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No.18189の一覧
[0] 【ネタ・習作】P3P女主←無印P3男主憑依であれこれ【TS逆行憑依捏造】[みかんまみれ](2010/06/20 16:18)
[1] ●第一回●[みかんまみれ](2010/04/18 01:56)
[2] ●第二回●[みかんまみれ](2010/04/18 12:09)
[3] ●第三回●[みかんまみれ](2010/04/24 14:48)
[4] ●第四回●[みかんまみれ](2010/05/01 19:48)
[5] ●第五回● 4月21日~タルタロス初探索~[みかんまみれ](2010/06/05 21:00)
[6] ●第六回● 4月22日~“魔術師”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/06/05 21:09)
[7] ●第七回● 4月23日~『かつて』からの贈り物~[みかんまみれ](2010/05/29 22:03)
[8] ●第八回● 4月24日~“戦車”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/05/29 23:18)
[9] ●第九回● 4月27日~『噂』が呼ぶ悪意~[みかんまみれ](2010/06/20 15:59)
[10] ●第十回● 4月28日~“恋愛”コミュ発生~[みかんまみれ](2010/07/17 00:39)
[11] 蛇足もろもろ[みかんまみれ](2010/07/17 00:51)
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[18189] ●第十回● 4月28日~“恋愛”コミュ発生~
Name: みかんまみれ◆4e5a10fb ID:809f8e81 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/07/17 00:39


 湊がこの日、目を覚ましたのは時計のアラームが鳴る前だった。
 影時間やタルタロス探索といった夜更かしの割りに、日頃は規則正しく起床時刻を守っているのだが。まあ、遅くなるよりはいい。
 布団を抜け出し、まずはシャワーかと、タオルを収めてある箪笥に手を掛けて。
 ふと、疑問が浮かんだ。

 ……昨夜、自分はいつ眠りに就いたのだったか?
 部屋に戻ってきた記憶が無い。その前の出来事を順に思い出してみる。
 生徒会に入り、帰り際に暴行犯を撃退し、臨時寮生会議があって。そうだ、自分は美鶴に『かつて』の話をしようと――そこで何故か息苦しくなって、それから……

「――!! おれ、首…!」

 咄嗟に首を押さえて、そこに何も無い事を確かめた。
 だがまだ安心できない。壁際に設置された洗面台に駆け寄り、鏡を覗き込む。映し出されたのは、若干の怯えを滲ませた己の顔。強張った手をゆっくりと外し、その下から表れるのは白く細く――痣どころかシミ1つ無い、滑らかな首の皮膚だけで。

「……何も、無い? …夢だったのか?」

 気が抜けたように、呆然と呟いて鏡の前で立ち尽くす。
 あの現象が全て、夢か幻覚の類だったと? それにしてはあまりにも感触がリアルだったし、夢だとしたら逆に、一体いつから現実では無かったのか。確実に現実ではないと判断できるのは、せいぜいあの人影くらいだ。
 嘲笑う、『有里湊』の影。確かに自分の姿であるはずなのに、漂わせる雰囲気は酷く不吉だった。
 今にもその禍々しい気配が蘇ってきそうで、湊はぶるりと身を震わせる。

 自分の記憶の、どこまでが本当なのか。その場にいたはずの、美鶴に問えばはっきりする。
 早めに起きられたのは幸いである。さっさと身支度を終えて、ラウンジに下りる事にしよう。
 こびりつく不安を努めて忘却し、湧き起こる寒気を消し去らんと、熱いシャワーに身をさらす湊だった。

 シャワーで汗とともに昨日の嫌な感覚を流してしまえば、少しはさっぱりした気分になった。
 制服に着替えるのは朝食を取ってからでもいい。ワンピースに春物のカーディガンという出で立ちで下りてきた湊だが、1階にはまだ誰もいないようだ。
 考えてみれば当然だった。普段からすれば1時間近く早いこの時刻に、先に来てわざわざ待っている誰かがいるわけがない。
 落ち着こうと意識しても、やはりどこかに動揺が残っていたらしい。半端に空いた時間をどうするか思案しつつ、とりあえず冷蔵庫を開けてみて――ああ、賞味期限切れ直前の卵が大量に残っている。ここのところ自炊をさぼっていたので、予定が狂ったのだ。
 顔を上げた湊は時計を確かめて「よし」と頷き、再び階段を上がっていった。


 ゆかりはダイニングで朝食を取るために部屋を出た。
 どうも、気分が優れない。下の冷蔵庫にしまっている食パンをトーストにして、ストロベリージャムを一塗りという予定だったが、もうカロリーブロックだけで済ませてしまおうか。どうせ今日は、弓道部の朝練も無い事だし。
 階段へと歩き出して、しかし途中で足が進まなくなった。僅かな逡巡の後に廊下を戻り、自室を通り過ぎて、立ち止まったのは3階の一番奥――有里公子の部屋の前だ。

 ゆかりの気鬱の原因は、昨夜倒れた有里公子の容態にあった。
 目を閉じれば思い浮かぶ、美鶴の腕の中でぐったりとする有里公子の姿。美鶴の切羽詰った叫び声に呼ばれ、自分やほかの皆が1階へ戻ってきた時には既に意識が無かった。どんなに名前を呼んでも、一向に目を覚ましてはくれなくて。
 4人が4人ともに取り乱し、結局助けを呼んだはずの美鶴自身が真っ先に正気に返るという無意味な結果になった。
 とにかく有里公子を彼女の部屋へと移して――なりふり構っていられなかったので「俺が運ぶ!」と立候補した真田に任せた――その先は男連中を締め出し、ゆかりと美鶴で着替えやら何やら世話をした。
 それからもう1度、ラウンジに全員で集まって美鶴から詳しい状況を聞いたのだ。

 美鶴の話では、有里公子は美鶴に何事かを伝えようとしたところで、突然呼吸困難に陥ったそうだ。正確な原因は不明だが、だいたいの見当はつくと美鶴は憂いた。
 ポイントは、呼吸にしろ有里公子自身の仕草にしろ、首という部位に関係している点である。
 その日彼女が体験した、未遂とはいえ強姦されかかるという忌まわしい出来事。その中で彼女は、犯人の男に首を絞められて抵抗を封じられたのだ。恐らくその記憶がトラウマとなり、美鶴に話しかけた際の何かをきっかけとしてフラッシュバックを起こし、恐慌状態に陥ったのだろうと。

 ゆかりは、どうして彼女の苦しみに気付いてやれなかったのかと後悔した。
 彼女があまりにも何でもないように振舞っているので、本当に大した事はないのだと思い込んでしまった。けれど強姦なんて、女性にとっては想像すらしたくないおぞましい状況だ。未遂だったから、それがどうした? 剥き出しの欲望と悪意に、自身がさらされる恐怖に変わりはなかろう。

「……私が。…私だけは、あの子の事わかってあげなきゃいけなかったのに」

 こぼれ落ちた言葉には、ゆかりが有里公子に対して抱く思いの裏側が僅かに見え隠れする。だがゆかり本人はそれに気付かず。
 思い詰めた顔で、有里公子の部屋の扉を叩く。返事を待ち、数秒、数十秒、……

「いない? それとも、…ショックで、寝込んでるとか……」

 充分にありえる話だった。
 表面上は強がっていても、きっと彼女の内面は柔らかく、傷付きやすい。
 初めてタルタロスに挑んだ時の涙は、ゆかりの有里公子に対するイメージを強固なものにした。それ以前の出来事でも同様の感想を抱いてはいたが、あの光景は決定打だった。
 本当はとても怖いのに、戦おうとする彼女。……『私と同じように』頑張ってる、あの子。
 でも、頑張ったってどうにもならない事もあるし、心が疲れすぎて頑張れない日だってある。
 せめて今日ぐらいは、ゆっくり1人で休ませてあげよう。例の噂と今回の事件について考えれば、本当は事件翌日である今日こそ、いつも通りに元気だというポーズを校内で見せつけた方がいいのだが。
 ゆかりは静かにその場を立ち去り、当初の目的通り1階へと下りていった。

 廊下を歩いていくと何やらキッチンの方が騒がしい。いつもなら、朝であっても寮生全員が揃って食事なんて事は滅多に無いのだが。
 この寮の1階にある共用キッチンはダイニングと間続きであるため、正確にはダイニングキッチンと呼ぶべきか。その中央に置かれた大きなテーブルに、大小様々な皿に載せられた料理が並んでいるのが見えた。
 ゆかりは吸い寄せられるように、テーブルへと歩み寄る。席についている順平が、朗らかに片手を上げてよこした。

「……どうしたの、これ」
「おーう! ゆかりッチ、遅いじゃん! 今日の朝はお茶漬けでもコンビニ弁当でもないぜ! まさにこれぞ、日本の朝ごはん――」
「あんたの食生活に興味とか無いから。そうじゃなくて、誰が作ったのこれ。まさか桐条先輩じゃないでしょ」
「そうだな。あいにく私は家庭科の授業でくらいしか料理をした事が無い」

 名前を出した相手から直接答えが返ってきて、ゆかりは慌ててそちらを向いた。
 お盆を持ち、あまつさえそれに載った人数分の味噌汁を、テーブルに配膳している美鶴の姿。失礼ながら、似合わないという感想を持ってしまったゆかりである。遅ればせながら「おはよう、岳羽」と付け加えられた挨拶に、こちらも動揺しつつおはようございますと返すのが精一杯だった。
 さらに別の盆がテーブルに下ろされ、それを運んできたのは真田である。5つの茶碗のうち、1つだけがやたらと山盛りだ。

「よう岳羽。お前の分も持ってきたが、食うよな?」
「へ? あ、えっと、…私も食べていいんですか?」
「ああ、あいつは遠慮せず食えと言っていたぞ。賞味期限の迫ってる食材の処分だそうだ」

 あいつ、と真田が指す人物は、もう残った1人しかありえない。
 真田が移動して、ゆかりの位置からも障害物無しに見通せる壁際のキッチン。そこで忙しく動き回って、後片付けをしている後ろ姿。
 順平に名前を呼ばれて、振り向いた仕草に合わせて純白のエプロンが翻る。その瞳にゆかりを映し、何の不安もわだかまりも無く晴れ晴れと微笑んで見せて。

「ゆかり、おはよう」
「――おはよう、公子…って、大丈夫なの!? 休んでなくて平気?」
「うん? わたしは、別に何ともないよ。良く寝たし、体調だってバッチリ」

 有里公子の言葉に、嘘は無いように思える。だが、昨夜とてそう考えて結局は。
 ゆかりは美鶴と真田に視線だけで問いかけた。本当に、彼女は大丈夫なのかと。2人ともに頷いて返すのを見ると、どうやら自分以外も彼女に不自然な印象を見出す事はできなかったようだ。
 その時視界の端に、至極真面目な顔で有里公子を見つめている順平が見えた。
 まさか、自分や美鶴たちですら見落とす何かに、順平だけが気付いたというのだろうか? 順平はこちらの目を見返してくると、さも重要な事を告げるとでもいう雰囲気で、ゆっくりと口を開いた。

「オレのためにメシ作ってくれる、真っ白いエプロンの美少女……良くね? これ、マジ感動ものじゃね?」
「あんたにまともな反応期待した私がバカだった」
「えっ、何!? じゃあ今の目配せとか何の意味あったワケ?」

 残った洗い物を済ませようと、また背を向けた有里公子のところに真田が「手伝うぞ」と寄っていった。しかしあれは彼女の体調を心配しているというより、単に構いたいだけだろう。ゆかりも何かするべきかと思ったが、流し台の前に3人並ぶとなるとさすがに手狭なので、やめておく。
 彼女の平気だという自己申告を信じていいのか。
 前例があるだけに不安を収めきれず、席に座りながらもゆかりが美鶴に訴えるとこう説明された。

「彼女は昨夜倒れる直前の事は、よく覚えていないようだ。私に、昨日自分がどうしたのかと訊いてきたしな。それに、妙な事も言っていた。自分の首に痣が見えなかったか、とか……」
「痣、ですか? …何の事でしょう」
「トラウマを象徴するイメージかもしれないな。恐慌を起こすきっかけになっているのかも――いや待て、痣か。確か……」
「心当たり、あるんですか」
「………。いや、私の記憶違いだった。気にしないでくれ」

 何か知っているけれど言えない、という態度があからさまな美鶴を、ゆかりはじっとりと睨んだ。だが美鶴は、言わぬと決めて飲み込んだ事に関して、容易く口を割るタイプではない。
 食卓の険悪な雰囲気に、順平がわざとらしくため息をついて仲裁に入る。

「朝っぱらからよそうぜー? せっかくの公子ッチの手料理が、マズくなっちまう。こーんなに美味そうなのに、もったいねーよ」
「順平。あんたは公子が心配じゃないの?」
「大変だとは思うけどさ…ゆかりッチはちょい、過保護すぎんだよ。アイツそんなに弱くねーって。“特別”なんだから」
「“特別”って何!? それが酷い目に遭って平気だなんて理由にならないじゃない! 私はあの子の友達として当然の――」

 ガタンとテーブルを揺らす勢いで立ち上がるゆかりに、順平は面食らって「ど、どうどう、ゆかりッチ!」と両手で制する。もっともそんな暴れ馬でもなだめるかのような文句では、ゆかりの怒りをさらに煽るだけだったが。

「おいおい、何を騒いでるんだお前たち」
「ゆかり? …嫌いなおかずでもあった?」

 ゆかりたちは基本的に声を潜めて会話していたため、離れたキッチンにいた有里公子と真田には、内容は聞こえなかったらしい。片付けを終えて来てみれば何やらピリピリした空気で、2人して疑問符を浮かべている。
 有里公子のきょとんとした顔を見て、ゆかりはぐっと憤りをこらえる。何でもないよと少し引きつった笑顔で答え、椅子に腰を落とすと誤魔化すように彼女を褒め始めた。

「そ、それにしてもすごいね。公子って、料理うまいんだ。見た目と匂いからして、もう美味しそうって感じだよ!」
「本に載ってるレシピ通りだから、味はありきたりだけどね。卵を使っちゃいたかったから、そればっかりだし」
「これだけバリエーションがあれば充分だろう。私も今朝は、君の料理を食べてみたくて実家の厨房にキャンセルの電話を入れたよ」
「何だか不安です。最初から桐条先輩に食べてもらうつもりなら、こんな有り合わせじゃなくてちゃんとしたものを作ったのに」

 そんな冗談交じりに笑っている有里公子に、暗い影はやはり見当たらず。ゆかりはようやく、ひとまずの落ち着きを得たのだった。
 テーブルの正面では、いただきますを言う前におかずに手を伸ばした真田を、美鶴が笑顔で威圧している。幾許かのやり取りの後、全員席について食べ始めると、ゆかりもしばらくは食事だけに集中した。
 有里公子はああ言ったが、謙遜も甚だしい。確かにメインは玉子だが、ちゃんと栄養バランスを考えて他の食材も使ってあるし、何よりどのメニューも美味である。ゆかりの特にお気に入りは、甘く仕上げられただし巻き玉子だ。大皿から一切れ、二切れとつまむうちに、たちまち無くなってしまった。ほかの寮生たちも、それぞれ好みのものを確保して満足そうにしている。

 実のところ、この寮の食事事情は非常に貧弱である。いや、それも人によるのだが。
 他の寮では寮母がいて、寮生たちの食事を朝夕と用意してくれる。ゆかりが前にいた寮もそうで、この寮に来るまでゆかりは、食事の支度にかかる煩わしさとは無縁でいられた。
 しかしこの巌戸台分寮は、特別課外活動部の本拠地であるという理由から、一般人の寮母を置くわけにはいかないのだ。世話をしてくれる人間がいない以上、日常における雑事は寮生各自の負担となる。食事だって当然、自炊するか店屋物を買ってくるかしかない。かかる費用もそれぞれの自腹である。
 ゆかりも最初は自炊しようとしたのだ。けれど、ペルソナや戦いの事で悩んでいると、そちらまで手を回す精神的余裕は無くて。ついつい、コンビニやスーパーの惣菜とか、パンをトースターに突っ込むだけとか、簡単な方法で済ませてしまっていた。
 難儀しているのはゆかりばかりではないだろう。順平もゆかりの知る限りではカップ麺やコンビニ弁当ばかりだったし、真田はそもそも牛丼以外を食べているのを見た事が無い。……まあ、真田の場合は好きでそうしているのかもしれないが。
 恐らく今現在健全な食生活を送っているのは、実家の桐条家から毎日食事を宅配してもらえる美鶴ぐらいだ。もちろん、そもそも彼女の立場が自分たち庶民とは根本的に違うという事はわかっている。でも彼女が自分を基準にしてこの寮の生活状況を考えているとしたら、それは間違いであると言わざるをえない。

「つまりは久々にまともな食事にありつけて幸せって事で」
「何がつまりなんだ?」
「真田サンは牛丼食ってりゃそれでいいかもしんないけど、オレらには人間らしい食いもんが必要なんスよ!」
「なっ、牛丼を馬鹿にするな! いいか、牛丼はタンパク質と炭水化物を豊富に含む、ボクサーにとって必要な――」

 真田が何か長口上をまくしたてているが、誰も聞いちゃいない。
 ともあれ、終わりを見れば和やかな朝食風景であった。
 順平が音頭を取り、皆で声を合わせてごちそうさまをして。その光景に家族揃って食卓についた幼い頃を思い出し、ゆかりは湧き上がる温かい気持ちを噛み締めた。ゆかりが子供の頃を思い出す時は、いつも懐かしさと切なさが波のように交互に蘇ってくる。それが今は、辛さなど抜きに、ただほんのりと幸せな空気の中を漂っていられた。
 美味しいものをおなかいっぱい食べた後だから? 確かにそれは大きな要素だろう。でもきっと、何よりの理由は。

「――ありがとう、公子」
「どういたしまして。ゆかりの口に合ったかな?」
「うん、すごくおいしかった。……こういうの、ずっと忘れてたな。独りじゃないって、いいね」

 そうぽつりともらした言葉に、有里公子があまりに優しげな表情で頷くので。
 急に恥ずかしくなったゆかりは、「な、何言ってんだろ私!」と取り繕うと話題を変えた。今日から基本的に寮生同伴での登下校となる有里公子へ、初日は自分に任せろと見得を切る。
 有里公子が食材の補充のため帰りにスーパーに寄りたいと言うと、耳ざとく聞きつけた順平が、ならオレがと割り込んできた。ちゃっかりと自分の食べたいものを言い加えるあたり、狙いがバレバレだ。
 不届き者をしっしっと片手で追い払い、もちろん買い物も付き合うよと確約するゆかりであった。


 お昼を告げるチャイムが鳴り、生徒ばかりとなった教室の中は喧騒に包まれる。
 湊は机の上にランチクロスを敷いて、朝のうちに購買で買っておいた調理パンを取り出した。余裕があれば朝食の残りで弁当を作るつもりだったが、食欲旺盛な男子2名のおかわりで、ご飯もおかずも無くなったのだ。
 まあ、男だった頃の自分の食事量を考えれば、あのくらいは消費して当たり前かもしれない。

 それにしても本当に有り合わせで作ったものを、うまいうまいと皆して頬張る様を見ると、嬉しさ半分心配半分というところだ。湊の料理の腕前は、悪くはないが所詮は素人である。これまで一人暮らししてきた中で、食費の節約のために身に付けたスキルでしかない。まずいものよりはうまいものを食べたいから、作り続けるうちにある程度は上達できたと思うが。
 その湊の普通な料理にここまで食い付くというのは、普段の食生活どんだけ酷いんだ、とつっこみたくなる。本当に喉元まで出かかったのを誤魔化した事に、食べるのに集中している皆が気付かなかったのは幸いだろうか。
 少なくとも湊は『かつて』も手の空いてる時には自炊したし、外食するにしても定食屋でバランスの良いメニューを選ぶよう心掛けていた。……そういえば、『かつて』はキッチンで自分用に料理していると、後ろを順平がちらちらと通りかかったり咳払いしてみたりという事が何度かあったような気がする。とてもどうでもよかったので、毎回スルーしてるうちに向こうもやらなくなったが。もしかしてあれは、分けてほしいという意思表示だったのだろうか?

 回想の中の順平に微妙な申し訳なさを覚え、比較するように今朝の皆の笑顔を思い浮かべて。あんなに喜んでくれるのなら、また暇な時間があれば皆の分も作ってみようか。声には出さず、小さく喉の奥で笑う。
 傍目から見ると、いつもよりちょっとだけ機嫌が良さそうな湊であった。
 そこへ「公子」と名を呼ばれて、振り向くとゆかりが軽く手を振っていた。ゆかりは自席を立ってこちらへやってくると、湊の隣席の主が弁当を持って教室を出るのを見届け、その机を湊のものと向かい合わせにくっつける。

「ね、一緒に食べよ」

 ことさら親密な態度を装うのは、湊に悪意を持つ者たちへの牽制になればという思惑だろう。
 しかしこれは逆に、湊に巻き込まれてゆかりまでもが攻撃の対象とされたりはしまいか? 不安になった湊は小声で「ゆかりは大丈夫なの?」と確認してみた。ゆかりは最初何の事かわかっていなかったが、湊の気遣うような表情に合点がいったようだ。

「私の方は心配いらないよ。前に撃退してるし、弓道部のこわ~い先輩が味方だから」
「うん……でも、気を付けて。わたしはいざとなったらまたペルソナで何とかできるけど、ゆかりはそうじゃない」

 他の生徒たちには聞こえないよう、顔を近づけて囁き合う。互いの吐息すら感じ取れる距離に、意識の上ではあくまでもゆかりと異性である湊は、焦りに近いむず痒さを覚えてしまう。
 妙な気分を紛らわすように、湊の頭は別の懸念について考える。

 昨日寮に帰ってから幾月に言われて試してみたところ、湊のペルソナは召喚器を用いずとも、また影時間かそうでないかに拘らず、自由に発動が可能であるようだった。普通はその条件のどちらかが欠ければ、精神に尋常ではない負担がかかるものなのだが。これも『契約主』による加護の一環だろうか。
 けれど、あの暴漢を吹き飛ばした時点ではそんな事は知らなかった。あれは小田桐が傷付けられるのを見て頭に血が上り、自力では相手をどかせないけれど、それでもどうにかしたい――そういう願望が極まった末、手足の代わりにペルソナが出た、という感じだった。
 宿主たる湊の望みを反映しての動きなのは確かである。が、発動したいと意識しないうちに勝手に出てしまうというのは、どちらかと言えば暴走に近い。一歩間違えれば、小田桐が言った通り“事故”にもなりかねない危険をはらんでいる。……荒垣が、天田の母親を殺してしまったような“事故”に。

 1度ベルベットルームへ行き、もっと詳しく今の自分のペルソナ能力について訊く必要がある。早速放課後にでも寄りたいところだが、今日はゆかりが一緒にいる。ポロニアンモールの何も無い路地裏になど入っていくのは不審だろう。
 というか、コミュの事を考えるなら、登下校時に寮生の誰かと同伴せよというのは厄介な話だ。今日のように必要な買出しはともかく、寄り道は控えるよう言われたし、新たなコミュを求めてぶらぶらと街を歩くのも無理だろう。下手をすると休日も誰かと一緒でなければ外出できないのだろうか。

「……早く、何とかしたいね」
「うん。オトコ使って、自分は安全なとこから悪巧みとか卑怯にもほどがあるっての! 公子は絶対、私が守ったげる。それで黒幕も、引きずり出して二度と変な事考えれられないようにしてやるんだから」

 思うところは、少し違うが。湊もゆかりも、この状況をいつまでも続ける気は無いのは一致している。
 ゆかりはむしろ湊本人よりも怒っていて、黒幕を特定したら殴り込みに行きそうな勢いだ。しかしゆかりが殴り込むよりも先に、特定された時点で黒幕は退学処分にされていそうな……『かつて』風花の失踪を病欠扱いで隠蔽した江古田を、下衆と言い放って処断した美鶴の凛々しい立ち姿が目に浮かんだ。

 あまり長く内緒話を続けているのも、周囲の余計な好奇心を煽ってしまう。借りた席に座ったゆかりが、何でもなかったように自分の昼食を広げた。湊と同じく、購買で買ったサンドイッチのようだ。
 こちらに聞き耳をたてている生徒がいない事を確認し、小声で会話を再開する。

「やっぱり今日、普通に登校して正解だったよ。もし今日公子が休んだら、黒幕が調子に乗ってどんな酷い噂流したかって思うと」
「酷い噂って?」
「だからさ、ほら……公子が、」

 ゆかりの言いよどむ理由を察せらず、首を傾げる湊。
 何度もためらった末に、ゆかりが「ああもう、耳貸して!」と湊を引き寄せた。
 向かい合った机の上に2人ともが上体を乗り出す格好で、ぐっと目の前に迫ったゆかりの顔。そこから頭と頭で左右にすれ違うように、さらに互いの間隔を狭めて。熱を持った呼気が、耳元で産毛を揺らす。
 湊は思わず「…っ」と息を詰め、目をつぶった。そんな場合では無いのに鼓動が早まり、きっと頬も赤くなっている――困った事にこの有里公子の身体は耳が『弱い』らしい。男だった頃もややその傾向はあったが、ここまで敏感ではなかったはずだ。

「――公子が昨日、男に襲われて…その、……最後までされちゃったとか、そういう感じのだってば!」
「…あ、ありえないそれ。そんな事になるくらいなら、……逆に掘ってやる」
「え、掘る? って何?」
「相手の痛みを強制的にわからせる最終手段、かな? なるべくやりたくないけど。突っ込むモノも現場で適当に用意する事になるし」
「……ふ、ふーん。よくわかんないけど、強烈そうだね。それはともかく、ホントかどうかなんて関係無いんだよ。相手はそれで、公子が追い詰められて、真田先輩に誤解されればいいって思ってる。でも事件翌日に被害者のはずの公子が元気に学校来てれば、いくら噂でも信憑性無さすぎて、ただのデマだってわかるから」

 ぞくぞくくる感触を何とかねじ伏せて、ゆかりの話を噛み砕く。途中混乱したせいで変な事を言ったような気もするがどうでもいい。
 確かにそんな噂が立って、実際に公子がこの日休んでいたとしたら、何も知らない生徒は信じてしまうかもしれない。事実の一片を根拠とした事で、噂はより爆発的に広まるだろう。そうなってから否定しようとしても、簡単には収まるまい。
 しかし現実には、湊はこの通りぴんぴんしているし、真田はそもそも最初から湊の側である。黒幕の思惑は、今回に限って言えば何一つ成就しなかった事になる。犯罪事件まで起こすような相手が、このまま大人しく諦めてくれるとも思えないが。

 嫌な仮定についてはそれで終わりにして、ゆかりが湊の肩を掴んでいた手を離した。
 湊は顔を伏せてゆっくりと姿勢を戻した。まだ頬が熱いのを気取られたくなかったためだが――その不自然さを見逃してくれるゆかりでもなかった。「どうかしたの?」と下から覗きこまれて、当然のようにバレた。

「ちょ、な、何て顔してんの!? …え、私のせい? 何で!?」
「ご、ごめん。耳、すごい弱いみたいで……」
「そそそういうの先に言ってよ! え、どうしよ、どうしたらいいのこの場合!?」

 湊につられるように、ゆかりまで赤くなってわたわたと混乱する。
 結局2人とも落ち着いたのは、それから数分も経ってからだ。ちなみに教室での状況のため、外へ食べに出て行かなかったクラスメイトたちにしっかり目撃されている。

 さて、この物語をご覧の皆様ならばもう予想がついておいでかと思うが。
 今回の、湊とゆかりの顛末が一体いかなる噂となって広がるのか――語るまでもなく、また大筋に関わりのある出来事でもないので、この場で言葉を重ねる事は控えておく。
 必要であれば、いずれ折に触れて話題に上るだろう。


 ポロニアンモールの、交番から2軒隣で営業する瀟洒な喫茶店、シャガール。
 夜間も開いており、ませた女の子から年配のご婦人まで、広い年代の女性層をリピーターとして獲得している。人気の秘訣は、店独自のブレンドにこだわった“フェロモンコーヒー”。何でも、飲めばたちどころにフェロモンが出て、異性の視線は釘付けだそうだが……。

「うーん。効果あるのかな、これ? 味は悪くないけど」
「ゆかりはこういうのに頼らなくても、充分魅力あると思うよ」
「あははっ。公子がそういう事言う? …ってやば、公子がこれ以上魅力的になったら余計に変なのが湧くよ! 真田先輩とかも、そのうち本気でくらっと来ちゃうかも」
「無い無い。真田先輩の恋人は牛丼だから」

 ゆかりと有里公子は、学校の帰りにスーパーで食材を見繕い、さらに寄り道してシャガールで休憩していた。すぐに冷蔵庫に入れなければならないものは買っていないし、店内は空調が効いているので大丈夫だろう。
 ゆかりが常に張り付いていたからか、結局この日の学校内では、有里公子に対する悪意を持った働きかけは無かった。下校時も買い物中も、なるべく周囲を気にしてみたが、特に怪しい人物は見かけなかった。何も無いのは良い事だが、逆に全く動きが無いというのも、手掛かりが得られず調査が進まない。
 まだ熱いコーヒーを冷ましがてら、ゆかりはこの事件の展望について有里公子へと水を向けた。特に忌避する事もなく話に乗ってくる彼女に、湯気を散らす吐息に混ぜて安堵の思いをこぼす。相談といった形で話題にする程度なら、どうやら昨日のように倒れられる心配は無さそうだ。

 昨夜話し合った段階では、ゆかりはこの一件をすぐに片が付くものと考えていた。しかし事件翌日である今日に何の音沙汰も無いところを見ると、相手はそう馬鹿ではないのかもしれない。
 この件を解決するために必須なのは、暴行犯をそそのかした黒幕――校内に存在する、有里公子を害そうとするグループ――を特定する事だ。特定した後は、厳罰をもって改心させるなり、問答無用で排除するなり、そのあたりは美鶴や幾月に任せてよかろう。
 順平やゆかり自身の心当たりから、有力な容疑者の名前は既に上がっている。その容疑者たちが、噂に踊らされるままに有里公子をいびっていたという事実もある。だがそれだけではまだ、状況証拠にすら至らないのだ。何せ真田のファンで、有里公子を疎ましく思っている人間などいくらでもいるのだから!
 美鶴と幾月の影響力を背景にするとしても、不確かな噂や推測だけで一般生徒の処分に踏み切る事はできない。相手を黒幕として断じるには、言い逃れできないはっきりした証拠が必要だ。

 警察の方で暴行犯を取り調べているし、有里公子を襲うよう依頼した人物については、そのうち情報が回ってくるに違いない。本来なら警察の捜査情報が外部にもれるなどあってはならないが、そこはこの街における“桐条”の権威でどうにかなるのだろう。
 その情報に、ゆかりたちが目星を付けている容疑者の、特徴や名前などが一致すればしめたもの。たださすがに犯罪を犯すにあたって、馬鹿正直に本名や素顔をさらすとも思えない。偽名、変装といった線を考えれば、やはり決定打としては不足か。
 これは、長丁場になるかもしれない。2人して頭をつき合わせ今後の対策を話し合う中、ふと有里公子がこうもらした。

「何人もに依頼してるっぽいってのを、逆手に取れないかな。複数の証言を得られれば、状況証拠くらい出てくるかも。……いっそ、囮作戦とか。駅裏の溜まり場なんて、いかにもだよね。わたしが1人で行って、寄ってきた連中から何か聞き出せれば――」
「バカ言わないで! そんな危険な事、公子にさせられるワケないでしょ!?」
「で、でもわたしなら平気だよ。第一危険って言ったって、シャドウと戦うほどじゃ」
「それとこれとは別! ダメ! …もう、お願いだから、あんま心配させないでよ」

 ゆかりが意識して憂いの色をにじませれば、有里公子は言い訳を諦めて「…ごめん」と手元に視線を落とした。
 しかし本当にわかっているのか、微妙なところである。スプーンでくるくると無意味にコーヒーをかき混ぜて、まるで子供が怒られて拗ねているような仕草だ。
 これ見よがしに、はあっとため息を落としてゆかりは続ける。

「公子はさ、ホントに無防備すぎだよ? 男なんて狼なんだし、女だってさ、…嫉妬とか、色々汚い部分あるんだから。私は公子の事守ってあげたいと思ってるけど、公子自身が自覚無しでフラフラしてたら、守れるものも守れないよ」
「……うん」
「納得してないって顔。ここまで言って、まだ反論ある?」
「反論っていうか、…ただ、ちょっと不思議で」

 有里公子はそこで言葉を切り、口を開いてはまた閉じるといった躊躇を繰り返していた。
 ゆかりはじっと待つ。有里公子はこうして迷う時ほど、大切な事を言うのだ。
 やがて有里公子は、手遊びをやめると顔を上げてゆかりを見つめる。皿に置かれたスプーンが、チンと高い音を奏でた。

「……あの、ね。ゆかりは…どうして、こんなにわたしに優しくしてくれるのかな、って」
「どういう意味? だって公子は私の友達でしょ。友達を心配するのって、おかしい?」
「う、ううん。おかしくなんてないんだけど、何だか…何て言うのか、……ゆかり前に言ってたでしょ、自分の事もっとドライだと思ってた、って。それが、…わたしのうぬぼれでなければ、だけど。わたしにだけ特別、優しく接してくれてるような気がして」

 有里公子の言う、以前の自分の発言。それを思い出して、ゆかりは考え込んだ。
 確かにそのような事を言った気はする。あれは有里公子の登校初日で、鼻の下を伸ばしている順平のもとから彼女を連れ出したあたりでの話だったか。その後は順平をネタに2人して笑い合い、なかなかに冗談も通じる彼女に安心して1人で送り出し――。

 ……そうだ。あの頃はまだ、自分は有里公子をこれほどまで気に掛けてはいなかった。
 記憶喪失であると、前夜に聞いた。だから多少、彼女が不安にならない程度には親切にするよう気を配っていた。けれど、これも自分が言った事だが――危なっかしくて守ってあげなきゃって気分になってたけど、これなら大丈夫かな、と。
 その時点でゆかりは、彼女に過剰に干渉する事をやめたはずだったのだ。
 それを再び覆したのは、何故か。今の自分が彼女に対して感じる、この庇護欲めいた感情はどこから来ているのか。
 タルタロスで見た涙? いや、もっと前だ。あの巨大シャドウの襲撃で、屋上で彼女を背に庇った時には既にあった。
 ではその前はどうだろう。襲撃の前日も、やはり化粧についてわざわざ自分から教えに行くなど、同様の心理状態だったと思う。
 件の発言と、襲撃前日の間。有里公子の登校初日の、夜にあった事と言えば。

「……そっか。言われてみたら、そうかもしれない。…うん、私公子の事は他の友達と違うって思ってるんだ」
「友達と、違う?」
「あ、勘違いしないでね! 公子は友達だよ? でも、これまで『友達』として付き合ってきた人たちとは違うって言うか、…何か、もっと深い関係って言うかさ。上辺だけじゃない、本音で色々話せる相手だなって」

 有里公子の登校初日、その夜。ゆかりは幾月に作戦室へ呼び出され、美鶴と共同で有里公子の監視に就くように言われた。
 影時間の間だけとの事だったが、その際に監視対象の情報として彼女の詳細なプロフィールを書面で渡されて。本人のプライバシーを度外視したやり方に嫌悪を覚えつつも、読み込んだ内容から浮き上がってきた彼女の過去に、強く惹かれるものを感じたのだ。
 それを踏まえて襲撃の日を迎え、有里公子が入院、そして。

「公子が退院した日の夜、3階の休憩所でお茶したの覚えてる?」
「覚えてる、けど……もしかして、わたしの身の上について一方的に知っちゃったって、まだ負い目に思ってるの? あれはゆかりが自分の事も話してくれて、チャラになったよ? そもそも、最初からゆかりの責任じゃないんだし」
「うん、ありがと。それはあの時公子が許してくれたから、もういいんだ。そっちじゃなくて、…私の、両親の話」

 さらに当時の事を思い出すゆかり。
 10日間の昏睡から目覚めて寮へ帰ってきた有里公子を、ゆかりは見舞いの後に考えていた通り、2人だけのお茶会に誘った。
 寮の2階以上には各寮生の個室のほか、階段ホールから続くようにして共同スペースが設けられており、自動販売機とテーブルセットが置かれて休憩所となっている。
 初めは有里公子を自室に呼ぶ予定だったゆかりだが、いざ見回してみると、人をもてなせるような部屋ではなかった。別に汚らしいという意味ではない。これまで自分以外の相手を部屋に入れる必要を感じなかったので、向かい合って座れるテーブルのような家具が無く、話をするにもお互いベッドにでも腰掛けるしかないという状態だったのだ。
 そういうわけで休憩所で、コンビニ菓子に自動販売機の剛健美茶をおともに、お茶会もどきを開いた。
 話したのは、昼間病室で言えなかった、有里公子のプロフィールを彼女自身に無断で見てしまった事への謝罪。そしてもう1つ、ゆかりの家庭環境についてだった。
 有里公子は気にしていないと言ったが、ゆかりは自分だけが相手の情報を知っているのはフェアではないからと説いた。
 だが本当は、ゆかりの方が有里公子に知ってほしかったのだろう。自分の境遇を、そして彼女に抱いている親近感を。

「話したよね。小さい頃にお父さんは死んじゃってて、お母さんとは距離が空いてて……もう随分前から、私独りきり。忘れてるのかもしれないけど、公子も両親亡くしてて。ううん、忘れてるなら余計にだね。公子も、独り。私と同じだって」
「うん。聞いたね」
「今までの『友達』はさ。みんな、ちゃんと両親元気で…ちょっとした事でお父さん嫌いとか軽く言えちゃうような、幸せな子たちで。みんなには私の気持ちはわからないんだって思ったら、結局みんなの中でも私は独りで……友達なんて、口先だけだった」
「ゆかり……」

 ゆかりから目をそらす事なく、有里公子は話を聞いている。必要以上の言葉は挟まず、相槌や名前を呼ぶだけで続きを促してくれるのはありがたかった。今はとにかく、この思いを吐き出してしまいたかったから。

「でも公子は、私と同じだから。だからきっと…私の気持ちもわかってくれるって、思ったんだ。私だって、公子の気持ちをわかってあげられる。心からわかりあえる、本当の『友達』になれるだろうって、すごく嬉しかった」

 早口にそこまで言い切って、ゆかりはすっかり冷めたコーヒーで唇を湿らせた。
 話している間は興奮で押し潰されていた理性が、僅かながら戻ってくる。
 自分の告白に、有里公子はどう答えるだろうか? 彼女はゆかりが口を閉じた後、「心から…わかりあう」と呟いて目を閉じ、胸に手をあてて真剣に考え込んでいる。
 その間がもどかしく、ゆかりは次第に怖くなった。もしかしたら、自分の思いを拒絶されるのではないだろうかと。
 自分と同じである有里公子ならば、自分をわかってくれる。そう自身に言い聞かせつつも、けれど頭のどこかで「本当にそうだろうか?」と疑問を投げかける自分がいた。そんな思考に対して、彼女との友情を疑うなんてと憤るまた別の自分も。

 ……本当は、ゆかりが疑っているのは有里公子ではない。疑ったのは、ゆかり自身がたった今口にした言葉だ。
 嘘を言ったわけではない。確かに、先の言葉はゆかりの本心だった。でもそれは、――それは、『本当の友達』に抱くのにふさわしい感情なのだろうか?
 わかりあいたいと言いながら、相手の思いを決め付けて、同意を求める身勝手さ。
 ゆかり自身が、己の発言に秘めたその傲慢さをどこまで理解していたかはわからない。しかしその自らの過ちに、僅かなりとも気付いていたからこそ、ゆかりは未だ思索途中の有里公子に新たな質問をぶつけた。それにより、前言を有耶無耶にしたかったために。

「――なんて、ね。私だけ盛り上がっちゃって、バカみたいだよね。公子は別に、そんなの頼んでないのにさ。ごめんね、私が公子の事構うの、迷惑だった?」
「あ…ううん、そんな事ないよ! わたしは、その、…むしろ感謝してるし、純粋に疑問だっただけだから。わたしこそ、ごめん。言い辛い事、言わせちゃった。でも、ゆかりが話してくれて、嬉しかった」

 ところどころ声を詰まらせる有里公子だが、それは嘘で取り繕うためではなく、感情が飽和したせいだろう。その証拠に彼女の頬は喜びに火照って、笑顔の中心で光を弾く瞳は全く淀みない。
 思い通りの反応を得て、ゆかりも「えへへ」と笑み崩れた。

「よかった。なら、これからも思いっきり優しくしてあげるから、覚悟しといてよね?」
「うん。ありがとう、ゆかり」
「よしっ。それじゃ、そろそろ行こっか。あんまり遅くなったら、先輩たちがうるさいし」

 ゆかりは残ったコーヒーを一口にあおると、空になったカップを静かに皿に戻した。
 真似するように有里公子も一気飲みを――あれは少々量が多いような、しかし本人は飲み干すつもりのようだ――敢行し、途中で苦しげにしつつも、何とか全て胃に流し込んだ。陶器のカップが皿とぶつかって音をたてるが、喉を鳴らして一気飲みなどしておいて、今さら無作法も何もない。
 無理を通したツケとして、上がった息をはぁはぁと整えている有里公子に、幼子を見守るような心持ちになったゆかりである。

「大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
「うーん。公子ってどうしてこう、妙に男らしい事するんだろなー。たまにだけど…ってちょっと、ホントに平気!?」
「ゴホッ! …へ、平気平気! うん、何でもないよ全然! バッチリ!」

 男らしい、のくだりで唐突に咳き込んだ有里公子は、急に顔色まで青くなったように見える。
 彼女の平気はあてにならないとゆかりは思っているので、何度も重ねて確認し、最後は額に手をあてて熱を測った末にようやく納得してやった。眉尻を下げて情けない表情を向けてくる彼女に、「思いっきり、優しくするよ?」と前言を強調する自分は、たぶんとてもイイ顔をしている。でも、それもこれも心配ばかりかける彼女がいけないのである。
 買い物袋両手に店を出て、家路につく。有里公子がおろおろして、わたしも持つからと申し出てくるけれど、やんわりと拒否。
 実は結構重い。それでもゆかりをひっきりなしに気遣ってくる有里公子を見れば、これでちょっとは自分の心配もわかってくれるだろうかと、少し得意な気分になった。

「……ゆかり。わたし、」
「ん、なぁに?」
「――ッケホ、…ううん、何でもない」

 荷物を持つ持たないとじゃれている最中に、ふっと有里公子の声に影が差した気がして、ゆかりは彼女を振り返った。
 だが、彼女は言い掛けた言葉を飲み込んでしまったようだった。首元に手を置いて考え込む様子が少し引っかかる。また、何か辛い事でも思い出しているのかもしれない。あるいはゆかりの意趣返しが効き過ぎたのだろうか。

 ゆかりから見た有里公子は、かなり子供っぽい。感情がすぐに顔に表れるし、言動の端々に幼さがにじんでいる。隠し事も苦手のようで、悩んだり苦しんでいれば一目瞭然だ。
 しかし周囲に対して無意識に強がって見せるので、大丈夫と言い続けて倒れるまで、本人すら無理をしている事に気付いていない場合があったりする。しかも、本当に辛くてたまらない時でも、彼女は他者に助けを求めようとしない。彼女は独りだから、きっと頼れる相手がこれまで周囲にいなかったのだ。

 でもそんな彼女の姿は、自分だけが気付いている事なのかもしれないとゆかりは思う。だってそうでなければ、こんなに『可哀想』で優しくしてほしがってる彼女を、ほかの皆はどうして気に掛けないのだろう? 順平なんて、彼女を友達だと言いながらも「アイツは“特別”だから」と言い訳して、実際は遠巻きに見ているだけではないか。
 そうだ。自分だけが、彼女の本当の辛さをわかってあげられる。彼女と同じ、独りの自分だけが。

 ――だから私が彼女に優しくしてあげないと。
 優しくしてあげる。ねえ、優しくされたら、嬉しいでしょう?
 だって私は嬉しいもの。私は『優しくされたかった』もの! だから私と同じこの子に優しくするの。可哀想なこの子に!

「やっぱり持つよ、ゆかり」
「どうしようかなー」
「持ち手のところ、食い込んでて痛そう。ゆかりが痛いの、わたし嫌だよ」
「私も公子が痛いの嫌だな。なのに公子は私に黙って危ない事するんでしょ? あーあ、心配だなー」
「…し、しないよ! 囮とか、もう考えてないから!」

 やはりまだ諦めていなかったか。そう言わんばかりに睨めば、有里公子は今度こそ反省したように「ごめんなさい…」と俯いた。
 これ以上は優しくするよりもいじめに近くなってしまうだろう。仕方ないという雰囲気を装って立ち止まり、ゆかりはビニール袋の片方を有里公子に差し出した。ぱっと顔を上げた有里公子は、素早く袋を受け取ってゆかりから遠ざけてしまう。
 そんな後ろ手に隠さなくても、取ったりしないというのに。

「ありがと、ゆかり!」
「それって私の台詞じゃない? てか、取らないからその持ち方やめようよ。重いんだから、バランス崩すよ」
「大丈夫。わたし、重いもの振り回すの自信あるから。バス停とか」
「……それ、どこからツッコんでほしいの? むしろ私に対する挑戦だよね?」

 再び軽快な会話を交わしつつ、笑顔で歩き出す2人。
 本音を吐露しただけ、これまでよりさらに互いの心を通じ合ったという喜びを感じながら。

 ……ゆかりは、理解しているだろうか。
 有里公子に優しくするのは、彼女が自分と同じだから。彼女の姿に、自分を重ねているから。
 幼い印象の強い彼女に、『優しくされたかった』幼い頃の自分を投影しているから。『可哀想』だった自分を見ているから。
 彼女に優しくする事で、過去の自分が優しくしてもらったような錯覚に浸る。それは心理学で言う、代償行為に相当するだろう。彼女への友情の発露だと自身を誤魔化して、結局は全て自分のためにやっている事なのだ。

 もちろん、内心がどうあれ実際の行為が相手のためになっている事は変わりない。
 ただゆかり自身が、己の行動の根底にあった心理を自覚した時、自分をどう思うのか。
 今はまだ、わからない。けれど、本当に有里公子とわかりあいたいと願うのなら。そして彼女がゆかりとわかりあいたいと思っているのなら。ゆかりはいずれ、自分の心を真っ向から見つめなければならなくなるだろう。
 今日の問答は、ほんの始まりに過ぎない。


「ただいまー」
「戻りました」
「岳羽も有里も、お帰り。今日は無事に過ごせたようだな」

 寮へ帰ると、ラウンジで待っていた美鶴が出迎えてくれた。
 湊はゆかりから残りの買い物袋を受け取って、キッチンの冷蔵庫へと向かった。ゆかりの方は早速この日の出来事を美鶴へと報告している。とは言っても何も無かったのだが。
 食材を冷蔵庫へ詰め込みながら、湊はシャガールでのゆかりとのやりとりを思い返す。
 心からわかりあえる、本当の友達になりたいとゆかりが思ってくれていた事。
 少し手を止めて、胸の奥に灯った新たな光に意識を向ければ、そこには“恋愛”のコミュニティ。自分とゆかりに、絆が芽生えた証。

 湊はこれまで、頭のどこかでやはり『かつて』のゆかりのイメージを基に考えていたらしい。この世界でゆかりが、自分に対して妙に優しくしてくれる理由が気になって仕方なかった。
 だが、直接聞いてみれば何という事もなかった。結局は『かつて』自分がゆかりに積極的に関わろうとしなかったというだけで、きっとゆかりは元から情の深い人間であるのだろう。情を向ける相手を彼女はちゃんと選んでいて、『かつて』自分はその中にいなかった、という事なのだ。
 そして今、自分はゆかりとコミュを築いた。友達として、互いにわかりあいたいと願って。
 これからもたくさん話をしよう。その過程でゆかりの事を知り、自分の気持ちも知ってもらって、もっと仲良くなれる。未だにゆかりの優しすぎるというか、子供をあやすような態度が慣れずにくすぐったいけれど、女の子の友情ってこういうものなのかもしれないし。

 ただ1つ不安材料というか、ゆかりのみならず皆とわかりあうために、障害となる要因が自分にはある。
 実は男だとか、未来を知ってるとか、つまりは『かつて』の記憶について、他者に話す事ができないという事実だ。
 話さない、ではなく、話せない。自分の意思に関わらず、『かつて』の知識を誰かに話そうとすると、息ができなくなる。シャガールからの帰り道で、ゆかりに話しかけてやめたのもそのためだ。昨夜倒れた時と全く同じこの感覚は、自分が今もあの痣――そして嘲笑う自分自身の影――に監視され続けているという恐怖を呼び起こした。

 誰にも、本当の事を言えない。
 これまでは言っても信じてもらえないとか軽蔑されるとか、自分が話したくなかったから話さなかった。しかしいざ話したいと思ってみれば、得体の知れぬ存在に邪魔される。直接口にできないなら手紙で、とペンを取れば、また手首に浮かび上がった痣によって手を握り潰されそうな痛みを味わった。

 自分の『かつて』の記憶について伝えられないという事は、それを元にした仲間への警告や説得も難しい。何せ根拠が無いのだから。
 幾月が裏切ると知っていても、どうしてそう考えたのかを言えない。ゆかりの父に着せられた罪が濡れ衣だという真実も、皆が幾月を信用しているこの状況では、当のゆかりにすら信じられないだろう。
 この世界の未来を、自分の知る『かつて』と同じにはしたくない。自分も死なず、世界も存続させたい。
 昨夜できるなら美鶴に全てを話し、協力を得たかった。だがそれが無理だというのなら。

 ――誰にも話せないのなら、やはり自分独りで全てを行うしかないのだ。

「ん、どうしたんだ有里。冷蔵庫の前で難しい顔なんかして」
「……真田先輩。…いえ、何でもないんです。明日はお休みだし、また皆の分もごはん作ろうかなって」

 既に食材は綺麗にしまい終えていた。
 湊がその場をどくと、真田は「そいつは楽しみだ」と笑いながら冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。ペットボトルのラベルにはマジックで真田の名が書いてある。キッチンに置かれたこの大きな冷蔵庫は共用なので、特に水などは誰のものなのかわかるように記名が推奨されているのだ。

「まだ言ってなかったが、お帰り。今日は大丈夫だったか?」
「ゆかりから桐条先輩にも報告してくれてますけど、何も無かったですよ。……あれ、まだ話してるんだゆかり。珍しいな」
「そうだな、何か盛り上がってるみたいだぞ」

 真田がラウンジの方を見ながらのんきに言う。ラウンジとダイニングキッチンの間も、上半分が透明な間仕切りのみで繋がっており、そこそこ見通しが利く造りだ。
 ゆかりが美鶴を苦手にしているのは知っているので、2人だけで何やら話し込んでいる光景は湊には意外に映る。もちろん仲が良くなるにこした事はないから、湊が口出しする話でもないが。延々と学校での湊の様子を話してるとも思えないし、美鶴があんなに興味を示すような話題なら自分も是非知りたいところだ。
 ……おや、これはゆかりに嫉妬してしまったという事だろうか?
 美鶴の事となると、我ながら本当に心が狭い。真実を打ち明けられないとわかって、少し焦っているのかもしれない。
 黙りこんだ湊に、真田が話題を変えて話しかけてきた。

「しかし随分買い込んできたな。あれ全部明日の俺たちのメシになるのか?」
「さすがに全部じゃないですよ。でも大半は使ってしまうと思います。生野菜だと多いように見えても、調理して嵩が減りますから」
「そうか。これだけ一気に使うんなら、食う側の俺たちが材料費ぐらい払わないとまずいんじゃないか? 調理代金については、まあ、サービスしてもらえると助かるが」

 後半は冗談めかして言う真田に、湊も笑って「じゃあ、次からは徴収しちゃおうかな」と返しておいた。ちなみに、明日の次の予定は今のところ無い。手間隙かけて複数人分をゆっくり料理していられる日は、そうそう多くないのである。
 再び美鶴たちの方を見ると、ようやく話が終わったようだった。
 僅かな嫉妬らしき感情も、真田の問いに答えるうちに消えていた事に湊は少しほっとする。
 仲間内で嫉妬とか三角関係とか、どんな悪夢だ。現状ではまだ湊の一方的な片想いなのだから、そんなのは妄想に過ぎないが。

 ……ありえないが、もし『かつて』湊がゆかりや風花にも手を出したとしたら。
 きっとそれはそれは恐ろしい修羅場が巻き起こった事だろう。半笑いで「無いなー」と呟く湊が、その仮定が自らの可能性の1つであったと知る事は永遠に無かった。
 そしてまた、今思い浮かべたのとは異なる顔ぶれによる、仲間内での恋情の交錯。そんな可能性についても、のほほんと明日の朝食について考えている湊は思い至らないのであった。


     ――初稿10/07/17


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