吉弘紹運が今回の筑前遠征における己の役割を伝えられたのは、道雪率いる大友本隊が府内を発する直前のことだった。
実のところ、当初、紹運は府内の留守居を命じられていた。これは紹運のみならず、先の戦で主力となった吉弘勢すべてがあてはまる。当然、紹運の父である鑑理も同様であった。
この時、紹運は立花、高橋両家の叛意を察してこそいなかったが、秋月の蜂起ではじまった一連の騒乱がたやすく鎮められるとは思えず、父や義姉に従軍を願い出たのだが、いずれも首を横に振られてしまったのである。
その義姉から出陣前夜に突然呼び出された時は何事かと首をひねったのだが、その言うところを聞いてさらに驚いた。冷静沈着を謳われる紹運が、思わず声を高めてしまうほどに、道雪の言葉は意外なものだったのである。
「立花様と高橋様が叛く恐れがあると……そう申されるのですか、義姉様?」
「ええ、そういいました」
当然、紹運としてはこう問わざるを得ない。
「何かそれを示すものが見つかったのですか?」
その問いに対し、道雪は小さく首を左右に振る。
「鑑載殿に関しては、府内を発たれるおり、御自身でこの屋敷まで参られ、現在の大友家にはもはや従えぬとの主旨のことを言っておられました。ですが確たる証があるわけではありません。鑑種殿にいたってはなおのことです」
紹運としては、いかに敬愛する義姉の言葉とはいえ、はいそうですかと素直に肯えることではない。だが同時に、道雪が出陣の間際までこのことを秘していた、その意味に気づかない紹運でもなかった。
なにより、誹謗中傷を信じて味方を疑うような戸次道雪ではない。直接的な証拠こそないとしても、大友家内部の不穏な気配や、筑前の状況、毛利の策動を鑑みて、そう判断せざるを得なかったのだろうと思われた。
そんな紹運の内心を察してか、道雪はゆっくりと口を開いた。
「紹運、問いたいことは多々あるでしょうが、まずはわたしの話を聞いてくれますか? その後、あなたの疑問に答えますので」
「承知いたしました、義姉様」
そのために人を払ってこの場を設けたのだと悟った紹運は、余計な言葉を口にせず、ただそう答えるにとどめた。
そして。
すべての話を聞き終えた紹運は、小さく頷いてみせた。
機先を制するために、証拠もなしに奇襲を仕掛ける、などという策であれば反対を唱えるつもりだったが、今回の作戦はあくまで相手の動きに応じてのもの。立花、高橋両家が動かなければ、波風たつことなく戦を終えられるものだったからである。
その場合、紹運とその部隊は無駄働きに終わってしまうように思われるが、危急の際に備えるためと考えれば、一概に無駄とも言い切れぬ。
とはいえ問うべきことがないわけではなかった。
「……我らが謀叛を察していることを伝えることで、翻意を促すことはできないものでしょうか? 立花様はもう遅いかもしれませんが、高橋様ならばあるいは」
「紹運の言うとおり、鑑載殿に関してはすでに遅いでしょう。いまさら翻意するようなら、みずから出向いたりはしないでしょうからね。そして、その鑑載殿と同心している以上、鑑種殿もまた並々ならぬ覚悟で臨んでいるはずです。こちらが叛意を察していると知れば、鑑載殿と歩調をあわせて正面から離反を宣言する可能性が高いのです」
そうなれば、大友軍は立花山城、宝満城、岩屋城という筑前屈指の堅城群を力ずくで陥としていかねばならなくなる。それも、おそらくは古処山城に立てこもるであろう秋月種実を背後に控えながら、だ。
いかに名高き鬼道雪といえど、その戦況で必勝を期すことは難しい。かりに勝てたとしても、どれだけの兵と、金と、時を散じることになるのか……
「想像するだけで胃が痛みます」
真顔で言い切る道雪だった。
道雪はなにも冗談を言っているわけではない。ただでさえ先の戦で多大な戦費を失ったばかりだというのに、ほとんど間をおかずに次の大戦である。
大友家は海外との交易などで多大な利益を得てはいるが、収入以上の支出があれば、府庫の蓄えが失われていくのは必然だ。中でも南蛮神教布教のために費やされる財が、大友家の経済に大きな影響を与えていることは周知の事実だった。
加判衆筆頭として、また戸次家当主としても、戦費の調達には頭を抱えざるを得ない道雪だったのである。
いまだ当主ではない紹運に、道雪の心労は完全には理解できない。それでも父吉弘鑑理も同様の悩みをもらしていたこと、その世継ぎとして補佐をしていたことから、推測するくらいは出来る。
真顔の道雪に、紹運は表情の選択に困りながらも頷くしかなかった。
こほん、と咳払いして表情をあらためた道雪に対し、紹運は今度は軍将としての問いを向けることにした。
「しかし義姉様、仮に戦況が推測どおりに動いたとして、この布陣では我が隊の働きに戦そのものの成否が懸かってしまうと思うのですが」
「そうなりますね」
「これだけの大任を務められることは武人としてこの上なき栄誉。ですが、確実を期すならば、ここは父上のような戦巧者をあてるべきではありませんか?」
紹運は決して怖じているわけではない。だが、スギサキなどと称えられていても、紹運は自分を過大評価はしていなかった。
今回の戦は、ただ陣頭で采配を揮い、突撃するような単純なものではなく、いたるところで臨機応変な対応が求められることは確実だった。
そういった時にものをいうのは、なによりも戦陣に臨んだ経験の数である。まだ青二才の自分よりは老練な戦巧者である父をあてるべき、という意見は的を射たものであるはずだった。
だが、道雪は首を横に振る。
「わたしたちが筑前に諜者を放っているように、筑前もまた府内に諜者を放っているのは確実です。そして諜者の目が『豊後三老』からそらされるとは考えにくいのですよ。鑑理殿に兵を預ければ、その報はたちまち筑前にもたらされ、警戒されてしまうでしょう」
その点、まだ吉弘紹運の名は、それほど警戒されてはいない、と道雪は言う。
「スギサキの武名は隠れなきものですが、それは一戦場における勇者としてのもの。まだ軍将としてのあなたの声価は確立されておらず、その分、御父上よりも動きやすい。仮に動きに気づかれたとしても、千にも満たないあなたの手勢で何ができるかを把握している諜者はいないでしょう」
その道雪の言葉に、紹運は深々と頭を下げ、すべての命令を了承したことを示す。
同時に思う。
万端の準備をととのえ、大友軍を待ち受ける敵軍にとって、今回の戦は思いもよらぬものとなるだろう。突発的な叛乱ではなく、必勝を期して待ち構えているからこそ、衝撃はより深いものとなるだろう。
そんなことを考えていた紹運の耳に、不意に道雪の愉快そうな笑い声が飛び込んできた。
眼差しをあげた紹運は咄嗟に警戒する。義姉がこの顔と笑いをするときは、大抵こちらをからかおうとする時なのである。想い人はまだ出来ないのかとか、それほどの胸を持っているのにもったいないとか、花の命は短いですよとか、そんな感じの。
そんな紹運の警戒心に満ち満ちた表情を気にもとめず、道雪は口を開いた。
「正直に言えば、今のあなたではまだ荷が重いのではないか、とわたしも危惧しないわけではなかったのですけど、この策をたてた御方があなたなら間違いはないと断言されまして。先の豊前での戦においても、あなたの働きにことのほか感心していたようですよ」
「……それは光栄、と申さねばなりますまいが、その御方というのは雲居殿のことですか?」
「ええ、そうです。正確にはこう言っておいででした。『さすがは音に聞こえた豪傑、見事なものです。紹運殿を妻に迎えられる御仁は幸せものですね。さぞ立派な子をもうけてくれるに違いありません』と」
ぶふ、と紹運の口から妙な声がもれた。
「な、な、なにを言って?!」
「そうそう。わたしが、紹運はあれだけの武烈を備えながら、いまだ恋すら知らぬ乙女であると申し上げたら、なにやら獲物をねらう鷹のような目をしておられましたね」
「あ、義姉様ッ?! な、何を言っておられるのですか?!」
「つまり此度の戦において、紹運こそが肝なのでがんばってください、と」
「ころっと話を変えないでくださいッ?! よりにもよって雲居殿に、その、恋すら知らぬ、とかそのような――それでは私が戦しか知らない女のようではないですかッ」
「事実そうではありませんか。あなたの口から色恋沙汰に関する話を聞いた記憶はかけらもないのですけれど?」
「そ、それはあえて義姉様に言わなかっただけですッ! 私とて女子、恋の一つ二つ当然経験しておりますし、今だとて想いを寄せる殿方がいないわけではありません!」
思わず断言してから、紹運は内心で、しまった、と臍をかむ。
が、時すでに遅く。
義姉様はこれ以上ないくらいのにこやかな笑顔でこう仰った。
「それはそれは、めでたいことです。ならばわたしも姉として、あなたの想いが成就するように務めなくてはなりませんね」
「あ、い、いえ、それには及ばないかと。こ、この手のことは当人同士の気持ちが何よりも大切だと……」
「何を言うのですか、紹運。明日の生死すら定かならぬこの戦国乱離の世。しかもわたしたちは弓矢を握るもののふです。好いた相手の子を産める幸運が、いつでも転がっているなどとは間違っても考えてはいけません」
「そ、それは、あの、そうかもしれません、が……」
紹運は何と返したものかと視線をさまよわせる。この手の話にはまったく免疫がなかった。
そんな妹の困惑をよそに、道雪はさらに言葉を続けた。
「まずは、いかなる手を尽くしてでも相手を己が腕の中に抱え込むことです。なんでしたから一気に祝言まで持っていくのもよろしいでしょう。想いを育むのはそれからでも遅くはありませんよ」
「あの義姉様、それは順番が違うのではないでしょうか……?」
おずおずと異見を掲げる紹運に対し、道雪は微塵も動じずに返答する。
「今が平穏な世であれば、じっくりと想いを育むのも良いでしょう。しかし、繰り返しますが今は戦乱の世、女子にとっては恋すら戦と知りなさい。まったく、このようなことは初歩の初歩だというのにこの子は……」
「うう……」
なにやら哀れみをこめた眼差しを向けられ、紹運は肩を縮こまらせる。
紹運としてはいろいろと反論したいことはあるのだが、いかにも常識のように恋は戦と語る姉を見ていると、おかしいのは自分なのかと思えてしまう。
この場に第三者がいれば、冷静な突っ込みが入っただろうが、人払いはとうの昔に済まされており、結局紹運は恋の何たるかを長々と道雪に説かれることになってしまったのである。
さらには今回の戦の後、想い人に引き合わせることを半ば無理やり約束させられ、挙句、その後屋敷で出てきた夕餉が赤飯だったことに、紹運は内心でさめざめと涙を流すのだった。
◆◆◆
筑前国岩屋城。
「紹運様。どうなさったのですか?」
「はッ?!」
配下の武将に声をかけられ、紹運は我に返る。
周囲を見渡せば、いまだ鳴り止まぬ雷鳴の中を、紹運の手勢が忙しげにはしりまわっている。とはいえ、敵兵と刃を交えているわけではない。すでに紹運の部隊は岩屋城の制圧を成し遂げていたのである。
堅城で知られた岩屋城は、しかし大友軍が拍子抜けするほどあっけなく落城した。常は沈着な尾山が「狸にばかされたようですな」と呟くほどに。
だが、その言葉は言いえて妙であったかもしれない。高橋勢にしてみれば、味方を装って大友軍を通過させ、雨中を衝いてその後背を襲うという必勝の態勢だったのだ。しかも、立花山城の軍勢も時を同じくして出撃しているはずであり、嵐の中、挟撃を受けた大友軍の壊滅は必至だと思われていた。
留守居に残された兵士たちを見れば、嵐の中の行軍を免れたと安堵する者よりも、約束された勝利を味わえぬと不平をもらす者の方がはるかに多かったほどなのである。
城門に怪我をした兵士たちが姿をあらわした時も、彼らはまるで慌てなかった。鎧兜は同じであるし、行軍中に足を滑らせてしまったという理由も、さして奇異なものとは感じられない。夜間の出陣、しかも激しい風雨の中でのこと、そういうことも十分にありえるだろう。
そして、歩くことも出来ない兵士を城に戻すことも至極当然の決断だった。怪我人を山中にほうっておくわけにもいかず、馬や輿に乗せて奇襲に連れて行くわけにもいかないのだから。
何より、この場、この時に敵が姿を現す理由がない。彼らは今なお自分たちを味方と信じて、立花山城に向かっている最中なのである。
かくて城門はあっさりと開かれ――岩屋城は陥落する。
抵抗はほとんどなかった。留守居の将兵はたちまちのうちに紹運の部隊に制圧され、ようやく我に返ったときには、すでに城は大友軍の手に落ちていたのである。
今の大友軍に捕虜をとる余裕はない。大友軍は武具をのこらずはぎとった上で留守居の兵のほとんどを解き放った。無論、岩屋城陥落の報を広めることが目的だったのだが、この頃にいたってなお高橋勢の将兵の顔はどこかうつろであり、まるで悪夢が現実になったとでも言うような薄ら寒い表情に覆われれていた。
紹運は彼らが受けた衝撃の強さを思って、同情を禁じえなかったが、戦はまだ始まったばかりである。
従者に運ばせていた自家の甲冑を着けると、次の行動に移るべく腹心に話しかけた。
「では尾山、城は任せる。警戒を怠らず、敵勢に備えてくれ」
おそらく敵軍が寄せてくることはない。それは紹運にも尾山にもわかっていたが、それを口にしてしまえば油断が生じる。一つの狂いが戦局全体を左右することを知るゆえに、主従はかけらも油断するつもりはなかった。
「承知仕った。紹運様も、御武運を」
「うむ」
配下の激励に、紹運はしっかりと頷いてみせる。
これより紹運は五百の手勢を率いて高橋鑑種の後背を衝くべく城を出るのである。
岩屋城には尾山が二百の兵で篭る。これもまた当初の予定どおりだった。
紹運は義姉の言葉を脳裏に思い浮かべる。
『高橋家が総力をあげれば万に近い軍を集めることも出来るでしょう。秋月家が蜂起している以上、兵を集める理由は十分です。それでも、岩屋城には兵力を集中させることは出来ません。古処山により近い宝満城よりも、岩屋城に兵を多く集めていると知られれば、不審に思われるでしょうからね』
ゆえに、と道雪は続ける。
『まずは岩屋城を出た高橋勢の動きを封じます。本隊の方は、鎮幸と惟信に言い含めてありますので、時が至れば、二人が急使という形で高橋離反の報を諸将に知らせます。それから兵をまとめて陣を構えますので、紹運、あなたは岩屋城を陥とした後、一隊を率いて出撃した高橋勢の後を追うのです。奇襲する必要はありません。そして姿を隠す必要もありません。ただ、後を追いなさい』
『……高橋勢の動揺を誘う、ということでしょうか』
『はい。策士は策におぼれるといいますが、必勝を期した策をたやすく見破られたとあっては鑑種殿も落ち着いてはいられないでしょう。その下の将兵に至ってはなおのことです。そのためには、岩屋城の留守居の兵は捕虜とせずに解き放った方が良いでしょうね。その上であなたが後ろを塞げば、岩屋城の落城は隠れも無いもの、動揺した兵士たちの離散を防ぐことさえ難しいでしょう。無論、鑑種殿直属の部隊は別でしょうけれどね』
『承知いたしました。ですが、高橋殿が岩屋城に兵力を集中できないとはいえ、千や二千ということはありますまい。岩屋城をおさえる以上、私が動かせるのは精々が五百というところです。高橋殿が将兵の動揺を取り除くために、後背を塞ぐ私の隊に攻めかかってくることも十分に考えられるのではないでしょうか?』
『その時は退却して構いません。追撃してくるようなら、岩屋城に篭っても結構ですよ。それでも、本隊が挟撃される恐れはなくなります。ただ……』
おそらくそんなことにはならないでしょう。
道雪はかすかに微笑んで、そう言った。
『一度、策を破られた者は疑心暗鬼になるものです。あなたが奇襲もせずに姿を見せれば、これもまた誘いの隙かと警戒するでしょう。しかも高橋勢の後ろには二万近い大軍が控えている。岩屋城が陥ちた以上、みずからの離反が見抜かれていたことを鑑種殿は悟るでしょうし、それは必然的に挟撃するはずだった部隊もまた、それを知っていたということにつながります。その結論に達すれば、鎮幸らの部隊をも警戒しなくてはならなくなり、結果として鑑種殿は動きを封じられることになるでしょう』
『そして、時が経てばたつほどに、高橋勢の動揺はいや増していく、というわけですか……』
あるいは立花勢と合流しようとする可能性もあるが、それをしたところで高橋勢が帰るべき城を奪われた事実は拭えない。そして高橋勢の離反失敗は、立花勢にも小さからざる衝撃を与えるのは確実だった。
『ええ。鑑種殿の手勢は、悪夢にのまれるように失われていくことになるでしょう。そして、鑑載殿もまた……』
もちろん、御両所が謀叛に踏み切ったと仮定しての話ですけどね。
そう口にした道雪の顔を思い起こし、紹運はかぶりを振る。
最終的には謀叛に踏み切ってしまったとはいえ、立花鑑載も、高橋鑑種も大友家の朋輩だったのは事実である。
紹運は吉弘家の嫡子として、彼らと戦場を共にしたこともあるし、親しく語り合ったこともある。その人たちを討ち破ったところで、勝利の喜びなどあろうはずがない。それは紹運も道雪もかわることはなく――否、大友家に仕えた長さを思えば、道雪の悲哀は自分などが思い及ぶところではないだろう、と紹運は思うのだ。
「……不甲斐ないな、私は」
「……紹運様?」
思わずこぼれた呟きに、傍らにいた尾山が不思議そうに聞き返してくる。
雨風にさらされた顔に気遣いを湛えた部下に、紹運はもう一度かぶりを振ってみせた。
「なんでもない。では、そろそろ出るぞ。留守居の大任、よろしく頼む」
「は、お任せくださいませッ」
一歩を踏み出したときには、すでに紹運の眼差しからは迷いが掻き消えていた。
戦にのぞんで雑念は死を招く。今はただ果敢に、一心に勝利を得るべく努めるとき。それが多くの兵士の命をあずかる紹運に課せられた役割であり、またみずから望んだ在り方でもあった。
◆◆◆
筑前国休松城。
戸外を吹き荒れる風雨の音と雷鳴の響きは、さして広からぬ城全体を包み込み、大友軍の将兵に緊張を強いていた。
俺は城の一室で吉継相手に今回の策をあらためて説明していたのだが、やはり雷雨が気になって仕方ない。
だが、吉継は雷は平気な子であるらしく、とくに気にかける素振りもなく問いかけてきた。
「おおよそのところはわかりましたが、宝満城はどうされるつもりなのですか?」
「無視する」
「……こちらは無視しても、あちらがそうしてくれるとは限らないのでは? 岩屋城に優る数の兵が篭っているのはほぼ確実でしょう。それがこちらに加勢すれば由々しき事態になりはしませんか?」
「それは二つの理由で気にしなくていいことだな」
俺の言葉に、吉継はかすかに眉間に皺を寄せる。
言葉の意味を考えているらしい。出来れば少し考える時間を与えてあげたいところなのだが、どうも嵐のせいか、先刻から落ち着かない俺は、ささっと答えを口にしてしまう。
「岩屋城に兵力を集中できない理由はさっき言ったとおりだが、その分、鑑種は錬度に気を遣っただろう。簡単に言えば、精鋭のほとんどを岩屋城に集める。そうしなければ、いかに不意を衝くとはいえ、大友軍に撃退されてしまいかねないからな」
「……なるほど、宝満城が秋月勢に攻められることはありえないのですから、理にかなっていますね。もう一つというのは、やはり秋月種実ですか?」
「ああ。高橋勢の加勢が来るとわかっていれば、とうに攻め込んできてるだろう。まだ秋月が動いてないということは、宝満城の高橋勢は動いていないということだ――まあ、こっちは多分そうだろう、くらいの理由だけどな。仮に加わっていたところで、種実は高橋勢を前線に配そうとはしないだろうし、それに高橋方の武将が異を唱えれば、敵同士で勝手に争ってくれる可能性もある。そうなれば、こちらにとっては御の字だが……」
まあ、そこまで期待するのは虫が良すぎるというものだけれど。
ともあれ、そういったわけで宝満城には手をうっていなかった。無論、斥候は出しているが、おそらく本隊を討てば戦わずして城門を開けるだろう。仮に抗戦したとしても、先に言った理由で大した脅威にはなるまい。城兵が奮戦するようなら、おさえの兵を残して包囲すれば良い。
もう少し信用できる戦力があれば、岩屋城の紹運殿のような手も打てたのだが……まあ、ないものねだりをしても仕方ないだろう。
それを聞き、吉継は頷きつつまとめるように自分の考えを口にした。
「……すると、こちらのすべきことは、吉弘様と由布様が立花、高橋両家を制してお戻りになられるまで、なんとしても持ちこたえてみせること、ですね」
「できれば小野殿も入れてあげてくれ、一応別働隊の主将だし」
「善処しておきます」
「よろしく。で、まあ吉継の言うとおりだな」
表向きは、と内心で小さく付け加えて、俺はさらに言葉を続ける。
「本隊が戻ってくれば、城を囲む秋月勢は再び古処山に篭らざるを得ない。立花、高橋を制し、秋月を古処山に封じてしまえば、毛利軍は孤立する」
孤立した軍を討つのは、その逆よりもはるかに楽であるのは当然である。
当然、毛利は秋月を救援すべく、大急ぎで兵を動かしているだろう。もし秋月が毛利勢との合流を優先していたら、正直ちょっと厄介なことになっていたのだが、幸いにというべきか予測どおりというべきか、秋月種実は毛利勢の来着に先んじて兵を動かし、この城を包囲した。
あとは吉継の言うとおり、時間との勝負である。
秋月が城を陥とすのが早いか、それとも鎮幸らの本隊の到着が早いか。
無論、種実はまだ岩屋方面の戦況はほとんどつかんでいないだろうが、出来るかぎり急いで城を陥としたいと思っている点では、双方の認識に差異はない。
それはつまり現在の戦況に対する認識は、敵味方を問わず、攻める秋月、守る大友という形で固定されていることを意味する。また、それ以外に映りようがないとも言える。
攻める側として主導権を握っている秋月種実にしてみれば、この嵐などは格好の奇襲日和としか映っていないのではなかろうか。
そして。
「往々にして、虚というのはこういう時に生じるものなわけだ」
「お義父様?」
ついでに言えば、俺は将も兵も篭城を好まない上杉軍の一員であり、この城の守将である鬼道雪のもう一つの異名は雷神である。
さらに言えば、目の前の愛する娘のおかげで嵐の到来はあらかじめ予想されていたわけで。
「むしろ閉じこもっている理由がないよな」
小さく笑う俺の顔を、吉継が戸惑いもあらわに見つめていた。