「ティアは、明日のオフはどうするの?」
「そうね。給料明細の内容に寄るけど、服とかその辺の物を買ってこようかしら。」
「そっか。じゃあ、いっしょに行かない?」
「いいわよ。」
体を洗いながら、翌日の予定について話し合うスバルとティアナ。エクリプス事件も大方広報六課の手を離れ、これといって大きな出撃もなく一月ほどが過ぎたある日の事。暦もすでに夏に入り、スバル達新人チームは英気を養うためということで、全員揃って丸一日のオフをもらった。給料日の翌日という、実に気がきいた日程である。
「そう言えば、給料明細って言えば……。」
「そうだね。ティアナちゃん達もそろそろね。」
風呂につかりながらスバルとティアナの会話を聞くとなしに聞いていた二期生の先輩方が、給料明細という単語に食いついてくる。大体いつもの習慣で、広報六課の人間は、給料明細は食事と入浴が終わってから見る癖がついているのだ。
「そろそろって何が?」
「ん~。スバルちゃん達も、ずいぶん芸能活動が増えたでしょ?」
「そうだね。」
「そう言えば、週の半分以上は、レッスンじゃなくて収録とかでつぶれるようになったよね。」
スバルの言葉通り、スターズとライトニングの新人たちも、いつの間にやらレッスンより表に出る仕事が増えた。結構あっちこっちの人間に顔を覚えてもらい、出動の際にも声援をもらう事が随分多くなった。デビューから二カ月程度だが、それなりに大規模なキャンペーンをうってもらっていることもあり、知名度の上がり方は悪くない、とはロングアーチのマネージメント担当の言葉だ。
「だったら、給料明細を楽しみにしてていいと思うよ。」
「そうそう。絶対びっくりするから。」
「はあ……。」
年下の先輩方の言葉に、戸惑いの声を上げるしかないティアナ。楽しみに、といったところで、出撃回数はそれほどでもないし、売れてきたと言っても、広報部以外の同期の新人歌手達に比べれば、頭半分抜けている程度にしか感じられない。楽しみにするほど、特殊手当てがつくとは思えない。
「まあ、ピンとこないのも仕方ないか。」
「あたし達も、初めての時は目を疑ったし。」
自分達の経験をもとに、実に楽しそうに語る先輩達。
「私達であれなんだから、なのはさん達の給料明細を、一度見てみたいよね。」
「あの二人、金銭感覚が結構ずれてるから、一体いくら貰ってるのか気になるな~。」
管理局で一番給料明細が気になる人間、と言えば、ダントツでWingの二人だろう。一時のように毎月新曲を出す、などという真似をすることはなくなったが、それでもいまだに売り上げ一位を取れなかった曲が存在しないのはちょっとした伝説だ。同時にソロの曲を発表した時など、きっちり売り上げが同数だったり、二週かけて交互に一位を取り合ったりと、仲がいいんだか悪いんだか分からない結果を出している。
曲やグッズの売り上げ、テレビやラジオなどの出演回数、出撃時の映像使用頻度がダイレクトに給料明細に反映される広報六課のタレント局員としては、並の専業タレントより数倍はマスコミへの露出が多いなのはとフェイトの特別手当が、一体どれだけ常軌を逸した金額になっているのか、気にならない方がおかしいのである。
「あいつら、ずっと生活拠点が日本だったし、小遣い制でやりくりしてたから、今一歩こっちの金についてはピンと来てねーんだよ。」
なのは達の金銭感覚の話になったところで、丁度体を洗い始めたところのヴィータが口をはさむ。
「親元で暮らしてて、ミッドチルダで金を使う機会もそんなになくて、まともに給料明細を見るようになった頃には二尉ぐらいまで昇進してっから、一般的な基礎給とか手取りとか、あいつら全然知らねーんだよ。」
「親元生活でエリートコースって、給料明細よりも口座の中身の方が知りたい話ですね~。」
「ま、そこはあたしも同感だ。うちと違って、あいつらは返す借金もねーし。」
珍しく軽口に乗ってくるヴィータ。それに気をよくして、どんどん話を振っていく平局員たち。
「なのはさんもフェイトさんも、お料理がすごく上手なのに、野菜とかの値段全然知りませんよね。」
「それはうちも人の事言えねーんだよな。何しろ、食材の類はよっぽど珍しいもんでもねー限り、時の庭園でいくらでも調達できるしよ。」
「うは。それは一般の主婦の皆さんに喧嘩売ってますね~。」
「厄介なのが、下手にスーパーで買うよりも質が良くてうめーんだよな、時の庭園の食材。」
「そうなんですか?」
「オメーらも毎日食ってるだろう? 食堂で使ってる食材、全部時の庭園から仕入れてんだぜ?」
意外な事実に目を見張る一同。確かに、そう、確かに食堂の料理はどれも美味い。生野菜サラダですら、ドレッシングなしでも美味い。これが当たり前になってしまうと、スーパーや惣菜屋の物はドレッシングでごまかしても食べられなくなりそうな代物である。
しかも、それでなくとも素材自体がいいのに、物凄い情熱を持って研鑽に研鑽を重ね、一流といっていい腕を持つなのは達が味付けその他を監修しているのだから、もはや社員食堂(といっていいのかは微妙だが)とは思えないレベルに達している。まだ半年は経っていないが、それでもそろそろ出先の安い食堂の飯はろくなものが無い、と感じるようになりはじめている。
「言っとくけどな。別にテスタロッサ家に便宜を図ってる訳じゃねーぞ。向こうも調子に乗ってプラントつくったはいいが、生産能力が過剰になりすぎてて持て余してっから、業者から仕入れる値段の半額できかねーぐらい安くこっちに流してくれてんだよ。鮮度とか安全性の問題もあっから、そういう保証がしっかりしてる時の庭園から仕入れるのは、別段おかしなことじゃねーんだよ。管理局からしたら、結局あそこも一業者だかんな。」
ヴィータの補足説明に、思わず納得してしまう。確かに、他の地方部隊にしても、隊舎の食堂については部隊権限で、現地の農家などから直接安く仕入れているところがほとんどだ。広報六課の場合、それが時の庭園になっただけなのだろう。
「ま、話戻すとして。流石に連中も二等空尉ってのがエリートだってことぐらいは理解してっから、その月の基礎給と比較して、一般人にとって高いか安いかぐらいは判断してっけど、買うのがせいぜいジュースと軽食ぐれーだったから、物価と給料については、むしろフェイトの使い魔の方が詳しいぐれーだぜ。」
「プレシアさんはどうなんですか?」
「あっちは、もっと金銭感覚が破たんしてんぞ。何しろ、時の庭園じゃ海産物が手に入らねーからって、海洋型の無人世界を買い取ったんだぜ?」
「「「「はあ?」」」」
いくらなんでも、グレートすぎるその金銭感覚に絶句する一同。
「それ、フェイトさんのお金で……?」
「いんや、テメエ自身の収入で、だ。あの人、いろいろえげつねー特許とか持ってるし、テスタロッサ式食料プラントとか売れ行き好調らしいし、そもそも食費いらねーことを考えたら、時の庭園ブランドの加工食品だけでも遊んで暮らせるだけの収入があるしな。」
才能のある金持ち、というのはえげつないものだ。手持ちの潤沢な資金を、その才能で何十倍にもしてしまうのだから。
「勝ち組負け組って言い方は嫌いだが、流石にあれは勝ち組だって思っちまうぞ……。」
「否定できないと言うか、否定する理由が無いって言うか……。」
「まあ、オメーらの給料も、世間一般じゃ勝ち組だ。あんまり特殊例を見て僻んでもいい事ねーぞ。」
さっきの自分の言葉を恥じるように、とりあえず後輩達を慰める。世間一般で見れば、出世速度こそ違えど全員エリートコースに乗っている八神家も十分に勝ち組みなのだが、なのは達の存在と借金のおかげで、いまいち自分達が勝ち組に分類されるという実感が無いヴォルケンリッター。
日ごろ話題に出ないお金の話は、なのはとフェイトが仲よく風呂に入りに来るまで続き、そのまま湯上りにお茶を飲みながら二人をつるしあげる形で第二ラウンドに入るのであった。
「ティア、起きてる?」
「起きてるわよ。入って。」
週明けの番組収録、その内容を再チェックしていると、スバルが部屋に来た。どうせ用事など分かっているのだから、さっさと中に招き入れる。
「明日、どこいこっか?」
「そうね。礼服とかそろそろ作っておいた方がいい、って言われてるから、まずはそこからかしら。」
「あたし、そういう堅苦しいのは苦手なんだけどな~。」
「そんな事言ってないで、アンタも買うのよ。流石に、いつも制服でいける訳じゃないんだから。」
「それは分かってるんだけど~。」
今一どころか今三ぐらい乗り気ではないスバルに、微妙に苦笑するティアナ。一応一着は支給品として広報部の予算で作ってはいるのだが、そろそろプライベートで使う種類の、自身のセンスで選んだフォーマルな服というやつも、一着か二着は用意しておくように、と広報部トップのリンディがら通達があったのだ。それゆえ、財布の中身と相談したうえで、とりあえず祝いの席に出るための物を一着、オーダーしてこようかと考えている。
「とりあえず、予算を決めるためにも、給料明細を見ましょうか。アンタもまだ見てないんでしょ?」
「うん。ティアと一緒に見たかったから。」
「そう言うと思って、アンタが来るのを待ってたのよ。」
この相棒の考えることなど、言われずとも分かっている。暗黙の了解で、お互いの給料明細を同時に開いて見せあう。なお、給料明細によって行動が変わる、というのは単純に、前線に居る局員は毎月、特別手当の額が結構大きく変動するからだ。
「……。」
「……。」
「一桁間違ってる、ってことはないわよね……?」
「……うん、多分……。」
本当に間違えていないか、基礎給や天引きされているもろもろを、先月や異動前の給料明細まで引っ張り出して確認する。税金、年金、管理局共済保険、失業保険、そしてティアナの場合は奨学金の返済。一応公務員である管理局には労働組合が無いため、組合費はない。税金などの天引き額は毎月大きくなっているが、基礎給はちゃんと二等陸士の物だ。
「……ねえ、ティア……。」
「……何よ?」
「……天引きされてるお金が全部、基礎給より金額大きい気がするのは、目の錯覚かな……?」
「……あたしの明細もそうなってるから、錯覚ってわけじゃないんでしょうね……。」
先輩達の言葉の意味を、ようやく肌で理解する。考えてみれば、エリオとキャロには負けたものの、一応デビュー曲が売り上げランキング十位台前半には入っていたのだ。だが、それがどういうことかを給料明細なしで理解するには、二人とも芸能界で動く金銭の額について無知すぎた。
「……明日、出かける前にこれが間違ってないか確認しましょう。」
「……そうだね。」
いくらなんでも、時空管理局という巨大な公的組織が、自分達のような吹けば飛ぶような新米を、こういう形で担ぐとは思えない。だが、それでもこの金額はそうそう信じられるものではない。
「それで、ティア。」
「何?」
「この金額が本当だったらどうする?」
「この収入に見合った礼服を買うしかないでしょうね。」
流石に、お金がある以上、下手な服は買えない。ある程度貯金に回すとしても、多少は見栄を張らないと恥ずかしい事になりそうだ。
「それにしても……。」
「何?」
「こんなに貰った上で、食費も光熱費も寮費もエステ費用もただでいいのかしら?」
「あたし達の稼ぎから出してるらしいから、いいんじゃない?」
ある意味身も蓋もないスバルの一言に、思わず苦笑しながら頷いてしまう。しかし、先ほどの話題ではないが、自分達ですらこれだと言うのに、なのは達の給料明細は本当にどうなっているのだろうか? しかも、それほどの給料明細だと言うのに、普段着は大概ジャージである。ケチっているとか貯金しているとかではなく、素で普段着でおしゃれをするのを面倒くさがっている節があるところが、普段カツカツの給料で生活している年頃の乙女としては釈然としない。
とはいえ、おしゃれに気を使う様子があまりない、という観点で物を語るなら、スバルの方も大概ではある。こっちは典型的な色気より食い気で、服代に回す給料は一文もねえ! という勢いで飯を食い続けてきた、それはそれで年頃の乙女としてはどうなのか、と小一時間ほど問い詰めたくなる人種ではある。
「まあ、何にしても、明日はいろいろ買わなきゃいけなくなりそうだし、今日は早めに寝よ。」
「ええ、お休み。」
とりあえず、いろいろ思うところはあるものの、今ごちゃごちゃ考えても仕方が無いと割り切るティアナ。翌日、自分達の立場がどうなっていたのか、という事をようやく肌で理解することになる事を、この時の彼女達は知る由もなかった。
「あの娘の様子は、どんな感じかね?」
「今のところ、特に問題はありません。チンクを筆頭に、娘達もよく面倒を見てくれています。」
「それはよかった。六人目にして、ようやく成功した娘だからね。」
つい先日、ようやく培養ポットから外に出る事が出来た新たな少女。今までの研究の集大成となる予定の彼女について、ウーノに今の状況を尋ねる。もう一つのカギとなるものの仕上げが済み、ようやくそちらに意識を割くことができるようになったのだ。
「どうしても必要だったとはいえ、レリックを埋め込んだせいか、いまいち私になついてくれないのが悩みの種なのだが……。」
「それはもう、時間をかけて距離を詰めるしかないでしょうね。」
微妙に寂しそうなスカリエッティに、ふと頭をよぎった余計な本音を辛うじて隠して、慰めるように返事を返すウーノ。
「それで、あちらの方はどうなりました?」
「本体は完成した。追加兵装はおいおいでいいとして、後は間を見て起動テストをすれば完了だよ。」
「テストの成功率は?」
「今のところ致命的な不具合は見つかっていないから、九十八パーセントは成功するだろう。もっとも、不確定要素をすべて排除しきれていないから、残り二パーセントでどんな事が起こってもおかしくはないのだがね。」
珍しく、微妙に自信が無さそうなドクターに、思わず怪訝な顔をしてしまう。クローンや戦闘機人のように、不確定要素の塊である生命をいじった実験ならまだしも、ガジェットドローンや今回の物のような、完全に機械要素だけで成立している類の物については、今のところ起動テストに失敗したり、起動直後に致命的な問題が出てきたりした事は一度もない。その彼が自信なさげにしている、というのは実に珍しい光景だ。
流石のスカリエッティといえども、オーバーテクノロジーの塊である、古代ベルカ時代のロストロギア、それも戦艦クラスの大物を大胆に改造したとなると、絶対の自信を持つ事は出来ないのかもしれない。
「それで、テストはいつになさるおつもりですか?」
「今のところ、特に決めてはいないよ。正直なところ、そもそもあれを使ってやりたい事が無い、という問題もある。」
「最高評議会が、実に微妙な最後を迎えてしまいましたからね……。」
「ある意味似合いの最後だとは思うが、いくらなんでもコンセントを引っこ抜かれて放置されたのが死因、というのは、管理局の闇、その元締めの一角としてはフォローできないほど情けない。」
元々、スカリエッティ自身が戦闘機人をはじめとしたAMF環境下での戦力を開発していたのも、ガジェットをはじめとした古代ベルカのあれこれを研究していたのも、興味がそそられたという側面もあるが、基本的には最高評議会が元凶だ。本来なら今年、最高評議会とそれによって作られた管理局という組織、双方にスキャンダルによる致命的なダメージを与え、その上で脳髄どもを始末する予定だったのだが、その目論見は、フェイト・テスタロッサの手によって、事を成した本人も含む誰も意図しなかった形で潰されてしまっている。
その後始末というかしわ寄せは、全てきっちりスカリエッティとレジアスの両者に平等に降りかかっており、情けない死に様を晒してなお、手駒として操っていた彼らに迷惑をかけ続けている。正直なところやり場のない怒りはあるが、流石に同じように被害を受けている管理局に、それをぶつける気にはなれない。何というか、美学に反する。
そうなって来ると、せっかく趣味に走っていろいろ手を入れたそれも、どうにも使いどころが無い。今のところ、ナンバーズも逮捕を強行されるような事はしていないし、わざわざ管理局を刺激して娘達を犯罪者にするのもつまらない。それに、今何かやらかして、折角なついてくれている孤児たちをがっかりさせるのは、何ともやるせない話だ。
「全くもって、世界とはこんなはずじゃなかった事ばかりだよ。」
「ですが、それで得たものも少なくはないのではありませんか?」
「ああ。正直なところ、私にも子供に対する情というものがこれほど存在するとはね。過去の私から見ればぬるいと言われそうだが、こういうのも悪くはない。」
スカリエッティの告白に、実に嬉しそうに微笑むウーノ。基本的にドクター以外についてはどうでもいい彼女だが、それでも懐いてくる子供達を切り捨てるには、後味の悪さを感じる程度には情が移っている。実際のところ、クアットロ以外のスカリエッティ陣営は、全体的にそう言う部分は非常に丸くなっていると言っていい。
「それで、テストについてはどうなさりますか?」
「そうだね。あの子がもう少し馴染んで、環境が落ち着いてからにしようか。」
「そうですね。彼女の精神状態が、実験に悪影響を及ぼしてもいけませんし。」
「それに、上手くタイミングを見計らわないと、管理局を無駄に刺激する事になる。流石に、今となってはそれは避けたいからね。」
昔の彼らにとってはぬるく聞こえる事を言いあい、ざっと予定を決めていく。どっちにせよ、単体での動作テストは完了しているのだ。あとは、少女のリンクが必要な武装周りおよび元々の特殊機能と、新しく追加した、男のロマンを追求した特殊形態への変形テストだけ。別段、何か使い道がある訳でもないので、急ぐ必要もない。
「とりあえず、クアットロが何か企んでいるようだし、余計な事をしないように注意しておく必要があるだろうね。」
「そうですね。妹たちにも、そこのところはしっかり言い含めておきます。」
「頼んだよ。」
スカリエッティの言葉に、しっかりと頷くウーノ。二人は知らない。クアットロがすでに、余計な行動を始めている事を。
「クアットロ、本当にそんなことするの?」
「もちろん。」
「流石に、いくらなんでもそんなことしたら、向こうも本気でこっちを捕まえに来るんじゃない?」
「捕まらなければいいじゃない。それともディエチちゃん、怖気づいちゃったのかしら?」
「うん、怖気づいてる。」
向こうでなのはの差し入れのお菓子をセインから貰っている少女(というよりまだ、幼女といった方が正しいか)を見ながら、はっきりきっぱり言い切るディエチ。正直なところ、捕まること自体は仕方ないと思っている。ここ何年かは犯罪に問えるかどうか微妙なラインを狙って行動し続けているとはいえ、本来自分達は犯罪者だ。いずれ何らかの形で、罪を清算する必要が出てくるだろう。だが、少女はたまたまスカリエッティの手で生み出されただけの存在だし、まだ培養ポットから出てきて日が浅く、そこらに居る同い年のどの子供よりも知識も常識もない。
そんな彼女を、自分達の、というよりクアットロの都合で犯罪に巻き込んでいいのか。正直なところ、非常に抵抗がある。しかも、計画の内容は、こんな年端もいかない小さな女の子を痛めつけるようなものだ。その光景を見て本気で怒るであろうなのは達も怖いが、そもそもそれに手を貸して、クアットロの同類となってしまう事も怖い。
「そもそも、ドクターは了解してるの?」
「もちろんよぉ。」
クアットロの返事を、即座に直感的に嘘だと断定する。なのは達と初めてぶつかった頃と違い、最近のスカリエッティは、管理局と積極的に衝突するような真似を進んでするつもりはない。今のなれ合いとしか言いようがないやり方と、それを維持できる環境をすっかり気に入っている。その事は、スカリエッティ一家全員が知っている。そして、最近のドクターのその考え方に、クアットロが歯がゆい思いをしている事も、姉妹の中では暗黙の了解となっている。
「それに、そっちの三人は、結構乗り気のようよ?」
「……そうなの?」
差し入れのクッキーをぱくつきながら、こちらの話を聞くともなしに聞いていた三人の女に、真剣な顔で尋ねるディエチ。
「正直なところ、別にどちらでも構いません。」
「ボクは、自由に飛べるならなんだっていい!」
「我らにとっては、オリジナルと雌雄を決する機会があればそれでいい。お前も今更、人道をどうこう言える立場ではあるまい?」
三人の、特に最後の一人の言葉に、小さくため息をつくしかないディエチ。
「今まで踏みにじってきたからって、これからも軽視していい、って話でもないけどね……。」
「その考え方を否定はしませんが、どうせクアットロが言い出した以上、すでに後に引けなくはなっているのです。」
「……そこは否定できないのが……。」
「我もさすがに、幼児を餌に誘い込むような真似はスマートではないと思うが、な。」
クアットロが言うほど乗り気ではない様子に、何とも言えない種類のため息をもう一度つき、二度目の発言をしていないもう一人にも、とりあえず意見を聞くだけ聞いておく。
「あんたはどうなの?」
「そういう難しい話をボクに聞くな!」
豊かなバストを見せつけるように胸を張り、自信満々に誇らしげに元気よく答える。その答えに思わず頭を抱えるディエチ。残りの二人も苦笑するしかない。
「まあ、我らはこの件について、戦闘以外では積極的に動くつもりはない。」
「クアットロ。どうせ、私達だけで何かをするつもりはないのでしょう?」
「そこはノーコメントかしら。」
「だそうですよ、ディエチ。」
「……しょうがない。あの子に大ケガさせないように、あたしとセインも手を貸すよ。いいよね、セイン?」
ディエチの言葉に、手を上げてこたえるセイン。口に物が入っているため、態度で示したようだ。傍にいる女の子は、一体何の話をしているのか、全く理解していない様子である。物覚えが良く、利発で行儀のいい、賢いと言ってしまっていい子ではあるが、流石に中身は生まれたばかりだ。こういう黒い話を理解できるほどではないらしい。それでも何か感じるところがあるのか、他のナンバーズやこの三人に対する懐き方に比べると、クアットロに対する接し方には距離を感じる。まあ、クアットロの方も、ぶっちゃけナンバーズ以外からどう思われようがどうでもいい上、子供が基本的に嫌いで懐かれると鬱陶しいと思っている節があるため、この態度を歓迎しこそすれ、気を悪くする様子はない。
(しょうがない。後でなのはさん達に連絡を取って、相談に乗ってもらおう……。)
最近、なにかあるたびに向こうにリークして、あれこれ相談に乗ってもらっているディエチ達。完全に向こうについて、自由にのびのび活動しているドゥーエが実に羨ましい。どうにかクアットロだけを切り捨てて、向こうについて堂々と大手を振って道を歩き、なのは達の作る料理やお菓子をもう少し頻繁に口に出来ないか、などとトーレやチンク、セインなどと真剣に考えることも少なくない。
いつの間にやらしっかり胃袋をつかまれ、実質的に完全に六課の軍門に下っているナンバーズ(除くクアットロ)であった。
「この明細、本当に正しかったのね……。」
「どうしよう、ティア。あたし、ギン姉より高給取りになっちゃったよ……。」
繁華街に出るための列車を待ちながら、割と呆然とした感じで語り合うスバルとティアナ。正直、今まで手にした事のないような大金を給料として振り込まれてしまい、どうしていいのか分からなくなっている。
特別手当の内訳、そのほとんどがデビュー曲の印税および、デビューイベントの映像使用料の割り当て金、そしてブロマイドやタオルなどのグッズ類の売り上げ収入だ。歌の印税はともかく、それ以外の物は今も継続していろいろ出しているため、今後も上下はするが、基本給より下手をすれば一桁違う特別手当、というものがしばらくは続く事になりそうだ。
なお、この辺の収入が今頃入ってきたのは、印税や映像使用料の類は、支払いが三カ月ぐらいずれるからである。
「と、とりあえずスバル、少し落ち着きましょう。」
「そ、そうだね。」
「まず、私もアンタも、この部署にそんなに長くいる予定はない。」
「うん。そもそも、広報六課自体、来年も今の形で存続してるかどうかがはっきりしないしね。」
「つまり、この収入は今年限りの物だと考えた方がいい、ってことね。」
「流石に、来年も芸能活動してる自分とか、想像もできないよね、ティア。」
スバルの言葉に、真顔で頷くティアナ。二人とも、目指す先の姿、目標はあるが、そこに芸能活動は含まれていない。
「だから、あぶく銭、って言う訳じゃないけど、今のうちにきっちりしっかり貯めておかないと、今後こんな収入を得られる機会なんて、多分二度と来ないわよ。」
「貯金か~。ちょっと苦手かな。」
「まあ、アンタはフォワードで、どうしても燃費が悪いからね。でも、アイスを少し我慢するだけでも、ずいぶん違うわよ?」
「分かってるんだけど、時折欲望に惨敗しちゃうと言うか……。」
スバルの言葉に、思わず苦笑を漏らす。苦学生をやっていたため、節約だのやりくりだのといった意識がしみついているティアナであるが、自分達の年齢で、そう言ったけち臭いしみったれた考え方でお金を使うのは、年頃の乙女としてどうなんだろうという意識が無いではない。もちろん、無駄遣いを推奨する訳ではないのだが、嗜好品をちょっとたしなむ程度は問題ない、という気持ちも持っている。残念ながら、身についた貧乏性とこれまでの余裕のない家計に阻まれ、なかなか実行には移せないのだが。
(しかし……。)
スバルと雑談しながら、昨日風呂の中で話をしていた内容を、頭の片隅でちらりと思い出し、何度目になるか分からない疑問を頭に浮かべる。
(二期生の言葉じゃないけど、あたしやスバルでこれって、なのはさん達って一体いくら貰ってるのかしら?)
今月の給料明細は、本当に衝撃的だった。人気、売り上げともになのは達の足元にも及ばない自分達ですらあれなのだ。ずっとトップを走り続け、もはや立場が安定したと言ってしまえるあの二人の収入は、一体どうなっているのだろうか?
(……ティア、ティア……。)
(どうしたのよ、スバル……。)
(なんか、すっごい見られてるよ……。)
スバルの念話に、意識を周囲に向ける。確かに、結構な数の視線が自分達に向いている。管理局員としてのサガか、真っ先に連想するのは怨恨の線だが、なのはやフェイト、はやて、アバンテにカリーナのように、世界的に有名でずっと一線で活躍し続け、一般の局員とは段違いの数の犯罪組織を壊滅させてきた面子ならともかく、自分達は約半年前までは、地方の災害救助隊だったのだ。
助けられなかった要救助者の身内に恨まれる事はあったが、それとてそんな人数でもなく、そもそもその手のケースについては、ほぼすべてが災害に巻き込まれた時点で事切れていた人だ。所属していた救助隊全体で見れば、救助の遅れで助けられなかったり、重度の障害が残ったりした要救助者もそれなりの数には上るが、そんな規模の救助活動で、新米の二人をそういう種類の要救助者が取り残されるような場所に投入される事はまずない。いくら人手不足だと言っても、経験の少ない人間をそんな大事な局面でそういう難しい場所に投入したところで、足を引っ張られるだけでメリットが無いからである。
つまるところ、列車のあちらこちらから視線を感じるほどには、大きな恨みを買うような活動はしていないのだ。
(怨恨の線じゃないわね。)
(そう言う視線じゃないと思うよ。)
(ってことは、もしかして……。)
(多分、そういうことなんじゃないかな?)
無意識のうちに、自意識過剰ではないかと考えて排除していた理由。いわゆる、そこそこ売れてしまったから視線が集まっている、というもの。それが正しいなら面倒なことこの上なく、そうでないならそれこそ自意識過剰で恥ずかしい。こういう感じで見られることなどめったにないため、どう対処していいか分からない。
スバルもティアナも、基本的には魅力的な外見をしている。一応普通に、美少女のカテゴリーに入るのだが、残念ながら、そこまで目を引くというほどでもない。もう少し、それこそカリーナぐらいに整った容姿をしていれば、群衆からは明らかに目立つが、滅多にいないほどでもないと言う、丁度声をかけやすいレベルになるのだが、流石に二人はそこまではいかない。
なので、二人で出掛けてもナンパされることも滅多になく、またいろんな人に見られるということもなかった。ティーダなどはティアナを物凄く溺愛して、一歩間違えればフェイトよりも美人だと言いかねないレベルではあったが、当人は自分が平均よりは上でも、目立つほどのレベルではないと言う自覚ぐらいは持っている。そのため、今までにないこの状況に置いては、どういう態度で居るべきかというデータが、圧倒的に不足しているのだ。
(どうしよう、ティア……。)
(どうしよう、って、あたしに聞かれても……。アンタの方は何か思いつかないの?)
(ギン姉はよくナンパとかされてたみたいだから、こういう状況でもどうにかできるとは思うけど、あたしは声かけられたこと自体、一度もなかったから……。)
(基本的に同じ顔なのに、えらくさびしい話よね……。)
(まあ、ギン姉は才色兼備って感じだから。)
同じ顔でほとんど同じ体型だと言うのに、単独で出歩いても滅多に男から声をかけられないと言う事実。どこにそれほどの差が出るのか、という事を現実逃避的に思わず分析してしまうティアナ。
スバルとギンガの違いを上げていくなら、一番大きな違いは髪の長さだろう。男というのは、全般的に綺麗な長い髪に弱いものだ、とはティーダの言葉である。ティアナが手入れの面倒さや任務への悪影響を知りつつも、いまだに髪を長く伸ばしているのも、両親亡き後ずっと養ってくれたティーダへの恩返しの一環でもある。
だが、似合う似合わないはともかく、ショートヘアの方が好みだと言う男も当然いる訳で、それだけが理由と断定するには少々弱い。後の違いを上げるなら、スバルは表情も雰囲気も少々緩い、口が悪い事を承知で言うなら、頭が弱そうな印象があるのに対し、ギンガはどちらかと言えばきりっとした表情か、穏やかに微笑んでいることが多い。あの大人びた微笑みが、男心をくすぐるのではないか。根拠はないが、そう結論付けるティアナ。
因みに、ティアナ自身については、今までは特にそうだったが、芯は弱いくせに気が強く、負けず嫌いで余計なプライドばかり高かったない面が雰囲気や表情に出てきており、言葉を交わした訳でもない初対面のすれ違っただけの相手にすら、いわゆる面倒な女というイメージを持たれていたのではないか、というのが自己分析だ。根拠のない思い込みではあるが、実際に優喜にいろいろへし折られて考え方を改め、肩の力を抜いて出来る事を出来る範囲で一生懸命やるようになった途端に、プロデューサーやスタイリスト、エステティシャンなどに、前より何倍も魅力的になったと言われたのだから、それほど的を外した考え方ではないだろう。
そんな、益体もない事を考えて現実逃避をしているうちに、あと二つ三つで目的地のクラナガン中央に到着する、というところまで列車が進んでいた。もう少しでこの状況から逃れられる、と思ったところで、ついにギャラリーが動く。
「あの、すみません。」
「何?」
声をかけてきたギャラリーに、素直に返事を返すスバル。フレンドリーな空気に安心したらしいギャラリーが、決定的な一言をぶつけてきた。
「Res-Cueのお二人ですか?」
「「……。」」
ぶつけられた質問に、愛想笑いを浮かべたままフリーズする二人。YESといってもNOといっても確実に面倒なことになるため、どう返答するべきかすぐに判断出来なかったのだ。
結局、嘘をつくことができずに正直に答え、何人かにまだろくに練習していないサインと握手をして、クラナガン中央駅に着いたところで目的地だからと頭を下げて、逃げるように列車を出ていくことしかできないスバルとティアナであった。
「疲れた……。」
「大変だったね……。」
ようやく目的の物を買い終わり、廃棄地区の一つに程近い、人の少ない裏通りの喫茶店で休憩する二人。流石に世間様は平日であり、休日ほどの人の出はない。このあたりの、これといって買い物客にとって目ぼしい店がある訳でもない区画は、あまり人も歩いていない。とはいえ、大体の学校は長期休暇らしく、同年代から下の、いわゆるローティーンからミドルティーンの若者たちは結構出歩いており、それなりの人ごみにはなっていた。
「思ったより、あたし達も名前が売れてるんだね~……。」
「びっくりよね……。」
遠い目をしながらぼやいたスバルの言葉に、思わず乾いた声で同意するティアナ。
「なのはさん達は、こういう休みの日の外出はどうしてるのかしら?」
「物凄くダサい格好して、芸能人とは思われないようにして歩きまわってるって。」
「そっか、その手があったか。」
盲点だった、といわんばかりのティアナの態度に、思わず噴き出すスバル。そんなスバルを思わず睨みつけ、だんだん馬鹿らしくなって、同じように笑ってしまうティアナ。
「それにしても、そんなに芸能人が珍しいのかしら?」
「ん~、どうなんだろうね?」
ティアナの疑問に、首をかしげながら答えるスバル。仲良くなったアイドルやタレントの話では、クラナガンほどの大都市になれば、芸能人を見掛けることもそれほど珍しい訳ではなく、素顔を晒して買い物をするぐらいではそれほど騒がれたりはしないらしい。そう聞いていたから、油断してスッピンで普段通りに出かけたのだが、現実には取り囲まれたりこそしないものの、とても普通に買い物をできるような状況ではなかった。
二人から見れば雲の上ともいえるほどの人気を誇る人たちですら、収録中はともかく食事や買い物ぐらいでは、誰も声をかけたりついて回ったりはしない、などといっていたのに、である。だが、考えてみれば、なのは達は、たまに時間が無くて変装もなにも無しで動き回ることもあるそうだが、そういう時は大騒ぎになるから、出来るだけやりたくないと言っていた。スバルとしては、この両者の違いはどういうものなのか、というのが今一つ理解できない。
実のところ、管理局広報部のタレントに関しては、私生活がほとんど知られていない、というのが、街を歩くときに騒ぎになりやすい原因である。特に、生活基盤がずっと管理外世界にあったなのはとフェイトや、デビュー三カ月程度で出動回数も少なく、メディアに対する露出がようやく増えてきたばかりのスターズとライトニングの新人はその傾向が強い。
中でもスバルとティアナは今までのケースと違い、一年ほど広報部以外の部署で局員として活動していたと言う、広報部の中でも異色の経歴を持っている。その上、アバンテやカリーナ、二期生のように、レギュラー番組のために頻繁に街中で事件対応をしている訳でもないため、街中で遭遇する機会もほとんど無い。
つまり、急にスポットが当たった割には実態が知られておらず、広報部に来てからも、出動が辺境地域や災害地域が多かったスバルとティアナが、初めてプライベートでクラナガンを出歩いたのだ。しかも、以前と違って顔が広まっており、地味に芸能人としてのオーラのようなものもにじみ出ているため、顔立ちや外見以上に華やかで目立つのである。二人ともそこら辺は想像の埒外だが、当分は外を出歩くだけでも騒がれる覚悟は必要そうだ、という事は嫌というほど理解したらしい。
「それで、これからどうしよっか?」
「ちょっとぐらいは食べ歩きも、って考えてたけど、流石に無理そうね……。」
「だよね~。残念だけど、当分は通販で我慢かなあ。」
「そうね。まあ、折角優先権をもらってるんだし、帰ったら時の庭園のチーズケーキでも頼もうかしら。」
「あたしはアイスかなあ。」
そんなのんきな会話をしながら、そろそろ帰るかと飲み物の残りを飲み干そうとして、窓の外の光景に動きが止まる。
「……スバル。」
「……うん。」
「……支払いと連絡はしておくから、先に出て追いかけて。」
「……了解。」
一瞬にして管理局員の顔になり、早口で打ち合わせを済ませると、一気に残りを飲み干して席を立つ。無駄に騒ぎになってもまずいので、細かい打ち合わせを念話で行いながら、あくまで店の中では落ち着いて行動する。そもそも、追いかけなければいけない対象の状態や速度を考えれば、スバルの速度であれば、ゆっくり支払いをしても余裕で追いつける。
スバルのカードを受け取って見送り、さっさと支払いを済ませて外に出る。ティアナとしては、手間がかかるので一括で払うつもりだったのだが、チャージ残高に微妙に不安があったことと、スバルが後でだとそっちの方が手間がかかるからと引かなかったからだ。
「八神部隊長、ティアナです。」
『どないしたん?』
「五、六歳ぐらいだと思われる、裸足でぼろぼろの服を着た少女が、鎖で繋がれた中身が不明のトランクを引きずって、廃棄区域の地下道へ入ろうとしているのを発見しました。現在、スバルが保護のため、後を追いかけています。」
『了解。状況に心当たりがあるから、すぐにそっちに援軍を送るわ。悪いんやけど、その子を保護したら、援軍が来るか状況が変わるまで、現状で待機しとって。』
「了解しました。これより、スバルと合流します。」
『折角の休暇やったのに、悪いなあ。気つけて。』
はやての言葉に敬礼を返すと、不自然な出現の仕方をした少女に不穏なものを感じながら、走ってスバルに追いつく。スバルはすでに、少女を抱き上げて鎖を外していた。
「ティア。」
「任せて。」
クロスミラージュを展開し、トランクをざっとチェック。爆発物やトラップの形跡が無い事を確認。念のために指紋に注意して、トランクを空けて中身を確認する。
「これは……。」
「レリック……?」
中に入っていたのは、まごう事なきレリックそのもの。あまりに不自然な状況に、思わず顔を見合わせる。スバルとティアナの休暇は、不穏な形で終わりを告げるのであった。