念のために言うのだが、グレンダン女王アルシェイラの仕事は、おおよそ戦闘とは関係のない物が殆どだ。
例えば公共事業の企画書に目を通したり、福祉関連の補助金制度に関する報告書に目を通したり、おおよそ書類と雑務と会議と打ち合わせで執務の時間が過ぎ去って行くと考えて良い。
そんなアルシェイラだから、昼食の時間も立派な会議の席となることが多かったのだが、それは最近純粋な昼食の時間となってきていた。
いや。正確には純粋ではない。
何時か来るその時のために生きてきたアルシェイラだったのだが、定めと執務に塗りつぶされた人生に鮮やかな彩りが加わったのだ。
今日も今日とて、カナリスに仕事の大半を押しつけて三時間の昼食を確保したアルシェイラは、王宮の最上階に取り付けた巨大な望遠鏡で、グレンダン中を覗いて回っていたのだ。
若いカップルが湧水樹の森の中に仲良く入って行くところとか、やたらに周りを気にしつつ主婦しかいない家へと入って行く営業マンとか、かなり危ない物を見てにやけた時間は、しかしやはり唐突に奪われてしまった。
当然では有るのだが、一緒に覗き趣味を満足させていたリディアも、突然やって来たカナリスの報告を聞く羽目になった。
ある意味、リディアが原因の一部と言える事態に対する報告だったために、アルシェイラもカナリスも部屋から出て行くようには言わなかったのだ。
「天剣共がだれている?」
カナリスから発せられた単語をそのまま繰り返す。
二秒ほどの思考の後、笑い飛ばすことにした。
何しろ天剣授受者だ。
グレンダンの誇る人外の変態共だ。
通常型都市ならば瞬殺出来るほどの、異常者集団だ。
サヴァリスのような、戦っていないと人格が破綻するという戦闘狂さえいるのだ。
そんな天剣授受者がだれている。
そんな事はあり得ないはずなのだが、だが、万が一にでも有ってしまったらそれに対応する必要がアルシェイラにはあるのだ。
「はい。特にサヴァリスが酷いです」
「・・・・? なんだって?」
だれている天剣の筆頭が、あの、あのサヴァリスだというのだ。
老性体を遊び相手にしか思っていない、友達が強かったら誠心誠意戦って殺して喜んでいる、天剣最凶のサヴァリスがだれる。
これは本気で気を引き締めて掛からなければ、とても痛い目に合うことがはっきりした。
なので、気合いを入れ直してカナリスからの報告を聞く。
「先日老性体と戦って帰ってきたのですが」
「老成二期とか言う奴だったわね」
アルシェイラ的にはどれでも大して違わない雑魚だが、それでも通常都市だったら滅んでいた程度の戦力だったという認識くらいはある。
まあ、サヴァリスのことだから相変わらず、遊び半分で戦いに出たことは間違いないが。
「力押ししかしてこない老性体なんかと戦ってもつまらないと」
「・・・・・。ああ?」
カナリスから出た言葉を脳内で処理。
そもそも汚染獣が戦うと言う事は、その大質量と巨体を生かした筋力、更に生命力や体力を総動員して戦うと言う事のはずだ。
老性体の戦い方はむしろ汚染獣としては非常に納得の行く物に思える。
これで小技を連発していたら、そちらの方が遙かに異常だ。
「レイフォンのように、精緻を極める技や磨き抜かれた意志力、何よりも生きる事への執着心から来る必死さ、そう言う物が全く無いので戦ってもつまらないと」
ここまで来てアルシェイラも理解した。
サヴァリスはもっと洗練された相手と戦いたいのだと。
汚染獣のような勢いだけで戦う獣など、もはや相手にすることが馬鹿らしいのだと。
もっと言えば、生きようと必死に足掻いている敵を倒すことに快感を覚えているのだと。
それは極めてサヴァリスらしいと言えるのだが、断じてだれているという訳ではない。
「だれているというのとは、少し違うと思うんだけれど?」
当然疑問を持ったアルシェイラは、きっちりとカナリスに問いただす。
カナリスが言葉を間違って使っているというのならば、それはそれで良いのだが、もし万が一にでも本来の意味で使っているのだとしたら、非常に厄介な問題となる。
「老性体なんかと戦ってもつまらないので、他の人に回して下さいと」
「・・・・・・・・・・・・・」
確かにだれている。
これは由々しき問題だ。
天剣授受者が戦闘を放棄する。
これ以上の異常事態など想像も付かないほど、どうしようもないくらいに異常事態だ。
「一体どうしたというのかしらね?」
隣で、黙々と巨大な弁当箱の制圧に掛かっているリディアに問いただしてみる。
ある意味引き金を引いたのはアルシェイラだが、覗き趣味という禁断の箱を開かせたのはリディアなのだ。
彼女にも責任の一端はあると思うのだ。
「・・・・。やっと分かったわ」
「何がよ?」
更に黙々と食事をし続けていたリディアだが、五分ほどしてやっと口を食べる以外の目的に使うことにしたようだ。
そして、出てきたのは想像を絶する事実をアルシェイラに突きつける言葉だった。
「私達は、天剣授受者がレイフォンで遊んでいると思っていたわ」
「ええ。その認識に間違いはないはずよ」
そう。遊びだったのだ。
いくらデルボネの探査を逃れる逃走術を身につけているとは言え、それだけで生き長らえる事が出来るほど天剣授受者は甘くない。
天剣共が本気だったら、いくら通常の錬金鋼を使っていたとしても一分という時間を生き長らえる事は出来ないのだ。
「でも事実は違った」
「どう違ったのよ?」
リディアがどんな道筋で何を思いついたのかさっぱり分からない。
だが、次に出てくる言葉こそが今の事態を説明することが出来る、究極の答えだと言うことは分かった。
「天剣授受者が、レイフォンに遊んでもらっていた」
「・・・・・・・・・・・」
本日二度目の絶句に叩き落とされてしまった。
あの、あの天剣授受者共が、ただの武芸者でしかないレイフォンに遊んでもらっていたというのだ。
これはどうあっても否定しなければならない。
そうでなければ、折角集めた変態共の真価が問われてしまうから。
「ああ。そうだったのですね」
何故か、アルシェイラよりも速くカナリスが言葉を零した。
だが、それは今までとは全く違う空気を纏っていることに、強制的に気が付かされた。
そう。溜息にも似た息遣いで言葉が口から零れ落ちたのだ。
それはもう、恋する乙女が思い人を思ってその名を呼ぶような。
「私はレイフォンに弄ばれていたのですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
本日三度目の絶句は、過去最大の長さと重さを持ってしまっていた。
クララと同じような性癖を持っているとは思っていたのだが、はっきりと同類なのかも知れないと思えてきてしまった。
「レイフォンを鍛えて、私よりも強くして、そして無残に斬り殺されることを、私は願っているのですね」
この辺、クララで慣れているので、さほどの衝撃は受けないで済んでいるようだと、人ごとのように考えるアルシェイラの脇では、相変わらずリディアが巨大弁当箱を殲滅させようという戦いを続けている。
この状態に、非常な違和感を覚えた。
「って、ちょっと待った」
異常事態がもう一つ身近で起こっていることにも気が付く。
さっきからリディアは巨大弁当箱を抱えるようにして、黙々と食事を続けている。
だが、昼食は既に終了しているはずなのだ。
一緒に覗きをする時には、一緒に昼食を摂ることにしているので、既に終わっていなければならないはずなのだ。
だと言うのに、リディアはいまだに食べ続けている。
十歳程度の子供と同じ体格しか持たないはずの、グレンダンではそれ程優秀とは言えない念威繰者が。
これも異常な光景に違いない。
「本当、世の中はままならないわねぇ」
そう口にしたアルシェイラは溜息をつく。
天剣共がだれてしまっている現実を改善する方策は、今のところ一つしかないのだが、それを実行するためには相当の無理が必要なのだ。
事前情報通りにレイフォンがツェルニに居るのだったら、リーリンを迎えに行くついでにかっさらってくれば良かったのだが、生憎とマイアスという学園都市に留学してしまっている。
これも世の中の不条理と言えるのだろうと思うと、世界全てに対する怒りがふつふつと沸き上がってくる。
グレンダンを巻き込んで自爆したくなるほどに。
そして唐突に思い出した。
最近ティグリスの姿を見ていないことを。
デルボネを呼んで確認させたところ、サイハーデンの道場にいることが判明。
即座に望遠鏡を使って、アルシェイラの目で確認してみる。
当然のようにいた。
日の当たる庭先に座り込み、デルクと並んで日光浴の最中だ。
そしてそのすぐ側にいるのは、何時ぞやの幼女。
必死に二人の服を引っ張っている姿に不信感を募らせた。
デルボネに命じて盗聴開始。
「っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ!」
必死になって二人の服の袖を引っ張って、自分に注意を向けさせようとしている幼女。
その大きな瞳には、既に涙が一杯に溜まり、決壊間近だ。
「おお! 相変わらずめんこいのぉぉ」
「はは。誠に可愛らしいですな」
その必死のアピールが功を奏したのか、二人の視線が幼女を捉えた。
いや。捉えていない。
視線は向けられているが、焦点が全く合っていない。
一瞬喜びに溢れた幼女だったが、すぐに二人の状況に気が付いたようで、再びその瞳を涙で一杯にした。
「っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ!」
ティグリスの髭を引っ張り、デルクの指を引っ張り、ティグリスに渾身の拳を叩き込み、デルクに全力の蹴りを打ち込み、更に二人に向かって連打を浴びせ続ける。
だが、いかんせん歯も生え揃っていないような子供の攻撃など、歳を重ねた武芸者に通用するはずもなかった。
「おぉおぉおぉ。ほんにめんこいのぉぉ」
「ははは。誠に可愛らしい限りですな」
頭に蜘蛛の巣が張っても気が付きそうにないほど、二人の武芸者はゆるみきっている。
とうとう盛大に泣きながら母屋へと助けを呼びに行く幼女を眺めつつ、アルシェイラは思うのだ。
「老いたなティグ爺」
人生において最も重要な、生きる目的を見失った老人が二人。
アルシェイラは思わず溜息と共にサイハーデンの道場付近を、消し飛ばしてしまおうかと本気で考えてしまった。
天剣が一本無くなるが、リーリンが帰ってくればそれを埋めることは出来るのだ。
老いてしまった武芸者など、必要ない。
「うふふふふ。こんな時にこそお兄ちゃんが必要なのに、いないなんて罪作りな奴」
リディアのそんな他人事な台詞が聞こえなければ、きっと実行してしまっていただろう。
そしてやっとの事で、レイフォンがいなくなったことの意味を知ることが出来た。
天剣共から、生き甲斐の一部が失われたのだと。
このままではいけない。
老性体ごときにやられるのならまだしも、呆けて使い物にならないとなったら、折角集めた変態集団が台無しだ。
やはりグレンダンをそそのかして、マイアスに戦争を仕掛けようかという、恐ろしい計画がこの時アルシェイラの中に生まれた。
普通にやれば、学園都市ごときが勝てるはずはない。
泣きを入れてきたのならば、レイフォンと引き替えに鉱山の一つでもくれてやればいいのだ。
レイフォンの犠牲で誰も彼もが幸せになれる。
そうなれば実行有るのみだ。
決意を固めたアルシェイラは、グレンダンを呼び出すことにした。
お忘れかも知れないが、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスは天剣授受者である。
更に熱狂的な戦闘愛好家であり、戦闘狂の異名を持って人から恐れられる武芸者でもある。
そんなサヴァリスの今日の獲物は、幼生体。
何を勘違いしたのか、グレンダンが幼生体の大群落に突っ込んでしまったのだ。
その数実に三万以上。
グレンダンの歴史上万を超える幼生体に取り囲まれたことは珍しくないが、三万となると空前の事態ではある。
絶後かどうかは全く分からないが。
と言う事で、一対多数が得意なリンテンスと制圧能力があるバーメリン。
ついでに先日の老性体戦で不満の溜まっていたサヴァリスが出撃して、片端から幼生体を虐殺して回っているのだが、当然のこと退屈で仕方が無い。
弱いくせに数だけ居る物だから、非常なストレスが溜まる。
これならばレイフォンと遊んでいた方が遙かにましなのだが、生憎と学園都市に逃げて行ってしまっているので戦いたくても戦えない。
「やれやれ。世はなべて事も無しですかねぇ」
「幾星霜を語ろうが貴様とは平行線だと思っていたが、三兆分の一グラムル程度の共感を得た」
念威端子越しのリンテンスの声も、非常につまらなそうである。
天剣抜きとは言え、また本気ではなかったとは言え、リンテンスやサヴァリスの攻撃を、軽傷を負っただけで乗り越えたレイフォンの強さに比べたら、幼生体などいくらいても全く楽しくない。
あの必死に逃げ惑う姿と生への猛烈な執着。
何よりもあの技の切れと剄の流れ。
数を頼みとして襲ってくるだけの幼生体と比べるべくも無い。
「糞ウザ! 糞飽きた!」
バーメリンの方も二時間近くガトリングガンを使い続けて、いい加減飽きてきたようだ。
徐々に剄弾の命中率が下がってきているし、傍目から見ても覇気が無くなってきている。
これは非常に危険な状態だ。
どのくらい危険かというと。
「うわぁぁぁん!」「わっわっわっわっわわわわ」「ひぃぃぃんん」
味方であるはずのグレンダン武芸者に、誤射という形で剄弾が降り注ぐくらいに危険だ。
その誤射が、誤射で済ますことが出来ないほどの量になってきている。
具体的には、三割り程度の剄弾がグレンダン武芸者に向かっている。
二門合わせて、毎分八千発の三割だ。
死者が出ていないのが不思議なくらいに、猛烈な砲撃がグレンダン武芸者を襲っているのだ。
だが、それを見てサヴァリスはひらめいてしまった。
「これは使えるかも知れませんね」
「無理だな」
サヴァリスの発言に瞬時に応じたリンテンスの声を聞き、同じ事を考えているらしいことが分かった。
そう。レイフォンがいないのならば、それに代わることが出来る武芸者を作り上げればいいのだ。
だが、当然問題もある。
いや。問題だらけだ。
「やはりそうですよねぇ」
レイフォン・サイハーデンという武芸者は、剄量は兎も角として、その技量だけなら天剣授受者にかなり近付いていたのだ。
それだけ凄まじい人材は、いくらグレンダンだとは言えそうそう転がっている訳ではないのだ。
となれば、やるだけ無駄だという確率も出てくるのだが。
「まあ、大義名分くらいはありますからね」
「そうだな。何億秒という暇な時間を潰すためにも使えるか」
そして驚いた。
あのリンテンスと意見の一致を見たのだ。
三兆分の一程度の一致だとしても、今までにはなかったしこれからあるかどうか分からない。
ならば、物は試しである。
幼生体のついでに銃撃されて逃げ惑っている武芸者達に向けて、サヴァリスは取り敢えず衝剄を放ってみた。
当然、違う戦域ではリンテンスの鋼糸が幼生体と一緒に武芸者を切り刻んでいるだろう。
これはこれで少々楽しい。
弱い者虐めは、サヴァリスの好みではないのだが、もしかしたら掘り出し物が出てくるかも知れない。
ならばやる価値は十分にあると思うのだ。
「お、おや?」
そして気が付いた。
幼生体を虐殺して回るよりも、誤射に見せかけてグレンダン武芸者を狙い撃つ方が遙かに楽しいと。
思わぬ収穫である。
こうして、後の世に天剣の狂乱と呼ばれる虐め行為がそこここの戦場で見られた。
だが、だがである。
結局レイフォンほど面白い相手を見つけることが出来なかったために、天剣達が興味を無くして一時の狂乱で終わってしまったのは、恐らく武芸者にとってもグレンダンにとっても良いことだったのだ。