アルシェイラ・アルモニスは女王である。
グレンダン最狂の武芸者でもある。
恐らくでは有るのだが、人類最強の武芸者でもある。
本来この能力は借り物で、目的を果たすために便宜的にアルシェイラが使っているだけに過ぎないが、今はそんな物関係ない。
王宮の一番高い場所にある部屋、そのベランダに設置された全長二メルトルに及ぶ望遠鏡を前にしては、そんな些細な出来事はどうでも良いのだ。
「これ何に使うのよ?」
遠くを見る事などアルシェイラにとっては造作もない事だ。
活剄を軽く使えば三百キルメルトル先の都市でさえ、かなり鮮明に捉える事が出来る以上、望遠鏡などと言う不便な道具を使う必要は何処にもない。
だが、目の前にいる小柄な女性は不適に微笑む。
「うふふふふふ。それは覗きとは言わないわ」
「何処が違うって言うのよ?」
滅茶苦茶小柄なリンテンスの妹に向かって、上からの目線で問いかける。
念威繰者としては平均的な実力しか持たないとは言え、こんな大がかりな道具を使わなければならないと言う事はないはずだが、何故かこのリディアは好んで望遠鏡を使うのだ。
しかも特注で作らせてまで。
「覗いてみれば分かる。覗かなければ分からない」
無表情のままそう言われたので、何となくそれに従ってみる。
望遠鏡は既に微調整が終わっている。
しっかりとはっきりとサイハーデンの道場が建つ辺りへ向けられている。
途中に有った背の高い建物は、全て綺麗になくなっているのだが、これは天剣授受者とレイフォンの戦闘の影響であって断じてアルシェイラに責任は無い。
と言う事で、腰をかがめて接眼レンズに顔をくっつける。
「おお!」
何故か覗いた瞬間に視界に飛び込んできたのは、入浴中のレイフォンの姿。
そしてその膝の上で微睡む、長い髪の幼女。
不自由な視界の中で繰り広げられるのは、まさに日常の一コマであり絶好の覗きスポットだ。
これは間違いなくリディアが狙ってやったのだ。
だが、アルシェイラの関心はもはやそんなところにはない。
「こ、これはいいわね」
「うふふふふ。覗くという背徳艦が溜まらないわ」
気が付かされたのだ。
活剄で視力を強化して対象物を見る事は、単に見る事の延長でしかない。
だが、望遠鏡を覗いている今この瞬間は、間違いなく覗きなのだ。
リディアが覗けば分かると言った意味を正確に理解した。
「ああ。そんなにこすっては駄目よ」
「うふふふふ。足の指の間をこするだけで、ああも快感を与えるなんて」
「レイフォン! なんて恐ろしいやつ。リーリンとクラリーベルが躍起になって襲うのも分かるわ」
「うふふふふふ。もうあの二人もレイフォン無しでは生きられないわね」
「あの子もそうよ。お兄ちゃん無しでは居られない身体になってしまったわ」
「うふふふふ。貴女ももう覗き無しでは居られないわ」
隣に据えられた望遠鏡でリディアと覗きをしつつ、アルシェイラは思うのだ。
何故もっと早く興味を持たなかったのだろうと。
下らない執務に忙殺されて、いつ来るか分からないその時を待つだけの人生だった。
今から思えばつまらない事だらけだったのだ。
だが、その人生がこうも彩り豊になったなんて!
その幸福を味わいつつ更に覗きを続ける。
「あの陛下。ヘルダーとミンスから是非とも陛下の裁可が頂きたいと書類が回ってきていますが」
いきなりカナリスのそんな声が聞こえて、現実に戻されてしまった。
正直かなり腹立たしい。
メイファーとリーリンとクラリーベルにボコられて入院しているはずだが、きっちり仕事をしているところは賞賛に値するかも知れないが、今はただただ苛立たしい。
「貴女の方でやっておいてよ。私今忙しいの」
「そう申されずに、ユートノール家からの嘆願書ですので」
「っち! 貸しなさい」
気配だけでカナリスから書類を受け取る。
かなりの厚さのそれをろくに見もせずに最後のページにサインだけする。
「これで良いでしょ?」
「はい。失礼しました」
そう言うとカナリスはそれ以上ここにとどまる事をせずに、退出して行く。
その足音を聞きながらも、視線はレイフォンの入浴シーンから離れない。
これはよい物を見られた。
アルシェイラはその時、確かに人生で最良の時間を過ごしていた。
だが、その至福の時間は儚く消費されてしまったのだ。
「なに、これ?」
存分に覗きを堪能した直後、執務机に向かったアルシェイラを待っていたのは、全く持って信じられない内容の書類だった。
何故か既に女王のサインまでしてある。
表題に書かれているのは、ヴォルフシュテイン返上とリーリン・ユートノールの留学について。
猛烈な勢いで内容を確認する。
要約するとこうだ。
1.リーリンはヴォルフシュテインを返上する。
2.リーリン・ユートノールをグレンダンから他の都市へ留学させる。
3.ヴォルフシュテインはメイファー・ユートノールに試験後に授与する。
リーリンが留学するための手続きが一揃えの書類で終わっているという、極めて効率的な内容だ。
「だ、誰よこんな物にサインなんかしたのわ!」
「陛下ですが?」
「わ、わたし!」
冷静にカナリスに突っ込まれ理解した。
これは謀略なのだと。
もしかしたらリディアも敵に回っているかも知れない。
覗きに夢中になっている時に書類を持ってくれば、かなりの確率でアルシェイラは読まずにサインをしてしまう。
それがユートノールからの物となれば、更に不用心になってしまうのは事実。
「まさか望遠鏡を持ち込んで良いという許可が下りたところから、この陰謀は始まっていたなんて。驚きだわ」
リディアがそう言うのが聞こえた。
どうやらリディアはこちら側の人間だったようだが、それでもアルシェイラの周りに敵が多い事は理解出来る。
サインはしてあるが何とか反論してみる。
人はこれを悪足掻きというかも知れないが、アルシェイラにとっては重要な事なのだ。
「リーリンを留学させるって、ここでだって勉強くらい出来るでしょう?」
「一般常識を取得するためには、一度グレンダンから出た方が確実ですし、そもそも天剣授受者が非常識の集団だと知られたらかなり拙いかと」
「そ、それはそうかもしれないわね」
いくら強ければ良いという基準で選んだ天剣授受者とは言え、一般常識が全く無いのでは話にならない。
特にリーリンは王族である。
つい最近まで子供は父親が産むと思っていたなどと知られたら、それはそれはかなりのスキャンダルになる。
出来れば秘密裏に処理したい問題ではある。
「留学って何処に送るのよ? 知っている人がいないところに送ったら問題でしょう?」
「ツェルニがよいでしょう。サヴァリスの弟が在籍していますから」
打てば響くというのだろうか?
カナリスの返答は全て予想された内容に対応するように、全くよどみがない。
いや。ほぼ間違いなく予測されているのだろう。
「デルボネは何をやっていたの? こうもあっけなく反逆を許すなんて」
「情報の伝達や意見交換の全てが、紙に手書きの文字を書いて進められた計画です。いくらデルボネでもそうそう簡単には把握出来ないでしょう」
「ぐぬぬぬぬぬ」
悔しくて涙がこぼれてきた。
だが、全てはもう決してしまっている。
ならばせめてもう少し面白い事になるように、小細工を労するだけだ。
だが、そんな余裕を今日のカナリスは与えてくれなかった。
「ついでではありますが、レイフォンも留学させてはどうかとミンスから提案が来ています」
「レイフォン? あれこそここにいた方が面白いじゃない?」
レイフォンこそ天剣授受者を相手にしていれば、見る見るうちに実力が伸びて行くはずだ。
そうなればかなり面白い事になる。
「ですが。私もこの間襲ったのですが」
「うんうん」
「どうも最近天剣の技と動きを見切ってきたようで、前ほど面白くなくなってきています」
「・・・・。ええい! サイハーデンの継承者は化け物か!」
化け物揃いの天剣授受者の動きを見切って、面白味のない戦いに持ち込んだ。
いくら剄量を制限しているとは言え、その技量だけでもその辺の武芸者は足元にも及ばないというのに、動きや技を見切って来ているというのだ。
しかもたったの三ヶ月少々でだ。
これはアルシェイラでも驚きに値する出来事だ。
「ですので、他の都市の武芸者と戦わせてみたらと」
「圧勝でしょう? 天剣相手に戦っていたんだから」
「新しい技を覚えてくる事が予測出来ますし、もしかしたらそれ以上の面白い事になるかも知れないとミンスが」
「ミンスねぇ」
つい先ほど騙されたばかりなので少々疑り深くなっている。
だが、リーリンと一緒に留学させる事が出来れば、それはそれは面白い事になりそうだ。
リーリンの腕が鈍る事もなさそうだし。
「いいわ。そっちで許可出しておいて」
「かしこまりました」
「うふふふふふ。天剣級の武芸者が一人増えているかもね」
リーリンが一緒ならばあり得る。
天剣という錬金鋼は十二本しかないが、授受者の予備は多いに越した事はない。
少々気分が良くなった。
レイフォン・サイハーデンは焦っていた。
今日という日はレイフォンにとって最も大切な一日なのだ。
そして、もう残り時間も無いというので、目的地に向かって活剄を使いつつ走っていたのだが。
「鍛錬の厳しさ、汚染獣の恐怖から逃れたくはないか?」
いきなり変なお面を被った集団に取り囲まれている自分を発見。
その数実に二十。
全員が異口同音に同じタイミングで言葉を話すという、かなり高度な技を見せてくれたが全く嬉しくない。
高度な技を使える事と、つい先ほどまで全く気配を感じなかった事から推測してかなり腕の立つ武芸者である確率が高い。
これ自体は別段驚く必要はない。天剣授受者なら誰でもやれる事だから。
それ以上に何か何時ものグレンダンではないような気がしてならない。
何か空気が違うような気がして、素早く辺りを見回しつつも、お面集団から注意をそらせる事はしない。
何時襲われるか分からないからだ。
だが、お面集団からは襲ってくる気配を感じないし、何か言いたげにしているのは気のせいではないだろう。
平和的な用事ならば多少付き合っても良いのだが、今日という日は拙かった。
何度でも言うが、時間が無いのだ。
家を出た瞬間から色々とあったために、限界ギリギリの状況なのでレイフォンが取るべき手段はたった一つ。
「ええい! 邪魔をするな!」
珍しく激昂して身体が勝手に動く。
剣帯から予備の錬金鋼を引き抜き、銀色の鋼糸を復元。
周り中に陣を引きそれを上空に向かって打ち上げる事で、全方位への攻撃を可能とする。
本来ならば十秒程度の準備時間が掛かるはずなのだが、今日は異常に集中力が高まっているせいか三秒で完成。
あっけなく全員に命中したが、当然急所を外している。
「え?」
だが、急所を外したはずだというのに、全員が溶けるように始めからいなかったかのように消えてしまっていた。
それと同時にグレンダンではないという変な感覚も元通りに戻った。
一体何だったんだろうと考えたのは実に一秒。
兎に角時間が無いのだ。
と言う訳で鋼糸を基礎状態に戻して、更に活剄を強化して疾走する事二十秒。
「覚悟しろ!」
「弟弟子の仇!」
道をふさぐように展開していた武芸者五人に高速で接近しつつ、手加減した焔切りと鎌首を浴びせかけて撃破。
更にくないを飛ばして牽制をしつつ、接近して刃鎧を叩き込み無力化。
この間僅かに三秒。
何時もならもう少し相手に優しい方法で攻撃するのだが、なんと言っても時間が無いのだ。
今はもうそれしか考えられない。
目的地に着くためだけに、持てる技量と技と剄を注ぎ込む。
出し惜しみしている余裕はないのだ。
もう少しで目的地に到着できると思った、まさにその瞬間。
「もらった!」
「っちぃぃ!」
突如脇道から飛び出してきたルッケンスの武芸者に、カウンター気味の肘打ちを叩き込む。
突っ込んできた速度はかなり凄まじかったので、身体が流されたがそれに逆らわずに四分の一回転。
体制を低くしつつ更に身体を回転させ、足払いをかけ低空へと押しやる。
相手がまだ空中にいる間に瞬発力を最大限使って、上半身を襲撃者の上に持ち上げる。
ノイエラン卿に指摘されてからこちら、瞬発力を意識する事によって身体捌きと技の切れがいっそう鋭くなったのだ。
鳩尾に拳を押し当てそのまま地面に向かって付き出す。
拳を当てた衝撃のすぐ後に路面に衝突したために、受け身や防御が非常に困難な状況を作る。
「ぐわ!」
悲鳴を上げてのたうつのをそのままに、旋剄を使って一気に距離を開ける。
周りから拍手が聞こえるが、今日は無視するしかない。
何故かおひねりも飛んできたが、今は見なかったことにする。
ぐずぐずしていられないのだ。
そう。今日は留学のための試験日。
あと十五分で試験が始まってしまう。
問題は家を出た次の瞬間から襲ってきていた。
次から次とルッケンスの武芸者に襲われるのだ。
これは間違いなくレイフォンをグレンダンから出さないために、クォルラフィン卿が用意した罠に違いない。
いきなり本人が出てこないのは、足掻くレイフォンを見て喜んでいるか、あるいは自分が戦うに足る人物か見極めているのかのどちらかだろう。
途中で関係なさげな、お面集団が何か訴えかけていたような気もするが、試験を受けるための貴い犠牲となってもらうしか無かった。
まあ、そんな訳の分からない連中も居たが、おおよそ襲ってきたのはルッケンスの武芸者達だった。
となれば、試験会場が見えたと同時に認識出来る、銀髪でにやけた笑いを浮かべた長身の男性が居ても、何ら驚く事はない。
驚かないが、絶望的ではある。
「やあレイフォン。思ったよりも速かったね。最後に戦ったやつ、ガハルドは結構腕の立つ武芸者なんだけれどね」
不敵に笑いつつ構えを取るクォルラフィン卿。
どうあっても通してくれないようだ。
「さあレイフォン。ここを通りたければ僕を殺してからにするんだね」
倒してではなく殺してと言う辺りに、クォルラフィン卿の人となりを感じられるかも知れない。
全然嬉しくないけれど。
「僕には時間が無いんですよ!」
「喋っている間に時間切れになってしまうよ? 僕はそれでも良いけれどね」
本当の意味で問答無用の世界だ。
仕方が無く、レイフォンも刀を復元する。
クォルラフィン卿の表情から笑みが消えた。
これはマジだ。
だが、戦って勝てる相手でもない。
ならばやる事は一つ。
サイハーデン刀争術 失影。
殺剄を行いつつ凝縮した気配を複数撃ち出して相手を混乱させ、高速で接近して倒すという技的には難易度の高い物だ。
だが、日がさんさんと降り注ぎ開けた場所で煙幕無しでやっても、何の意味もない技だ。
それでも、もう一つを合わせる事によって、何とかこの危機を乗り越えようとしているのだ。
「子供だましを!」
当然のことだが激昂したクォルラフィン卿が一瞬でレイフォンの前に現れ、その拳が顔面を捉える。
その攻撃に容赦はなく、普通に考えて即死出来る威力だった。
そして、レイフォンの身体が散り散りにかき消える。
「お、おや?」
さしものクォルラフィン卿も一瞬動きが止まる。
その脇をレイフォン本体が水鏡渡りで通過!
千人衝で創り出した分身を悟らせないための失影だったのだ。
目的はクォルラフィン卿の脇を通り過ぎること。
正面から千人衝の勝負になったら、剄量で圧倒されるので小細工を労したのだ。
これは本来、ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様に押し倒されることを回避するため、さんざん磨いてきた技だ。
こんなところで役に立つとは思わなかったが、つかえる物は何でも使うのがサイハーデンのやり方だ。
「・・・・。成る程。千人衝と合わせる事で分身を最大限有効利用したという訳ですか。くくくくくく。これは良いですね」
なにやら怖い笑みを浮かべつつレイフォンの方に振り向くクォルラフィン卿。
既に試験会場の建物には入っているのだが、そんな理屈が通用するとは思えない。
ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様に押し倒されて、父親になってしまったら最後。
王族と結婚しなければならない→天剣授受者にならなければならない→クォルラフィン卿に殺される。
と言う図式が即座に出来上がってしまうと思って、散々この技を磨いてきたのだ。
だが、結局あまり結果に変わりがないのかも知れない。
これはこれで拙いかも知れない。
「僕を出し抜いたのですから対等ですね。さあ本気で殺し合いましょう」
「試験の後にして下さい! と言うか僕が死んでからやって下さい」
意味不明な事を言いつつ試験会場に逃げ込む。
いくら何でも一般人が大勢いるところで狼藉を働く事はないだろうと思ったのだが。
「うふふふふふふふ。サヴァリスさんを出し抜くなんて流石レイフォンね」
「う、うわ」
ヴォルフシュテイン卿がいらっしゃった。
予測しておくべき事柄だったのだが、すっかり失念していた。
と言うか、はっきり言ってレイフォンの許容量の限界を超えていたのだ。
これが他の日だったならばまた違ったのだろうが、試験という難敵を前にして色々起こったせいで、すっかり忘れていたのだ。
何時も通り右目の眼帯とくすんだ金髪を後ろで束ねた姿だが、その姿に非常な違和感を感じていた。
その違和感の正体について色々と考えたいところだが、生憎と時間が無いのだ。
そう、既に試験開始五分前。
今から何かやっている暇はないのだ。
なので慎重に間合いを計りつつ、空いている机へと進む。
決してヴォルフシュテイン卿の側によっては駄目なのだ。
公衆の面前で押し倒されることはないと思うのだが、念を入れておくに越したことはないのだ。
だが、席に付いた次の瞬間、そのヴォルフシュテイン卿が隣に着席なさった。
これはあってはならない事態だが、既にレイフォンがどうこうできる問題ではなくなってしまっている。
いや。始めからそうだったかも知れない。
「それでは試験を始めます。ああ。保護者の方は外で待っていて下さい」
「はい?」
試験管の視線が、レイフォンのすぐ後ろを見ていた。
振り返れば当然クォルラフィン卿が非常ににこやかに佇んでおられた。
もちろん、レイフォンが逃げないために見張っているのだ。
そして、軽く手を挙げて了解の意志を伝えると、殺剄を展開して教室の後ろの壁により掛かる。
本格的に試験が終わったらレイフォンを殺しに来るつもりのようだ。
合格する前に、待っているのはやはり地獄かも知れない。
ここに来るまでに散々戦ったので、いい加減体力と剄量を消耗してしまっているが、そんなご託はきっと通じないだろう。
無事に留学できる確率が極めて低くなったような気がするが、それでも試験の手を抜く訳にはいかないのだ。
留学するための試験が終了してからこちら、色々と大変だった。
サヴァリスに追いかけ回されたレイフォンが、週に二回ほど入院したり、老性体がやってきたら来たで、レイフォンの打たれ弱さを嘆いたサヴァリスが大暴れしたりと。
別段レイフォンが打たれ弱い訳ではないのだ。
ついでではあるのだが、何故かバーメリンも一緒になってレイフォンを襲っていた。
何でも獲物を取り逃がしたままでは気分が悪いとか、新しい銃を作ったので、試し打ちの的が欲しいとか色々と理由をつけて、まるでサヴァリスと競争するかのようにレイフォンを襲っていた。
当然ではあるのだが、リーリンとクラリーベルも散々レイフォンを追いかけ回していた。
とは言え、レイフォンを押し倒そうとしたクラリーベルがリーリンに潰されたり、レイフォンを押し倒そうとしたリーリンが急な腹痛で入院したりと、本当に色々あった。
折角押し倒したと思ったら、千人衝の分身だったりもした。
そして始まるレイフォン追跡劇。
リーリンにクララにバーメリン、それとサヴァリスがグレンダン中を探し回り、結局見付からなかったという異常事態に発展。
未だにミンスはおろか、デルボネでさえレイフォンがどこに隠れていたか分からないという異常さ。
もしかしたら、すでに天剣授受者よりも技量が高いのかも知れないと疑ってしまうほどだ。
まあ、そのせいで色々と狙われることが多くなったのではあるが。
それでも何とか生き延びることに成功したレイフォンの実力は、すでに天剣級とグレンダンでは認識されてしまっているほどだ。
とは言え、そこには膨大な剄量という実力差が存在しているのも事実。
いくら天剣を使わないとは言え、天剣授受者の攻撃に耐えられる事の方が異常なのだ。
リヴァースから金剛剄やカルヴァーンから刃鎧を盗んだレイフォンだからこそ、生きてこの日を迎える事が出来たのだとミンスは信じている。
同じく留学する事が決定していたリーリンだが、何でも三つ指で突いてお出迎え(誤字ではない)とか言って一週間前に出発してしまっている。
サヴァリスが最後までレイフォンを引き留めようと色々画策したようだが、戦闘以外ではあまりにもその頭は悪すぎた。
最終的に腕ずくで止めようとしたサヴァリスだが、通りすがりの美少女武芸者によって粉砕されて現在入院中だ。
あれを美少女と呼んで良いのか非常に疑問だし、そもそも天剣授受者を入院させるような化け物が、グレンダンには一匹しかいない以上正体はバレバレだが、まあ、あまり突っ込んではいけないのだろう。
そして結局のところ、ミンスの視線の先をレイフォンが乗った放浪バスがゆっくりと歩き去って行く。
バスの中でレイフォンは、家族と別れて故郷を離れる事に涙を流しているのだろうか?
あるいは、天剣授受者や養父の攻撃を受けずに済むと、心の底から笑っているのだろうか?
どちらも容易に想像出来るだけに結論は出ない。
だが、これで一息付ける。
「ああレイフォン様。来年には私も参りますから、どうかリーリンに殺されたりしないで下さいませ」
「にゅにゅ?」
「出来れば、押し倒されることもありませんように」
「にゅ?」
隣でクラリーベルが情熱的にそうささやいているが、まあ、あまり気にしなくて良いだろう。
レイフォンの妹を一人捕まえてその胸に抱きしめているが、見送りに来ているデルク達が側にいるから問題はあるまいと判断する。
だが、ミンスの胸の内にあるのはかなりの量の不安だ。
アルシェイラはその時になったら全ての準備が整っていると常に言っている。
その台詞に乗っかる形でリーリンはグレンダンを出る事が出来たのだ。
だがそれは、ただやる気のないアルシェイラの言い逃れだと思っていたのだが、残念な事に今はかなり真剣に不安なのだ。
全ての事柄がこの時のために用意されていたような感覚を受ける。
これはもしかしたら、レイフォンがグレンダンに連れ戻されるのが定めだから、何処に行っても良いと言う事かも知れない。
「まさかな」
リーリンを迎えにグレンダンがツェルニに行くというのならば分かるが、レイフォンは安全なはずだ。
彼は定めとは何の関係もない人間だから。
「ああレイフォン様。どうか技を錆び付かせないで下さいませ」
「にゅ?」
「ああん、前言撤回ですわ! 技の錆落としに私を使って下さいませ」
「ぐにゅにゅ」
「ああんレイフォン様! そんなに激しくしたら壊れてしまいますわ!」
「ぐぐぐぐにゅ!」
隣では内容を知りたくはないけれど、おおよそ理解してしまえるクラリーベルの妄想が炸裂している。
ミンスの謀略を総動員してもこれだけはどうしようもない。
先に旅立ったリーリンは大丈夫だが、後から追う事になるクラリーベルは明らかにレイフォンにとって危険だ。
まあ、それ以前に問題が有るのだが。
「クララよ」
「ああん♪ はい? 何でしょうミンス?」
一瞬で通常モードに復帰するクラリーベル。
切り替えの速さは流石というべきかも知れない。
だが、今はそれどころではないのだ。
「それどうするんだ?」
「はい?」
クラリーベルの胸付近を指さす。
正確にはその胸に抱かれている、強く抱きしめられすぎて目を回してしまっているレイフォンの妹を。
「・・・。あ」
「取り敢えず貸せ」
強引に女の子を奪い取り、介抱を始めつつミンスは思う。
どうか定めに関係ない少年に明るい未来が訪れるようにと。
そう。レイフォンが目指したのは光と希望にあふれた学園都市マイアス。
この事実を知っているのはミンスとカナリスだけだ。
もしかしたらデルボネも知っているかも知れないが、今のところ何か行動を起こす気配はない。
これは計画が順調だと言って良いのだろうかと、疑問になってしまう展開だ。
本来の計画通りならば、全ては情報が間違って伝わった事故として処理される。
準備は滞りなく終了しているので、後は適当な時期に発覚させればそれで良い。
マイアスを選んだ理由だが、過去かなりさかのぼってみてもツェルニとの戦争経験が無く、学園都市だけに汚染獣との戦闘も記録されていない平和な都市だからだ。
ずいぶん前からリーリンを留学させようと画策していたからこそ、この選択が出来たのだ。
瓢箪から駒ということわざが適用されるかどうか分からないが、兎に角これでレイフォンは安全だ。
マイアスでどうか平穏に人生を送って欲しいと思う。
卒業して帰ってくるかどうかは分からないが、それはレイフォンが選ぶことの出来る未来なのだから、きっと本人が納得しているに違いない。
ならば、地獄に帰るにしても、今よりは遙かに安らかな気持ちでいられるだろう。
「達者で暮らせよ」
既に見えなくなったバスの方を振り返り、ミンスはそう独りごちた。
かなり深刻になりつつある不安を何とか押し殺しつつ。
「ところでクララよ」
「何でしょう?」
「にゅ?」
どうやら目を回していた幼女も意識を取り戻したようなので、少しだけ気になっていることを話題に乗せてみることにした。
もちろんレイフォン絡みの問題だ。
「気が付いていると思うか?」
「レイフォン様ですからね」
「にゅ?」
訳が分からないと首をかしげる幼女は兎も角として、クラリーベルはきっちりとミンスの言いたいことを理解しているようだ。
留学を決めるための試験会場に、リーリンはスカートを履いて出かけていた。
今までそんな事が無かったはずの少女が、始めてスカートを履いたのだ。
これははっきりと驚きの真実と言えるかも知れない。
まあ、外から見ているとおおよそ分かっていたのだが、リーリン本人が気が付いたと見てまず間違いない。
そして、リーリンが出発する時にも、やはりスカートを履いていた。
当然レイフォンは見送り強制参加だった。
出発間際に何か期待していたようだったが、そんな事を察することは鈍感なレイフォンには無理。
なので、三つ指で突いてお出迎えとか言う単語が出てきたのだとも、言えるかも知れない。
まあ、会う事が有るとしてもずいぶん先の話だから、今から気にしても仕方が無いのだが。
「とりあえずおまえは家に帰るよな?」
「にゅ!」
幼女を抱きかかえたままなのに気が付いたミンスは、デルク達のいる方向へと歩み出す。
ロリコン疑惑を心配している訳ではないが、それでも、あんまり長い間やっていると問題かも知れないと思ったから。
特にミンスに対して、早く結婚しろと迫っている侍従長とかが騒ぎ出したら目も当てられない。
そんな事を考えつつ、もう一度だけ振り返り、レイフォンの明るい未来と穏やかな生活を願う。
後書きに代えて。
はい。ようやっとの思いで超槍殻都市グレンダン完結です。
百人目様。K・U様。諫早長十郎様。ヒロ♪様。武芸者様。
そのほか名を知らぬ読者の皆様。この作品はいかがでしたか? お気に召して頂けると嬉しいです。
さてさて。
皆様ここまでお読みになった後で、脳裏にどんな映像が浮かんでいるでしょうか?
そもそもの発端はリーリンが茨の鞭でレイフォンを打たなければ、どうなっていただろうかという疑問からでした。
ですが次に浮かんだ映像が、愛と剄の有りっ丈を乗せた錬金鋼を振りかざし、雑魚武芸者を蹴散らしつつレイフォンに向かって突進するリーリンの姿でした。
全てはこのシーンを形にするために考えられたストーリーでした。
これを実現するための前提条件として。
1.二人とも武芸者である。
2.同じ都市出身である(当然グレンダン)。
3.何かの理由で違う都市に住んでいる。
と言う事になりました。
しかし、グレンダンを絡ませるとなると、戦争を殆どしないという性質が問題です。
そこでやはり学園都市に留学。
ツェルニにレイフォンを送ったら、どう頑張っても老性体戦でデットエンド。
しかもレイフォンを強くする事は出来ない。
ならばリーリンを強くと言うか天剣にしてしまえばいい。
ちょうどヴォルフシュテインが空いているので、リーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノールの誕生。
この時点でメイファー・シュタッド事件は起こってはならない。
ならばヘルダーと普通に結婚させればいい。と言う訳でメイファーは天剣授受者に決定。
次に、リーリンがグレンダンを出るために何か理由を作らなければなりませんでした。
ここはやはり一般常識の欠如が手っ取り早い。
一人ではあまり幅が作れないのでクラリーベルも参加。
これで良いと思っていました。
本来三話構成だったのもここまでの計算からでした。
ですが、レイフォンが進んでグレンダンを離れるためには、もっと決定的な理由が必要である事に気が付きました。
そこで三話で老人に出場願った訳です。
安心して眠れる場所を奪われたレイフォンは、もはやグレンダンから逃げ出すしかなかった訳です。
まあ、他にもいくつか計算違いがありましたが、そんな訳で五話になってしまいました。
ちなみに、この後超学園都市とかも考えたのですが、テンションを維持出来る自信がありません。
中途半端にシリアスになってしまう事が予測されますので、書くとしてもかなり時間が空く事でしょう。
まあ、グレンダンから舞台が移ってしまうと言うのもあるんですけれど。
それでは、この次は恐らくグレンダンとは関係のない話になると思われます。
と言うか、遅れに遅れている復活の時を何とかしなければなりません。
などと言いつつ次回の更新でまたお会いいたしましょう。