「色々あったけど、とりあえず横に置いておいて、さっさと本題に入りましょうか。」
あれを見たほとんどの魔導師は自信を粉々に砕かれるであろう。そんな追跡劇を終えた一同は、色々疲れをにじませながら、プレシアの言葉にひとつ頷く。
「まずは、初対面同士の顔合わせから、かしら。」
「そうだね。もともと本来は、リンディさんたちとヴォルケンリッターの顔合わせが目的だったわけだし、ブレイブソウルも僕のバリアジャケットもどうでもいい問題だったはずなんだよね……。」
「ユーキ、そのことは忘れろよ……。」
「そ、そうだよ、ね?」
下手にカッコよかったとか言うとまた吊りに行きかねないので、お互い忘れる方向で宥めるしかないあたり、実に厄介だ。もっとも、外野がどう思ったにしても、自分が同じ立場に立たされたらと想像すると、間違いなく吊りに行こうとするのは目に見えているが。
因みに、今は他人事でよかったと内心胸をなでおろしているヴィータだが、状況こそ違えどシグナムと一緒に優喜と同じような立場に立たされ、優喜が吊りに行こうとした理由を思いっきり理解する羽目になるのだが、まだ先の話である。
「話を戻すとして。シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ。こちらがプロジェクトの現在のトップ、リンディ・ハラオウン艦長よ。その隣が、その御子息で執務官のクロノ・ハラオウン。もう一人が執務官補佐のエイミィ・リミエッタね。艦長達には、紹介はいらないわね?」
「……ええ。直接会うのはこれが初めてだけど、記録映像で何度も姿は見ているから、ね。」
ドタバタで弛緩していた空気を、リンディの表情が引き締める。怨み、憎しみ、哀れみ、それら複雑な感情をすべてため息と共に吐き出すと、いつもの交渉用の笑顔を浮かべ、シグナムに手を差し出す。
「紹介に預かりました。時空管理局本局所属、次元航行船アースラ艦長、リンディ・ハラオウンです。はじめまして。」
「同じくアースラ所属、執務官のクロノ・ハラオウンだ。貴方達とは長い付き合いになると思うが、よろしくお願いする。」
「アースラ所属、執務官補佐のエイミィ・リミエッタです。」
差し出される手を、僅かにためらいながら握り返すシグナム。色々頭をよぎった言葉はあるが、果たして自分達が言ってもいい言葉なのか、いやそもそも、目の前の女性に何事かをいう資格が、自分達にあるのかどうか。
「ヴォルケンリッターが剣の騎士・シグナムだ。」
結局、自分達と相対して湧き出たであろう全ての感情を飲み込んだリンディに対し、加害者である自分達が何を言うのも単なる冒涜であろう。そう苦い感情と共に判断したシグナムは、謝罪すら出来ぬ心苦しさを鋼の精神で隠し通し、将としてリンディに応える。
「鉄槌の騎士・ヴィータ。」
「湖の騎士・シャマルです。」
「盾の守護獣・ザフィーラだ。」
相手が自分たちのことを熟知していようが、紹介されれば名乗るのが礼儀だ。内心ではシグナム同様、罪悪感を主成分とした色々と複雑な感情はあるが、やはりこの場でそれを出すことは許されない。
「そういえば、そちらのお三方には、ちゃんと名乗っていなかったな。」
重くなった空気を読めなかったのか、それともあえて読まなかったのか、ブレイブソウルがアースラ組の前に浮かび上がる。一つ銀色の魔力光を放つと、シャマルとあまり変わらない背丈の、均整がとれたと表現するのが一番正しいプロポーションの、栗色の長い髪を持つ女性が現れる。美人は美人なのだが、ぱっと見た目には、光の角度によって金色の輝きを宿したように見える瞳以外は、これと言って特徴の無い女性である。
「私はベルカ式融合騎兼祈祷型アームドデバイス・ブレイブソウル。夜天の書の製作者の手により、書に有事があった際のカウンターの一つとして製作された。長い付き合いになると思うので、まあ見知っておいていただきたい。」
「……また、とんでもないものが出てきたようね。」
「まあ、今のところ、まだ当人の自称に過ぎないから、一度ちゃんとデータチェックをしてから、ということになるのだけどね。」
唐突に割り込んできたブレイブソウルに、ため息をひとつつきながら苦笑を交わすリンディとプレシア。とはいえ、何度検査をしてもリンカーコアをかけらも確認できなかった優喜がバリアジャケットを展開していたのだから、間違いなく普通のデバイスではないことは確かだ。
「しかし、予想していたとはいえ、こうもヴォルケンリッターから無反応だと、少しばかり寂しいものだな。」
「どう言う意味だ?」
「互いに生前、浅からぬ因縁があった間柄だからな。まあ、私のように平凡な容姿の女について、今の貴公らに思い出せというのも酷な話か。」
「……すまん。」
「なに、気にするな。こうしてまた巡り合えたのだ。再び背中を預け合えばいいだけの話だ。」
なんだかんだ言って、ちゃんとシリアスな空気を維持するブレイブソウル。シグナムと話すブレイブソウルの様子を見て、ちゃんとまじめな話も出来るのかと微妙な気分で見守る一同であった。
「それで、まずは何から話すべきかしら?」
「そうだね。まずは夜天の書の状況を、もう一度整理しようか。」
「そうしてくれると、私としてもありがたい。なにしろ、私の存在意義に、ダイレクトに関わってくる話だからな。」
ブレイブソウルの要請もあり、現状について一度まとめることにした。
まず、書のはやてに対する侵食状況だが、二週間前と比較して速度そのものは変わっていない。優喜が出来るだけ毎日軟気功で進行を遅らせていることもあり、しばらくは状況が急変する可能性は低いと考えられる。
また、夜天の書の変質についても、エネルギー循環周りの不具合は優喜の手によって少しずつ修正されており、現状三パーセント程度修正が進んでいる。この事により、タイムリミットは相当後ろに押し戻されている可能性が高いと考えていいだろう。
だが、それ以外となると芳しくない。ソフト周りは残念ながら、聖王教会の所有するデバイスはどれも微妙に時代が合わず、それらをもとに暗号解析を行うと、そもそもプログラムの体をなさない。かといって、直感でそれっぽく復号化しても、やはりどこかつじつまが合わなくなってアウトだ。本体のコピーにしても、機材を壊した場合、発注してから納品までの納期を考えると、迂闊に試せない状況になっている。
他にも、ハード周りもいくつか劣化している部品や、変質して誤動作を起こしている部品、そもそも部品がいくつか完全に壊れて、丸々一ブロック沈黙している部分すらあった。これらについて、現在忍がパズルの要領で元の状態を復元しているが、大本のハード図面がないので、寸法が正しいかどうかの保障が全くない。
そして何より厄介なことに、歴代のマスターの怨念がたまりにたまって、変な手出しをすると霊障が発生するのだ。幸い、プレシアや忍といった中核スタッフには影響は出ていないが、これまでに二人、スタッフが霊障でダウンしている。
「ふむ、なかなか厄介なことになっているな。となると、まずは軽く中を覗いてみなければまずそうだな。夜天の王よ、メンテナンスツールを使うから、書を一度貸してくれないか?」
「ええけど、その仰々しい名前の呼び方、どうにかならへんか? 私は王とかそんな大層な人間やないし、そもそも正直鬱陶しいで。」
「これは手厳しい。では、何と呼べばいい?」
「はやてでええよ。」
「ふむ。でははやて、書を貸してくれ。」
はいな、と、軽く応じてブレイブソウルに手渡すと、アウトフレームの胸元にあるブレイブソウルの本体から、メンテナンス用のコネクタが伸びる。単なる玉からコネクタがにゅっと伸びる姿は、なかなかにシュールだ。しばらく、ブレイブソウルの本体の表面がちかちか点滅し、データのやり取りが行われる。
「ふむ、これはなかなか厄介なことになっているな。」
「優喜の話からそんな気はしていたけど、案の定と言ったところかしら?」
「ああ。ここまでとなると正直、私が持っているソースプログラムで上書きして、最適化をすれば終わり、という次元はとうに過ぎているな。ソースプログラムをもとに、現在のソフトの不具合を全て確認して修正し、書き換えた上で再起動をかける必要がある。」
「また難儀な話ね。それで、本体プログラムのコピーは?」
「残念ながら、このメンテナンスツールだけでは難しいな。幸い、管理人格の機能はまだ半分以上は正常なままだから、奴を起こしてバックアップ許可を取れば、私のツールで複製できる。もっとも、書き換えにはマスター権限を持った者の許可が必要だが、防衛プログラムが致命的にバグっているから、正常にマスター権限の付与が認証されるとは思えない。ハッキング機能で強制的に上書きと再起動をかけさせる以外に手段はないと考えた方がいい。」
その言葉に、小さくため息をつくプレシア。膨大な量の古代ベルカ語のプログラムを、すべていちいち照らし合わせて周りの状況にあわせて修正し、書き換え前に最適化まで済ませる。口で言うのは簡単だが、作業の量となるとシャレにならない。ソースプログラムのままでは無理、というのは多分、相当ハード側も変質しているという事だろうから、そっちの解析も必要だ。
枝葉末節は人海戦術で修正すればいいとしても、コアとなる部分を触って大丈夫と確信できるのは、プレシア本人以外ではリニスと忍に本局のマリエル、聖王教会から出向してきた技師のトップと、昔の伝手でかき集めた三人ぐらいだろう。期日が読めない上、管理人格の起動とやらにもそれなりに時間がかかると思った方がいいとなると、前よりはるかに好転したとはいえど、芳しい状況とは言えない。
「それで、この際だからついでに確認しておきたいのだが、友は書の変質を食い止めることができると言っていたな?」
「うん。はやての体を治す要領でやったら、反発されずに修正できたんだ。」
「ならば、もう一度モニターするから、今この場で少しやってもらえないか?」
「ん、了解。」
ブレイブソウルの頼みを聞き、テーブルの上に置かれた夜天の書に、手を当てて気を流し込み始める優喜。あまり派手に変化させると一気にバランスが崩れたり、外部からの書き換えと認識して転生プログラムが起動しかねないため、ゆっくりじっくり少しずつ修正をかける。十分ほど、空間投影ディスプレイに映し出したモニタリングデータを皆で観察した後、ブレイブソウル本人が結論を告げる。
「なるほど、確かに末端部分とはいえ、バグは正常に調整されているな。」
「先に言っておくけど、僕に分かってるのは、こうすればこうなるっていう因果関係だけで、その理屈は分かってないから。」
「ああ。別にそれはこの際、大して重要ではないから問題ない。この場合重要なのは、だ。」
「ん?」
「友のそのやり方だと、書が蒐集を行ったと勘違いして、ページを埋めている可能性があると言う事だろう。もっとも、一日に二時間程度修正を行ったとして、せいぜい十日で二ページに届かない程度だろうがな。」
ブレイブソウルのその指摘に、シャマルがあわてて書をめくる。彼女の指摘の通り、夜天の書は五ページ程度埋まっていた。
「本当に埋まってるわ……。」
「ちょっと待て! 我らはまだ、一度も蒐集作業は行っていないぞ!?」
「慌てなくても、蒐集されている内容を読めば、そんな言い訳をする必要などないことはすぐ分かると思うが?」
ブレイブソウルにまたしても指摘され、ざっと内容を読むヴォルケンリッター。
「気功の基礎原理について、か……。」
「しかも、これ途中で途切れてんぞ。」
シグナムとヴィータの反応に、怪訝な顔をする一同。
「何かおかしいのか?」
「ああ。蒐集を行った場合、途中で邪魔が入るか対象が死にでもしない限り、内容が途中で途切れることはあり得ない。」
「後、これはおかしいってほどじゃねーけど、この手の何年も鍛錬しなきゃ身につかねー類の、技能に分類されるものについては、普通はほとんど蒐集されねーんだ。」
「考えても見てください。ベルカ騎士を相手に蒐集活動を行って、いちいち個人個人の独自の肉体鍛錬法とか生活習慣とか、そんなものを記録していたらきりがありません。」
クロノの問いかけに対して、真面目な顔でどうおかしいかを説明するヴォルケンリッター。そこに腑に落ちない物を感じたクロノが、もう一つ重ねて質問を飛ばす。
「だが、夜天の書は文化背景なんかも記録しているのだろう? それに、違う魔導師でも同じ術式を使うことぐらいざらだと思うが?」
「術式の傾向などに文化的なものが噛むことは多いからな。過去に重複分がないのであれば、そういったものも蒐集される。また、ページ数と言うのは結局、魔力をどれだけ蓄えたかの目安に過ぎん。だから、術式そのものの重複分が多い場合、いったんそのまま記録をして、記載内容が多いリンカーコアを蒐集した時には重複分の表記を削って新規分を記載することが多い。
あと、鍛錬方法や特殊な技能が、新たに蒐集した術式の使用に密接にかかわっている場合、そこの部分を明確に記録するために、その手の情報を記載することはある。それが、ヴィータが言ったおかしいというほどじゃない、という意味だ。」
クロノの追加質問に、丁寧にザフィーラが答える。ザフィーラがそこの事情に一番詳しかったのは単純で、文化背景が絡む特殊な技能や鍛錬が必要な魔法、というのは彼のような使い魔がよく使うからだ。
「なるほど、理解した。それで話を戻そう。五ページほどというのは、具体的にはどの程度の蒐集量なんだ?」
「簡単に言うと、魔力量Bランク程度のコアを一つ蒐集すれば、その程度になるな。」
「なのはやフェイトだったら、二十ページ程度は集まるはずなんだけどな。」
ヴィータはこう踏んでいるが、実際のところなのはとフェイトの魔力量は魔力養成ギブスと気功訓練、さらには肉体鍛錬による精神力向上により、この予想よりかなり上積みされている。もっとも、さすがに手合せの一つもしていない彼女がそんな情報を知っている方がおかしいのだが。。
因みに言うまでもないが、この世界のランクは、A未満よりA以上の方が、ランク一つの差が大きい。単純な魔力による物量勝負となると、ヴォルケンリッターでも今のなのはやフェイトに勝てる要素はない。多分この点で勝てるのは、現状プレシアか夜天の書からの侵食が無くなったはやてぐらいであろう。
「ふむ。まあ、リンカーコアがらみの被害届もないし、内容的にも該当する人間が現状数人しかいない以上、貴方達が無罪なのは疑う余地はないだろうな。」
「信じていただけて助かる。」
「これから、互いに協力し合うのだからな。無用な疑念は持たないに限るさ。」
シグナムとクロノの会話に、一つため息をついて胸をなでおろすヴォルケンリッター。だが、厄介な話はここからである。
「だが、問題はだ。管理人格の起動には、四百ページ以上の蒐集が必要だ。この場にいる魔導師に高町とテスタロッサを加えれば、百ページはすぐに集まるだろうが……。」
「先に言っておこう、烈火の将よ。修復後はともかく、現段階で身内からの蒐集は避けた方がいい。場合によっては暴走する相手に、こちらの手札を与えるのはあまりによろしくない。」
「では、どうするべきだと思う?」
「一番いいのは、いざという時に戦力としてカウントする必要のない人間から集めることだが、心当たりは?」
ブレイブソウルの言葉に、考え込む一同。
「ローテーションを組んで、という形にはなると思うけど、多分頼めば聖王教会の人たちは協力してくれると思う。」
「アースラの武装局員も、基本的に本番では結界要員だから、戦力外として蒐集しても大丈夫そうね。」
「それで足りない分は、管理外世界や無人世界の、リンカーコア所有の生物から、出来るだけ被害を出さないようにかき集めるしかないでしょうね。」
「ふむ、妥当なところか。どうせ魔導生物の類が使う術など、蒐集したところで発動できない事がほとんどらしいからな。」
ブレイブソウルの言葉に、方針を確定させる一同。デバイスに主導権を握られているようにみえるが、夜天の書について一番詳しいのは残念ながら彼女なので、ここについては仕方がない。
「後は、ハード周りだけど、そこはもう管理人格が起きるまでに、忍さんに頑張ってもらって可能な限り復元してもらうしかないかな。」
「そこについては、彼女に押し付けっぱなしで申し訳ないとは思うけど、実は全く心配していないわ。」
「プレシアさん、その忍さんと言う方はそんなに?」
「ええ。ベースがあったものを修復したとはいえ、そこのブレイブソウルと勝負行くぐらい人間臭い機械人形を作り上げるくらいだもの。」
その言葉に、プレシアも月村家の秘密を知っていることを確信する優喜。まあ、お互いに社会にばらせない秘密を握り合った仲なのだから、特に問題はないだろう。それに、作ったことがあると知っていたところで、それが誰なのかを知らなければ問題ないのだし。
「あ、言うまでもないけど、この話は他言無用よ? さすがに忍さんの身の安全に直結する問題だから。」
「言われるまでもないわ。まあ、そういう話なら、信用して任せることにするわ。資材なんかで必要なものがあったら、最大限バックアップすると伝えておいて。」
「それこそ言われるまでもなく、こちらからの資材要請にすでに混ぜてあるから安心して。」
プレシアの返答にふっと笑みを浮かべるリンディ。さすがにこの魔女殿は抜け目無い。味方につけると実に頼もしい。
「ハード周りと言えばユーノ、この時期のデバイスのハードウェア技術について、資料とかそのたぐいはどうにかならない?」
「一応調べてはいるけど、あんまり当てにはしないで。あ、そうだ、ブレイブソウル。」
「ん? なんだ学者殿?」
「君の他にも、夜天の書の異常に対するカウンターはいくつかあるんだよね?」
「ああ。その中には、ハード側から干渉するものも当然ある。」
「じゃあ、ものすごく運が良ければ、今発掘中のチームがどれかを掘り当てるかも知れない訳か。」
ユーノのつぶやきに、さすがにそれを期待するのは無理だろうと考える一同。ユーノがブレイブソウルを引き当てた事すら、奇跡の範疇に含まれることなのだ。これ以上はそうそうないだろう。
「まあ、遺跡がらみはこれ以上は期待しないとして。後は、霊障について、かしら?」
「そっちは、僕がどうにかできると思う。ただ、那美さんと久遠が難しいと思うぐらいだから、場合によっては何か手を考えたほうがいいんじゃないかも。」
優喜の武術は、もともとどちらかというと、人間よりも霊だの悪魔だのといった連中を相手にするほうが向いている。気脈崩しなど、幽霊の類には致命的な効果を発揮する技だし、他にも人間相手には使いどころのない技も多い。魔法と名がついているなのは達のスキルより、優喜の武術の方がよっぽどオカルト側にいるのだから、世の中は一筋縄ではいかない。
なお、久遠と言うのは那美の友達の狐で(決してペットに非ず)、数百年生きている大霊狐だ。少し前までは大昔に大切な人を人間に殺された怒りが呪いとなり、人間を滅ぼそうとする大妖狐に身を落としていたが、那美の必死の悪霊払いにより怒りを鎮められ、今では非常におとなしくて純真な性格になっている。
「友よ、その件についてだが……。」
「何?」
「上手くやれば、そのための術式の構築が出来るかもしれない。なので、一度私を身につけた状態で、その手の相手と戦ってみてほしい。後、出来ればその霊能者殿に、霊障を払う作業というものを見せてもらいたいのだが。」
「了解。頼んでみるよ。」
「……しかし、どんどんこちらの事を知っている人間が増えていくな……。」
クロノのぼやきに、苦笑するしかない優喜。優喜とて、さすがに那美や久遠を巻き込む気は一切なかったのだが、ミッドチルダでは瘴気の類はともかく、霊だの魂だのと言った方面は基本的に完全否定されており、霊能者という商売すら成り立たないレベルだ。ゆえに自前でこの手の問題を解決する手段がなく、那美の手を借りるほかなかったのだ。
因みに霊能者は完全否定されているが、占いや予言は、ある種のレアスキルとして認められているため、一応その手の商売は成り立っている。
「まあ、巻き込んだ人は、基本的にこっち側に近い人たちばかりだから、わざわざ言いふらすことはないと思うよ。」
「それは分かっている。分かっているんだが……。」
クロノの立場では、いくら問題無かろうと、法律違反を積極的に行うのは非常に気が進まない。だが、現実問題として必要な状況だった以上、そこは割り切るしかない。
「執務官殿には釈迦に説法だろうが、あくまでもルールは人のために存在するものだ。ルールのために人が存在するわけではない。むやみやたらに法を無視して、「ルールに縛られない俺カッコイイ!」などと考えるのは愚の骨頂だが、法の順守を求めるあまり、助けられる人を大勢死なせるのも、同じぐらい愚かなことではないか?」
「分かっている。そのための免責規定だ。だが、それでも守れる法はぎりぎりまで守らなければ、その一点からずるずると骨抜きにされる。」
「執務官殿、貴方達はそこまで愚かで無能なのか?」
「……本当に口の減らないデバイスだな。」
「お褒めにあずかり、至極恐悦。まあ、あまり考えすぎない事だ。もっとも、執務官殿はまだ若い。それぐらいの方がいいのかもしれないな。」
ここまでのブレイブソウルの実に真面目な会話に、もしかしてアウトフレーム展開中は真面目な会話しか出来ないのではないか、と余計な疑いをかける一同。
「さて、話がまとまったところで一つ聞きたいのだが。」
「ん?」
「友は私の胸についてどう思う? さすがにサイズでは烈火の将や魔女殿、艦長殿の足元にも及ばないが、形と柔らかさと感度については、そこそこ自信があるぞ?」
「いや、まだ第二次性徴も始まって無い子供に、その手の性癖を聞くなと言いたいんだけど?」
「だが、はやては私の乳に興味津々のようだが?」
「いやん、ばれた!」
美女の姿で、容赦なくエロトークを展開し始めるブレイブソウル。一瞬でもこいつを見直した自分達が馬鹿だったと、思わず疲れた顔をしてしまう優喜。
「ふむ、どうやら友より執務官殿の方が、この手の話には興味があるようだな。さあ、君の性癖を容赦なくオープンにしたまえ!」
「誰がいつ興味を示した!」
「ほう? そうか、君は尻か。よかったではないか、執務官補佐よ。乳と言われれば強敵しかいないが、尻ならば君も引けを取っていないぞ。」
「え? そうかな?」
「だから、いつ僕がそんなことを言った!?」
思いっきり油断していたクロノが、全力でいじられ始める。どうにも大概その手の話に免疫がない、と言うよりそういう事を語るのが格好悪いというプライドが足を引っ張り、さんざんいじり倒される。結局、クロノはブレイブソウルがつやつやするまで解放されなかったのであった。
「で、さあ。」
「……どうした?」
「蒐集を始めるのはいいとして、グレアムさんをほったらかしにしていいの?」
「……そうだな。彼をどうにかしないと、下手をすれば我々全員が犯罪者だ。」
グレアムの名が出てきたところで、身を固くするはやて。出来るだけ感情を出さぬように、反射的に表情を殺すシグナム。
「ふむ。そのグレアムという御仁が、何か問題でも?」
「ああ、そういえばブレイブソウルは知らないんだっけ。プレシアさん、ちょっとブレイブソウルにその辺の資料を全部転送して。」
「ええ。」
プレシアから転送された資料を確認し、一つため息をつくブレイブソウル。こういうところは、デバイスは便利だ。
「……まったく、難儀な話だな。」
「難儀な話なんだよ。で、クロノ。グレアムさんはこの件について、何をもくろんでるか分かった?」
「ああ。先生は……。」
少し言いよどんで、ひとつ深呼吸、覚悟を決めて結論を話す。
「先生は、闇の書を永久凍結封印しようとしている。」
「封印か。普通に封印かけて、うまく行くものなの?」
「いや。現時点で封印をかけたところで、書が転生をして終わりだ。だから、完成し起動し始めたタイミングを狙って、力技で封印するしかない。先生はそのための準備をしていた。」
少し黙り込む優喜。その間に、ブレイブソウルがコメントをこぼす。
「提督殿がどう考えているかは分からないが、単に封印するだけというのは、悪手ではないがいい手ともいえんぞ。」
「……だね。封印ってのは、破られるのが前提だ。確かに単に破壊するよりは稼げる時間は長いけど、その間に対応策を用意できないんじゃ意味がない。」
「そもそも、問題はそこじゃない。永久凍結封印ということは、事実上それ以上の対策を放棄している、ということだ。何しろ、対象のすべてを凍りつかせて封印するわけだから、一度やってしまうと封印を解除しない限り一切干渉が出来ない。」
クロノの台詞に、小さなため息が漏れる優喜とブレイブソウル。そこまでお膳立てを立てておいて、現時点で闇の書に対して何のアクションも起こしていないとなると、多分グレアムには自分達のように書の解析に対して、他に打つ手がないのではないか、そう推測できてしまう。
「それで、その永久凍結封印とやら、そうそう気楽に出来るものなの? というかそもそも、夜天の書の封印って、どうやるの?」
「指摘のとおり、そう簡単に出来るものじゃない。まず、現段階では、主にしろ書にしろ、封印をかけてしまったが最後、主を吸収して転生をしてしまうだろう。それを防ぐためには、特定のタイミングで、主と書を同時に封印するしかない。」
「それのタイミングとは?」
「書が完成し主を取り込んで、暴走を開始する直前、もしくは暴走を開始した直後。これなら、主が死んだわけではないから転生プログラムは働かないし、完成しているのだから、蒐集をしない主を吸収して転生する、ということもありえない。」
その言葉に、本日何度目かのため息をつく優喜。
「何の対策も打たずにそんなタイミングで封印って、何かの拍子で封印が解けたら最後だよね。」
「ああ。だから、提督のプランは阻止しないと。」
「いや。封印の準備そのものは止めなくてもいいよ。そっちはそのまま進めてもらって、その上でグレアムさんにはこっちについてもらう。」
「そうだな。私も友の意見に賛成だ。現状、修復が間に合うかどうかが非常に微妙だ。もしどうにも間に合わないとなった場合、最低限、書の暴走を止められる手段が確立できるまで、永久凍結封印を行う以外にはやてを助ける手段がない。」
ブレイブソウルの意見に、沈黙を守っていたシグナムが口を開く。
「……本当に、それしかないのか?」
「理論上は、無いわけではない。」
「それはどんな手段だ?」
「八神はやてが夜天の書のマスター権限をもぎ取り、防衛プログラムを切り離した上でこれを破壊、再度防衛プログラムを生成する前に管理人格とセットで夜天の書本体を完全破壊する。この方法なら、いろいろな意味で後腐れなく片が付くが、正直お勧めはしないな。」
ブレイブソウルに言われるまでもなく、即座にそのプランを破棄する管理局サイド。それに対し、何がまずいのか理解し切れていない様子のヴォルケンリッター。
「それではまずいのか?」
「あまりにも博打要素が強すぎる。そもそも、入り口段階のマスター権限をもぎ取ることすら、かなり上で見積もっても成功率は一割を切るだろう。それほど、防衛システムの破損がひどい。それに、だ。」
ブレイブソウルははやてを正面から見据え、彼女にとっては到底受け入れることが出来ない言葉をつむぐ。
「はやて、君は自身の生存のためだけに、ヴォルケンリッターと管理人格を殺すことが出来るか?」
「……出来るわけあらへん。」
「主はやて……。」
「まだ、家族と呼ぶんもおこがましい関係かも知れへんけど、それでもシグナムも、ヴィータも、シャマルも、ザフィーラも、皆家族のつもりや。身内殺して自分だけのうのうと生きるんなんか、それこそ死んでもお断りや。」
はやての言葉と表情に、息を呑むシグナム。そんなシグナムに目もくれず、はやてはブレイブソウルの視線を押し返しながら、更に言葉を継ぐ。
「それに、や。その管理人格さん、ずっと一人で寂しい思いして、やっと出てきたと思ったら暴走したプログラムのせいで主殺して周りの人を殺して、独りぼっちになってまた転生、言うんを繰り返してたんやろ? それやったら、今度こそちゃんと受け入れてくれる家族が必要や。最後まで一人寂しく、なんてことは絶対認めへん。」
「だ、そうだ、烈火の将よ。」
「……。」
「はやての意見も聞いたし、クロノ、早いところグレアムさんと会う段取りお願いね。」
「ああ。」
こうして、今後の方針がすべて決まったところで、いい時間になったのでお開きにする一同。ブレイブソウルもアウトフレームを解除し、優喜のジャージのポケットに侵入する。シグナム達の思いつめた表情を気にしながらも、皆順次帰路につく。はやての家が近付いたあたりで、シグナムがブレイブソウルに念話で声をかける。
(ブレイブソウル。)
(ん? どうした、烈火の将?)
(おまえは、リンカーコアの摘出術は使えるか?)
(術式さえあれば、出来なくはない。)
(ならば、コアの蒐集方法と一緒に、術式を転送しておく。)
シグナムの言葉に、怪訝な顔をする(と言っても、現在は単なる玉なので、表情など誰にも分からないが)ブレイブソウル。
(穏やかではないな。一体何を考えている?)
(過去の罪を清算してくるだけだ。ただ、多分我らの命はないだろうから、お前にこれからの事を託す。)
(そういう事は、友に言え。私は単なるデバイスだ。)
(だが、ベルカの同胞だ。それに、竜岡に話せば反対するに決まっている。第一、主はやてには、この事を知られるわけにはいかん。)
(……まったく。貴公らは昔も今も、こういう事には頭がかたいな。どうせ止めても聞かんのだろう? ならばせめて、こちらの足を引っ張らないようにしてくれ。)
(言われるまでもない。)
ブレイブソウルの、匙を投げるような言葉に内心苦笑しながら術式その他を押し付け、とっとと家に入る。これ以上長々と話をすると、優喜に悟られて、止められかねない。少なくとも、すでに何かを企んでいることは、ばれていると考えた方がいいだろう。
正直、シグナム達はブレイブソウルを全面的に信用しているわけではない。ただ、これまでの言動について、夜天の書に関してだけは一貫してまじめな態度を貫いてきたことから、この事に関してだけは信用してもいいと判断したにすぎない。そして、蒐集のための手段を押し付けておけば、相手の存在意義から、悪いようにはしないだろうと考えただけである。
「はやてちゃん。そろそろ小学生が起きている時間じゃないわ。早くお風呂に入って、早くおやすみなさい。」
「はやて、一緒に風呂はいろーぜ。」
夕食を終え、それなりの時間になったことを確認し、はやてを寝かしつけるための行動を開始する。先ほどのはやての態度を考えると、自分達がやろうとしていることを、決して認めはすまい。ゆえに、絶対に悟られてはならない。主を騙している事に後ろめたさを感じつつ、自分達にとって最後の入浴になる可能性を考え、相手に対して失礼にならぬよう、丁寧に身を清める。
日付が変わり、はやてが完全に寝入ったことを確認すると、ヴォルケンリッターはおもむろに行動を開始した。
「ギル・グレアム提督、聞いておられるか?」
盗聴されて、監視されていることを逆手に取り、相手に声をかける。暗黙の了解で、こういった時の代表はシグナムだ。
「聞いておられるなら、直接会って話したいことがある。出来れば主には知られたくない。可能な限り早く、時間を取ってはいただけないだろうか?」
慇懃無礼の典型例のような要求に内心苦笑しつつ、他に言葉の選びようも譲歩できる部分もない事を再認識し、しばらく時間をおいて、再び同じことを告げる。明け方近くまで同じことを繰り返すと、自分達の目の前に、双子の使い魔が現れる。
「……どう言うつもりよ?」
「どうもこうもない。言葉通り、貴方がたに話したいことがある。とても大事な事で、主に知られるわけにはいかない事だ。だから、ここではまずい。」
「信用できねーって言うのも分かる。だから、そっちにこいつを預ける。」
ヴィータが、己の唯一無二の相棒、グラーフアイゼンを待機状態のままリーゼアリアに投げてよこす。それに習って、シグナムもシャマルも、己が相棒を待機状態のまま相手に差し出す。
「これで、私達は貴方達に対抗する能力を失ったわ。これだけでは不満かもしれないけど、それ以上については、貴方達の主と話をしてから、よ。」
「……分かったわ。いいでしょう。」
「……アリア、こいつらを信用するの?」
「ロッテ、たとえ四人いるとはいえ、貴方はデバイスも持っていない魔導師に後れを取ると言うの?」
「まさか。デバイスがあったところで、二人多いぐらいは丁度いいハンデ。」
「だったら、問題ないでしょう?」
ちょうどいいハンデ、という言葉にカチンとくるものが無くもないが、相手が低く見積もっても自分達と大差ない実力を持っていることは、見れば分かる。その上で、相手はヴォルケンリッターの事を全て知り尽くしていると考えていいのに対し、こちらは相手の事を何一つ知らない。不意でも打たれない限り一方的に負けるとは思えないが、二対四でも負ける可能性があることは否定できない。
そんな益体もないことを考え、そもそも戦う事などあり得ない、と思考を切り替えるシグナム。自分達の目的を考えると、戦ってはいけないのだ。
「では、話し合いに応じてくれるか?」
「ええ。」
無愛想にそう言い捨てると、転移魔法を発動させる。どうやらどこかの屋敷の内部らしい。時の庭園の城内を彷彿とさせる廊下に転移した一同は、猫姉妹の案内に従い、館の主の部屋らしい一室の前に来る。
「父様、ヴォルケンリッターを連れてきました。」
「入りたまえ。」
「失礼する。」
豪華だが上品な調度品で統一された室内で待っていたのは、初老の立派な髭を蓄えた、上品で柔和そうな男性であった。
「突然押し掛けて申し訳ない。ヴォルケンリッターが剣の騎士、シグナムだ。貴方がたに、どうしてもお願いしたいことがあって、無理を承知で時間を頂いた。」
「挨拶はいい。要件を聞こう。」
「では、単刀直入に言う。我々は、貴方に首を差し出しに来た。」
シグナムの発言に、室内は沈黙に包まれる。あり得ない相手からあり得ない言葉を聞いた。猫姉妹の顔に浮かぶのはそれにつきる。
「……どう言う風の吹きまわしかね?」
「簡単な話だ。我々が犯した罪に、当時生まれてもいなかった主はやてを巻き込むのは、一切筋が通らないだろう?」
「……お前達が首を差し出したからって、なにも変わらないよ!」
「分かってる。失われたものは戻ってこない。アタシ達がそっちに首を差し出したからって、死んだ人が生き返るわけじゃねえ。こんなことで、アタシ達がしでかしたことが帳消しになるわけがねえ。」
シグナムとヴィータの言葉に、グレアムが感情を感じさせない口調で、質問を紡ぐ。
「それが分かっていて、何故今更そんな事を?」
「夜天の書の修復のために、管理人格を起こす必要が出てきました。」
「……管理人格が目覚めると言う事は、そのまま暴走すると言う事ではないのか?」
「それは違う。主はやてがマスター権限を得るためには書を完成させなければいけないが、管理人格を起こすだけなら四百ページあればいい。そして、管理人格を起こせば、書のプログラムを複製することができる。書が完成するわけではないから、その時点では暴走も起こらない。」
シグナムの言葉に、微妙な沈黙が下りる。優喜が噛んでから、闇の書についてはすでにグレアム陣営の監視下を完全に離れている自覚はあったが、ここまで話が進んでいたとは予想外だったのだ。そもそも、書の転生を確認してからの数年間、グレアムの動ける範囲でとはいえ、出来ること全てで調査をし、修復も完全破壊も断念したというのに、あの小僧が噛んだだけで、正確なコピーを取る手段を確立したというのだ。俄かには信じがたい話だ。
「正直に言うと、究極的には主はやてが助かるのであれば、最終的に夜天の書の処遇が修復でも完全破壊でも構わない。その結果、我らの存在がこの世から消えるのも問題ない。だが、どういう方向にもっていくにしても、一度はある程度の修復が必要だ。そのために貴方がたの協力がどうしても必要なのだ。」
「だが、貴方がたの協力を得るためには、どう考えても俺達の存在が邪魔だ。だから、首を差し出しに来た。この首と引き換えに、彼らに協力していただけないか?」
「……私達を、馬鹿にしているの?」
リーゼアリアの言葉に、沈黙を返すヴォルケンリッター。どう取られたところで、彼女達に文句を言う権利はない。どう言い繕ったところで、言い訳と取られるだろう。そして、それはすべてシグナム達の責任だ。
「……我らの望みはただ一つ。」
「この首と引き換えに、過去の事を一度手打ちにしてほしい。」
「過去の罪を、生まれてもいなかった子供に背負わせないためにも、これ以上同じことを繰り返さないためにも。」
「俺達を許せとは言わん。刈り取った首を晒そうが蹴鞠にしようが文句は言わん。闇の書の新たな悲劇を確実に食い止められるなら、我らが主が不幸を背負わずに済むなら、この首、惜しくもなんともない。」
ヴォルケンリッターの、余りにも身勝手な言い分に、今度こそ怒りが臨界を突破するリーゼロッテ。一切の手加減なしでシグナムを殴りつける。不意打ちでも何でもない、怒りにまかせた大振りのその一撃を、一切の防御なしで無抵抗で受け入れるシグナム。
「大人しく話を聞いてりゃ身勝手なことばかり言って! なにが首を差し出す、だ! なにが一度手打ちに、だ! 勝手な理屈こねて、自分の罪から逃げてるだけじゃない!」
感情に任せてシグナムの体を滅多打ちにするロッテ。室内に骨が砕ける音が鳴り響き、瞬く間にシグナムの体に、まともな姿を保った部位が一つもなくなる。普通の人間なら、最初の一撃で即死していてもおかしくないが、残念ながら、ベースとなったヴォルケンリッターが、生前からこの程度のダメージではそうそう死なない鍛え方をしている。ゆえに、必然的に私刑の時間も長くなり、見るに堪えない姿になっていく。
「そりゃアンタ達は満足だろうさ! だけどね! 死んだ人の家族は、この程度じゃ納得できないほど苦しんでるんだよ! その人たちを、どこまで馬鹿にすれば気が済むのさ!」
ボロ雑巾と表現するしかない姿のシグナムを、天井に届くほど大きく蹴り上げる。地面に落ち、ピクリとも動かなくなった彼女の顔面を踏みつけ、ロッテが最後の一言を告げる。
「分かったよ! アンタの望み通り殺してあげる! 地獄でせいぜい後悔しな、卑怯者!!」
「そこまでだ、ロッテ。」
シグナムの頭を踏み砕こうとしたロッテを、グレアムが止める。
「……今日のところは、お引き取り願おうか。」
「分かりました。今日のところは出直します。」
ボロ雑巾となったシグナムを、可能な限り表情を動かさずに回収し、将の代理として静かに告げるシャマル。
「アリア、彼らにデバイスを返してあげなさい。」
「はい、父様。」
アリアが感情を見せぬ顔でデバイスを投げてよこす。受け取ったクラールヴィントを展開し、転移術の準備をしながら頭をひとつ下げる。グレアムの興味が自分達から消えたのを確認すると、シャマルは速やかに撤退した。
「優喜君! シグナムたちがおらへん!」
朝一番のはやてからの電話で、大慌てで八神家に出向く優喜となのは。あまりにただならぬ様子に、どうにも嫌な予感がして仕方がなかったからだ。その予感は的中し、呼び鈴と同時に転がり落ちるように出てきたはやてが、優喜となのはにすがりついてきた。
「はやてちゃん、どうしたの!?」
「優喜君! なのはちゃん! シグナムが! シグナムが!!」
ただならぬ様子のはやてをどうにか宥めながら、八神家に入ってく優喜となのは。どうにか話を聞くと、優喜に電話をかけて少ししたぐらいに、ヴォルケンリッターが瀕死のシグナムをつれて戻ってきたらしい。何があったかを問い詰めても頑として口を割らず、治療魔法をかけることにすら首を縦に振らないシャマルに業を煮やし、いっそ主の命令を盾にせめて治療だけでも、と考えた矢先に優喜たちが来たらしい。
「とりあえず、まずはシグナムを見せて。」
「う、うん……。」
「なのははここに……。」
「私も手伝うよ。回復魔法は苦手だけど、小さな傷ぐらいは治療できるから。」
こういうとき、なのはは絶対に言うことを聞かない。あきらめてなのはに念押しをして、一緒にシグナムの部屋に入っていく。
「……これはまた。」
「……。」
無残、という言葉にも限度があるだろう。そんな状態のシグナムに、さすがに言葉を失い目を逸らすなのは。当人の元からの強靭な生命力に加え、守護騎士プログラムによる補正などがなければ、とうの昔に命を落としているだろう。
(ブレイブソウル。)
(どうした、友よ?)
(クロノとユーノに連絡とって。)
(分かった。)
ブレイブソウルに必要な指示を出した後、なのはと二人で気休め程度の治療を始める。まずは麻酔代わりのツボをついて痛みを麻痺させ、折れている骨を正常な位置に矯正し、気を通してダメージを軽減させる。本来なら、自分の生命力だけで治る怪我などは出来るだけ魔法や気功に頼らず治すべきだが、そもそも回復力が衰える、などという副作用の無い守護騎士たちの場合、むしろ治せる傷はとっとと治した方がいい。
「それで、なにがあったかは大体予想がつくけど、治療すらしないのはどういう事?」
「信義の問題です。」
「信義、か……。」
「どういう事や、シャマル!」
「これからの行動をスムーズに行かせるために、グレアムさんのところに命を差し出しに行った、ってところじゃない?」
優喜の指摘に対しても、なにも言わないシャマル。その態度が答えだろう。
「シャマル、私のため、か? 私が何時、そんなことせえて言うた? 私が皆を犠牲に生き残って、喜ぶと思ったん?」
「……。」
ぐちゃぐちゃになった思考で、シャマルに詰め寄る。あくまでも答えを返さぬシャマルに業を煮やし、怒りの矛先を実行犯に向ける。
「夜天の書を修理する、言うんはここまでされなあかん事なん!? 私はそんなに助かったらあかんの!? そんなにおじさんは私を封印したいん!? そこまで私の事が憎いん!?」
「……。」
「聞いてるんやろ、おじさん!! 私が生きてることがあかん言うんやったら、私を殺しに来たらええやん! 封印しかない、言うんやったらとっとと封印したらええやん! それしかない言うんやったら黙って封印でも何でもされたるから、これ以上私から家族を取らんといて!!」
今まで、いろいろなことを柔和な態度で受け流し続けてきたはやて。そのはやてが、初めて心から叫びをあげる。そこが限界だったらしく、はやては初めて、優喜達の前で号泣した。
「はやてちゃん……。」
効果が認められない回復魔法を中断して、はやてを抱きしめるなのは。その直後に、クロノが転移してきた。
「……もっと早くけりをつけるべきだったか。」
「……クロノ、早かったね。」
「ああ。いろいろ予定がパーだが、さすがに見過ごせる状況じゃないからな。」
クロノに続いて、ユーノが転移してくる。一目でシグナムの状況を理解すると、なにも言わずに治療を始める。
「なのは、悪いけど今日は学校休むから、士郎さんに連絡お願い。あと、アリサとすずかにも声をかけておいて。」
「うん。はやてちゃんをこのままにしておけないから、私も今日はお休みするよ。」
「お願い。ただ、なんか、どんどん出席日数があやしくなりそうだなあ……。」
しかも、これだけやって教師に目をつけられて、はやてが助かること以外に優喜達にメリットがないのだ。人脈がどうとかいうのは、将来的にはともかく現状ではそれほど嬉しくもない。
「とりあえずクロノ、準備は出来てる?」
「ああ。プレシアさんが、現状についての資料を全部用意してくれていたから、いつでも行ける。」
「じゃあ、さっさと終わらせに行こう。ユーノ、あとは任せたよ。」
「ん。任せて。」
ユーノの返事を聞いた優喜は、クロノの指示に従い、ブレイブソウルの転移術でグレアム一派の本拠地に直接乗り込むのであった。
ギルバート・グレアムは悩んでいた。
「……どうにもしっくりこないね。」
彼らが去ってから数分後、ぽつりと漏らすグレアム。その一言を耳ざとく聞きつけ、アリアが質問を投げかける。
「なにがです?」
「十一年前に相対したヴォルケンリッター。彼らは、あそこまで表情豊かだっただろうか?」
「あんなの、振りに決まっています!」
「振りをするにも、ある程度感情や人格というものは必要だ。だがね、ロッテ、アリア。十一年前の彼らに、人格らしきものを感じたかね?」
グレアムの言葉に、返事を返すことができずに沈黙するロッテとアリア。そう、彼女達もそこに違和感を感じていた。監視をしていた時にも、人格を持っていると感じられる言動をいくつもしてはいたが、主の望みにしたがってそう見えるように振舞っていただけだと思っていた。だが……。
「他にもしっくりこない事はある。」
「しっくりこなくてもいいじゃないですか。」
「どうせあいつらも蒐集を開始するんだし、犯罪者として闇の書と一緒に封印するんだし、さ。」
「アリア、ロッテ。そうやって違和感を無視して話を進めると、いつぞやの少年の時のような失敗を犯しかねない。」
優喜の事を例に持ち出されて、またもぐうの音も出ずに沈黙するリーゼ達。
「話を戻そう。彼らは罪を清算するために、首を差し出しに来たと言っていたが、どうにも自身がどれほどの罪を犯したのか、いまいち実感していないように感じた。ロッテがあそこまで怒ったのも、そのせいではないかね?」
「うん。あいつら、あんなことを言いながら、全然分かってないように見えて、腹が立って腹が立って……。」
アリアも同じように感じたようだが、グレアムは少々感じ方が違った。実感していない罪ではあっても、ちゃんと罪悪感と呼べる感情自体は持っていた。今後のためにちゃんと清算せねばならない、という強烈な意志は、どこかかみ合っていない交渉であっても痛いほどこちらに伝わってきた。
そもそも、いくら我慢強いと言っても、命にかかわる一撃を、完全に無防備に受けることなど、生半可な覚悟では出来ない。その一点を取っても、彼らが本気で首を差し出しに来たことは疑う余地はない。少なくとも、ギルバート・グレアムはそう判断した。
「それに、そもそも以前の言われたことをこなすだけの人形なら、独断専行で首を差し出しに来た揚句、主の命に背いて将の治療を行わず、独断専行の内容を頑として口を割らない、などと言う事はあり得ない。」
先ほど漏れ聞こえてきた八神家のやり取り、それがグレアムの疑念を決定づけた。どれほどはやてが詰め寄っても何一つ口を割らず、あえてよそよそしい態度を取ってまで黙っている。首を差し出したという信義に基づいての行動であれば、彼らは何一つ嘘をついていない、という事だろう。
「独断専行じゃなく、誰かの入れ知恵を受けた主に命じられて、という可能性はあります。」
「否定は出来ないが、その確率は高くはないだろう。」
八神はやての性格を鑑みるに、自分が生き残るためにヴォルケンリッターの首を差し出すなど、百パーセントあり得ない。グレアムのそんな思いを裏付けるように、盗聴器からはやての叫び声が聞こえてくる。
『夜天の書を修理する、言うんはここまでされなあかん事なん!? 私はそんなに助かったらあかんの!? そんなにおじさんは私を封印したいん!? そこまで私の事が憎いん!?』
「……。」
『聞いてるんやろ、おじさん!! 私が生きてることがあかん言うんやったら、私を殺しに来たらええやん! 封印しかない、言うんやったらとっとと封印したらええやん! それしかない言うんやったら黙って封印でも何でもされたるから、これ以上私から家族を取らんといて!!』
「勝手なことを……。」
「……勝手なことを言っているのは、我々かもしれないよ。」
ロッテのつぶやきに、かすれた声でこたえるグレアム。はやてに闇の書を暴走させ、永久凍結魔法で封印する。それ以外に確実に被害を抑えられる手段はない。グレアムは今でもそう確信している。だが、それと彼女や周囲の人間に暴力を振るう事とは別問題だ。
本来、はやては完全に被害者だ。書の主になってしまったのは、本人には避けるすべのないことだし、ヴォルケンリッターが蒐集を始めていない以上、主であることで犯罪者として扱われるわけではない。方法論の問題で犯罪者の汚名を着せることになるが、本当ならこちら側が頭を下げて許しを請うべき相手だ。
「……転移反応を確認しました。」
「アリア、彼らを出迎えてくれ。」
「分かりました。」
「提督、正直あなたには失望しました。」
「顔を出すなり不躾だね、クロノ。」
「不躾にもなります。管理局員、それも提督の地位にまで上り詰めたものが、怨みと憎しみに駆られてリンチを行うなど、決してあってはならない事です。」
「……そこは私の不明だ。なにも言い訳は出来ない。」
「父様!?」
「クロスケ! アンタあいつらの肩を持つって言うの!?」
クロノの言葉に、かなりカチンとくるロッテ。そんなロッテに取り合わず、グレアムを真正面から睨みつけ、思いの丈をぶつける。
「管理局員は法を守らせる立場です。そのトップクラスに位置する人が、努力を放棄して無実の人間に罪をかぶせて封印するなど、認めるわけにはいきません。そんなことをすれば、死んだ父に顔向けができなくなる。」
「クロノ! そのクライド君を殺したのは、あいつらなんだよ!?」
「ヴォルケンリッターが手を下したわけじゃない。それに、はやては父さんの死に全く関与していない。」
「あいつらが殺したようなもんじゃないか!!」
アリアの叫びに一つ首を横に振ると、クロノは先ほどから感情的に叫ぶ猫姉妹に対して、睨みつけるような目で言葉をぶつける。
「ロッテ、アリア。いい加減、父さんの死を冒涜するのはやめてくれないか?」
「クロスケ!?」
「クロノ、どういう意味よ?」
クロノの言葉にショックを受けた二人が、思わず食って掛かる。だが、クロノは一切取り合わず、再びグレアムに向き合う。
「提督、あなたのプランは、法的にも道義的にも、問題が多すぎます。何より、何の対策も用意せずに封印をかけるのは、復活周期が長くなるだけで、アルカンシェルで主ごと吹き飛ばすのとなんら変わらない。」
「……では、君達のプランなら、確実に問題を解決できるのか?」
「確実に、とはいえません。でも、時間さえあれば、必ず修理は完了する。」
「根拠は?」
「それは私が説明しよう。」
ここまで沈黙を保っていた優喜のジャージから、ブレイブソウルが飛び出す。さっさとアウトフレームを展開すると、その場にいた人間に挨拶を開始する。
「私はベルカ式融合騎兼祈祷型アームドデバイス・ブレイブソウル。夜天の書の製作者の手により、書に有事があった際のカウンターの一つとして製作された。長い付き合いになると思うので、まあ見知っておいていただきたい。」
「書の、カウンター……?」
「そんなものをどこで!?」
「わが友の指示により、ユーノ・スクライアが発掘した遺跡に私があった。確かに引き当てたのは奇跡に近い類の偶然だが、少なくとも、資料から遺跡を割り出して発掘するという行動を起こさねば、そんな低確率の偶然すら起こりはしない。当たり前の道理だろう?」
ブレイブソウルの言葉、その道理に返す言葉もなく沈黙する。
「私はこの身に、書のソースプログラムと暗号解析コード、それにハッキングツールを搭載している。私のハッキングツールは強力だぞ? 何しろ、夜天の書を転生させずに書き換えが出来るのだからな。」
「なるほど、それなら確かに修理が可能であると自信を持って言えるわけか。」
「それで、だ。修理のために現状のプログラムをコピーする必要があるが、残念ながら管理人格を起動させねば、メンテナンスツールによるコピーが不可能だ。ハッキングツールで吸い出す手もあるが、切り札はあまり多用しない方がいい。」
「道理だ。」
グレアムが重々しく頷くのを見て、現状の進捗をグレアムに説明し始めるブレイブソウル。
「……我々が何年もかけて出来なかったことを、君たちはたった数ヶ月でやってのけたのか……。」
「運がよかっただけだよ。運よく能力のある研究者と仲がよかった。運よく、資料の検索能力が高い友人がいた。運よくリンディさんたちが恨みを吹っ切っていた。」
「……だが、彼らが君に協力的なのは、君が自身より彼らのことを、なによりはやてのことを優先していたからだろう。」
「グレアム卿。今更貴殿に言うことではないが、人間、本当に求めていること以外の道は案外見えないものだ。今はともかく最初に対策を探したとき、貴殿は本当は復讐を望んでいたのではないか? でなければ、使い魔がここまでトチ狂うとは考えづらい。」
ブレイブソウルの指摘に、渋い顔で沈黙するグレアム。彼女に言われるまでもなく、当時の自分が復讐に目がくらんでいたことは否定できない。主とのリンクを通してその激情にさらされ続けたアリアとロッテが、主の頭が冷えた今でも結論を変えられないのも無理もなかろう。
「グレアムさん、あなたは今でも闇の書に復讐をしたい?」
「……分からない。分からなくなった。」
「提督、僕達が、父を、夫を失った人間が悲劇を食い止めようとしているのに、あなたはなぜそれをためらう!?」
「クロノ。私のような大人はね、過去にしがみついてしまうのだよ。ここまで進めてきて、などとくだらない感傷でね。」
「提督、もう一度言います。八神はやてにすべてを押し付けて表面上の解決をするような、非人道的な解決はやめてください! これ以上父を冒涜しないでください!!」
クロノの叫びにも言葉を返さず、己の中の答えを探すために瞳を閉じる。永遠にも感じる数分の沈黙の後、グレアムは優喜に視線を向け、結論を質問の形で口に出す。
「……それで、君は私に何を求めるのかね?」
ここが潮時だろう。認めたく無かっただけで、本来は当の昔に自分が間違えていたことぐらい分かっていたのだ。結論を支える理由が消えてしまった以上、感傷に浸って教え子の言葉を拒否するのは、ただの老害だ。
「父様!!」
「こいつらを信用するの!?」
「仇敵が筋を通し、教え子に窘められ、それでも己を貫けるほど、私は強くないのでね。ロッテ、アリア。これ以上自分でも正当性を見出せない復讐のために、クライド君と誓った己が理念を踏みにじることは、私には出来ない。」
穏やかな、実に穏やかな口調で使い魔たちに語る提督。場違いな使命感と一体となった復讐心を捨てると決めたとたん、素直にすべきことを受け入れられる自分に気が付く。
「それで、実質的なリーダーである君に聞こう。私に何を求める?」
「まず、永久凍結封印の準備はそのまま進めてほしい。時間切れのときの対策として、今のところそれ以上の手段がない。」
「他には?」
「このプロジェクトの旗振り役として、矢面に立ってほしい。」
「……ずいぶん大胆なことを言うね。」
「リンディさんだと、階級的にも年齢的にも厳しいと思ったから貴方にお願いしたいんだけど、無理そう?」
優喜の言葉を笑い飛ばすと、グレアム提督は力強く宣言する。
「面白い。その挑戦、受けて立とう。」
ギルバート・グレアムのこの宣言により、水面下で進んでいたプロジェクトは、ついに管理局の正式な事業となったのであった。