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No.18189の一覧
[0] 【ネタ・習作】P3P女主←無印P3男主憑依であれこれ【TS逆行憑依捏造】[みかんまみれ](2010/06/20 16:18)
[1] ●第一回●[みかんまみれ](2010/04/18 01:56)
[2] ●第二回●[みかんまみれ](2010/04/18 12:09)
[3] ●第三回●[みかんまみれ](2010/04/24 14:48)
[4] ●第四回●[みかんまみれ](2010/05/01 19:48)
[5] ●第五回● 4月21日~タルタロス初探索~[みかんまみれ](2010/06/05 21:00)
[6] ●第六回● 4月22日~“魔術師”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/06/05 21:09)
[7] ●第七回● 4月23日~『かつて』からの贈り物~[みかんまみれ](2010/05/29 22:03)
[8] ●第八回● 4月24日~“戦車”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/05/29 23:18)
[9] ●第九回● 4月27日~『噂』が呼ぶ悪意~[みかんまみれ](2010/06/20 15:59)
[10] ●第十回● 4月28日~“恋愛”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/07/17 00:39)
[11] 蛇足もろもろ[みかんまみれ](2010/07/17 00:51)
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[18189] ●第四回●
Name: みかんまみれ◆4e5a10fb ID:809f8e81 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/05/01 19:48

 どこまでも続く青い海の中を、漂っているような感覚だった。
 ここはどこだろうとか、自分はどうしてここにいるのか、とか。そういう漠然とした疑問が、泡のように浮かんでは消えてゆく。
 時間の経過も、曖昧だった。もう何日もここで眠っていた気もするし、ほんの数分まどろんだだけのようにも思える。
 この停滞に終わりを告げたのは、自分以外の誰かが近付いてくる気配だった。
 誰かは自分のすぐ近くまで身を寄せ、普通なら衝突するという距離まで踏み込んできて――唐突に、消えた。いや、これは、消えたのではなくて……。

「――ようこそ、ベルベットルームへ。再び、お目にかかりましたな」

 湊はハッと目を開けた。
 そこは見慣れた青い部屋で、自分はいつもの椅子に腰掛け、テーブル越しに部屋の主たるイゴールと対面していた。
 直前まで感じていた、何かの感覚が思い出せない。あれは何だったのだろう。あれは、あの気配は――。

「……イゴール。ここに、おれ以外の誰かがさっきまでいなかったか?」
「さて。私の目には、『貴方』の姿しか映りませんでしたが」

 イゴールは例によって含み笑いつつ、期待はずれの答えを返してくる。しかし、嘘は言っていないはずだ。
 ではやはり、ただの気のせいだったのか。
 釈然としない気持ちを抱えながらも、湊はこの話題を打ち切った。それよりも、最優先で聞かなければならない事があった。気が付いた瞬間に何故これを聞かなかったのかという、極めて重要な質問だ。

「あの後…おれが屋上で、“魔術師”のシャドウにやられてからどうなったかわからないか?」
「と、申されますと?」
「おれはまだ生きてる。身体と意識がまだ繋がってる、そんな気がするんだ。…あの状況から、どうやって生還できた?」
「フム…残念ながら、それはお答えできかねますな。外界の事象に関して、我らベルベットルームの住人は関知せぬものですので」
「――そうやって、はぐらかしてばかりじゃないか!!」

 思わず叫んでしまってから、我に返った湊は慌てて「ごめん」と続けた。
 何をやっているのか。これは丸きりただの八つ当たりだ。イゴールにはイゴールの役目があり、その役目に従って口を閉ざさねばならない事もある。まして、彼が現実世界の様子を知らないのは、非難などされる筋合いの無い厳然たる事実なのだ。
 あの後自分だけでなく、仲間たちがどうなったのかという焦りに、すっかり冷静さを失っているようだ。
 湊は1つ大きく深呼吸して、気を静めてから再び言葉を発した。

「……答えられる事だけでいい。おれの質問に、答えてほしい」
「もちろん、私の語れる事でしたら全て包み隠さずお話ししましょう」

 結局のところ、現実世界の出来事を知るには、一刻も早く現実世界で目覚めるしかないのだ。ならば今は、逆にこの空間でしか、イゴールにしか問えない疑問について訊くべきだ。
 イゴールは気分を害した様子も無く、相変わらずの笑みを浮かべている。
 その目を真っ直ぐに見て、湊は口を開いた。


 白い病室のレースカーテンを通して、うららかな春の陽光が射し込んでいる。
 読み終わった文庫本を閉じたゆかりは、傍らのベッドに眠る少女の吐息が微かに乱れたのに気が付いた。
 もしかして、と期待しながら相手をそっと覗き込む。ゆかりの影がかかった少女の顔、その閉ざされた目蓋がぴくりと震え――やがて静かに開かれた。未だ焦点の合わぬ瞳が、ぼうっとゆかりを見上げている。
 驚かせぬよう、少し小声を心がけながら、ゆかりは少女に話しかけた。

「…気が付いた?」
「………。岳羽、さん?」
「うん。私」

 少女――有里公子は、ぱちぱちと数度瞬きした。それから今度はしっかりと、光の灯った目でゆかりを見つめた。
 ゆかりの顔に、安堵の笑みが浮かぶ。

「気分は、どう? 身体の傷は大した事なくて、もう全部治ってるってお医者さん言ってたけど」
「…悪くはないかな。むしろ、寝すぎたって感じがする」
「あはは、そうだね。だって今日、4月19日だもん。あなた、10日も目を覚まさなかったんだよ。…心配しちゃった」

 笑いながら身振りだけで、怒ってます、というようなポーズをとるゆかり。それはすぐに照れ隠しとバレたようで、有里公子も控えめに微笑んでくれた。
 けれど、笑ってばかりもいられないのだ。ゆかりは有里公子が眠っている間に、彼女に伝えるべき事を整理していた。
 まず何よりも、謝らなければならない。目を閉じて一息挟み、真っ直ぐに視線を向けるゆかりに、有里公子もベッドから上体を起こして話を聞く体勢になった。

「……ごめんね。私、全然役立たずだった。私があなたを屋上に連れ出したのに、逆にあなたに助けられて。でも、そのせいであなたはずっと眠ったままで……ほんと、ごめん」
「…助けた? わたし、シャ…あの怪物にやられて気絶して、――誰かが怪物を倒して、わたしを助けてくれたんじゃ?」
「覚えてないの? あ…まさか、ひょっとしてまた記憶が…!」

 思い当たったのは、有里公子が現在進行形で記憶喪失であるという事実だ。
 彼女の記憶喪失の原因は、恐らく影時間への適性の問題。ならばその適性の進化形とも言える、ペルソナ能力を行使した後は?
 ざあっとゆかりの頭から血の気が引く。先輩たちとすら比べ物にならないほど強力だった、有里公子のペルソナ。あれだけの力を使うのに、どれほどの負担が彼女にかかった? まる10日間も眠りに就くほどの、その後遺症は。

「ね、ねえ! 自分の事、覚えてる!? 今度は名前すら忘れましたとか、そんなの無しだよ!?」
「だ…大丈夫、忘れてないから。覚えてないのは、怪物にやられてからだけ」
「ほんとに? じゃあ、私の名前は!?」
「岳羽ゆかりさん。…最初に、呼んだよね」
「あっ…そうだった。……はは、やだもう、私ってばテンパりすぎ…」

 いつもはツッコむ側のゆかりだが、今回はツッコまれてようやく我に返った。不安になるのは有里公子の方のはずなのに、自分がこんなに取り乱しては話にならない。
 とにかく、今は有里公子の言を信じて、忘れたのはシャドウとの戦いの部分だけと考えよう。彼女が知りたいと言うなら教えるのが、あの場で見ているしかできなかった自分の義務だ。
 ゆかりは、慌てて立ち上がった際に蹴倒してしまった椅子を戻す。それに座り直し、ふぅと息をついて話し始めた。


 湊は、ゆかりの口から語られた、覚えの無い己の行動に眉を寄せた。
 ゆかりが言うには、湊はあの後起き上がり、ピクシーではなく新たに強力なペルソナを発動してシャドウを倒したらしい。しかし湊にはペルソナ発動どころか、シャドウの一撃から立ち上がったという記憶さえ無い。さらに不可解なのは、現れたのがどうやらタナトスではなく、湊自身も知らないペルソナのようだという事だ。
 仮に、意識は朦朧としつつも起き上がれたとしよう。しかしペルソナ発動は、どう考えてもおかしい。
 ペルソナの発動は、“無意識”にできるようなものではない。行使するというはっきりとした意思をもって、自らの心の奥底から己ならざる己を引き上げ、それに振り回される事なく制御せねばならない。

 表層意識の制御なく発動されるペルソナ。それは、ペルソナの暴走である。
 さらに仮定を重ね、湊がペルソナを暴走させて、暴走であるゆえに通常は制御下に無い、湊自身が知らないペルソナが現れたのだとする。ならばそのペルソナが、シャドウを殲滅し終わったという都合の良いタイミングで消えたのは何故だ?
 暴走したペルソナは、使用者が完全に意識を失うまで止まらない。そしてペルソナ暴走中の使用者は、自ら意識を落とす事ができず、外部から気絶させてもらわなければならない――このあたりは、『かつて』チドリのペルソナ暴走に関して聞いた説明だ。
 つまり湊がペルソナを暴走させたのなら、シャドウを倒しただけで止まるはずがないのだ。誰かに止めてもらうか、それこそ湊自身が死ぬまで、ペルソナは新たな攻撃対象を求めて動き続ける。

「……怪物を倒してわたしの、そのペルソナっていうものは消えて、わたしも勝手に倒れたんだよね?」
「うん。いきなり、ばたんって。びっくりしたよ」

 自分の知る知識と、現実に起こった出来事が、明らかに矛盾している。
 一体これはどういう意味か。
 湊の理論が全くの間違いで、この世界においては、ペルソナの仕組みとも言うべきものが『かつて』とは異なっている、という可能性は確かに否定しきれない。だが、そんな根幹の部分から違うというのなら、最早湊は何を信じていいのかわからない。
 かと言ってゆかりの話が間違っているという事もあるまい。その場には真田が駆け付けていて、彼も目撃者だったそうだ。

 もしも湊の知識が正しく、ゆかりの言葉も嘘ではないと言うのなら。
 両者の認識の間に横たわる溝。謎のペルソナと、“無意識”での能力の行使。
 これらこそが、何らかの例外事象――“イレギュラー”であった、という結論になるだろう。
 ……そんな曖昧な結論が出たからといって、何の役にも立たないのだが。

「とにかく、あなたが覚えてなくても、私たちがあなたに助けられた事は確かだからさ。だから……ありがとうと、ごめんなさい。これだけは、ちゃんと言っておきたかったんだ」
「…覚えてないわたしが言うのもおかしいけど、そんなに気にしないで? 普段は、わたしが岳羽さんに色々助けられてるもの」
「そう、かな? …じゃあ、そういう事にさせてもらうね」

 複雑な内心が表に出て、苦笑気味になってしまったようだ。
 ゆかりは湊の困惑を察して、それ以上の話題の継続を止めてくれた。一転し、悪戯っぽい調子で重い空気を塗り替える。

「お詫びのしるしにまた買い物でも付き合おっか! 次はちゃんと、全身コーディネイトしようよ!」
「え。それはちょっと、遠慮したいな…」
「あっはは、冗談冗談! 公子がそういうの苦手なの、この前でわかったしね」
「…『公子』?」
「……あ。ごめっ、つい…えっと、………。嫌だった?」

 自分とゆかりだけの会話の中に耳慣れない名前を聞き、湊は反射的に疑問符で答えてしまった。しかしすぐに思い出す。それがこの身体の、――今の自分の名前であると。
 一方オウム返しに問われて、意識せず相手を名前で呼んだ事に気付いたゆかりは、湊の機嫌を伺うように上目遣いに訊き返す。その様子は僅かに甘えるような仕草も混じって、媚びと紙一重でありながら嫌味を感じさせない愛らしさがある。
 ゆかりのそんな態度は、湊にとってもしかすると初めて見るもので。

「……その顔は、反則っ…」
「え? 何?」
「う、ううん、何でもない。名前で呼ばれるのは、……慣れないけど、別に嫌じゃない、かも」

 実際のところ、『かつて』と『今』とで共通している苗字ではなく、名前で呼ばれるというのはやや不安ではある。さっきのように、それが自分の名前であるという自覚がまだ薄いためだ。うっかりしていると、呼ばれても気付かず無視してしまうかもしれない。
 けれどこればかりは、慣れていかなければどうしようもない。第一、断れる雰囲気ではないだろう。
 せっかくゆかりの方から、こちらへ踏み込んできてくれたのだ。
 ここで応えないのは、男ではない。……身体はまあ、確かに男ではないのだが。

「そっか。…あ、あのさ。私の事も…“ゆかり”でいいからね。女同士だし、その…仲良くしようね」
「女同士…そう、だよね。……うん。大丈夫。何にも、おかしくない。『友達』、だもんね」
「そうそう。もう友達だもん、私たち。……あっそうだ! 公子が目が覚めた事、先輩たちに伝えてこないと!」

 おかしくない、友達だから、と肯定しつつ、どこかぎこちない2人である。互いに憎からず思うがゆえに、どこまで近付いて大丈夫なのかと、適切な落し所を探っているようだ。
 先にこの妙に気恥ずかしい空気に音を上げたのは、ゆかりであった。上気した顔色を隠すようにあちらを向いて立ち上がったと思うと、湊の回復を告げに行くという言い訳を残して、足早に病室を去って行った。
 一方の湊としても、限界が近かったらしい。
 ゆかりが出て行ったのを見届けるや否や、頭まですっぽりと布団に潜り込んでじたばた身悶えし始めた。漏れ聞こえる声は「違う違うおれは美鶴一筋なんだちょっとトキメいたとかそんな事断じて無いごめん許してうああぁぁ」という具合だ。
 自室と違ってこの病室が監視されていなかったのは、幸運だったと言えるだろう。……色々な意味で。


 有里公子の病室を出たゆかりは、まだ熱い顔を少しでも冷まそうとばかりに、手で仰ぐのを繰り返していた。

「……あ~…ヤバいってこれ。絶対変に思われてるよ……でもあんな顔されたら、仕方ないよね!? 私普通だよね?」

 動揺を抑えようとはしているらしいが、考えがそのまま声に出ているあたり、全く落ち着けていないのに本人は気付いているのか。
 あんな顔――そうゆかりが評するのは、先ほど有里公子が見せた表情の事だ。
 女同士、というゆかりの言葉にハッとして、そこから確かめるように、一言ごとに区切ってゆっくりと動かされた唇。長く床に就いていたというのに瑞々しいままのそれは、ゆかりを誘うが如くに時折赤い舌を覗かせて、最後に笑みを結んだ。
 ほんのりと染まった頬に、やや斜めから流し見る視線。胸に手をあてて恥じらうような仕草まで完璧で、それでいて演技ではなく素の反応だろうというのが実に罪深い。その姿、無垢なる天使か心惑わす悪魔か――。

「いやいやいや、違うから! 目が覚めたのは公子であって、私が『目覚めちゃった』ワケじゃないから!」
「何に目覚めたんだ?」
「そりゃつまりアッチの道に――…って、ひわっ!? き、桐条先輩!!」

 ゆかりは大仰にのけぞって、勢い良く後退すると背中からぴたりと廊下の壁に張り付いた。
 いつの間に来たのだろう。気付けばゆかりの苦手とする、麗しき同性の先輩が正面にいて、挙動不審な彼女を眺めていた。
 心臓に悪い出来事が立て続けだ。ゆかりは治まらない動悸に息を切らしつつ、美鶴に挨拶を返す。

「お、おは、おはようございます先輩。せせ先輩も公子のお見舞いですよね!?」
「おはよう。そのつもりで来たが……大丈夫か? 随分と顔が赤いようだが…」
「何でもないです! すごく! 健康です!! …そうだ先輩、公子やっと起きたみたいですから! 色々話してあげてください! じゃっ私はこれで! さようなら!!」
「あ、ああ…またな、岳羽」

 美鶴の返事を待つ事無く、ゆかりは踵を返して逃げ出した。病院なので脱兎の勢いとはいかないが、競歩さながらの速度だ。
 角を曲がり、階段を下りて、外来受付のある1階ロビーまで来たあたりで、ようやく頭が冷えてきた。
 外へ出る前に少しだけ、と長椅子に腰を降ろして休息を取る。
 そうして思い返すのは、有里公子との会話だ。あの微妙すぎる空気になる前の、謝罪と感謝について。

 ――結局、伝えなければと思っていた事の半分も言えなかった。
 ゆかりが謝りたかったのは、屋上で何もできなかった事だけではない。もう1つ、いや、2つか。本当はあの場で、有里公子に洗い浚い話すつもりだったのだ。

 まずは、3日間に及んだ監視という名のプライバシー侵害行為について。
 影時間の脅威からの保護を名目にした、有里公子の監視にはゆかりも監視者の1人として携わっていた。その際に監視対象の情報として、有里公子本人が忘れている部分まで含め、彼女の過去を一方的に知る事となってしまったのである。
 乙女の秘密を勝手に覗くだなんて、もしゆかりが彼女の立場であったら憤るのは間違いないだろう。いずれ次の機会には、必ず話して謝る事にする。そして代わりになるかわからないが、彼女には自分の過去を教える。それで何とか、チャラにしてもらおう。

 監視の件については決まりとして、問題はもう1つの方。勢いで話すつもりであったが、よく考えると黙っていた方がいい気もする。
 これはさっきのように資料として記されていたものでなく、恐らく有里公子という人間の根幹に根ざすものについてであるからだ。互いに友と呼び合ったと言えど、まだ付き合いの浅い自分などが口にするのも不快にさせるかもしれない。

 脳裏をよぎるのは、あの屋上での一幕。ゆかりが有里公子を背後に庇って――もっとも、その後シャドウはゆかりを通り越す軌道で直接彼女を狙い剣を投げたので、庇えていたとは言い難い――シャドウと対峙していた時。
 戦闘開始からずっと沈黙していた有里公子は、唐突に早口で何かをまくしたて始めた。うわ言のような、どこか現実から乖離したようなその内容は、印象的な部分だけが幾つか聞き取れた。
 曰く、「愛してる」「死にたくない」「まだ一緒に生きていたい」……そして、「ミツル」という人名。
 人名の方は、たまたま美鶴の名と同じ読みをあてる、別人の男性という可能性が考えられる。それは置いておくとしても、他の部分に関しても軽々しく踏み込める内容ではないだろう。
 想像でしかないが、有里公子自身の忘れた過去の中には強く想う相手がいて、その感情が命の危機に瀕した事で一時的に蘇ったのではなかろうか。そして、それが彼女のペルソナ能力の覚醒のきっかけとなった。
 彼女が今も、その相手の記憶を忘れたままなのかはわからない。けれど忘れているのなら、それが大切な存在であるほど、他人であるゆかりに教えられて知るというのは、ショックなのではないだろうか。
 本当に大切な記憶なら、誰に教えられるでもなく、いずれ自ら取り戻せるはず。
 ゆかりはそう結論を出し、これに関しては自分1人の胸のうちにしまっておく事にした。

 長々と考え事をするうちに、すっかり呼吸も落ち着いていつもの自分に戻れたようだ。
 ロビーには外来患者の姿も、ちらほらと目立つようになってきた。そろそろ寮へ戻るとしよう。
 医師の診断次第だが、あの調子ならきっと有里公子も今日明日中に退院の運びとなるだろう。
 彼女が帰ってきたなら、退院祝いと称して2人でお茶でも飲みながら話そうか。心残りは早めに片付けてしまうに限るのだ。
 お茶請けの菓子をどこで買おうかなどと思いながら、ゆかりは病院の玄関を出たのだった。


 時を少々戻し、有里公子の病室の前。明らかにおかしな様子で去るゆかりを、唖然と見送った美鶴。
 声を掛けるべきではなかったのか? 美鶴にはゆかりの、目覚めるとかアッチの道といった言葉の意味はわからなかったが、何となくそっとしておくのが正しかったような気がしてきた。今さらではあるが。
 肩をすくめて、些末な疑問を振り払う。それよりも有里公子だ。意識が戻ったというなら、よく話をしなければ。

「有里。桐条だ、入るぞ」
「――はい」

 病室の扉をノックして名乗ると、ややあって小さく答えが返された。
 美鶴は室内へと進んだ。窓際のベッドには、布団から有里公子の頭の先だけが覗いている。

「目が覚めたと聞いたが…どうした。気分が優れないのか?」
「いえっ、すみません、ちょっとだけ…待ってください」

 有里公子はそれきりしばらく沈黙した。さっきのゆかりといい、何なのだろう。
 美鶴は首を傾げたが、彼女のために作った時間は、まだしばらくある。待ってほしいと言うのなら大人しく待っていよう。
 それに、有里公子の「ちょっとだけ」は長くはかからなかった。数回深く息を吸うのが聞こえて、やがてのろのろとだが布団から這い出してくる。美鶴は彼女がベッドを降りようとするのを「そのままで構わない」と制した。会話は可能な状態のようだが、やはり医師の診察が終わるまでは安静にさせた方がいいだろう。少し顔も赤いようであるし。

「おはよう。見舞いのつもりで来たんだが、意識が戻って何よりだ。体調はどうだ?」
「おはようございます。特に問題は無いです」
「そうか。まあ、この後の診察で医師の許可が出れば、すぐに退院できるさ。…その前に少し話そうか。色々と気になっている事もあるだろうしな。岳羽からは聞いたか?」
「ある程度は。あの怪物がシャドウって呼ぶものだとか、わたしや…ゆかりから出てきたのがペルソナっていうものだって事。それからわたしは覚えてないですけど、わたしの2つ目のペルソナが、シャドウを倒したと――」

 そう言い掛けて、考え込むように視線を手元に落とした有里公子の声が、不自然に凍った。その表情は何かありえないものを見たかの如く呆然と一点を見つめている。美鶴が「どうかしたか」と問うのも、聞こえていない様子だ。
 震える右手を、ゆっくりと目の前に持ち上げる有里公子。だが、美鶴から見たその手には、どこも異常は見当たらない。

「君の右手に、何かあるのか?」
「……先輩には、見えないんですか。この、痣」
「痣? …いや、私には至って普通の、綺麗な手に見えるが」

 美鶴の言葉に、納得したのだろうか。有里公子は「そうですか」と呟くと目を閉じて、掲げた右手を強く握り込んだ。あまりに強く握っているように見えたので、美鶴は爪の跡が付くぞと声を掛ける。
 間もなく有里公子はぱっと手を開き、もう片手で隠すようにしながら、明らかに強張った笑みを浮かべた。

「……すみません、何でもないんです。屋上での事で、少し精神的に過敏になってるんだと思います」
「…大丈夫なのか?」
「今日一日ゆっくり過ごせば、元通りですよ。ご心配お掛けしました」
「………。そうか。なら今は詳しい説明はしないでおこう。何か気の紛れる話題はあったかな。私はどうも世間話というのが苦手でな」

 有里公子が追求を拒絶しているため、美鶴はこれ以上触れずにそっとしておく事にした。
 他に話す事と言っても特に無いのだが、見舞いに来て相手の様子をおかしくさせただけで帰るというのはいかがなものかと思う。
 無難なネタとして本の好みについて振ってみると、意外に両者の守備範囲がかぶっているのが明らかになり、注目している作者の新作についてなど、時間を忘れて楽しく話し込んだのだった。

 やがて診察の時間だとやって来た看護士によって、有意義な一時は終わった。
 美鶴が有里公子の顔を見れば、すっかり色を取り戻している。彼女が自身で言った通り、先ほどのは一時的な錯覚だったのだろう。
 この後のスケジュールを思い出し、美鶴はそこで暇を告げた。
 有里公子専用の召喚器が仕上がったとラボから連絡があったので、美鶴自身で確認し、引き取りに行かねばならない。
 明日こそは皆を交えて、有里公子に対する説明と、“特別課外活動部”への勧誘を行うつもりだった。


 時間は瞬く間に過ぎて行く。――『時は、待たない』のだ。
 湊は10日ぶりとなる自室のベッドに身を沈め、改めて今日の出来事を回想していた。
 目を覚ます前、ベルベットルームでイゴールから聞いた話は、珍しくほぼ完全な記憶として残っていた。

 湊はイゴールに、何故自分の初期ペルソナが愚者オルフェウスではなく恋愛ピクシーであったのかと訊いた。その答えは、今の湊の心に最も近いアルカナが恋愛であるからというものだった。
 恋愛のアルカナが意味するのは、正位置では、合一、恋愛、自立、選択。また逆位置では、誘惑、迷い、優柔不断など。
 このパラレルワールドと思われる世界で唯一湊を突き動かす、美鶴への止めようのない恋情。それが形を成したものが恋愛ピクシーというペルソナならば、召喚器無しで簡単に手が届いたのも頷ける話だった。

 だが湊が衝撃を受けたのは、そこから派生したイゴールの別の言葉だ。
 愚者のアルカナは、自由、好奇心、無知ゆえのあらゆる可能性。何者でもなく、何にでもなれる存在。しかし今の湊は、何も知らぬ無垢なる赤子ではない。既に自身の自我を確立し、己だけのものを選び取り、『自分が何者であるか、名乗る事ができる』――最後の一節だけは妙に強調されていたが、湊にはどうでもよかった。
 つまりそれは、湊が愚者ワイルドとしての資格を失った、という意味なのだから。
 湊のペルソナ使いとしての強みは、ひとえにワイルドとしての複数のペルソナを扱えるという特性によっていた。それが無くなれば、ピクシーのみが自分のペルソナだとしたら、後には成長の遅さなどの不利な要素しか残っていない。
 これでは、仲間たちの足手纏いになるだけだ。ニュクス打倒どころか、次の満月シャドウとの対決すら覚束無い。
 絶望的な想像に頭を抱えた湊に、イゴールはさらなる説明をした。『かつて』では聞いた事の無い、“契約”の詳細を。

 イゴールは言った。『我、自ら選び取りしいかなる結末も受け入れん』――それは単なる宣言ではない。“契約”によって湊が負う事となる、たった1つの“代価”であるのだと。
 契約とは、己と他者の間に結ばれるものである。そしてそこには必ず、何らかの代価と報酬が存在する。
 湊の『かつて』の“契約”は、望月綾時と名を変えたファルロスが提示する、ある選択肢だけのために交わされた約束だった。しかし今回の、2度目の“契約”はそうではない。ファルロスはあくまでも仲介しただけで、本当の契約相手――『契約主』は、別にいるのだという。
 湊は思わず「何だその悪徳商法」とツッコまずにいられなかったが、イゴールの話では『昔』は契約書さえ無く、口頭での曖昧な説明だけだったそうだ。ちなみにクーリングオフは効かない。
 ファルロスがどこまで知っていたかについては、追求しても仕方が無い事だろう。結局、あの場でよく確かめもせずホイホイと署名してしまったのは自分なのだから。『かつて』たなか社長に計4万円を払った時もそうだが、これこそ自己責任だ。
 釈然としない思いを抱えながら聞いた“報酬”についての説明は、以下のようになる。

 本来ペルソナとは、他者と接する際に身に着ける心の仮面という意味がある。嫌いな相手に対しての冷ややかな態度と、恋人に見せる甘い顔とでは異なるように。だから心の仮面は、複数存在するのが普通なのである。
 実体化した他者の悪意シャドウから自身の心を守るための、心の仮面ペルソナを具現化する力。それがペルソナ能力の定義である。そして心の仮面が複数あるのなら、具現化されるペルソナの種類も複数であっておかしくない。
 イゴール曰くの『契約主』は、契約者にペルソナ能力を与え、その発現と成長をある程度補佐する。加護を与えると言ってもいい。
 ニュクスの封印のために命も力も何もかも使い果たした湊は、2度目の“契約”の“報酬”としてまたペルソナ能力を得た。
 愚者ワイルドではないが、『契約主』の加護により、複数のペルソナを扱う事ができる力。ただし、湊自身の確立された自我と、個々のペルソナが象徴する性質とには相性が存在するため、主にアルカナによって発動しやすいもの、そうでないものとに分けられる。
 多少不便になった部分もあるが、戦闘においては極端に『かつて』と見劣りするような事にはならない。
 イゴールの話を最後まで聞いて、湊はそう結論付けた。

「――…はあ」

 ため息が口をつく。わからない事はまだたくさんあるのだ。
 仰向けに寝転んだまま、右手を顔の上へと持ち上げて観察する。
 ――右手首に浮かぶ、奇妙な痣。こんなものは、あの時屋上で意識を失うまでは存在しなかった。まるで誰かが自分の手首を掴んでいるような、気味の悪い形で染み付いている。しかもそれは美鶴やゆかりには見えない、自分だけが認識しているものなのだ。
 痛みは無いが、見ていると不安が湧き上がってくるような、どうにも不吉な代物である。

 不安と言えば、この先の事も不安だらけだ。
 相談すべき相手など、もとよりいない。『かつて』何故あれほど肝を据えていられたのかと思えば、それはやはり己が無知であり、何に対しても「どうでもいい」と、ある意味全てを受け止める姿勢でいたからなのだろう。
 だが、今の湊は無知ではなく、『知っている』からこそ恐れる。
 そして恐れを知るからこそ、ただ結末を待つのではなく、自分から新たな道を探そうと思える。
 桐条美鶴を愛している今の自分が、この世界で何を目的に生きるのか。そのための手段として、何をすればいいのか。

「おれは――選択する」

 それはこの世界への宣言だった。
 揺らいでいた心は、いつしか静かに昂っていた。まるで影時間、敵を前にした時のように。
 愚者ではなく恋愛が、この世界での己の始まりのペルソナというのなら。恋愛のアルカナに相応しく、自立した己の意思により、未来を選び取ろうではないか。
 これからも何度も迷うだろう。時に決断を後悔し、楽な方に流れたいという誘惑に駆られるかもしれない。
 けれど知恵の実を口にした人は、楽園に回帰する事は叶わない。『知って』しまった以上、もう愚者には戻れないのだから。旅を続け、いつか己の辿り着く“答え”を探し求めるのだ。
 1度は辿り着いた“答え”を否定してしまった湊。ユニバースによって世界を守り、けれど自らの死を後悔で締め括ってしまった。
 そんな湊がもう1度ユニバースを、奇跡を求めるのなら、今度こそ決して後悔しない“答え”を見つけ出すしかない。
 見つかるのだろうか。いや、必ず見つけてみせる。
 湊は、決意とともに拳を握った。


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