「こんにちは、すずか。」
リニスが高町家に来た翌日の放課後。忍とすずかの叔母に当たる綺堂さくらが、すずかの帰りを待っていた。ちなみに、忍より四つほど年上のうら若き美女で、血縁上とはいえ叔母と呼ぶのは気の毒な相手だ。
「あ、さくらさん、こんにちは。」
こんな時間に、この叔母と呼ぶには若すぎる女性がここにいるのは珍しい。月村家とは親しくしているが、いろいろと忙しい人なのだ。
「明日、例の竜岡君のところに行くのよね?」
「うん。作ってほったらかしにしてあるアクセサリを見せてもらいに。」
そう、と頷いたさくらが、ハンドバッグからはがきサイズの小さな封筒を取り出す。
「だったら、悪いのだけど、これを竜岡君にお願いできるかしら?」
「えっと、ゆうくんに直接渡せばいいの?」
「ええ。お願いね。」
「はーい。」
日ごろお世話になっているのだし、別に大した用事でもないしと、二つ返事で引き受けるすずか。この封筒に、無駄に高度で激しくくだらない罠が仕掛けられていることなど、この時点では渡したほうも渡されたほうも知らない。さくらもすずかも、一族の誰かから優喜へアクセサリの注文を出した、ぐらいの認識しかない。せいぜいさくらが、誰からこの封筒が回ってきたかを知っている程度だ。
「それじゃ、もう一件、用事があるから。」
「いってらっしゃい。」
さくらを見送って、着替えに上がる。頼まれた封筒を忘れないようにポシェットに入れ、さっさと着替えを済ませる。今日の移動は鮫島が担当する予定になっているので、迎えに来るまでに準備を済ませないとまずいのだ。
「すずかお嬢様、アリサお嬢様がいらっしゃいました。」
「うん。ありがとう。行ってきます。」
「行ってらっしゃいませ。お気をつけて。」
すずかが、封筒の仕掛けと渡した人間の真意について知るのは、それからほんの少し後であった。
「いらっしゃい、上がって上がって。」
「「おじゃまします。」」
なのはに促されて、高町家にお邪魔するアリサとすずか。はやてはすでに来ているらしい。
「ゆうくんは?」
「今、優喜君のお部屋で、はやてちゃんと話してるよ。」
「じゃあ、早速優喜の部屋を見せてもらおうかしら。」
「考えてみたら、男の子のお部屋って初めて見るよね。」
すずかの言葉に、あれが男の子の部屋の一般例として正しいのだろうか、と思ってしまうなのは。なのはも大して知識がある訳ではないが、自分たちぐらいの男の子の部屋には、普通プラモデルとかそのたぐいのものの一つや二つはあるのではないか、という気がしている。本棚にしても、なのはの部屋のものと、ジャンルが変わるだけで中身の構成は大差ないのが普通だろう。
もっとも、いくら本質的に普通の人なんてものが居ないとはいえ、優喜が普通の人間の範囲でくくれないのは間違いない。ならば、その部屋が一般例とかけ離れていても、なにもおかしくない。と言うよりむしろ、かけ離れている方が道理に合う。
「優喜君、アリサちゃんとすずかちゃんが来たよ。」
「ん。入って。」
声を掛けられて、恐る恐る入っていくアリサとすずか。部屋の中は、なのはが説明した通りの状態だった。あるのはベッドと机と本棚と箪笥。本棚には教科書と辞書以外の書籍はなく、ネックレスだのイヤリングだの指輪だのが、ある程度整理された状態で無造作に置かれている。机の上には図書館で借りたらしい本と工具と筆記用具があり、机の横には加工くず入れと古新聞の束が置かれている。
言うなれば、私室と言うよりは、寝室兼工房と言った方がしっくりくる有り様の部屋だ。机の上に置かれた図書館の本以外には、優喜の趣味・嗜好をうかがわせる類のものは何一つ存在しておらず、この部屋で落ち着けるのだろうか、と疑問がわかなくもない。なのはとフェイトが優喜の寝込みを襲った時から比べても、机の上の工具や完成品の数が増え、一段と工房化が進んでいるのは間違いない。
「おおよそ、毎日人が寝泊まりする部屋には見えないわね。」
「エッチな本とか、探す余地すら見つからんかったわ。」
「そういうのを、小三の部屋に求めない事。性欲もないのに、そういう本を持ってる訳がないでしょ。」
アリサの正直な感想に、はやてが余計な事を言う。はやての台詞に、ため息をつきながら返事をする優喜。ぶっちゃけ、この年代の子供がエッチな本に興味を示すとしても、性欲の解消よりむしろ好奇心に負けて、というのがメインの理由であることが多い。
「優喜君、性欲って何?」
アリサ達の分のお茶を運んできたなのはが、首をかしげながら優喜に質問する。
「アリサ、すずか、説明した方がいいと思う?」
「「あ、あははははは。」」
「というわけだから、もうちょっと学年が上がって、性教育が始まるまでまって。」
「え~?」
どうやら、この場で分かっていないのはなのはだけらしい。優喜は中身の年齢的に仕方がないにしても、他の三人は耳年増にもほどがある。
「思ったんやけど優喜君。」
「何?」
「性欲がらみはなのはちゃんに食い下がられると面倒やから置いとくとして、恋愛感情とかそういうのはどうなん?」
「あ~、どう言えばいいかな……。」
はやての質問に、興味津々と言う感じで視線を向けてくる三人。どう説明すべきか、うまい言葉が見つからない優喜。
「えっと、大体同い年ぐらいの男の子って、普通はあんまりそういうのに興味がない、って言うのは何となく分かるよね?」
「まあ、優喜君以外と話した事無いけど、そんな感じなんやろうとは思うわ。」
「そうね、クラスの男子を見てても、女とつるむのは格好悪い、見たいな事ばかり言って、恋愛にあまり興味がないらしい、って言うのは分かるわ。」
「まあ、高槻君みたいな例外もいるけど、ね。」
そこまで言って、聡明な彼女たちは、全部理解したようだ。
「僕の場合、心がある程度体に引っ張られてるから、そういう感性はクラスメイトと大差ない感じ。さすがに、女子と一緒にいると格好悪い、なんてことは思わないけどね。まあ、正直なところ、元の体と同じだったとしても、クラスメイト相手に恋愛感情は、難しいかな。」
「えっと、どうして?」
種族的な事も含めた結構深刻な理由を持って、すずかが恐る恐る聞く。
「だってさ。二十歳の男が九歳の子供に惚れたら、世間一般だと変態扱いだよ? 変な言い方だけど、皆だって赤ん坊に恋するとか、あり得ないでしょ?」
「「「「ま、まあ確かに……。」」」」
「さすがに、お互いが二十歳すぎたら、十歳ぐらいの年の差のカップルは珍しくないから、その頃になれば分からないけどね。だから仮に元の体だったとしても、クラスメイトをそういう目で見れるかって言われると、言い方は悪いけど、君たちが赤ん坊を見ているのと近い理由で無理。」
優喜の妙に説得力のある説明に、思わず納得する。とはいえ、話す気はないのだが、元の体の頃の優喜も、紫苑が自分に向けた感情がそうらしい、と理解はしていても、じゃあ優喜自身は恋愛感情を持っているのか、と言われると、はっきり言って、そもそも誰が相手でも恋愛感情を持てるかどうかの時点で怪しかったのだが。
子供の体からやり直しているために改善されつつあるが、元の体の優喜はとある理由で、性欲や恋愛と言った種の保存に関する本能や感情が、致命的なレベルで摩耗していた。その自覚があるため、紫苑に対しては申し訳なさもあって、ここ三年ほどはどう接していいか分からなかった。三年ほど、と区切るのは、ちょうどそのぐらいから、それこそ摩耗した優喜の目から見てすら、紫苑の態度があからさまになったのだ。
「すずかもフェイトも大変ね……。」
「まあ、フェイトちゃんは、いまだに自覚があるかどうかも怪しいけど……。」
思うところのあるアリサとすずかが、ひそひそと語り合う。ひそひそやったところで、優喜には筒抜けなのだが、言うまでもなく、二人とも分かってやっている。
「それはそれとして、欲しいものはあった? 作ってから没にしたのも結構あるんだけど。」
「とりあえず、絶対欲しい! 言うんはこのイヤリングと髪留めやけど、こっちのブローチとかもええなあ、って。」
「これだけいいのがあると、迷うよね。」
「この中に没が混ざってるって言われると、殺意のようなものがわいてくるのはなぜかしら。」
「アリサちゃん、どう、どう。」
「私は暴れ馬か!!」
などと姦しくやりながら、結局それぞれ二つずつぐらい選んで満足する。
「別に、処分に困ってるものだから、欲しいだけ持っていって構わないのに。」
「処分に困ってるんやったら、フリーマーケットか何かに売りに出したらええんちゃう?」
「それも考えたんだけど、近い時期に小学生が出品しにいけるような場所でやってるフリーマーケットがないみたいなんだ。」
「じゃあ、お父さんとお母さんに頼んで、翠屋で並べてもらうとか?」
「そうだね。士郎さん達に特に抵抗がないんだったら、ビニールにでも入れて値段適当につけて、三分の一ぐらい並べてもらうかな。」
などと、持ち帰り品を新聞紙で包みながら、売れ残りの処分について話をしていると、自分の分をポシェットに仕舞っていたすずかが、ポシェットの中を見て突然素っ頓狂な声を出す。
「あっ。」
「どうしたの?」
「頼まれてた預かりもの、渡すのを忘れてたの。」
そう言って、先ほどさくらから受け取った封筒を取り出し、優喜に差し出す。
「封筒? また注文の類かな?」
すずかから封筒を受け取ろうとして、かなり嫌な感じがして手を止める。
「どうしたの?」
「……夜の一族ってのは、洒落がきつい人が多いの?」
「え?」
「……OK、覚悟を決めた。多分意味はないと思うけど、ちょっとの間部屋から出てて。」
封筒を受け取りつつ、そんな事を言う優喜。真剣な顔で不敵に笑う優喜に、首をかしげながらも大事なことだと判断し、素直に指示に従う少女たち。こうして、今後こちらの世界において、優喜の付与魔術の師匠となる女性の試験は、誰ひとりその意図を理解しないまま始まったのであった。
「さて、見た事の無い術式だけど、この世界の魔術もしくは魔法の類かな?」
解析の術を発動させながら、ひとりごちる。やたらめったら凝った術の割には、解除に失敗した、もしくはしなかった場合の影響は軽いようだ。ただし、それは命に別条がなく日常生活に大きな影響がない、と言うだけで、精神的な被害が軽い、というのとは違う。
封筒そのものにかかっている呪いはどうやら、特定の行動が必ず失敗する、という類のものらしい。発動条件は、優喜が封筒を受け取ってから一時間の間何もしなかった場合。解除方法はこのまま封筒をあけるか、構成を解析して呪いを解くかの二つ。素直に封筒をあけてもいいのだが、これだけ無駄に凝った真似をする相手だ。何の小細工も無しにあけるのは危なっかしい。
ちなみに、優喜がこの手の術の心得を持っている理由は簡単。自分の作ったものを壊せるように、である。仮に失敗したものでも、何がしかの効果を持っていることは多いし、完成品が悪用される可能性もある。そのため、付与系の術は基本的に、解除・消去系の術とセットで教えられる。ただし、解除・消去系は単体でも有用なため、付与は出来ないがそっちは出来る、という人間は普通にいるが。
「……悪しき枷を解き放て。」
解除用の術を詠唱・構築し、キーワードを唱えて発動する。本来得意とするのは、詠唱など不要な中和系の術だが、相手が高度すぎてそれでは解除できない。なので、正統派の解読系解呪術でチャレンジ。術の選択は正しかったらしく、やたら入り組んだ呪いがするすると解け、呪われた封筒はただの封筒になる。が……。
「やっぱり、もう一個あったか。」
封筒の呪いに隠れて、中身にもっとややこしい呪いが仕込まれている。こちらの起動条件は封筒をあける事。呪いの内容は、特定の種類の食品を食べる際、なにがしかの障害が発生するという物。先ほどのものと同様、優喜が最も得意とする、無詠唱・即発動が可能な中和系の解除術では、明らかに手も足も出ない。
ぶっちゃけ、封筒をあけなければ話は終わり、なのだが、これだけ面倒な真似をしてこちらを試しているのだ。ここで放置などしたら、どんな目にあわされるか、分かったものではない。
「……すべての力を食いつくせ!」
解析の結果、自分の技量と手持ちの術では、かかっている呪いを力技で消す以外の選択肢はないと判断。準備と詠唱の長い、一番強力な消去魔術を、慎重に呪いに対してだけ叩きこむ。手ごたえあり。派手な音とともに呪いらしき気配は完全に消える。呪いとは別口の何らかの力が残っているが、解析が間違っていなければ、これは単なるメッセージだ。もう大丈夫だと判断し、追い出した子供たちを呼ぶ。
「ゆうくん、なんだかすごい音がしてたけど、大丈夫だった?」
「とりあえず、特に問題はなかったよ。どうにもずいぶん手加減をしてもらってたみたいだし。」
「で、結局何だったのよ?」
「この封筒、呪いが掛かってたんだ。」
「「「「呪い!?」」」」
さらっと、とんでもない事を言う優喜に、思わずはもる子供たち。
「まあ、呪いと言っても、一週間ぐらい、しょうもない妨害が入るぐらいなんだけどね。」
「妨害って?」
「そこまでは調べられなかった。多分、中に回答が入ってるんじゃない?」
なのはの問いかけに、中の紙を取り出しながら軽い口調で答える。予想通り、中の紙には、現在の状況を絶対監視しているだろう、という感じで呪いの内容が記されていた。
「えっと何々? 『試験合格おめでとうございます。二つ目が力技過ぎる印象はありますが、そこはおいおい勉強して修正しましょう。アリサさんとすずかさんは、優喜少年がちゃんと呪いの発動を阻止したことに感謝するように。』」
「感謝って何でよ?」
「『試験に出した呪いの内容ですが、一つ目は「プルタブ式の缶詰を開けようとすると、必ずタブが千切れる呪い」で、二つ目は「麺類を食べようとするとプツプツ千切れる呪い」です。どちらも呪われる対象は現在高町家にいる人間全員で、効果時間は一週間でした。』だって。」
「プルタブ式って……。」
「猫缶をあげられなくなる、って事かな? 確かにそれが一週間っていうと、寂しすぎるよね。」
ようやく、手紙が言わんとしている事を理解するアリサとすずか。なのはやはやてからすれば、むしろ二つ目の呪いのほうが嫌な感じだ。うどんをスプーンですくって食べるとか、勘弁してほしい状況だ。そもそも猫缶など、レトルトパウチ式のものでもいいのではなかろうか。
「『試験に合格した優喜少年には、ご褒美として夜の一族に伝わる付与系と解除系の魔法を伝授します。さし当たってはこの手紙の音読が終わってから五秒後に、入門編の書籍をそちらに転送しますので、今後も励みましょう。』か。手の込んだことをするなあ。」
優喜が読み終わってからきっちり五秒後。厳つい装丁の分厚い本が、手元に送られてくる。軽く中身を覗くと、律儀に日本語に翻訳された、いろいろ怪しい図解入りの実践テキストが記されていた。
「ねえ、すずかちゃん。」
「ん?」
「夜の一族って、魔法も使えるの?」
「使える人もいる、というのは聞いたことがあるかな?」
なのはの問いかけに反応したらしい。優喜の手元の手紙に、追伸の文章が追加されていた。
「ありゃ、追伸が来てる。『追伸。夜の一族が使う魔法は、なのはさんのものと違って、リンカーコアは関係ありません。なのはさんはそちらの才能が強い分、こちらの魔法を覚えるのは難しい可能性が高いので、素直に自身の才能を伸ばすことを考えましょう。』だそうな。こんな手のこんだことをするんだったら、直接こっちに来た方が早そうだけど……。」
優喜の突っ込みに対して、黒幕がほいほい姿を見せたらありがたみがない、という返事がわざわざ追伸として入った。こういう妙なところで手の込んだことをするあたり、多分この人も洒落がきつい人なのだろうと、自身の師匠を思い出しながら判断を下す優喜。
「すずか、こういう手の込んだしゃれのきついことをしそうな人の心当たり、ある?」
「えーっと、エリザ叔母さんならやりそうかな?」
「なるほど、心当たりがあるんだ。ならいいや。」
「えっと、いいの? どんな人かとか聞かなくても?」
「この人は僕に魔法を教えてくれるつもりらしい。だったら、そのうち顔を合わせることもあるだろうし。」
どういう動機でわざわざこんな回りくどいことをしたのか。そもそもなぜ優喜に、秘中の秘であろう夜の一族の魔法を教えようと思ったのか。正直分からない事だらけだが、この手の人間相手にそれを気にしても無駄だということは、自身の師匠相手に嫌というほど学んでいる。
「さて、それでこれからどうする? せっかくだから、みんなでゲームでもする?」
「あ、いいね。最近優喜君、あんまりゲームは相手してくれなくてつまんなかったし。」
「だってさ、なのはと遊んでも、テーブルゲーム系以外は一方的に負けるから盛り上がらないし。」
優喜の言い分に苦笑する。一見完璧超人っぽい優喜だが、アクションやシューティングなどのゲームは、それほど得意ではない。逆に、クイズは芸能とスポーツ選手絡み以外は異常に強い。
「今日は人数多いし、ボードゲーム系がええんとちゃうかな?」
「そうだね。」
そんなこんなで取り合えず、優喜の物騒な弟子入り試験と少女達のアクセサリー物色は、一応穏便に片がついたのであった。
「今日はありがとうな。」
「気に入ったのがあってよかったよ。」
「なんか、もらってばっかりで悪いわあ。」
「気にしないで。こっちも仲よくしてもらってるしさ。」
とはいえど、人間、してもらうだけというのは心苦しいものである。これが普通の小学三年生であれば、そんなことは一切気にしないものだが、はやては普通とは縁遠い少女だ。これが、優喜がはやての境遇に同情の念を持って、してやってる、などと言う見下したような感情でやっている事なら、却って心苦しくない。だが、実際には、優喜は何の気負いもなく、普通に年の離れた友達、ぐらいの感覚で接してきている。今回の事にしても、その延長線上だ。
友達、というのは、一方的に頼むだけ、頼まれるだけ、してあげるだけ、してもらうだけ、ではうまくいかない。優喜は仲よくしてもらっている、と言うが、はやての側かららすれば、それはお互いさまの話だ。その上で考えると、優喜に対して、はやてが出来ることなど驚くほど少ない。
多分、なのはもアリサもすずかも、さらには今海鳴にいないフェイトにしても、その事は痛いほど理解しているだろう。特にフェイトとすずかに関しては、自覚の有無を横に置けば、年からすれば早熟すぎるある種の感情もあって、してもらった事に対して返せるものが少ない、というのは、かなり切実な悩みのようだ。
なのはやフェイトほど生き急ぐつもりはないが、それでも早く大人になりたいとは思う。もっとできる事がいっぱいほしい。せめて、この足のハンデだけでも克服したい。皮肉にも、友達が増えたことで、子供である事、障害者である事の不自由さを、深く思い知ったはやてだった。
「それはそれとして、あの本持って行かんでええん?」
余計な思考を振り切って、気を取り直してとりあえず気になってた事を聞くはやて。なにしろ、闇の書の調査は、はやて自身の命にもかかわってくる。
「うん。どうにも通信状況が良くなくて、リニスさんとうまく連絡が取れない。だから、今日持って帰っても渡せないんだ。あんまり長く他所に持って行って、はやての体に悪い影響があっても困るから、明日また取りに来るよ。」
「そっか。ほな、また明日頼むわ。」
「うん。また明日。」
軽く別れのあいさつを済ませ、周囲に気を配りながら家路をたどる。予想通り、憎悪の視線が付きまとう。いつもと違い、直線距離で五百メートル程度の位置に、使い魔に近い気配。さすがにこれだけあからさまに動けば、監視者にとって見逃せる範囲を超えたらしい。ようやく動きを見せた彼らに、ひそかにほくそ笑む優喜。どうやら我慢比べと挑発合戦は、優喜の勝ちのようだ。
(さて、あとは向こうが、どれぐらい短絡的に動くか、かな?)
普段の帰り道をあえて避け、回り道をしてわざと人気のないところに移動する。抑えるつもりがあるのか疑わしいほどの殺気が、気持ち程度緩むのを確認。優喜の耳ですら、微かにしか聞き取れない音量で、少しずつ気配が近づいてくる。もっとも、これだけ殺る気満々だと、彼らの世界ではともかく、優喜の属する世界では居場所をごまかす事など出来ない。
(百、五十、三十……。)
相手の距離と移動速度から、タイミングを計る。途中で気配が二手に分かれるのを確認。一方は前方に回り込み、三十メートルで停止、もう一方はペースを維持したまま、後方から接近してくる。後ろの気配の距離が残り二十メートルを切った瞬間、前の気配が何か魔法を発動させ、一気に加速する。
「……はっ!!」
後方からの首を刈り取るような蹴りを避け、発勁で相手の脳を軽く揺らす。よもや不意打ちをよけられた揚句、ここまで派手に迎撃されるとは思っていなかったらしい。一瞬で意識を刈り取られる襲撃者その一。
一撃で相方が沈黙した事に、わずかに動揺を見せる襲撃者その二。冷静さを装いながら、優喜を沈黙させるための魔法を発動させようとするが……。
(遅い。)
三十メートルの距離をわずか一歩で詰め、脇腹から横隔膜を揺らしてやる。派手に呼吸を乱され、悶絶している間にもう一撃を入れ、完全に気脈を崩す。こうなると、いかに熟練の魔導師といえど、魔法など一切使えなくなる。そもそも、体のコントロールとセットで魔力の生成そのものが出来なくなるため、先にかけてあった持続時間式の魔法以外は、準備すらできなくなるのだ。
「さてと、正体を拝ませてもらおうか。」
今日は解除魔法の出番が多い、などと内心で苦笑しつつ、最も得意とする中和系で、相手の変身魔法を一瞬で解除する。先ほど試験と称して対処させられた呪いが芸術作品なら、襲撃者の変身魔法は誰でもかける落書きのようなレベルだ。一点の魔力を中和するだけであっという間に解けるのだから、優喜の感覚で見れば雑すぎる、と言わざるを得ない。
仮面をかぶった男の姿から、猫の耳としっぽが生えた、中肉中背の可愛いと評価するのが妥当であろう女性に変化した二人の襲撃者。その姿を携帯のカメラで撮影した後、とりあえず一応、目的を聞くだけ聞いてみる事にする優喜。
「じゃあ、どうせ聞いても教えてくれないだろうけど、一応聞いておくよ。何のために僕を襲ったの?」
相手の呼吸が落ち着くのを待って、静かに質問を切り出す。
「……。」
「質問を変えるか。貴女達にとって、僕の行動のなにがまずかった?」
「……これ以上、無関係な子供が深入りするのはやめなさい。」
女性の言い分に苦笑する優喜。最初の一撃は、なのはぐらいの強度のバリアジャケットでも、下手をすれば首が折れかねない威力だった。今までの経緯も観察した上で、これぐらいの蹴りでも大丈夫だと判断したのだろうが、間違っても子供と言いきる相手に叩きこむような攻撃ではない。深入りするな、と警告するためにする攻撃としては、明らかに度が過ぎている。
今の会話も、勝負がついたから冷静に振舞っているだけにすぎない。これが多分、優喜が運悪く闇の書にかかわりかけただけであれば、多分もっと加減も出来たのだろう。目の前の女性には、道理が分からない人間という印象はない。そんな彼女たちがここまでトチ狂うのだから、あの本がよほど憎いらしい。
「無関係、か。」
「あれがどれほど危険なものかも知らないくせに、こそこそ勝手な事をしないで。」
「なにもせずに放置すれば主を取り込んで転生し、ページを埋めれば暴走して周囲のものを取り込む困った書籍、ってことぐらいは知ってるよ。あと、完成前に主を殺しても、勝手に転生して新しい主を捕まえるってこともね。」
「……だったら、なおの事余計な手出しをしないで。」
目の前の女性のかたくなな態度に、ついついわざとらしくため息をついてしまう優喜。自分が広い視野に立って物事を判断していると言う気はないが、多分彼女達よりはましだろう。どうにもひとつの結論に執着し、それが絶対に正しいと思い込んでいる節がある。少人数で閉鎖的に活動していると、起こりがちな事ではある。
「悪いけど、本質的に巻き込まれただけの子供に、生まれる前に起こった事件の罪を押し付けて、その子が全部悪いことにして憎悪の目で見るような人の言うことを、素直に聞く気はないね。」
「私達がいつ、そんな目で見たって言うの!?」
「自覚がない、か。旅行のときとか、はやてが笑顔でご馳走食べてるだけで、殺気が五割増しになってたけど、本当に自分で気が付かなかった?」
「殺気なんて!!」
本当に自覚がないのか、それとも自覚はあるが認めたくないのか。優喜の感触から言えば後者だが、多分正面からでは絶対に認めまい。
「僕が、何で貴女達の襲撃に反応できたと思う?」
「……何が言いたいのよ?」
「ずっと、殺気と憎悪が駄々漏れだったんだ。最初はともかく、温泉旅行のあとぐらいには、はやてだけでなく僕もその対称になってたからね。直接手が出せる距離であれだけ殺気が漏れてたら、魔法でどれだけ音や姿を隠しても、位置を拾うぐらいは造作もないよ。何なら、どういう挙動をしてたかも説明しようか?」
優喜の台詞に、言い逃れが不可能なことを悟る女性。あきらめて観念する。先ほどの挙動や相方をしとめた手腕からして、この距離では何をどうやったところで、魔法の発動も出来ぬまま制圧されるに違いない。
「……あの本のせいで、私たちの大切な人が死んだ。あの本のせいで、父様は大切な人をその手にかけなきゃいけなかった。積み上げてきた地位も信頼も、その一撃で全て失った。……その時父様がどれほど苦しんだか、今もどれほど苦しんでいるかを誰も理解せず、部下を見殺しにしたとかみんな言いたい放題。それもこれも全部あの本のせいだ。」
うつむいて、地獄の底から絞り出すようにはき捨てると、顔をあげて、優喜を睨みつけて叫ぶ。
「……それでも、あの本を憎むな、って言うの!?」
「本を憎むのはいい。先代の主を憎むのも構わない。でも、今の、まだ何もしていない、ただ運悪く選ばれてしまっただけの主に、それまでの怨みをぶつけるのはおかしい。」
「闇の書の主なんて、皆同じだ!! どうせあの子も自分の命惜しさに蒐集を始めて、たくさんの人間を手にかけて、力に溺れて暴走させるに決まってる!!」
「違うよ。少なくとも、闇の書になってから五人は、その業に抗って、最後まで蒐集以外の手段を探して散った主がいた。だったら、はやてが六人目にならないと、誰が言いきれる?」
「子供にそんな覚悟が出来るもんか!!」
これ以上は平行線だろう。憎しみを肥大化させ、自ら視界を閉ざし、信じたいように思い込んでいる相手と、ただ一度の交渉で分かりあう事など不可能だ。強すぎる感情は、どんな賢者の視界でもふさぎ、視野を狭める。その上、時間という薬が彼女たちにとって、憎悪を深める毒薬になってしまっている以上、ぽっと出の子供がどれだけ正論をぶつけても、何の意味もない。
「今は、これ以上話し合っても意味がないだろうね。そちらはそちらで、正しいと思う事を進めればいい。こっちのやる事を妨害するのなら、実力で排除するだけだ。」
そう言い置いて、二人から距離を取る優喜。家路につくために襲撃者に背を向け、歩き出す前に牽制程度に言い残す。
「二人とももう動けるはずだから、リベンジするならご自由に。後、寝たふりお疲れ様。」
優喜のその台詞に反撃を断念し、素直に引き上げる二人。後に残された優喜は、もう一つ深くため息をつくと、気分を切り替えて家路についた。
「……加減ミスって殺しかけたアタシが言うのもなんだけど、アリアがあそこまで頭に血を上らせるのも、珍しいね。」
襲撃者の片方・リーゼロッテが、生まれたころからの相方・リーゼアリアに、そう声をかける。
「いつもだったら、ああいうのはアタシの役割だったと思ったんだけど……。」
「何故かは分からないけど、私たちが殺気を抑えきれてないって言われたら、自分でも驚くぐらい頭に血が上って、ね……。」
先ほどの醜態を思い出し、うなだれながらつぶやくアリア。今の闇の書の主が、ただ運悪く選ばれてしまっただけなら、あの少年は、たまたま闇の書の主と友達になっただけの人間だ。それがたまたま高ランクの魔導師と同じ家に住み、たまたま魔法がらみの事件に巻き込まれ、偶然が重なって闇の書の主に魔法の存在を教えてしまっただけだ。
この件にかかわっている理由とて、友達の足がマヒした原因が闇の書にあると気がついてしまったから、それをどうにかしようとしているだけなのは、本人に言われるまでもなく分かっている。目的が目的だけに、自分たちに協力しろと言っても、手を取り合うのは難しいのも確かだが、こんな風に暴力に訴えて排除する必要のある相手ではない。
しかし、しかしだ。いくら頭で分かっていても、闇の書の主が楽しそうに笑っているのを見ると、憎悪を抑える事が出来ないのだ。そして、そのきっかけとなった彼の事を、どうしても憎まずにはいられないのだ。何度自身に言い聞かせたところで、それがどれほど筋違いだと分かっていたところで、どうにもならないのが感情というものだ。
「そもそも、冷静になって考えてみれば、わざわざ殴り倒して言い聞かせる必要なんてなかったはずなのよね。」
「え? 何で? あんな生意気な小僧、さっさと殴り倒して再起不能にして、この件にかかわるなって脅した方が早いよ?」
「それで反撃されてあのざまじゃない。そもそも、父様からは、他の連中がこれ以上深入りする前に手を引くように説得しろ、と言われてるだけで、脅していいとは一言も言ってないのよ?」
「そうだけどさ……。」
アリアの言葉に、納得できない様子で言葉を濁すロッテ。どうにもこうにも、自分たちがずいぶん視野狭窄に陥っている感じがする。危険な兆候だ。そこまで考えて、ふと余計な事を思うアリア。視野狭窄に陥っているのは、自分とロッテだけなのだろうか? 自分たちの父はどうなのだろうか?
(いや、あの父様が他に見つけられなかった方法だ。他の方法なんてあるわけがない。)
それしかないと知った時の主の、苦渋に満ちた表情。あの父があれだけ悩んで下した決断だ。間違っているはずなどあり得ない。
「とりあえずロッテ。失敗は失敗だから、父様に怒られに行くよ。」
「……分かったよ。」
「襲われた、ですか……。」
「うん。相手は二人。どちらも使い魔だった。どうにも相当冷静さを欠いてる感じ。こそこそやってるうちに、思考に柔軟性が無くなったのかも。」
「いまさら言うだけ野暮ですが、逆に優喜君はよく、冷静さを保っていられますよね……。」
「別に、冷静なわけじゃないよ。本来僕は怒りっぽいタイプだから、必死になって練習して、怒りのハードルをあげたんだ。」
「怒りっぽいタイプ、ですか……。」
それが事実だとすれば、一体どんな練習で怒りのハードルとやらをあげたのだろうか。いやそもそも、どんな必要があって、そんな練習をする事になったのだろうか。つきあいが短い事を差し引いても、いまだに優喜の人間性も経歴もつかみきれない。
使い魔の宿命で、リニスも見た目ほど長く生きているわけではなく、それほど多くの人間を知っているわけでも多くの経験を積んだわけでもない。優喜ほどややこしい人間を理解しろ、というのは無茶なのだろう。接する時間の長い士郎や人生経験の豊富な鷲野老人などは、優喜のそんな本質に気が付いているようだが、観察力はあっても接点の少ないリンディや経験不足のクロノなんかは、さすがにそこまで見抜いているわけではなさそうだ。
「うん。事故にあう前は、発達障害を疑うレベルだったよ。ただ、事故にあった後、天涯孤独だ、とか、目が見えない、とか、そんな不幸自慢を盾にとって、助けてくれる人たちに当たり散らす自分が嫌でしょうがなくなって、ね。」
「はあ、そんなものですか。」
実際のところ、本質的には竜岡優喜は、関係者の中では最も喜怒哀楽が激しいタイプだ。その事は彼の赤と言う気の色にも表れている。一見、常に苦笑しながら暴言などを受け流している優喜とは正反対に見えるが、人間、切っ掛けがあれば、本質はそのままで、表面の性格が変わる事など珍しくない。
実際のところ、ただ温厚なだけの人間などと言うのはいない。大多数は理性や経験、もしくは他の感情を持って、己の中の激しい感情をコントロールしているか、もしくは人前でその手の感情を見せず、温厚なように見せかけているかのどちらかだ。まれに、タイミングを外して爆発しそびれる、と言う事を繰り返し、結果温厚に見られているというケースも見られるが、それとて、言ってしまえば他の感情を持ってコントロールしている、というタイプの一つにすぎない。
そして、優喜は感情を理性でコントロールする事を選んだタイプだ。元々、優喜が自分の瞬間湯沸かし器的な部分が嫌になったのは、やはり視力を失ったことがきっかけだった。親身になって世話をしてくれる病院の人たちに当たり散らしては、一人になって自己嫌悪に陥り、そのまま放置される恐怖におびえる事を繰り返した優喜は、退院するころにはすっかり、己の性格に嫌気がさしていた。
そのため、彼の師となる人物に、目が見えなくても日常生活が出来るよう鍛えるかと持ちかけられた時に、一緒にストレスを溜めずに感情をコントロールする方法についても教えを請い、ある面においては感覚器の鍛錬よりも熱心に、性格改善に力を注いだ。その結果が、一見して今の過度に冷静で理知的な、今の優喜の性格である。
「今の優喜君しか知らないので、どうしても激怒して我を失う、なんてところは想像できません。」
「長い事、そこまで頭に来た事ってないから、僕も今そうなったら、どうなるか分かんない。」
リニスの感想に、恐ろしい事を言う優喜。もっとも、その後のとある事件で優喜が本気で切れた時、それを見た人間はみんなそろって震えあがるはめになるのだが。
「まあ、僕の性格の事はおいといて、だ。はやてから借りてきたから、チェックお願い。」
「はい。お願いされました。とりあえず、壊す前提で、たくさん機材を用意しておきましたので、ガンガン行きましょう。」
「下手につついて暴走とかされたらまずいから、そこら辺は慎重にお願い。」
「分かってます。伊達にプレシアと一緒に研究者をしていたわけではありませんよ。」
などとうそぶきつつ、手際よく「使い捨て」と言い切った機材を接続する。優喜の目にはただの本にしか見えなかった闇の書だが、探せばちゃんとメンテナンスポートぐらいはあるらしい。接続して五秒ほどで火を噴く機材。
「……ほうほう、なるほどなるほど。」
接続を外し、仮復旧を行って、どう言う反撃が飛んできたかをチェック。使えるパーツだけ抜いて他のジャンク品と組み合わせ、五分ほどで使い捨て二号を組み上げて接続。二十秒で火を噴く。以下、使い捨て十五号まで同じ事を繰り返し、断片のコピーに成功。もっとも、リニスいわく、正規のコピーを取ったというより、携帯電話の画素数の荒い写真を撮ったようなレベルだそうだが。
「これ以上は、私一人では厳しいですね。機材も、こんな使い捨て前提のジャンク再生品ではなく、ちゃんとしたシステムを構成した、大規模なラボで無いと難しいです。」
「……うん。なんとなく見てて分かった。」
「予想通り、暗号化されていますね。それに、解析してみないと分かりませんが、おそらくは今のデバイス言語とは違うものが使われています。そこに、バグと思わしきものも混ざっているとなると、なかなか前途は多難でしょうね。」
「デバイス言語って、そんなに何種類もあるの?」
「そうですね。情報処理用語で言うところの高級言語、というのは、それこそ国や言葉の数だけあると言ってもいいですが、低級言語は究極的には二進数のコードなので一種類ですね。今回問題になるのは、その究極的には、というラインから二つか三つかぐらい上の部分です。」
などと説明されても、ピンとこない。少し考えてから、思いつく概念で質問しなおしてみる。
「えっと、デバイス言語の低級・高級って、考え方としては電気信号よりか思考言語よりか、って感じでいいのかな?」
「まあ、そんなところですね。因みに、今回問題にしている部分ですが、現在主流となっているのはミッドチルダ型デバイス語なのに対し、こちらは多分、一部の発掘デバイスに見られる、ベルカ型デバイス語、それも古代ベルカ型に分類される言語で構築されていると考えられます。」
「そりゃまあ、元が古代ベルカのものなんだから、ミッドチルダ型の言語で作られてる訳がないよね。」
「その通りです。なので、ここまでは予測の範囲内なのですが……。」
その言葉に、ある種の勘が働く優喜。
「もしかして、プレシアさんやリニスさんの手元に、これを解析できるデバイス言語がない、とか?」
「そんな感じです。成立年代なども考えると、手持ちの古代ベルカ型デバイス語が適用できるかどうか、かなり怪しいんですよ。」
「……だったら、それに対しても手を打つしかないか。」
少し考え込んで、いくつか思いついた手を実行する事にする。
「手を打つって?」
「ここって、ユーノと連絡取れる?」
「はい。でも、何か調べてもらうんですか?」
リニスの質問に、夜天の書について気がついた事、思いついたことを告げる。
「うん。よく考えたら、夜天の書って要するにデータベースだよね?」
「そうなりますね。」
「だったらさ、普通は自己修復以外のメンテナンスの手段ぐらい、用意してるはずだよね? 特にこの本、ものすごくややこしい構造になってるから、どんな事でどんな故障を起こすか、分かったもんじゃないし。」
優喜の指摘に、確かにと一つ頷くリニス。大体、どんなものでも、問題が起こった時のために、外部からの修復手段ぐらいは用意しているものだ。それこそ機密の塊である兵器の類ですら、メンテナンス用の図面と道具ぐらいはある。
ましてや、物はデータベースだ。意図的に削除したのならともかく、故障でデータを失うなど、あってはいけない事である。そもそも、作られた経緯が経緯だけに、万一の時の対策を用意しない、なんていう自信満々な真似はしないだろう。
「つまり、それをユーノ君に探してもらう、という事ですね?」
「正確には、成立した年代を中心とした、古代ベルカ関係の遺跡の情報を片っ端から探して、ユーノのコネで片っ端から発掘してもらおうかな、って。」
「下手な鉄砲も、ですか。」
「うん。ユーノはあれで結構、こういう事の引きはいいみたいだから、それなりに期待は出来ると思う。」
さすがに無限書庫にそのものズバリはないだろうが、天文学的な奇跡を引き当てれば、もしかしたら夜天の書の図面やソースプログラムと、暗号復号化用のデータを引き当てるかもしれない。
それは楽観的すぎるにしても、非稼働品であれば、同じ時期の同じ言語で作られたデバイスが出てくる可能性は、それほど低くないはずだ。
「じゃあ、さっそく連絡を取りますね。」
「お願い。」
リニスが通信機を操作すると、さして間をおかずにユーノが応答する。
『はい、こちらユーノ・スクライア。』
「こんにちは、ユーノ君。」
『こんにちは、リニスさん。どうかしましたか?』
「例の本について、追加で調べてほしい事が出来まして。」
『追加で? どうせそれを言い出したのって、優喜でしょ?』
「正解。ユーノ、元気にしてる?」
『あ、いたんだ、優喜。うん、こっちは元気にしてるよ。そっちは?』
「みんな元気だよ。で、また面倒な事を押し付けるようで悪いんだけど、もうちょっと調べてほしいんだ。」
ユーノに、先ほどリニスと話し合った事を告げる優喜。優喜の意見を聞き、真剣な顔で考えるユーノ。
『成立年代を絞り込んだ時に、ある程度同じ時期の資料も集めたんだけど、さすがに遺跡関係までは調査してなかった。』
「まあ、都合よく資料があるとは思わないけど、そのものずばりの資料でなくても、ここに遺跡があるんじゃないか、ぐらいは絞り込めるよね?」
『うん。と言うか、それこそ僕たちスクライアの専門分野だし。』
「だったら、お願いできる?」
『分かった。任せておいて。もしかしたら、ミッド関係の遺跡に紛れ込んでるかもしれないから、そっちも当たってみるよ。』
「うん、お願い。」
これで、一つ目の手はクリア。どう考えてもそれほど時間もないのだし、当たれば儲け程度で打てるだけの手を打っておく事にする。
「で、リニスさん。」
「はい?」
「さっきの断片データ、一つコピーしてもらえる?」
「構いませんが、何に使うんですか?」
「忍さんに見てもらおうかな、って。」
優喜の返事に、怪訝な顔をするリニス。
「忍さん、というのは確か、すずかさんのお姉さんでしたよね?」
「うん。」
「何故その人に?」
「忍さんって、かなりのマッドなんだ。」
「なるほど、理解しました。」
リニスがマッドの一言で理解するあたり、プレシアも大概なのだろう。いや、マッドだからこそ、プロジェクトFを成功させたのかもしれない。
「それと、出来るだけ近いうちにリンディさんと話したい。申し訳ないけど、その辺の段取りもお願いできないかな? なのはの事もその時に蹴りをつけるから、必要なら餌にして。」
「分かりました。でも、いきなり話を進めますね。」
「本当はヴォルケンリッターが出てくるのを待つつもりだったけど、話を前倒しで詰めないとまずそうな雰囲気になってきたから。」
「そうですね。今まで静観してたから、さすがに暴力に訴えてくるとは思いませんでした。」
顔を見合わせてため息をつく優喜とリニス。二人とも、いや高町家の関係者もテスタロッサ家も、ただ平和に平穏に暮らしたいだけなのに、まるで特異点に吸い寄せられるかのように、次から次へと厄介事が舞い込んでくる。
「ごめんね。ただでさえ忙しいのに、いろいろ面倒な仕事を押し付けて。」
「構いませんよ。優喜君にはいろいろ恩がありますし、それにここまで関わって、忙しくて手に負えません、とか言って放りだすのは、後味が悪すぎますし。」
「リンディさんとの連絡手段があれば、自分でいろいろやるんだけどね。」
「こう言ってはなんですが、どうせ最終的に一番面倒な役を受け持つのは優喜君でしょうし、こういう細かい雑用は、私やアルフに押し付けてくれればいいんです。」
「ありがとう。表だって動けるようになるまで、いろいろ面倒な雑用を頼む事になると思うけど、終わりまで付き合ってね。」
「はい。承りました。」
そんなこんなで、闇の書に関する事態は、今の主の覚醒を待たずに、裏側で深く静かに進んでいくのであった。