シンデレラを知らない、という人はおそらくあまりいないと思うが、一応説明すると、継母や姉たちに虐げられ、炉端で灰をかぶりながら働き続けた不遇な少女が、魔女やら白い鳩やらの助けを借りて、最終的には王子様と結ばれる物語である。
『シンデレラ』は灰を意味するフランス語から派生した言葉であるが、中国にも同じような内容で掃灰娘という説話がある。そのほかにも似たような物語は世界各地に遍在しており、貧しい少女が不遇に耐え忍びながらも懸命に働き、ついには幸せを掴みとるという物語が、古今東西を問わず、広く人々に受け容れられてきたことがうかがえる。
これはすなわち、健気な少女に幸せになってほしいと願うのは万国共通の心理――否、真理であることを意味すると断言しても差し支えあるまい。
「……なるほど。だから、内城の片隅に位置する井戸の近くで、髪にはりついた火山灰を落とそうと苦戦していた島津家の下働きの女の子にお義父様が手を貸したのは、人の情として当然――と、そう言いたいわけですね?」
吉継は半眼でこちらを見やりつつ、なにやら頭痛をこらえるかのようにこめかみに手をあてている。
「うむ、まったくそのとおり」
「その結果、噂を聞きつけた他の女中からも同様の手助けを請われたこともいたしかないことだ、と?」
「うむ、まったくそのとおり」
「……お義父様。これまでは何とか喉元でせき止めていたのですが、今日という今日は言わせていただきます」
「拝聴しよう」
「お義父様は、一体、何をしに薩摩まで来たんですか?」
「少なくとも、いもを焼いたり髪を洗ったりするためではなかったはずなんだけどなあ……」
「なにを遠い目をしてるんですか、まったくッ」
今の吉継は部屋の中で頭巾を解いているため、紅い瞳から向けられるじとっとした眼差しがいつもに増してはっきりと感じ取れてしまい、抗しかねた俺は知らず視線をそらしてしまった。
台所の灰だろうが火山灰であろうが、髪に害があるのは間違いない。これを落とすのにどうして躊躇する必要があるだろうか。
そうは思うものの、それをそのまま口にしても吉継は納得してくれないだろう。
それに正直、俺も自分のしていることを何だかなあとは思っていたのである。
俺は大友家の――つまりは島津にとって敵国の使者なのだが、やっていることといえば、義久の料理を脂汗流しながら食べたり、時には一緒に台所に立ったり(監視)、あるいはのほほんといもを焼いたりといったことばかり。おまけに今度は洗髪である。
近頃では女中さんたちとも普通に会話を交わしているし、見張りの小姓の人たちとも同様だったりする。長恵に言わせれば「すごい勢いで島津家に馴染んでいる」とのことだった。まったくもって否定できん。
そんなこんなで、吉継が物申したい気分になるのも当然といえば当然であった。しかし、一応釈明しておくと、伝えるべきことはすでに島津家に全部伝えているのだ。南蛮を相手とした戦略も、その艦隊を相手とした戦術も。
だが、当然ながらそれらは島津家の助力がなければ不可能なことであった。島津家が南蛮勢力に関して俺と異なる判断をするか、あるいは判断は同じでも、異なる作戦を選ぶようであれば、俺に出来ることは何もない。すべてを伝えた今の俺に出来るのは、島津の決断を待つことだけなのである。
そんな風に今日までの流れを振り返っていると、傍らにいた吉継がなおも尖った声を俺に向けてくる。
「要するに、暇をもてあましていたから趣味に走った、と?」
「はっはっは」
「都合が悪いことを訊かれたとき、笑ってごまかすのはお義父様の悪い癖です」
「すみません……」
普通に娘に叱られてしまい、俺が素でへこんでいると、部屋の外から軽やかな足音が響いてくる。はや耳に馴染んだ観のあるその音を聞き、吉継は慣れた動作で頭巾をかぶった。
俺と吉継の予想どおり、島津の末姫殿が姿を見せたのはそのすぐ後である。
「こんにちはー、筑前さん、吉継さん」
「これは家久様、こ――」
いつもの明るい家久の声につられるように、俺は気軽に挨拶を返そうとした。
しかし、返せなかった。声が詰まったのは家久の顔を見たからである。いつもどおりの足音。いつもどおりの挨拶。しかし、その顔にいつもの笑みはなかった。
その家久の表情を見たとき、俺は来るべき時が来たことを悟ったのである。
◆◆◆
九国――すなわち豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の九カ国の中で、この年に戦が起こらなかったのはわずかに豊後と肥後の二国のみ。だが、その二国を治める大名たちも他国に兵を送って戦を行ったことを考えれば、戦乱は文字通り九国全土を包み込んだといってよい。
時を追うごとに激しさを増す戦乱の渦中にあって、九国を統べる大名たちは自国を守るために兵を募り、その一方で隙あらば他国を併呑せんと虎視眈々と近隣諸国に野望の眼差しを向けていた。
豊後の地では、相次ぐ重臣たちの謀叛をはねのけ、他国を戦慄させる底力を発揮した大友家が、他国に南蛮神教の城市ムジカを建設して更なる争乱の種をまき。
肥前の地では、その大友家と袂を分かった竜造寺家が肥前制圧――さらには筑前をはじめとする北九州制覇の野望を明らかにし。
薩摩の地では、父祖以来の悲願であった三州奪還に向けて、いよいよ島津の四姫が歴史にその姿を現そうとしていた。
この三家の他にも筑前の秋月家や肥後の阿蘇家、相良家、日向の伊東家、さらには遠く中国の毛利家、尼子家をはじめ、九国の動乱に関わってくる勢力は枚挙に暇がない。
一波動けば万波生ず。
大友、竜造寺、島津の一つでも動けば――否、たとえ彼らと関係のない小豪族が動いたとしても、それを皮切りに各勢力は一斉に動き出すに違いない。
互いに目的も志も異なる諸勢力は、ただその一点においてのみ、同じ見解を抱いていたのである。
それゆえに、というべきだろうか。
幾多の動乱を経験したその年の暮れ、九国は不思議なほどに静かであった。
無論、その静けさは穏やかさと同義ではない。嵐の前の静けさとたとえるには、あまりにも立ち込める戦雲が厚すぎる。台風の目に入ったようなものであったかもしれない。
焼けるような静けさ――その年の終わりに九国を包みこんだ静けさを、人々は後にそう呼んだ。
道行く誰もが身体を縮め、足早になり、語り合う声は囁くように低く。触れれば切れるような張り詰めた空気の中、間もなく訪れる新しい年を祝う心さえ、立ち込める戦の気配がかき消した。
すでに人々の関心は戦が起きるか否かではなく、いつ、誰が始めるかにあった。
大友か、竜造寺か、島津か、毛利か。それともそれ以外の勢力か。
誰もが固唾をのんで『その時』を待ち受ける中――最初の烽火は九国の南東に位置する日向の国で上がった。
◆◆
日向国 佐土原城
大友軍の日向侵攻によって県城をはじめとする北部を奪われた伊東家は、さらに時を同じくして大隅に侵攻した島津軍によって盟友であった肝付兼続を失い、日向の地で孤立を余儀なくされることとなった。
これに対し、伊東義祐は両家の侵攻に備え、自家の兵力の大部分を佐土原城に集結させて防備を固める。
しかし、予想に反して、大友、島津の両家はすぐに攻め寄せてこようとはしなかった。
県城を陥落させた大友家はムジカの建設に国力を注ぎ込み、一方の島津は新たに領土に組み込んだ北薩と大隅の整備に意を用いている。
その情報を得た義祐は、両家の意図を悟ったように思った。
伊東家の領土は大友家と島津家の狭間に位置しており、本城である佐土原城も堅城で知られている。無理にこれと戦えば、いかに勢いに乗る両家といえど無傷では済まない。互いに大敵を後に控えた状況である、これ以上の兵力の損耗を防ぎたいと考えるのは当然のことであったろう。
おそらく、大友家は島津家と伊東家の激戦を望み、島津家は大友家と伊東家の死闘を期待している。義祐が彼らの立場であってもそう考えただろう。
だが、そうとわかればむざむざ連中に漁夫の利を貪らせたりはしない。
なんとしても連中の鼻を明かしてやらねば、三位入道を称する義祐の気がすまなかった。
――この時、伊東家を存続させる最も確実な手段は、義祐が大友か島津のいずれかに頭を下げて臣従を誓うことであったかもしれない。しかし、過去の経緯からも、また義祐の誇りからも、そんな真似が出来るはずはなかったのである。
九国中が奇妙な静寂に包まれる中、義祐は居城の防備を今まで以上に固めることに専念し、状況の変化を待った。今の佐土原城には、兵も糧食も十分に蓄えられている。たとえ大友軍や島津軍が攻めてきたとしても半年は持ちこたえてみせる。
それだけ抗戦しつづければ、大友にせよ島津にせよ、いつまでも伊東家に拘泥してはいられず、兵を帰さざるを得なくなるだろう。
そこを後背から追い討てば、強兵を誇る両家といえど如何ともしがたいに違いない。さすれば義祐が再び日向の地に覇を唱える芽も出てくるだろう。
――そう考えて待ち構える義祐のもとに「島津軍あらわる」の報告がもたらされたのは、佐土原城が新しい年の幕開けを迎えた、まさにその日のことであった。
息せき切ってあらわれた急使は、あえぐように義祐に報告する。
「も、申し上げますッ! 島津軍はすでに大淀川を越え、宮崎、木脇の両城は未明に陥落! 敵数、およそ一万! 敵総大将は旗印から島津義弘と思われますッ!」
敵将の名を聞いた瞬間、義祐の左右から怒声が沸き起こった。
鬼島津の勇名はすでに九国中に鳴り響いているが、その魁となったのは、かつて伊東義祐が起こした薩摩征討軍を、義弘が寡勢で撃ち破った「木崎原の戦い」である。
この戦いで伊東家は多くの将兵を失ったのだが、ことに重臣の子弟を中心とした若者たちの被害が大きかった。彼らの多くが鬼籍に入ったことにより、伊東軍は撤退を余儀なくされ、その損失は今日なお埋められるに至っていない。
すなわち、義祐やその重臣たちにとって島津義弘は一族の仇であり、その名は悪鬼のそれに等しい。鬼島津の名を聞いて彼らが赫怒を示したのは当然のことであったろう。
だが同時に、彼らの表情には拭いえぬ動揺と恐怖の影が色濃く浮かび上がっていた。戦場における島津義弘の勇猛を知る身であれば、それもまた当然のことであったかもしれない。
いち早くそのことを察した義祐は、ことさらに嘲るような笑いを響かせた。
「たかだか一万程度で、この城を陥とせるとでも思ったか。先の戦の勝利に酔って、鬼島津の戦の勘も狂ったとみえる。所詮は女子ということか」
義祐の言葉は、根拠のない妄言ではなかった。今回は以前と異なり、野戦ではなく、佐土原城に立てこもっての戦いになる。佐土原城の伊東軍は六千、対する島津軍は一万。篭城の利を鑑みれば、十分な成算をもって島津軍を撃退することも出来るはずだった。
義祐の言動でその事実に思い至った重臣たちの顔から、先刻まであった動揺の影が急速に薄れていく。
それを確認した義祐は、あらためて口を開いた。
「あるいは薩摩の田舎者どもが、わざわざ我が家のために勝利を献じに来おったのか。その心根やよし。されど新年の祝いに戦の血泥とは無粋も極まるというもの。彼奴らに都の典雅とはいかなるものか、武士の風流とはいかなるものかを、この三位入道が叩き込んでくれようぞ」
その義祐の言葉に重臣たちは一斉に頭を垂れ、佐土原城はたちまち戦の空気に包まれていった。
◆◆
島津軍、動く。
その報はたちまちのうちに九国各地へと伝えられていった。
その動きはおおよそ次のようなものであった。
まず島津義弘率いる一万の軍勢はいったん日向南部の飫肥城に入り、ここから伊東家の居城である佐土原城を直撃すべくまっすぐ北へと進軍を行った。
これにやや遅れて、内城を発した島津義久率いる同じく一万の軍勢は、南西の方角から日向との国境を突破、日向南西部の諸城の攻略を開始する。
義久の用兵の才は妹たちに遠く及ばなかったが、伊東義祐が自家の兵力を佐土原城に集中させていたため、他の地域の兵力は大きく減少しており、たとえ主将が義久であっても攻略に手間取ることはないものと思われた。
現在の島津の国力を考えれば、二万という数字はほぼ全力の出撃である。
おそらく薩摩には最低限の兵力しか残っていないだろう。本国を衝かれれば島津は兵を返さざるをえないものと思われたが、九国最南端に位置する島津家の後背を衝くことが出来る勢力など日の本のどこを探しても存在せず、それを知るがゆえに島津家も本国を空にすることが出来たのであろう。
それはつまり、島津家が本腰を入れて伊東家およびその北方に位置するムジカの攻略を開始したことを意味した。
この島津軍の攻勢により、日向の国はたちまちのうちに争乱に包まれ、諸勢力はそれぞれの思惑をもって動き出す。
しかし、そんな慌しい状況の中、最大の勢力を誇る大友家は驚くほどに静かだった。
豊後から増援を呼ぶでもなく、前線に兵を送り込むこともせず、ただ島津侵攻以前と変わらずムジカの建設に勤しむだけなのである。
この大友家の反応には多くの人々が首を傾げたが、考えてみればさほど不思議なことでもない。島津家と伊東家がぶつかりあい、互いに疲弊するのを待っているのだろうという見方が大半を占めた。
――この時点で大友家の静黙の真の意味を知る者は、その策を練り上げた者たち以外に存在しない。するはずがない。
彼らは島津軍の侵攻を察知するや、ただちに動き出したのだが、それは誰の目も届かない深い闇の中でのこと。
その動きを受け、やがて南の海から時ならぬ颱風が姿を現す。その時、はじめてこの国の者たちは自分たちが未曾有の危地に立っていることを知るであろう。
もっとも――
「知ったところで、対処することなど出来ぬがな」
「殿下の仰るとおりかと」
とある船の奥まった一室。
奇妙に甘く、粘るような空気が充満する中、血の色をした酒を喉奥に流し込んだ半裸の青年が嗤い、聖書を腕に抱えた男がうやうやしく首肯する。
幾つかの齟齬はあったものの、計画に支障を来たすことはなく、事態はおおよそ彼らの思惑通りに進んでいる。
神の栄光がこの地に顕現するまであとわずか。たとえ悪魔であっても、この流れを覆すことは不可能であろう。
――ましてや、東方の蛮人どもになど。
期せずして二人は同じ考えを抱き、口元に嘲るような笑みをのぼらせるのであった。
◆◆◆
その日。
薩摩の南方海上に姿をあらわした船の数は十八隻を数え、そのことごとくが両舷に大砲を備えた戦闘艦であった。
船の大きさは様々で、兵員の数が百人に満たない小型船もあれば、二百人を越える大型船も含まれている。その中で最も巨大な船は、艦隊先頭に位置する旗艦『ファイアル』であった。
十八隻の艦船の中でただ一隻、三百人を越える兵員数を誇るファイアル。その艦上にあって、船長を務めるニコライ・コエルホは、前方に広がる未知の海域、未知の大地を黙然と見据えていた。
十八隻から成る南蛮艦隊の指揮官でもあるニコライは、麾下の将兵と同じく南蛮神教の信者である。だが麾下の将兵と異なり、『聖戦』を前に戦意を昂揚させることはなく、略奪によって得られるであろう財貨に対する執着も感じていない。
かといって、ほどなく故郷を蹂躙されることになる異国人たちに同情や憐憫を覚えていたわけでもなかった。
いかにして勝利を得るか。
ニコライが考えているのは、ただそれだけであった。
今回の作戦行動に関して思うところがないではないが、フランシスコの剣として、フランシスコに勝利を捧げる以外の行動、思考をニコライは自身の内から排除する。
それでも、とニコライは考える。
(神ならぬ身です。自身の務めも果たせず、余計な火種を持ち込んだ者たちに対して好意的ではいられないのですけどね)
その視線はニコライの隣に立つ一人の宣教師に向けられていた。
黒の修道服に身を包んだ女性の宣教師。まるで彼女のまわりだけ日が陰ったかのような心持にさせられるのは、服の色はもちろん、この宣教師自身がかもし出す雰囲気に、見る者があてられてしまうからであるかもしれない。
「提督、間もなく薩摩が見えてくると思います。しかし、本当に坊津を奪わなくてよろしいのですか? 提督の兵力があれば、港一つ、容易く奪えると思いますわ。島津領内に拠点を設けておけば、今後の行動にも――」
「コエリョ殿、それに関してはすでに説明しているはずです。我が艦隊は聖戦の開始を今か今かと待っているところ。この戦意に水を差すような真似はできません。敵の城ならばともかく、折角の貿易港を灰燼に帰してしまえば、殿下もご不快に思われることでしょう」
「ですが――」
「コエリョ殿」
どこか思いつめたような光を浮かべる碧眼を見返しながら、ニコライは冷然と告げる。
「貴女の役割は我らの案内です。作戦に関しては口出し無用に願いたい」
ニコライの言葉に、コエリョは憤激したように頬を紅潮させる。
だが、ニコライはその表情を見てみぬふりをして、視線を前方に戻した。この人物に妥協や駆け引きの話をしても無駄だということを、ニコライは知っていた。
コエリョは個人としては善良な為人で、一人の信徒としては篤実な人物であるが、だからこそというべきか、宣教師としての布教の方法は妥協とは無縁であり、その方法はただ一つ、ひたすら神の教えを説くというものであった。
コエリョにとって神の教えはあまりにすばらしいものであり、ゆえにそれを理解できない者を、コエリョは理解することができない。
神の教えに対する、いささか偏狭なまでのゆるぎない確信は、コエリョの言葉に他の信徒や宣教師たちと一線を画する力を与えた。彼女を慕う信徒たちは数多く、若いながらに幾つもの地域を教化してきた実績はおさおさ他者に劣るものではない。
その一方で、政治的な理由で南蛮神教の改宗を拒み、布教を許さない者に対しては、コエリョの言葉は効果を持たなかった。それはつまり、南蛮と敵対する土地の有力者たちのことである。
カブラエルのように相手に利を示し、布教を認めさせるような駆け引きはコエリョには不可能なことであった。そういった時、コエリョはどう対処してきたのか。それは今回の派兵を見れば明らかであったろう。
南蛮神教の外にも世界が広がっていることを、この宣教師は理解していない。このあたりは幼い頃から変わっていない、とニコライは内心でやや辟易しながら考える。
――実のところ、ニコライとコエリョは互いに面識があった。年齢も近い。これは二人に限った話ではなく、艦隊を構成する各船の船長の中にも二人の知人は少なくなかった。
アルフォンソやフランシスコによって見出され、教育された子供たち。その中でも特に優秀な者たちは成長した後、南蛮の国事の最前線に立っているのである。
しかし、面識があるからといって、親交があるわけではない。ニコライはコエリョの偏狭的な宗教観を好まず、コエリョは自身の布教を邪魔立てした島津への報復に否定的なニコライに不満を感じていた。
両者がそれぞれの不満を抱え、口を閉ざしたその時。
不意に周囲から大きな歓声が湧き上がった。いよいよ目的地が見えてきたのである。
ニコライは薩摩、大隅の地形を頭に思い描く。コエリョや他の宣教師の情報によってつくられた詳細な地図は、すでにニコライの脳裏に刻み込まれていた。
コエリョは、島津の重要な収入源である坊津をはじめ、各地の島津軍をしらみつぶしに討ち滅ぼしていくことを主張したが、ニコライはそのような非効率的な作戦をするつもりはなかった。
まずは敵の居城である内城を、海上からの砲火でなぎ倒し、彼我の戦力差を見せ付ける。敵がそれで抵抗の意図を放棄するならば良し。屈さぬのならば、手近な拠点を同様に一つずつ潰していく。
海上からの砲撃であれば、敵に反撃の手段はない。コエリョにとって、今回の派兵は島津を滅ぼすためのものであろうが、ニコライにとっては東方世界へ侵攻するための足場づくりに他ならない。麾下の将兵に無用な損害を出す戦いは慎むべきであった。
予想どおりというべきか、海上に彼らを迎撃するための船の姿は見当たらない。
まさか南の海から侵略者が来るなどと考えてもいなかったのだろう。十八隻の南蛮艦隊は、悠々と波を蹴立てて進み、間もなくニコライの視界に特徴的な山容が映し出された。
その山の名を開聞岳という。
あの山が見えれば、目的地まではあと少しである。
ニコライは麾下の艦隊に戦闘準備を命じつつ、先夜の軍議を思い出していた。
これから進入する薩摩、大隅の両国にはさまれた湾形を『雄牛の角のごとく突き出た』と形容したのは誰であったか。その言葉を借りれば、湾内にある敵の本拠地を滅ぼすということは、雄牛の両角の間に割ってはいり、その頭蓋を一閃で断ち割るに等しいだろう。
何処かの海上から、この地の戦況を見つめているであろうフランシスコのためにも、最善を尽くす。勝利か敗北か、ではない。勝利か、より完璧な勝利か、である。
そうして、いよいよ湾内に侵入しようとした時。
「……ん?」
不意に、ニコライは奇妙な感覚を覚えた。
すべてが順調に進んできた。そして、これからも順調に進むであろう。そのことは、今も南蛮艦隊を照らす陽光のように明らかである。日が陰ることなどありえない。
そのはずなのに。
堂々と湾内に侵入していく麾下の艦隊の姿が、まるで違ったものに思えたのだ。
――雄牛の角にも似たこの地形、別のものにも似てはいないだろうか? たとえて言えば、そう、侵略者を食らい尽くさんと口を開いて待ち構える竜のようにも見えはしないだろうか……?
そう思った次の瞬間、ニコライは小さくかぶりを振り、自身のうちに芽生えた危惧を振り払う。
我ながら埒も無いことを、とおかしく思い、口元に苦笑を滲ませる。
やはり大戦の先鋒を任されたことで、多少なりとも気負うところがあったらしい。
そうでもなければ、自分たちがそうとは知らずに竜の顎に飛び込んでいく愚者の群れである、などという想念にとりつかれるはずもない。
そうして雑念を振り払い、再び眼差しをあげたニコライの胸中には、先刻の奇妙な悪寒はすでに一片も残ってはいなかった。