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No.18189の一覧
[0] 【ネタ・習作】P3P女主←無印P3男主憑依であれこれ【TS逆行憑依捏造】[みかんまみれ](2010/06/20 16:18)
[1] ●第一回●[みかんまみれ](2010/04/18 01:56)
[2] ●第二回●[みかんまみれ](2010/04/18 12:09)
[3] ●第三回●[みかんまみれ](2010/04/24 14:48)
[4] ●第四回●[みかんまみれ](2010/05/01 19:48)
[5] ●第五回● 4月21日~タルタロス初探索~[みかんまみれ](2010/06/05 21:00)
[6] ●第六回● 4月22日~“魔術師”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/06/05 21:09)
[7] ●第七回● 4月23日~『かつて』からの贈り物~[みかんまみれ](2010/05/29 22:03)
[8] ●第八回● 4月24日~“戦車”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/05/29 23:18)
[9] ●第九回● 4月27日~『噂』が呼ぶ悪意~[みかんまみれ](2010/06/20 15:59)
[10] ●第十回● 4月28日~“恋愛”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/07/17 00:39)
[11] 蛇足もろもろ[みかんまみれ](2010/07/17 00:51)
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[18189] ●第二回●
Name: みかんまみれ◆4e5a10fb ID:809f8e81 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/04/18 12:09


 朝は誰の上にも訪れる。
 徹夜でレベル上げするネトゲ廃人にも、高血圧で早々に目が覚めて徘徊するご老人にも、皆に分け隔てなく。
 もちろん、昨夜気が付いたら自分が女になっていたなどという、非常識極まりない体験をした彼女にも。

 彼女――いや、本人の意識の上では有里湊という名である『彼』は、今朝はいつにも増して早起きして身支度に悪戦苦闘していた。
 何せ女性の外出準備など、つい昨日まで男だった湊にわかるわけがない。化粧道具なんて触った事もないのだ。
 調べようにも彼女の荷物にファッション雑誌の類は無かったし、インターネットという選択肢はうっかりと頭から抜け落ちていた。

 ちなみに、身支度という意味で最初の、そして心理的には最も難関であると思われる、シャワータイムは何とか乗り切った。
 ……心の中で「ごめんなさいごめんなさいごめ(ry」と念じつつ、しっかりバッチリ、デリケートな部分まで洗い上げました!
 その時の湊の男としての心境は、本人の名誉のため黙秘させていただく。

 さて、鏡の前での数十分にわたる試行錯誤の末に、結局湊は諦めた。とにかく汚らしく見えなければそれでいいと割り切って、全てのメイクを落とすと――クレンジングクリームを使うというくらいは知っていたらしい――制服に着替えて鞄の中身を詰め始めた。
 そこへコンコンと、控えめに扉を叩く音がする。

「岳羽ですけど、起きてるー?」

 はい、と短く答えて、湊は寮の廊下に続く扉を開けた。
 扉の前に立っていたゆかりは、湊の姿を一目見るなり、「あ、ちょっと早かった?」と申し訳なさそうに言う。

「? もう、出られるけど」
「え、でも……メイクと髪、まだでしょ? 大丈夫、10分くらいなら余裕あるから。先輩に案内しろって頼まれてるんだ」
「……このままじゃ、変?」
「変、っていうか……昨日のバッチリ決まった感じと比べると、ちょっと。せめてリップくらい、塗らない?」
「………。やって、みる……」

 ゆかりがあまりに残念そうな顔をするので、不承不承、再度鏡の前に戻って口紅を握り締める湊。
 唇に紅を押し当てる、それだけでぷるぷると手が震えている湊を見て、ゆかりは深くため息をついた。

「ああもう……貸して、やったげる」
「あ、うん……」
「ていうか、ベースメイクした? してないっぽいね…今からじゃさすがに全部は無理だし。けど、すっぴんでこれだけ肌キレイとか信じらんない。私だって少しは……」
「岳羽、さん?」
「……何でもない。とりあえず、ファンデと眉、リップだけにしとくから。あと、髪は軽くスプレーするね」

 湊の返事は聞かずに、ゆかりは早速ファンデーションを手に取った。
 その後は「はいはい動かないでー」とか「下地なしでこれだけノリがいいとか」などと聞こえてくるが、そのゆかりの声が決して面倒くさそうではなく、むしろ楽しげであるのはどうしたものだろうか。
 どう考えても最初の宣言より多い数の化粧道具が投入され、湊がまるで玩具にされているような気分になった頃に、ようやくゆかりは満足したようだ。

「でーきた、っと! うん、髪は下ろしてもイイ感じ」
「あ、ありがとう……」
「それじゃ行こっか、――って、やば。もうこんな時間! ごめん、ちょっと走るよ!」
「え、うん!」

 実際のところ寮から学校までなど、案内されるまでもなく歩き慣れている。
 だが湊にとってはそうでも、『有里公子』にとっては初めての道だ。不審に思われぬよう、湊はゆかりの先導に大人しく従って、今にも閉まりそうなモノレールの扉へと駆け込んだ。

「……はぁ、はぁ。あー間に合った…これに乗れれば、なんとか遅刻はしないで済むよ……」
「えっと……ごめん、なさい。お…わたし、の、せいで」
「ううん、途中で調子に乗っちゃった私も悪いし。でも、明日からはやっぱりあなたが自分でした方がいいかもね」

 苦笑いで答えるゆかりに、湊は正直に答えるべきかと迷って、こてんと首を傾けた。
 返事の無い湊を訝って、ゆかりがどうかしたのと問うてくる。
 短時間で名案が浮かぶはずもなく、結局この場は誤魔化す事にした湊である。

「? そもそも、昨日はちゃんとしてたメイク、なんで今朝はできなかったの?」
「あ…その、……そういうやり方も、忘れちゃってるみたいで」
「え、そこまで? いくら記憶の混乱って言っても、それってちょっと酷すぎるんじゃ……」

 湊ばかりでなくゆかりもまた困った顔で考え込み始め、それで自然と会話が途切れてしまった。1つの話題が終わってしまうと、そこで次の話題を持ち出す事ができずにそのまま黙ってしまう。そんなぎこちなさが、『今』の湊とゆかりの距離だった。
 いや、むしろ今のゆかりは、かつてよりも湊に対して気安いくらいなのだ。先ほどの化粧にはしゃいだ様子とて、ゆかりなりに湊と打ち解けようと考えてわざと楽しげに振舞ったとも取れる。かつてと違って湊が外見上は同性である事が、記憶とは異なる関係性を作り上げているのだろうが、さらに1つ理由を上げるならば――。

「……放課後、ほんとに一人で大丈夫? 部活の用事って言ってもそんなにかからないと思うし…やっぱり私一緒に行こうか?」
「ありがとう。でも、たぶん平気だよ。地図も、紹介状ももらったから」

 社交辞令などでなく、本心から案じてくれているだろうゆかりに、湊は少し申し訳なく思う。
 そしてゆかりにここまで心配されるに至った、昨夜の顛末を回想した。


 ファルロスが消えた直後、ラウンジの奥から警戒した様子でこちらを誰何したのは、やはりかつての記憶通り、ゆかりであった。その手に銃の形をした召喚器を構えている事も、美鶴に止められて影時間が明けると同時、気まずそうにこちらを見た表情までもが同じ。
 そうして美鶴とゆかりから、まるきり初対面の挨拶をされるに至って、もはや湊は認めざるをえなかった。
 ――すなわち、自分は『過去』にいるようだと。
 もちろん、今の自分の姿が何故か女性である事から、美鶴たちが自分を彼女らの仲間だった有里湊だとわかっていないだけ、という可能性も考えた。しかし美鶴はゆかりを紹介する時に確かにこう言ったのだ。この春から2年生だから君と同じ、と。
 湊の記憶が正しければ、留年でもしていない限り、ゆかりは現在――2010年の春のはずだ――3年生になるのだ。
 それが2年生の春とくれば、逆に考えて『今』が2009年の春なのだ、という事になる。根拠は美鶴の言葉だけだが、彼女の性格からしてこんな冗談を言うはずはなく、湊にとってはそれだけで充分な証明だった。

 だがそのような事を話の途中で延々と考え続けていたため、美鶴とゆかりに対する応答はかなりおざなりなものになっていたらしい。
 心ここにあらずの湊をさすがに不審に思って、美鶴が大丈夫かと聞いてきたのだ。
 そこでうっかり、曖昧に答えてしまったのがまずかった。……いや、今後の事を考えれば、ある意味で最善の言い訳を手に入れられたとも言えるのだが。
 ともあれ湊はこういう事にされた。『可愛そうな記憶喪失の女の子』と。影時間への適性に目覚めてすぐの者は、記憶の消失や混乱が起こる事が多いとかつて聞いた気がする。その症状がたまたま酷いだけだとすれば、不自然でもあるまい。
 美鶴はさらに部分健忘とか外傷がどうのとか、影時間抜きの一般的な説明をしてくれたが、結論としてはしばらく様子を見るという話で落ち着いた。全ての記憶が失われたわけではないし、日常生活を送るのには問題無い事から、今後回復する可能性を期待しようと。
 もちろん医者ではない美鶴の見立てでしかないので、翌日の放課後には医療機関での受診をとも勧められた。名前が上がったのは辰巳記念病院、かつての自分たちもよく世話になった、桐条系列の総合病院である。美鶴がその場で紹介状を書いてくれたので、受付で見せればすぐに診察してもらえるとの事だった。

 辰巳記念病院の心療科は、実質ほとんど、影時間やシャドウ関連の患者に対応するためにある。担当医師の中には桐条の研究員上がりの者もいて、かつてでは湊たちペルソナ使いのケアにも関わっていた。
 美鶴は湊が適性に目覚めたばかりの不安定さゆえに混乱していると考えているため、迷わずここを勧めたのだろう。
 だが専門医でもさすがに、記憶喪失どころか『中の人』が丸ごと入れ代わっているとは思うまい。
 湊が認識している現在の自分の状態は、タイムスリップした上に別人の身体を乗っ取っているというものだ。いや、かつての記憶には有里公子という人物自体が存在しないのだから、タイムスリップと言うよりもパラレルワールドとかそんなものなのかもしれない。
 いずれにせよ、ペルソナや影時間に引けを取らないほどのSF沙汰である。医者に話したところで、信じてもらうどころかいよいよ真剣に頭の心配をされるだけだろう。むしろ自分自身ですら未だに夢オチを期待している部分がある。

 そういう事なので、この「記憶喪失」が治る見込みは無い。だが、それは大した問題ではないだろう。
 ……そう、『かつて』と同じようにこれから戦いが始まるというのなら。
 犬や小学生にすら協力を願うような窮状で、記憶が曖昧だというだけで充分に戦える人材を、あの人が放ってはおかないだろうから。
 そこまで考えて、苦い裏切りとそれに伴った犠牲が連鎖的に脳裏に蘇り、湊は顔をしかめた。その様子を記憶喪失への不安と受け取ったゆかりによく休むようにと気遣われ、湊は思考を打ち切って自室で眠りに就いた。
 これが大まかな、その夜のいきさつであった。


 湊が回想から戻る頃には、ちょうどモノレールは学校への最寄の駅へと到着していた。ゆかりの「また走るよ」という言葉で、湊もスタートダッシュの準備を整える。
 その後しばらくは、沈思に浸る余裕など無かった。一息ついたのは、始業式の校長の長話が始まってからである。

「なあ、見た? さっき鳥海の連れてきたコ。転校生かなあ、結構イケてたよな」
「確かあのあたりに……お、いるいる。俺らのクラスだよ、ラッキー」

 湊のやや後方からは、そんな噂話がこそこそと漏れ聞こえてきた。素知らぬふりでいれば、そのうち別のクラスの担任教師が私語を注意しに来たが、あまり効果は無いようだった。
 かつての記憶でも転校初日に色々と噂されたのは覚えているが、それは湊が男で、男子に人気のゆかりとともに登校した事で、色気めいた邪推をされたためだった。それが今回は外見上は女であるため、専ら湊自身を値踏みするような内容が多い。

「俺見てねーんだよなー……こっち向かねえかな」
「後でじっくり見ろよ。顔もだけどさ、オレの見たところ胸とか脚もかなり……」
「マジで? 岳羽さんより?」
「髪とか柔らかそー……触ってみてえー」
「ちょっと男子! さっきからうるさいっての!」

 猥談とも言えない軽い雑談ではあったが、それが自分を対象としたものと考えると、やや薄ら寒い気分に駆られる。身体が女になったからと言って、心までもが女として男を恋愛対象にするわけではない。まして性的な対象として見られるなどと。
 男の視点から、こういった男子同士の雑談が本気で相手をどうこうしようと考えてのものではない、というのは理解してはいるが、それでもいい気がするものではない。
 小声ながらもきつい調子で止めてくれた女子に、湊は心の中で感謝を捧げた。

 校長の演説が終われば、始業式はもう終わったも同然だった。
 教室へ移動する途中、心なしか背中にまとわりつく複数の視線を努めて無視して、湊は担任の鳥海について教壇の横に立った。
 自己紹介が簡潔なのは、以前と変わらない。ただ、今回名乗るのは自分の名前ではなく、この身体の持ち主の名前である。

「有里、…公子です。これから一年、よろしくお願いします」
「んー、ちょっとカタいわね。人間関係には愛想も必要よ? はい笑顔笑顔ー」
「え、あ……。…、その……」

 鳥海からそんな指摘を受けたのは、前回には無かった事で、虚を突かれた湊はうろたえた。
 それだけならすぐに立て直せたのだろうが、教室のそこかしこからこちらを見るニヤついた顔やら、忍び笑いつつカワイーなどと囃し立てられるに至って、始業式で聞いた会話が蘇り、完全にフリーズしてしまう。
 沈黙したまま、顔を青くして涙目にまでなっている湊に、「あー失敗したか……慣れない御節介なんてするもんじゃないわ」とぼやきながらも鳥海が助け舟を出してその場は収まったが。
 後から思い返せば自意識過剰だったと笑い飛ばせる程度のものだが、自分が女として見られる事に慣れない今現在の湊では、そこまで冷静に考える事はできそうになかった。
 幸いなのは湊の今の身体がかなり整った容姿であるゆえに、どんな表情だろうがそれなりに愛らしく見える事である。上がり症と言うにも苦しい不審な反応も、本人が可愛い女の子だというフィルターを通せば、内向的な子、といった無難な評価に修正されるのだ。

 ホームルームが終わると、始業式であるこの日は授業は無く、そのまま放課後となった。
 転校生とくれば自由時間に質問攻めにあうのがお約束だが、湊はその洗礼にさらされる事は無かった。自己紹介時の様子から内向的だと思われて、クラスメイトたちの側にも遠慮があったのだろう。
 しかしそんな微妙な空気を無視して、湊に話しかける猛者が1人。

「よっ、転校生! …何だよ、んなビックリすんなって」

 別にびっくりはしていないのだが、あまりにかつてと同じ対応をしてくる相手に、キョトンとしてしまったらしい。
 だがこの男、普段の軽薄な雰囲気とは裏腹に、一人の少女を一途に思い続ける誠実さを持ち合わせるのだ。湊はそれをよく知っていたので、あるいは彼ならば自分が男でも女でも関係無いかもしれないと少し嬉しくなった。自然、笑みがこぼれる。

「おっ、いいねーその笑顔。いやーさっきはいきなり涙目っしょ? 正直話しかけていいものか迷ったんだけど、やっぱ転校生って、色々と1人じゃ分かんねえじゃん? だから不安がってないかなってさ。思い切って正解だったぜ」
「さっきは……ちょっと、混乱しちゃって。ありがとう、じゅ…えと、……あなたは?」
「おっと悪い悪い、名乗ってなかった。オレは伊織順平。ジュンペーでいいぜ。実はオレも、中2ん時、転校でココ来たんだよ。転校生同士、仲良くしような」

 そう言って差し出された手を、おずおずと握り返した。
 かつて初対面で順平から握手を求められたという記憶は存在しないが、あっけらかんとした笑顔には何の含みも無いので、特に忌避感は感じなかった。ところがしばらくしても、何故か順平が手を離す様子が無い。

「………。あの……?」
「……やっべ……手、ちょー柔らけぇ…」
「バカ言ってないで早く離しなさいよこの変態」

 妙に長い握手を終わらせたのは、その絶対零度のツッコミだった。
 順平がパッと両手を上げて弁解するように「変態ってひどくね!? 変態って! オレ一応純粋に――」と焦るのを尻目に、焦らせた当人であるゆかりはさっさと湊を促して距離を取った。
 そして大人が小さい子供に言い聞かせるように、真剣な顔で湊に忠告する。

「アレの事は無視していいからね。女の子と見りゃ馴れ馴れしくするんだから……それでもこんな変態とは思ってなかったけど」
「オレの言う事まるっとスルー!?」
「うっさいバカ。さっきのニヤケ顔、鏡で見てから言いなさい」

 なおも順平が騒いでいるのに背を向けて、改めてといった感じでゆかりは切り出す。
 その内容はかつてにも聞いたものだったので、湊は落ち着いて答える事ができた。

「まあ、なんか…偶然だよね。同じクラスになるなんてさ」
「そうだね。少し、安心した」
「え、そう? ……うん、そっか。少しでも知ってる相手がいる方がいいよね、やっぱり」

 まだ自然とは言えないやりとりだが、ゆかりが湊を気遣ってくれている事はわかる。
 やはり、以前よりもゆかりから歩み寄る幅が大きく感じる。逆に考えると、性別の壁というのは高いものだったのである。
 ぎこちないなりに、何とはなしに笑い合う2人。
 すっかり蚊帳の外に置かれた順平が、いっそ悲痛な声でそこへ割って入った。

「――マジ、お願いだから無視しないで! ウサギは寂しいと死んじゃうのよ!?」
「それ迷信だから」
「へ、そうなの? …じゃなくて! ようやく返事来たぁ……つか、ホントさっきのは別にヤマシイつもりとか無かったんだって。何つーかつい、本音がポロリしちゃっただけで、実際のところは普通にお友達になりたいなー、って感じで」
「言い訳長いし。てか、ふざけてたと思ってたら本音とか……」
「……いーじゃん! もう! それはさ! あのさ、オレとしてはむしろ、二人の関係が気になっちゃったりするんだけど? 初日から一緒に登校したって聞いてさー。レベル高いのが並んじゃって、ウワサのマトだったんだぜー?」
「あのギリギリの時間帯でわざわざ見てたヤツとかいるんだ。ハァ…も、噂、噂ってめんどくさいなあ」

 ついさっきまで凹んでいたはずの順平は、今やその影もなく興味津々に湊とゆかりの顔を見比べている。道化を演じているだけなのか素で面白がっているのか、湊には判別できない。
 ゆかりはうんざりといった様子でため息をつき、居心地悪そうにしている湊の手を取って教室の外へと歩き出した。

「あれ、もしかしてまたオレ、放置プレイ? くう、さすがはゆかりッチ、テクが違うぜ」
「あ、あの……?」
「つっこまない…つっこまないよ、私は。ほら、いいから行こ」
「うん……ばいばい、順平」

 順平の挑発にも乗らず、湊を連れ出す事を優先したゆかり。
 逆らわない方がいいと考えて、湊は一応の別れの挨拶を置き、ともに教室を出て行った。
 ゆかりは湊と手を繋いだまま廊下を進みながらも、何かぶつぶつ呟いている。

「ああもう……らしくないことしちゃった。私、もっとドライだと思ってたのに何で……」
「岳羽、さん?」
「……あ、ごめん。何か私一人で突っ走っちゃって。手、痛くない?」
「大丈夫。あの、ありがとう。お…わたし、だけだったらきっと、まだ順平に捕まってたと思うし」
「あいつも悪いやつってわけじゃないんだけど。ただ、うざいんだよね。すごく」
「うん、なんとなく、わかる」

 妙に実感のこもった顔で頷き返した湊に、ゆかりはツボを突かれたようだ。笑いを抑えようとして、声が震えている。

「っぷ。あいつ、…ほんっとバカだわ……てか、初対面でもう、理解されすぎ……」
「順平だもんね」
「――っあはは! ちょ、それトドメ…あーもうダメ、新学期早々から大爆笑しちゃう……!」

 ゆかりの笑いにつられて、いつしか湊も本気で笑い出していた。それは『今』に来てから初めての、心からの笑いで。
 2人分の笑い声がおさまる頃には、互いをそれまでよりも少し近しい相手と感じていた。

「何だか、不思議だねあなたって。危なっかしくて、守ってあげなきゃって気分になってたけど……意外と、言うことシンラツ?」
「結構丈夫だよ、…わたし」
「うん……これなら、大丈夫かな。玄関まで送っていくから、病院までは1人で行ける?」
「ありがとう。地図の読み方までは忘れてないから、平気だよ」
「そっか。じゃあ、気を付けてね」

 図らずも本人の知らぬところで、順平は湊とゆかりの気分をほぐす役に立ってくれた。その頃教室では、だらだら級友と喋っていた順平が1つくしゃみをして「オレッチの噂をしてる可愛い女の子がいるな!」とか言っていたとか。閑話休題。

 辰巳記念病院の位置は、月光館学園から遠くない。学校の帰りに見舞いに寄って帰れるとか、その程度の距離だ。
 湊がゆかりに見送られて学校を後にし、一応はもらった地図を広げながら、駅前近くの道を通りかかった時だった。
 ――かつて見慣れた大きな背中を、視界の端に見つけてしまったのは。

「……っ!!」

 足早に去っていくコートの後姿を、追って走り出したのは、ほぼ反射だった。だから追ってくる足音に相手が振り返り、胡乱な顔で「俺に何か用か」と訊くのにも、咄嗟に何も言葉が出てこなかった。


 じっと相手を見上げたまま固まっている湊に、相手――荒垣真次郎は、無言でまた踵を返した。
 荒垣からすれば、湊は見知らぬ少女である。おおかた人違いでもして、自分の不良めいた雰囲気に竦み上ってしまったのだろうと考えた。他人から怖がられる事に傷付くような繊細さは、とっくに捨ててしまっている。この出会いも、どうでもいい事として記憶の隅にすら残らず消えていくだろう。
 歩き出した自分の袖を引く少女の顔に、何か強く訴えるようなものを感じたのも、……たぶん、気のせいなのだ。

「……何だ」
「………」
「用なら早く言え。何がしてえんだ」
「……なないで」
「あ? 聞こえねえ、もう1回言え」

 か細い声で呟かれた言葉は、雑踏の中では聞き取れず空気に溶けてしまった。訊き返すものの、少女はそれきり口を噤んだままだ。
 どうにも、事態が膠着してしまった。別段、少女を振り切り立ち去っても構わないのだが、何故かそうする事がはばかられた。それは少女の自分を見つめる視線があまりに真摯であるためか、聞こえなかった言葉が気になっているせいなのか。
 仕方なしにそのまま少女の観察でもしてみれば、自分を引き止めるのとは反対の手に、彼女が何かを持っているのに気付いた。注視すると、この周辺の地図のように見える。

「何だ。迷子かよ」
「………」
「道なら駅員に聞け。ポロニアンモールまで行きゃ交番もある」

 少女が訴えているのはそんな事ではないと直感的に思ったが、会話の糸口がこれくらいしかない。
 荒垣はもともと弁の立つ方ではない。その上2年前からは努めて人付き合いを避けるようになり、ますます無口になった気がする。
 少女は何も言わず、荒垣からもそれ以上何かを話すという事ができず、ひたすら互いの顔を見合ったまま立ち尽くす。
 奇妙な見詰めあいは数分ほど続いたが、結局折れたのは荒垣であった。

「………。どこまで行きてえんだ」
「……辰巳記念病院」
「わかった。付いてこい」

 答えが返ってきたのは幸いであった。ようやく動き出した空気に、荒垣はそっと息をつく。ともすれば不良と少女が睨みあっているとも見えるこの状況は、善意の一般人によって通報されてもおかしくない光景だったので。
 学校へ行かず昼間から溜まり場に出入りしている荒垣だが、警察の厄介になるような真似はしていない。誤解されるのには慣れたと言っても、面倒が避けられるのに越した事はないのである。
 歩き始めた2人の間に会話は無い。無言で進む荒垣の3歩後ろを、少女は黙々と付いてきた。
 いつも通りの自分の足音に比して、やや小走りに聞こえる背後のそれが気になり、荒垣はほんの気持ちほど歩くスピードを緩める。

「……ありがとうございます」
「……別に」

 偶然会って、1度きり世話を焼く事になっただけの相手だ。歩調を合わせてやったのも気まぐれで、深い意味など無い。
 いや、むしろ偶然でこれっきりの相手だからこそ、自然に気遣ってやれたのかもしれない。これがなまじよく知る相手――たとえばあの幼馴染の男あたりなら、あえて不機嫌なように無視して見せた事だろう。もっともあれはこの少女と違って、隣に並んで歩くどころか目的地まで競争だとかほざいて勝手に走り出すような馬鹿だが。

 そう長い距離を進まないうちに、目指す辰巳記念病院の建物が見えてきた。
 念のためかなり近くまで行ってから、荒垣は立ち止まる。残すは道路を直進するのみで、ここからならどう考えても迷うまい。
 少女に振り返ると、病院を示して端的に告げる。

「あれがそうだ。外来ならこのまま真っ直ぐ進んだ入り口だ。心療科の入院患者の見舞いなら、そこから右の別館入り口に行け」
「案内していただいてありがとうございました」
「……じゃあな」

 互いに名乗りすらせず、そこで別れる。
 最初の強い意思を込めた眼差しを思えば、あっさりしすぎているようにすら感じる少女の態度だった。
 ――気まぐれも2度続けば気まぐれじゃないな。
 薄々と何かに気付きながらも、荒垣は去ろうとする少女の背中に声を掛けた。

「……おい。結局、最初に何を言いたかったんだ」
「次に会えた時に、また言います」
「あ? 次って、お前……」

 まるでまた会うのがわかっているような言い回しだ。その疑問を封じたのは、振り向いた少女の笑みだった。
 確信を持った、こちらに挑みかかるような不敵な笑顔。なのにどうしてか、不快ではない。
 口を閉ざした荒垣に最後に綺麗に一礼して見せると、そのまま少女は病院の入り口へ消えていった。

「………。妙な女だ」

 ぽつりと呟いて、荒垣もまた本来の目的地へ向けて歩き出した。
 一目惚れなんてものは信じていないし、僅かに胸を騒がす『これ』は、恋愛感情などではない。あえて言葉にするのなら、予感とか虫の報せとか、そういうものに近い気がする。
 自分の勘が正しければ、あの女は『同類』だ。何が同じなのか、まではわからないが。
 傷の舐め合いなどごめんだし、どうしてもというほど女の正体に興味があるわけでもない。
 だが次に会う事があったなら、また問いかけてみてもいい。

 その程度には、荒垣は少女の事を記憶に留め置いた。


 湊は別れ際のどこか唖然とした荒垣の表情を思い出し、してやったりという気分のまま病院の扉を抜けた。
 あの、かつて血の海で事切れた1人の仲間。殺してしまった相手の息子を庇い、これで自分の役目は終わったとばかりに満足そうな死に顔で逝った男。彼を失って嘆き悲しむ者がいたのに、当人は何の未練も残さずに死を甘受した。

「……――? あれ、おれってあの人のこと……」

 嫌いではない、むしろ仲間として好ましく思っていた相手に、何故こんなもやもやした気分を感じているのだろう。
 結果として真田や美鶴、親しい相手を悲しませて死んでしまったとしても、荒垣のした事は間違いではなかったはずだ。
 天田と一対一で話し、その思いと答えを受け入れる事は、少なくとも彼ら2人にとっては必要な事だった。あるいは天田は荒垣を傷付ける事はしても殺すまではできなかったかもしれないし、荒垣も天田が躊躇う素振りを見せたなら、死んで自分の命を背負わせる事はしなかっただろう。湊から見て、荒垣はそういう残酷な優しさを持った男に思えた。
 ストレガが出てきたのは、不幸な事故だったのだ。荒垣は決して、死のうと思って死んだわけではない。
 それなのにどうして、自分は彼を――

「………。ああそうか、おれにはあんな顔、できなかったから……」

 ある意味これは嫉妬混じりの同族嫌悪か。それが湊の結論だった。
 湊もまた、仲間たちを残して死んだ。アイギスに見守られ、息絶えるその間際までは、湊も荒垣同様に成すべき事を成し遂げて逝ける清々しさのようなものを感じていた。最期の最後で、愛する人の声を聞くまでは。

   ――有里!!

 目を閉じれば今もはっきりと思い出せる。彼女の自分を呼ぶ声と、最後に見たその泣き顔。
 それがあまりにも悲痛だったから。彼女を置いて逝く事が、何よりも重い罪のように思えたから。彼女の生きる世界を守るために、彼女と愛し合い寄り添う未来を捨てた事を、後悔してしまったから。
 ニュクスを封じるために、自分の命を捧げる以外の道は無かった。それはわかっているのに、彼女の涙を見れば未練が湧き上がる。死にたくないと、まだ生きていたい、彼女と共にありたいと、無様にわめき出すこの心。

「だから、なのかな。こんなことになったのも。おれが、そう願ってしまったから……」

 口にしてから、そんな馬鹿な話、と自嘲する。
 ユニバースは万能の力だ。何事の実現も奇跡ではない、とイゴールに言わしめるほどの。けれどそれは、ニュクスを封印するために自分の命と共に使い切ってしまったのだ。
 だがユニバースの他に、こんな過去に戻ってやり直すなどという荒唐無稽な現象を引き起こす心当たりはない。
 ……いや、過去と言えば、シャドウの中には時間に干渉する能力を持つものがいるという話も、ちらと聞いた気はする。しかしニュクスを封じて以降、影時間もろともシャドウの存在も消えたはずではないか。

「結局は、何もわかってない、か」

 だいたい、もし『これ』が自分の願いだというなら、何故自分が女なのか。これじゃせっかく彼女とまた過ごせても、友達以上にはなれないじゃないか。
 ちなみに、湊の選択肢にいわゆる百合というものはない。……少なくとも今は。
 それにしても、この『過去』は一体どこまでがあの『未来』と同じなのだろう。有里湊が有里公子になっているパラレルワールドなら、仲間たちもどこかしらかつての彼らとは異なっていてもおかしくない。
 彼女も、彼女であって彼女ではないのかもしれない。
 これまで意図的に考えないようにしていたその想像は、湊の胸を痛ませた。


「――あの? 当院に、何かご用件ですか? 外来の患者さん?」
「……え? あ、す、すみません。お…わたし、――あ、紹介状!」

 気付けば、目の前にはこちらを不審げに見ている看護士の姿が。
 湊は随分と長い間病院のロビーで立ち尽くして、思考に没頭していたようだ。慌てて鞄から、紹介状を取り出して渡した。
 美鶴の紹介状の効果はてきめんで、湊は全く待たされる事なく心療科の受診を終えた。しかしそもそも記憶喪失ではない湊なので、結果はお察しというところだ。
 問診のみならず、念のため様々な機械で検査したりと、医師としては可能な限りの対応をしてくれたのだろう。結局は原因不明、今後の回復の見通しも不明と、申し訳なさそうに言われると罪悪感が刺激される。
 病院の門を出る頃には、既に日が傾きかけていた。それから今夜と明日の朝の食事の材料を買えば、寮へ戻るのは夜になっていた。

「…君か。お帰り」
「……ただいま、です」
「ああ。遠慮する事はない、正式な入居先が決まるまでは君もここの寮生だからな」

 この建物がホテルだった頃の名残で、寮の玄関とラウンジは一間続きになっている。ソファでくつろいでいた美鶴が湊に声を掛けたのも、帰ってきた湊がちょうど視界に入ったからで、特別な意味は無い。
 だが湊としては、自分と絆を育んだ美鶴とは違うとわかってはいても、こうして不意に『かつて』と変わらぬ言葉を掛けられるとつい重ねて見てしまい、動揺を抑えられない。昨夜は現実感の欠如からか気にならなかったが、これが夢ではないとわかった今では、愛し合った人から知らない相手として扱われるのが辛かった。
 幸い『今』の美鶴は、それを緊張ゆえのものと捉えてくれたようだが。
 理性ではぼろを出さぬうちに立ち去らなければと思うのに、足が動かない。そのくせ美鶴に対面のソファを勧められれば素直にそこへ腰を下ろすのだから、どうしようもない。

「それは…夕食と、明日の朝の分か。この寮では基本的に食事は各自で賄う事になっているからな」
「……はい。ほとんど、インスタントか温めるだけのものですが」
「寮母がいればいいのかもしれないが、ここは寮生の数自体が少ないし、他の事情もあってな……。すまない」
「いえ、み…桐条先輩…の、せいじゃありませんから」

 湊は料理ができないわけではない。つい出来合いの物を買ってしまうのは、単に料理をしている暇が無いからだ。
 しかし考えてみると2度目の高校2年生なわけで、勉強については心配が無い分、前よりは自由に使える時間は増えそうだ。その分を料理に使うというのもありかもしれない。
 恋人の自分が手料理を振舞ったら、美鶴はどんな顔をしてくれるだろうか。そう考えてしまってから、今の自分が男の有里湊でなく女の有里公子である事を思い出し、目の前の美鶴も美鶴であって美鶴ではないと、心を戒め直すのだった。

「……病院の検査の結果は、はかばかしくなかったと聞いたが」
「昨夜の先輩の見立て通り、現状は経過を観察するしかないそうです」
「そうか…あまり気を落とさない事だ。普通に過ごしているうちに、徐々に思い出せるかもしれない」

 紹介状を書いたのは美鶴であり、病院から診断結果についての連絡が行ったのだろう。だからこれはただの確認だ。
 同時に、精神状態そのものに異常が無い事も把握されているはずであり、美鶴の頭の中では今、湊の今後の処遇についての検討がなされているのかもしれない。すなわち、美鶴の目的にとって『使える』人材か否か、という。

 この時点での美鶴にとって、最優先は父親の心を救いたいという欲求のはずだ。
 自分の働きで父親の望みが果たされたなら、きっと父親は事故以前のように明るい表情を取り戻せる。だから父親の望み――桐条の作り出してしまった悪夢の清算のために、1人でも多くの人材が必要だ。“ペルソナ使い”という、人材が。
 湊は影時間の中を歩いてやってきた。記憶の混乱が酷いとは言えど、少なくとも影人間になる事なく正気で寮まで辿り着いた。それはつまり影時間への適性と、ペルソナ使いとして覚醒する可能性を持っているという事だ。
 見極めるまで、美鶴は湊を手元に置くだろう。そして確信したならば、どんな手を使っても仲間に引き入れる。

 湊はそんな美鶴の思惑を、知っているが拒もうとは思わない。相手が美鶴だから特別というのではない。単に湊が、受け入れる事に慣れているだけだ。
 諦めているのとは違う。だが湊には、自分に向けられた理不尽や悪意でも、それが可能な範囲であれば文句を言わず許容してしまう性質がある。かつての仲間たちにも何度かお門違いな激情をぶつけられたが、あまり気にしていない。人によってはその態度が逆に苛立ちを煽る場合もあるのだが、幸い仲間たちはそこまで八つ当たりを重ねたりはしなかった。

 受け入れられなかったのは――美鶴の泣き顔の焼きついた、自らの死の瞬間だけだ。

「……有里? 大丈夫か?」
「――あ、はい。すみません、つい考え過ぎてしまって」
「いや。気にするな、というのが無理な話なんだろう。そうだな……明彦、この寮のもう1人の住人ならこう言うかもしれん。健全な精神は健全な肉体に宿る」
「鍛錬に打ち込めば、悩むような暇も無くなるってとこですか」

 湊の切り返しに、珍しく美鶴が素で驚いた顔を見せた。
 真田ならこういう意味に取るだろうと考えて答えたのだが、一般的な解釈とは言えなかったかもしれない。

「……君は、あいつと気が合うかもな。少々意外というか…何か部活をしていたのか?」
「していたような、そうでないような……。すみません、この記憶も曖昧です」
「そうか。まあ、意欲があるなら運動系の部活もいいぞ。確か新規入部者の募集が今月中に始まるはずだ」

 湊は自分の、『有里公子』の手を見る。
 学校で順平がもらした通り、柔らかく傷の一つも見当たらない瑞々しい手のひら。マニキュアこそ付けていないが、綺麗に切りそろえられた形の良い爪。特に運動していたとは思えない、まして戦いなど無縁の生活をしてきた『女の子』の手だ。
 美鶴ですら、もう少ししっかりした手をしていた。幾度も剣を振り、豆を潰して、厚くなった皮膚。湊が口付けると目を伏せて、あまり女性らしい手ではないと恥じらった仕草をよく覚えている。もちろんそれには、自分はその手が好きなのだと返しておいたが。その後、手だけかと上目遣いに尋ねられ、そのまま熱い夜になだれこんだのはさらに克明な記憶として刻まれている。

「有里?」
「………。すみません、本当にちょっと、部活に打ち込む必要がありそうです……」

 ――主にこの煩悩を退散させるという意味で。
 苦笑する湊を気遣わしげな目で見る美鶴には、湊の頭の中で自分がどんな事になってるかなんて想像もつかないに違いない。というかバレたら間違いなく処刑される。
 湊は内心で勝手に盛り上がって勝手に青くなっている自分が情けなくなり、夕食を理由に席を立った。


 レンジでスーパーの惣菜を温めながら、なおも湊は考える。
 一応、運動部に入るのには他の目的もある。
 自分がシャドウとの戦いに身を投じる事は明らかだ。その時、この『女の子』の身体はどこまで耐えられるのか?
 ペルソナは確かに、身体能力を大幅に底上げしてくれる。だがそれだけに頼るのは、限界があるだろう。部活を通して少しでも、元になるこの身体を鍛えておくのは悪い事ではない。
 今は突付いただけで簡単に折れそうな身体を、いずれニュクスの攻撃を陵げるレベルまで作り変える。
 ところでよくよく思い出すと、運動部の新規募集が始まったのは、自分が既にタルタロスへ行った後ではなかったか。ならばその前に、自主的に身体の動かし方に慣れておく必要がありそうだ。性別からして違うのだから、以前の自分のつもりで動いても、身体がその通りについてくるとは思えない。ぶっつけ本番の実戦では不安が残る。

「……有里公子、か」

 ふと浮かび上がったのは、美鶴に対して感じる躊躇と同種の疑問だった。
 ――『有里公子』はどうなったのか?
 湊はこの世界がかつて自分の存在した世界のパラレルワールドで、有里公子は女性として生まれた有里湊である、という推測を立てている。それが正しいのか間違っているのかを確かめる術は無いし、どうして世界の壁を破って自分がこの世界にいるのかは考えるだけ無駄だと割り切った。
 ただ、性別が異なるという事は、そこに形成される精神もまた異なるという事だろう。つまりパラレルワールドの『自分』といえど、こうして今考えている自分とは別個の存在であるはずなのだ。
 ならば、……有里公子という『自分』は、どこへ行ったのか?
 この身体を動かしている自分は、有里湊だ。思考にも、自分以外の何者かが割り込んでくるような事は無い。有里公子の精神は、この身体に存在しないように思える。
 もしかしたら。有里湊は、有里公子を塗り潰し、殺してしまったのではないか?

「でも……結局はこれも、考えてどうにかなる事じゃない」

 考えながらも口と手はしっかり動いていたようで、我に返った湊は目の前の空になった食器を片付ける。食事を各自で用意するのだから、当然食器を洗うのも各自の仕事だ。
 夜間の外出はまだ許可されていないので、後はもう風呂に入って寝るくらいしかない。
 空回りするばかりの思考を打ち切り、湊は自室へと引き上げたのだった。


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