その部屋に入った瞬間、濃厚な死の臭いが優喜の鼻をつく。プレシア本人の容体を詳しく見るまでもない。このままほったらかしにすれば、確実に死は避けられない。優喜の勘では、プレシアは今まさに、生死を分ける瀬戸際にいる。今を逃せば、少なくとも治療は不可能になるだろう。
「優喜!」
「プレシアさんは、今どういう状態?」
「とりあえず、発作は落ち着いたみたいだけど……。」
「O.K。まずは一時的に進行を抑えようか。」
ユーノの診察が終わるまでに手遅れになっては元も子もない。大気から取り込んだ生命力を流し込み、歪になって欠けた気の流れを正す。ここまで進行してしまった病に対しては、軟気功では完治はおろか病状の改善も難しいが、進行を止めて時間を稼ぐことは出来る。
「優喜……、こんなことお願いできる立場じゃないけど……。お願い、出来ることなら何でもするから、母さんを!」
「言われるまでもなく、出来る限りのことはするよ。だから、軽々しくなんでもする、なんて言わない。」
すがりつくフェイトに、諭すように答えると、軟気功を維持しながら、ユーノに声をかける。
「じゃあユーノ、診察お願い。」
「うん。」
本職ではないユーノだが、回復系の適正は、現役の医者とも勝負できる。専門ではないから出来ることは少ないが、それでも一般的な怪我や病気はすべて治せる。診察に至っては、遺跡の発掘調査では命綱になる事もあって、本職と言ってもいいレベルでこなす。結界系の技能に目を奪われがちだが、ユーノは回復・補助系に対しては、オールラウンドに高い適正と実力を持っている。
なのはやフェイトの陰に隠れているが、ユーノもまた、天才の一人なのだ。もし彼の魔力容量がなのは並みにあれば、そもそも今回の事件は何事もなく終わっていたであろう。ジュエルシード回収組の人間で、天才のカテゴリーに入らないのは実は、優喜一人だけだったりする。
「……病巣は肺、リンカーコアを侵食する性質あり。この進行度だと、ほとんどの薬は気休めのレベルだと思う。」
「こっちの感触だと、肺のほうは少なくとも癌化はしてないみたいだ。リンカーコアについては、調べようがないから分からない。ただ、僕の技量じゃあ、ここまで行ってると現状維持が精いっぱいで、十年単位のものすごい時間をかけて、少しずつ押し戻すしかない。ユーノの方は?」
「……ちょうど適用できる儀式魔法がある。成功すれば十分治せる。ただ、問題があるんだ。」
「問題?」
「まず、僕一人だと魔力が全然足りない。それに、一人でやるには作業が多すぎて、失敗の確率が上がりすぎる。」
「それは、なのは、フェイト、アルフにレイジングハートとバルディッシュの手も借りれば解決するよね?」
「うん。一番の問題は、手術と同じで、患者の体に凄く大きな負担がかかるんだけど、その負荷軽減までは今の人員じゃ手が足りない。」
そのユーノの言葉に、その程度か、という顔をする優喜。
「だったらさ、その負荷を僕が引き受けるよ。」
「え?」
「軟気功ってやつは奥が深くてね。そういう真似も出来るんだよ。」
「……それは危険すぎる!」
「優喜、私の勝手なお願いで、そんな危ない真似はさせられない!」
「逆に、僕に出来ることは、それぐらいしかないんだよ。」
優喜の言葉で、その場に沈黙が下りる。もう一人、もう一人補助に長けた人間がいれば解決するのに、人手が足りない。誰かに過剰なしわ寄せが行くことを避けられない。
「あの、私がその補助をやれば……。」
点滴の準備を終えて戻ってきたリニスが、沈黙を破り控えめに主張する。その言葉に、難しい顔をするユーノ。
「リニスさんは、プレシアさんの使い魔なんだよね?」
「ええ、そうです。」
「だとしたら、補助をしてもらうのは難しいかもしれない。」
「え?」
ユーノの主張の意味が分からず、首を傾げるリニス。なぜ、自分がプレシアの使い魔だと、補助が出来ないのか。問いただそうとして口を開く前に、ユーノが答えを返す。
「普通の病気ならそれでもいいんだけど、プレシアさんの病気はリンカーコアを侵食してる。容態がもっと軽ければリニスさんにも手伝ってもらえるんだけど、今の状態だと、使い魔が大きな魔力を使うだけでも、命に関わってくるから……。」
使い魔の使う魔力がすべて主から供給されるわけではないし、普通に主人が自身で同じ大きさの魔力を使うよりははるかに負荷は軽いとはいえ、大きさに比例したそれなりのノックバックはある。
「そんな……。」
ユーノの説明に、絶望を覚えざるを得ないリニス。自分の存在が、主の体を蝕んでいる。そう告げられて平静を保てる使い魔など居ない。
「むしろリニスさんには、終わった後のことをお願いしないといけないと思う。」
「終わった後?」
「ユーノが負荷についてそこまで言うんだから、多分終わった後全員動けなくなると思うんだ。だから、ちゃんと成功したら、後始末をお願いしたい。」
優喜の発言に、なのはが反応する。
「優喜君、昨日の今日でそんな危ないことして、大丈夫なの? ちゃんと眠れなかったんでしょう?」
「正直、ベストとは言いがたい。だから、プレシアさん本人がそんな危ない人間に命を預けられない、って言うんだったら僕は何もしない。」
「……命を懸けることを強要して申し訳ないけど、お願いしていいかしら。」
「母さん!?」
目を覚ましたらしいプレシアが、優喜の言葉に自分の考えをかぶせてくる。
「自分の体のことぐらいは分かるわ。このまま何もしなければ確実に死ぬ。持ってせいぜい一週間、運が悪ければ明日にでも、といったところかしら。」
「そんな……。」
プレシアの身もふたもない現状認識に、悲痛な表情で固まるフェイト。救いを求めるように優喜を見るが、どうやら彼の認識も同じらしい。
「ようやく、ようやく手が届きそうなのに、座して死を待つことなんて出来ない。やらなければいけないことが、まだたくさん残っているの。助かる可能性があるのなら、どんな分の悪い賭けにも乗るわ。」
「プレシアさん……。」
「だから、こんなことを頼めた義理ではないけれど、お願い。」
「だ、そうだ。ユーノ、準備と覚悟はいい?」
「覚悟はいつでも。ただ、準備はもうちょっと待って。今、術式を転送中だし、ここだと多分狭すぎる。」
「……別の部屋を用意します。」
もともと実験や儀式魔法の訓練などに使われていた部屋にベッドを運び込み、余分なものを片付ける。リニスがすべての準備を終えたあたりで、段取りの説明と役割分担が終わったらしい。プレシアを慎重に運び込むと、互いの気合と覚悟を確かめるように頷きあうユーノたちであった。
目の前で行われている光景を、リニスは歯噛みしながら眺めるしかなかった。少しでもリスクを減らすために、恥を忍んで山猫の姿に戻り、結界の外から見守っている。大魔導師の使い魔といっても、無力なものだ。
「ううっ……!」
「フェイト、力みすぎ! 魔力が乱れてる!」
ユーノからの指示に、必死に魔力を微調整するフェイト。額に汗がにじみ、バルディッシュを持つ手も震えている。
「なのは、次のフェイズだから、出力を5%上げて!」
「分かったの!」
ユーノの指示に、慎重にかつ迅速に出力を上げる。なのはの出力上昇に伴い崩れたバランスを、レイジングハートとバルディッシュが微調整する。なのはもフェイトも、そろそろ表情が険しい。すでに二人の最大出力の半分以上を出し続けている。今までにこんな出力をこんな長時間維持し続けたことはない。しかも、出力調整が結構シビアだ。
儀式開始から三時間。リニスは、この術が一般に出回らない理由を痛感していた。なのはやフェイトほどの魔力容量を持つ魔導師が最低二人必要という時点で、いくら末期患者といえども、たかが人一人を助けるには効率が悪すぎる。そうでなくても、総合的な実力では上から数えたほうが早い魔導師と使い魔を四人も拘束してなお、人手が足りないのだ。奇跡の代償としては軽いのかもしれないが、コストパフォーマンスが悪すぎる。
「ユーノ、術式の補正はこれで大丈夫かい?」
「うん。今のところ順調。ただ、次は一気に出力を上げないといけないから、みんな集中して!」
「「「『『了解!!』』」」」
三人と二機が同時に返事を返す。そろそろ儀式は第一の山場、リンカーコアに侵食した病原体を切り離し、駆除する行程に入る。ユーノが行っている儀式魔法は、リンカーコア侵食型の病気に特化した儀式魔法だ。このタイプの病気は、一定以上の魔力を持つ魔導師しか発症せず、力量が高いほど進行が速く、また重症化しやすい特性がある。そのため、毎年少ないとは言えない数の高ランク魔導師が死亡、もしくは再起不能になっている。
この病気の厄介なところは、肉体の病巣(今回の場合は肺)を先に治療しても、即座にリンカーコアの侵食を早めて元通りにしてしまうことである。軽度のうちは、リンカーコアの封印措置で完治するのだが、ここまで進んでしまえばその手段は使えない。そのため、まずはリンカーコアに食い込んだ病巣を治療しなければいけないのだが、これがそう簡単にいかない。その準備のためにかかった儀式時間が三時間だ。この事実だけでも、プレシアが患った病気の厄介さと病状の深刻さがうかがえる。
そして、第一の山場は、この場にいるただ二人の男に、ものすごい負担をかけることになる。
「……くぅ!」
これまでの人生で扱ったことの無い大きさの魔力に、思わずうめき声が漏れるユーノ。儀式魔法ゆえ、肉体への負荷はそれほどかかってはいないが、急激に上がった出力に、制御を失いかける。リンカーコアの病巣を一気に駆逐する、そのために必要な大魔力。それを繊細な制御でプレシアのリンカーコアに注ぎ込む。一歩間違えればコアそのもを砕いてしまいかねず、さりとて加減をすれば病巣の抵抗を打ち破れない。
ユーノ一世一代の大勝負。それまでの儀式で準備した術式を、一気に同時に発動させる。制御の半分以上をデバイス二機とアルフに振ってなお、脳が焼き切れるかと思うほどの負荷。ユーノにとって、永遠とも思える十秒間。無我夢中で術の制御をおこなっていたユーノは、手ごたえから第一の山場を乗り越えたことを確信する。
「よし、うまくいった……。」
「本当に!?」
「うん。ダメージは残っているけど、リンカーコアは完全に正常。病巣はかけらも残って無い。」
「よかった……。」
ユーノの報告に、心の底から安堵するフェイト。辛うじて儀式を崩すには至っていないが、表情がすっかり弛緩している。だが、そのフェイトに、意外な人物が意外な言葉をかける。
「フェイトちゃん、まだ気を緩めちゃダメ。まだ、肺の治療が残ってる。」
レイジングハートを握る手の震えを必死で押さえながら、なのはが真剣な顔で訴える。その視線の先には、表情を殺し、歯を食いしばり続けている優喜の姿。彼にしては珍しいほど、表情に余裕が見えない。あまり余分な時間はかけられないだろう。
「そうだね、なのはの言う通りだ。続けるよ、フェイト。」
「うん!」
再び気合を入れなおし、バルディッシュを構えるフェイト。優喜の姿は、彼女の油断を戒めるには十分すぎたようだ。
「次は肺。でもその前に、リンカーコアのダメージ軽減だ!」
「「「『『了解!!』』」」」
肺の病巣を取り除き、後は日常生活に支障がないレベルまで機能を回復させれば終わり、というところまで来て、ついに弱音を吐く人間が現れた。
「ユーノ。」
「どうしたの、優喜?」
「悪いんだけど、そろそろ限界。後、どれぐらいかかる?」
優喜が弱音を吐いたことに驚き、思わず全員が視線を彼に向ける。優喜の姿を見て、さらに驚かされる。
「優喜君、その体は!?」
なのはが驚くのも無理もない。優喜の姿が、見慣れた小学生のものではなく、二十歳前後の青年のものになっている。しかも全身のあちらこちらから出血しており、口の端からも血が垂れている。どう見てもまともな状態とは言い難い。
「ごめん、今説明するほどの体力もない。ユーノ、どれぐらい?」
「後十分ぐらい。」
「分かった。どうにか根性で持たせるよ。」
「ここまで来たら優喜が抜けても大丈夫だから、もう休んでて!」
「いや、それこそ、ここまで付き合ったんだから、意地でも最後まで付き合うよ。」
こうなったら、優喜は意地でもやり遂げるだろう。ならば、こちらもやることは決まっている。少しでもプレシアの負荷を減らしつつ、一秒でも早く儀式を終わらせることだ。
「アルフ、余力はある?」
「まだまだ大丈夫さ。」
「じゃあ、プレシアさんの負荷軽減にリソースを回して。なのは、フェイト、そのための魔力を。」
「「了解!!」」
「レイジングハート、バルディッシュ、一秒でも早く終わる方法を探して。」
『『既に検討中です。』』
その指示の間にも、優喜の体から小さな音がして、また一本血管が切れる。許容量を超える生命エネルギーを扱い続けた結果、限界を超えた体が壊れ始めているのだ。
そもそもこの儀式を成功させる絶対条件が、施術中にプレシアの病気が進行しない事だった以上、たとえもう一人補助の魔導師がいても、優喜は軟気功を続けなければいけなかったのだ。しかも、今回は人員不足を埋めるため、優喜が負荷軽減も買って出た。当然、行う作業量は増え、流し込むエネルギー量も跳ね上がる。無意識のうちに肉体を限界まで活性化させ、最盛期のそれに変えることで耐え抜いたが、それもトータルで六時間ともなると、あちらこちらにいろいろ無理が出る。
「ユーノ、まだなの!?」
「あと少し!」
「ユーノ君、早く!」
デバイスたちの検討結果をもとに、必要な時間を半分近く短縮したものの、さすがにそれ以上はいろいろ無理がある。ここで失敗したら元も子もない。焦りを押し殺し、慎重に術を進めていく。優喜の限界宣言から五分少々。プレシアの治療は無事に終了した。
「優喜、終わったよ!!」
「こっちはあと少し……、よし……。」
急激な変化についていけず、ショック症状を起こしかけていたプレシア。そのショックを和らげ、平常状態に落ち着かせ、ようやく優喜は軟気功を終える。そういったものを優喜がすべて抑え込んでいたため、負荷軽減にリソースを回していたアルフでも、まだ仕上げが残っていた事に気がつかなかったのだ。
「母さん、治ったの……?」
「落ちた体力まではどうにもならないけど、病気そのものは治ったよ。」
ユーノの宣言を聞いて、母のもとに駆け寄るフェイト。やつれてはいるが穏やかな表情で、規則正しく呼吸をしているプレシア。その様子に危機が去ったことを実感し、そっと手を取ろうとする。だが……。
「優喜、優喜!!」
「優喜君!!」
フェイトが母の手を取ろうとするのと同時に、元の姿に戻りその場にうずくまって激しく咳き込み始める優喜。その様子に、薄情にもプレシアそっちのけで優喜の元に駆け寄る魔法少女達。まあ、呼吸も落ち着き、一目で容体が安定していることが分かるプレシアと、今現在普段は見せない弱った姿を見せている優喜では、優喜を優先してしまうのは仕方がないかもしれない。
「僕は大丈夫だから……、プレシアさんについてて……。」
「こういうときの優喜君の大丈夫は、全然信用できないよ!」
「優喜がこうなったのは、私が、私と母さんが無理をさせたから!」
「フェイトもなのはさんも落ち着きなさい!!」
見ていることしかできなかったストレスもあって、思わず大きな雷を落とすリニス。
「ユーノ君、疲れているでしょうけど、まずは優喜君の傷をふさいであげてください。」
「分かってます。」
ユーノが近寄り、治療魔法をかけようとした瞬間、もう一度激しく咳き込み、大量の血を吐きだす優喜。そのまま、自分が吐き出した血の塊に、頭から突っ込む。
「優喜!?」
「フェイト! どの部屋でもいいからベッドを用意しなさい! アルフ! プレシアは私が運ぶので、優喜君をお願いします!」
「あいよ!」
優喜の予言通り、リニスは後始末に奔走されることになるのであった。
不意に、意識が浮かび上がる。全身のだるさは抜けないが、ここ数年来感じたことが無いほど、息が軽い。胸の苦しさとセットだった、何かに力を吸われるような感覚も消えている。どうやら、治療は成功したらしい。何度も咳き込んだためか喉が痛いが、贅沢を言ってはいけない。
「……母さん?」
「……フェイト?」
だるさを押して体を起こすと、傍らに座っていたフェイトが視界に入った。その顔が、安堵と喜びに彩られ、大きな赤い瞳の端には、涙がにじみ始める。
「母さん、よかった……。」
「フェイト、まさかずっとここにいたの?」
「……うん。」
「大変な儀式だったのでしょう? ちゃんと休まないと……。」
「……うん。」
言いたいこと、聞きたいことはいっぱいあるのに、胸がいっぱいで声が出ない。昨日まで、こんな形で触れ合うことなど無かった母。その存在を確かめるように、刻み込むようにしがみつくフェイト。
「フェイト、プレシアに甘えるのはいいですけど、相手は病み上がりですよ。少しは自重してください。」
「……うん。ごめん、母さん、リニス。」
「別に甘えるのは構わないけど、まずはちゃんと体を休めなさい。」
「プレシア、あなたもですよ。」
栄養剤やら何やらの入った点滴をプレシアのベッドのそばまで運び、起こしていた体をゆっくり優しく横にする。手慣れた動作で点滴を刺すと、フェイトをそっと引き剥がして立たせる。
「プレシア。とりあえず一週間は安静にしててください。その間は、魔法の使用も一切厳禁です。」
「母さんの体、そんなにひどいの?」
「峠は越えました。後は栄養を取って安静にさえしていれば、すぐに良くなりますよ。」
「……よかった。それで、優喜は……。」
「優喜君は、命に別状はないのですが、普通なら一カ月はベッドに縛り付けて絶対安静を言い渡すレベルです。そのはずなんですけど……。」
恐る恐る問いかけたフェイトに、恐ろしい答えを返すリニス。リニスの返答に、表情が凍りつくテスタロッサ親子。だが、リニスの言葉の続きは、彼女達の予想のさらに斜め上を言っていた。
「体がものすごい勢いで治り始めているので、三日ぐらいで全快するかもしれません。」
「え……?」
「とりあえず、下手に魔法で手を出すより、本人の回復力に任せた方がいいと判断して、栄養剤の点滴だけうってきました。」
「……本当に、それで大丈夫なの?」
「フェイト。あなたの友達は、可愛い顔をしてかなりのタフガイのようです。下手をすれば、明日にでも皆の前に笑顔で立っている可能性すらありますよ。」
リニスの、ある種の無責任さが伴う太鼓判にも、フェイトの表情は晴れない。そんな娘の様子を見かねて、プレシアが助け舟を出す。
「リニス。」
「何ですか、プレシア?」
「彼の様子を見に行くのは、まずいのかしら?」
「いえ。面会謝絶、というわけではないので、問題はありませんよ。ただ、様子を見に行っても寝てるだけなので、出来ることは何もありませんけど。」
「だ、そうよ。フェイト、少し休んだら、彼についていてあげなさい。」
「え? でも……。」
母の言葉に、迷いを見せるフェイト。優喜も心配だが、母からも目を離せない。そんな葛藤を見抜いたプレシアが、さらに言葉を重ねる。
「私の方は、点滴を受けて寝ているだけよ。何かあったらリニスを呼ぶし、あなたが心配するようなことは何もないわ。」
「母さん……。」
「彼は、昨日と今日で心身ともにずいぶんなダメージを負っているのでしょう? 目が覚めた時に、傍に知ってる人間が誰もいないのはよくないわ。」
「……うん。母さん、ごめんね。」
「気にしないで、行ってきなさい。ただ、ちゃんと軽く仮眠は取るのよ? あなたも儀式で随分と消耗しているのだから。」
「うん。行ってきます。」
ようやく素直にうなずいた娘に、小さくため息をつく。こういう種類の繊細さは、アリシアにはなかった特性だ。ちょっと前はそんなところも気に食わなかったが、今では不思議なぐらい愛おしい。そして、愛おしさを感じれば感じるほど、過去の罪がプレシアを苛む。
「……我ながら、現金なものね……。」
フェイトが出ていってからしばらくして、ぽつりとつぶやくプレシア。本当は、罪悪感でのたうちまわりそうなほどだが、優喜を見習って、意地で平静を取り繕う。
「何がです?」
「あばたもえくぼ、とはよく言ったものだわ。可愛いと思えるようになったら、今まで気に食わなかったところまで可愛く見えるのだから、ね。」
「……本当に変わりましたね、プレシア。」
「多分、今までがどうかしてたんでしょうね。」
これまでと今と、どちらが正しいのか。そんなものは周りの反応を見れば分かる。今のプレシアが正しいのだ。ただ、今まで間違え続けてきたのだから、絶対にどこかでその報いを受けねばならない。その程度の道理はわきまえている。そして、報いを受ける時は、それほど遠くはないのだろう。プレシアには、そんな予感がある。
「リニス。」
「なんですか?」
「今まであの娘にしてきたこと、どうすれば償えるのかしら……。」
「たくさん抱きしめてあげて、うんと甘えさせてあげて、ちゃんと叱ってあげればいいんじゃないですか?」
「本当に、それでいいのかしら……。」
「あなたは母親なんですから、それ以外に償う方法なんてありません。」
そろそろちゃんと休んでください、というリニスの言葉に、再び目を閉じて体の力を抜く。どうせ碌な夢は見ないだろうが、うなされても、見ているのはリニス一人だけだ。今は使い魔とのリンクを切っているわけではないから、見られていなくても筒抜けである。
受けるべき報いに備えて、プレシアは深い眠りについた。
昨日に引き続いての悪夢から目が覚めた時、優喜の両手は誰かに握られていた。
「……?」
とりあえずふりほどいて体を起こそうとするが、恐ろしくしっかりつかまれており、ちょっとやそっとでは離れそうもない。仕方なしに、横になったまま気配を確認する。
「なのはにフェイトか……。」
よく知った二つの気配。規則正しい穏やかな寝息が二つ、聞こえてくる。二人が疲れて眠ってしまうまで離れなかったところを見ると、どうやら相当うなされていたらしい。
「あら、目が覚めましたか?」
「リニスさん?」
「はい、リニスです。そろそろ新しい点滴に換える時間だったんですが、起きたのなら食事の方がいいかもしれませんね。食べられそうですか?」
リニスの問いに、少し考え込む。体は食べられない、と訴えている。だが、本能は食事を渇望している。体の言葉を聞くのなら、もうしばらく点滴に頼ってから、なのだろうが……。
「そうですね。何か消化のいいものがあったら、お願いできます?」
「分かりました。戻ってきたら起こしますので、もう少しその子たちの事をお願いします。」
「はい。」
優喜の腕の点滴を外し、部屋の隅に押しやってから食事の準備のために出ていくリニス。彼女と入れ違いで、ユーノが入ってくる。
「話し声が聞こえたから、起きたんだなって思って。調子は?」
「ん。まあまあ、ってところ。無理をした割には悪くないよ。」
返事と顔色から、さほどいいわけではないだろうと判断するユーノ。とはいえ、受けたダメージの割には元気だ、という言い分も嘘ではないようだ。言いたいことと聞きたいことを切り出そうとすると、どうにか手を振りほどかずに上半身を起こした優喜が、先に質問してくる。
「どれぐらい寝てた?」
「半日ぐらいかな? もう夜中って時間だよ。」
「士郎さん達に連絡は?」
「仮眠した後、アルフが行ったよ。とりあえず、なのはも優喜も今夜はこっちに泊まるって連絡しておいたから。ちなみにアルフは、今バニングス家でアリサに状況説明中らしい。」
「分かった。で、士郎さんからは?」
「明日も念のために学校には休みの連絡を入れておくから、ちゃんと心と体を休ませるように、だって。」
方々に心配と迷惑をかけてしまったらしい。戻ったら何人に謝罪しなければいけないのかと考え、少しばかりブルーになる優喜。
「それで、寝てる間にうなされてなかった?」
「なのはとフェイトの様子で察して、って言いたいところだけど……。」
優喜の問いかけにため息とともに答え、怒っているようなあきれているような、睨みつけるような表情で言葉を継ぐ。
「正直なところ、素直にうなされてくれた方が、まだ周りの人間にとってはありがたいよ。なんで、寝てる時までやせ我慢するのさ。」
「やせ我慢?」
「ものすごく震えてて、険しい顔で苦しそうにしてるのに、うめき声の一つも漏らさずに歯を食いしばってたんだよ。あんな真似をされたら、手を差し伸べることも出来ないじゃないか。」
「……自覚はなかったけど、そんなことをしてたのか。」
優喜の様子に、ため息しか出ないユーノ。今朝、一緒の毛布にくるまって眠っていたところから察するに、すずかもあの優喜を見ているのだろう。こういうときは、男より女の方が強いのかもしれない。すずかがやったのはいい手段だと思うが、いくら互いに女顔だとは言っても、同じことをユーノがするのはごめんこうむりたい。優喜だって、一緒の毛布で眠るのは男より女の子の方がいいはずだ。
「あの優喜を見た時のなのはとフェイトの取り乱しかたときたら、本当に見てられなかったよ。」
二人とも仮眠しろと言っても聞かず、一瞬たりとも優喜の傍から離れようとしなかった。なのはは悲しいと寂しいの中間ぐらいの顔でじっと優喜を見ているし、フェイトは泣きながら優喜の手を握って離れようとしないし、正直、優喜の顔に白い布でもかぶせたら、確実に周囲を誤解させられる光景だった。
「それで、こんなにしっかり手を握ってる訳か。」
「そういう事。だから、頼むからさ。」
さっきまでの光景を思い出したからか、ユーノこそが泣き出しそうな顔をして優喜に詰め寄る。
「頼むから、もっと周りに弱音を吐いてよ。もっと恩返しをさせてよ。」
「ユーノ……。」
「言いたい事を、全部言われてしまったわね……。」
「プレシアさん?」
ユーのとにらみ合いのような状態になっていると、プレシアが、浮遊する椅子に座って入ってきた。
「プレシアさん、寝てなくていいの?」
「本当は駄目なんだけど、あなたが起きたと聞いて、リニスに無理を言って、ね。」
「僕が言うのもなんだけど、病み上がりなんだからあんまり無理しないでくださいよ。」
「分かってるわ。あなた達と少し話がしたかっただけだから、用事がすんだらすぐに退散するわ。」
椅子を操作して地面に下ろして固定すると、まずはひとつ頭を下げるプレシア。
「まず最初に助けてくれてありがとう。それから命を懸けることを強要してごめんなさい。あなた達二人には、ずいぶん助けられてしまったわ。」
「やりたくてやったことだから、お礼を言われることでも、謝られるようなことでもないですよ。」
「それでも、これは人としてのけじめの問題だから言わせていただくわ。ありがとう、ごめんなさい。」
優喜も大概面倒な性格だが、プレシアも結構難儀な性格の人らしい。密かにそんなことを考えるユーノ。
「気になってたんだけど、その椅子……。」
「ああ、これね。操作は電子制御だし、動力はバッテリー駆動、魔力のチャージはこの時の庭園の魔力炉から取ってるから、私の魔力は使っていないわ。」
「それならいいけど……。」
ユーノの疑問に、問題になりそうな部分を答えるプレシア。
「それで、わざわざお礼を言いに来ただけ、って訳じゃないんでしょ? 僕もあなたも病み上がりで、一応無理をしちゃいけない体だし。」
「そうね。フェイトが誰よりも信頼しているあなた達の人柄を、直接会って確認したかったのよ。」
「それで結論は?」
「そんな恥ずかしい事を、私の口から言わせるの?」
やはり、結構面倒な人らしい。だが、その瞳は慈愛の色をたたえており、少なくとも不合格を言い渡される事だけはなさそうだ。
「それにしても、ユーノ君、でよかったのかしら?」
「はい。」
「助けられた身の上で言うのもなんだけど、よくあんな都合のいい魔法のストックがあったわね?」
「疫病って言うのは、常に文明崩壊の原因のトップスリーの一角を占めてますから。」
ユーノによると、前に調査した遺跡が、ちょうどこのタイプの病で滅んだ文明らしい。パンデミックの兆しが指摘されていたため必死になって対抗策ともいえる儀式魔法を完成させたが、あまりに効率が悪く(なにしろ、場合によっては十数人がかりで一人を治療することになる)、治したそばから発症するような状態が続き、結局魔導師が全滅してから別の疫病の流行で滅んだらしい。
「ユーノ、その病気、感染防止策は用意できなかったの?」
「インフルエンザと同じで、流行してみないとワクチンが当りかどうかが分からない種類の病気だったらしい。」
「なるほどね。」
優喜の問いに、よどみなくこたえるユーノ。因みに、その文明を滅ぼしたのは空気感染するウィルスタイプだが、プレシアが発症したのは、リンカーコアの癌、と言われているタイプのものだ。現在ミッドチルダをはじめとした管理世界では、早期発見によるリンカーコア封印措置ぐらいしか治療法が確立されておらず、また魔導師の命とも言うべきリンカーコアを直接いじる必要があるため、新しい治療法の臨床試験も、なかなか進まないのが現状だ。
大量発生するような種類の病気ではないため、今回のような儀式魔法でも十分対応できるのだが、元々魔導師は常に人手不足だ。高位魔導師でも最低五人は必要な治療法など、その高位魔導師を助けるためとはいえそうそう使えるものではない。そのため、発掘されてから日が浅い事もあって、まだ臨床試験すら済んでいなかったりする。それでも、末期患者でも救えるということから、どうにか効率化できないかといろんな方面から注目されている魔法ではある。
「そういえば、今回の儀式、発掘されてから初めての臨床例になるかも。」
「そこまで出回って無い魔法なのか……。」
今思いついた、とばかりにつぶやくユーノに、ぶっつけ本番でかなりむちゃをやらかした事を、今更ながらに自覚する優喜。他に手が無かったとはいえ、綱渡りにもほどがある。
「でも、臨床データとしては使い物にならないでしょうね。魔法以外の技能が関わっているもの。」
「ですね。」
プレシアの指摘をユーノが認めたところで、会話が途切れる。しばしの沈黙ののち、プレシアが口を開く。
「さっきの話を蒸し返させてもらうけど、優喜、あなた……。」
少し言いづらそうに言葉を切り、もう一度口を開こうとしたところで、優喜の傍らで眠っていたフェイトが身じろぎする。少しうるさそうに頭を起こすと、寝起きのとろんとした顔で優喜を見つめる。
「フェイト……?」
「ゆうき……。」
もぞもぞと動くと、優喜のベッドによじ登り、彼にしがみついて瞳を閉じる。明らかに寝ボケている。これはどうしたものかと三人で困惑していると、食事の用意を済ませたリニスが戻ってきて、一つため息をつく。
「フェイト、起きなさい!!」
「!!」
「にゃ!?」
ため息から溜めなし、ノーディレイで雷を落とすリニス。来ると予想したプレシアとユーノはとっさに耳をふさいだが、分かっていても両腕ともにふさがっていて防御できなかった優喜は、巻き添えで思いっきり直撃を受ける。無論、なのはも直撃だ。
「……びっくりしたの。」
「……あれ? 私どうして優喜にしがみついてるの……?」
「寝ぼけてよじ登ってきたんだ。」
「え? ええ!?」
リニスの雷によって、ようやく正気を取り戻したフェイトが、あわててベッドから降りる。自分がすごく恥ずかしい事をした自覚はあるようで、顔がびっくりするほど真っ赤だ。
「まったく二人とも、ちゃんと仮眠をとりなさいと言ったのに意地を張るから、そんな醜態を晒すんですよ。」
「だって、あの優喜君を放ってなんて……。」
「優喜、ものすごく震えてて辛そうで……。」
「まあ、分かるんですけどね……。」
だが、それで寝落ちては意味がないだろう。看病すると言い張るのはいいが、看病というのは体力を使うものだ。
「とりあえず、ずいぶん遅くなってしまいましたが、ご飯にしましょう。今日は皆、ちゃんと食べてないはずですよ。」
リニスの言う通り、全員朝食から後ろは何も口にしていない。フェイトに至っては、朝食前にプレシアが倒れて、そのあとそのまま儀式からプレシアと優喜の看病まで連続だったため、今日は何も食べていない。今までいろいろありすぎて忘れていた空腹感が、一気によみがえる。
「プレシアはどうします? スープぐらいは食べられます?」
「……そうね。儀式で消化器系も弱ってるみたいだから固形物は厳しそうだけど、スープぐらいは大丈夫そうね。」
「だったら、用意してきます。」
「あ、手伝うよリニス。」
「私も。」
「ではお願いできますか?」
「「は~い。」」
そういって、動ける女性陣が全員出て行こうとして……
「みんなでここで食べるの?」
優喜の突っ込みで動きが止まる。
「あ、確かにここだと少し狭いですね。食堂の準備もしてきます。優喜君、浮遊椅子使いますか?」
「ちゃんと普通に歩けるから大丈夫。」
「……本当にどういう体をしてるんですか、優喜君……。」
「鍛えてますから。」
実際、出血は派手だったが、ダメージそのものは表面を軽く切った程度。むしろ気功の特性上、内臓にかかる負荷がひどかったのだが、それも食事が出来る程度には回復している。
「まあ、準備が出来たら食堂に案内しますので、少し待っててくださいね。」
「はーい。」
その声が聞こえたのは、優喜だったからだろう。
「なんか揉めてるみたいだね。」
「揉めてる?」
「うん。フェイトがどうとか、こんな小さい子がどうして、とか……。」
「……失敗したわね……。」
「失敗?」
優喜とユーノが怪訝な顔をする。その間にも、派手な足音がどんどんこちらに近づいてくる。
「やっぱり、いろいろ間違え続けたのだから、その報いは受けないといけないわよね。」
「……そろそろみんな戻ってくるね。」
「……覚悟を決めるわ。」
優喜の言葉に、力なく返事を返すプレシア。その言葉から大して時間をおかず、リニスが飛び込んでくる。その後ろには、いつもの女の子があたふたしながら付いてきている。考えていることを言葉に直すなら、どうしようどうしよう、だろう。
「プレシア! あの女の子は何なんですか!?」
「あれは……。」
「あの、ひとついい?」
言いづらそうに何かを話そうとしたプレシアに割り込んで、優喜が確認しようと思ったことを切り出す。
「何ですか、優喜君!?」
「その女の子って、フェイトを五歳ぐらいにした感じの子?」
「ええ、それがどうかしましたか!?」
「いや、いつもフェイトやアルフに引っ付いてる幽霊が、そんな感じの子だから。」
優喜の返事に、なんとも言えない空気が流れる。例の少女は、そのことは言わないで、という風情の表情で優喜をにらんでいる。
「波長が合わないから、声は聞こえないんだけどね。」
「……まあ、優喜君の言ってることは置いておくとして……。」
「そうね……、ちゃんと全部話すわ。」
疲れきった顔で、プレシアがぽつぽつと話し始める。
「あれは、私がおなかを痛めて生んだ唯一の子供、アリシア。フェイト、あなたのオリジナルよ。」
「え……?」
「フェイト、あなたはアリシアのクローンなの。」
「どういう……、事……?」
フェイトの問いかけに、すべてをぽつぽつと語り始める。二十六年前、プレシアが研究者として関わっていた実験の事故で、アリシアと使い魔のリニスをなくしたこと。すべての責任を取らされて左遷されたこと。そのころからアリシアの蘇生のための研究を始め、クローン技術に行き着いたこと。
「ある技術系犯罪者にね、アルハザードでは死んだときの保険として、クローン技術と記憶の移植による蘇生術が一般的だったと教えられたのよ。」
その話に飛びついたプレシアは、人生のほとんどを賭け、リンカーコアに病を発症させながらも、プロジェクト「F.A.T.E」と名づけたクローン技術の完成に打ち込む。そして四年前、プロジェクト「F.A.T.E」の集大成として、ついにアリシアのクローニングに成功する。だが……。
「クローンとしては成功でも、アリシアを生き返らせるという目的では失敗した……。」
「もしかして……。」
今までの話から導き出される結論を、青ざめた顔で震えながら確認するフェイト。
「そう。その時に出来たクローンがフェイト、あなたよ。」
「嘘……。」
アリシアとフェイトは、外見以外はまったく違う個性だった。根っこの部分の善良さはともかく、それ以外の性格要素は正反対と言ってよく、利き腕も反対。何よりもアリシアはほとんど持っていなかった魔法資質を、フェイトはあふれんばかりに受け継いでおり、完全に別人といってもよかった。記憶も中途半端にしか受け継いでおらず、長年の研究で人間性が磨り減っていたプレシアには、到底受け入れられるものではなかったのだ。
「プレシア、あなたがフェイトを虐待していたのは……。」
「言い訳はしないわ。どんなにがんばっても、フェイトをアリシアの偽者、アリシアへの愛を奪いに来た恥知らずな化け物にしか見えなかった……。」
結局、フェイトを受け入れられなかったプレシアは、断片とはいえフェイトがアリシアの記憶を持っていることが許せなくなり、記憶を封印。再びリニスを作り出し、フェイトを自分に都合のいい駒にするために訓練をさせ……。
「後は、あなた達の知っているとおりよ。」
「じゃあ、じゃあ、母さんが私を褒めてくれなかったのは……。」
「……言い訳はしないし、していい事でもないわね。」
血を吐くような、後悔に満ちた表情で、プレシアが自身を断罪するように言葉を吐き出す。プレシアの言葉に、とうとうフェイトが部屋から飛び出す。
「……フェイトを追いかけるよ。」
「私も行くよ、優喜君。」
「……また、あなたに助けてもらうことになるのね……。」
「気にしないで。それとプレシアさん。」
「……何?」
「互いにそうあろうとしている限り、生まれ方や血のつながりがどうであれ、親子や家族であることは出来る。」
「……。」
「うちの兄弟子の言葉。」
それだけ言い置いて、優喜はなのはをともなって出て行く。
「……正気に戻って、果たして良かったのか悪かったのか……。」
「良かったに決まってるよ、プレシアさん!」
「今までのこと、無かった事には出来ないでしょうけど、これからちゃんとした親子になればいいんです!」
「そうだよ、プレシアさん! それに、あなたがフェイトを生み出さなきゃ、僕達はフェイトと出会えなかった!」
弱気になっているプレシアを二人がかりで励ますユーノとリニス。そこに、血相を変えてアルフが乱入してくる。
「プレシア! アンタまたフェイトを泣かせたね!!」
「……否定はしないわ。正直、もう私には何が正しいのか、どうするのが一番いいのか分からない。だからアルフ……。」
「……アンタを殴るのは簡単だ。でも、フェイトはそれを一切望んでいないからね。」
しおらしい、を通り越して、抜け殻のようなプレシアに毒気を抜かれ、小さくため息をついて拳を収める。
「アンタを罰する資格があるのは、フェイトだけだ。だから、アタシはおとなしくフェイトが戻ってくるのを待つよ。」
アルフの言葉を最後に、部屋を重苦しい沈黙が覆う。一連の事態の解決は、結局優喜となのはにゆだねられたようだ。
「……フェイト。」
「……フェイトちゃん。」
時の庭園の中庭。その片隅でフェイトは空を見上げて立ち尽くしていた。華奢な後ろ姿が、いつにもましてはかなげな雰囲気をまとい、今にも消えてしまいそうな印象を与える。
「優喜……。なのは……。」
二人に気がつき、ゆっくり振り返る。いつもの押し殺した無表情ではない、全ての感情が抜け落ちた顔で優喜達をじっと見つめ返す。
「私……、人間じゃなかったんだって……。」
「フェイトは人間だよ。」
「優喜……。私がクローンだった事……、すずかの事みたいに分からなかったの……?」
「フェイトの気の流れは人間そのものだから。すずかみたいに種族が違うならともかく、生まれ方が特殊な普通の人間って言うのは、多分どんな手段でも区別できないと思う。」
優喜の言葉を気休めと受け取ったのか、フェイトは光の無い瞳でぽつぽつと語り始める。
「いろいろと、おかしいと思ってたんだ……。五歳ぐらいから前の思い出が、何一つはっきりしなかったし……。」
思えば、自分が不自然な存在であるというヒントは、あちらこちらに転がっていた。撮った覚えのない写真。書いた記憶の無い作文。よくよく考えてみれば、それらはすべて、日付がおかしくなかったか?
「母さんが私を認めないのも当たり前だよね……。」
「フェイトちゃん……。」
たまらずなのはがフェイトを抱きしめる。
「こういう事を考えてる私も、辛いと感じてる私も、全部作りものなんだ……。」
フェイトのつぶやきに答えず、ただただ力いっぱい抱きしめるなのは。何を言っても気休めと受け取られるからか、何も言わない優喜。その場を、風が吹き抜けていく。
「ねえ、フェイト。」
「……なに?」
数秒か、数分か。長いような短いような沈黙ののち、優喜が口を開く。
「初めて会った時のこと、覚えてる?」
「……忘れるわけ、無いよ。」
「士郎さんと桃子さんの作ってくれたご飯、美味しかったよね。」
「……うん。」
優喜との出会い。それはフェイトにとっては、恥ずかしくて忘れたい方に分類される記憶。前のめりに突っ走った挙句に油断して、碌でもない失敗をした事。いや、出会いの時だけではない。ジュエルシード回収の記憶は、ほとんどが恥ずかしい失敗の記憶だ。
「フェイトちゃん、私と初めて会った時の事、忘れてないよね?」
「……はやてと一緒に、翠屋でシュークリームを食べたよね。」
「あの時、フェイトちゃんが急に泣き出したから、びっくりしたよ。」
「……あの時は、ごめん。」
「ううん。私ね、あれでフェイトちゃんの事が一発で好きになったんだ。この子はすごく優しい子だって、すごくよく分かったから。」
あれからまだ、せいぜい一カ月しかたっていないのに、遠い昔の事のように感じる。この一カ月ほどの記憶は、それより前の思い出より、ずっと強く心に焼き付いている。
「フェイト、この一カ月みんなでやってきた事、感じた事は全部、本当の事だ。」
「みんなで頑張ってきた事を、作りものだから価値が無い、なんて言ったら、たとえフェイトちゃんでも、ううん、フェイトちゃんだからこそ、許さない。」
「でも……、優喜、なのは……。」
少し瞳に光が戻ってきたものの、まだ前を向いて歩けない様子のフェイト。その様子に、言うつもりの無かった事を言う事にする優喜。
「フェイトが紛い物だって言うのなら、僕だって偽物だ。」
「……え?」
「この世界の竜岡優喜は、一ヶ月ちょっと前に死んでるんだ。僕はその場所を勝手に使ってるだけの別人。こっちの竜岡優喜を知っている人間からすれば、僕は竜岡優喜を語る偽物にしか過ぎないよ。」
「……違う! 優喜は優喜だ! 偽物なんかじゃない!」
「それを、誰も証明できないんだ。そもそも並行世界から来た、なんて記憶も、誰かが作ったものかもしれない。僕の体も記憶も、フェイトみたいに誰かが何かの目的で作った可能性だって、無いとは言い切れない。」
「……。」
フェイトにはこう言ったが、優喜は自分が作りものであるという可能性は、ほとんどゼロだと思っている。何しろ、これほどまでに手間をかけて、しかもわざわざ小学生の体で竜岡優喜をコピーするメリットが、ほとんど存在しない。もっとも、この世界からしたら、自分は竜岡優喜の偽物にすぎないとは、かなり本気で思っているわけだが。
「だけどね、たとえ僕が竜岡優喜の紛い物だとしても、自分であることを貫き通すしかない。他に出来る事もないし、文句を言われる筋合いもない。それともフェイト、僕が竜岡優喜として行動するのは、いけない事だと思う?」
「……そんなこと無い。だって、私の知ってる竜岡優喜は、目の前の優喜しかいないから。」
「フェイトちゃん。私たちにとっても、フェイトちゃんはフェイトちゃんなんだよ。クローンだとか、アリシアちゃんのコピーだとか、そんなことはどうでもいいの。」
「……でも、だったら私は、どうしたらいいの……?」
今まで通りでいい、などと言われても無理だろう。知らなかったころには戻れない。だから、優喜は一つだけアドバイスをする事にする。
「フェイト、作りものとかそういう事は横に置いといて、だ。小さいころのプレシアさんとの記憶は、幸せな記憶?」
「……うん。」
「だったら、プレシアさんにはその記憶の責任を取ってもらって、そのころみたいにうんと愛してもらう事にしようよ。」
「記憶の……、責任をとる……?」
「うん。だってさ。プレシアさん、少なくともフェイトの事をいらない、とは言わなかった。フェイトの事が必要なら、ちゃんと責任を取って愛してもらわないと。」
優喜の言葉に、ようやく目の力が戻ってくる。
「じゃあ、向こうに戻ろうか。」
「……うん。」
プレシアは、優喜となのはをともなって入ってきたフェイトを、身をかたくして見守っていた。同じ部屋にいた三人も、固唾を呑んで見守っている。
「フェイト……。」
恐る恐る呼びかけるプレシアに答えず、何かを恐れるように、プレシアの手が届かない位置で立ち止まる。プレシアと目を合わせることを避けるように下を向き、細い声を絞り出す。
「……私は、フェイト・テスタロッサ。どんなに頑張っても、アリシアにはなれない。」
「……フェイト。」
「だけど、私はあなたの、プレシア・テスタロッサの娘である事を、やめる事は出来ないから……。私の原点は、あなたに愛された記憶だから……。」
意を決したように、顔をあげる。プレシアの、どこか怯えたような視線を受け止め、想いを解き放つ。
「だから、この思い出の責任を取って! この思い出を本物にしてよ! アリシアじゃ無く私を見てよ! 私を、フェイト・テスタロッサを愛して!!」
「……フェイト……。」
プレシアの瞳に、涙が浮かぶ。歓喜とためらい、二つの感情がせめぎ合い、何かを恐れるように、確かめるように言葉を吐き出す。
「私で……、いいの……? 私が……、あなたの母親を名乗って……、本当にいいの……?」
「母さんじゃないとダメなんだ。私にとって、母親はあなたしかいないんだ。」
「……私を、あんな事をした私を、まだ母さんと呼んでくれるのね……。」
震える足で立ち上がり、おぼつかない足取りでフェイトに歩み寄る。足をもつれさせたプレシアを、フェイトが駆け寄って支える。
「……フェイト、……フェイト!!」
「母さん! 母さん!!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「母さん……、大好き! 何があっても、私は母さんが大好きだから!!」
泣きながら抱きしめあい、互いへの想いを口にする母と娘。その様子を、もらい泣きしながら見守るなのはとユーノ。もうこの親子は大丈夫だ、そう確信する優喜とリニス。目の前の光景に感情の整理がつかないらしく、アルフは二人に背を向けて座り込んでいる。
「……肩の荷が下りたような、寂しいような、複雑な気分です。」
「……リニスさんは、ずっとフェイトの面倒を見てきたんですよね?」
「はい。……里親が子供を実の親に返す時って、こんな気持ちなんでしょうか……?」
「リニスさんは、まだまだやる事があるでしょ?」
「……そうですね。まだまだあの二人、見てられないところがありますし。」
その言葉を肯定するように、くう、と可愛らしい音が二人の方から聞こえる。感動的な光景に水を差すその音の発生源は、どうやらフェイトのお腹らしい。つられて、なのはとユーノのお腹も小さくなる。
「……あぅ。」
「そういえば、あなたは今日は、何も食べていなかったものね。」
安心したところで、体がようやく空腹を訴え始めたようだ。真っ赤になってうつむくフェイトを、泣きはらした瞳を細めて、愛おしそうに見つめるプレシア。
「リニス、申し訳ないのだけど……。」
「分かってます。もう一度温めなおしてきますから、もう少し待っててください。」
「今度こそ、ちゃんと手伝うよ。」
「フェイト、いまはいい子になるより甘えん坊でいなさい。子供が親に甘えられる時間なんて、長くはないんですから。」
優喜と二人でプレシアを椅子に座らせ、そう申し出たフェイトに対し、リニスが諭すように言う。とりあえずアルフに食堂のテーブル拭きを命じて、そのまま出ていくリニス。
「それで、プレシアさん……。」
「何かしら?」
「ジュエルシードは、まだ必要ですか?」
「……正直、まだアリシアの事はあきらめきれていないわ。ここまでやってきて今更、なんていうつまらない意地もあるけど、フェイトにお姉さん、いえ、体の年から言うと妹かしら、がいた方が素敵じゃないか、っていう思いもあるし。」
さすがに、何十年も追い求めてきた事を、愛せる対象が出来たからと言って、はいそうですかとあきらめる事は出来ないようだ。いやむしろ、プレシアの性格から考えて、そんな割り切りが出来る方がおかしい。
「でもね、ジュエルシードはもういらないわ。最初に考えていた計画は、今となっては致命的な問題が出来てしまったし。」
「致命的な問題?」
「最初の計画では、ジュエルシードのエネルギーを使って虚数空間を渡り、アルハザードに行く予定だった。」
「もしかして、最初の計画だと、帰ってくる予定が無かった?」
「ええ。だから、フェイトの母親を名乗る以上、娘をせっかくできた友達から引き離して、片道切符の旅に出る、なんてことは出来ないわ。かといって、フェイトだけを置いていくのも当然ダメ。帰る手段も考える、と言ったところで、いつまでかかるかも分からないから、最初と同じ理由で却下。」
「だから、別の手段を探す、と?」
その言葉に瞳を閉じ、自分の中の答えを探す。
「あの子は、まだここにいる?」
「ええ。」
「だったら、あの子の姿を見て、声を聞くための手段を研究するわ。フェイト、あなたもアリシアがどんな子だったのか、少しぐらいは気になるでしょう?」
傍らのフェイトに視線を移し、穏やかに問いかけるプレシア。
「……うん。……出来るなら、お話ぐらいはしてみたい。」
「だったら、決まりね。フェイトがやきもちを焼かない程度に、アリシアとコンタクトをとる手段を探してみるわ。」
「それより先に成仏するかもしれないけど……。」
「それならそれでかまわないわ。私のわがままに、これ以上死んだあの子をつきあわせるのも忍びないもの。だからアリシア、心残りが無いのならば、私たちの事は気にせずに、天国に行ってくれていいのよ?」
プレシアの言葉に、優喜に見えるように首を振るアリシア。そして何やらパントマイムを始める。
「えっとなになに? ……ああ、なるほど。」
「あの子が何か言っているの?」
「もう、守護霊になってて簡単に成仏できないから、二人が生きてる間ぐらいは頑張って守る、だって。」
「そう……。だったら、私たちも頑張って、アリシアが守らなくてもいいように生きないと、ね。」
「うん。」
どうやら、テスタロッサ家の家族の問題は、無事に落ち着くところに落ち着いたようだ。余談だが、プレシアの死者と会話するための研究は十数年の時をかけて実を結び、殺人事件の犯人逮捕や相続がらみの問題など、死者の声が聞きたいような問題に対して、大きな力を発揮するようになる。
「お待たせしました。」
「準備できたよ。」
リニスとアルフが戻ってくる。いろいろあって伸びに伸びた食事だけあって、全員の空腹は限界近い。せかすような品の無い真似は誰もしないが、どうにもいそいそと、と表現したくなる挙動になるのは避けられない。
「ご飯食べるだけで、こんなに手間取るとは思わなかった。」
「さすがに、これ以上何かが起こる、という事はないでしょうから、落ち着いて安心して食べてください。」
リニスは甘かった。主にフェイトの天然ボケと世間知らずの加減に対する認識において。
「あ、そうだ。」
しっかり甘えてすっかり落ち着きを取り戻したフェイトが、優喜となのはのもとに駆け寄る。
「優喜、なのは、さっきはありがとう。」
「どういたしまして。」
「フェイトちゃんが元気になって、よかったよ。」
「二人に、お礼をしたいんだ。」
別にいらない、という優喜となのはを無視し、すっと密着するほどの距離に近寄る。何をするのか、と戸惑う暇も与えず優喜を捕獲すると、やけにスマートな所作で唇を奪う。
「ちょっ!!」
「フェ、フェイト!?」
目の前の光景にフリーズするなのはと、いきなりすぎて完全に頭の中が真っ白になる優喜。予想の斜め上すぎる行動にあわてる周囲。優喜を解放したフェイトは、周囲の視線などお構いなしに凍りついたままのなのはを同じように捕まえると、隙の無い所作で再び唇を奪う。
「えー!?」
「……これは、絶対何かを勘違いしてるわね。」
娘のあんまりな行動にこめかみを押さえるプレシアと、絶叫するしか出来ないリニス。二人の様子からいって、どうやら魔法世界でも、キスに対する感覚は日本と大差ないらしい。
「フェイト、それがお礼って言うのは、いろいろ間違えてるわよ。そもそも、なのはさんに対しては、むしろ罰ゲームだし。」
「そ、そうなの?」
頭痛をこらえながらのプレシアの指摘に、心底驚いて見せるフェイト。
「……何を見て、キスがお礼になると思ったの?」
「はやてが貸してくれた漫画に、そういうシーンがあって……。」
「それは……。」
いったい何を借りたのかは分からないが、多分フェイトが思っているのとは違う内容だろう。
「あ、そうだ。ユーノにもお礼しないと。」
「後で傷を広げたくないなら、ここでやめておきなさい。ユーノ君には、別の形でお礼を考えるから。」
「……母さんがそういうのなら、そうする。」
あっさり納得して引いたフェイトを見て、アルフが意地の悪い顔でユーノに突っ込む。
「ユーノ、ちょっと残念とか思ってるんじゃないかい?」
「お、思ってないよ!」
『ダウト。』
ユーノの魂の叫びに、なぜかバルディッシュがきついダメ出しをする。
「とりあえず、まずフェイトには一般常識を一から教えなおす必要がありそうね……。」
「今までの因果が、一気に出てきましたよね……。」
フェイトが理解してないからノーカン、とぶつぶつ言っている優喜と、初めてが女の子、と鬱々としているなのは。二人の様子を見ながら、ため息交じりに今後の教育方針を確認し合うプレシアとリニスであった。