時空管理局地上本部のあるミッドチルダ首都クラナガンには誰も語らない、それでいて一部の人には絶大な常習性を誇る店がある。表通りを外れ、薄暗い路地を歩くことしばらく、店名の無いこじんまりとした店、そこである。
人に話さない理由は様々だ。それでもいくつか例を挙げるとするなら。一つは多くの人に知られては自分の席がなくなってしまうと言う恐怖から。
一つは自分たちのように迷ったならば自然と来るだろう。その時までこのような場所は秘匿されておいた方が良いと考えているためだ。
一つは、これは最短でも半年は通い続けないと理解できないことだが、あそこの常連客が異常であるという理由だ。何せ常連客の一人は次元断層を引き起こせるため、広域指名手配犯になっているヴァランディール。一人は多くのロストロギアを持っているという理由で同様に広域指名手配犯となっているゼノン・カオス。その二人と対等に戦えるアリーシャ、ティオエンツィアその他大勢。誰一人としても世界を消滅させることが可能かつマスターのためなら世界の一億や二億、滅ぼそう救ってみようという連中である。
「……いつもながら美味い」
「どうも。それにしても変わったね。昔はかなりの堅物だったのに、今じゃ一職員の意見にすら耳を傾けるそうじゃないか」
「まあな。それが良いものであると言うのならば地位に関係なく耳を傾けるべきだろう。昔のわしも、そう思っていた」
昔は自分の意見に一向に耳を貸さない上司に苛立ちを覚えたものだ。そんなことすら思い出せなくなるほど、三年前の自分は盲目になっていた。正義であると言うのならばその全てが正しいと、考えていた。
しかし正義であれば本当に正しいのか。そんな疑問が脳裏をよぎった日、わしはこんなところに足を運んだ。そして彼、ユウキは初心を思い出させてくれた。
それから、だろう。ただ己の考えを押し通すのではなく、今ある手札の中でどうすれば良いのか、また何が出来るのかを考え、最善を選択する。もちろん結果さえ最善であれば良いと言うのではない。過程も大切であり、それが受け入れられるものかと言うのも欠かせない。
「まあ……だが……」
「……まさかまだ怒っているの?」
「当然だ。そもそも受け入れられるか!」
「諦めろ、なんて言わないけどさ。あっちは言っても無駄だよ」
「それでも守るべき存在を前線に押し出すことなんぞ間違っている! いくら規模が広く、人手が圧倒的に足りないとはいえ、己の足元を疎かにし、あろうことか才能があるからといって児童を戦闘に借り出すなど! おまけにそこでの成果を大々的に言いふらして何がある! やつらのやっていることなぞ、ただの侵略行為ではないか!」
「言いたいことは分かる。分かるけどTPO考えようね。」
「う……すまん」
一般的に海と呼ばれている連中は異常だ。いくら人手が足りないとはいえ、リンカーコアが存在するという理由で守るべき子供を容赦なく戦場に送り出す。いくらその子が自ら局入りを志願したとはいえ、あまりに性急だ。
また己の基準で相手側の意思など一切考えず、ロストロギアを指定し、指定した限りはそれを回収しようとする。拒めば相手は犯罪者となる。あまりに、傲慢だ。
そこまでする必要はあるのか。否、何故するのか。理解できないからこそ受け入れられない。当然だ。彼らは口を開けば二の句に必ず人手足りない、危険だから、世界のための何れかが入る。その程度の理由で納得するほどわしはもう青くなく、盲目ではない。
「参考までに聞かせてほしい。ユウキは海のことをどう考えている?」
「ああ、考えてない」
「何故?」
「考えたくない。だから考えない。考えないから口出ししない。代わりに何があろうと僕は知らないし、何もしない。ただ――――身内に手を出すならば、別の話だ」
いつもどおり微笑みながらグラスを拭いているだけだというのに、いつものように背筋が寒くなる。実力を持つヴァランディールらも危険であるが、もっとも危険なのはユウキだろう。
彼には容赦というものがない。敵となった限り殺し尽くし、敵であるならば殺し尽くし、敵である限り殺し尽くす。鬼の角に触れた者は皆等しく死に至る。そんな言葉が常連客の間で囁かれている。
「そもそも虫の良すぎる話じゃないか。人を回せ。物資を寄越せ。金を融通しろ。それでいて責任取れなんてさ。向こうが要求しかしないのであれば、こちらは何もやらなければ良い。本局は文句ばかり言うだろうけど、市民はちゃんと説明すれば理解してくれるよ」
「ふむ……だが、資金の面ではどうする? 運営費は全て本局から回してもらっているんだぞ」
「じゃ、そのお金は一体誰が納めているんだ?」
「それは……企業だな。政府からも貰っているが、それよりも企業のほうが多い」
「何のために?」
「技術試験――いや自らの安全、だな」
「それはどこが守っている?」
「それは……」
「そういうことだよ。それを説明すれば良いだけのこと」
あくどいと言うか、よくもまあ頭が回る。自分らの安全のために金を払っていると言うのに、それができなくなると言うのであれば収める理由がなくなる。
単純であるが実に効果的だ。一個人より損得に聡い企業が自らの目的を達成されないと分かればすぐにその手を切る。その時までに十分に説明し、地上本部をそっくりそのまま警察組織として独立させる手はずを整えたなら。
企業は聡い。市民は鈍いが、決して愚かではない。それほど時間を置かないうちにどうすべきかを判断するはずだ。そして、それ以上に海も理解するだろう。自らが立っている場所が一体どこなのかを。
「それでも分からないと言うのなら、実力行使に出るなら、そろそろ本局には借りを返してもらおうかと思う。やはりそこは、勝手に自滅される前に返してもらわないとね」
「いや、ほどほどに頼むぞ、うむ」
「大丈夫。僕は僕の敵にしか手を出さないから」
どうやらまだ根に持っているようだ。昔馴染みの親友と呼んでいるあの方々に海の連中が手を出し、あまつさえ犯罪者に仕立てたことを。現在何らかの理由より理性の淵で踏みとどまっているそうだが、今後何らかの拍子で激昂しても不思議ではない。
海はまた知らず知らずのうちに敵を作った。ただ今回の敵ばかりはいつもより勝手が違い、実力行使も権謀術数も効果がない。平謝りしても無意味だ。
正直知り合いが殺されるのを黙ってみるのは忍びない。早く何とかしないと。海に対して彼の言ったような強攻策が取れないのはそういった理由がある。何が楽しくて数少ない癒しの場をなくさなければならないのか。
「まあ辛気臭い話はこの辺にしようか」
「そうだな。それから、エスプレッソをもう一杯頼む」
「わかった」
ここはバーだというのにここのエスプレッソは絶品だ。エスプレッソに限らず、ありとあらゆるものが専門店のそれを軽々と凌駕する。それでいてその技術の裏に計り知れないほどの研鑽が伺えるのだから、一体彼は何者だろうか。
余計な詮索はやめておこう。妙な人たちの逆鱗に触れてはわし一人の命ではなくミッドチルダがなくなる。
「そういえば、君の娘さん――オーリスさんは元気?」
「ああ。元気にしているが、親としてそろそろ身を固めてほしい」
「はは、確かに孫の顔ぐらいは見て逝きたいからね」
「機会がないなら見合いを取り繕うとは勧めているんだが、本人が仕事が忙しいといってばかりでな……一体どうしてこうなったのか」
「それはもう、親の背中を見て育ったとしかいえないでしょう」
「耳が痛くなる話だ」
結婚年齢の平均が他の世界より低いミッドチルダ、そろそろ結婚してもらわないと貰い手がなくなってしまう。本人はまだまだ大丈夫と考えているようだが、正直危ういことを自覚してもらいたい。
全く、近頃高町教導官の仕事ぶりが正常になったと言うのに。本人に高町病を患ったのではと噂されていると教えてやろうか。いや、下手に癇癪を起こされるとこちらも困る。仕事が滞ってしまう。
「流石にもう家族旅行は手遅れだけど」
「……むぅ……」
「そもそもレジアスさんのようないかつい男性と二人で旅行ってねえ、たとえ親子だとしても女性として終わるよ」
それは、そうだが。余裕が出来た今、娘には何も出来なかったと言う負い目がある。手遅れになる前に何か出来れば、と考えていたのだが、手遅れか。むしろ言われてみれば今更何もしないほうが良い。
「そもそも結婚なんて本人の問題なのだから、君が焦っても仕方がないでしょう」
「それは、そうなのだが。やはり親として心配になるのだ」
昔に聞いた話だ。どう見ても人間にしか見えないユウキだが、実はすでに人間をやめているらしい。そのせいで不死の存在となり、見た目とは裏腹に考えられないほどの時間を生きているそうだ。
当然その人生の中で結婚した経験も子供を持った経験も多々ある。故に彼の言葉は、父親として出来損ないであるわしにとって非常にありがたい。
「本当に不器用な人だね」
「知っている」
「どうせ結婚を望んだくせに相手をつれてきたら殴り倒すんでしょ?」
「だろうな」
「それでもって結婚式に日は泣かなかったくせに、終わった後に一人こっそり泣いたりして」
「…………」
「本当に、あなたは立派に父親だ」
非常に楽しそうに笑みを零す。その様子が実に様になっている。
「孫が生まれたら旦那より先に抱こうとして娘に怒られて、老後になれば娘夫婦の帰省を楽しみにして。そして、死に至る」
そろそろあいつの墓参りに行くべきか。あの葬式以来一度も立ち寄っていない妻の墓に。
残された娘の、オーリスの世話すらせずにがむしゃらに仕事に没頭した自分の逃げを認めるようで、怖かったのかもしれない。だが、そろそろ認めよう。認めなければいけない時期だ。
「いろいろと世話になったな。そろそろ帰る」
「ああそうそう」
「何だ?」
「孫、連れてきなよ。僕はずっとここで待っているから」
連れてきたら容易く篭絡されてしまいそうだ。そんな不可解な恐怖より答えず、静かに店から立ち去った。
店から出てしばらくしたとき、近頃残業や休日出勤が恐ろしく減った高町二等空尉の足早に歩く姿が見えた。
どうやら彼女もあの店の常連となったようだ。今からでも存在そのものが規格外の連中にあったときの表情が楽しみでたまらない。
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組織に多くの人がいる以上、一枚岩であるわけがない。人は各々思想があり、組織の理想がそれに近しいから、もしくは思想をかなえるうえで組織に属することが最も効率が良いからそこに所属する。だから組織は一枚岩になりきれない。
これは当然成立して一世紀半ほどしか経っていない管理局にも当てはまる。特にその思想の違いが見受けられのは一般的に海と呼ばれる本局と陸と呼ばれる地上本部だ。
本局は事件の規模、ロストロギアの危険性を説いて以下に自分らの仕事が重要で、急ぐべきことなのかを説いている。また時に少々前に発生した次元断裂を出し、自らの言い分の正当性を主張する。稀に他にないのかという突っ込みを覚えるのはきっと僕だけではないはずだ。
対する地上本部は市民の平穏平和、事件の規模は問題ではなく、尊重すべきは人命であると言う意見を唱えていた。だが、その主張の正当性を証明する事例がなかったため、法によって禁じられている質量兵器を用いてそれらを守ろうとしていた。
当然そのやり方は多くの人々に反感を持たれた。一度はこの地を焼き滅ぼしかけた技術、何が楽しくて復活させねばならないのか、と。それでも、それでも諦め切れなかったのか、強引な手腕で推し進めていた。
「……いつもながら美味い」
目の前のすばらしく濃い顔と立派な体格をしたお方が。ええ、何故か一回目のご来店で常連になってしまった地上の守護者で有名なレジアスさんです。とりあえずコユいんでそれ以上近づかないでください。
「どうも。それにしても変わったね。昔はかなりの堅物だったのに、今じゃ一職員の意見にすら耳を傾けるそうじゃないか」
「まあな。それが良いものであると言うのならば地位に関係なく耳を傾けるべきだろう。昔のわしも、そう思っていた」
そう、地上本部については実はもう過去の話になっているのだ。現在は昔ほど強引ではなく、市民の話を聞いて何をすべきか、今の状況で何が出来るのかを考えている。市民の平穏を守る。しかしその身を守るだけで良いというわけではない。その程度なら人形でも出来る。
その身を守るだけでは足りないからこそ、人形では出来ないのだ。昔のレジアスはそれに気付いていなかった。気付けないほどただ守ることに一生懸命だった。それも心の余裕が出来たため、そこまで強引ではなくなっている。
現在、地上本部は言っていることは昔と変わらず市民の平穏、安全を守るとある。ただやり方を変更し、質量兵器への拘りも変えた。
質量兵器は誰でも気軽に使え、容易く人の命を奪う。それがいけないと言うのであれば変えれば良い。一例として質量兵器のような魔力弾を放つ銃が上がる。レジアスが知り合いという狂科学者に焚きつけ作らせた、ベルカのカートリッジシステムを応用して作られた誰でも使える魔導兵器だ。
もしもこれを禁じると言うのであれば既に海にとって手放せない存在であるアルカンシェルもだ。故に海もこれを陸上部隊で用いられるのを許容している。
「まあ……だが……」
「……まさかまだ怒っているの?」
「当然だ。そもそも受け入れられるか!」
「諦めろ、なんて言わないけどさ。あっちは言っても無駄だよ」
机を叩かないで貰いたい。今日は他に客が来ていないから良いものを、もしも来ていたら叩く前に容赦なく排除されている。
「それでも守るべき存在を前線に押し出すことなんぞ間違っている! いくら規模が広く、人手が圧倒的に足りないとはいえ、己の足元を疎かにし、あろうことか才能があるからといって児童を戦闘に借り出すなど! おまけにそこでの成果を大々的に言いふらして何がある! やつらのやっていることなぞ、ただの侵略行為ではないか!」
「言いたいことは分かる。分かるけどTPO考えようね。」
「う……すまん」
流石にこれ以上叫ばれるのは近所迷惑になってしまう。いくらここが住宅街ではなく、どちらかと言うと商店街であると言ってもそれは変わりない。
「参考までに聞かせてほしい。ユウキは海のことをどう考えている?」
「ああ、考えてない」
「何故?」
「考えたくない。だから考えない。考えないから口出ししない。代わりに何があろうと僕は知らないし、何もしない。ただ――――身内に手を出すならば、別の話だ」
そう言えば聞いた話によると、管理局はヴァランディールに対し危害を加えようとしたそうだ。その時はヴァルは軽く返り討ちにしたそうだが、それで現在広域次元指名手配犯、それも生死問わずの。
人の親友を高々剣一本持っているからで凶悪犯罪者に仕立て上げる手腕、ほれぼれするね。土産を持ってその面拝ませてもらおうと思っているのだが、それはちょっと、教え子に止められたから今はやめている。
しかしもう一度、身内に手を出した場合は誰の制止も聞かない。聞きたくもない。
「そもそも虫の良すぎる話じゃないか。人を回せ。物資を寄越せ。金を融通しろ。それでいて責任取れなんてさ。向こうが要求しかしないのであれば、こちらは何もやらなければ良い。本局は文句ばかり言うだろうけど、市民はちゃんと説明すれば理解してくれるよ」
「ふむ……だが、資金の面ではどうする? 運営費は全て本局から回してもらっているんだぞ」
ああ、このおっさん。そう言えばまだ金の話をしていなかったか。あんな巨大組織の運営維持費なんて当然馬鹿にならないものだ。そんなものを政府が保証すると言っても限度がある。税金だって上げれば良いと言うものじゃない。
ではどこから金を持ってくるのか。そんなもの、あるところ以外の選択肢はない。金を持っている所、管理局が必要とする技術を持っている所は極めて限られている。考えればすぐに行きつく答えだとは思うんだけど、ねえ。
「じゃ、そのお金は一体誰が納めているんだ?」
「それは……企業だな。政府からも貰っているが、それよりも企業のほうが多い」
「何のために?」
「技術試験――いや自らの安全、だな」
「それはどこが守っている?」
「それは……」
「そういうことだよ。それを説明すれば良いだけのこと」
大昔の、僕が始まった頃の記憶。うちの両親が経営している会社があるのだが、手を出している業界が医療や造船、鉄鋼に限らず兵器にも手を出している。というか、こと生み出す、作りだすというのであれば何でも手を出し、一定以上の評価を得ている。
故に企業がこういった組織に求めているものなんて考えれば分かり易い。技術試験と、そして身の安全の保証だ。優秀な技術者はそれだけで様々な奴らに狙われ易い。まあ彼らが来る度に、うちの研究所の連中、「我々の楽園にようこそ、モルモット」と喜んでいたが。
「それでも分からないと言うのなら、実力行使に出るなら、そろそろ本局には借りを返してもらおうかと思う。やはりそこは、勝手に自滅される前に返してもらわないとね」
「いや、ほどほどに頼むぞ、うむ」
「大丈夫。僕は僕の敵にしか手を出さないから」
危惧するほどのことではない。邪魔しない限り気質に手を出さないのは極道のしきたりだから。僕の敵はあくまで次元管理局上層部の一部及びその部下連中。割合で出せば全局員のおよそ5%にも満たないのではないだろうか。
全員殺すとして、中心人物は同調理しようか。社会的に抹殺してから精神的に殺し、物理的に地獄に送るのはやめておこう。地獄は僕の敵を送るにはふさわしくない。もっともっと奥の、深淵のさらに奥。希望も絶望も存在しないパンドラの中に……
「まあ辛気臭い話はこの辺にしようか」
「そうだな。それから、エスプレッソをもう一杯頼む」
「わかった」
ふと思い返せば思考が狂気を宿していた。近頃それの姿を見ていないと思えば何やら自然と僕の中にいたではないか。やれやれ。
波風立たせるのは好きじゃない。世の中平穏で居られるのならばそれで良いじゃないか。とりあえず、お前の出番はもっと後と言い聞かせ、そいつを奥の方に引っこませる。叶うなら、一族の血の出番は未来永劫来ないで貰いたいものだ。
「そういえば、君の娘さん――オーリスさんは元気?」
「ああ。元気にしているが、親としてそろそろ身を固めてほしい」
「はは、確かに孫の顔ぐらいは見て逝きたいからね」
「機会がないなら見合いを取り繕うとは勧めているんだが、本人が仕事が忙しいといってばかりでな……一体どうしてこうなったのか」
「それはもう、親の背中を見て育ったとしかいえないでしょう」
「耳が痛くなる話だ」
子は親に似るとは良く言った物だ。現在のオーリスは昔のレジアスのように仕事に生きている。まるで昔の高町のようだ。勿論仕事に生きているため浮いた噂の一つも聞かない。
だからこそ親は心配するわけなのだが、こればかりは本人の問題だ。誰かが口出ししていいわけがない。当然本人から相談されたなら、それに答えなければならないが。ただ、幸せな結婚生活を送れた手前、結婚とはいいものだと言う感情がある分、正確な返答は出来ないだろう。
結婚すれば幸せになれるとは限らない。一人身であれば幸せになれないこともない。何がその本人にとって最も良いのか、キチンと悩むべきだ。それを怠ったなら、未来は何も見えない暗雲に覆われる。当然幸せになれるかと言えば確実にほぼ否と答えられる未来だ。
「流石にもう家族旅行は手遅れだけど」
「……むぅ……」
「そもそもレジアスさんのようないかつい男性と二人で旅行ってねえ、たとえ親子だとしても女性として終わるよ」
親心としては是が人も行き遅れる前に結婚してもらいたい。子としてはそれを強要する親がうっとうしい。そんなすれ違いは何時しか家庭崩壊と言う果実を実らせる。
そんなことになれば確実に、面倒なことになる。物理的な面倒事であるならば力づくでどうにかすると言う選択肢がある分楽なのだが、それは精神的なことだ。簡単に同行できる問題ではない。後先を考えなくて良いのなら問題の根源を追い出せばいいだけの話だけど。
「そもそも結婚なんて本人の問題なのだから、君が焦っても仕方がないでしょう」
「それは、そうなのだが。やはり親として心配になるのだ」
僕の場合はどうしただろうか。長命種ではどこかの世界に迷うまでに結婚した例がすぐには思い当たらない。息子のほうは結構早くに結婚しているが、娘のほうは良い相手がいないと言って結婚したがらなかった記憶がある。
短命種のほうはそこそこいるのだが、別段お見合いだとか考えたことはなかった。ただし例外なく娘が連れてきた奴を本気で殴りはした。その程度で折れるような奴らそもそも渡す気にはならないので。
何だったか。妻曰く、娘が結婚したがらないのは僕のせいだとか。正直意味が今一つ分からない。それでも、催促したことだけは一度もない。
「本当に不器用な人だね」
「知っている」
「どうせ結婚を望んだくせに相手をつれてきたら殴り倒すんでしょ?」
「だろうな」
「それでもって結婚式に日は泣かなかったくせに、終わった後に一人こっそり泣いたりして」
「…………」
子供が独り立ちするとき無性に時の流れを感じる。永遠の生命を持っていると特に時の流れと言うものに鈍感になるためだ。どうしても自ら歩んでいるときが非常に遅々と感じてしまう。
そして誰かがここから離れていく度に僕はここに取り残されているように感じる。それでも、何故だろうか。一度も泣いたことはない。常に笑って送り出してきている。死に別れの時ですら僕は泣いてはいなかった。記憶が曖昧であってもそれははっきりと言える。
ただ、どうにも相手の表情が思い出せない。最愛の人、その時守りたかった人の表情がぼやけて思い出せない。あの時僕は、ちゃんと笑えていたのだろうか?
「本当に、あなたは立派に父親だ」
そういう意味で彼は立派な父親であるのだろう。子が生まれた時は全てを忘れて喜び、妻が死ねば誰よりも泣き、悲しみにくれる。ふと思い返せば娘の将来を自分のように心配する。
「孫が生まれたら旦那より先に抱こうとして娘に怒られて、老後になれば娘夫婦の帰省を楽しみにして。そして、死に至る……」
「いろいろと世話になったな。そろそろ帰る」
そう言ってレジアスは席を立つ。それにしても結婚か。本当に人の成長は早いものだ。あまりにも長い生のせいで周りの変化に疎くなった気がする。そのくせ毎年雪見から花見、月見に至るまでやっているのだから何と言うか。
「ああそうそう」
「何だ?」
「孫、連れてきなよ。僕はずっとここで待っているから」
結局彼は僕の言葉に肯定も否定もしなかった。しかし彼はここに孫を連れてくる。理由は至って単純、爺バカだから。確実に孫を自慢しにやってくる。今何を考えているに関係なく、だ。
今日の営業は終わりにしよう。レジアスと話していて過去を中途半端に偲んでしまった。こういう日は静かに酒を飲むに限る。
「た、ただいま……」
「…………」
そうして片付けていると現在寄棲中の高町が入ってきた。少しドアを開け、その隙間からで申し訳なさそうにこちらを見ている小動物から視線を外し、懐中時計を見る。
時刻は午後11時。管理局の定時は6時だったか。余裕を持って帰れるよう門限は午後10時に定めておいたはずだ。
「……おかえり、なのは」
別に門限自体に意味はない。ただ何となく定めたものに過ぎない。だから起ころうとは考えておらず、ただ僕は溜息交じりに、彼女を出迎えた。一人酒は少々、後回しになりそうだ。