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No.18189の一覧
[0] 【ネタ・習作】P3P女主←無印P3男主憑依であれこれ【TS逆行憑依捏造】[みかんまみれ](2010/06/20 16:18)
[1] ●第一回●[みかんまみれ](2010/04/18 01:56)
[2] ●第二回●[みかんまみれ](2010/04/18 12:09)
[3] ●第三回●[みかんまみれ](2010/04/24 14:48)
[4] ●第四回●[みかんまみれ](2010/05/01 19:48)
[5] ●第五回● 4月21日~タルタロス初探索~[みかんまみれ](2010/06/05 21:00)
[6] ●第六回● 4月22日~“魔術師”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/06/05 21:09)
[7] ●第七回● 4月23日~『かつて』からの贈り物~[みかんまみれ](2010/05/29 22:03)
[8] ●第八回● 4月24日~“戦車”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/05/29 23:18)
[9] ●第九回● 4月27日~『噂』が呼ぶ悪意~[みかんまみれ](2010/06/20 15:59)
[10] ●第十回● 4月28日~“恋愛”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/07/17 00:39)
[11] 蛇足もろもろ[みかんまみれ](2010/07/17 00:51)
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[18189] ●第三回●
Name: みかんまみれ◆4e5a10fb ID:809f8e81 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/04/24 14:48
「ようこそ、“ベルベットルーム”へ。私の名は――」
「久しぶり、イゴール。相変わらずの鼻だね」

 相手の名乗りを遮って先にそう呼び掛けると、『相変わらずの鼻』の主はギョロリとした目を数度瞬かせた。
 湊がこんな失礼な物言いをしたのはちょっとした意趣返しのつもりだったのだが、これは宛が外れただろうか。
 ため息をついて「ごめん。何でもないんだ」と謝る湊を、イゴールは興味深そうに観察していた。

 湊は夢の中で、ベルベットルームに招かれていた。
 青一色に統一された内装は『かつて』と寸分違わぬ様子だ。その中でただ1つの相違点は、イゴールと相対して座る湊本人の身体が、有里公子のものである事だった。
 夢と現実、精神と物質の狭間であるこの場所においてすら、自分の身体は女のまま。そして僅かに期待していた、自分の陥っている状況に付いて説明できそうな人物も、何も知らないようである。
 これでは気分も落ち込もうというものだ。

「フム……『久しぶり』とは、興味深い。どうやら貴方は、私の事も、このベルベットルームについても、既にご存知のようですな」
「でもイゴールは、おれと会った事は無い、って言うんだよな」
「その通り。実に不思議な話です。不肖このイゴール、これまでにお会いしたお客人の顔は、1つたりとも忘れておりません。しかし私の記憶では、貴方がここを訪れた事は無いはずなのです」

 イゴールはそう言うと、テーブルの上に置かれた革表紙の冊子に手をかざす。直接触れる事なくめくられてゆくページが、ある場所で止まった。金の蝶の意匠が描かれたそのページには、2つの名前が並んで記されている。

「ほう、これは……。失礼、私とした事が、見誤っていたようですな」
「何を?」
「それを私の口から申し上げる事はできません。ですが時が満ちれば、いずれ『貴方がた』はご自分で答えに辿りつかれましょう」

 面白そうに告げるイゴールは、この疑問についてはもう答えるつもりはないようだ。湊が肩をすくめると、笑って次の話題に移る。

「フフフ。さて、改めてのご説明は必要ですかな? “契約”の内容について確認されますか?」
「いや、いい。自分が選択した事に相応の責任を持つ、だろ。おれが“ワイルド”で、複数のペルソナを扱えるのは変わってない?」
「それもまた、すぐにおわかりになられるかと」

 はぐらかされてばかりだ。不満を込めて、湊は再度、特大のため息をもらした。

「名残惜しいですが、今宵はもう時間切れのようですな。次の機会を楽しみにお待ちしております」
「次はもう少し、質問に答えてくれると嬉しい。そういえば、“鍵”は?」
「“契約者の鍵”ならそこに、既に貴方がお持ちと見えますぞ」

 湊はイゴールの指先が示すところ、自分の制服のポケットを探ってみた。手に触れたものを取り出すと、確かにそれは、『かつて』自分が渡された“契約者の鍵”だった。金属ともガラスとも似た物質で作られた、真っ青な鍵。
 これがあると言う事は、“契約”は2度目でも、鍵は1度目のものがそのまま使えるらしい。

「では、またお会いする時まで――ごきげんよう」

 イゴールの宣言とともに、湊の意識は急速に沈んでいった。


 小鳥のさえずりに目を覚ませば、「ベルベットルームの夢を見た」という感覚が残っていた。
 内容をよく覚えていないのは『かつて』と同じだが、何となくもやっとした気分なので、有意義な会談ではなかったようだ。
 軽く頭を振って気持ちを切り替え、カレンダーに目をやった。
 今日は4月9日、――最初の満月のシャドウが寮に攻めてくる日だ。同時に、自分が初めてペルソナを発動した日。

 そこで湊は、1つの不安に駆られた。
 今の自分は、ペルソナを出せるのだろうか?

 戦いに臨むにあたって、現在の自分の能力を把握しておく事は重要である。
 身体の動きに関しては、少しではあるが、体育の授業で感覚を掴めた。やはり男の時と比べるとパワーが足りないし、まだこの身体事態の基礎体力が低いのが難だ。とはいえ、全く戦えないほどではなさそうである。
 一方のペルソナ能力においては、召喚器が無いので、試す事ができなかった。ユニバースでニュクスを封印した時は召喚器無しでやったが、あれは例外としておく。
 一応、召喚器はあくまでもペルソナ発動を補助するための器具で、無くてもペルソナを召喚する事はできるらしい。しかし召喚器の補助なしでのペルソナ発動は、本人の精神に多大な負担を強いるのだとも聞いた。

 確かめようかとも思ったが、かつて最初にペルソナを発動した直後、自分は精神疲労で1週間もの間昏睡している。それを思うと、今夜の満月シャドウ襲撃を前に、倒れてしまうかもしれないリスクは冒せなかった。
 そのくらいなら、かつてをなぞり、出たとこ勝負で打って出る方がまだましだ。1度はできたのだから、今度だって大丈夫なはず。
 湊はそう楽観視して、考えるのをやめた。
 それから悲愴な表情で洗面台を見つめ、そんな事よりも余程差し迫った難題――目下の毎朝の課題である、化粧を含む『女の子』の身支度に挑むのだった。ゆかりがやけに張り切って指導してくれるので、「どうでもいい」と手を抜くと大変な目に遭うのは昨日で身に染みていた。


 登校から寮への帰宅まで、実に平穏であった。
 湊はほんの3ヶ月ほど前までの、ニュクス打倒を目指してまさしく生き急いでいた日々を遠く感じた。
 それに比して、昨日も今日も、周囲に流されるままにあまりに漫然と過ごしてしまっている。影時間は依然としてここに存在し、世界は滅びへのカウントダウンを始めようとしているのに。
 いずれ訪れる危機を知っている。けれど積極的に行動を起こす意欲が湧かないのは、何をすればいいのか、自分が何をしたいのかわからないからだ。1度死んだ事で投げ遣りになっているというよりは、これは湊の元の性格自体が受動的であるせいだろう。

 唯一自分から動こうとするのは、美鶴の事。死の間際に感じた強い恋着の情が、『かつて』と『今』の区別なく桐条美鶴という存在に対しての執着として働いている。
 それ以外だと、衝動的な行動が1度だけ。荒垣を見つけて、無意識に捕まえてしまった時の事だ。
 まるで自分以外の『自分』の意思で、手を伸ばしてしまったかのようだった。
 少し気になるが、既に同族嫌悪として片付けた件なのでこれは考えなくていいだろう。

 夜になってラウンジへ下りていくと、美鶴がソファで読書をしていた。
 やはり条件反射のように足はそちらへ向いてしまう。これはもう止めようとするだけ無駄だ。
 美鶴には自分と過ごした記憶など無いのだから、重ねてはいけない。何度そう己を戒めてみても、姿を見かければふらふらと近寄っていってしまうこの身は本当にどうしようもない。感情のままに動くのを抑えるべき、精神が弱くなっているのかもしれない。
 そろそろ美鶴にも、湊が彼女に対して何らかの好意を持っている、というくらいは勘付かれているだろう。それでも笑顔で対応してもらえる事に、おかしな期待をしてしまう。

「どうした? そんなところで立っているよりは、こちらへ掛けて休むといい」
「……はい」

 今の自分を傍目から見ると、生徒会室の近くでいつも美鶴への憧れを声高に叫んでいた、あの女生徒と同類になるのかもしれない。
 ……それはちょっと、嫌だ。湊は少し凹んだ。

「今夜は月が綺麗だな」
「――っ、……み…先輩、……それ、せめて男の前では言わないでください」
「うん? …ああ、夏目漱石か。君もなかなか博識だな」

 夏目漱石は、“I love you”を「月が綺麗ですね」と訳したそうだ。
 美鶴は湊の発言の意味を正確に読み取ったが、冗談と思ったのだろう。それとも、本気であってもうまくかわせるつもりか。
 楽しそうに笑って流されると、どちらなのかわからない。

「私は頭のいい人間は好きだぞ」

 訂正。やはり全部見透かしての挑発のようだ。
 有用と思われる人材を留め置くために、自身をエサにする気だろうか。残念ながら湊は速攻で釣られる自信がある。
 幼い頃から帝王学を学んできた美鶴と、所詮一般人の自分では、こうした駆け引きは分が悪い。
 もし自分に有利な材料を探すとするなら、それは。
 自分だけが知っている、決定的な情報は――

「………。なら、頑張って勉強することにします」
「フフ、良い心掛けだ」

 可能な限り自然な笑顔を作って、美鶴に好かれたくて勉学に励むという、さも単純な結論に至ったと見せかける。
 そのまま立ち上がり、おやすみの挨拶を告げて自室へと引っ込んだ。部屋の中に入り、後ろ手に鍵をかけて。そうして湊は、その場にへたりと座り込んだ。

 ――さっき、自分は何を考えた?
 自分だけが知る情報。それは、この時点から見て『未来』にあたる時に、何が起こるかというもの。
 そして何より、『かつて』の美鶴が苦しみながらも話してくれた、彼女の本心。父親に笑顔を取り戻したいという願いのために、奇麗事とわかっている言葉で皆を戦いに駆り立てた事。罪悪感を抱えながら、それでも何より大切だったのは父親の存在であった事。
 ……自分はそれを、口にしようとした。
 自分に駒として以上の関心を持たない『今』の美鶴の気を引くためだけに。過去に遡ったという反則に頼り、自分の力ではないものによって彼女を振り向かせようとしたのだ!
 それはあまりにも酷い裏切りで、侮辱ではないか!!
 自分を愛してくれた『かつて』の彼女への、そして己の願いのために必死に足掻いている『今』の彼女に対しても!

 湊は両手で顔を隠し、苦しげに天を仰いだ。懺悔だったのかもしれない。
 自分の中で荒れ狂う激情が静まるまで、数分もそうしていただろうか。ようやく立ち上がった湊は、まだ覚束無い足取りのまま、ふらふらとベッドに倒れこんだ。うつ伏せに倒れたまま、じっと動かなくなる。
 やがて影時間が訪れるまで、湊はひたすら自己嫌悪にとらわれていた。


 美鶴は作戦室のコンソールデッキを前に、画面に映った1つの部屋の中を見つめていた。
 それは2日前の夜から始まった、とある寮生の影時間における動向を調べるための監視だった。
 対象となる少女の名は、有里公子。学生寮の部屋割りが決まらずに、『偶然』この寮へと一時的に配属される事になった転校生。

 画面の端にある、現在時刻の表示を確かめた。もう残り2、3分で影時間になる。
 今夜の少女は、美鶴が監視に入った時からずっと、同じ体勢でベッドに突っ伏していた。寝返りも打たないので、眠っているわけではないようだ。だらけているというよりも、何かを拒んでじっと息を殺しているような、奇妙な静けさがある。
 少女のそんな姿は、美鶴が影時間以外もそれとなく様子を窺っていたこの3日間で、初めて見るものだった。
 彼女が自室に戻る前、自分と話していた時までは普通だったのだ。なら自分との会話の中に、何か原因となるものがあっただろうか?
 美鶴が思索に浸ろうとした時、ちょうど扉の開く音がして、新たな人物が作戦室へと入ってきた。

「やあやあ、お疲れ様。“彼女”の様子はどうだい?」
「こんばんは、理事長。……今夜は少し、彼女は疲れているようです」
「フム、3日目にして転校疲れかな? ああ、そういえば岳羽くんが、学校帰りに一緒にウィンドウショッピングしたそうだよ。女性の買い物と言うのは実に長いからね――ゴホンッ、いやいや。僕の意見じゃなく、一般論だよこれは」

 横へと歩み寄った幾月――月光館学園理事長にして、“特別課外活動部”顧問である――へ、美鶴は現在までの監視状況を報告した。
 少女の状態を単なる疲れと伝えたのは、先の美鶴の感想があくまでも主観的な印象にしか過ぎないからである。
 普通に考えれば、幾月の言った通り充分な要因もあったのだし、疲労して休んでいるだけに見えるだろう。

 有里公子の監視は、幾月が言い出した事だった。適性に目覚めて間もなく、記憶喪失の症状を抱えた不安定な彼女を、影時間の危険から保護するためにと。
 だが美鶴から見て、幾月は何かそれ以外の理由を持って、彼女を『観察』しているように思えた。
 まさかこの歳の離れた少女に対して、よからぬ欲を抱いているような事はあるまいが――

「僕の顔に何か付いてるかい? 桐条くん」
「は。いえ、すみません。何でもありません理事長」
「なぁに、誤魔化すことはないさ。ごまかす…ゴマ…そう、僕の顔に付いてるからね! ゴマ!」
「………」

 見れば確かに、わくわくとこちらの反応を待つ幾月の頬に、胡麻と思われる白と黒の小さな粒が貼り付いている。
 いつもの悪癖だ。これさえ無ければ、もう少しこの男の評価を上げてもいいのだが。
 美鶴は無言で幾月の顔から視線をそらした。ちょっと『可哀相なものを見る目』になっていたかもしれない。
 ――僅かに芽吹きかけていた疑惑の種は、日の目を見る事なく美鶴の深層心理へ埋没した。

 画面の端で、秒読みが進む。3、2、1…
 ……作戦室の照明が落ちた。窓から見えていた街の明かりが一斉に消え、黄色い大きな満月が唯一の光源となる。
 世界は暗緑色に沈んでいる。何度体験しても、重く圧し掛かるようなこの空気。
 影時間が、訪れた。


 湊はゆっくりとベッドから身を起こした。
 空気の色が変わったのを、肌で感じる。同時に冴えてゆく思考。
 自分を責めて満足しているような、無意味な時の浪費はここまで。ここからは――戦いの時間だ。

「ねえ、起きてる!? ……ごめん、勝手に入るよ!」

 返事をする暇もなく、合鍵で部屋に入ってきたゆかりに、白々しく「何が起こってるの」と問う。
 既に満月シャドウの襲撃による、寮を揺らすほどの衝撃が何度か襲っていた。
 その先は『かつて』と同じ。説明している時間は無いと急かされ、念のためにと武器を渡されて共に階下へ向かった。
 違いと言えば、かつては渡された武器が小剣であったのに対して、今回は薙刀である事くらいだ。男の頃でも使った事の無い武器で、この身体で振り回せるかやや不安だが、重量はそれほどでもないし、どうにかなるだろう。

 1階へ下りて、キッチン脇にある裏口へ向かう2人。
 今まさに扉に手を掛けて外へ、というところで、ゆかりの持つ通信機へと警告が送られた。
 ――襲撃者たるシャドウは複数。寮正門にいるのは雑魚で、本命はどこか別の場所にいる、と。

「何ですかそれ、じゃあどうしろって――っきゃ!?」

 タイミングを計ったかのように、裏口の扉が外から荒々しく叩かれた。重いものを何度も打ちつけるような、ドンドンという音。
 短く悲鳴を上げたゆかりは焦りの表情で「退却!」と叫ぶと、湊の腕を掴んでさっき下りてきた階段を逆戻りし始めた。
 しかし、2階もやはり既に敵の手が回ろうとしていた。窓ガラスが割られ、にじり寄る影の気配が次第に強まる。
 さらに上階へと逃げるが、こうなれば3階とて同じ事だろう。
 ゆかりが見つけた唯一の安全地帯は、非常扉を開けた先の屋上だった。
 そここそが今夜最大の脅威との対決の場であると、湊は知っていたが、何も言わずゆかりの後を追った。

「ハァッ、ハッ――よ、よし。ここなら…」

 遮るものの無い屋上からは、巨大な満月が余すところなく見てとれる。
 出てきた非常扉へ鍵を掛けて一息ついたゆかりを置いて、湊は屋上階中央付近へと足を進めた。
 悪意に満ちた囁きに包囲されるような、ざわざわとした感触が迫ってくる。


 通信機への、再度の警告。既に手遅れであるそれを受け、ゆかりはようやく連れてきた少女が自分から離れた場所にいるのに気付いた。
 呼び戻そうと口を開いて、けれどその言葉は、声になる事なく喉の奥で凍りつく。
 ――月の方角を向いて立ち尽くす少女の背中越し。下から湧き出すかのように現れる、おぞましい異形の影を見て。
 それこそは寮の外壁をよじ登ってきた今夜の『本命』で、伸び上がった大きさは、空の月をこちらの視界から覆い隠すほどであった。

「うそ…何、あれ……あ、あんなの、どうすれば…」

 かたかたと震えだす脚は、後ろへ下がろうとするのを抑えるだけで精一杯。
 対峙するだけで、本能的な嫌悪と恐怖で心が塗り潰されてゆく。わかるのだ、アレは『そういうもの』だと。
 あんなものと、戦えと言うのか。そこまでしなければ、自分の望みは叶わないのか。
 葛藤するゆかりは眼前の事象への対応が遅れ、その己の躊躇が引き起こした1つの結果を目にする事となる。
 異形の攻撃を受け、ゆかりの足元近くまで撥ね飛ばされてきた小柄な身体。
 何も知らぬままに巻き込まれた少女。有里公子は、傷付いてもなお立ち上がろうとしていた。


 受身の態勢から身を起こしながら、湊は切れた唇をぐいとぬぐった。
 やはり今の自分のレベルで、この“魔術師”の満月シャドウを倒すのは不可能だ。ただ1度切り結んだだけで、充分に理解できた。
 まともに戦った印象が無かったせいで侮ったか。よく考えれば、当時の自分たちよりずっと戦闘経験のあった真田の、あばらを折った相手なのである。タナトスファルロスに出てきてもらうほかに、対策は無いだろう。
 それにはまず自分がペルソナを発動させなければならないのだが――。

「私が…私が、やらなきゃ」

 湊は、自分を庇うように前に進み出たゆかりの背を見守る。彼女の手には既に、抜き放たれた召喚器があった。
 警戒してか、満月シャドウは様子見するようにこちらへ近付くのを止めている。召喚器を持つ者がペルソナ使いで、自身を多少なりとも害し得るものであると、理解しているのかもしれない。
 ゆかりは召喚器の銃口を己が額に突き付け、震えるその手をもう片手で無理やりに押さえ込んで――引き金を引いた。

 湊の記憶では、『かつて』ゆかりはこの場でまともにペルソナを発動できなかった。幾度引き金を引いても、攻撃にすらなっていない微かな風の波が床を滑ってゆくだけだった。
 だが、目の前で繰り広げられる光景はどうだろう。ゆかりの頭の上に浮かぶ、牛の頭部を模する台座に繋がれた女性の姿は、確かに。

「……できた? これが、私の“ペルソナ”……」

 ……『今』のゆかりは間違いなく、己のペルソナを発動して見せたのだ。
 それは本来なら喜ばしい事だろう。圧倒的な敵を前にして、対抗するための力は少しでも多い方がいい。
 けれど湊の胸に去来したのは不安だった。『かつて』とは異なる展開となる事で、自分の知る唯一の対抗手段が、使えなくなるかもしれない、という。

「わかるよ、どうすればいいか…私の力、私の――魔法!」

 己との対話を終えて、きっ、と敵を見据えるゆかり。
 微動だにしない満月シャドウへ向けて、ゆかりの疾風魔法“ガル”が放たれた。魔法は一直線にシャドウへ突き刺さり、その表皮を浅く切り裂いて――そして、それだけだった。
 シャドウは身じろぎし、さらなる追撃が来ない事に、こちらを嘲るように腕をくねらせた。何本もの腕の先に握られた剣同士が、ぶつかり合ってチンチンと音を立てる。
 全く効いていないわけではない。が、満月シャドウにとってはあまりに軽い攻撃だろう。
 やはり、現在の自分たちではレベルが違いすぎるのだ。

 ゆかりは彼我の実力差に呆然としていたが、逃亡という選択肢は無いと見える。今背を向けたらたちまち距離を詰められてやられると、その程度は判断できる冷静さを残しているようだ。再び召喚器を額に向けた。
 湊は、覚悟を決めた。今のゆかりが召喚器を手放す事はないし、そうである以上は、召喚器無しでのペルソナ発動を行うしかない。
 できるできないでなく、やるしかない。この時点で“魔術師”の満月シャドウから生き残るには、それ以外無いのだ。タナトスが出てきたのは、あくまで湊のペルソナ発動が呼び水となっての結果なのだから。

 目を閉じて、己の内面深くへと意識を向ける。
 外界の事象を忘却し、ひたすらに己の存在の芯を見つめる。もう1人の自分、秘められし己の本性。
 意外にも、さしたる苦労も無くこれだと思うものに触れる事ができた。後はそれを表まで引きずり出せば、他者の悪意シャドウから自身を守るペルソナとして具現化されるはずだ。
 召喚器を使わないというのは、リスクが大きい。極めて高い集中力が必要で、そして一瞬とはいえ、理性も何も無い丸裸の情動に自身の制御を明け渡す事となる。制御を取り戻す事ができなければ、ペルソナの暴走という結果が待っているのだ。
 召喚器はその一瞬を、銃で自らの頭を打ち抜くという、死を想起させる刹那のイメージで固定している。つまり自分が本当は死んでいないと自覚できた瞬間に、自身の制御権は表層意識へと戻ってくる。これにより容易に、具現化したペルソナの力のみを、安定して行使する事ができるのだ。

 湊は自身の頭上にペルソナが出現したのを、鈍った感覚で捉えた。
 それからじりじりと意識の層を這い上がり、再び身体の制御を取り戻す。一瞬とはいかず、その間に情動のまま何事かを口走ったような気がするが、今は考えるのは後だ。
 目を開けて、己のペルソナを見上げる。視界に入った、その姿は――

「……愚者オルフェウスじゃない? …恋愛ピクシー!?」

 驚愕する暇もあらばこそ。
 迫る殺意に、直感を頼りに左へと跳んだ。直後、自分のいたあたりの床からカキンという音がした。恐らく、シャドウの投げた剣が床にぶつかって弾かれたのだろう。
 ペルソナを発動させたのに何もしてこない湊を、御しやすしと見たか。シャドウはゆかりを置いておき、湊を先に潰す事にしたようだった。続く攻撃が、さらに湊を襲う。
 避けるだけで精一杯で、反撃に移る余裕が無い。ゆかりもこの間にシャドウへまた魔法を放つが、牽制にもなっていない。
 一番の問題は、ペルソナを発動したにも拘らず、タナトスの出てくる気配がしないという事だ。『かつて』はペルソナ発動の直後、そのもう1人の自分を内側から食い破るかのようにして現れたのだが。愚者オルフェウスではないからか?
 だが、敵の攻撃を受けている時に別の事を考えるという愚を犯した湊に、シャドウは待たなかった。
 死角から伸びてきた、先ほど剣を手放した腕の1本が、吸い込まれるように湊の腹へと一撃を見舞った。

「――!! かっ…は、」

 視界の中央で揺れる、“魔術師”のシャドウの仮面。
 その光景を最後に、湊の意識は途切れた。


 美鶴は、眼前の作戦室モニターに映る光景にぎりっと拳を握り締める。
 背後では同じく屋上の映像を見ていた真田明彦が、彼ら2人の出撃を引き止めた幾月にくってかかった。

「だから言ったでしょう! 新人2人じゃ歯が立たないって! ――俺は出ます!!」
「だ、だけど真田くん。君はあばらをやられているし――」
「今のあいつらよりは強い! 元々、俺が連れてきてしまった敵です。俺が何とかする!」

 ついさっき寮の玄関では「奴らが勝手に付いてきたんだ」などと軽口を叩いていた真田だが、一応責任は感じていたらしい。
 掛け続けていたペルソナの回復魔法で、多少はまともに動けるようにもなったようだ。今は作戦室の外へ出ようと、扉の前で幾月と押し問答している。
 何故幾月が自分たちをここに留めようとするのか、理由は美鶴にも推測がつく。
 恐らく幾月は、最初から自分たち全員でも“アレ”に勝てないのだとわかっていた。長年ペルソナやシャドウの研究を続けてきた男だ、敵の力量も想像できたのだろう。しかし、だからといって。
 美鶴は重いため息をつくと、口論を続ける2人のもとへ歩み寄った。

「……明彦」
「止めるな美鶴! お前が何と言おうが、このままじゃ――」
「誰が止めると言った? 私はただ、念を押しておこうと思っただけだ。……無理に勝とうと思うな、最優先は彼女らを逃がす事だぞ」
「! …ああ、わかってる!」
「桐条くんまで! ま、待ちなさい!」

 美鶴が口を挟むとは思っていなかったのか、反論しようとした幾月が扉の前から動いた。真田はその隙をついて、さっさと作戦室を出て行ってしまう。実のところ真田が足止めを甘受していたのは、美鶴が何も言わなかったからであり、美鶴に止める気がないなら幾月の制止などどれほどの効力も無かったのだ。
 ……尻に敷かれている、とは言わないでやってほしい。それは真田本人が最も気にしている部分である。閑話休題。

「理事長。私も行きます。私のペルソナも、本来は戦うためのものですから」
「だが、桐条くん…君たちが行っても、あれには」
「最悪は全滅でしょう。ですが、撤退できる可能性は残っている。それに、篭城するのも逃げるのも、影時間が終わるまで無事でいられる保証が無いのは同じ事です」

 幾月はこの“特別課外活動部”の顧問として大局的な判断をしたのだろうと、美鶴は思う。
 ここで全滅するよりは、現在は足手纏いである有里公子をゆかりともども囮として切り捨てて、戦力の要である美鶴と真田を温存しておく。真田が完全に回復し、美鶴と連携して戦えば、勝ち目もあるだろう。
 何せ自分たちのほかには、シャドウに対抗するための力を持った組織は存在しないのだ。自分たちが全滅すれば、世界はゆっくりとシャドウの脅威に飲み込まれてゆくに違いない。
 けれど美鶴は、まだそこまでは割り切れなかった。自分の都合で巻き込んだ少女たちを、助けられる可能性がまだ残っているうちは、見捨てる事はしたくなかった。

「“桐条”を継ぐ者としては甘いのかもしれませんが、私は――そこまで、人の心を捨てたくはありません」
「桐条くん…」
「我々は屋上で有里を回収したら、非常扉から寮内部を抜けて外へ逃げます。理事長は、どうぞお好きなように。雑魚はあらかた駆逐しましたから、我々とともに外へ出るよりは寮のどこかで隠れている方が安全かもしれません」

 自身の甘さゆえ。それが理由の1つなのは確かだが、本当はもう1つ気になる事があった。
 有里公子が、召喚器も無しにペルソナを発動してみせたという事実だ。美鶴にはそれが、彼女の内なる資質の大きさを示しているように思えた。
 彼女を戦力化できれば、いずれ誰よりも頼もしい味方となる――美鶴はそう確信した。だからこそ、今は逃げるのだ。

 美鶴が最後に、もう1度モニターに映った屋上の様子を見た時だった。
 ちょうど真田が、非常扉をぶち破って戦場へ躍り出たところだ。しかし注目すべきはそこではない。
 シャドウの痛烈な一撃を受けて倒れ伏していた有里公子が、ふらりと立ち上がった。
 歩けるのなら幸いだ、撤退が楽になる。美鶴がそう考えていると、有里公子は予想外の行動に出た。先ほど自分を吹き飛ばしたはずの敵に向かって、近付いていこうとしている。
 馬鹿な、勝てないと既に理解したはずだ。もしかすると気絶する前の記憶が飛んでいるのかもしれない。意識が曖昧なまま、ただ歩いているのだとしたら。
 真田が画面の端で叫んだのが見える。聞こえているのかいないのか、有里公子は立ち止まり、空へ向けて腕を掲げた。その口が開き、何事かを呟いた。そして――。

「むっ…! これは、さっきとは違うペルソナ? 彼女は複数のペルソナを操れるのか!」

 幾月の興奮もあらわな声が、どこか遠く感じる。
 美鶴自身も、もはや映像に見入っていた。画面の中央に君臨する、有里公子の新たなペルソナ。その姿は圧倒的な存在感をもって、敵の動きを押し留めていた。
 何よりも目立つのは、暗い紫苑色をした悪魔のような翼。青ざめた肌の色に、顔の左側には赤い紋様が走っている。両耳の脇から垂れ下がる2筋の金髪が、足元まで伸びてゆったりと宙を泳いでいた。
 鷹揚に腕を組んでいたその人型が、つとシャドウへ向けて指を差す。
 次の瞬間、シャドウの周囲を霜が覆った。一定範囲内の急激な気温の低下。無論、それだけでは終わらない。シャドウを下から貫くように、いくつもの巨大な氷柱が床から生えてその身体を串刺しにする。氷柱に引き裂かれた部分から、さらに冷気が広がってシャドウの全身を凍り付かせてゆく。やがてその場には、シャドウの形をした巨大な氷像が出来上がった。

 ――何という強力な魔法だ。美鶴は感嘆する。
 美鶴自身のペルソナが氷結魔法を使うから、ほかの者よりも理解は深い。あれは恐らく“ブフダイン”、体系化されているうちでは、氷結系単体魔法で最上位にあたるものだろう。氷結系であれより上の威力となると、そのペルソナが固有に持つオリジナルスペルぐらいしかあるまい。

 だがそれでも、シャドウの存在が消える事無く残っているのだから、未だ倒しきれていないという事なのだろう。
 モニターの中で有里公子のペルソナはくいと頭を傾けた。それから口端を引き上げて軽薄な笑みを作り――何故そこまで細かい部分がわかるかと言えば、幾月がご機嫌で機械を操作して画面をズームしたからだ――今度はもう片方の手でシャドウの氷像を指差す。
 巻き起こった現象は、竜巻か。こちらも桁外れの威力である事を考えると、疾風系単体魔法上位、“ガルダイン”あたりだろう。
 竜巻に見えた無数の風の刃は、氷像と化したシャドウを氷ごとばらばらに切り裂いた。
 そうして今度こそ、シャドウは黒い靄となって影時間の空気に溶けた。

 有里公子が、あの巨大なシャドウを撃破した。才の片鱗を見せたとはいえ、最初にシャドウの一撃のみで昏倒した、今はただのか弱い少女という様子だった彼女が。
 しばらくはその現実に頭が追いつかず、誰もその場を動こうとしなかった。
 動いたのは、その有里公子が突然倒れて、ゆかりが慌てて駆け寄る様を見てからだ。
 ゆかりが必死に呼び掛けているが、有里公子は完全に気絶しているらしく、うんともすんとも言わない。
 ……大きな力にはリスクが伴うものだ。少しの不安と、それ以上の期待が美鶴を屋上へと急かす。
 美鶴の顔に、抑えられぬ笑みが浮かんだ。有里公子、彼女がいれば、自分の望みもきっと叶う。
 何故だろう。戦力として大きいとはいえ、たった1人仲間が加わったところで事態の根本的な解決法が見付かるわけでもないのに。

 後に美鶴はこの時の予感を、冗談めかしてこう評している。
 ――女の勘とかいうものだったんだ、と。



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