「今朝はここまでにしようか。」
道場に、士郎の声が響く。その言葉と同時に、気力だけで立っていたなのはとフェイトがその場に崩れ落ちる。
「……ありがとう……。」
「……ございました……。」
辛うじてそれだけを絞りだすと、ピクリとも動かなくなる二人。
「士郎さん、ちょっとハードすぎる気がするけど。」
今日はもう学校が始まるというのにぐったりしているなのはを見ていると、さすがにまずいんじゃないかな、と思わずにはいられない優喜。
「そうは言うがな、優喜。この調子であんな危ない技能を振り回すのは、まずすぎるぞ。親として先輩として、見過ごせる問題じゃない。」
「そもそも、御神の技がどうとか魔法がどうとか以前に、この程度の鍛え方で実戦を続けてるなんぞ、話にもならん。」
士郎と恭也の意見は、当初から優喜が感じていた事ではある。それ自体に反論する気はないのだが……。
「とりあえず、平日はもうちょっと朝の訓練緩くしないと、なのはの成績が凄く下がりそうなんだけど……。」
「一応、オーバーワークにならないようには配慮したんだが……。」
「その限界ぎりぎりを狙っちゃまずいでしょ。」
「今現在実戦に出ている以上、可能な限り早く鍛えないとまずいんじゃないかって思ってな。それに、恭也も美由紀も、そこまでやっても普通に学校行ってるから、なのはも大丈夫だと思ったんだ。」
「二人とも、最初からそんな限界いっぱいまでやってなかったんじゃないか、と思うんだけどどう?」
「俺はともかく、美由紀はさすがにいきなり限界を狙ったりはしてなかったな、確か。」
やっぱり、とため息をつく優喜。正直なところ、本当の限界までもう少し余力はあるだろうが、こんな序盤からいきなりそこまでやっても、あとが続くまい。なんにしても、シャワーを浴びるような体力はなさそうだし、二人をなのはの部屋のベッドにでも放り込むことにする。
「でもさ、なのはもフェイトもすごいよね。」
「だね。僕としては、もうそろそろ一度投げだすかと思ったんだけど、二人とも全く逃げる気はないみたいだ。」
半ば意識を失い、士郎に抱えられているなのはと優喜に担がれているフェイトを見て、しみじみつぶやく美由紀。普通、このレベルのしごきがいきなり始まったら、三日と言わず初日に逃げ出してもおかしくはない。なのに二人とも、弱音の類を一度も口にしていない。たぶん、お互い相手が頑張ってるのに、自分だけ折れるわけにはいかない、という義務感とも意地ともつかない感情に支えられているのだろう。
旅行から帰ってきて三日目。なのは達が正式に士郎の弟子になってから三日、でもある。なのはの方は適正の問題もあって、早々に御神流そのものの習得は断念したが、御神の剣をベースにしたガンナー育成講座は、確実に彼女の血肉になっているだろう。フェイトは小太刀二刀流をこなす器用さは無いが、御神流の思想である兵は神速を尊ぶ、という考えとは非常に相性がよろしい。
二人が士郎に師事してまだ三日。だが、その三日の内容は、少しずつではあるが、彼女たちを着実に強くしていた。
小太刀の一撃を脇腹に受け、崩れ落ちるフェイト。それを見たとき、プレシアは思わず声をあげてしまった。体はアリシアの成長した姿だ。いくら日頃虐待している自覚があるとはいえ、他人に容赦なく殴られる姿は、見ていて気持ちのいいものではない。
「まったく、魔導師でも無い相手にいいようにやられるなんて、情けない……。」
仕込みが甘かったかと、思わず反省の弁が漏れる。だが、それ以前の問題として、高町親子のやり方もどうかともちらりと思う。人の大切な娘を、たかが訓練であそこまで容赦なく殴らなくてもいいのではないか。
「大切な娘、ね……。」
一瞬頭をよぎった言葉を、自嘲気味に吐き捨てる。あくまで大切なのは体だけだ。あれが娘、など虫唾が走る。自分でもそろそろ信じていない事を、プレシアは無理やりそう思い込む。
旅行から帰ってきて、土産物と一緒に土産話をしようとしていたフェイトと、つい一緒に食卓を囲んでしまったのが最後だった。我ながら狂っている、と思いながら十数年ぶりに、アリシアに作ってあげたポトフを気まぐれに作ってフェイトに振舞ったら、フェイトは実に美味しそうに幸せそうに食べていた。アリシアと比べると食の細い娘が、お代りまでして食べようとしたのだ。その姿に作り手としての喜びを思わず感じながら、また作るから無理に食べようとするな、とたしなめたのが三日前の事。
皮肉なことに、邪魔な介入者のおかげで、自分とフェイトは、本来の正しい親子の姿に近づいてしまったのだ。あの夜のアルフの胡乱な視線が忘れられない。自分だって、おかしなことをしていると思っているのだ。今までの姿を見ているアルフが、何かあると勘繰るのも当然だろう。自分でも、本気で狂っていると思う。
「まったく、何でいまさら……。」
記憶の移植に失敗し、感情らしい感情を見せなかったフェイト。アリシアには無かった魔導師資質を持ち、効き腕をはじめとした大小さまざまな違いを持った失敗作。プレシアとアリシアの思い出を何一つ覚えておらず、そのくせ愛されたというおぼろげな記憶だけはきっちりと受け継いだ、図々しい生き物。
フェイトはそんな生き物だったはずだ。今回の件が始まるまで、あれの口からは一度だって、自分に対する愛情を語る言葉は出てこなかった。いつも陰気な顔をして、無表情ながらおどおどびくびくと人の顔色をうかがい、こちらの期待に何一つ応えなかったダメな人形。
そのフェイトが、ポトフの話を聞いた時を皮切りに、どんどんといろいろな表情を見せるようになった。言い訳と、捨てられることを恐れるすがりつくような言葉以外吐き出すことは無かった口からは、プレシアの体を気遣うような言葉が次々と飛び出すようになった。それも、腹が立つことに、どんなにひねくれて受け取ったところで、本心から言っているようにしか聞こえないのだ。
最初から、そう最初からああだったら、もしかしたら自分達はちゃんと親子だったのかもしれない。もしアリシアがいれば、どんなにフェイトが愚図だったとしても、ちゃんと娘として愛せたのだろう。そんな益体も無いことを考え、思わず一つため息をつく。
「なんにしても、計画は少し変更した方がよさそうね。」
もはや常食の一つとなりつつあるシュークリームにかぶりつきながら、微妙に回らない頭で考える。今更ながら、あまり犯罪的な方法でアリシアの蘇生を目指すのはまずい、などと思い始める。理由は簡単。そんな方法でアリシアを取り戻しても、本人がそのことを受け入れない。本当に今更、そんな当たり前の事に気がついたのだ。
さらに忌々しいことだが、フェイトを犯罪者にするのもまずい。プレシア自身は、フェイトなんてただの捨て駒だと思う(思いこもうとしている)のだが、心やさしいアリシアはそうは思うまい。本当に忌々しい事に、あれを妹として受け入れ、可愛がる可能性がある。それも結構高い可能性だ。
都合がいい事に、輸送船に対しては、プレシアは一切手を出していない。手を出そうとタイミングを見計らっていたところ、海賊船が勝手に襲撃をかけたのだ。もちろん、プレシア達も襲われかけたが、殲滅こそしなかったものの、きっちり返り討ちにしている。そして、現状のフェイトの立場は、単なる善意の第三者の域を出ない。腹立たしいが、介入者の小僧のおかげで、プレシア達がこの件で犯罪者になることを避けられたのだ。
ならば最悪、直接持ち主のフェレットもどきと交渉し、使わせてもらうという手もありだろう。後の懸念は、最近発作の間隔が短くなってきたこの体だ。
「さて、私の体が、最後まで持ってくれるといいのだけど……。」
リニスが首尾よく、自分の病の新薬とやらを調達してきてくれることを祈るしかない。計画の修正案をいろいろ検討しつつ、プレシアはアリシアを取り戻した後の事を考えるのであった。
「なのは、大丈夫?」
「……正直、授業はちょっときついかも……。」
歩きながらうつらうつらしているなのはを、アリサとすずかが心配そうに見ている。ユーノが治療してくれているので、体の痛みは大したことは無いが、とにかく疲れがひどい。プロテクションとバリアジャケットがいくら優秀でも、恭也の攻撃力とスピードで何発も殴られると、魔力と一緒に相当のスタミナを持っていかれる。
しかも、恭也は器用に、プロテクションとバリアジャケットを抜きつつ、なのはの体にダメージを与えないやり方で衝撃を通してくるのだ。これがまた痛くて、スタミナと集中力を容赦なく削っていく。防御に優れるなのはでこれだ。優喜からもらった防御強化の指輪をしているとはいえ、基礎の防御力が低いフェイトはもっときついだろう。
「ねえ、ゆうくん。士郎さん達、そんなに厳しいの?」
「もはや鬼の領域。よく二人とも根をあげないもんだ、としみじみ思うレベル。」
「優喜でもそう思うの?」
「うん。まあ、僕がやってるメニューよりは数段軽いのは軽いんだけど、さすがにいきなりなのはに適用するのはどうかと思ってはいる。」
寝落ちてつんのめったなのはを受けとめながら、苦笑がちにすずかに告げる優喜。今日一日、なのはは悪い子になりそうだ。
「ただ、この分だと、僕が教えようと思ってた武術の技、意外と早く教えられそうな気はする。」
「へえ? どんな技?」
「発勁って知ってる? 中国武術とかでよく聞くと思うんだけど。」
「一応、名前ぐらいは聞いたことはあるわね。どういう技なの?」
アリサの質問に、どう説明すると分かりやすいかを考える。原理については、正直優喜も理解しているわけではない。気功も含めて、こうすればこうなる、という感覚的な理解でやっている部分が結構大きい。
「えっとね、見た目の上では、ほとんど体を動かさずに打てる打撃、という感じかな?」
「優喜、それで理解してもらえると思うの?」
「他に言いようが無いんだって。アリサもすずかも護身術程度には、武術のたしなみはあるよね?」
「ええ。段を取れるほど熱心にはやってないけど、同い年のずぶの素人には負けない程度にはね。」
「大体の打撃って、ある程度大きな動作と、それをするための距離がいるよね?」
「ええ。」
たしなみ程度の技量で出来る動きだと、一番小さなものでも肘打ちぐらい。それなりの威力を出そうと思うと、よほどうまく体重をかけるか、それなりの大きさの動作でスピードを乗せる必要がある。
「発勁ってのは極端な話、最初から触れてる状態でも打てる打撃なんだ。もっとも、打ち方や衝撃の徹しかたでいろいろ種類があるんだけど、総じて、達人がやると見て分かる予備動作がほとんどない。」
「そういう攻撃方法って、非常に胡散臭く感じるけど、アンタが出来るって言うんだったら出来るんでしょうね。」
「うん。才能とか関係なく、普通にやって十年ぐらい修行すれば、大体打てるようになる、とはとある八極拳の師範の言葉。」
「十年って……。」
無論普通にやるつもりはないのだが、あまり即席でやると、筋を痛めたりしかねない。反復練習の取っ掛かりとして、うまく打てた場合の感触を教え、後はひたすら型打ちをやって、体づくりと並行で進める前提である。無論、なのは達の場合、魔法での肉体強化を入れる前提だ。
「でも、ゆうくん。今でもなのはちゃん、そんなにぐったりしてるのに、これ以上カリキュラムを増やして大丈夫なの?」
「もうちょっと様子を見て、今の生活で寝落ちないようになったら、って考えてる。」
「優喜、アンタの方は大丈夫なの? 言っちゃなんだけど、アンタ献血した直後みたいなもんなのよ?」
「稽古の量は問題ない。ただ、やっぱり二刀流は難しいよ。素振りもうまく出来なくて苦労してる。」
二刀流は大前提として、左右の武器を同じように扱えないといけない。右で出来ることは左でも、左で出来ることは右でも、左右対称になるように出来るようになっていないと、そもそも武器を二本持つ意味が無い。二刀流と言っても、一部の型を除いて、左右の刀で同時に攻撃することはまず無いとはいえ、それが右に比べて左の動きが鈍いことの言い訳にはならない。
「まあ、恭也さん達も、練気のコツをつかめなくて苦労してるみたいだけど。」
気功の基礎の基礎、気を感じる、流れに触れる、という行程については、長年剣術をやってきた、気配に鋭い御神流門下生よりも、魔力という不可視のエネルギーと日常的に接している魔法少女組の方が、コツをつかむのは早かった。意外な副次効果として、今までより魔力の回復・チャージが少し速くなったため、むしろ彼女たちにはこちらの方が、短期間でのパワーアップにはつながっているようだ。
「訓練自体はもともと、時間をかけて身につける前提の事をやってるから、すぐに芽が出ないのは問題ないんだ。問題なのは、学校に行ってないフェイトはともかく、なのはがね……。」
気がつくと、完全に寝落ちながら器用にふらふら歩いているなのは。会話に絡んでこないと思ったらこれだ。
「いっそ、今日は休ませた方がよかったんじゃない?」
「そう言ったんだけどね、本人が強情にも学校に行く! って妙に気合の入った言い方で宣言してね。」
ふらふらと電柱のほうに歩き始めたなのはを捕まえ、通学路に引き戻しながら優喜が答える。
「それで、フェイトちゃんは?」
「とりあえず、なのはのベッドに寝かせてきたから、昼ごはんぐらいまで寝て、それからジュエルシードを探しに行くんじゃない? 昨日もそうだったし。」
「いいご身分ね、とは言えないのがつらいところね……。」
あの生真面目なフェイトが昼ごろまで寝る、ということは、そこまできつい訓練なのだ。本当に、小学生の鍛え方としてどうなのかと、士郎あたりを小一時間ほど問い詰めたい。
「ゆうくん、なのはちゃんどうにかならないかな?」
このままだと危ない、というすずかの言葉に少し考え込む優喜。
「こっそりユーノに来てもらって、疲労回復の魔法で授業の間だけごまかす、ぐらいしか無いなあ……。」
「それ、最初からやらなかったの?」
「魔法にしても気功にしても、急激な回復って、あんまり体によくは無いからね。」
魔法による回復は、使いすぎると本来持っている体の回復力を落としてしまう。疲労回復の場合、今の疲れが取れる代わりに疲れやすい体になる可能性があるのだ。正直、それでは本末転倒だろう。
そして、他人が軟気功で気による干渉をおこなうケースでは、緩やかに時間をかけてならともかく、急激な回復は体のあちらこちらに負担をかけることがある。ちょっとした肩こりとかその程度ならともかく、今のなのはのように体の芯まで疲れがたまっているような状態だと、どこにどんな負荷をかけるか分からない。その負荷を術者が引き受ける手段もあるにはあるが、正直そこまですることか、と言われると微妙だ。
「とりあえず、学校に着いたら、保健室のベッドに放り込んでくるよ。多分最初から休ませろ、って小言は言われるだろうけどね。」
「そうね、任せるわ。半日ぐらい寝たら動けるようになるんでしょ?」
「まあ、そんなところ。」
「じゃあ、ちゃんとノートを取ってあげないとね。」
友人たちの優しいフォローのおかげで、大過なくとはいかなくともとりあえず無事に、連休明け初日を乗り越えることができたなのはであった。
ジョージ・ワイズマンは暗い喜びに浸っていた。日本に、彼が人生をささげた仕事の獲物、それも純血種がこそこそ隠れ住んでいるという、確かな情報を得たのだ。奴らは秘密を知った人間の記憶を消して回るため、足取りを洗い出すのは簡単なことではない。だが、それでもどんな秘密でも、漏れるところからは漏れるのだ。
正確な所在地は分かっている。得意とする得物を日本に運びこむのには苦労したが、それもどうにかクリアはした。あとは奴らの住む街へ行き、片っ端から始末するのみだ。路線図とアナウンスによると後二駅。日本で通用する運転免許を持っていないため、居場所探しは自分の二本の足に頼らざるを得ないが、どちらにせよ、土地勘が無いのだから、車をはじめとした足を用意しても、迷走する距離が延びるだけだろう。
(しかし、何度来ても、日本の鉄道の正確さには驚かされる。)
事故でもない限り、一分は遅れないのだ。他の先進国と呼ばれる国でも、いまだにここまで正確な運行をする鉄道網を維持する国は無い。時間に正確だと歌われる国の鉄道でも、五分十分は普通に狂うのだから、ここまできっちりしているのはもはや、一種の狂気だ。
(WW2でステイツが原爆を二発も落とし、泣きついてロシアを引っ張り出したのも、頷ける話だな。)
武士道精神は過去の遺物となり、かつての高潔な魂はもはや地に落ちたと言われる日本だが、それでも化け物を狩るために幾多の国を訪れたジョージから見れば、この国の国民性はまだまだ誠実で高潔な方に入ると言える。さすがに確実にとまでは言えないが、財布を落として高確率で自分の手元に無事に帰ってくる国など、日本以外には存在しない。
食事やホテルで盗難を気にしなくていい、などというのは、それこそ天国のような環境だ。窓口の役人が決められた手数料以上の金銭を要求してこない国の、どこが政治が腐敗しているというのだろう。治安が悪いというのであれば、そもそも信号などだれも守らない。
(物価の高さと排他性が難点だが、やはり隠居先は日本が一番だな。)
そろそろ三十路も折り返し、化け物と渡り合うのもつらくなってきたジョージ。ハンターの仕事は、引っ張ってもあと五年程度と踏んでいる。その後、後進を育てたりなどを考えても、六十歳ぐらいには引退して隠居だろう。今から行く海鳴という土地の雰囲気が良ければ、そこに居を構えるのも悪くないかもしれない。
「ふむ、ついたか。」
出発駅で表示されていた目安時間ぴったりの到着。やはり、日本の鉄道は優秀だ。物騒な獲物がいくつも入ったカバンを抱えなおし、ジョージは海鳴駅へと降り立った。
「本日はたいへんご迷惑をおかけしました……。」
結局フェイトと同じように、昼休み直前ぐらいまで保健室で眠りこけたなのはが、真っ赤になりながら友人たちに謝る。
「やっぱり、今日は素直に休んだ方がよかったんじゃない?」
「でも、優喜君、前に言ってたよね?」
「何を?」
「疲れた、とか、しんどい、とか感じるうちは、本当の限界じゃない、って。」
「あ~……。」
言った。確かに言った。だが、その領域に至るには、そもそも日頃から体をいじめるのに慣れる必要があるわけで……。
「優喜、結局アンタが余計な事を言ってるんじゃないの。」
「まあ、そこは認める。けど、本来、なのはみたいな、鍛え始めたばかりの人間に適用するような話じゃないんだけど……。」
「それにつきあうフェイトちゃんも、大変ね。」
「まったくだ。」
とりあえずこの件に関しては、本来もっとゆるいところからスタートすべきなのに、いきなりスパルタに走る高町親子が一番問題だろう。
「それで、なのは。」
「何?」
「筋肉痛は大丈夫?」
「昨日一昨日に比べたら、ずっとましになったよ。」
「それはよかった。というかなのは、案外タフだよね。」
「最近は、頑丈さだけが取り柄です。」
意外と平気そうななのはを見て、今のトレーニングが余裕になる日も近そうだ、と顔を合わせて苦笑する三人。
「それで、ゆうくんたちは、今日はこれからどうするの?」
とりあえず、鬼軍曹のしごきの話を延々としていても仕方が無い、ということで、話題を転換するすずか。
「僕となのはは着替えてから翠屋に行って、フェイト・はやてと合流。はやての家で一度、気功と魔法ではやての体を調べる予定。」
「それは興味深いわね。私たちも今日は習い事は全部お休みだし、一緒していいかしら?」
「はやてしだいだけど、僕は構わないよ。」
「私も、はやてちゃんがいいならいいよ。」
優喜達の言葉で、方針が決まる。一度着替えて翠屋で合流、ということになったところで、一人の白人男性が声をかけてくる。
「少し、よろしいでしょうか?」
「はい。どうかしましたか?」
相手が流暢な日本語で話しかけてきたので、アリサが代表して日本語で返事を返す。基本ネイティブでバイリンガルなアリサが、この集団では一番外国語に強い、という理由だ。因みに時点で、遺跡発掘をはじめとしたいくつかのバイトで、必要に迫られて英会話をマスターした優喜だ。最初は優喜が対応しようとしたのだが、アリサが目で制してきたので任せたのだ。
「海鳴教会を探しているのですが、ご存じないでしょうか?」
「海鳴教会ですか。ここからだと少しややこしいですね。よろしければ案内しましょうか?」
「いえ、それには及びませんが、略図でもいいので、地図を描いていただけると助かります。出来れば、ここからだけでなく、駅からの道も描いていただけると、大変ありがたい。」
「分かりました。少々お待ちください。」
鞄の中からノートを取り出し、現在位置からの地図を描き始めるアリサ。同じくノートを取り出し、駅からの一番分かりやすい道を書き始めるすずか。出遅れたなのはと、まだそこらへんの土地勘のない優喜は、状況を静観している。
男性が、二人の後ろから手元の地図を覗き込む。それに気がついたアリサが、描きながら道順を示す。頷いていた男性だが、突如うめき声をあげる。
「え? 何?」
「ちょ、ちょっとゆうくん!? その手はどうしたの!?」
見ると、優喜の掌から、ナイフが生えていた。
見つけた。自分はついている。ジョージ・ワイズマンは心の底からそう思った。向こうから、ターゲットの一人が歩いてきているのだ。子供の集団。一人は自分と同じ白色人種。彼女の目の前で惨劇を繰り広げるのは、心が痛まなくもない。だが、友達のふりをしているアレの正体を知れば、きっと分かってくれるはずだ。勝手な理屈でそう結論付ける。
実際のところ、ジョージが夜の一族をはじめとした人類の亜種を殺した時、ターゲットの周囲の人間が、その行動を理解し賞賛する確率は一番高い土地でも半分ぐらい。もっとも、残りの半分にしても、正体を知っていて友情を結んだ、とか、正体を知っても友情が変わらなかった、とか言うケースばかりではなく、単にジョージが証拠を見せなかったために信用せず、人殺しとなじっただけ、という場合も多い。
「さて、寝床に戻る前に、一仕事するか。」
袖口の仕込みナイフと、懐に忍ばせた特殊素材の拳銃をさりげなく確認する。相手は未熟な幼生体だ。鞄に仕込んであるような、過剰な装備は必要ない。第一、こんな昼日中に鞄の中身を使えば、自分の手が後ろに回る。残念ながら、あの化け物どもはどうやってか、正規の戸籍を持ち、ちゃんとした市民権を得、堂々と周囲の人間を毒牙にかけている。向こうは人間を害しても罪に問われないというのに、こちらは向こうを殺すと殺人罪に問われる、という忌々しい事実がある。
だが、だからこそ、あの化け物どもは一匹残らず、駆除せねばならない。そんな微かな気負いを隠し、その一団に近寄る。うまい具合に、ちょうど今、人通りが途絶えている。念のために道を確認するふりをして、無関係な人間がいないかを探す。ターゲットの周りの子供も無関係と言えば無関係だが、化け物にたぶらかされるような連中がどうなろうと、知ったことではない。
「少し、よろしいでしょうか?」
「はい。どうかしましたか?」
グループに声をかけたら、白人の少女が礼儀正しく対応してくれる。一人だけ違う制服を着た日本人の少女が前に出ようとしたのを制したところを見ると、英語が必要な可能性を考えた、というのが真相なのだろう。短時間でそこまで考えて対応を決めたのであれば、少なくともこの二人の知的レベルは高いとみていい。
「海鳴教会を探しているのですが、ご存じないでしょうか?」
「海鳴教会ですか。ここからだと少しややこしいですね。よろしければ案内しましょうか?」
「いえ、それには及びませんが、略図でもいいので、地図を描いていただけると助かります。出来れば、ここからだけでなく、駅からの道も描いていただけると、大変ありがたい。」
「分かりました。少々お待ちください。」
言うまでも無く、海鳴教会に用など無い。ここの教会は、ハンターたちとは対立している腰ぬけの一派の息がかかっている。顔を出したところで、余計なトラブルを起こすだけだ。そうでなくとも、今のバチカンは化け物どもと慣れ合っていて、自分達は正義のために働いているというのに、国際的に指名手配されていることも多い。不必要なトラブルは避けるべきだ。
狙い通り、少女たちは地図を描くために手元を見て、こちらから注意をそらしている。実に運のいい事に、ターゲットの幼生体も、地図を描くために手元を見ている。一歩引いた位置で、先ほど最初に動いた少女と、もう一人いた、栗色の髪を両サイドで束ねた日本人の少女が、手持ち無沙汰にこちらを眺めている。
全員の注意をそらせなかったことに不安は残るが、しょせんは年齢一桁の小学生の集団だ。こちらを阻止する能力などまずあるまい。せいぜい、事が起こってから、何があったかを理解するのが関の山だろう。
(まずは一匹!)
ジョージは地図を覗き込むふりをしながら、袖口からナイフを取り出し、ターゲットの頸椎にかけらのためらいもなくそれを突き立てようとする。刃が肉に食い込む感触が手に伝わり、一瞬勝利を、そして即座に狙いを外したことを確信する。次の動作に移る暇もなく、ナイフを持っていた右手に激痛が走り、その痛みが肘に、そして肩に伝染する。
「え? 何?」
突如うめき声をあげたジョージに、戸惑ったような声をあげる白人の少女。
「ちょ、ちょっとゆうくん!? その手はどうしたの!?」
激痛で飛びそうになる意識をどうにかつなぎとめ、幼生体の視線を追うと、一人だけ違う制服を着た少女の左の掌を、自分が持っていたナイフが貫通していた。元々、頚椎の隙間を貫くための、針のように細く薄いナイフだ。小学生の小さな手のひらとはいえ、うまくやれば、骨を避けて貫通させるぐらいは不可能ではない。
「この人が、すずかの首を刺そうとしてたから、ちょっと邪魔をさせてもらったんだ。」
「え……?」
「とりあえず、その右腕は完全に壊させてもらったよ。ついでに、懐の物騒なおもちゃも壊しておいた。」
自分が完全に油断していた事に気がつくジョージ。小学生ぐらいの外見だからと言って、必ずしも見た目通りの実力しかないわけではない。化け物どもの中には、見た目を自在に操るようなのもいるぐらいだ。
「貴様も、そこの化け物の仲間か……。」
「さて、この中の誰が化け物なのかはともかく、僕ごときを化け物呼ばわりは、本物の化け物に失礼な話だ。」
ハンカチで直接触れないようにナイフを引き抜きながら、少女が淡々と答える。いくつかの血管は貫通しているはずなのに、傷口からは大した血が出ない。やはり、ターゲットよりもこっちの方が注意すべき化け物だったようだ。
「もっとも、精神的な意味で言わせてもらえば、小学生の目の前で堂々と人殺しを出来るあなたの方が、よっぽど狂った化け物だとは思うけどね。」
「人間の皮をかぶった害獣を駆除するだけだ! 人殺しなどでは無い!!」
「見た目の問題を言ってるんだよ。中身がどうであれ、少なくとも外見は普通の人間で、しかも意思疎通がちゃんと出来て、そのうえ友人関係にある相手を唐突に目の前で殺されて、ショックを受けない子供がいるとでも思ってるの?」
「化け物である以上、いずれは正しいと理解するはずだ!!」
その言葉にカチンと来たらしい。白色人種の少女が割り込む。
「黙って聞いてればくだらないことを喚き散らして。反吐が出るから、いい加減黙ってくれないかしら。」
「なっ……!?」
「言っておくけど、私は全部知ったうえで、ここにいる皆と友達でいるの。アンタの視野の狭い正義で、勝手に決めつけないでほしいものね!」
「君は騙されているんだ! いずれこの化け物どもにすべてを食らい尽くされて、堕落した魂として地獄に落ちるんだぞ!?」
「それで地獄に落ちるんだったら、私に人を見る目がなかっただけよ。」
「狂ってる!!」
「アンタに言われたくはないわね。」
ジョージのあげた悲鳴を、冷たく切り捨てる白人の少女。その毅然とした態度を見ていると、正しい事をしているはずの自分が、どう見ても悪役だ。
「なんにしても、友達があんたのせいで怪我をしたの。さっさと手当てをしに行きたいの。とっとと警察に行くから、私たちの前でその不愉快な口を、永久に開かないでくれるかしら?」
「正直、左手の痛みとあなたの狂った意見で気が立ってるんだ。これ以上友達の前で戦闘を続けると、十八歳未満お断りのえげつない光景を繰り広げそうだから、おとなしくお縄についてもらえるかな?」
すでにジョージの右腕はあり得ない方向にあり得ない角度でねじ曲がっており、この時点で正視に堪えない状態になっているはずなのだが、自分を邪魔した少女の言い分では、この上があるらしい。
殺される。幾多の化け物を屠ってきたジョージが、初めて死の恐怖に怯えた瞬間であった。右腕の激痛も忘れ、本能に従い左手で小型の催涙弾と煙幕弾を取り出し、少女達の方に転がす。ジョージの右腕を壊した少女が反応するが、彼女が何かをする前に両方が炸裂し、派手に咳き込む声が聞こえる。
(ターゲットを仕留めるまで、死んでたまるか!)
トランクケースを放置し、一目散に逃げる。どこをどう走ったかもわからないまま、恐怖に駆られて山の中に飛び込む。冷静さを取り戻したのは、一時間以上走った後だった。
「くっ。ターゲット以外にも、あんな化け物が付いていたとは……。」
茂みの中にへたり込み、思わず悪態をつく。どうにか追手を撒くことには成功したようだが、置いてきてしまったトランクから、足がつくかもしれない。とにかく、あの小娘たちを出し抜いて、この町に現在いる化け物の姉妹を始末する手段を考えねばならない。ターゲットを守っていた、ジョージの腕を壊した化け物は、さすがに単独だと手に余る。今回はあれの始末は見送るしかないだろう。忌々しい話だ。
とりあえずは、応急処置だ。軽々しく医者にかかるわけにはいかないが、蛇の道は蛇だ。こういうケースの時に利用できる医療機関ぐらいは、心当たりがある。まずはそこに行こう、と立ち上がった時に、赤く光る何かを見つける。
「……宝石か?」
明らかに加工された、赤い宝石。こんなところに落ちているのは、不自然極まりない。持ち歩いていた物を落とすには、無理がある。誰かが投げ捨てない限りは、普通こんな道から外れた茂みの中に転がり込む、ということは無いだろう。
「まあ、拾っておくか。」
金銭や宝石にはそれほど興味の無いジョージだが、金は無いよりあった方がいい、と考える程度には現実的だ。今回は予想外の出費もかさみそうだし、換金できそうなものは、あって困らないだろう。無造作に拾い上げると、赤い光が強くなったような気がする。
「さて、いつまでもここにいるわけにはいかんな。」
まずは医者だ。この右腕はもはや二度と使い物にならないだろうが、せめて痛みをなくして、邪魔にならないように固定ぐらいはしておかないと、戦闘にならない。ジョージは心の中で憎悪を募らせながら、当てにしている医療機関まで歩き始めた。自身の身に起こった異変に気づかぬままに……。
「優喜君、えらい遅かったやん。ってみんなそろってどないしたん?」
「優喜、その左手、どうしたの!?」
左手に巻かれた包帯を見て、フェイトが顔色を変える。ちなみにこの包帯、ジョージが逃げた後、優喜が傷口を隠すために、自分で巻いたものである。当たり前のように鞄からガーゼと包帯を取り出した優喜に、何で普通にそんなものを持ち歩いているのか、と全員から突っ込まれたのはここだけの話だ。
結局、着替えとか悠長なことを言っている状況ではない、ということで意見が一致し、その後全員でなのはの家へ移動、とりあえずユーノ治療魔法で応急処置、そのまま翠屋に移動したのだ。包帯を解いていないのは、まだ傷口がふさがっただけで、いつまた開くか分からないから、という理由である。
「ちょっと、いろいろあってね。士郎さん、今、仕事外せる?」
「ん? ああ、もうちょっとだけ待ってくれ。もう少ししたら、休憩に入れる。」
「了解。」
優喜の左手と他の人間の様子から、ただならぬ何かがあったことを察した士郎が、とりあえず自分が抜けられるように段取りを整えに厨房に戻る。
「それで、結局どないしたん?」
「すずかの事で、ちょっとね。悪いけどはやて、今日は中止にさせて。」
「私の方は、検査とぶつからへんかったらいつでもええんやけど、なんかみんなして雰囲気が物々しいなあ。」
「とりあえず、詳しい話は士郎さんが来てからまとめてするよ。場合によっては、場所を変えないとまずいし。」
優喜の言葉に、真剣な顔でうなずく聖祥組。
「それですずか、忍さんは何て?」
「全員狙われる可能性があるから、今日は出来ればうちに来てほしいって言ってた。恭也さんも今日は泊ってもらうって。」
「じゃあ、今晩と明日の朝のなのはの訓練は中止かな。」
「狙われるって、ほんまに物々しいなあ。」
「そりゃもう、さっきばっちり襲われてきたところだし、ね。」
士郎がこちらに戻ってきたのを確認し、優喜があっさり告げる。さすがに、その言葉に顔色が変わるフェイトとはやて。
「襲われた、って、アリサちゃんが言うとった、下らん理由ってやつで?」
「うん。で、士郎さん。さすがにここでこの話はいろいろまずいと思うんだけど、場所移していい?」
「そのつもりで、今日は早退してきた。二度手間になって悪いんだが、うちに帰ろう。」
「了解。」
とりあえず、月村家への手土産として適当に詰めた菓子を手に、士郎が先導する。そのあとを黙ってついていく小学生達。客の注目を集めながら、ぞろぞろと店を出て行き、ぞろぞろと商店街をぬけ、高町家の道場に入る。リビングが人数に対して手狭だというのもあるが、レイジングハートの映像を投影したりするなら、広い空間が必要だ、というのも理由の一つだ。
「……この顔、見たことがあるな。レイジングハート、こいつの顔を静止画として、こちらで使える形式のデータで出力できるか?」
レイジングハートが映す一部始終を見て、猛禽のごとき鋭い目で士郎が聞く。
『問題ありません。』
「じゃあ、頼む。さしあたっては俺の携帯かなのはのパソコンだな。この場合、両方が確実か。」
『了解しました。』
「とりあえず、あの怪我ならすぐには襲ってはこないだろうが、仲間がいたら厄介だ。こいつの背後や今回の襲撃の規模が分かるまで、念のために一週間程度は、月村家に世話になった方がいいだろうな。」
月村家はバニングス家すら足もとにも及ばないほど、セキュリティの面ではしっかりしていて物騒だ。あんな軍事要塞みたいな設備が必要なのか、とは関係一同の率直な感想ではあるが、今回はその過剰な防衛能力が役に立った形だ。
「それはええとして、優喜君。」
「ん?」
「ナイフの防ぎ方、他にやりようなかったん?」
「とっさだったし、変にはじいて誰かに当たったらまずいと思ったんだ。それに、刃物を確実に封じる方法は、何かに突き刺すことだし。」
「……だとしても優喜、友達が怪我をするのを見て、平気な人間はいないんだよ?」
「……ごめん。」
よもやフェイトに諭されるとは思ってもみなかった優喜は、素直に謝るしかない。普段ならここで茶化す言葉が入るのだが、今回は全員同じ気持ちだったらしく、非難の視線が集中するのみである。
「とりあえず、その事は今後の反省ってことにしてさ。」
ユーノが空気を変えるために口をはさむ。済んだことで非難していてもはじまらないし、もっと大事なことがあるのだ。
「むしろ問題なのは、月村家の事が、どこから漏れたか、だと思う。士郎さん、そういうのって、調べられるの?」
「簡単ではないが、昔の伝手を使えば何とかなる。それに、事が事だから、今頃忍さんから綺堂さんに連絡が行っているだろうし、そっちの方からも調査するはずだ。」
「綺堂さん?」
「綺堂さくらさん、って言って、私とお姉ちゃんの叔母に当たる人なんだ。叔母さんって言っても、まだ二十代半ばなんだけどね。」
優喜の疑問に、すずかから補足が入る。なるほど、と納得した優喜を置いて、次の話に移る。
「漏洩ルートに関してはまあ、早くても今日明日言う話やないからええとして、や。もしかして、私もすずかちゃんちにお世話になった方がええん?」
「そこが難しいところなんだ。」
「正直、判断に困っている。はやてちゃんは完全に無関係だし、顔も割れていない。下手をすると余計なトラブルに巻き込まれるだけ、なんだが……。」
「僕達のラインから交友関係を調べられると、あっさり存在が割れるから、一緒にいた方が安全かもしれない、って言うのはあるんだ。」
「それやったら、私もすずかちゃんちにお世話になるわ。恭也さんと優喜君には負担になるかもしれへんけど。」
「そこは気にしないで。」
はやての身の振り方も決まる。後は準備をして移動、という段になったところで、フェイトが口をはさむ。
「私も行く。」
「え?」
「さっき映像で見た範囲だと、私も十分戦力になれると思うんだ。私となのははバリアジャケットも防御魔法もあるから、小口径の拳銃ぐらいだったらかすり傷一つ負わないし、あの男の身のこなしは、私の目でも見切れる程度だった。」
自分が役に立つ、ということを必死にアピールするフェイト。その眼には、いいところを見せようというよこしまな心は一切なく、ただひたすら優喜に対する不安だけが宿っていた。
「それに、また見てないところで優喜が同じようなことをするのは嫌だ。私でも、少なくともアリサとはやてに対する盾にはなれる。優喜の負担を少しぐらいは減らせる!」
「……分かった。あんまり普通の人間相手に切ったはったをしてほしくは無いけど、それを言い出したら、僕も同じことを言われるだろうし。それに、君もなのはも、言い出したら聞かないから。」
「フェイトちゃん、ジュエルシードはいいの?」
「今は、すずかの事が優先。」
ゆるぎない瞳ですずかに答えるフェイト。
「まあ、話決まったんやったら、さっさと準備してすずかちゃんちに行こか。」
「そうだね。取りあえず、はやてはいったんアリサのうちの車で家まで連れて行ってもらって、準備してから一緒にすずかの家に来てもらおう。フェイトは一度着替えとか取りに帰ってもらって、ここで合流、ノエルさんの車で移動、かな。」
「着替えは大丈夫。夜の訓練の後で、ここで着替えさせてもらうつもりで持ってきてる。ただ、歯ブラシとかは用意してないけど……。」
「歯ブラシは、うちに新品がいっぱいあるから、それをつかって。」
どうやら、準備が必要なのは優喜たちだけのようだ。それから程なくして、優喜となのはの準備が整ったところで、ノエルの迎えが到着。割りと早く、彼らは月村家に揃ったのであった。
ジョージは、自分の体の異変に気が付いていた。砕かれた右腕が、いつの間にかまともに動くようになっており、やたら体が軽くなっている。今まででは考えられないほどのスピードで走れ、ありえないパワーが全身にみなぎる。
「やはり、あいつらを成敗せよと、神がおっしゃっているのだな!!」
みなぎる力だけではない。自分の腕を破壊した奴らの居場所が、なぜか手に取るように分かる。小癪なことに、全員で一箇所に集まっているようだ。各個撃破を恐れたのだろう。だが、こちらにとっては好都合だ。
「化け物どもめ! まとめて始末してくれる!!」
気合の声と共に、ジョージはビルからビルへと飛び移る。この力があれば、世界中の化け物どもを、いやそれをかくまっている連中も始末できるはずだ。
ジョージは、気が付いていなかった。己の心の中の、特定の感情だけが不自然に増幅されていることに。
「優喜……。」
「どうしたの、フェイト?」
「ジュエルシードが発動した。」
「……また間が悪い……。」
頭を抱える優喜。優喜のセンサーに引っかからないということは、探知魔法で調べたのだろう。つまるところ、結構な距離があるということだ。
「なのはは気づいてた?」
「全然。私は今日はサーチャーは飛ばしてなかったし。」
「ユーノは?」
「こっちは屋敷の周りにサーチャーを飛ばしてるだけ。」
「なるほど。それでフェイト、反応はどのあたり?」
「それが……。」
少し言いよどんで、意見を聞くように事実を告げる。
「こっちに……、一直線に向かってきてるの……。」
「……え?」
「優喜、なのは、ユーノ、どう思う?」
フェイトに振られて、真剣に考え込む二人。いくつかの可能性の中に、考えたくない可能性が混ざる。
「まだ、こっちに向かってる?」
「うん。まったくぶれずに真っ直ぐに。大分距離が近くなってきた。」
「……やな予感がする。というか、もし予想通りだったら、運命って奴に悪意を感じるよ。」
「……私は優喜君が関わった以上、普通に起こるかな、って思ってるけど……。」
「というか、今までのパターンからして、一番考えたくない結果を予想しておいたほうがいい。」
「なのは……、ユーノ……、何気にひどいね……。」
などと軽口を叩き合う暇もなく、フェイトが緊張した声で二人に告げる。
「優喜、なのは! 距離が残り一キロをきった!!」
「外に出てた方がいいかもしれないね。」
「うん。」
「アルフは念のために、すずか達のところに行ってて。」
「了解。」
全員の意見が一致、正面玄関から庭に出ることにする。途中、研究室から出てきた忍と遭遇。
「どうしたの、ぞろぞろと?」
「ジュエルシードがこっちに向かってきてるんだ。」
「……嫌な予感しかしない話ね。」
「だから、念のために、ね。」
「分かったわ。無理はしないでね。」
忍の言葉に手を上げて答え、入り口で待っていた恭也と合流する。このころになると、優喜にもはっきりとジュエルシードの気配が感じられる。距離から言って、恭也も気が付くぐらいだ。
「……妙な気配がしているようだが、例のジュエルシードか?」
「うん。……参ったな。こんな短時間でこんなに近くまで来るなんて……。」
突然、庭で爆発音が起こる。一分ほど爆発音が続き、爆炎と粉塵の中から、見覚えがある顔をした異形が現れる。
「本当に、こういうお約束は絶対外さないんだよなあ……。」
「こいつか?」
「うん。一番当たってほしくないパターンで当たったっぽい。」
異形と化したハンターの顔を見て、顔をしかめながらぼやく優喜。どうせこうなる運命だ、といわんばかりに首を左右に振って、構えを取る恭也。
「さて、ジュエルシードとやらがどの程度厄介か、ひとつ試してみるか。」
「ちぃ!!」
左腕の一撃で派手に弾き飛ばされた恭也が、顔をしかめてうめく。ダメージは受けないが、パワーでは完全に負けている。
「邪魔だ!!」
恭也に追撃を入れようとしたハンターが、その腕を途中で止める。
「なのは!?」
「この程度の攻撃じゃ、私の防御は抜けないの!」
なのはのラウンドシールドが、ハンターの攻撃を完全に受け止めていた。数秒間の膠着状態の後、飛びのくハンター。
「どうしてこんなことするの!?」
「害虫を殺すのに、理由が必要か?」
その回答に、思わず絶句するなのは。回答内容もだが、その表情がたまらなく怖い。勝ち誇っているとか、狂気にとらわれているとか、そんな分かりやすい表情ではない。なぜとがめられているのか、まったく理解していない顔だ。
どうがんばっても、この男とは意思が通じることはない。なのはをしてそんな絶望にとらわれる。なのはの気勢がそがれたと見たハンターが、再びなのはに踊りかかる。またもラウンドシールドに阻まれ、もう一度離脱する。
「フェイトちゃん!!」
「フォトンランサー!!」
離脱先に殺到する光の槍。それを右腕を一振りして迎撃すると、フェイトのほうに突撃をかける。いつの間にか、右手には大降りのナイフが握られている。
「おそい!!」
バルディッシュであっさり受け流し、長柄の武器とは思えない取り回しの速さで反撃を入れる。わずかに逸らされたが、浅手を負わせることには成功する。魔力で威力を増幅した石突で突き飛ばし、そろそろ来るであろう砲撃に備えて離脱する。
「ディバインバスター!!」
「ちぃ!!」
予想通りのタイミングと角度で、極悪なエネルギー量の桜色の破壊光線が空間を薙ぐ。反射的に射線から身を逸らすハンターだが、直前のフェイトの一撃でバランスを崩していたこともあり、完全には避け切れない。
「魔女どもめ……。」
「えっ……?」
光の中から、左腕が完全に消滅したハンターの姿が現れる。その姿に戸惑うなのはとフェイト。
「なのは、ちゃんと非殺傷にしたの!?」
「し、してるよ! そもそも非殺傷設定を外した事って、一度もないし!!」
ユーノの突っ込みに、思わずあたふたしながら答えるなのは。ハンターから完全に注意がそれる。その瞬間を見逃さない程度には、相手も戦いなれている。
「もらった!!」
「「させるか!!」」
優喜がハンターとなのはの間に割り込み、体当たりで弾き飛ばす。弾き飛ばされたハンターの体を、恭也が鋼糸で絡めとる。あわせて数秒程度ではあるが、完全に動きが止まるハンター。その隙を逃さず、神速から射抜、虎切と一気につなぐ恭也。
「やはり硬いな……。動きはたいしたことないが、この硬さでは俺はほぼ戦力外か……!」
フェイトが入れたよりも浅い傷しか入らなかったことに、舌打ちをする恭也。やはり、基本的に徹で内部にダメージを入れるしかなさそうだ。
正直、瞬発力が上がったためスピードは増しているが、もともとから相手の動きはせいぜい達人どまりだ。すでに真っ当な人間の限界を数歩踏み越えている優喜や恭也はもとより、その優喜に鍛えられ、恭也にしごかれたなのはとフェイトでも、スピードが増した程度なら十分に対応しきれる。
「というか、おかしい……。」
体当たりのときの感触から、嫌な予感がする優喜。そもそも、なのはが人間相手に非殺傷設定を忘れるなど、ありえない。しかも見ると、いつの間にか吹っ飛ばされた腕が再生している。
「ユーノ! 相手の体の状態を調べて!」
「分かった!!」
とにかく、なのはの砲撃を直撃させてはいけない。優喜は、エネルギーの流れを確認する。
(どういうことだ?)
昼間見た、相手の固有の気が大幅にゆがんでいる。そもそも、人間としてすでにありえない気の流れになっている。前回のすずかのときは、すずか自身のエネルギーとジュエルシードのエネルギーは、反発しながら融合しようとしていた。だが、目の前のこいつは……。
「っ! 考えてる場合じゃないか!!」
一撃、弾き飛ばすように蹴りを叩き込んで、一番近くの大木に叩きつける。考えるより先に、ジュエルシードがあるであろう位置を確認する。
(ジュエルシードのエネルギーは……、心臓か!)
「ユーノ、どう!?」
「あいつ、ジュエルシードと八割がた融合してる!!」
「そういうことか!!」
だとしたら、なのはの砲撃が直撃するのはまずい。下手をすれば人殺しだ。同じ理由でフェイトも駄目。
(ユーノ、相手を殺さずに切り離したり出来ない!?)
(ここまでだと、正直僕達の手に余るよ……。)
ユーノの、予想したとおりの回答に、舌打ちをひとつ。こうなると、誰がその業を背負うか、だ。なのはとフェイトは論外。いくら精神年齢が高くとも、正真正銘の小学生に背負わせるような種類のものではない。後の選択肢は自分か恭也だが、恭也に任せるということは、助ける努力を放棄するということに他ならない。結論はひとつしかない。
「ディバインバレット! ディバインシューター!」
見ると、さっきのユーノの台詞に危ないものを感じたのか、なのはは砲撃ではなく、弾幕と誘導弾を主体とした戦闘に切り替えている。
「フェイトちゃん!!」
「うん!!」
弾幕で動きが止まったところをバインドで固め、なのはの誘導弾にあわせて切り付け離脱する。さっきの砲撃の結果とユーノの台詞から、非殺傷の魔力刃とはいえ、首を切り落としたら死にかねないので、右腕を切りつけて武器を潰すにとどめる。
「なのは、フェイト! 僕がジュエルシードを切り離すから、封印よろしく!」
「分かった!」
二人がバインドをもう一度重ねたのを見て、一気に距離をつめる。僅かな可能性にかけて、すべての気の流れをもう一度確認する。1%に満たぬ可能性にかけて、全力で気を流し込む。
慎重に気の流れを探り、慎重にジュエルシードを切り離し、慎重にエネルギーをバイパスさせる。大方すべてのラインをジュエルシードから切り離し、エネルギーを逆転させ、不活性化させる。頃合いを見て、ジュエルシードをはじき出すための一撃を入れる。
「破ぁ!」
不活性化したジュエルシードがはじき出される。全力で傷口をふさぎ、抜けていく生命力を補う。だが……。
「無理か……!」
抜けていく生命力の大きさに舌打ちする。手をこまねく暇もなく、息を引き取るハンター。
「優喜!?」
「無理だった……。」
優喜のその一言で、すべてを悟るユーノ。敵とはいえ、死んでしまったものを悼むように目を閉じる恭也。
「え……? どういうこと……?」
「無理って……?」
「途中まではうまく行ったんだけど……。」
彼らの目の前で、ハンターの躯が崩れていく。元々生身の人間の限界を超えたエネルギーを、そのための訓練もせずに体内に受け入れていたのだ。体を形作っていたジュエルシードが無くなれば、維持できずに崩れるのも道理である。
「も、もしかして……。」
「優喜……?」
「……うん。この人を、僕が殺した。」
優喜の言葉を、呆然と聞くなのはとフェイト。ひときわ強い風が吹き、ハンターの体が大きく崩れる。その様子を、魔法少女たちは、ただ呆然と見届けるのであった。