは王国軍を完膚なきまでに叩き潰すためです。その絶好の機会が今ここにあるのではないですか?」
「絶好の機会? お前は今が絶好の機会だというのか。あの哀れな者たちの後ろから襲い掛かることが!」
「そのとおりですとも。私たちは帝国の将軍。ならば帝国の民が戦争で亡くなる可能性を多少でも下げるよう行動すべき。それは将軍だって当然と考えていただけますよね? でしたら、何故、今、王国の哀れな敗残兵を後ろから襲ってはいけないので? それとも将軍は王国の兵士たちがエ・ランテルまで戻って、防備を固めてから襲えと言うのですか?」
「そうは言わん! しかし幾らなんでも人の道から外れよう! 大体、もはや大勢は決した。あとは使者を送っておけば大抵の問題は解決するだろう。何も後ろから襲わずともな!」

 この天幕に集まったのは帝国8軍の将軍の内、今回の遠征に参加した7人の将軍たちである。
 大声を上げているのが第3軍将軍、ベリベラッド。顔に無数の傷跡のある、剣の腕が立つことでも知られる将軍である。筋骨隆々であり、1人いるだけで室内が狭くなるような威圧を兼ね備えている。そんな人物であるために、全将軍の中で、最も迫力がある人物として有名だ。
 それに対して口を開いているのは帝国第8軍将軍、レイ。最近皇帝に選ばれて将軍になった人物だ。ベリベラッドとは対照的に優男といっても良い外見をし、貴族の血が流れているのは一目瞭然な端正な顔をしている。しかし、将軍に選ばれたのは血ではなく、その才能だ。そしてその見掛けとは裏腹な豪胆な性格はその采配にも現れる。
 そんな2人の睨み合いに対して、他の将軍は口を開こうとはしない。しかし、その瞳を見ればどちらを応援しているかは即座に理解できる。ほぼ全ての将軍が同意しているのはベリベラッドの方だ。
 レイからすれば嘲笑したくなる甘い考えに、同僚たちが賛同しているというのは笑ってしまいたくなる話だった。無論、すぐさま表情に出してしまうほど、レイは甘い人間ではないが。

「それは少々甘くないですか? まだ使者を送ってないのです。であれば、そうならないかもしれない。私は最悪の事態を考えて行動するべきだと思うのです」
「追い詰められた兵士が何をしでかすかは分からない。王国の戦意は低下しているのは確実だ。ならば徹底抗戦などの結論を出させないように、下手なちょっかいを出すべきではない!」
「今は良いかもしれませんが、都市に帰れば士気も上がるかもしれません」
「あのような虐殺があった状態で、都市に着いたところで士気が上がるはずが無かろう。……それよりは帝国は王国の兵士たちの死を悼むという宣言を出して、行われるであろう交渉を有利に持っていくべきだ」

 虐殺。
 その言葉にレイはあのときの光景を思い出す。
 あの圧倒的な戦いを。魂の奥底から握り締められる圧倒的な絶望の戦場を。

 ――美しかった。

 そしてその後の魂の収穫祭。
 全てが美の光景だ。圧倒的なまでの暴力にこそ許された芸術。人間という劣等種族では到達できない領域での――神話の世界を具現した幕間。
 それを思い出したレイは思わず、色の付きそうなため息を吐き出す。堅くなった股間が、鎧の部分の間で潰され、痛みが走るがそれもまた心地よい。

 レイからすればあれは絶対の美とも呼ぶべき光景であったが、残念ながらその意見に同意してくれるものはほとんどいなかった。帝国軍の誰もがあれは無慈悲な虐殺であり、決して戦争ではないと考えているのだ。
 勝利を喜ぶ声よりも、王国の兵士たちの無残な死を哀れむ声の方が多く聞こえる。
 帝国の圧倒的勝利に同意するのではなく、否定し、嫌悪するという有様だ。

「だからこそ駄目押しです。敗残兵を刈ってやりましょう。麦の穂を落とすように王国の兵士たちの頭を。あの戦いで多くの兵士が死んだのです、ここで追撃をすれば王国の国力の急激な低下は確実。ならば王国の併呑も時間の問題となりましょう」
「貴様! それでも!」

 ガタリと音を立て、立ち上がったベリベラッド。鎧の下の筋肉は臨戦態勢に入っているのが誰もが察知できた。
 将軍たちは各員が武器は所持したままここに集まっている。刃傷沙汰にもなれば、帝国の最も優秀な指揮官が2人失われることは間違いが無い。将軍であるベリベラッドが武器を抜くことは無いと思いたくもあるが、その反面、意外に短気な部分がある男。何をしでかすか分からない不安がある。
 そんな何が起こるか不明という危険を前に、レイは余裕の表情を崩さない。
 別にベリベラッドに勝てるとか、剣を抜くはずが無いとか考えているのではない。あれだけの暴力を見せ付けられた後では、この程度の威圧なんか、微風に等しいためだ。

「待て、両者、落ち着け」

 睨み合う両者を止めたのは今回の遠征に関しての最高責任者である将軍、帝国第2軍将軍ナテル・イニエム・スァー・カーベインだった。
 カーベインに止められてはベリベラッドももはや何も言うことは出来ない。真っ赤に顔を染め上げたまま、ガタンと勢いを立ててイスに座ることで己の意を示すだけだ。

「まずは両者の考えはそれぞれ帝国の将来を考えた重要な意見であり、両者共に帝国の役に立つように考えていると言うのは分かっている。だからこそ熱くなりすぎるな」
「……申し訳ありません。少々興奮しすぎたようです、ベリベラッド将軍」
「……こちらこそだ、レイ将軍。謝罪する」

 両者ともに軽く頭を下げるが、遺恨は決して流れていない。お互いへの憤懣や侮蔑といった感情はその瞳から拭われていないからだ。それはレイにもベリベラッドにも、そして2人を見守っている他の将軍たちにも理解できていた。
 特にお互いを見詰め合う2者には明白だ。
 お前が意見を変えないなら、こちらも決して変えない。そういう意志がベリベラッドから伝わってくるのが、レイには充分すぎるほど感じ取れた。
 微妙な緊張感の篭った静寂の中、ポツリと将軍の1人が言葉をこぼす。

「……あの辺境侯とは一体何者なのだ」

 その疑問は誰もが思い、そして答えの出ないものだった。
 まずはあれほどの魔法。王国の兵士をあれほど虐殺する魔法というのは、将軍たちの知識の中には無い。
 次に魂を喰らう行為。
 そこから考えられる答えは部下たちが口々に話す『魔王』という存在としか思えなかった。

「危険人物だな」
「……違わない。個人であの力は危険すぎる。もしあの力を都市で解放されれば、都市が簡単に滅ぼされるぞ」
「……あのおぞましい化け物が消えるまでの時間を考えれば、都市1つの消滅は確実でしょうね」
「その程度で済めばいいが……私はあれが辺境侯の全力とは思えない。まだ、より凄い力を隠しているのではないか、とさえも思っている」
「その意見には同意する。見せるための力って奴だな」
「辺境侯の連れてきた兵士はどれほどの強さなんだ?」
「……魔法使いに聞いたが笑ってしまうほどの強さだぞ? ショックを受けて夜、寝られなくなるぞ? それでも聞きたいのか?」
「……これ以上ショックを受けることも無かろう。もったいぶらずとっとと聞かせてくれ」
「1体でかの王国最強の戦士、ガゼフ・ストロノーフと同格以上。そしてアンデッドなので疲労しないでいつまでも戦えるそうだ」
「……すまん。笑ってしまいそうだ。つまりはなんだ、無限に戦える最強戦士の群れということか。……帝国の騎士全軍で戦っても持久戦という行為が出来ない以上、敗北する可能性が高いというのか」
「そうだな。たった300人足らずで帝国全軍を相手に出来るっていうことだ」
「……馬鹿にしているな。というか、何なんだ、その桁の違う世界の話は」
「……魔神とかそういう存在を前にした者たちもこんな思いだったのかな」
「魔神なら13英雄によって滅ぼされた。ではあの化け物に対して互角の力を持つ存在はいるのか?」
「……10万を越える兵を一瞬で滅ぼせる存在なんて聞いたことが無い。いや、人間ではいないだろうな」
「あんな危険な人物が帝国にいて良いものなのか?」
「……皇帝陛下はたぶらかされているのではないだろうか……」

 レイはそんな事を聞きながら、手に取ったコップを口に当て、中に入った飲み物を一口含む。別に喉が渇いたからではなく、同僚たちの下らない言葉に対して浮かべた嘲笑を、じっと見つめてくるベリベラッドに悟られないためだ。
 帝国の中でもトップクラスに力と才能を持つ男たちが集まって、安い酒場でくだを巻いている者たち程度のことしか出来ていない現状。これが可笑しくないといったら何が可笑しいと言うのか。

「レイ将軍。あなたはかの御仁に関してどのようにお思いですか?」
「……素晴らしい方です。かの方さえいれば帝国の国防は完璧になるでしょうし、帝国の領土も拡大の一方でしょうな」
「……危険ではないと?」
「さて?」レイは笑いを浮かべる。そのはっきりとした敵意は向けられた将軍たちが全員眉を潜めるほどの。「危険かもしれませんね。辺境侯に対して対策を立てようとしている皆様からすれば」

 沈黙が落ちる。レイを除く将軍たちは互いの顔を伺っていた。

「辺境侯は今回の戦いでの最大の……いえ唯一の功労者です。その方に対しての陰口というのは私は好きではないですな」
「そういうつもりでは……」
「その通りだ。レイ将軍。我々はそういう意図で話をしていたのではない」
「ではどういうおつもりで?」

 将軍たちから返答は無かった。レイが嘲笑を浮かべかけた中、1人の将軍が口を開く。

「帝国の未来のためを考えての話に決まっているだろうが」
「ベリベラッド将軍。帝国の未来と言うのは?」
「決まっている。個人が強い力を持った場合、陛下の絶対的な権力が崩される可能性があるからだ。かつてのように無能な貴族どもが力を持っていた時代に戻ってしまうのは困るだろうが」
「ほう。つまりは無能な貴族と辺境侯が同格ということですか?」
「それは少々、穿ちすぎだな、レイ将軍」
「おや、カーベイン将軍もベリベラッド将軍と同じお考えということでしょうか?」
「近い考えではいる。辺境侯は新しき貴族。その辺境侯に対しての対策を考えておくことは帝国の将軍として、帝国の治安を維持するものたちとして当然ではないだろうか?」
「確かに、仰るとおりですね」

 レイは数度頭を縦に振る。
 言葉でどれだけ覆おうと、その真意である恐怖は隠しきれない。
 単純に辺境侯が怖いから対策を考えているといった方が、人間らしいではないか。そうレイは思いながらも、顔には出さない。
 離れることの出来ない強者に対しての弱者のとるべき手段は、媚びへつらうか、敵対するかだ。この場にいる者たちは全員敵対を主眼においているが、レイは違う。
 あれは敵対して助かるような甘い相手でも、敵対してどうにかなるような相手でもない。皇帝はそれに気が付いているからこそ、辺境侯という特別な地位にあの存在を据えたのだ。
 ただ、将軍たちが敵対行動に出るのは勝手だが、自分まで巻き込まれては目も当てられない。
 どこかで辺境侯と関係を持つ必要がある。
 そうレイが考えた辺りで、天幕の外が騒がしくなる。分厚い天幕は数重にもなっており、中の音を外に漏らさない作りになっている。それは逆もまた同じ。つまりは外の音が聞こえると言うのは、かなりの状況だということ。

「何があった?」
「……見てくるか?」

 将軍たちまで騒がしくなった辺りで、1人の騎士が慌てて飛び込んでくる。

「へ、へ、へ」

 騎士のあまりの焦りが言葉を形取らせない。
 そこにあるのは礼儀を失うほどの焦り。
 つまりはそれだけの事態を引き起こせる、騎士が慌てふためくような人物ともなれば、予測が付く。
 そしてその考えは正しかったことは即座に証明される。

「へ、辺境侯がお出でになられました」

 予期できた答えとはいえ、室内が静まり返り、将軍たちは互いの顔を伺う。先ほどまで話にあったとはいえ、その人物が来るとなると覚悟が必要だ。
 レイを除く全員の目がこの場での最高権力者に向かう。

「お通ししろ」

 カーベインの静かな声に弾かれたように、騎士が外に走り出していく。辺境侯という人物を入り口で止めているのだ。任務とはいえ、白刃の上を素足で歩くような気持ちだっただろう。走り去る後姿にあった安堵の色は、そういった感情の表れだ。
 騎士が走り去った後、外にあったざわめきは一気に止む。まるで人がいなくなったような静寂に、将軍たちは焦りと不安を覚えた。
 辺境侯。
 物理的に絶対なる力を持つ人物であり、皇帝を除き上位者がほぼいない存在。戦時中であれば貴族は将軍たち軍属の人間の下に付くこととなるが、そういった帝国の法律でかの存在を縛れるだろうかという不安がある。
 もし止められたことに怒りを買った場合は?
 不快だと判断し、力を行使する気でいた場合は?
 帝国法はあくまでも法律であり、絶対者たる皇帝の声1つで歪ませることは容易。ならば、辺境侯という人物もある意味法律で縛れる存在ではないかもしれない。絶対的強者を法律ごときでは縛れないのは当たり前だからだ。
 普通に物を考えられる人間であれば、あれほどの強大な力を行使できる辺境侯が帝国法に触れた行いをしたとしても、敵に回すぐらいなら恩赦を与えるであろう。ならば将軍たちの命だって、辺境侯の手の中にあり、絶対に安全だとはいえない。
 ゆっくりと入り口の幕が持ち上げられる。
 将軍たちの喉がごくりと唾を飲みこむ。これより入ってくるのは、危険極まりない、帝国の法でも縛れない可能性のある存在。将軍たちは一斉に立ち上がる。座ったまま迎えるほど、命知らずの者はいない。
 先頭を歩き中に入って来たのはかつての帝国主席魔法使いフールーダ。そしてその後ろからゆっくりと入ってくる人物。アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。その見事な服装はその財力を瞬時に理解させる。
 室内の空気が一気に重くなり、空気が粘液質なものへと変わったように肌に張り付いてくる。そんな中、カーベインは口を開いた。
 
「ようこそ、辺境侯。わざわざこちらに来ていただけなくても、呼んでいただければ出向きましたものを」
「……それには及ばないとも、将軍。あなた方は戦後処理などで忙しいだろうしね」
「そう言っていただけると感謝いたします」

 この理解力のありそうな穏やかな感じが、逆に将軍たちに気持ち悪さを感じさせる。まるで何か演技をしているようなそんな微妙な違和感が、人間観察にも長けた将軍たちの勘に引っかかるのだ。そのために何か裏で隠しているような異様な雰囲気がある。
 一体何を考えている。そして真意はどこにある。それが読みきれずに、将軍たちもどのような対応で、どのように行動すればよいのかが判断できない。
 そんな同僚たちの困惑が手に取るように分かり、レイからすれば物笑いの種だった。


 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。
 彼の真意であり、将軍たちに対してどのような感情を持っているかというのは少し考えれば理解できることだ。
 まずレイの判断するところでは、あの虐殺は別に王国の兵士を殺すためにやったはずが無い。わざわざあれほどの――おぞましい力を誇示したということには理由があるのは当然だ。何の理由も無く、恐怖されるような魔法を使う馬鹿には決して思えないのだから。
 そうやって考えれば、辺境侯の真の狙いはあの虐殺を見せ付けることであり、敵に回すことの愚を教え込むことだと読める。もちろん、見せ付けるべき対象は帝国の人間だ。
 あれは帝国――より正確に言えば皇帝に対するプレゼンテーション。己の圧倒的な力を見せつけ、歯向かうことの愚を教える行為なのは間違いが無い。
 ただ皇帝という上位者の存在を認める、臣下になって辺境侯という地位に甘んじていることから、お前たちが敬意を示すならばこちらも最低程度は見せようと言葉以上に物を語っている。
 つまりは辺境侯の全ての行動が、敬意を示してくるならば即座に敵意を見せるつもりは無いと語っていると思われた。
 それが何故なのかは分からないが。
 問題となるのは各将軍たちの動きだ。
 彼らはあの強大な力を持つ辺境侯に敵対的な行為を取るような方向で動きつつある。レイからすれば非常に愚かな考えであり、忌避したい動きだ。そんな自殺を望むような行動を取る理由がどこにあるというのだろう。
 いや、レイも将軍たちの取っている行動の理由は理解できなくも無い。
 単純に怖いからだ。
 人間を超越したような力を見せ付けられ、どうにかしないと自分に降りかかってくると考えている。頭を低くし通り過ぎることを祈るでもなく、従うことで慈悲にすがるでもなく。
 そのために辺境侯に対しての敵意という、最も愚劣な選択肢を選ぼうとしている。人間の愚かさ、可愛らしくも無様な姿と言えなくも無いが、そんな沈み行く船に残るつもりはレイにはまったく無い。
 そして同じ将軍だからと、十把一絡げにされては困る。レイは自分だけは他の将軍たちと違うというところを見せなければと考えていた。


 レイは目の奥に宿る輝きを巧妙に隠し、カーベインと辺境侯の話に耳を傾ける。

「それで、辺境侯がお出でになられた理由を聞かせていただけますでしょうか?」
「ああ。それはたいしたことではないとも。今後の予定と私の軍はどこで待機すればよいのか聞かせてもらえればと思ってね」
「おお! これは失礼しました。今回の戦いでの最高功労者に対してお話が行ってないとは。全て私の失態です、お許しください」
「かまわないとも。色々と忙しいだろうしね。……そうそう、王国の兵士の死体の処理はこちらでしておこう」
「……よろしいのですか?」
「ああ、綺麗な死体だしね。こちらで処分しておくよ」

 何が綺麗な死体なのか。そしてこの提案は呑んだほうが正解なのか、間違いなのか。そういったカーベインの困惑がレイには手に取るように読めた。答えは1つしかないだろうに。そう思いながらも声には出さない。実際、カーベインも同じ答えに行き着く。

「辺境侯のお手を煩わせるのはご迷惑だと思いますが、よろしいというのであればお願いしても良いでしょうか?」
「もちろん、感謝するよ。将軍」
「では……取り敢えずこの先どうするかは皇帝陛下と相談してということになりますので、その結果が出次第、辺境侯の方にはご連絡差し上げます」
「了解した。こちらも死体の処理などに時間がかかるだろうしね。ゆっくりでかまわないとも」
「感謝いたします。それでは辺境侯の兵などを休ませる天幕の準備を――」
「それには及ばないとも、将軍。場所さえ貸してくれれば天幕はこちらの方で準備しておくとも」
「左様ですか?」
「左様ですとも」

 ちょっとした冗談のような口ぶりだが、それで笑えるほど豪胆な者はいなかった。まず冗談のつもりか分からない。そして何が機嫌を損ねるか不明な相手に対して、笑えるはずが無い。

「……では将軍。私の軍を置いても良い場所を教えて欲しいのだが?」
「畏まりました。では部下に案内させましょう」
「それであれば私がご案内しましょう」

 レイはゆっくりと立ち上がる。

「はじめまして、辺境侯。私は帝国第8軍の将軍をさせていただいているレイと申します」
 そして深く敬意を込めたお辞儀を向ける。それは自らの最上位の主人である皇帝に向けるものと同等か、もしくはそれ以上のものだ。

「そうか、レイ将軍。将軍に案内を頼むのは心苦しいのだが、お願いしてもよろしいかね?」
「もちろんですとも。辺境侯」
「そうか……カーベイン将軍。レイ将軍を少しばかり貸してもらうがかまわないかね?」
「ええ。ではレイ将軍、辺境侯を駐屯地で開いている場所に案内してくれ」
「はい。では辺境侯参りましょうか」



◇◆◇


 辺境侯という人物をつれて帝国の陣内をさっそうと歩く。恐怖に彩られた視線がどこまでも追ってくるのが、レイには感じられた。様々な視線を受けることは慣れているが、これほどの恐怖一色の視線と言うのはいままでに経験したことが無い。少しばかり心地良くもあった。
 やがて開けた場所が姿を見せる。辺境侯がぼそりとレイに告げる。

「ここかね」
「はい。この辺りであれば辺境侯の兵を駐屯させることも容易でしょう」

 開けた場所は本来であれば皇帝直轄の軍や第一軍を駐屯させる、もっとも場所的に良い地区である。2万を越える兵を集める場所だけあって、辺境侯の軍勢ならば逆に広すぎるほどだ。

「ふむふむ……これぐらいならばちょうど良いか」一歩、辺境侯が前に出る。「見よ、フールーダ。我が魔法を《クリエイト・フォートレス/要塞創造》」

 瞬時の後、先ほどまで何も無かったはずの陣地には、巨大な漆黒の重厚感のある塔が聳え立っていた。
 レイは目の前で起こったことに、口を大きく開ける。
 砦などの建築は非常に苦労する作業だ。それが一瞬だ。

「な、なんと素晴らしい! これほどの要塞を即座に構成し、作り出す。クリエイト系魔法の極限を見た思いです、わが師よ!」

 興奮したフールーダの声。しかし、いまだレイは言葉を発することが出来ない。レイはただ、その塔を眺める。強固かつ重圧感に溢れたそれは、まさに聳え立つという言葉が相応しい。
 両開きの扉は厚い作りだというのが概観からでも判断が付く。さらには5階建てだろうと思われるのに、その高さは30メートルを超えている。つまりは一階分の高さがかなりあるのか、それともそれだけしっかりとした作りだということだろう。
 横から昇ってくる存在を追い落とすために、壁面には無数の鋭いスパイクが飛び出している。最上階の部分には四方を睨む悪魔の彫像。
 下から見上げるとのしかかってくるような重圧感。塔が立った所為で暗くなったというのは理解できるのだが、闇が光を貪っているようなイメージが浮かんでしまう。
 離れたところからでもこの威圧は十分に感じ取れるはずだ。その証拠にこちらを伺っているだろう騎士たちから一切、声が聞こえてこない。辺境侯の異名として定着しつつある『魔王』という言葉が後押しをする感じで、吟遊詩人が歌う『悪魔の塔』という言葉が似合う雰囲気だった。

「少しばかり大きいバージョンで構築させてもらったが問題なかろう?」
「は、はぁ」

 掠れたような声でしかレイは返答が出来なかった。あれほどの殺戮の光景を見せられてなお、こんなことまで出来るのかという驚きで思考が支配されていた。
 頭の冷静な部分が、辺境侯が1つ魔法を使うだけで、なんでこれほどまでに驚愕しなければならないのかと文句を告げている。しかし、レイの思考の大部分は麻痺するような痺れが襲っていた。特にこんなことを考えると、さらに強くなる。
 他の魔法はどれだけ習熟しているのか、と。

「さて、では私たちはこの中に入るとしよう。私の軍は直ぐにこちらに向かうように指示を出すつもりだ。付き合ってもらって悪かったな、レイ将軍」

 辺境侯が背を向け、歩き出そうとする。それに慌ててレイは声をかけた。

「お、お待ちください、辺境侯。少しばかりお話が」

 今にも門をくぐって塔に入ろうとしていた辺境侯は、ぴたりと動きを止める。仮面の下にあるであろう瞳が、レイを映し出しているのが感じ取れる。
 我知らずに喉が1つごくりと音を立てた。『悪魔の塔』の前でこちらを見つめてくる辺境侯に出来る陰影が、非常に似合っていて、それと同時に非常に恐ろしい。
 自分が愚かな発言をしたのではないかと、先の発言を撤回してしまいたいほどの後悔すら浮かび上がってくる。

「……かまわないとも。ただ、ここではなんだ。折角、住居を作ったのだから中でどうだね?」

 遠慮します。自分の天幕で行いましょう。
 そう言えたらどれだけ安堵できるか。そんな夢みたいなことを思いながら、レイは微笑む。引きつってないことを祈りながら。

「あ、ありがとうございます、辺境侯。折角お作りになられたお住まいに、最初に招いていただけ、幸運を神に祈りたい気持ちで一杯です」
「そうかね。それほどでもないと思うがね。……では行こうか?」

 辺境侯の言葉に合わせ、扉がきしむような音を立てて開いていく。
 なんでこんなに不安を感じさせる作りになっている。
 レイは心の中で愚痴をこぼす。
 自動で開く両扉を潜り抜けた先には通路が続き、そしてまた突き当りには両開きの扉がある。通路自体には魔法の明かりが灯り、歩く分は全然問題が無い。
 ただ、後ろで扉が閉まった時にはレイの心臓が大きく跳ね上がった。幾らなんでも、出てこられなくなるなんて事はないと信じたい気持ちで一杯であった。
 通路を3人で歩き、奥の扉が開いた瞬間、レイの目がくらむ。
 中から毀れてきた光に目が慣れたレイは、その光景に感嘆の声を漏らした。

 そこはエントランスホール。床は白く、天井は高い。
 気品と贅を凝らした作りとなっていた。
 貴族としてレイは生を受けたが、さほど立派な家系でもなければ、金を持っていたわけでもない。そのために贅沢という単語とは縁の無い生活を送ってきたために、物の価値を見るという眼に関しては非常に劣る。しかし、それでもこの場所がかなりの贅を凝らしているのだろうということの推測は立つ。

「さて、向こうにソファーが置かれているし、そこでどうだね?」

 物珍しさと周囲をきょろきょろと見回していたレイは、辺境侯の言葉に我を取り戻す。そして案内された先にある、柔らかなソファーに、辺境侯とフールーダを前にして腰を下ろした。
 ふわりとした感触と共に、何処までも沈んでいきそうな柔らかさ。それでいてしっかりと受け止めてくれる堅さを併せ持っていた。
 もし誰もいなければ、レイはソファーに座ったり立ったりと子供のように繰り返したかもしれない。それほどまでにソファーを一瞬で気に入っていた。しかし、今はそんなことをする時ではない。
 それが理解できていたレイは、後ろ髪を引く思いを断ち切り、ちらりとフールーダの方に目をやる。
 その意味合いを鋭く理解した辺境侯は、安堵させるような優しい声でレイに告げる。

「問題は無いとも、レイ将軍。フールーダは私の忠実な弟子。決して私にとって不利益な事はしないとも」
「無論でございます、わが師よ。私はあなた様の巨大な魔力によって支配された者。この身が尽きようとも決してお心にそむくようなことはありません」

 深々と頭を下げたフールーダ。その姿はレイに辺境侯という人物の強大さをよりはっきりと実感させる。
 言うまでも無く、フールーダという人物は帝国の主席魔法使いという地位にあり、周辺国家において並ぶもののいない力を持つ人物だ。おそらくは13英雄といわれる伝説の人物に匹敵するともいわれるほどの。そんな英雄たる人物が絶対の忠誠を、それも驚くほどの短期間で忠義を尽くすほどの人物――。
 レイは仮面の下を覗きたいという好奇心に襲われる。仮面の下が化け物であることを期待して。
 逆に単なる人間であるほうが恐ろしい。単なる人間がここまでの強さを得られるというのはある意味非常に恐ろしいことだからだ。

「――とのことだよ、レイ将軍。私も我が弟子の忠誠心は信じるに足ると思うが……君はどう考えるかな? 君がどうしてもと言うのであれば、下がらせてもかまわないがね?」
「いえ、それには及びません」仮面の下の素顔に対する考察を止め、レイは辺境侯に答える。「辺境侯がそう判断されているということであれば、間違いはきっと無いでしょう」
「それは良かった。それでレイ将軍。一体何を話したいのかね?」

 レイは一息飲む。ここからは本当に命がけの賭け事となる。だが、これに勝つことが出来れば、自らへのリターンは桁が違うものへとなろう。
 レイは覚悟を決め、口を開く。

「辺境侯。私は1つの野望を持っております」
「……話したまえ」
「はい。それは第1軍の指揮官、すなわちは帝国大将軍の地位に就くことです」
「ふむふむ」

 辺境侯は頷くだけで決して何だとは言って来ない。自分から言質を取られるようなことや勘違いされるようなことは口には出さない。貴族の処世術にありがちな対応だ。
 強大な力を有するだけではなく、そういった目ざとさを併せ持つ。それは非常にやり難い相手ではあるが、その反面レイからすれば望んだ相手でもある。

「その際に、お力添えがあればと思いまして」

 じっと、仮面の下で辺境侯がレイを眺めているのが痛いほど分かった。視界の端にいるフールーダの表情に変化は無い。今まで忠誠を尽くしていた皇帝が選んだ将軍が、裏で取引をしようとしているにもかかわらず何の反応も示さない。それは忠誠の対象が完全に皇帝から離れて、辺境侯の下に向かっていることを意味する。

「……私のメリットは何かな?」

 正直あるとは言いがたい。
 あれほどの力を持つ存在が今更、どれだけの力を欲するというのか。
 それにレイ自身、帝国大将軍の地位に執着心は無い。単純にそう言った方が理解されやすいだろうと思っただけだ。なぜならば、レイが本当に欲しているもの。それは――

「――私の忠誠ではいかがでしょうか? 辺境侯が欲するように私も動かせていただきますし、陛下と意志が対立した場合は辺境侯を支援させていただきたいと思います」

 ――辺境侯の部下となることでの命の安堵であり、あの強大な力への憧れだ。

 他の将軍たちは皇帝の臣下として辺境侯への対策を考える。彼らからすればレイの行為は裏切りである。しかし、裏切りを薄汚いと言えるのは、自分の命が失われることが確実と知りながらも大海原に飛び込むような愚か者のみだ。

 レイは人間として自分が生き残れる道を模索し、そしてその上で、神話のごとき存在の部下として、己もまた神話の一部となることを望んでいた。レイが美しいと魅了された強大な力の一端になれることを渇望していたのだ。
 レイはこの心の動きを知っている。
 決して手の届かないモノに憧れる子供のような気持ちの具現。
 それは憧憬。

 とてもとても高みにある力を目にして、その輝きに瞳を焼かれてしまったのだ。

 しばしの沈黙が流れる。
 レイはごくりと唾を1つ飲み込んだ。正面からじっと見据えてくる辺境侯。彼が何を考えているのかさっぱり掴めなくて。だからこそ、さらにメリットを続けて言う。

「他の将軍たちは辺境侯を恐れ、対処するための手段を考えておりました」

 瞬間、フールーダの元から冷えつくような気配が立ち込める。細めた目の奥に冷酷な感情が見え隠れしていた。

「……それは真実なのかね、レイ将軍」
「無論ですとも、フールーダ様。おふた方が来る前、そういった話がありましたので」
「師よ。これは許しがたい行いです。皇帝に命じて――」
「フールーダよ。命じてではない。私は皇帝の部下であり、辺境侯という地位、彼の下についているものだ」
「こ、これは申し訳ありませんでした」

 陛下ではなく皇帝と呼びつけにするところに辺境侯の内心の感情が現れている。レイはそう思い、自らの考えが間違ってないことを知る。バハルス帝国という強大な、そしてより強大になる可能性を充分に持つ国の頂点を、さほどの人物とはみなしていない、と。

「なるほど。なるほど。レイ将軍が私に仕えたいというのは理解できた。しかし私も帝国の臣下。みすみす反逆者を認めるようなことをするとは思っていまい? だいたい君の地位はジルクニフが与えたもの。反旗を示せば即座に奪われよう」
「確かに。しかし、私は辺境侯のおそばに控えるというのは皇帝陛下にとっても良い結果になられると信じております」
「…………」辺境侯の姿勢の変化に、ソファーがかすかな音を立てる。「……なるほど」

 しばしの時間の経過、思案の海に沈んでいたであろう辺境侯の声が上がる。
 その言葉に含まれている感情を鋭く知覚し、レイは安堵の息を殺す。
 賢い人物だからメリットを理解してくれると判断しての行為だが、その賭けに勝った。もし、何も理解できないような知力に劣る人物だったら、自分の今までのすべてが無に帰すところだった。
 力のみではなく、英知にも優れる。そのレイの予測は正しかった。顔の筋肉を総動員し、必死に漏れ出る笑みを殺す。己がすべてに対して一歩リードしたと知って。

「確かにジルクニフにも利益があるか」
「その通りでございます、辺境侯。皇帝陛下にしても渡りに船でしょう」
「そういうことでは仕方がないな。レイ将軍。許可しよう」
「師よ、一体どのような理由からでしょう」

 フールーダの疑問に満ちた声が横から放たれる。かつての主席魔法使いとは言え、権力闘争などに関して近寄ったことのない人物では悟れないか、とレイは判断する。

「……フールーダ。それを私が答えなくてはならないのかね」

 微妙に固い声が辺境侯から響く。
 自分の弟子が無知をさらしたのだ。上に立つ者として恥を感じたのだろう。
 レイはそう思い、フールーダに僅かな哀れみを込めた視線を送る。それをフールーダも悟ったのだろう。僅かに顔に朱が走る。
 
「……レイ将軍。私の代わりに答えてくれないかね」
「よろしいのですか?」
「私の考えたことがあっているかの確認もしたいからな」
「はっ。フールーダ殿、簡単なことです。辺境侯のお力は強大です。ですので皇帝陛下はそのお力を簡単にはふるって欲しくはないはずです。そのため力の面で補佐を行い――辺境侯に力を振るう機会を出来る限り少なくしたいと考えられるはずです。その力に私がなればよいのです。もちろん、私たちが結託しているというのは疑りの対象でしょうが、そこは辺境侯に一言言っていただければ問題ないことです」

 レイで無ければ力の面での補佐はいらないと言ってしまえば、皇帝に取れる手段はない。
 それどころか、皇帝はレイを辺境侯の横に付けた上で、逆にレイを自軍に引き込もうとするだろう。
 レイは興奮によって自らの顔が充血していくのが感じ取れた。今、自分は帝国の行方を動かしかねない場所まで上ったと。大将軍すらも足下に置いて。
 そんな自分ならば目の前の人物も決して無碍にはしないはず。レイはそう考える。

「ああ、なるほど……。師よ、申し訳ありません。そこまで考えが至らず」
「気にする必要はない。これからも分からないことは聞いた方が良いぞ。特に魔法とは奥の深いもの。生半可な知識で行えば失敗が待っていよう。単なる失敗であれば問題はないが、それが死につながらないとも限らん」
「おっしゃるとおりです」
「だからこそ、おまえに魔法を教える際は時間をもらっているだろう? 私の力では当たり前だが、フールーダの力では当たり前で無い場合があるからな。慎重に教える必要がある」
「やはりそうでしたか。私のつまらない質問にそこまでお時間をかけていただき、師のお心遣いに感謝いたします」
「しかし即座にそこまで判断できる人間はそうはありません。流石は辺境侯です」

 レイの賞賛をつまらなげに辺境侯は手を振って答える。

「偶然だ」
「――ご謙遜を」

 即座にレイは答える。
 この人物の近くにいれば、そして役に立っていれば自分は何処までも高みに上れると確信し。
 そこで自分も輝けるのでは、と。





 レイが塔を出て行く姿を見送ると、アインズは直ぐ傍に控えていたフールーダに声をかける。

「私は部屋に入る。フールーダよ、お前も好きな部屋を選んで使うが良い、もう良い時間だしな。今日一日は戦争など色々あって疲労しただろう? ゆっくり休むが良い」
「お優しい心遣いありがとうございます。ですが――」
「――良い。お前の知恵はまた明日貸してもらうかもしれない。そのときに頭が回らないでは困る」

 フールーダの言葉を遮り、アインズは語る。アンデッドであるアインズに疲労という概念は無いが、人間であるフールーダは別だ。魔法で疲労を回復させるものもあるが、あれは神官などの使う魔法で、アインズの使用できる魔法ではない。
 ポーションでならあるが、使用するのは勿体ない。普通に休めばよいのに、緊急時でもないのに消費アイテムを使うなんて馬鹿馬鹿しい限りだ。だいたい、薬漬けというのは聞こえが悪い。
 そんなアインズの考えに知らず、フールーダが感謝するような瞳で見つめてくる。
 アインズからすると非常にくすぐったく、そして『なんで感動しているのだろう』という思いを隠しきれない。部下の体調管理もある程度は上司の責任ではないか。

「畏まりました。では私も休ませていただこうと思います。それで警備の方はどういたしましょうか?」
「……そうだな。周辺の警備は取り敢えず、デスナイトたちに任せるとしよう。明日にでも死体の回収作業なども含めてナザリックより幾人か呼び集めよう」
「畏まりました」

 フールーダの下げられた頭から視線を逸らすと、アインズは部屋の1つに向かって歩き出す。自分が先に行かないと、忠誠心が異様に高いフールーダが動かないことはナザリックでもよくあった。
 アインズは扉の1つを無作為に選び、その前に立つ。
 この周りにある部屋はどれも同じもの。何を選んだところで変わったところは無い。
 アインズは扉を開き、部屋に入る。そこは小さなホテルのシングルルームという雰囲気だった。シングルベッドに簡易の机にイス。そして隣の部屋にはユニットバス。それで一部屋という構成だ。
 部屋を横切りつつ、仮面を外し、その骨の顔を外に晒す。仮面に遮られない空気が、心地良く骨の顔を撫でる。
 微かに浮かぶ開放感にアインズはため息を吐き出しつつ――無論、肺が無いのだから真似ごとにしか過ぎないが――ベッドに横になった。靴は面倒なので脱いでいない。持っていた仮面は頭の横辺りに投げ出している。
 アインズがベッドに横になったのは睡眠をとるためではない。
 アンデッドであるアインズの肉体は睡眠や疲労といったものとは無縁だ。しかしながら時折、それらを再び味わいたいという思いに軽くとらわれることがある。睡眠欲、性欲、食欲など喪失した欲望もそれらの類だ。数秒も満たない時間で掻き消える感情であり欲望だが。
 ではベッドに横になったのはそういった感情のようなものの表れかというと、いつもであればそうだが、今回はそれでは無い。
 単純に横になると肩が楽になった気がするのだ。疲労しない肉体を思えば、それも気のせいだとは理解している。だいたい神経自体走ってないのだから。単純に人間であった頃の残滓が、そんな思いを抱かせるのであろう。
 天井をボンヤリと眺めるアインズの考えは、先ほどのレイという男のもの。
 アインズはボソボソと独り言を呟く。
 昔に比べて独り言が多くなった気がするし、事実そうであろう。
 大組織の頂点に立って、未知の世界で間違いないように運営していかなければならないというプレッシャー。そして腹を割って語ることの出来る相手のいないための弊害だ。

「しかし……帝国も一枚板ではないということか……。困ったものだ。ジルクニフも何をしているんだか。絶対的な権力者じゃないのか? あのワーカーの記憶ではそうだったはずなんだが……」

 アインズとしては絶対の権力者――ジルクニフに近い席を得られ、ある意味安泰だと思っていた。しかし、そうではないということが判明してしまった。

「レイ将軍か……。まったく、部下なのに主人であるジルクニフを裏切るなよ。ナザリックでは裏切るような奴は多分いないぞ。しかし……ジルクニフはあいつが欲深い人間だと知って泳がせていた場合、厄介ごとに巻き込まれる可能性があるな。ミスったかもしれないな……」

 ゴロリと小さなベッドの上で体を転がしながら、別のことを考える。

「それにどうも騎士たちに怖がられているようだ」

 アインズは歩いている最中の視線を思い出す。あれはどう考えても英雄に向けるものではない。アインズが辺境侯という地位――貴族階級としては上位者だから緊張してという線も無くも無いだろうが。

「その辺の方向も修正しないといけないし……。やはり魔法の選択を間違ったみたいだな。あれが一番効率的に良いからと思ったんだが……炎系の魔法で焼き払ったほうが見栄え的に良かったかもしれないなぁ。ユグドラシルであればあの辺の魔法は受けが良いんだが……」

 経験したことが無いし、この世界での一般的な人間の考え方も知らない。だからこそアインズはユグドラシルであれば、というイメージで行動するしかない。しかしながら、それがどうもこの世界の常識と強く乖離しているところが多々あるということを、このごろ良く実感できるようになった。
 乖離してなければ当初の予定通り英雄と呼ばれる存在になっていただろうから。

「……弱すぎる。なんであの程度の魔法で怯える。単なる超位魔法だろう。課金で発動時間を短縮した。特殊なスキルだって一切使ってないし、強化もしてない程度の」

 独り言を呟きながらも、自分の何が悪いのか、当然アインズは分かっている。
 単純な一般常識の欠如だ。そして次に人間という生き物の立場に立って考えることが出来ていないという点。

 この肉体になってからの人間は『動物』だ。面識の全く無い人間であれば『蟻』と言っても良いほど。好きこのんで殺す気はないが、邪魔をするなら踏みつぶしても罪悪感に駆られることもない程度の生き物である。かつての仲間たちを賞賛したある村娘などの一部の例外を除いて。
 そういった意識が生み出す、視線を『動物』視点に上手くあわせていないが故に生じるギャップだ。

「……やはり帝国で一般人として生活をして少し勉強しないといけないな」

 アインズはナザリックという場所から滅多に離れることなく、この世界を生きてきた。安全性や目立つことを恐れて。しかし、今それが不味い事態となって降りかかっている。
 今後も予測される事態を避けるには、やはりその世界で生きるしかない。
 そうなると色々な問題がある。

「しかし住む場所とかどうするか。コネとか無いし、不動産屋とかも無いみたいだし……ジルクニフにお願いするというのも……セバスにこっそり聞くか。一軒屋とか帝国の基本的な価格だと幾らぐらいなんだろう」

 ベッドの上で再びゴロリと寝返ると、アインズはさらにぶつぶつと呟く。

「無駄遣いはしたくないしな」

 宝物殿には唸るほど金貨はあるし、アインズだって莫大な金額を保有している。しかし、それらを無駄に使うことは出来ない。まずナザリックの運営資金、さらにもしNPCが死亡した場合の蘇生費用、30レベル以上のモンスターを召喚する場合に消費される金銭。そういった諸々の理由に使われる。
 だからこそアインズは金が欲しい。
 領地をもらったら税収を普通に取って、その金でさらにナザリックを守るモンスターを召還してやろうと画策しているほどである。
 しかし、それでも辺境侯という地位にいる者が宿屋の一室では話にならないだろう。
 地位に見合った生活という言葉ぐらいは流石にアインズだって知っている。その言葉の意味が本当に成す部分を知らないにしても。

「他に……領地問題は全部デミウルゴスに丸投げで問題ないだろうが、あいつを働かせすぎか? しかしそれ以外に……」

 ナザリックの面々を思いだしても、領地を運営管理できそうな顔が頭に浮かばない。アインズに領地管理なんか出来る気がしない。色々と考えていたアインズは面倒になり頭をかく。

「面倒だ。恐怖公に任せるとかどうだ。公とかついている貴族風な奴のことだ、意外に上手く管理するやもしれん。ジルクニフが置いていった秘書官を前に立たせて、恐怖公が後ろから操作する」

 そこまで考え、『あー』といううめき声を上げる。さすがに恐怖公は色々な面で不味いかと判断して。

「はぁ。前途多難だな。まずはナザリックに連絡を送り、綺麗な死体の回収作業を命令して、それを媒介に召喚などに用いるようにしないと。雑務がたまっていくなぁ」アインズはベッドに顔を伏せ、呟く。「……ジルクニフの宮殿を見せてもらうのが楽しみだな。本当の宮廷なんかそうは見られないからな」

 不幸の中に僅かな楽しみを見いだす。そうすればまだ頑張れるから。
 そう考えるとアインズはごろごろとベッドの上を幾度も転がる。その時、懐で何かが潰れるような異様な感覚が走る。そこでようやく入れっぱなしになっていた手紙を思い出した。

「そう言えば読んでなかったな」

 アインズは懐から取り出し、蝋を剥がして中の手紙を取り出す。広げて眺めるが、やはり文字が読めない。この世界の法則で言語は自動的に翻訳されているが、文字まではその力は及んでいない。
 だからこそあの場では読まなかったのではなく、読めなかったのだ。

「やれやれ」

 アインズは空間に手を入れると中から眼鏡を取り出す。セバスがかつて王都に向かったときに使用していた物と同じものだ。
 それを着用し、アインズは皇帝の手紙を読み進める。読み進め、数度読み直し、アインズは深く頷く。

「……なるほど。確かに流石はジルクニフだ」

 親愛なるアインズから書き始められた文章は、友人であるジルクニフで終わっていた。その中身は要約してしまえば将軍達に対する絶対な命令書だ。逆らうならば国家反逆罪として捕らえるというものであり、命令しているのはアインズの指揮下に入るようにというものだ。
 今回は将軍達がアインズの願いを聞き届け、問題なく指揮権を委ねられたが、考えてみれば突然現れた男の命令を聞くはずがない。口頭での命令は受けているだろうがそれでも、だ。だからこそジルクニフは側近に手紙を持たせて送ってきたのだろう。
 アインズはジルクニフの細かな手腕に頭が下がる思いだった。
 上に立つというのはこういう細かなところまで考える必要がある。
 ナザリック大地下墳墓の支配者という地位に立つアインズも、所詮は単なる一般人。こういった細かな部分での行き届きがまるで上手くない。
 アインズは強く考える。
 ジルクニフは上に立つよう教育を受けてきたのだろう。そんな人物を出来る限り真似をすれば、ナザリック大地下墳墓の支配者に相応しくなれるのではないかと。

「努力せねば。せっかく帝国の貴族に……ジルクニフの友となったのだ。横で観察していれば私でも……立派な支配者になれる……いや演技ぐらいは出来るようになるはずだ」

 かつての仲間達がいれば問題はなかった。皆で相談し、色々なことを決めていけただろう。アインズは意見をまとめるだけで良かった。そして幾人かはアインズよりも高い教養を受け、深い知識を持っていた。
 彼らがいれば――仲間達がいれば、アインズは何も心配することが無かっただろう。
 しかしいない今、アインズこそが――モモンガという人物こそがナザリック大地下墳墓を支配し、維持し、管理していく最高責任者であることを失念してはいけない。
 もちろん、それだけではない。ナザリックの代表者であり、アインズを通して全ての者はナザリック大地下墳墓、ひいてはかつての友人達を見るのだ。

 友を汚すことは許されない。
 支配者に相応しい者へ。ナザリック大地下墳墓の主人として。
 かつての友たちが呆れないように。

 アインズは虚空を睨み、その意志を強く心に抱くのだった。



◇◆◇


 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。
 その中央に位置する皇城の最重要区画の1つである皇帝の執務室。
 その部屋は深夜遅い時間だというのに、普段以上に多くの者たちが詰めかけていた。多くといっても部屋の大きさからすれば少ない数だ。というのもこの場にまで入室を許される者は、全員が皇帝の信任厚い側近ばかりであり、その才能は皇帝が直々に目をかけたほど。言うならこの部屋こそ帝国で最も優秀な者たちのみが入ることを許される場所だ。有象無象の類では入ることが出来ない。そのために室内にいる者の数は当然抑えられることとなる。
 そして今、そんな広い部屋へと入ってきた騎士に、室内の全員の目が向けられた。向けられたものに眠そうなものは1つとしてない。皆、爛々と輝いている。
 そんな病的な雰囲気すらある視線の束を受けても、騎士に動揺の色は当然見受けられない。
 入ってきたのが帝国最強とされる4騎士の1人、『激風』ニンブル・アーク・ディル・アノックであるためだ。彼のような歴戦かつ死線を潜り抜けてきた者からすれば、この程度の視線でも大したものではない。
 ただし、その端正な顔に浮かんだ表情には、僅かに疲れらしき影が見て取れるが、それは仕方がないだろう。王国との一戦を見届け、すぐに帝都まで戻ってきたのだから。例え飛行する魔獣に乗っているとはいえ、単純に考えれば今日一日での移動距離は半端ではない。
 それだけの強行軍を行った人物に対して、汚れた鎧を拭う僅かな時間すらも与えられなかったのは、この室内に集まった全員が待ち望んだ情報源であるためだ。それを知っているがために、ニンブルもまた疲労した体を押して現れたというわけだ。

「よくぞ戻った、ニンブルよ」
「ありがとうございます。皇帝陛下」

 ジルクニフの優しげな声に対して、ニンブルは深く頭を下げる。

「さて、私は《メッセージ/伝言》で一応聞いているが、この者たちには教えていない。ニンブル。おまえの口から説明するがいい」

 一瞬だけニンブルの顔に怪訝そうな色が浮かんだ。
 なぜ、そんなことを。という疑問だが、それは即座に皇帝に対する忠誠心でかき消される。主人がそういうのであれば、部下である自分の行うべきはそれに従うこと。
 何があったのかを理解し、そしてそれに対しての政策を考える必要がある者たちの、ぎらぎらとした視線を浴びながら、ニンブルは口を開く。
 言うべきは最も重要な部分。帝国の政略に関わってくる最重要点。

「――今回の戦いにおいて王国側の死傷者は恐らくですが、10万を遙かに超えていると思われます」

 その言葉に対し――

「ははは――」

 ――室内に複数の穏やかな笑いが広がった。冗談だと判断した幾人かの闊達な笑いだ。
 常識で考えれば当たり前だ。
 今回の戦いにおいて王国側が動員した兵力は20万を超えるという。その兵力の半分以上をどうやって殺すというのか。
 確かに帝国側の動員した兵力は6万以上。その中には神官や魔法使いなども含まれるので、純粋な戦闘員だけで考えるなら5万前半だろう。そこから単純に計算するなら1人につき2人以上殺せばよい。王国の動員された民兵と、帝国の専業戦士である騎士の実力の差を考えれば不可能ではない。
 しかし、戦争というものは実際はそんな簡単にいくはずがない。一直線に並んで、ただ前の敵を殺せと言うのとは違う。
 正面からぶつかり合えば数の差は大きくのしかかってくるし、命をかけた戦いというのは精神の消耗を激しくさせ、予期せぬ事態を生みかねないものだ。
 人数というのはそれ自体がまさに凶悪な戦略の1つになりうる要因を秘めている。だからこそ、王国は帝国に倍する兵力を動員する。弱い魚が群れを作って強者を追い払うように。
 それだけの兵力差を飛び越え、それだけの殺戮を行うことなぞ、生半可な手段では不可能。
 ジルクニフという帝国の頂点に立つ者の部屋での報告であり、冗談をいうような場ではないと理解した上でも、考察すれば考察するほど、冗談だと考えてしまう。

 しかし、笑い声をあげた者たちはすぐさまその異様な雰囲気を理解する。
 あげた笑い声は尻すぼみに中空に消えていった。

 それは帝国の皇帝たるジルクニフの真剣な表情。そして帝国4騎士といわれる個人としての武勇では最強たるとされる人物たちが決して冗談めいた表情を浮かべてなかったことに起因する。それ以外にも幾人か同じような表情を浮かべる文官がいる。
 それらの表情を浮かべている者たちに共通の事項はたった1つ。

 ――アインズ・ウール・ゴウン辺境侯という人物を目にした者たち。

 静まりかえった室内にジルクニフの声が流れるように響く。

「そうか。それでは詳しい話を聞かせてやれ」

 ジルクニフの言葉に頷いたニンブルに即座に質問が放たれる。誰もがその情報を待ち望んでいたというのが理解できる早さで。

「帝国の軍にも同程度の戦死者が出たと言うことですか?」

 それならば理解できるという雰囲気で、側近の1人が問いかける。それに対してニンブルの答えは明瞭だった。

「帝国兵力に犠牲はございません。死傷者ゼロです」
「…………」

 室内が静まりかえる。
 それから爆発したように騒がしくなった。

「何を言っているんですか、あなたは!」
「どういうことですか! 何をアノック殿は言っているのですか!」
「意味が理解できません! 帝国の兵力に犠牲無く、王国兵士に犠牲が出るなど……王国側のみに災害でも起こったというのですか?」

 すっと手を挙げたニンブルの動作に喧噪がわずかに止む。ただ、側近たちの目には険しいものが浮かんでいた。彼らは皆、文官ではあるが、それでも皇帝が優秀だと目をつけ引き上げた者たち。その視線は歴戦の戦士にも匹敵させるものがあった。
 そこにある感情は変なことをこれ以上言うことは許さないというもの。
 そんな視線を浴びながら、ニンブルは力無く笑う。
 自分もそう感じておりますといわんばかりの、無力感あふれる笑いを。

「今回の一戦はすべて辺境侯の軍勢によって行われております」

 室内の空気が僅かに変化し、幾人かの視線がジルクニフに向かう。それに対して皇帝は微妙な笑みを浮かべたまま口を開く気配がなかった。
 側近たちは新たに貴族となった人物の知られている情報を思い出そうとする。
 

 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。
 その人物に関してはまさに未知という言葉が最も相応しい。この部屋に集まっている皇帝の頭脳であり、手足ともいえる側近たち――彼らをしても詳しいことは知らされてない。
 むろん、ジルクニフには何度も情報をほしいという旨は伝えてある。しかし、なぜか言葉を濁されて終わっただけだ。
 そのために帝国上層部において噂されない日は無い、そんな人物にまでなっていた。
 ジルクニフの政略は皇帝という地位についてから、軍事力を背景に貴族の力を削ぐということで一貫している。だからこそ鮮血帝とまで言われているのだ。
 そんな皇帝が自らに次ぐ地位――それも辺境侯という新たに作ってまで――高い地位を与えた人物だ。噂にされない方が変であろう。
 自分たちの陣営に取り込めないか。
 皇帝に対する牽制に使えないか。
 はたまたは辺境侯を経由して皇帝に媚を売れないか。
 無数の思惑が魑魅魍魎として形取っているような、そんな注目の的の人物。その人物が原因の根元にいるとすれば、興味も沸く。


「つまりは……辺境侯は20万の兵力を打破しうる兵力をお持ちということですか?」

 納得はいかないが何とか理解は出来た。そういう匂いを込めながら側近の1人は問いかける。
 いったい、それほどの兵力をこの周辺のどこに隠していたんだとか、一体何者なのだという疑問ばかり浮かび上がる、が。

「何万……いや何十万もの兵力を動員した? いや、何十万程度で可能か? 辺境侯とはどこかの国の王族?」
「亜種族という線も考えられる」
「それよりはそれだけの兵力を帝国国境付近に動かしたにもかかわらず、いっさいの情報が回ってきてないことは不味いことでしょう。皇帝陛下のご意志でしょうか?」
「食料やその他はどこから生み出したのか。私はそちらの方が気になりますね」
「そういうことなのですか、陛下?」

 側近たちの質問に対して、ジルクニフは嫌な笑いを浮かべて答えた。

「まぁ、話は終わりではないだろう。ニンブル続けろ」
「はっ。まず辺境侯ですが、何万もの兵力は有しているとは思います。ですが、その兵力を見たわけではないので、私の勝手なイメージだということを納得してください」
「……そのお答えは変ではありませんか? 持っているからこそ王国の兵力を討ち滅ぼせたのではないのですか?」

 その質問に対し、ニンブルは爆弾を投下する。

「今回の戦いにおいては辺境侯が指揮した軍勢はおおよそ300です」

 沈黙。
 無数の視線にあるのは理解できない感情。そして一部の――アインズ・ウール・ゴウンという人物を見たことのあるごく少ない者たちの、あれならできるという確信にも似たもの。

「……アノック殿はお疲れなのでは?」
「300って……ドラゴンの群れでも支配しているのですか?」
「何を言っている? 300というのは何かの隠喩ですか?」
「皇帝陛下。真実を教えてはいただけないのでしょうか?」 
「確かにその300の兵力はドラゴンにも匹敵するのかもしれません」周囲で起こるざわめきを無視してニンブルは続ける。逆の立場なら自分だってそう思うと考えて。それから1人の人物に視線を向けた「その300はすべてがデスナイトと言われる者たちです」

 ガタッと大きな音がした。
 まずは帝国4騎士の内、ニンブルを除いた3名。そして新たに主席魔法使いの地位についた男だった。その中でも主席魔法使いの驚愕は大きい。
 口をぽっかりと開け、目には異様な光、そして怯えたように身を震わせていた。その異様な姿が300の軍勢がどれほどのものかを充分に周囲の者たちに理解させる。
 デスナイトという未知の存在の強さを肌身で実感させたのだった。

「そんな……馬鹿な……。あんなモノを300も支配しているだと? 辺境侯というのはどれほどの……化け物だ。もはや人間の及ぶところではないぞ。フールーダ様が弟子になったというのも理解できる」
「……主席魔法使い殿。そのデスナイト。強いのですか?」
「桁が違う。……あの凶悪なアンデッドに勝てるのは英雄といわれる領域に足を踏み込んだ者ぐらい。それが300というのは国1つでは討伐できない数だ」

 問いかけた側近の1人に対して、はっきりと断言をした。
 しかし国1つで討伐できない。その言葉の意味を真に理解することは難しい。というのもあまりに想像できないからだ。ただそれでも異様さと強さは充分すぎるほど伝わってくる。
 側近たちの頭にあったのは、帝国4騎士たちと同格の強さを保持する兵士が300人というところ。疲弊という概念を考えず、相手が逃げないと言うのであれば何とかそれぐらいは出来ると、4騎士の強さを知るものは考える。しかし――

「……なるほど。それだけの軍勢を持っているなら10万もの死傷者を生むのも道理かもしれません……ですがそんなに簡単にいきますか? そんなに強い存在であれば王国の兵士も蜘蛛の子を散らすように逃げるでしょう」

 当たり前だ。
 300人で考えれば10万人を殺すのに、1人辺り335人を殺す必要がある。そんなに殺している間に相手が撤退しないはずがない。ならば、という疑問は続いてのニンブルの言葉で、より一層の混乱へと引きずり込まれる。

「……辺境侯はそのデスナイトすらも使ってはおりません」

 室内に静寂が完全に舞い降りた。ほとんどの側近の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいるようだった。
 誰の言葉も無い中、ニンブルがたった一言だけはっきりと宣言した。

「アインズ・ウール・ゴウン辺境侯が行われたのはたった1つの魔法の行使。それだけで王国の軍勢は壊滅したのです。それもものの10分程度で」

 その言葉が室内にいた者たちの脳内に染み渡るまでには結構な時間が必要だった。
 冗談だと判断した方が生易しい言葉。今までの生きてきた、そして勉強してきたすべてを根底から覆すような言葉。それをどうしても受け入れられなかったためだ。
 静寂に支配された時間が経過し、1人の男が最初に口を開いた。

「大変申し訳ありません、皇帝陛下」
「ん? どうした?」
「もはや私がここにいてやることは無いと思われますので、退室してもよろしいでしょうか?」
「何を言っている?」

 不快げに向けられたジルクニフの苛烈な視線を浴びながらも、それでも新たに主席魔法使いになった男は言葉を発する。

「人間の魔法でそれだけの破壊力のある行為を行うことは出来ません。ですので、そのようなことを本当にやっており、しかも仕掛けがないのであるとするならそれは人間の領域には無い者。つまりは神などの世界に立つ存在です。ですので人間の魔法使いである私よりは、神官や吟遊詩人などをお呼びになった方が正解かと思われます」

 自棄と言うよりは、魔法というものに詳しいからこその絶望と諦めだ。

「それとよろしければ私以外の者を主席魔法使いに据えた方がよいかと思います。……皇帝陛下と共に行った魔法使いが私を推薦したという理由がわかりました。あれだけフールーダ様の跡を継ぐことに興味を持っていた奴が何故とは思っていましたが……そんな化け物と多少でも魔法を交えたいなんて思う者がいるはずがございません。そしてそれは私も同じことです」
「それは認められん。おまえこそがフールーダの跡を継ぐだけの力を持つ魔法使いだという調べがついている」
「私ではアインズ・ウール・ゴウン辺境侯の……いえ、確実に足下にも届かないでしょう。研究に次ぐ研究、鍛錬に続く鍛錬。帝国の財と材、それらを使用しても」
「……あれと戦うことの愚かさは重々承知している。あれは……強さと英知を兼ね備えた存在だ。おまえに期待しているのはそういうことではない。もっと別のことであり、帝国の魔法分野での切り札でもあるおまえをそんな勿体ない使い方はせん。だいたい、仮想の敵にかのフールーダがいるんだぞ?」
「……申し訳ありませんでした、皇帝陛下。混乱し、見誤っていたようです」
「かまわない。誰だって生贄にされる、そう思うだろうからな。それでおまえの考えるところ、アインズの強さはどれほどだ」
「先も言ったように人間の領域からは完全に逸脱しています。一言で表すなら辺境侯は魔法という深淵の奥底に潜む化け物です。私ごとき凡才では深さの判別すら出来ない奥底に潜む」
「……なるほど」深く理解したとジルクニフは頭を振り、そらから視線を動かす。「さて、私が《メッセージ/伝言》で得た情報をおまえたちに言わなかった理由がわかったか? こうやってでなければおまえたちは《メッセージ/伝言》の方が偽りだと思ったはずだろ?」

 《メッセージ/伝言》は信用性に欠けるというのが一般的なイメージだ。
 つまりは魔法をかけた相手の認識違いや、嘘を言っていた場合むちゃくちゃな情報が流れることとなる。それら不安から生じる低評価が、一般的に《メッセージ/伝言》による情報伝達網の発展を抑止してきた。

「こういうことだ。さて、アインズという辺境侯がどれほどの存在かも理解したな? ではどうする?」

 楽しげなジルクニフの言葉に返事はなかった。
 神様なみに強い存在が貴族になりました。どうしましょうといわれても、人間では対策なんて考えられるはずがない。黙った側近たちの中、1人がぽつりとこぼした。

「ゴウンという化け物をどのような鎖で縛り付けるのですか? 個の力で国を滅ぼせそうな化け物を」

 それは皆の思いの代弁だろう。自分たちの住む国の中に、桁の違う、人間と見なして良いのか不明瞭な存在が入り込んでくるのだから。それでも通常であれば決して口には出さなかっただろう。しかしそのような言葉を発してしまうと言うこと事態ある意味、辺境侯という地位を与えた皇帝に対しても、わだかまりがあったとも言える。
 しかし――

「いつから」ピリピリとした空気がジルクニフから流れ出す「帝国の重鎮たる辺境侯を呼び捨てにするよう許可が出た? 誰の許可があってだ?」
 
 がちゃりと金属の音が響く。
 帝国4騎士。その2人が鋼の表情で一歩踏み出したのだ。それは罪人を裁く執行官の顔だ。
 ジルクニフからこぼれ出る鮮血帝たる所以の気配に、室内の殆どの人間の背筋に冷たいものが流れる。

「聞かせろ。帝国の皇帝たる私以外の誰かの許可を得たのか? 私の友人であるアインズの許可でももらったのか?」
「も、申し訳ありません。つい暴言を……」

 ジルクニフの苛烈な視線の先にあった側近が喘ぐように陳謝する。暫しの時が流れ、ジルクニフは軽く頭を振ると口を開いた。

「次はない。アインズの価値を考えればおまえごときゴミにも等しい。それに……どこまでアインズの諜報の手が回っているか不明だ。決して愚かな発言や対応をとるな。アインズはこちらの手も見透かしてくるような英知に溢れる存在だ。変なところを、突っ込まれるような姿も見せるな。お前達の暴言を逆手に取り、帝国内部にナイフを突き入れてくるかもしれないと知れ」

「畏まりました」

 側近達からそう返事が一斉にあがり、その後、訓練していたようにほぼ同時に頭が下がる。その光景にようやくジルクニフは満足げな態度を取り、視線に込めていた鋭いものを隠す。

「先の質問に関しては色々と考えている。お前達が心配することではない。ただ、まず近い問題としては凱旋を祝う準備をしろ。辺境侯の凱旋だ」

 本来であれば将軍や騎士たち――帝国軍将兵ら全員を祝うのが当たり前ではある。たった1人の個人を優先するという考えは異様ともいえた。しかし、この場でアインズという人物の行ったことを知った者で反対意見を述べる者は誰1人としていなかった。

「アインズの軍功面での帝国への貢献は充分すぎるほどだな。そして能力もおまえたちの想定を遙かに上回ることを証明した。これで以後、異論反論に一々対応する必要が無くなったな?」
「理解しました。こればかりは結果を見せられなければ信じられなかったでしょう」
「ただ……少しばかり桁が違いますが」

 側近の1人の呟きに、ジルクニフは苦笑を浮かべる。

「そういうな。私だって王国側の被害はもう一桁少ないと思っていたさ。流石はアインズだな。流石は我らの辺境侯だ」


 そう口にしながら、ジルクニフは内心ではアインズに対して罵声を吐き出したい気持ちで一杯だった。
 ジルクニフの真なる狙いは周辺国家によるアインズ・ウール・ゴウン包囲網の完成だ。しかしこの被害を知ってなお、おいそれとそれに参加しようというものは、もはやいないだろう。特に王国の被害は桁が違う。一気に国力を減少させたことは確実であり、包囲網の一角は既に崩れているともいえる。
 もし、それをアインズが狙ってやったことだとしたら?
 ジルクニフは誰にも悟られないように、頭を小さく振る。
 いや、狙っていた可能性は高い。
 ジルクニフのアインズという存在――化け物に対して最も警戒しているのはその英知だ。あの面識を持った短い時間でこちらの手を読んでくるという。それだけの相手だからこそ、ジルクニフの真の狙いは読まれている可能性は高い。
 それを踏まえたうえで考えれば、そんな魔法――《メッセージ/伝言》でアインズが使った魔法を聞いた時、身震いしたものだった――を使ったのにも理由があるのが見えてくる。
 勿論、あの魔法しかなかったということも考えられるが、そうではないだろう。
 あんな評判を落とすような恐ろしい魔法を使うことの狙い――それはジルクニフ以外にも力、またはアインズという恐怖をはっきりと誇示する目的が考えられた。
 相手は当然、王国であり、そして第三国だ。
 あの戦いはスレイン法国も魔法による監視を行っていただろう。そんな風にあの一戦を注目していた者たちに。

 また一手後手に回った。いや、こちらがアインズの実力を確かめようとしたのを逆手に取られた。
 ジルクニフは舌打ちを抑える。
 一桁少ない被害であれば、ジルクニフの狙い通り、対アインズの包囲網は作れたかも知れない。しかし……。

 ジルクニフは己の顔が歪みそうになるのを鋼の自制心で押さえ込む。
 この場での会議はアインズの耳に聞かれている可能性だってある。だからこそジルクニフはアインズの友人という姿勢を出来る限り崩してはいけない。アインズ自身は見破っているだろうが、対外的にはという意味で。
 ジルクニフは笑顔を見せる。
 アインズへの敵意を巧妙に隠して。そして側近達に心無いことを語る。
 それでも恐ろしい男だという思いまで完全に隠せたかは自信がなかった。


「……しかしながらこれで充分なアピールは成功だ。辺境侯という地位に相応しい力を有していると言うこと。内外への充分な宣伝も。美味そうな匂いが立ちこめだしただろう」
「辺境侯に近寄りたいと思う貴族どもはどうされるのですか? 辺境侯の不快を買っては危険では?」
「問題ない。アインズは智謀の男。何が利益を生み、何が不利益か重々承知している。その辺りでこちらに対して火の粉を振りまいてくるようなことは無いだろう。上手く利用しようとするだろうしな」
「それの方が危険では?」
「違うな。最も恐ろしいのはアインズが自分で動き出すことだ。貴族の馬鹿どもを手足として使うのであればいくらでも監視が効く。それに動きが少しでも掴めれば全体の動きの予測はある程度はつく。インヴィジブルハウンドなどの不可視のモンスターを退治するには水場に引き寄せろと言うそうじゃないか」
「なるほど。それと同時に馬鹿どもを取り巻かせることで重みにするということですね?」
「そうだ。そうやって鎖で縛るように動きを鈍らせる」
「鎖を断ち切ったらどうされるので?」
「派閥を作ったりしないとしても、馬鹿どもが取り巻いていればそれでも充分な抑止になる。無論、それらを囮にしてアインズが動く可能性は非常に高い。あいつは1を見れば、10は看破するだけの眼力があるだろうからな」

 しみじみと語るその姿に、側近達は自らの主人が辺境侯という人物に対して、どれほど高い評価をしているかを深く感じ取る。これほどまでにジルクニフが敬意とも警戒とも知れないものを示すのは、辺境侯で2人目であった。

「それほどまでに陛下は辺境侯のことを高く評価されているのですね」
「ああ。あいつは会った際の少しの会談で、こちらの策を読んできたからな。しかもそれを上手に取ってという反撃までしてくるほどの相手だ」
「それは……」
「まぁ、つまりは決して油断できる相手ではない。……愚痴を言っても仕方が無い。まず私に次ぐ歳費をアインズへの資金として準備しておくよう、財務関係にねじ込め」

 財務関係の管理に関与している者の幾人かが無理難題を押しつけられた表情を一瞬浮かべる。しかし、今までの話を聞いていれば辺境侯という人物がどれほど帝国を揺るがす存在か充分に理解できる。
 嫌なんていえるはずがない。こんなちょっとしたことに、帝国の未来が大きくかかっている可能性があるのだから。

「幾人かの貴族の歳費を押さえてしまっても?」
「かまわん。何が重要かは判別できるだろう?」
「かしこまりました」
「それにアインズの邸宅の準備だ。一等地に最も見栄えの良い館を。幾つかこういう時のために用意していた奴があるだろうから、それらの中で見繕え。それとそこで働く者たち。メイドは見栄えをも重視しろ。……まぁ、あのメイドたちと比べられてはどうしようもないが、な」
「あのメイドたちに勝てる女なんてそういませんよ、なぁ、『重爆』?」
「全くです」

 4騎士の1人、『重爆』のレイナース・ロックブルズが、『雷光』バジウッド・ペシュメルの言葉に静かに同意する。レイナースは4騎士の紅一点である。
 深い青の瞳は極寒の色を称え、表情は固まったように動かない。人形めいた顔立ちは非常に整ってはいる。そんな顔半分を隠すように長い薄い金色の髪が垂れていた。その下に僅かにだが、黒いアザが垣間見える。頬の半分ばかりを覆う黒いアザを、レイナースがあまり外に出したがらないのは誰もが知っている事実である。
 そんな女性は色つやの良い唇を僅かに開く。隙間から真珠のような歯がちらりと覗いた。

「……あのメイドは私たちよりも強く、私が見たどんな女性よりも美しかった。……少々嫉妬してしまうほどです」

 まるで人形のように動かない表情で、さらに平坦な話し方からは嫉妬の色は見えない。しかし、親しい他の4騎士はかすかな感情を感じ取れていた。
 それはたぶん、レイナースが言うように嫉妬という感情だろう。

「確かに」ジルクニフが頷く。「あれの正体は人間以外の生き物だという方が納得のいく美貌だったな。伝え聞く悪魔や天使のように」

 そんなジルクニフの言葉に、側近達の幾人かは男として当然の興味を引かれる。皇帝という地位に立つ、ある意味どんな女でも選べる男の心からの賞賛を聞いて。しかし、この場でそんなことを口に出せるのは4騎士筆頭であるバジウッドのような男だけだ。

「……さて、忘れていけないのが戦勝祝いの贈り物だ。その辺りの準備もよろしく頼むぞ」
「一度に準備しますと、陛下の歳費を超える可能性もございますが?」
「それは仕方あるまい。ただ、それが他の貴族たちに知られるようなことは避けろ。アインズの周りに馬鹿が集まってくれなくては困る。あくまでも私の下にいるということにしなくては不味い」
「戦争の話が漏れ出れば近寄らないのでは?」

 その質問に対し、バジウッドが口を開く。

「そいつは違うとも。軍事力を背景にした陛下の行動のため、各貴族派閥は軍事力の面を補ってくれる存在を求めている。実際俺達や将軍達に軽く声をかけてくる奴は多いぜ。軽くって言っても言葉が軽いだけで目は真剣だからな。てめぇの娘を取引に持ち出す奴なんかごろごろいるぐらいだ。全部受けてたら嫁が今頃50人は超えてるぐらいだぜ。年齢は様々で」

 バジウッドは単なる平民上がりの自分に、色々と声をかけてきた記憶の中の貴族達を嘲笑しながら続ける。

「だからこそ強力であれば強力であるほど魅力的に映るって寸法さ。もちろん賢い奴は近寄らないだろうが、最も賢い奴は足下で腹を見せて転げ回るさ。もちろん、幾人か送り込んで安全を確認したあとにな」

 なるほど、などの声が起こる中、側近の1人が羨ましげに呟く。

「……そんな力を持つ辺境侯は数日内に呆れるほどの贈り物――戦勝祝いとして各貴族の方々から受け取るでしょうね。どれほどの美術品や財が集まるか見てみたいものです」
「くっ! ははははは!」
「へ、陛下?」

 突然の哄笑に側近たちが驚いたように目を丸くする。割れんばかりの笑いがしばし続き、それからジルクニフは己の目尻に浮かんだ涙を拭った。

「すまんすまん。少しばかり面白すぎる冗談だった。財か。アインズの住む居城を見た後で、アインズを感嘆させる財が贈られるとは到底思えなくてな」
「ナザリック……でしたか。そこはそれほどの場所で?」
「白亜の宮殿。神の座する聖地。最高級の物のみで構築されたような場所……だったな。もちろん、すべてを見たわけではないが、会ったときにアインズが身につけていた物の価値の合計が、帝国の国家予算に匹敵すると言われても納得できたぞ」
「それほどの……」

 あまりにも想像できない光景に側近達は言葉に詰まる。荒唐無稽すぎるためだ。そんな中、ある1人が致命的な失態に気がつき、慌ててジルクニフに尋ねる。

「では……贈り物はどうしましょうか? 金銭的な価値ではなく、希少性を重視したものということでしょうか?」
「……確かに。それは困ったな……。誰か良いアイデアは無いか?」
「……ならば勲章を作ってお渡しするというのは? 圧倒的多数を屠った者にしか渡されないような勲章を作って」
「それは悪くないな」

 ジルクニフが頷く。
 部下に任せることで、アインズの不満が生じた場合はそちらに逸らすつもりだったが、勲章であれば価値としては充分だろう。何よりアインズには帝国の勲章はまだ授与されていない。そういったことも考えれば妙案だ。
 本来であれば戦勝の祝いだが、新しい勲章の製作までも考えるなら、充分な祝いになる。

「では勲章の製作にかかれ。どうせアインズしか付けることの無い勲章だ。豪華にやって良いぞ」
「畏まりました。ではすぐに典礼の者などを動員して製作に入ります」
「よし。色々と決めていかねばならないことも多いが、ひとまずはアインズの凱旋を迎える準備を大急ぎで行え。それと平行して王国と会談する準備と草案を作っておけ。戻ってきた将軍たちの幾人かの話を聞いてからだが、最低でもエ・ランテル近郊はアインズに渡すためにもらわなければ話にならないからな」

 エ・ランテル近郊という領土をアインズに渡すことで、帝国は法国、王国に対する備えにもなる。そして彼らがアインズにちょっかいをかけてくれれば向こうから生贄が飛び込んでくれることとなる。

「ではついでにアンデッドの多発する地帯である、カッツエ平野も納めてしまえばちょうど良いですな。あそこに沸くアンデッド討伐に騎士を割くのも、犠牲者が出るのも金銭的に大きな出費でしたから」
「確かに。あそこの警備をしないで良いとなると、そこそこ余裕が出ますね。……どうされました? 陛下」
「ん? いや、あの地をアインズのものにするというのが良いことなのかと思ってな」
「それはどうして?」
「……無限の兵団を作り出してきそうな気がしてな。アンデッドは食料等を必要としないからな。……いや、まぁ、しても仕方が無い不安だな。よし、あそこも当然アインズに渡すとしよう。帝国にまるで損が無いことだしな」
「その辺境侯の領土問題ですが、領土での収益が順調になるまで帝国の支援も必要でしょうか?」
「……必要ない。アインズがどの程度まで行えるか、魔法的手段で解決するのか、その辺りの力は見たいからな」
「では支援の用意はしなくても?」
「まさか。準備はしておけ。アインズが言って来た場合は即座に貸し出し、恩を売る準備をしておくんだ。まぁ、そんなことにはならないだろうが、こちらの腹を読んでくる可能性もあるからな」
「では陛下。辺境侯に渡す領土の線引きをお願いしたいのですが?」
「そうだな。あとは王国側がどの程度の譲歩をするかだが、最低でもエ・ランテル近郊どころか都市そのものを欲しいな」

 幾重も城壁を持つ王国の守りの柱。
 そして3国への街道を持つ重要拠点。それを王国が簡単に差し出すはずがない。しかしながらジルクニフもそして側近たちも手にしたという態度が言葉の端々にあった。何故なら――

「……辺境侯の武を全面に押し出せば問題ない交渉になるでしょう」
「だろうな。いざとなったらアインズにもう一度頼むだけだ」

 側近の言葉にジルクニフは笑う。
 アインズという人物は非常に危険であり、恐怖してしまう存在だが、直面している王国はもっと恐怖だろうと。

「今日は美味い酒が飲める。王国の運命に乾杯だな。あー、鎖の一環としてはアインズに妻をあてがった方が良いかな」
「……陛下。あの方はそのぉ、子供が出来るんですかね?」

 子供が出来るのかという奇怪な質問をしたバジウッドに視線が集まるが、答えを語る気配がないことを確認するだけで終わる。ジルクニフもまた答えそうな気配はない。

「さぁな。しらんよ。ただ、子供が出来るとかそんなことはどうでも良い。妻という鎖で縛れるか確かめてみるだけだ」
「貴族の皆様のそう言ったお考えは少しばかり理解できませんね。結婚って奴は愛し合った者同士って気がするんで」

 その言葉に側近のほとんど、貴族という社会を知っている者たちが苦笑とも嘲笑とも取れる微妙な笑いを浮かべた。その中にあってジルクニフが浮かべたものは違う。決して嫌みなところも計算しているところもない、本当に無邪気な笑い方だ。

「バジウッド。私はおまえのそう言うことは好きだぞ。色々な貴族に娘をどうだと薦められているにも関わらず、断っているおまえの考え方はな。ただ、貴族というのはそうは行かないものさ。家と家の繋がり、そういった物が優先される。もしかするとこのまま行けば、非常に嫌だが、私の側室にあの気持ちの悪い女が送られてくるかもしれない。そういうものなんだ」

 そう言いきったジルクニフを後押しするように、側近の1人が口を挟む。

「どこかの貴族が辺境侯の親族の地位を手にする前に、何らかの手段を執られた方が良いかとは思います」
「そうだな。牽制は必要か。しかし館に招かれた辺りで……夜這いを仕掛けられるアインズの姿は見てみたいものだがな。まぁ、良い。何か考えてみるか。ちょうど良さそうな相手を捜してリストアップしておけ」
「下は幾つぐらいからでしょうか?」
「そうだな。別に気にすることはないだろう。出来るようになるまでは妾でも作れば良いんだから」

 そう命令を下し、アインズの姿を思い描いたジルクニフも疑問を抱く。
 あの服の下は一体どうなっているんだろうか、そして性欲というものはあるのだろうかと。



◇◆◇


「おはようございます、辺境侯」

 朝。再び塔の中にその身を見せたレイがアインズに深い敬礼と共に、挨拶を行う。後ろに付き従った5人の騎士たちも同じような姿勢を見せた。ソファーに座ったままアインズは手を軽く挙げて、挨拶の返答とする。

「さて、レイ将軍、それで今日の予定はどうなっているのか? 王国の軍に追撃を行うのかね?」
「はい。昨晩、あれからの会議で追撃は皇帝陛下のご命令あってからと決定しました。幾つかの軍団でこの陣地を固め、王国側に威圧をかけるという案に決定しました」
「そうか。しかし下手に王国側に圧をかけるのは、ネズミのごとき反撃を食らうのではないかね?」
「問題はないかと考えております。辺境侯のあれほどの力を見せつけられ、それで反撃に出るというのはもはや狂人の領域。流石な王国の者達といえども、そのような手段にはでないでしょう。それに綺麗な死体の回収は辺境侯がされると言うことですが、その他の死体の埋葬作業を行わなければなりません」
「そうだな……」

 アインズは少しばかり悪いことをしたという気持ちになる。潰れた死体の埋葬作業は、作業に従事する者たちにかなり精神的な負担をかけさせるだろう。
 ナザリックからアンデッドの群れを呼び出して作業させようか。
 アインズはそんな案を考えるが、口には出さない。今のアインズがやたらと恐れられていることは理解できる。ならば、あまり下手なことを言ったり、出しゃばったりしない方がよいだろうと判断したためだ。
 アインズは思いを口の中のみでもごもごと言葉にする。

「……アンデッドって良い労働力なんだが……その辺が分かってくれれば良いのだが……。意識改善をしないと駄目だろうな。アンデッドは良い労働力ですって」

「……? ……何かおっしゃいましたか、辺境侯?」
「いや、何でもないとも。それでレイ将軍、他に話はあるかね?」
「はい。それでですが、帝都に先行して帰還する組があるのですが、今回の戦争の最高功労者である辺境侯には先行の組に入っていただきたいのです」
「異論は無いとも」

 軍団と一緒に帝都へ帰還するというのは、一週間以上の時間が掛かることとなるが、こればかりは先行して帰るわけにはいかないだろう。
 アインズはそう考え、鷹揚に頷いた。

「ありがとうございます。それで移動系の魔法をかけることで行軍速度を上昇させたいと考えておりますが、辺境侯の馬車にもかけてもよろしいでしょうか?」
「む? ……そうか。いや、大丈夫だ。こちらはこちらで準備しておこう」
「畏まりました。一切の補給をしないで帰還する予定ですので、3日で帝都に到着予定となっております」
「それは早いな。補給しないと言うのは、食料等は持てるだけ持つと言うことかね?」
「……それなのですが、荷物を軽くするため、食料の大部分は魔法で生み出されるものとなります。そのために辺境侯には非常に申し訳ないですが、味の方がお勧め出来ないものへとなってしまいます」

 食料の大部分を魔法で補うと聞いてアインズはふむ、と頷く。
 こういったところがアインズの知識との差だ。
 アインズがこの世界を大雑把に知って驚いたのは、文明レベルに関してだ。
 最初は中世から近世の欧州というのがイメージであった。確かにそれは一部で間違えていないとも言えた。農村の生活はその程度だ。しかし、ある一面においては近代を遙かに超える点がある。
 それは魔法という技術によって生み出される部分だ。
 例えば燃料や電気などを一切必要としないで、明るい光源を作り出す魔法のアイテム。有限ではあるが異常なほど水を生み出す革袋。膨大な馬の食料を容易く生み出す飼い葉桶。微妙な味の麦粥を無限とも思えるほど作り出す鍋など。
 そういった存在があると、アインズの知識からなる予定との乖離は大きくなってしまう。
 アインズは声を口の中で転がす。

「……ほんと、人と共に暮らさなくてはならないな」
「何かおっしゃいましたか、辺境侯?」
「いや、なんでもないとも。レイ将軍。……食料の件は問題にならない。フールーダ。問題ないな?」

 アインズは元々食料は必要ではない。だから共に連れ立つ食料が必要な人物に確認する。

「もちろんでございます。ある程度の食料であれば師の統べる地より持ち出しております」
「そうか……。それで後ろの騎士達は?」
「はっ。この者達は辺境侯の偉大さにひれ伏した者たちであり、私の忠実な部下達です。帰還の最中、私に何かご用がございましたら、この者達に命じていただければと思います」

 騎士の1人が一歩踏み出す。

「あれほどの強大なお力を持つ、偉大なる辺境侯にお仕えでき、これ以上の喜びはありません。私たちを使い潰す気でなんなりとご命じください」
「……了解した。しかし使い潰したりはしないさ。私は忠実な部下には優しい男だ。なぁ、フールーダ」
「おっしゃるとおりです。確かに師は忠誠を尽くす者にはお優しい方」フールーダの優しげな声色が変わり、目には鋭きものが宿る。向けられた先にいるのは当然騎士達。「しかしだからといって師の優しさに甘えるような者ならば、師がお手を下す必要も無く、私の魔法でその命奪ってやると知れ」
「無論! フールーダ殿。そのようなことは決してございません!」

 慌てながらもはっきりとした口調で騎士が叫ぶ。必死という言葉が似合いそうな感じで。

「あれほどの偉大なるお力を見せられてなお、辺境侯にご迷惑をかけるなど考えられません!」

 フールーダがアインズを伺い、その視線に含まれているものを悟ったアインズは大きく頷く。

「……レイ将軍。見事な忠誠心を持つ騎士を貸してくれること、感謝するとも」
「ありがとうございます」

 レイばかりではなく、騎士達も頭を下げる。

「私に対する忠義は当然褒美を持って答えるつもりだ。おまえ達が忠義を尽くしていくなら、それに相応しいモノをやろう。望むモノを考えておくが良い。……個人的には金貨などのつまらないもので無いことを願っているよ。そんなモノは私じゃなくても手にはいるだろ?」
「…………」

 レイ、そして騎士達から返事はない。
 アインズはその奇妙な沈黙に眉を顰めるが、そのまま言葉を続ける。

「まぁ、ゆっくりと考えておくと良いさ。まだ忠義を欠片も見せてもらってないのだからな」
「お一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 騎士の1人がアインズに問いかけた。それに対してアインズは出来る限り優しい声を出すよう心がける。

「なんだ、言ってみろ」
「はい。へ、辺境侯は……死者の復活も可能なのでしょうか?」

 ざわりと空気が動いたようだった。
 レイを含め騎士達の顔にあるのはそんなことが出来るはずが無いという否定的なものだった。事実、帝国に死者の復活を行える人物はいない。かつての主席魔法使いであるフールーダですら出来なかったことだ。
 帝国の人間達の知る復活の魔法というのは、ほとんど神話の世界の話でしかなかった。
 それに対してアインズは不思議そうに頭を振り、顔をフールーダに向ける。

「スレイン法国ならば可能と聞くな?」
「はい、師よ。スレイン法国の大儀式、もしくは最高神官長クラスの存在であれば可能と聞きます。それ以外にも英雄と言われる領域に上り詰めた神官も」
「だそうだが……、質問に質問で問いかけよう」アインズはソファーに座ったまま、ずいっと体を前に押し出す。「何故、その程度のことが出来ないと思った?」
「っそ、その、そのようなことは!」
「おまえ達の顔にはそうはっきりと書いてあったぞ?」

 図星を突かれ、騎士達に言葉はない。別にアインズ自身はなんとも思っていないが、騎士の怯えたような表情にあるのは侮ったと思われたのではないかという考えだ。アインズに押さえるように一歩下がり、ごくりと喉が動く。
 レイが慌てながら口を挟む。

「部下が失礼しました。あれほどの強大な魔法を見せていただけたのに、辺境侯のお力を信じないようなことを口にしてしまって。この失態は私の方――」
「――良い」

 アインズはレイの早口をたった一言で止める。

「復活は神官の領域。魔法使いである私では使えないと思うのは当然だ。剣のみに時間を費やした戦士に、優秀な盗賊の真似事が出来ないようにな。しかしだ――」

 アインズは薄い笑い声を上げながら、さらに続けた。

「死者の蘇生。それが本当に神官のみの技だと思っていたのか? ……くだらん。知るが良い」
 
 アインズは手を広げてから、強く握りしめる。返すチャンスを失い、いまだ填めていたワールドアイテム『強欲と無欲』がガチャリと金属音を立てる。漆黒の恐ろしい小手に全ての視線が集まる中、アインズははっきりと言葉にした。

「決して逃れ得ぬ死すらも、この手の内よ」

 静まりかえった室内。そんな中、アインズは戯けるように肩をすくめた。

「とはいえ、死者の復活には膨大なエネルギーを必要とする。これは死という領域から魂を引きずり出した際、その魂にかかる負担だ。この負担に魂が耐えきれない場合は、その肉体は灰と変わる。それは魂の消滅であり、二度と復活できないことを意味する。仮に復活できたとしても、魂にかかった負担はその者の肉体を脆弱にするだろう。……この負担を和らげるには、より上位の魔法の力を必要とする。無論、私ならば使えるがな」

 当然、嘘である。
 まず復活に関する蘊蓄だが、結果的にそうなるからユグドラシルの魔法と比べての勝手な想像だ。もしかするとはずれているかも知れない。
 それに魔法職ではあるが、アインズの魔法系統の中に復活に関わる魔法はない。いや、あることはあるが、アンデッドとしての復活であり、決して騎士が望んだような復活ではないだろう。そして当然神官系の魔法は使えないので、復活の魔法をかけることは出来ない。
 しかしアイテムなら持っているし、ナザリックに帰ればペストーニャがそれを行える。
 そう考えれば満更嘘でもないか。
 アインズはそう思い、最初に質問をしてきた騎士に指を向ける。騎士の体がびくりと大きく動くが、それは無視して言葉を発した。

「そういうことだ。納得したか? ただ、死者の復活の儀式はよほどの忠誠を見せてくれない限りは無理だな。まず復活魔法に使う触媒はかなり高額なものだからな」
「……か、畏まりました。忠義を尽くします、い、偉大なる辺境侯に」

 掠れるような声で騎士が返答すると、ゆっくりと頭を垂れた。アインズは軽く頭を振り、それに答える。

「期待しているぞ。ただ……面倒ごとはごめんだ。私が死者の復活すら出来るというのは極秘事項だ。おまえ達が軽い口を持っていないことを祈るぞ? 互いの不利益に繋がるからな」
「畏まりました」

 レイを含め騎士達全員の頭が綺麗に下がった。
 それを見ながらアインズは、自らの対応は合格点だったな、と内心で自己評価を行っていた。




 3日という時間が過ぎた。

 それだけの時間をかけて、帝都の近くまで騎士達は帰還していた。
 最初の日の数時間。カッツエ平野を進むと言うこともあって張りつめていた緊張感は、いまではその欠片もなくなりつつあった。王国と違い、帝国の街道はかなり安全面が確保されているためだ。
 しかしながら、一行の中、一部の騎士達の緊張感は異様なほど高い。
 ある馬車を中心とした一団は、まさに戦闘態勢に入っていると言わんばかりの警戒心を周囲に放っていた。例え仲間の騎士でも変な行動をしたら斬るとでもいわんばかりの。
 ただ、そんなのは本当に一部だ。たいていの騎士は馬車を故意に視界に入れることなく、帰ってからのことに思いを寄せる。
 
 そんな緊張感が、騎士達の間で徐々に取り戻されていく。
 そしてそのピークは先頭を走る騎士達が、帝都近郊で自らの前方に見事な武装を整えた一団を発見した時だ。

 その者達の着る鎧は白銀のごとく輝く。ミスリルと鉄の合金鎧に、同じ材質の武器。
 彼らこそが騎士の中でも選りすぐられた精鋭達のみが入ることを許される、皇帝直轄の近衛隊の1つ『ロイアル・アース・ガード』だ。
 それらの者が立てている旗。それは帝国の皇旗。帝国軍でも皇帝に直接率いられているときにしか立てることを許されない、最も尊い旗である。
 騎士達はゆっくりと馬の足をゆるめる。
 少しばかりの信じられない気持ちを一緒に。

 ここに近衛隊が待っているというのは、先触れの知らせで知っていた。しかし、まさか皇帝がいるとは思ってもいなかったのだ。
 近衛隊がゆっくりと2つに分かれ、騎士達はある人物を確認する。

 バハルス帝国の頂点に立つ人物。
 皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。
 帝国の最重要人物が帝国軍を迎えに帝都の外まで出てきたのだ。それはありえないような行為であり、このような事は恐らくは帝国の歴史を調べても滅多に出てこないだろう。
 最高位に立つ者が自分の部下を出迎えるなど。
 その後ろには4人の騎士が追従する。完全ミスラル製の希少鎧に身を包んだ『重爆』『不動』『雷光』『激風』の4騎士だ。ある意味、皇帝が直轄軍を率いて出迎える最高の形だ。

 考えれば大勝した軍を労いに出てきたと考えることは出来る。しかし、そんなことを思う騎士は何処にもいなかった。
 当たり前だ。誰にだって分かる。帝国軍を迎えに出たのではない。
 皇帝が出迎えに来たのはたった1人。その1人のためにここまで来たと。

 ぐるっと視線が動き、後方に見え隠れする馬車に視線が向かう。
 そう。
 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の馬車に。

 軍というものは命令があって初めて行動をするものではある。しかしながらその瞬間にあって誰もが何も命じられることなく、自発的に行動していた。
 軍勢が割れていった。アインズの乗る馬車に道を譲るように、分かれていったのだ。

 そんな中をアインズの馬車は進み、ジルクニフの前までたどり着く。隣に平行して走っていたレイもまた同じように。


 アインズは馬車を降りると、ジルクニフと向かい合う。
 その瞬間、この頃よく感じる気配がアインズを包み込んだ。
 それは周囲の騎士達から向けられた視線の圧力だ。身をくすぐられるような気さえしてくるほどの。

 アインズは仮面の下、表情の浮かばない顔を顰める。周囲から向けられる視線に動揺している己が身を嘲笑って。
 精神の強い動きは直ぐに押さえ込まれるが、弱いものは種火のようにアインズをくすぐる。その結果の微かな動揺。もはやこれは慣れるしかないと知っていても、どうも慣れる事のできない感覚だ。
 ただ、それは許されないことだ。

 アインズは視線をジルクニフに向ける。
 堂々たる姿勢であり、王者の気配すら立ち込めていた。浮かべている友好的な笑顔も、また王者に相応しい威圧をも含んでいるようだった。
 アインズの心に嫉妬ともいうべき感情が微かに沸き上がる。
 今まで生きてきた人生経験の豊富さと言う差はあるが、同じ支配者として段違いの姿を目にし。

 軽く――出ない息を吐き出す。
 臣下の数などの差はあっても、アインズも友と作り上げたナザリック大地下墳墓の支配者。そして友のいない間はアインズこそが代表として、ナザリックを背負って立っている。だからこそ恥ずかしい姿を見せることは出来ない。そんなことをしては友達たち――かつてのギルドメンバーたちが眉を顰めてしまうだろうから。

 アインズは背筋を伸ばし、堂々と見えるように歩き出す。
 後ろに遅れてフールーダ、そしてレイが続く。

「陛下」

 アインズはジルクニフの前まで来ると、臣下としての礼を取る。後ろで同じように気配が動くのが感じ取れた。

「よくぞ、無事に戻ってきてくれた、辺境侯」

 ジルクニフがアインズの元に近寄り、手を取ってアインズを立たせた。

「ありがとうございます」
「そんなに堅くならないでくれ、我が友、アインズよ。君の圧倒的な力は話で聞かせてもらったよ。まさに君こそ帝国の最高の戦力だ。私は君という友人を持てて、これ以上の喜びは無いとも」
「ありがとうございます」

 再び、そんなに他人行儀しないでくれとジルクニフは朗らかに言うと、後ろで控えるフールーダに視線を向ける。

「それにじ――」ジルクニフは咳払いを1つ。「フールーダ。調子の方はどうかね? 我が友人、アインズの元で魔法の研究は進んでいるかね?」
「残念ですが、陛下。わが師の教えは深遠であり、私が今まで生きてきた中で得てきた知識では灯火にすらなりえないほど。進んでいるとは決して申せません」
「そうか……私としては魔法院などで教師の役目を少しでもしてもらえないかと考えていたのだがね?」
「無理でしょう。わが師の教えを理解できるような位置にいる者は、私がいた頃はおりませんでした。深すぎる知識は身を滅ぼすだけでしょう」
「そうか……残念だ」

 ジルクニフは最後にレイに視線を向けると、即座に興味を失ったような軽い素振りで何も言わずに逸らす。

「さて、アインズ。君の帰還を祝い、パレードといこうじゃないか」
「パレード?」
「ああ、そうだ。今回の戦いにおける帝国の勝利を祝う国民たちに、その姿を見せてやって欲しいんだ」
「……なるほど。了解しました……ジルクニフ」

 ジルクニフはアインズの言葉にニコリと笑うと、手を大げさに広げる。

「今回の戦いにおける最高の勲労をした辺境侯の帰還だ。派手にいこうじゃないか。国民に先触れは行っているか?」
「はい、陛下。既に連絡済です」

 ジルクニフの後ろに控える4人の騎士の1人が返答する。

「騎士達の装備は整っているか?」
「はい、陛下。完璧に整っております」
「ではアインズの馬を引け。辺境侯に相応しい馬を」

 聞き逃してはいけない言葉を前に、アインズは言葉を失う。
 それが何故か。
 理由をはっきり言おう。

 馬に乗れる自信が無かったためだ。
 ユグドラシルにおける騎乗スキルというのはドラゴンやワイバーンなどの飛行系モンスター等変わったモンスターに乗るためのもの。単なる馬であればスキル無しに誰でも普通に乗れた。
 ただ、乗れると言っても所詮はゲームであり、コントロール操作による非常に簡単なものだ。実際に馬を操るのとはまるで違う。
 もしアインズに汗が流れたならば、滝のように流れていただろう。まさか馬に乗れないなんてカッコ悪いことは言えないし、乗ったとしても馬が暴れたりしたらどうなるというだろうか。特に落馬なんてしたら。
 こんなに多くの者の目がある前で。
 そんなことになればどんな評判が立つだろう。今まで自分が作り上げた全てが一気に崩れ去る可能性だってある。
 ある程度の地位にある者は馬に乗れるのが当たり前と言う、この世界の考え方はアインズだってもはや知っている。フールーダとの会話の中で得た情報の1つだ。
 ある程度の地位の人間で馬に乗れないと言うのは、いうなら成人男性で自転車に乗れないと言うのと変わらない珍しさを持つ。しかし、それでも乗れるかどうかの確認はあってしかるべきだろうと、アインズは微かな八つ当たり気味の苛立ちと一緒に考える。

「……ジルクニフ。そのような馬よりももっと別のものを召喚して、それに乗ったりしないか? 馬ではな……」
「……それは勘弁して欲しいのだ、アインズ。これより多くの市民が君の凱旋を祝うために集まっている。その中、騒ぎは一層起こるようなことは避けて欲しいんだ」
「そ、そうか」

 そういわれてしまうと、何も言えない。確かに良い意味での騒ぎなら良いが、これ以上悪い意味での騒ぎはあんまり起こしたくは無い。
 気がついたら後ろが崖だったような気分で、アインズは仮面の下の顔を引きつらせる。

「勿論、アインズの言っている意味も分かる。君ほどの力を持つ魔法使いであれば、自らの召喚した強力な魔獣に乗れないことを不快に思うのも。だからこそ侘びというわけではないが、君に似合った馬を用意させてもらった」

 ジルクニフのこちらに、という声に会わせてアインズの前に一頭の馬が引き出された。
 8本の足を持つ馬だった。見事な純白の毛並みで、それに相応しいだけの鞍が付けられている。その体躯は見事であり、何処までも駆けていくであろうという雰囲気を感じさせた。
 そんな馬が引き出された時に起こったのはどよめき。まるで信じられないとでも言いたげな雰囲気だ。
 それらが意味するところ。
 馬のことは何も知らないアインズですら容易に推測が立つ。それはこの馬が非常に高額なものであるということだ。

「さぁ、受け取ってくれアインズ。私からのささやかなる贈り物だ」

 友人に自慢の贈り物をする人物に相応しい笑顔で、ジルクニフがアインズに馬を指差す。

「あ、ああ。感謝す、するよ、ジルクニフ。こ、こんな素晴らしい馬をもらえて」
「そんなに感動しなくても良いともアインズ。気にしないでくれ。色々と考えたのだが。これ以上君に相応しい馬がいなくてね。スレイプニール種の中でも何百頭の一頭しかいないといわれる白毛だ。……気に入ってくれているみたいで嬉しいよ」

 その笑顔に対してアインズは『こんちくしょう』と言いたく気持ちをぐっと抑える。
 ジルクニフの笑顔がアインズが馬に乗れないことに対する嘲笑のような気さえし始めていた。
 魅了系の魔法と言う線もあったが、アインズは残念ながら人間種以外に対しては修めていない。巻物で所持はしているが、皆の前で巻物を取り出して魔法では変に思われるだろう。
 アインズは助けを求めるようにフールーダの方に顔を動かす。

「師よ、お気にされず。私は適当な馬でも貸していただこうと思います」
「そ、そうか……」
「ああ、アインズ。心配しないでくれ、フールーダにもちゃんと馬の準備はしてあるさ。流石にアインズの馬ほど立派ではないがな」
「皇帝陛下。師に対してこれほど素晴らしい馬をいただけること、弟子としても感謝しますぞ」
「気にしないでくれ。友人の我が侭を聞いてもらうんだ。この程度は当たり前のことさ。まぁ、凱旋を祝っている気持ちもあるがね」

 アインズに対してジルクニフは微笑を浮かべたままウィンクを1つ。
 そんなジルクニフの親しみを込めたお茶目な仕草は、普段であれば大して何も思わないであろう。せいぜい『良い歳なのに外見の良い人間がやると違うな』程度。しかし今のアインズからすると、やたらと不快だった。

「さぁ、アインズ。馬に乗って凱旋と行こうじゃないか」
 
 敵しかいない。
 アインズは初めてここが敵地だと理解した。タイミングよくナザリックから救援が来るはずが無く、フールーダの助けは無い。そしてよい切りかえしや、逃げる手段も浮かばない。
 ならば覚悟を決めるしかなかった。
 アインズは自分ならやれると根拠無く必死に思い込むと、出もしない唾を飲み込み、スレイプニールに近寄る。
 そして――

 急に立ち位置を変えたスレイプニールの――蹴り上げられた蹄がアインズの顔面に真正面から炸裂した。


 絶句。
 まさにその言葉が相応しかった。
 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の頭部が潰された。
 それがその光景を見ていた誰もが思ったこと。

 魔獣であるスレイプニールは、通常の馬よりもより強い筋力を持つ。そんなスレイプニールの蹄の一撃は強力かつ、致命的なものだ。顔面が潰れて御の字、ほぼ確実に頭が弾けるのが普通と言っても良い一撃だ。
 仮に兜を被っていたとしても潰され、平たいミートパイの出来上がりだろう。
 スレイプニールは馬ほど臆病ではないが、保有する馬を超える肉体能力は単にじゃれて来ただけでも人間が死ぬ可能性がある。だからこそしっかりと躾けられる。
 それにも関わらず、何故にスレイプニールが暴れたか。いや、暴れたというよりあれは拒絶のようにしか思えなかった。

 そのために騎士たち、近衛隊たちが絶句したかと言うとそうではない。

 事実と直面し、眼を疑わない者はいなかった。
 その即死の攻撃を受けたはず――死体があるであろう場所に、平然とした者が今なお立っていた為に。
 避けたのではなく、防いだのでもない。一撃を真正面から受けてなお、平然としていた。
 それはまさにありえないような光景であり、その一部始終を見ていた誰もが信じることの出来ない光景であった。
 理論的に判断すればどう考えてもおかしいのだ。しかし、事実は事実として変えようが無い。そのあまりの矛盾が思考を狂わせる。
 しかし、その攻撃を喰らった人間のことを考えれば、その空前絶後の光景も当たり前に思われる。

 そう――あの、大虐殺をたった1つの魔法で行ったアインズ・ウール・ゴウン辺境侯ならばそれが当然ではないだろうか、と。
 スレイプニールの蹄ごときで死ぬはずが無いのでは、と。


 ただし、その光景を初めて目の当たりにする皇帝直轄の近衛隊は別だ。
 ヘルムの下では驚愕に目を見開いていた。


「このスレイプニールを殺せ!」

 そんな周囲の静寂を切裂き、怒号がジルクニフから上がった。

「我が友に害をなそうとする馬なぞ必要は無い! 直ぐに殺して侘びとせよ!」

 その声に即座に周辺にいた近衛隊が、驚愕を忠誠心で叩き潰し動き出す。その先頭に立つのはニンブル。手には既に抜き放たれた剣があった。
 そしてそれだけではない。フールーダも魔法を放つ準備をしている。何かあれば即座に魔法をスレイプニール目掛け放つだろう。
 周辺に漂う殺気にスレイプニールが興奮したように身震いするが、暴れようという気配は見せなかった。今まで自分を育ててきてくれた人間に対する信頼があるためだ。
 ニンブルが一気に踏み込み、その剣をスレイプニールに突きたてる。その絶妙な瞬間――

「まぁ、待ってくれないかね?」

 ――平然とした口調でアインズは止める。
 仮面を撫で回しながら、歩き出した足取りに狂いは無い。
 それはアインズが一切損傷を負ってない証。スレイプニールという魔獣の一撃を顔面で受けて、それでいながら怪我を一切していないという証明。もはや驚くことが無いと心の底から思っているニンブル、そして大虐殺を見た騎士たちでも連続する驚きのあまりに心が麻痺している。
 ある意味慣れた者たちですらそうなのだ。
 近衛隊は違う。はっきりとした動揺――いや混乱があった。何か途轍もなくおぞましい――もしくは強大な力の持ち主を前にした、哀れな小動物のように。
 そしてたった一人の貴族のために、自らの主君が率先して都市の外まで迎えに出向いた理由を強く実感する。

 これは――この男は単なる貴族とかそういうレベルで考えて良い類の者では無い。

 そんなことを考える者たちを前に、アインズは平然とした口調を崩さない。崩すようなことは一切起こっていないのだから当たり前だ。アインズからすれば今のはなんでも無い――風が顔に吹き付けてきたというのと、まるで変わらない出来事なのだから。埃が目に入れば嫌な思いはするだろうが、だからといって暴れるというほどのことではない。

「ジルクニフ。この馬は私にくれたものだ。何も殺す必要は無いだろ?」

 スレイプニールはアインズの防御を超えるだけのレベルを有した魔獣ではない。そのために蹴られたが、それでも強く押された程度のものしかアインズには感じられなかった。だからこそ不快感などは一切無い。
 逆に攻撃されたと言うのは良いチャンスだと判断していた。

「しかし、アインズ。君に攻撃したスレイプニールをそのままにしておくのは」
「気にしないとも。こんな体だ。この馬が怯えるのも分かるというもの。ゆっくりと慣らしていくさ」

 アインズはそういいながら仮面を手で拭う。幸運なことに汚れもついてないようだった。ならば別にアインズが怒るほどのこともない。

「そうかね? それで君が良いというのであれば構わないが……時間をくれれば別のやつを用意しても良いが?」

 アインズは内心慌てながら、続ける言葉を考える。
 別の馬を用意します。それに乗ってくださいでは完璧な計画が崩れてしまう。
 そう。アインズは馬に乗らなくても良い策を決行する必要があるのだ。

「……気にしないとも。多少刃向かってくれたほうが……楽しいじゃないか」

 アインズの言葉にジルクニフの瞳の奥に僅かな揺らめきがあった。
 まるで己の策を利用してきた相手に対して、敵意を示すように。
 非常に巧妙に隠されたそれは、生半可な洞察力では決して悟れないほど。事実アインズはそれには気が付かない。

「……そうか……。うん、アインズがそれで良いというのであればそれで構わないとも」
「感謝するよ、ジルクニフ。ではこの馬は私の方でナザリックに送るとしよう。流石に私に慣れない馬に乗るわけには行かないだろう!」
「確かにそうだな。では別の馬を用意しよ――」
「――いや、それには及ばないさ! 流石に他の馬にまで蹴られるのは勘弁だ。それに君からもらった馬以外を使うと言うのは失礼だろ? だから問題なければ馬車を引いてもらおうと思う!」
「なるほど……わかったとも」

 ジルクニフが頷き、アインズもまた頷く。落としどころとしてはちょうど良く、両者共に利益があった。

「それで馬車を使うのは問題ない。ただ、たとえ仮面で顔を隠しているとはいえ、今まで君が乗っていたような姿が見えないような馬車は少し困る。こちらで馬車を用意するまで少し待ってくれるかね?」
「いや、それには及ばないとも。馬車の一台ぐらいこちらで用意させてもらおう」
「そうか……何から何まで迷惑をかけるな。それにしても今回は本当に申し訳ない。まさかこのようなことが起こるとは想定外だった。許してくれ」

 アインズに対してジルクニフは軽く頭を下げる。下げると言っても大したものではない。本当に軽くだ。
 ただしそれでも周囲がどよめくだけの効果はある。自らの皇帝、バハルス帝国の頂点に立つ人物が、臣下に頭を下げたと。
 その行為ははっきりと物語っていた。
 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスがアインズ・ウール・ゴウン辺境侯をどういう存在と見なしているかを。

「いや、いや、気にしないでくれ。私はこの通り動物には愛されない男なのでね」

 そして自らの主君の謝罪を平然と受け入れる辺境侯。
 そこには誰の目からしてもはっきりとした両者の関係があった。

「……ちなみにアインズ。スレイプニールに蹴られた顔は痛くは無いのかね? 治療の必要があったら直ぐにさせてもらうが」
「さて、どう思う? ジルクニフ」
「さっぱり想像が付かないな。君の感じからすると、一切の傷を負ってないようだが……魔法か何かで防いだのかね?」

 ジルクニフの質問に対してアインズはおどける様に手を広げ、それには答えず別の答えを返した。

「秘密さ。ではすまないが少しばかり時間をくれないか。準備をさせてもらおう」



◇◆◇


「おかえりなさいませ、アインズ様」
『おかえりなさいませ』

 セバスの言葉に遅れて、一斉に声が上がる。
 ナザリックに帰還したアインズが声の方を見れば各階層守護者にメイドたち、というある意味でのオールスターが揃っていた。
 アインズは鷹揚に手を上げ、それに答える。

「まずは長く待たせて悪かった。本来であれば何時でも帰るチャンスはあったのだが、色々な理由によりそれが叶わなかったことを許して欲しい。特に最も大切な時に呼び出し、長い時間拘束してしまって悪かったな、デミウルゴス」
「滅相もございません、アインズ様。お疲れのお体をまずはお部屋の方で休ませてください」
「……そうもいかんのだ」アインズはデミウルゴスに対して頭を振る。「これから戦勝を祝うパレードだ。直ぐに行かないと不味い」
「……即座にナザリックの武威と力を示すに相応しい儀仗兵をご用意いたします」
「ナラバソレハ私達ノ役目」

 声を張り上げたのはコキュートスだ。胸をバンと強い勢いで叩くと、直ぐに跪き頭を垂れる。

「何卒、ソノ役ヲ与エテイタダケマスヨウ、オ願イイタシマス」
「まった、ずるい! あたしも!」

 ばっとアウラが飛び出す。そして直ぐにコキュートスの横で跪く。

「威圧感を出すってことでしたらあたしのシモベとかが良いと思います!」
「違いんす。ここは私のシモベのような美しさを持つ者たちを出すべきと愚考しんす」

 アウラに薄く笑いかけ、シャルティアが跪く。

「はん。まさに愚考。腐りかけとか出したら不味いでしょ」
「……犬とか出すよりはマシだと思いんす」
「…………あん?」
「…………うん?」

 額をゴリゴリとぶつけながら、ギリギリと睨みあうアウラとシャルティア。それを普段であれば止めるだろうが、この場は完全に無視しコキュートスが売り込みを開始する。

「私メニオ任セヲ。アインズ様ノ御栄光ノ僅カナ輝キニナレレバ、ソレニ勝ル喜ビハゴザイマセン」
「ずるい!」
「それなら私だって!」

 コキュートス、アウラ、シャルティアの諍いは徐々に熱を帯び始める。ナザリックのために、そしてアインズのためならば、その命すらも平然と投げ出すほどの絶対の忠誠を持つ守護者。その横に並ぶのは同僚であり、共に同じ主人を仰ぐ仲間だというのにも関わらず、この瞬間においては互いを敵だと判断しているような苛烈な感情をその視線に含みだす。
 これは仕方が無いことであろう。
 凱旋パレードというのは力を誇示するという側面を持つ。つまりそのパレードにおいてアインズの周囲に付き従うというのは、ナザリック大地下墳墓の武威を示し、そしてアインズの力を見せ付けるという意味。
 だからこそ決して誰かに委ねて良い仕事ではない。
 互いの忠誠心を認めているとはいえ、各々が内心では自分こそが最も忠誠心を強く持っているという者たちだからこその諍いだ。

 3人の争いが力での解決に及びそうな雰囲気を得るに至った頃、デミウルゴスが小さく、それでいてはっきりとしたため息を皆に聞こえるように吐き出した。

「……アインズ様を失望させない方が良いと思うがね?」

 コキュートス、アウラ、シャルティアが慌ててみれば、そこには無表情で立っているアインズの姿があった。無論、普段からアインズの骸骨の表情にほとんど変化はないのだが。

『申し訳ありません』

 3人の声が合わさり、同じようなタイミングで頭を下げる。

「……いや、怒ってないとも。お前達の忠誠心の現れ、嬉しかったぞ。ただ、今回はジルクニフにあまり派手なことはしないでくれと釘を刺されているのでな。シモベを連れての参加は避けようと考えている。まぁ、デス・ナイトの少しは参加させても良いだろう」
「そ、そうでありんすか。残念です」
「全くです」
「ウム」
「それではお戻りになられたのは一体どのような目的でしょうか?」
「それだ、セバス。パレードに参加するに相応しい服装を任せようと思ってな。それと上の開いた馬車だ。御者はジルクニフの部下を借りるとしよう」
「なるほど。畏まりました」

 セバスは薄く笑う。
 それを見てアインズは何故か、奇妙な不安を感じた。

「お任せを、アインズ様。全ての者たちが崇拝してしまうような服を選択したいと思います」
「……そこまで頑張らなくても良いのだが……」
「いえ、ここは非常に重要かと思われます。アインズ様の偉大さを愚劣な下々の者に分かりやすい形で示すべきです」
「……デミウルゴスまで」
「そうですよ。でもアインズ様の偉大さを服装でしか判断できないなんて哀れですよね」
「アウラも良いことを言う。所詮、ナザリック以外の下等な存在。至高の御方であられるアインズ様の崇高さは理解できんせんでありんしょうね」
「……下等ト言イ切ル気ハナイガ、哀レナコトダ」

 全く全くと守護者のみならず、メイドたちも同意の声を上げる。そんな中、ぽつりとアインズだけが置いていかれたような気分だった。だからポツリとこぼす。

「……セバス……派手なのはあんまり好まないのだが?」
「下品な物は決してお選びしません。アインズ様に相応しい衣装を必ずや」

 異様な迫力を持ってのセバスの言葉に、アインズの唾の出ない喉がごくりと音を鳴らした。

「まずはアインズ様の旗を準備させろ。それとデス・ナイトのマントがあれでは侮られる。直ぐに綺麗なものを」
「畏まりました。メイド達を総動員し、デス・ナイトたちのマントを順次整えていきます」

 メイドを代表し、ユリがデミウルゴスの指令に頷く。

「ではアンデッド達を使って、デスナイトの鎧を綺麗に磨くとしんしょう」
「私ハデス・ナイトノ持ツ旗ト、武装ヲ準備シマショウ。アノフランベルジュデハ、儀仗兵ガ持ツニハ少々魅力ニ欠ケマス」

 シャルティア、コキュートスがそう言うと、最後に残ったアウラがキョロキョロと辺りを見渡し、きらきらと輝く目で誰とも無く問いかける。

「じゃ、あたしは何をしよう! アインズ様の武威を大々的にアピールするために!」
「……無インジャナイカ?」
「……え?」
「さて、アインズ様。お時間も少ないようですし、ドレスルームに」
「あ、ああ。ああ、おまえ達、あまり派手な格好は慎めよ」
「無論です、アインズ様」

 アウラを除き全員が頭を下げるが、そんな姿にアインズはやはり胸騒ぎを感じるのだった。



「……え?」





 アインズとフールーダという人物を失った場所で、いまだ片膝をつくレイに対し、ジルクニフは冷たい視線を向けた。口を開くがその言葉も感情という色が一切含まれていない。

「レイ。アインズの護衛を買って出たそうじゃないか。ご苦労だったな」
「いえ、陛下。帝国での最も重要な人物であられる、ゴウン辺境侯の警護であれば多少の労苦など、なんでもございません」
「そうか……」

 ジルクニフは再びレイを冷たく見据え、それに対してレイは微笑みで持って答える。

「しかし……私は考えてみるとレイを多少働かせすぎたやもしれん。すこしばかりのんびりしてみるのも良いんじゃないか?」
「ありがとうございます、陛下。ですが辺境侯の身辺警護の任がございますので」
「レイ!」ジルクニフが怒りをその面に露わにする。「お前、誰がその任に就けと言った! 勝手に決めたと言うのであればその首もらうぞ」

 ジルクニフの背後に控える帝国4騎士がずいっと前に一歩踏み出す。圧倒的威圧感から、熱くも無いのにレイの頬を一筋の汗が流れた。しかし、レイは微笑を浮かべたまま表情も口調も乱そうとはしない。

「陛下。これより辺境侯の凱旋です。血で汚すようなことは避けられた方が良いかと」
「……言うじゃないか、反逆者」
「陛下。反逆者というのは少々厳しいお言葉かと」
「ほう。ではどういう理由あっての行為なのだ、レイよ。私ではなくアインズに尻尾を振った理由は」
「簡単でございます、陛下。私が帝国を最も愛しているからです」

 ジルクニフは顎をしゃくると、続けろと言葉を促す。

「はい、陛下。辺境侯は絶対なる力の持ち主。ですが、それを信じない者や既得権益に執着する愚かな者がいるでしょう。それらによって辺境侯が力を行使するのは帝国にとって不利益となります」
「だからお前がアインズの敵を排除することによって、帝国にアインズの力が降り注がないようにするというのか?」
「はい、陛下。そのとおりでございます」
「だが、別にお前である必要は無い」
「やもしれません。しかし、陛下。他の将軍達は辺境侯を危険視しておりました。私でなければ辺境侯の不快を買う可能性があったための行為です」
「……ふむ」
「それに辺境侯ほどの人物に対して、将軍位でも無い者が警護を買って出た場合、それは辺境侯ほどの方を軽く見ていると同意ではありませんか」
「なるほど……口は回るようだな……お前の言いたいことは充分理解できた。しかし――」

 レイはここで切り札を投入する。

「――それに陛下。辺境侯の許可を取っております」

 ジルクニフが苦い顔をし、口を一直線に閉める。数秒以上の時間が経過し、それから大きなため息と共にレイに頷いた。

「レイ将軍。お前の考えはわかった。今後もアインズの警護を頼む。第8軍から厳選して騎士達を警護に付けろ。ただ、それが重要だからといって、警護任務だけに没頭されても困る。それ以外の仕事も当然してもらう。そういった諸々に関して、お前とは個人的に幾つか話したいことがある。時間を作って会うとしよう」
「畏まりました、陛下」

 レイは顔を伏せ、その浮かび上がる表情を隠す。
 辺境侯という美獣の爪や牙になれる。その瞬間が近づきつつある。そう思うだけで、股間が堅くなっていくのを感じ取れた。
 レイは自らがこの時代に生まれたこと、そしてアインズという存在の直ぐ傍にいられた幸運に感謝をする。そして自らの前で偉そうな姿を見せる男に対して嘲笑を浮かべていた。全て自分の計画通りだと。


 無論、ジルクニフもまた己の目的、読みどおりの展開に内心嘲笑を浮かべていたのだが。





 少年は駆ける。
 向かった先の帝都アーウィンタールの主要たる大通りには、いつも以上の多くの人が詰め掛けていた。
 その場に集った人々から生じる興奮がうねる様に渦巻き、熱気すら立ちこめているようだった。これから現れる人物、この国の頂点に立つ人物を一目でも見ようとして。

 少年は人ごみの中をすり抜けるように進む。
 多くの人がいるとはいえ、少年の小柄な体が通り抜けられないほどではない。やがて少年の体は人ごみを抜け、一番前まで進み出た。無論、数度の罵声はあったが、少年はそんなものを気にしたりはしない。いや、いちいち気にしていては最も良い場所は取れないのだから。
 
 人波をかき分けて進んだ、最前列。
 横手を見れば自分と同じようにすり抜けてきたであろう少年少女の姿。そして今から来る人物を一目でも見ようとする若い女たちの姿があった。
 その場に集まった誰の目にも期待と興奮の色がある。

 自分のいる国の皇帝。
 少年がその人物のことで知っているのは、即位してから生活が楽になったと言う両親の話ぐらいだ。それと当たり前のことだが、自分では決して近寄ることも出来ないような地位にいるということ。
 天上人という言葉が相応しい存在。
 少年は憧憬の視線で門の方を見る。
 時間の経過が待ち遠しく、何度も何度も辺りをきょろきょろと見回してしまう。
 大通りには軽装の鎧を着た者達が、それ以上飛び出す者がいないか警戒しながら注意に当たっている。そのピリピリとした雰囲気も、それ以上の濃厚な雰囲気でかき消されていた。

 お祭り騒ぎ。
 そんな言葉が相応しいような、そんな熱気の中、時間は過ぎていく。

 ざわめきが一段と大きくなった。それは今から何かが起こるという現れ。それを敏感に察知し、少年は視線を周りの人間と同じ方角に向ける。そして少年の目の中に飛び込んでくるのは、門を潜って通りを進む一団。それが何か分からないほど、少年は無知ではない。
 帝国の騎士――少年は知らないことだが、実際は近衛隊である――たちの登場だ。
 少年ぐらいの歳であれば憧れの職であり、友達たちを木の棒を持ってなりきったりもする。そんな者たちが少年の視界の中、徐々にその姿を大きくしていく。
 歓声が上がる。
 王国との戦争において圧勝した自国の兵士を祝って。

 少年は声無く視線に尊敬と憧憬を宿して、前を通り過ぎていく帝国の国旗を掲げた騎士たちを凝視する。
 全身を包む鋼の鎧は綺麗に磨かれ、太陽の日差しを反射している。そのためキラキラと輝くようだった。馬の蹄の音が規則正しく響く。
 周囲からは歓声が、若い女たちからは黄色い声があがる。
 少年は大きく目を見開き、瞬きすら惜しいという風に騎士達の姿を目に納めていく。
 自分も将来きっとああなってやるという夢を抱きながら。

 どれだけ騎士たちが行軍していったか。
 ある時、少年は違和感を覚えた。実際少年の周りの者たちも同じように違和感があったのだろう。困惑さがざわめきを起こしている。
 それは――静まりかえっていたからだ。
 少年たちのいる場所よりも、門に近い市民たちから声が上がっていないのだ。
 別に騎士たちの行軍が終わっているのではない。まだまだ続いている。それにも関わらず声が起こっていない。

 何があったのか。
 誰もが抱いた疑問ではあるが、それはやがて氷解する。
 1つの馬車の少年の――そして同じような疑問を持つ者たちの視界に入ることで。

 何故に静かになっていたのか?
 答えはそれはその存在を目にし、魂を奪われたからだ。

 すべての者たちの視線の先にあったのはスレイプニールという8本足の馬がひく馬車。
 そこに乗る影は2人。
 1人は黄金の冠を被った男。立派な胸当てを着、その整った顔には僅かな笑みがある。堂々たるその姿は、全身鎧を包んだ騎士を上回るほど。
 バハルス帝国現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。まさに帝国を発展させているという言葉が相応しいだけの人物。誰もが目を引きつけられるような雰囲気を持ち、すべてを委ねたくなるような空気を放つ。

 しかし、魂を奪った存在ではない。
 本来であれば皇帝にすべての視線が集まっていただろう。だが、この場ではそれは逆だった。
 皇帝に集まる視線はほとんど無い。
 すべてはその横――。

 やる気がなさそうなのか恥ずかしいのか、片手を軽く上げている人物が乗っていた。
 先ほどまでの騎士達が光を反射しキラキラと輝くならば、その人物は自分から輝いているようだった。
 宝石を無数に付けた長い帽子を被り、飾り気は無いが銀に輝く仮面で顔を隠す。身を包む純白のローブは黄金の紋様を宿していた。白い手袋をした手には巨大なダイアモンドを先端にはめ込んだ杖を握っている。

 それは――光の存在だ。


 もしアインズと同郷の人間がこれを見たなら、成金趣味やド派手というマイナス面のイメージを持つかもしれない。しかし今、アインズの姿を見ている者たちは皆そんなイメージは一切持っていなかった。
 ただ、そこから匂い立つような力に引き付けられていた。

 力というものは無数にある。
 外見の美醜などを含む魅力、権力、肉体能力、そしてアインズが示している財力――。

 生物は力という面に強く惹かれる傾向がある。いや、世界に生きる殆どの生き物がその傾向を若干は持っているのだが、その中でも人間という弱き種族はそれが強い。
 種としての脆弱さ――ドラゴンなどの種族と比較すれば一目瞭然だろう。外敵――モンスターなど――が跳梁跋扈する危険な世界。
 そんな環境下であるために、安全な場所を確保したいという本能や欲求を刺激されるためだ。そして弱者が最も簡単に得る手段は強者の影に隠れること。だからこそ強者に引き寄せられる。
 当然、そういった本能の薄い者だって多くいるし、スレイン法国のように国にしっかりと守られている民の場合はその手の欲求も薄い。
 さらには許容範囲というのだってある。強大すぎる力は恐怖の対象にだってなりうる。超位魔法を使ったアインズのように。

 しかし、今この場にいる者たちはその欲求を強く刺激されていた。
 あの馬車に乗る者は誰なのか。
 どこの大貴族様なのか。
 無数の疑問が浮かぶが、決して口には出せない。それほどまでに飲まれていた。


 そんな馬車の後ろを歩む者たち。おおよそ100名。それは磨き抜かれた漆黒の禍々しい鎧に身を包んだ戦士たち。その巨躯は人間の平均を遙かに超え、顔は同じような仮面で隠されている。腰に下げた剣は見事な鞘に収まっているというのに、その内包しているだろう力を感じさせるほどの魔法の武器。
 先ほどまでの騎士たちを遙かに超える力を感じさせる――いや、この戦士たちを見てしまってはどんな騎士もちっぽけに思わせた。
 そんな戦士たちの先頭の者が持つ旗に描かれたのは、今まで見たこともない紋章。

 財と武。
 2つの力をまざまざと見せつけながら、一行が通り過ぎていく。少年を含め、その場にいた者たちに強い印象を刻み込みながら。
 通り過ぎ、ほっと誰かが息を吐いた。
 その馬車が通り過ぎるまで、呼吸を忘れ、見つめることしか許されなかったように。
 ゆっくりとざわめきが起こり、互い互いに色々な名前が出る。先ほどの馬車に乗った人物が誰かに関しての話だ。
 少年は耳を大きくさせ、その話に注意を傾ける。いまだ騎士達のパレードが続くが、そちらはもはや半分以上意識から抜け落ちていた。

 無数の名前の中、やがて1つの名前が大きく上げられる。


 少年はその日、帝国の最も新しい大貴族アインズ・ウール・ゴウン辺境侯を知る。





――――――――
※  凱旋終了です。
 4月中は忙しくなりそうなので、次は5月ぐらいの更新を狙っています。タイトルは『日々』。100kぐらいの話を予定しています。閑話として何点か10kぐらいのアインズ以外の人の帝国での話を注入したいです。
 こんな感じです。


 雇われた館は恐ろしいところだった。

ソリュシャン「なんですか、この桟に溜まった埃は!」
人間メイドA「も、申し訳ありません!」
ナーベラル 「これだから、アインズ様のお世話は任せられないのです!」

 人間メイドAに襲い掛かるイジメと嫌がらせ。※
 しかし枕を涙で濡らす日を続ける人間メイドAのひたむきな努力は実り、心強い味方が!

ニューロニスト「脳みそを弄って、苦痛を感じないようにしてあげるわん」
人間メイドA 「…………なんか違うだろ、おい」

 頑張れ、人間メイドA! アインズの世話を任されるまで!


 ……結構、嘘じゃないから困る……。


※例1:歩き出そうとすると時間停止魔法を発動され、進路に割り込むように家具を移動させられる。その結果、小指をぶつける。
 例2:買い物に行く際、アウラのペットに乗せられ、大急ぎで駆け出され、安定感の無いジェットコースターなみの恐怖を味わう。
 例3:普通の人では手の出ないようなナザリックの高級品を食べさせられ、味を忘れられなくなる。


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