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No.18194の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第二部 完結】[月桂](2014/01/18 21:39)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(二)[月桂](2010/04/20 00:49)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(三)[月桂](2010/04/21 04:46)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(四)[月桂](2010/04/22 00:12)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(五)[月桂](2010/04/25 22:48)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(六)[月桂](2010/05/05 19:02)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/05/04 21:50)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(一)[月桂](2010/05/09 16:50)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(二)[月桂](2010/05/11 22:10)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(三)[月桂](2010/05/16 18:55)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(四)[月桂](2010/08/05 23:55)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(五)[月桂](2010/08/22 11:56)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(六)[月桂](2010/08/23 22:29)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(七)[月桂](2010/09/21 21:43)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(八)[月桂](2010/09/21 21:42)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(九)[月桂](2010/09/22 00:11)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十)[月桂](2010/10/01 00:27)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十一)[月桂](2010/10/01 00:27)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/10/01 00:26)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(一)[月桂](2010/10/17 21:15)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(二)[月桂](2010/10/19 22:32)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(三)[月桂](2010/10/24 14:48)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(四)[月桂](2010/11/12 22:44)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(五)[月桂](2010/11/12 22:44)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/11/19 22:52)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(一)[月桂](2010/11/14 22:44)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(二)[月桂](2010/11/16 20:19)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(三)[月桂](2010/11/17 22:43)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(四)[月桂](2010/11/19 22:54)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(五)[月桂](2010/11/21 23:58)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(六)[月桂](2010/11/22 22:21)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(七)[月桂](2010/11/24 00:20)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(一)[月桂](2010/11/26 23:10)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(二)[月桂](2010/11/28 21:45)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(三)[月桂](2010/12/01 21:56)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(四)[月桂](2010/12/01 21:55)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(五)[月桂](2010/12/03 19:37)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/12/06 23:11)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(一)[月桂](2010/12/06 23:13)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(二)[月桂](2010/12/07 22:20)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(三)[月桂](2010/12/09 21:42)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(四)[月桂](2010/12/17 21:02)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(五)[月桂](2010/12/17 20:53)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(六)[月桂](2010/12/20 00:39)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(七)[月桂](2010/12/28 19:51)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(八)[月桂](2011/01/03 23:09)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 外伝 とある山師の夢買長者[月桂](2011/01/13 17:56)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(一)[月桂](2011/01/13 18:00)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(二)[月桂](2011/01/17 21:36)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(三)[月桂](2011/01/23 15:15)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(四)[月桂](2011/01/30 23:49)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(五)[月桂](2011/02/01 00:24)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(六)[月桂](2011/02/08 20:54)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/02/08 20:53)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(七)[月桂](2011/02/13 01:07)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(八)[月桂](2011/02/17 21:02)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(九)[月桂](2011/03/02 15:45)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十)[月桂](2011/03/02 15:46)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十一)[月桂](2011/03/04 23:46)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/03/02 15:45)
[60] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(一)[月桂](2011/03/03 18:36)
[61] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(二)[月桂](2011/03/04 23:39)
[62] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(三)[月桂](2011/03/06 18:36)
[63] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(四)[月桂](2011/03/14 20:49)
[64] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(五)[月桂](2011/03/16 23:27)
[65] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(六)[月桂](2011/03/18 23:49)
[66] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(七)[月桂](2011/03/21 22:11)
[67] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(八)[月桂](2011/03/25 21:53)
[68] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(九)[月桂](2011/03/27 10:04)
[69] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/05/16 22:03)
[70] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(一)[月桂](2011/06/15 18:56)
[71] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(二)[月桂](2011/07/06 16:51)
[72] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(三)[月桂](2011/07/16 20:42)
[73] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(四)[月桂](2011/08/03 22:53)
[74] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(五)[月桂](2011/08/19 21:53)
[75] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(六)[月桂](2011/08/24 23:48)
[76] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(七)[月桂](2011/08/24 23:51)
[77] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(八)[月桂](2011/08/28 22:23)
[78] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/09/13 22:08)
[79] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(九)[月桂](2011/09/26 00:10)
[80] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十)[月桂](2011/10/02 20:06)
[81] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十一)[月桂](2011/10/22 23:24)
[82] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十二) [月桂](2012/02/02 22:29)
[83] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十三)   [月桂](2012/02/02 22:29)
[84] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十四)   [月桂](2012/02/02 22:28)
[85] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十五)[月桂](2012/02/02 22:28)
[86] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十六)[月桂](2012/02/06 21:41)
[87] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十七)[月桂](2012/02/10 20:57)
[88] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十八)[月桂](2012/02/16 21:31)
[89] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2012/02/21 20:13)
[90] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十九)[月桂](2012/02/22 20:48)
[91] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(一)[月桂](2012/09/12 19:56)
[92] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二)[月桂](2012/09/23 20:01)
[93] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(三)[月桂](2012/09/23 19:47)
[94] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(四)[月桂](2012/10/07 16:25)
[95] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(五)[月桂](2012/10/24 22:59)
[96] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(六)[月桂](2013/08/11 21:30)
[97] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(七)[月桂](2013/08/11 21:31)
[98] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(八)[月桂](2013/08/11 21:35)
[99] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(九)[月桂](2013/09/05 20:51)
[100] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十)[月桂](2013/11/23 00:42)
[101] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十一)[月桂](2013/11/23 00:41)
[102] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十二)[月桂](2013/11/23 00:41)
[103] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十三)[月桂](2013/12/16 23:07)
[104] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十四)[月桂](2013/12/19 21:01)
[105] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十五)[月桂](2013/12/21 21:46)
[106] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十六)[月桂](2013/12/24 23:11)
[107] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十七)[月桂](2013/12/27 20:20)
[108] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十八)[月桂](2014/01/02 23:19)
[109] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十九)[月桂](2014/01/02 23:31)
[110] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二十)[月桂](2014/01/18 21:38)
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[18194] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十一)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:7a1194b1 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/10/22 23:24

 トリスタン・ダ・クーニャが故郷の景色として記憶しているのは、二つの青である。
 果ての見えない抜けるような空。水平線の彼方まで続く澄み切った海。
 物心つく前から、毎日のように見ていた故郷の空と海を、トリスタンは今なお昨日のことのように思い出すことが出来る。
 トリスタンの生家は、ゴアを中心とする南蛮国の東方領、その中でも中程度の町を治める領主であった。南蛮軍がゴアを陥落させてから、すでに数十年。領主の座は祖父から父に移り変わり、トリスタンは生まれも育ちも東方領である。南蛮軍に侵略され、土地を奪われた者たちにとっては業腹であろうが、トリスタンにとっては本国ではなく、東方領こそが故郷であった。


 トリスタンは他の女の子と異なり、歌や踊り、あるいは刺繍といったものに一向に関心を示さず、男の子たちにまぎれて野山を駆け、あるいは海辺で泳ぐなど、一日のほとんどを家の外で過ごす幼年時代を送る。ある時など、幼馴染の少年と共に、数にして三倍を越える男の子たちを二人で叩きのめすなどして武勇を轟かせ、両親に苦笑されたりもした。
 南蛮では明国や倭国と異なり、女性が武の道へ進むことはほとんどない。ましてれっきとした領主の娘であれば尚更である。だが、その点、トリスタンの両親は非常に大らかであり、もっと率直に言ってしまえば、とても暢気な人たちだった。祖父にいたっては、幼いトリスタンに手ずから剣を教えた張本人であったりする。


 元々、祖父は南蛮の東方攻略軍において武勲をあげて領主となった人物で、武芸以外に秀でたところはない、自ら認めるような為人であった。
 領主時代から政治や経済に関しては息子――つまりはトリスタンの父に委ね、自らは叛乱の討伐や盗賊退治などに明け暮れており、南蛮の統治が固まるにつれてそういった荒事が減ってくると、今度はあっさりと領主の座を息子に譲り渡してしまう。
 これまで息子たちに任せきりにしてきた仕事に口や手を出しても疎まれるだけであろう――祖父はそう笑いながら、屋敷の一画に設けた隠居部屋で、時間をもてあます日々を送るようになったのである。


 そんな祖父にトリスタンが剣の教えをせがんだのは、寂しげな祖父の姿を子供心に気にした為でもあったろう。少なくとも祖父はそう思い、孫の思いやりに感謝しつつ、あくまで手慰み程度のつもりで、トリスタンやその友人に剣を教え始めた。
 間もなく、祖父はトリスタンが並々ならぬ才能を持っていることを見抜く。が、この子が男であれば、と嘆きはしても、女剣士として育てようとは露思わなかった。女性が剣を握るという発想そのものが浮かばない、祖父はそういう人物だった。ことさら祖父が旧弊であったわけではなく、これが南蛮人としてのごく一般的な考え方であった。


 一方のトリスタンとしては剣の上達が楽しくて仕方なかった。基礎を修めるや、その先を望むようになったのは、誰に強いられたわけでもなく、トリスタン自身の意思である。
 祖父としては女性であっても身体を鍛えることには意味があるし、自衛の術を持つのは悪いことではない、という思いからトリスタンの請いに応じて様々な教えを授けた。息子たちから苦言を呈されれば、あるいは思いとどまったかもしれないが、両親は仲むつまじい祖父と孫の姿を暖かく見守るばかり。かくてトリスタンは誰に妨げられることもなく、剣術に打ち込むことが出来たのである。
 後年の聖騎士の基礎は、一家を挙げて築かれたものであった――むろん、当人を含め、誰一人としてそんなつもりはなかったのだけれども。


 言葉をかえれば、トリスタンの腕白ぶりを一つの個性として受容してしまえるくらいに、東方領が平穏であったともいえる。
 また、どれだけトリスタンが男まさりの性格になってしまったとしても、婿のなり手には困らないという事実も、家族の行動を後押ししていたかもしれない。
 トリスタンの隣には、半ばお目付け役となっている少年の姿が常にあったのだ。




 トリスタンにとって、何の迷いもなく幸福だったと言える時代は、しかしほどなくして終わりを告げる。
 ある時、家を訪れた騎士は、みずからをゴア総督アフォンソ・デ・アルブケルケの使いであると名乗った。
 『黄金のゴア』『ゴアを見た者はリスボンを見る必要なし』などという言葉で示される東方領の繁栄を担う軍神。失地奪回を目指す現地民の反抗は、そのすべてが軍神と、その麾下の軍勢によって微塵に砕かれ、多くの住民たちはすでに南蛮の支配を受け容れていた。
 南蛮国東方領を統べる英雄は、使者を通じてトリスタンに一つの命令を下す。トリスタンと、その周囲の人々の運命を大きく歪めることになる命令を……  





◆◆◆





「さらばだ、聖騎士」


 小アルブケルケが無造作に剣を振り下ろした。
 室内に響く刃鳴りの音。肉を断つ鈍い音が、それに続いた。


 ――続いたのは、肉を断つ音だけ。小アルブケルケの斬撃は、トリスタンの骨まで達しなかった。斬撃が頸部を断ち切る寸前、トリスタンは後方に身を投げ出すようにして致命的な一撃を回避したのである。
 だが、傷の影響もあったのだろう、完璧に避けることは出来ず、小アルブケルケの剣先はトリスタンの肩から胸にかけて鋭利な傷を刻み付けていた。
 それでも必殺を期して放った一撃がかわされたことには違いない。ち、と小アルブケルケの口から舌打ちの音が零れ落ちた。


「往生際の悪い。いまさら足掻いたところで、何ひとつ変わりはしないというのに」
 それに対し、トリスタンは荒い息を吐きながら立ち上がり、毅然と言い返す。
「……諦めて貴様の手にかかったところで、それこそ何一つ変わらない。どれほど小さくとも、貴様の思惑を覆すことが出来るなら……足掻く意味はある」
 言いながら、トリスタンは左の手で剣の柄を握る。利き腕である右手は、さきほどの銃撃で神経が傷ついたのか、ほとんど動かすことが出来なかった。
 左手で剣を抜くトリスタンの姿は、普段の流れるような動作とは比べるべくもない不恰好なもので、小アルブケルケは冷笑まじりにそれを指摘する。
「その様で、私を斬ることができるとでも思っているのか」
「出来ないでしょう……けれど、あの火群を熾してしまった者として……贖わなければならないものがあるのです」
 

 トリスタンの言葉に、小アルブケルケはわずかに怪訝そうな顔をしたが、すぐにその言わんとするところを察したようであった。その口元が嘲るように歪む。
「ほう、それほどにあれらを心に掛けていたか。ふむ……今からでも遅くはない。貴様が私に従うならば、あの人形は生かしておいてやってもいいのだが」
「……戯言を。先の言葉を聞かされて、貴様の下になど……誰がつくものか……」
「贖わなければならないものがあるのだろう? 一時の屈辱に耐えることくらい、易いものだと思うがな、聖騎士。たとえ首に鎖をかけられようと、心だけは決して屈さぬ、くらいのことは言ってほしいものだ――そこなパウロのように」


 小アルブケルケはそう言って、いまだ短筒をトリスタンに向けたままの黒髪の少女に視線を向ける。
 対してトリスタンは、哀切と憐憫を溶け合わせた視線を少女に向けた。すでにトリスタンは二度の不覚――甲板の上で後ろをとられたことと、先の銃撃を察せなかったこと――の理由に思い至っていた。
 トリスタンが気配や殺意を察することが出来なかったのは、少女の行動が少女自身の意思によらないからであろう、と。
 硝子玉のような少女の瞳が、無言のうちにその事実をトリスタンに教えていた。


 一体、何をすれば人ひとりの意思をここまでそぎ落とすことが出来るのか。
 そんなトリスタンの疑問とも嫌悪ともとれない思いを察したのか、小アルブケルケは言葉を続けた。
「カブラエルは、この国の人間は己よりも他者の苦痛を忌むと言っていたが、己が苦痛に耐えられる者も、快楽には抗えぬ。昼夜の別なく快楽に浸け込めば、抵抗の気概など火であぶられた砂糖菓子の如く崩れ去るわ」
「……下種が。かりそめにも一国の覇権を握らんとする者が為すことかッ」
 吐き捨てながら、トリスタンはわずかに腰を落とし、小アルブケルケの斬撃に備える。


 トリスタンは自分が死ぬことに対してさほど恐れを抱いてはいない。
 南蛮軍の一員として、直接、間接を問わず、数多くの死を他者に強いてきた。自らの意思でその道を選んだ時から、いつか自分の番が来ることは覚悟している。今日この時、小アルブケルケの手にかかって果てることを、理不尽だ、と嘆くつもりはなかった。
 だが、とトリスタンは思う。
 強いられた死に抗う権利くらいはあるだろう、と。


 南蛮国のため。故郷のため。そう思って剣を取った。であれば、剣を手放すその時までそれを貫こう。小アルブケルケの存在は、トリスタンが守りたいと願うすべてにとって害にしかならぬ。今の自分に出来ることなどたかが知れているが、それでも気に食わない相手に従容として討たれてやるのは、トリスタン・ダ・クーニャの流儀ではない。
 もとより幼少の頃より淑やかさとは無縁だったのだ。いまさら往生際が悪いと罵られたところで、痛痒を感じるはずもなかった。





 そんなトリスタンの内心を察したわけでもあるまいが、小アルブケルケは顔から冷笑を拭い去ると、その眼差しに明確な殺意を込めてトリスタンに迫った。
「その下種の手にかかって死ぬのだよ、貴様は」
 そう言って、剣を掲げようとした小アルブケルケだったが――不意に、その動きが止まった。
 トリスタンが何かしたわけではない。それどころか、トリスタンもまた一瞬ではあるが、眼前の小アルブケルケから意識をそらしていた。
 部屋の外、おそらくは甲板から鳴り響く鐘の音が、二人の耳に飛び込んできたのである。
 船では時刻を知らせるために決まった時間に鐘を鳴らすが、この鳴らし方は時鐘ではない。やや慌しい観はあるが、敵船の襲撃を知らせるものでもない。これは不明船の接近と、警戒を促す鐘であった。


 そして、鐘が鳴ってからほとんど間を置かずに船長室の扉が激しく叩かれる。小アルブケルケが人払いを命じていたにも関わらず。
「お話中、申し訳ございません。殿下、よろしいでしょうかッ?!」
「何事か?」
 小アルブケルケは不快げに目をすがめたが、それはほんの一瞬だけ。報告の兵がもたらした名前を聞き、その顔には心底からの驚きの表情が浮かび上がる。兵の口から、死んだはずの元帥、ドアルテ・ペレイラの名前が出たからであった。
 といっても、実はドアルテが生きていた――などという報告では無論ない。ドアルテの養子であり、従者であった人物が、接近中の船の上に姿を見せているというのである。


 常にドアルテの傍近くに控えていたはずの従者がどうやって生き延びたのか。そして、薩摩の南蛮艦隊とも、日向のムジカとも離れたこの海域で姿を見せた理由は何なのか。
 いずれも、小アルブケルケにとって無視できることではなかった。まさかとは思うが、本当にドアルテの意思が関わっている可能性もある。
 無論、それこそ万に一つの可能性ではあったが……




 ――トリスタンが動いたのは、この時であった。
 それまでの、傷口をかばいながらのぎこちない動きから一転、滑るようになめらかにトリスタンの剣が翻る。
 常のごとき流麗なその動きを見て、小アルブケルケはトリスタンがこれまで機を測り、あえて負傷を感じさせる動きをしていたことを悟る。
 とはいえ、負傷の影響はやはり厳として存在するようだった。右手が半ば以上使えないのは偽りではないらしく、今もトリスタンは左の手で剣を握ったままだ。今のトリスタンであれば、たとえ真っ向から斬りあったとしても、小アルブケルケが遅れをとることはない。


 が、直前に聞いたドアルテ・ペレイラの名と、それにともなう思考が、小アルブケルケに咄嗟に回避の動きをとらせていた。
 大きく後方に飛び退った小アルブケルケに対し、トリスタンは追撃をかける――持っていた剣を無造作に投げつける、という形で。
 室内に響く甲高い金属音。小アルブケルケがトリスタンの剣を打ち払った時には、すでにトリスタンは身を翻し、船長室の扉を開け放っていた。


 驚いたのは、報告のためにやってきた騎士である。
 小アルブケルケが人を払った上で聖騎士と密談する。
 その騎士がどんな想像をしていたにせよ、眼前に広がる光景はその予想とはまったく異なるものであったから。
 鼻をつく血の臭い。床には鮮血が飛び散り、憧憬の念を覚えていた聖騎士は、上半身を血に染めて傍らを駆け抜けてゆく。
 さらに、主君である小アルブケルケの手には、これも血塗られた剣が握られており、さらに室内には短筒を構える少女の姿まで見える。
 騎士が木偶のように立ち尽くしてしまったのは、いたしかたないことであったろう。


「殿下、これは……一体、何事ですか?!」
 問いかけた騎士は、主君の顔を見て息をのむ。
 小アルブケルケは常と変わらぬ様子であったが、幾多の戦いを生き抜いてきた騎士は、今ここで部屋の状況に言及することの危険を、ほとんど本能的に察したのだ。
 慌てて頭を垂れたのは、表情を読まれないための咄嗟の判断であった。
 それでも驚愕の去らない騎士の口から、思わず、という風に疑問の声が零れ落ちる。
「何故、聖騎士様が……?」
「異教徒と通謀した疑惑あり、とカブラエル布教長より告発があった。まさか、とは思っていたが、問い詰めたところ認めた。異教徒のために私の命令を無視したことを、な」
「し、信じられませぬ」
「貴様が信じようと信じまいと事実はかわらぬ。それとも貴様も異教徒に与するか?」


 その言葉で騎士ははっと我に返り、自身が小アルブケルケの言葉を否定した、という事実に顔を青ざめさせた。
「いえ、そのようなことは決してッ。申し訳ございません、ご無礼を!」
「頭を下げている暇があるならば、疾く動け。トリスタンの裏切りを周知させ、狩り立てろ。異教徒に通じた罪人だ、捕らえる必要もない。殺せ」
「ぎょ、御意ッ!」
 バルトロメウが洋上にある以上、トリスタンはどこに逃げることも出来ず、またあの傷ではそうそう動き回ることも出来ないだろう。トリスタンが小アルブケルケの命令に背いたことは事実であり、ここで処断することの正当性は揺らがない。


 問題は、トリスタンの口から小アルブケルケの本心が明らかにされてしまうことであった。
 少々、口が過ぎたかもしれぬ。小アルブケルケはそう思わないでもなかったが、それが致命的な事態を招くとは考えていなかった。どのみち、すでに賽は投げられているのだ。雌伏の時が終われば、小アルブケルケの本心は万人の目に明らかになる。今さら多少の疑惑に怯える必要もない。
 それよりも、今は姿を見せたというドアルテの養子が気にかかった。
 騎士が立ち去るのを見届けた小アルブケルケは椅子に座りなおすと、考えをまとめるようにひとりごちた。 
「どうやって生き残り、何故いまこの時に姿を現したのか。まさかとは思うが、ドアルテから何事か伝えられている可能性もある。放ってはおけまい」
 パウロ、と小アルブケルケは傍らの少女に呼びかける。
「はい、殿下」
「床の血を始末した後、珍客をこの部屋まで案内せよ――先のトリスタンと同じように、な」
「かしこまりました。仰せの通りにいたします」
 少女は微笑みながら頭を垂れる。艶やかな黒髪が、室内の灯火を映してほのかに照り映えた。 




◆◆◆



 少し時をさかのぼる。


 この日、バルトロメウの内外では幾つもの出来事が平行して起こっていた。
 その一つに見張り台の水夫が気づいたのは、彼が見張りを交代してしばらく経った頃である。
 水夫は交代の際、この海域には大小の島が点在すること、さらに近くに敵国の軍港があることを伝えられていた。
 油津という名のその港は、以前、南蛮軍が砲撃を加えた場所でもあり、報復の恐れが皆無ではなかった。警戒を絶やすな、という航海長の命令に、水夫はかしこまって頷いたのである。


 見張りに選ばれるだけあって、この水夫はバルトロメウの船員たちの中でも抜きん出て目が良く、さらに言えば、水夫個人もいたって真面目な為人で、命令に忠実であった。
 バルトロメウは南蛮艦隊でも随一の巨船であり、装備も充実している。この国の玩具のような舟が束になって襲い掛かってきたところで、苦も無く打ち払うことが出来るだろう。南蛮兵であれば誰もがそう考えるところだが、水夫は決して見張りを疎かにしようとはせず、その視線は絶えず四方の海面に向けられていた。


 水夫の目にはすでに三艘の舟が映っていたが、いずれもバルトロメウの舷側に備え付けられている連絡艇よりも小さい舟で、乗っているのも精々二、三人というところである。
 しかし、小さいからといって油断はできない。航海長から聞いたところによると(信じがたいことに)この国の人間は小舟に大砲を据え付け、使い捨てるように撃ち放すというのだ。
 もっとも、大砲はその大きさゆえに隠すことがむずかしい。水夫の視界に映るいずれの舟にも積まれていないのは一目瞭然であった。釣り糸を垂れているところを見るに、嵐の後の大物を狙って、付近の住民が海に繰り出してきた、というところなのだろう。


 怠りなく、小舟の一艘一艘に至るまで脅威がないことを確認し、再び周囲の索敵に移ろうとした水夫は、次の瞬間、視界に飛び込んできた物を見て思わず息をのむ。
 それは、南蛮神教の神旗を掲げた船であった。
 はじめ、水夫は神旗を見て驚き、次に神旗を掲げる船を見て更に驚いた。竜骨がなく、つまりは明らかに倭国のものだったからである。
 先の釣り舟と異なり、こちらは優に十人以上は乗ることができる大きさで、大砲を隠しておく余地も十分にあるものと思われた。


 南蛮神教の旗を掲げている以上、南蛮軍に敵対する勢力であるとは思えないが、その船体は南蛮のものではない。何者かの策略かと思われたが、その判断は見張りの任ではなかった。取り急ぎ、警戒の鐘を鳴らした水夫は、あらためて報告のために声を張り上げようとしたのだが、不明船の船首に立つ人物を認めた途端、吸い込んでいた息を残らず吐き出してしまうほどの驚愕に襲われた。
 遠目にも明らかな南蛮人の特徴を備えた姿、まだ少年かと思われるほどに年若いその人物の顔に、水夫は見覚えがあったのだ。


 直接の知己ではない。しかし、その顔は知っていた。何故といって、この遠征において常に元帥たるドアルテ・ペレイラの近くに控えていた少年だったからである。バルトロメウで働く水夫は、ゴアでの出陣式や、あるいは軍議のためにドアルテがこの船を訪れた際に幾度もその顔を目の当たりにしている。
 少年の名を、ルイス・デ・アルメイダといった。





◆◆◆




 
 南蛮軍と島津軍との間で捕虜解放の交渉が成立した際、ルイスは自らの意思で南蛮軍を離れ、敵である島津家の所へ戻ることを選んだ。
 義父を討たれた者が、あえて敵国に舞い戻ってくるとしたら、その理由は一つしか考えられない。雲居筑前と共に内城に戻ったルイスに対し、島津家中の者たちが不審と警戒の眼差しを向けたのは、当然過ぎるほど当然のことであった。
 そして今。
 バルトロメウの甲板に降り立ったルイスは、同胞である南蛮人たちから、まったく同じ眼差しを向けられていた。
 とはいえ、今のルイスの立場を考えれば、それは予測してしかるべき状況でもあった。なにしろ戦死した元帥の従卒が、聖都ムジカからも、南蛮艦隊からも遠いこの海域で、倭国の船に乗って姿を見せたのだ。不審や疑念を抱かれない方が不自然であったろう。


 この遠征に参加する以前のルイスであれば、たとえ予測していたとしても、他者から不審の感情を浴びせられれば、居た堪れずに顔を伏せてしまったに違いない。
 しかし今、ルイスは俯くことなく前を見据えている。
 それはルイスがすでにある程度の耐性を――他者から不審を向けられることに対する――得ているためであったが、同時にルイスの覚悟がどれほどのものかを示す証左でもあった。




 唐突に姿をあらわしたルイスに対し、バルトロメウの航海長を務める騎士から向けられる問いかけは、半ば以上詰問の様相を呈していたが、それに対してもルイスははっきりと、怯むことなく応じてみせる。
 ルイスが航海長に対して述べた来訪の理由は、義父である元帥ドアルテ・ペレイラの最後を、主たる小アルブケルケに伝えるため、というものであった。
 この理由は偽りではない。さらに、自身がどうやって生き延びたのかについても、一切隠し立てをしなかった。


 さらにルイスは航海長の問いに答え続ける。
 ――バルトロメウがムジカにいることについては、ガルシアから聞かされていた。
 ――ガルシアと共に錦江湾にとどまっていれば、いずれ小アルブケルケに会えることはわかっていたが、ルイスとしては一刻も早く義父の最後を伝えたかった。だが、ルイスは一介の従者に過ぎず、ルイスのために艦隊を動かしてムジカに向かってくれなどと言えるはずもない。
 ――ゆえに危険をかえりみず敵地に戻り、数少ない協力者の力を借りて、ここまでやってきたのである……


 バルトロメウの甲板で、航海長はわずかに眉をひそめる。
 ルイスの言葉に偽りの痕跡を見つけたわけではなかったが、それでもルイスが口にする理由はどこか不自然さを感じさせるものであった。
 その一つ一つを取り上げてみれば問題はない。協力者というのは、この地の信徒のことであろう。また、ルイスは医術にも通じているということだから、そういった者たちの好意もあったのかもしれない。だが、それらが重なった末に、この時期、この海域に姿を見せたバルトロメウと偶然に行き交うなどという幸運があり得るのか。ルイスにとって、あまりに都合が良すぎはしないか。航海長はそう疑ったのである。


 ルイスがただの一兵卒であれば、航海長はとうにルイスを船室の一つに叩き込み、拷問まじりの尋問を開始していたであろう。いや、そもそもルイスの乗った船を寄せることさえ許さなかったに違いない。
 だが、ルイスがドアルテ・ペレイラの養子であるという事実は、南蛮軍に属する者――特に第三艦隊に籍を置く将兵にとって無視できない意味を持つ。軍制上、ルイスに何らかの権限が与えられているわけではないのだが、その言動を疎かにすることは、あの大元帥の存在を疎かにすること。そんなことが出来るはずはなかった。
 くわえて、面と向かってルイスと相対した航海長は、その丁寧な物腰とまっすぐな眼差しに好感に近いものを抱きさえしたのである。


 それでも航海長がルイスが乗ってきた船をあらためさせたのは、やはりこれが何らかの策謀ではないか、という疑いを禁じえなかったからであった。ルイス自身にその意思がなくとも、異教徒に強いられて挙に及ぶ可能性はあるだろう。
 しかし、ルイスの船からは火薬も大砲も見つからず、乗っていた十名も刃物の類を秘めていないことが確認された。南蛮人は一人としていなかったが、いずれも南蛮神教の信徒であるらしく、胸から十字架を下げている。さらに彼らのうち一名は、まだ二十歳にも達していないと思われる少女であった。
 航海長としては、彼らが突如として刺客に変じる可能性は少ない、と判断せざるを得なかった。そして、そう判断した以上、ルイスと小アルブケルケを会わせることを拒絶する理由もまたなかったのである。





◆◆◆





 同時刻


 薩摩国 山川港 


 薩摩半島の南に位置する山川港は、その特異な地形によって外洋と分かたれた天然の良港である。
 その地形上の特徴に加え、錦江湾の入り口部分に位置する山川港は、古くから交易の中継点として栄えてきた。
 その賑わいは同国の坊津に迫るものがあり、島津家によって支配される以前は、近隣の豪族たちが激しい争奪戦を繰り広げてきた歴史を持つ。
 その争奪戦は、島津家の先代貴久がこの地を直轄地として組み込むことで終結し、以来、山川港は島津家の重要な収入源の一つとして、その庇護のもとに発展を重ねてきた。


 南蛮艦隊の襲来に際し、この山川港の防備が重視されたのは当然すぎるほど当然のことであった。南蛮艦隊の戦力次第では、山川港を占領し、ここを足がかりとして薩摩南部を席巻することは十分に可能だと考えられたからである。
 だが、島津家にとっては幸いなことに、南蛮艦隊は山川港には目もくれずに内城に向かい、港は無傷で島津家の手に残された。
 その南蛮艦隊も、錦江湾の戦いで島津軍と激闘を繰り広げた末に敗れ去り、山川港の危機は去ったものと思われたが、ガルシア率いる残存艦隊はいまだ錦江湾に留まっており、つい先日、これにロレンソ艦隊が合流した、という報告がもたらされたばかりであった。


 彼らが今になって山川港の占領を目論むとは考えにくいが、水や食料を求めて来襲することは十分にありえる。
 島津の末姫にして、今や南蛮軍の天敵となりつつある島津家久がこの地にやってきたのは、そういった事態に備えるためであった。
 家久に預けられた戦力――元々この港に配備されていた兵船に加え、錦江湾の戦い以後、京泊、坊津等から集められた兵船――のほとんどは小早であり、関船は両手の指で数えられるだけの数しかない。つまるところ、いまだ錦江湾に居座っているガルシア艦隊と交戦すれば、一戦で蹴散らされる程度の戦力でしかないのである。


 だが、家久はしごく落ち着いていた。
 元々、戦力的に自軍が不利な戦には慣れていたし、錦江湾の戦い以後、幾度もロレンソ艦隊と矛を交えた経験から、現在の南蛮艦隊からはすでに開戦当初の士気が失われていることを察していたからである。
 付け加えれば、家久自身はガルシア率いる主力艦隊が山川港を襲う可能性はごくごく少ないとも考えていた。
 より正確に言えば、山川港に限った話ではなく、今、ガルシアは島津軍と戦うどころではないという状況に陥っているはず、と家久は考えていたのである――




「家久様」
 その声に振り向いた家久は、そこに重臣である新納忠元の姿を見出す。
「あ、忠元。報告、きた?」
「は、今しがた」
 忠元が受け取った報告は、桜島南方の海域で停泊している南蛮艦隊の中の数隻が、南――すなわち家久たちのいる山川港の方角へと動き始めた、というものであった。
 また、報告の最後には、動いた南蛮船の数、また船体の損傷具合を見るに、それがガルシア艦隊と合流したばかりのロレンソの艦隊であることは確実である、と付け足されていた。


 それは山川港を守る島津軍にとって容易ならざる報告であるはずだったが、家久の言葉からもわかるとおり、島津側はこの敵軍の動きを事前に予測していた。というより、この分派したロレンソ艦隊を叩くためにこそ、家久と忠元はこの地までやってきたのである。無論、それが目的のすべてではなかったが。
 忠元は深々とため息を吐く。その顔には呆れと驚きと、すこしばかりの諦観がないまぜになっていた。
「……またも雲居殿の予測どおり、ですな。敵の提督や宣教師の為人を知るとはいえ、こうまで軍の動きを先読みされると、空恐ろしくなってきますわい」
 雲居のことを嫌っているとばかり思っていた忠元の口から、その才を認めるような言葉が発されたのを耳にして、家久は目を丸くする。
「忠元が筑前さんを褒めるなんてめずらしいねえ」
「別に褒めたつもりはござらん。が、此度の戦を見れば、その才はもはや認めざるを得ぬでござろう」


 心底嫌そうな表情で雲居の才能を認める忠元を見て、家久はあははと苦笑いする。
「忠元ってば、ほんとに筑前さんが嫌いなんだねー」
「嫌いなのではござらん。苦手なのでござる。男児たるもの、心根も生き様も直ぐにまさるものなし。戦となれば、多少の策を弄するは当然でござるが、ああも策多き輩と戦場を共にするは、今回かぎりにしたいものでござる」
「でも、敵にまわしたらもっと大変だよ?」
 家久の言葉に、忠元はげんなりとした表情を浮かべる。
「でしょうな。敵にまわせば厄介、味方にしても厄介ときては、さて、どうするべきか。いっそ九国から離れ、京にでも去ってくれれば良いのでござるが」
 冗談めかしてはいたが、その言葉は半ば以上本気であるように家久には思われた。


 家久としても、色々と思うところはあるのだが、今は他に考えなければいけないことが山のようにある。
 家久は話を眼前の戦況へと据え直した。
「バルトロメウ、だったっけ。向こうの旗艦と合流されると厄介なことになるから、しっかりここで叩いておかないとね。あのロレンソっていうお姉さんの艦隊なら、もう弾も火薬もほとんど残ってないだろうから、この港の戦力でもなんとかなるし」
「家久様に島の北側でさんざんに叩かれましたからな。しかし、ガルシアとやらから補給を受けている可能性もありますぞ」
「うーん。聞いたかぎりじゃ他の提督さんに頼ることはしない、かな。それにガルシアさんの方も余裕はないと思う。解放した捕虜だけで千五百人、それだけの数の兵士さんや水夫さんたちを一気に抱え込んだことになるからねー」




 島津側が先の交渉によって解放したのは捕虜のみで、当然のように武器や食料などは一切含まれていない。
 ガルシアは解放した捕虜を再武装させるだけでも一苦労だろう。また、ガルシアの艦隊は三十隻に満たず、一隻につき五十人近い捕虜を引き受けなければならない計算になる。
 五人や十人であればともかく、五十人もの人間がいきなり加われば、それは各船にとって人員的な余裕が出来るというより、過剰な人員による負担を強いられる構図になる。特に水や食料において、その影響は大きいにちがいない。


 元からの船員たちは、おめおめと捕虜になった挙句、味方に負担を強いる者たちに対して心穏やかではいられないだろう。
 捕虜となっていた者たちにしてみれば、好きで虜囚の身となったわけではないのだから、卑怯者、厄介者扱いされるのが面白いはずはない。捕虜だった時よりも解放された後の方が待遇が悪いとなれば尚更である。両者の不満が、対立に結びつくのは時間の問題であろう。
 ただでさえ、南蛮軍の将兵は予期せぬ敗北で混乱と動揺を禁じえないところ。異国の地で、今後に不安を覚える将兵は少なくあるまい。
 そこに不満と対立が生じれば、それはたやすく衝突へと変じていく。
 神への信仰だけでそれらの不平不満を抑えることが出来れば良いが、それはまず不可能だろう。となれば、ガルシアら指揮官の苦労は推して知るべし。南蛮艦隊は敵と戦うどころではあるまい、と家久が考えたのはこのためだった。
 捕虜解放は、南蛮艦隊の戦力を増すどころか、その動きを縛る枷として機能するのである。


 そんな状態では、たとえ味方といえど貴重な物資を割き与えることは難しい。むしろ、ロレンソはその負担を強いられるのを忌避して、ガルシアと距離を置こうとしたのではないだろうか。少なくとも、それが分派行動をとった理由の一つであることは間違いあるまい。
 となれば、当然のようにロレンソはガルシアからの援助を受けていないことになる。ゆえに、現在こちらに向かってくる艦隊は、島の北側で家久が矛を交えた時から今日まで、一切の補給を受けていないという推測が成り立つのである。




 これを撃ち破ることは家久にとってさしたる難事ではなかった。
 それが思い上がりではないことは、すでに戦果によって証明されている。無論、だからといって油断するつもりはかけらもない家久であるが、率直に言って当面の敵手であるロレンソにそれほどの脅威は感じていなかった。
 表情や言葉に出したことはないが、脅威、というのならば、交渉の段階から今の戦況を見通していたと思われる人物――雲居筑前に対するものの方がずっと深く、重いくらいである。
 なにしろすでに島津軍は日向の地で大友軍との間に戦端を開いている。今は南蛮という共通の敵がいるが、その南蛮軍を退けた後、南蛮軍に向けられていた雲居の智略は、転じて家久ら島津軍に向けられる。家久としても、なかなかに虚心ではいられなかった。


 家久は、はぅ、と小さく息を吐く。
「今のところは味方のあたしでさえこんな風に考えているんだから、ルイス君はもっと必死なんだろうね」
 南蛮軍に向けられた、雲居の透徹した戦意――というより、あれはもう殺意そのものだ、と家久は思っているが――について、雲居本人は、おそらく心に秘しているつもりだろう。しかし、別段、聡い者でなくとも、雲居の言動の端々から零れ出る冷えた感情は感じ取れてしまうのだ。
 まして、ルイスは以前にその感情を直接にぶつけられ、その場で義理の父の命を奪われている。その後、捕虜として雲居の近くで過ごしたルイスは、雲居の冷えた感情が今なお南蛮軍に向けられていることに、否応なく気づいてしまったであろう。その理由となる出来事を教えられているのだから尚更だ。


 あの南蛮人の少年が、あえて敵国の只中に戻ってきたのは何の為なのか。
 家久は、少なくともその理由の一端は理解しているつもりであった。




 ――もっとも。
 実のところ、ルイスに吉継の一件を教えたのは他ならぬ家久であった。ゆえにルイスが下した決断、引いてはその決断を受けて構築された今回の策について、家久は少なからず関与していることになる。
 それどころか、ルイスの存在がバルトロメウに近づくために不可欠であることを考えれば、家久の一言が今回の策を可能にしたとさえ言えるかもしれない。
 しかし、家久はその事実を誰かに告げることはしなかった。当然、ルイスがあえて家久の名を他者に告げる必要もない。
 結果として、策を編んだ雲居さえ、家久の密かな、しかし重要な関与を知らずにいるのである。
 もし雲居がこの事実を知れば、怖いのは一体どちらだ、と戦慄と共に呟いたに違いない。






 そこまで考えた家久の思いは、自然、敵の総大将へと向かった。
 フランシスコ・デ・アルブケルケ。
 その為人や目的について、家久はガルシアとの交渉を終えて戻った雲居から聞かされていた。
 あくまで推測である、と雲居は口にしていたが、ルイスから得た情報や、ガルシアとの対話を経て、雲居なりに確信を抱く何かがあったのだろう。
 総大将でありながら艦隊を離れて行動し、重要な戦力であるはずの提督を投入してまで一介の少女を追い求める。そこまでなら、日の本の民を甘く見た愚将の愚行であると思えなくもないが、そうであれば吉継を捕らえた後に長々とムジカに留まる理由がない。まして、ドアルテ・ペレイラが討たれてなお動かないなど不自然極まる。
 であれば、フランシスコとやらが、南蛮の王子に等しい身分でありながら、自国の敗北を望んでいるという雲居の推測もあながち間違いとは言えない。少なくとも、明確にその考えを否定する根拠を、家久はじめ島津家中の者たちは誰も持ってはいなかった。


 家久ら薩摩の国人にしてみれば、南蛮人はにっくき侵略者以外の何者でもない。
 だが、その南蛮人の多くは命令されたからこそ、こんな東の果ての地へとやってきたのだ。無論、信仰や名声、財貨への欲望など、侵略に積極的に従事する理由は持っていたにせよ、自分たちの頂点に立つ者が自分たちの敗北を望み、そのために策動しているなどとは夢にも思っていないに違いない。
 そんな南蛮人を哀れと思うほど家久はお人よしではない。繰り返すが、家久にとって、南蛮軍の将兵が侵略者である事実はいささかも揺らがない。
 だが、自国の民すら欺き、弄んだ敵将に対して、好意的ではありえなかった。たとえ敵将の行動が島津家に利していたとしても、である。


「人を弄べば徳を喪い、物を弄べば志を喪うっていうけれど」
 書経の一節を思い浮かべた家久は、ぽつりと呟いた。
「国を弄んだ人は何を喪うことになるのかな?」


 国とは人と物とで紡がれるもの。それは日の本であれ、南蛮であれかわりはない。その意味で、敵将は人と、物と、国と、それら全てを弄んだことになる。
 彼の人物が何を喪うことになるのか。島津の末姫は、その目に深い思慮を宿し、東の方角をじっと見つめるのだった。








◆◆◆








 日向国 油津港沖


 ドアルテ・ペレイラは小アルブケルケの傅役であり、ルイスはその養子である。だが、この二人の間に交流らしい交流は存在しなかった。
 ルイスにとって小アルブケルケは雲上の貴人であり、小アルブケルケにとってルイスは一介の従卒に過ぎぬ。ゆえに、小アルブケルケはルイスの生死に関心を払ったことはただの一度もなかった。
 では何故、ルイスをバルトロメウの船長室に招き入れたのかと言えば、ドアルテが本当に死んだのか否か、それを確認するためであった。
 まさか、とは思う。思うが、従卒であったルイスが生き伸びていたのだとすれば、ドアルテ自身が実は生きているという可能性を考慮せざるを得ない。まして、ルイスがこのような場所で姿を見せたのであれば尚更である。


 その疑念を確認するため、小アルブケルケはトリスタンの捕縛を後回しにしてまでルイスを部屋に迎え入れた。
 しかし。
 ルイスの口から語られる錦江湾の戦いとドアルテの死、そしてその後の顛末を聞けば、自身の疑念が杞憂に過ぎないことは明らかである、と小アルブケルケはそう判断するに至っていた。
 ルイスの言葉に虚言の陰は見て取れない。それはつまり、ドアルテはやはり報告どおり戦死したということである。
 そうとわかれば、あの老将の最後も、眼前の従者の労苦も、小アルブケルケにとっては些事に過ぎない。そう考えた小アルブケルケは、これ以上、従卒ごときと言葉を交わす必要はない、とルイスに退室を命じたのである。


 功臣たるドアルテの死について、養子であるルイスに一言もなしとくれば、小アルブケルケの対応は冷淡と言わざるを得ない。しかし、ルイスは不満を示すことなく、頭を垂れて小アルブケルケの命令を肯った。
 だが、顔をあげたルイスは、一つだけ問いを向けることを許してほしい、と口にし、小アルブケルケの答えを待たずにこう言った。


 ――すべては御身の思い通りに進んだのでしょうか、と。







「――聞き捨てならないことを言う。ドアルテが遺言でも残したか?」
 語調自体は決して激しいものではない。だが、小アルブケルケの目には剣呑な光がちらついていた。
 当然、その視線を向けられている当人であるルイスが気づかないはずはない。しかし――
「……それは、お認めになられた、と受け取ってよろしいのでしょうか」
 そう言うルイスは、表情こそ硬く強張っていたが、威圧に屈することなく、ひたと視線を小アルブケルケの面上に据えている。
 ルイスの問いかけは、裏面の事情を知らない者にとってはまったく意味を為さないものであったろう。
 だが、小アルブケルケにとって、その問いが何を意味するかは明白であった。
 裏面の事情を知らない者にとっては意味を為さない問いかけ。それは言葉を換えれば、その問いを発する者は裏面の事情に通じている、ということになる。そう考えたからこそ、小アルブケルケは半ば答えでもある反問を口にしたのである。
 ごまかすなり、無視するなりすることも出来たが、従卒を相手に取り繕うようなまねをする必要はどこにもない。ルイスが小アルブケルケの真意に気づいたのであれば、トリスタンともども始末してしまえばそれで済むのである。


 ほとんど一瞬でルイスの口を封じることを決意した小アルブケルケであったが、問題はルイスがどうやって真相に至ったかであった。
 ルイスのような従者が自力で考え付くことではない。誰かがその考えをルイスに吹き込んだのであろう。
 それが誰であるかについて、小アルブケルケはすぐに察した。
 小アルブケルケの密かな企図に気づくだけの智恵と識見を備え、なおかつルイスと繋がりがある者などドアルテ以外にいるはずもない。


「まさかドアルテが察していたとはな。となると、貴様の目的は義父のあだ討ち、というところか」
「……そのお言葉を聞く限り、やはり『そう』なのですね」
「認めよう」
 それを知ったところで誰に語ることも出来ぬが、と小アルブケルケは内心で嗤いつつ、言葉を続ける。
「ドアルテめはどのあたりから気づいていた? いや、そもそもあれは何と言い残して死んだのだ?」


 その問いに、ルイスは小さくかぶりを振ることで応じた。
「お義父様は何も言い残してはおられません」
 きっと、それだけの力も残ってはいなかったのだろう。その以前に、敗れて死ぬのは覚悟の上、と口にしていたが、それでも思うところがなかったはずはない。最後の時、ルイスに向けられた眼差しは、ここで果てることを詫びていたように思う。
 きっと、あれはただルイスにのみ宛てられたものではない。ドアルテの死を悲しむ全ての者に宛てられた思いであり、そこには小アルブケルケも含まれていたはずである。


 そのルイスの言葉に、小アルブケルケは目をすがめることで応じた。
「ドアルテは私の真意を知りながら、それでも私がドアルテの死を悲しむと考えていた、と言いたいわけか」
 それはお人よしに過ぎる考えだ、と小アルブケルケは思う。ドアルテはそこまで甘い人間ではない。長きに渡りドアルテから教育を受け、かつドアルテを排除するべく努めて来た小アルブケルケだからこそ、はっきりとわかる。
 ゆえに、おそらくドアルテが小アルブケルケの思惑に気づいたのは戦の最中。その以前であれば、何らかの形で小アルブケルケのもとに詰問が来ていたはずだ。
 どのような切っ掛けがあったかは知らないが、戦の最中にそれを確信するに至ったドアルテは、死の際にルイスにその事実を伝え、小アルブケルケの毒が南蛮を侵すことのないように願ったのであろう。まさか、当のルイスが単身で真偽を確認するためにバルトロメウにやってくるとは思ってもいなかったに違いない。
 結果として、ドアルテは最後の言葉で愛息の命すら縮めてしまったことになる。浮かばれぬな、と小アルブケルケは師とも言うべき人物に対し、内心で皮肉を込めて語りかけた。




 しかし、小アルブケルケは自分の考えが的を外していることを知らされる。
 すなわち、ルイスはこう返答したのである。
「殿下。私は殿下の目論見について、お義父様から聞かされたのではございません」
「……なに?」
「それゆえ殿下が南蛮軍の敗北を望み、のみならず画策さえしていたという事実にお義父様が気づいていたのかどうか、ぼくには……私にはわからないのです」
「待て。では、貴様は何者から私の考えを聞いたというのだ?」
 まさか従卒ごときが自力で思い至ったわけではあるまい。その小アルブケルケの問いに、ルイスはこくりと頷いた。


 そうして、ルイスの口から語られる名。小アルブケルケはその名に聞き覚えがあった。くしくも、トリスタンとの会話でも出てきた名である。
「雲居、か……ふん、であれば、やはり貴様の目的は仇討ちか。異教徒に与し、神の教えに背いてまで私を討ちたかったというわけだな」
 倭国の勢力が小アルブケルケの動向を推測し、この海で待ち伏せている。ルイスはその尖兵か。小アルブケルケはルイスがこの海域に姿を見せた理由をそう読み取った。
 異教徒がこちらの動きを読んでいたというのは信じがたいが、ルイスのような少年が敵地をさまよった挙句、偶然にバルトロメウを探し当てた、などという話よりは幾分か信憑性に優る。


 だが――
「貴様ごときでは、バルトロメウに傷をつけることすらかなうまい」
 バルトロメウは同じ南蛮の軍船と比較しても群を抜く戦力を有している。ドアルテの旗艦と比較しても、錬度は同等、兵の数と火力においては優るのだ。
 圧倒的なまでの自信をこめて語る小アルブケルケに対し、ルイスはあえて逆らおうとはしなかった。涼やかに、けれどどこか哀しげな表情でルイスは口を開く。
「承知しております。もとより、ぼくなどが割り込める戦いではないでしょう。それでもこうしてやってきたのは……」


 殿下、とルイスはまっすぐに小アルブケルケの顔を見て、言葉を重ねる。
「ぼくは虜囚の身から解き放たれた後、自分の意思で異国の地に留まりました。このまま無為に時を過ごせば、この地の南蛮人すべてがあの業火の中で燃え尽きてしまう。それはお義父様の死が無意味になることを意味します」
 それが怖かった、とルイスは言う。
 その言葉の意味は、小アルブケルケには理解しかねるものであった。訝しげな小アルブケルケに対し、ルイスはゆっくりと語りかけるように話し続ける。
「殿下がこの国はおろか、母国をも弄ぶような策を弄したりはしていないと証明したかった。その上で、総督閣下の命によって捕らえたという少女を解放してくださるようお願いしたかった。それがかなえば……あるいは……」
 ルイスは一度だけ強く唇をかみ締める。小アルブケルケの言葉を聞けば、その望みがかなうことはありえない。それでも、ルイスは一縷の望みをもって、小アルブケルケに懇願する。
「殿下、お願いいたします。どうか雲居殿のご息女を解放してください。ご家族のもとへ帰してさしあげてください。それはきっと、殿下にとっても意味がある行いになるはずです」


 声を震わせ、頭を下げるルイス。小アルブケルケの答えはこれ以上ないほどに簡潔であった。
 否、と。
 ただそれだけであった。


「……そう、ですか」
 予測もし、覚悟もしていたのだろう。その答えを聞いて、ルイスはぽつりと呟いた。
「戯言は終わったか? 貴様は偽りをもってこの場に来た。それは国を裏切り、神の教えに背く行為であろう。そんな者の言葉を聞かねばならぬ理由がどこにある。この事実を明らかにすれば、たとえ貴様がドアルテの養子であったとしても、貴様の処刑に反対を唱える者など現れぬわ。大方、あたりに兵でも潜ませているのだろうが、貴様らごときの刃が、この身に届くとは――」
 思わぬことだ、そう続けようとした小アルブケルケは、顔をあげたルイスの目を見て、知らず言葉を途切れさせていた。
 そこには憎悪はなく、憤懣もなく、失望も落胆も存在せず。
 ただ、これから起こるすべてを受け容れる覚悟だけが在った。



「殿下に言伝がございます」
 誰から、とはルイスは言わず、小アルブケルケも問わなかった。
「聞こうか」
 はい、と頷いたルイスは哀しいほどに穏やかな声で、託された言葉を伝える。



 Eu perco virtude se eu jogar com uma pessoa


    ――人を弄べば、徳を喪う



 ルイスと小アルブケルケの言葉は南蛮語で交わされている。当然、言伝も南蛮語をもって伝えられたが、これはルイスが訳したわけではなく、はじめから南蛮語で託されていたのである。



 Eu perco vai se eu jogar com uma coisa


    ――物を弄べば、志を喪う



 ルイスに言伝を託した人物が、どうして南蛮語を知っているのか、ルイスは詳しくは知らない。ルイス以外の南蛮人に教えを受けたのか、元々知っていて知らぬふりをしていたのか。あるいはそれ以外の理由か。



 Eu perco uma fruta se eu jogar com um pais


    ――国を弄べば、実を喪う



 いずれにせよ、その言伝は文法としては単純なものであったから、ルイスは特に苦労せずに覚えることが出来た。
 ただ、単純であるがゆえに、そこに込められた苛烈な意思はより克明に伝わってくる。言葉を伝える、ルイスの役割はただそれだけであったが、にも関わらず、額に滲み出る汗をルイスは自覚した。






 Eu perco vida se eu jogar com tudo


    ――全てを弄んだ貴様は、ここで死ね






 バルトロメウの船内に、異変を知らせる鐘が鳴り響いたのは、ルイスが言い終えたのとほぼ同時であった……
  
 



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