司州河南郡 洛陽 かつて漢の帝都として繁栄していた頃、洛陽の後宮では皇后、妃嬪、そして彼女らに仕える宦官など多数の人間が起居していた。その総数は数千に達し、時には一万を越えることもあったという。 対して、現在の後宮はどうかといえば、単純な人数では十分の一にも及ばない。最盛期に比すれば百分の一にも達しないだろう。皇帝劉弁はいまだ皇后を迎えておらず、また女色に興味を示すような年齢でも性格でもなく、後宮の住人のほとんどは何太后に仕える者たちで占められている。彼らの数は百に満たず、その多くは洛陽政権の事実上の主宰者である李儒の息がかかった者たちであった。 これは李儒にとって、皇帝を薬籠中の物とするために当然ともいえる措置である。 このことは李儒の政敵である司馬朗も見抜いており、彼ら後宮内の人間たちが、李儒からなんらかの指示を受けているのではないかと疑ったゆえに、当初は自分ひとりで後宮に赴くつもりだったのである。後宮は皇帝以外の男子不入の場所であるが、内からの手引きがあればその限りではない。 だが、幸か不幸か、この日、一度は後宮に戻った劉弁は、夜になって再び宮廷へと戻ってきた。西門から袁紹軍襲来の報告がもたらされたためで、このおかげで司馬朗たちは危険をおかして後宮に踏み込む必要がなくなったのである。「おお、朗! それに懿もいるか、二人とも、はやく朕のもとへ」 司馬姉妹が宮廷に姿を見せると、劉弁は目を輝かせて二人を側近くへ招いた。 李儒からの知らせを受けて宮廷へ出てきたものの、廷臣の数はまばらであり、李儒も西門に出撃しているためにこの場にはおらず、劉弁は困じ果てていた。そんな劉弁にとって司馬姉妹は暗夜の灯火に等しかった。「陛下、何事が出来したのでございますか?」「儒からの知らせでな、敵軍が夜襲を仕掛けてきたそうだ。西門の休とやらいう将軍が防いでおるそうだが……」 劉弁が口にした情報は、姉妹が予測もし、期待もしていたものとほぼ重なる。司馬朗はさらに問いを重ねた。「李太守の姿が見えないのは、敵に備えるためでしょうか?」「あ、ああ、そのようだ。朕が知ったのもつい先刻なのだが。今、南陽の兵は城外に出払っており、かわりに弘農の者たちが宮殿の守備についている」 李儒の独断による配置換えということか。劉弁の言葉から、司馬朗たちはそう受け取った。 李儒は城外で袁紹軍と戦って身動きがとれず、後宮まで赴かずとも劉弁を説くことができる。司馬朗たちにとっては願ってもない状況だが、だからこそ慎重に事にあたらねばならない。 特に劉弁が口にした最後の部分が、司馬朗に警戒を促した。「弘農……では、今は樊将軍が――」 司馬朗が日ごろから敵意を向けてくる人物の名を口にした途端。「いかにも、宮殿の守備は我らが承っておる。何か異存でもあるのか、司馬伯達」 そう言って大股で劉弁のもとに歩み寄ってきたヒゲ面の武将こそ、二千強の弘農勢を率いる樊稠その人である。 樊稠の手に、これみよがしに愛用の戦斧が握られているのを見て、司馬朗の後ろに控えていた司馬懿の目がすっと細くなった。 皇帝の御前で武器を携えることが許されるのは、ごく限られた者だけである。樊稠があからさまに武器を見せ付けているのは、自らがその立場に立ったことを知らしめるためであろう。 そう考える司馬懿の眼前では、司馬朗が樊稠に言葉を返していた。「異存というほどのことではありませんが、袁紹軍は五万を越える大軍。李太守率いる南陽軍は三万に届かぬとうかがっています。敵が兵力差を利して宮殿に押し入ってくることも考えられましょう。そうなった場合、樊将軍と弘農の方々だけでは陛下をお守りすることは難しいのではないか、と案じられてならないのです」 これを聞いた樊稠は、ふん、と司馬朗の不安を鼻先であざわらう。「机上でしか戦を知らぬ文官はこれだから困る。確かに敵は兵力に優るが、こちらには守戦の利がある。外壁、内壁、楼台、防御に使える拠点はいくらでもあるのだ。五十万の大軍ならいざしらず、五万程度の敵にかなわぬ理由がどこにある? 臆病者は戦が終わるまで部屋で震えておればよいわ」 このあからさまな嘲笑に、司馬朗はこたえようとしなかった。 かわりに口を開いたのは表情を険しくした劉弁である。「――稠、言葉が過ぎるのではないか」「おお、陛下、お許しください。わしは戦塵を駆けることしか知らぬ武骨者、言葉を飾るのは慣れておりませぬでな」 そういって樊稠は大げさな身振りで頭を下げる。司馬懿の目には、樊稠の動作は皇帝の注意に恐れ入ったためのものではなく、顔に浮かんだ軽侮の表情を隠すための動作であるように思われた。 だが、劉弁はそこまで考えなかったようで、樊稠がさらなる敵意を口にしなかったことに安堵の表情を浮かべた。「う、む。わかってくれればよい。頭を上げよ。朗も稠も朕に仕える者、まして今はこのような危急の時だ、共に手をたずさえて朕をたすけてほしい」 劉弁の言葉に二人はかしこまってうなずく。それが不可能であることを、それぞれの理由で確信しながら。 その後、幾人かの臣下が新たに姿を見せたが、有効な手立てを講じることはできなかった。 洛陽内の軍権を掌握しているのは南陽軍であり、彼らからの知らせは先の一度のみ。内外の情勢がまったくわからない以上、策の講じようがなかったのである。もっといえば、なにがしかの策を講じたところで、皇帝や廷臣たちに動かせる兵力などタカが知れていたが。 袁紹軍襲来という事実は、人々の心に様々な憶測を生み、宮中の混乱を加速させるばかり。 司馬朗は早々に軍議を打ち切るよう進言し、劉弁もこれを受け入れた。このままでは無益に時を費やすばかりであるのが明白だったからである。◆◆ 宮殿の一室に、皇帝の驚きの声が響く。「ら、洛陽を出る?! 朗、それはどういうことか」「言葉どおりの意味でございます、陛下。このままでは御身に凶刃が届くは必定。災いを避けるためには、この地を離れるのが最良の手段であると存じます」 司馬朗は自分たち姉妹の考えを、できるかぎり手短に劉弁に伝えた。 室内に他の廷臣の姿はない。常であれば、劉弁の身辺には李儒か、李儒に従う南陽兵が護衛と称して張り付いているのだが、今現在、宮中に南陽兵はおらず、役目を引き継いだ樊稠も劉弁のために兵を割こうとはしなかった。 ただでさえ少ない兵を割きたくなかったのか、それともあえて割かなかったのか。 それはわからないが、どのみち劉弁に決断を求めるためには司馬朗たちの考えを伝えなければならない。邪魔が入らないのは幸運と思うべきだろう。 そして今、実際に司馬朗の考えを聞かされた劉弁は、求められた決断の重さに目を白黒させていた。 今日これから洛陽を捨てる、などという案を即座に拒絶しなかったのは、劉弁が司馬朗たちに抱いている信頼と親愛ゆえである。 だが、だからといって、せっかく得た皇帝の座を自分から投げ捨てる決断を下せるほど、劉弁は腹が据わってはいなかった。 そして、それは司馬朗らも予測するところであった。その決断を下せる人物ならば、これまでの司馬朗の諫言が無為になることもなかったであろう。 ここではじめて司馬懿が口を開いた。「陛下、一万に満たない曹操軍に敗れた軍に、どうして五万を越える袁紹軍を退けることがかないましょうか。敵が宮中に侵入してからでは遅うございます」 むろん、戦いはそれほど単純なものではない。司馬懿はそのことを知悉していたが、劉弁を説くために、あえて戦況を平易に表現したのである。 一万を相手に勝てない軍勢が、五万相手に勝てるわけがない。その言葉は、劉弁の耳に道理と響いた。心の臓が不規則に脈打つのを感じながら、劉弁は口を開く。「し、しかしだな、懿よ。袁紹は三公を輩出した名家の出。その軍が、皇帝に刃を向けるという非礼を犯すであろうか?」「申し上げにくいことですが、袁紹どのは陛下を皇帝として認めてはおりません。そのことは、陛下の許昌追討の檄文に対し、返書すら認めなかったことでも明らかであると存じます」「む、む」「さらに申し上げれば、南陽が偽帝の勢力下にあったことは天下周知の事実です。袁紹どのは偽帝と犬猿の間柄。この一事をとってみても、袁紹どのが陛下に対して臣としての礼節をもって接する可能性は低いと断じざるを得ません。洛陽を攻めるにおいて、使者のひとりも遣わさなかったことも、この考えを裏付ける証左になるかと」 劉弁はひとこともなく口を噤む。袁術の臣下であった李儒を重用している劉弁を、袁紹が皇帝として認める可能性はないに等しい。司馬懿の言葉には反駁の余地がまったくなかった。 じわじわと足元が冷たくなってくるのを劉弁は感じていた。自身に迫る危険が、少しずつ実感できるようになってきたのである。「騰(馬騰)のもとにゆけば大丈夫であろうか?」 不安げな言葉に応じたのは、今度は司馬朗の方だった。「必ず、とは断言できかねます。しかし、馬州牧は諸侯の中でただひとり、陛下の檄に応じてくださった御方。最も頼りになることは間違いございません。一族の馬岱どのも協力を約束してくださっています」「おお、岱もか」 西涼軍の一将の名が具体的にあがったことで、劉弁は力を得たように表情を明るくした。先ごろ、虎牢関が曹操軍によって落とされた際、反逆を疑われていた馬岱が、逆に反逆者たちをひっとらえて朝廷に突き出したことを思い起こす。劉弁はそのことを覚えており、それは馬岱のみならず西涼軍そのものを信頼する要素ともなっていた。 ふらついていた心の天秤が一方へと傾いていく。劉弁は自らに言い聞かせるように、ためらいがちに何度かうなずいた後、不意に小さく笑った。「思えば、朕に今日があるのも、先の大乱で防(司馬防)に救われたゆえ。わかった。朗、それに懿よ、そなたたちの言に従おう」 その言葉を受け、司馬家の姉妹は深く頭を垂れる。 第一の関門は突破した、と期せずして姉妹の思いが重なった。だが、安堵はしない。難関が待ち受けているのは、むしろここから先であることを二人とも承知していた。「しかし、母上にはどう申し上げたものだろう……」「私どもがご承引いただけるよう説得いたします。ただ、後宮内では何かと差し障りがございますゆえ、陛下には皇太后さまをこちらの宮までお連れいただければ。しかしながら、くれぐれも洛陽退去のことは口になさいませぬようお願い申し上げます」 なるべく人目につかないように、という条件を司馬朗は口にしなかった。立場的にも、性格的にも、無理であることがわかりきっていたからである。 女官や宦官を引き連れてやってこられると色々な意味で面倒なことになるが、それでも勝手のわからない後宮にいるよりは対処しやすい。 問題があるとすれば――司馬朗が妹を見ると、妹もまた司馬朗を見つめていた。その目にはかすかな不審がたゆたっている。おそらく、自分の瞳にもそれはあるだろう、と司馬朗は思う。 さきほど、いっそあからさまなくらいに司馬朗に隔意を示してきた樊稠。その妨害がここまでまったくないことが訝しい。司馬朗が皇帝と接触することを、あちらが看過する理由はまったくないはずなのだが。 李儒と樊稠が通じていることは間違いないと思われるが、その企みの詳細までは知りようもない。共通の目的を持って動いているのか、それぞれが個々の利害打算のために動いているのかもわからない。 いつ何が起きようと、すぐに対処できるように備えておくこと。それがただひとつの対応策であることは承知していたが、何も起きないという状況はそれだけで精神をすり減らす。それは司馬姉妹といえど例外ではなかった。「んー、確かになんだかヤな空気だよね。いつ崩れるかわかんないオンボロ屋敷に入ったときみたいな。あんまり長居はしたくないかも」 劉弁と共に後宮へと向かう途次、女官に扮している馬岱は、司馬懿が感じている不安をそのように表現した。 目に映る範囲では何事も起きていないが、その実、見えない部分で崩壊が始まっている感覚。天井からこぼれ落ちる埃が、柱が軋む音が、建物の倒壊を告げる無言の警告となるように、目に見えない『何か』が事態の破局を訴えかけている。馬岱は鋭敏にそれを感じ取っているのだろう。 司馬懿は素直に感心して、さらに何事かを問いかけた。しかし、その足が不意にとまる。 司馬懿だけでなく、司馬朗も、そして馬岱も同時に足をとめた。 後宮へと続く通路、その奥から流れてきた空気に、宮殿という華やかな場とは異質な『何か』を感じ取ったのである。「む? どうした、朗、それに懿も」 不思議そうな顔で劉弁も立ち止まったが、その顔に不審の色はない。馬岱の名を呼ばなかったのは、馬岱が女官に扮しているからである。 もう一つ、劉弁が司馬懿らが感じた異変に気付かなかったのは、それが劉弁にとって馴染みのない感覚だったからだ。 だが、慣れた者には間違いようもない。司馬朗は塩賊掃討で、司馬懿は并州動乱で、馬岱は戦場で、空気中にかすかに漂うこの臭いには慣れていた。(血の、臭い) 司馬懿は内心で断定する。 次に思い浮かんだのは、引き返すべきだ、ということ。今すぐ、皇帝のみを連れて宮殿から逃れ出るべきだ、と誰かが声をあげている。この先に行ってはならない、と。 だが――「姉様、皇太后さまが」「ええ、急ぎましょう」 どうして後宮から血の臭いが漂ってくるのかはわからない。だが、後宮にいる何太后を見捨てるという選択肢をとることはできないし、そのつもりもなかった。「馬将軍は――」「あたしも行くよ。こんな時のための武官でしょ? あ、今は女官だけどねッ」 にこりと笑う(すぐ引っ込めたが)馬岱に、司馬朗と司馬懿は深い感謝を込めて一礼した。 女官に頭を下げる姉妹を見て、劉弁は不思議そうな顔を怪訝なそれに変えたが、疑問を口にすることはなかった。理由を看破したわけではない。なんとなく、それをすべきではない、と感じたからである。 ゆえにこの時、皇帝劉弁は声を発さなかった。 彼が声を発したのは、四肢を刺し貫かれ、後宮の門に磔にされた母の姿を目の当たりにした時である。◆◆◆ 弘農勢を率いる樊稠は、その絶叫を耳にしたとき、迷いに迷っていた。 司馬懿らが不審を感じるほどに樊稠の動きがなかったのは、深遠な意図あってのことではなく、単純に樊稠自身が迷いを抱え、動けずにいたからであった。 樊稠は司馬朗を嫌っており、彼女らを宮廷から排することにためらいは感じていない。それがこの世からのものであってもかわらない。 李儒から司馬朗の排除――殺害を唆された時も迷うことなくうなずいた。 だが、今の樊稠には迷いが生じている。他でもない、李儒に対する不審が原因であり、その不審に気付かせたのが張繍の進言であった。 張繍自身がどう感じているかは知らないが、樊稠は張繍に対して悪意は抱いていない。ただ、常日頃の軽薄かつ軟弱に振舞う態度を改めさせるべく、ことごとにきつく当たっているに過ぎない。盟友たる張済の跡継ぎとして、張繍のことを認めていないわけではないのである。 ただ、当然というべきか、特別扱いをするつもりはなく、まして自分と同格だと考えているわけでもなかった。 今回の件に関しても、張繍には宮殿北側の守備を任せただけで、司馬朗排除の計画や、李儒が口にした教唆などは一切伝えていない。 にも関わらず、弘農勢が宮殿守備に就くと伝えられた張繍は、樊稠に対して李儒が持つ危険性を口にした。「信用するあたわず。使い潰されるのみ、か」 ヒゲをしごきながら、張繍の言葉を思い出す。 当人に対しては若輩者は黙っておれと一蹴したものの、進言自体を蹴飛ばす気になれなかったのは、樊稠自身がかけらも李儒を信用していなかったからだ。 それでも所詮は白面の文官、大それたことはできまいと高をくくっていた。南陽軍という武力を手にした後も、李儒が樊稠ら弘農勢を重んじる姿勢を崩さなかったからである。 だが、それも弘農勢を利用するための李儒の一手なのだとしたら。 李儒は、樊稠が証拠なく司馬朗を始末しても、これを咎める者はいないと口にしていたが、それはつまり、李儒が証拠なく樊稠を始末しても咎める者はいないということ。 いや、後者の場合、李儒には樊稠を処断する確固とした理由がある。証拠なく司馬朗を殺害した罪、という。 それに思い至ってからというもの、樊稠はずっと悩み続けていた。 宮殿北を守る張繍から袁紹軍襲来の報告を受け、迷いはさらに深くなった。戦況は明らかに李儒が想定していたものとは異なってきている。このままでは司馬朗を討つどころか、樊稠や弘農勢そのものが危うくなってしまう。 だが、これらもすべて李儒の思惑のうちにあるとしたら、軽率な決断は後日に悔いを残すことになるやも知れぬ。 迷いは迷いを産み、戸惑いは戸惑いを加速させる。疑心に宿る暗鬼により、樊稠の心は千々に乱れていた。度重なる張繍の報告に対し、何の返答もしなかったのは、何をもって動くべきかがまったくわからなくなっていたからであった。 その悩みを強引に断ち切ったのが、宮殿全体に響き渡ったのではないかと思われる絶叫だった。 戦場であればめずらしくもない悲鳴だが、ここは洛陽宮、しかも声はかなり奥まった場所から聞こえてきたように思う。何が起きたにせよ、無視することはできない。樊稠は待機させていた直属の兵を率いて宮殿の奥、後宮の方角へと向かった。迷い続ける自身に嫌気が差し、行動による停滞の打破を目論んだ、という面もすくなからずあっただろう。 そして――「……な、何だ、これはッ?!」 そこで樊稠が見たものは、惨殺され、門に打ち付けられた何太后と、それにとりすがって泣き叫ぶ皇帝の姿だった。 二人の周囲には、かぞえれば十を越えるだろう数の死体が無造作に散らばっている。おそらくは何太后を守るために――あるいは口封じのために殺されたと思われる女官と宦官であった。 何太后は、まるで刑死した罪人のように四肢を杭で貫かれ、咽喉を真一文字に切り裂かれている。咽喉から噴き出した血は何太后の死屍を赤く染め、さらに母に取りすがる皇帝がまとった袞竜の袍までをも暗赤色に染めかえていた。 何事が起きたのか、樊稠は咄嗟に判断に迷う。何太后が殺される、という事態はまったく予測の外にあった。 だが、狂乱の態を見せている皇帝のそば近く、まだ生きている廷臣の中に司馬朗の姿を見出したとき、樊稠は半ば反射的に叫んでいた。「おのれ、皇太后さまを害し奉るとは天をも恐れぬ猛悪を! 者ども、逆臣 司馬朗を殺せェッ!!」 予期せぬ光景に凍り付いていた弘農兵が、叱声にも似た樊稠の命令に打たれて次々と剣を抜き放つ。 彼らの背を押すため、そして事態を一つの方向に導くために、樊稠は再度叫んだ。「反逆者 司馬伯達を討つのだッ! 討ち取った者には褒美は思いのままぞ!」 司馬朗を殺せ、反逆者を討て。 口ではそう命じながら、樊稠は何太后を殺したのが司馬朗ではないことを何故か確信していた。『樊将軍、袁紹めが攻めてくれば、不穏な動きをする者たちはあらわれる。必ず、あらわれるのです』 脳裏に浮かんだのは、李儒が出陣前に告げた言葉。 証拠なしに司馬朗を討ったところで問題はない。そう伝えんがための言葉だとばかり思っていたが、あれはまさかこういう意味であったのか。 となると、この期に乗じて動くことは、一から十まで李儒の思惑どおりということになってしまうのだが。 (構わん。もし李儒めがわしの命を奪おうとするなら、その時は逆にあの細首をねじきってくれるわ) 樊稠は内心の危惧を無理やりねじふせる。 先刻来、悩み続けていたことで鬱屈はつのり、心がはけ口を求めてやまなかった。そのはけ口が目の前にあらわれたのだ。いまさら懊悩の迷宮に舞い戻ることはできなかった。◆◆◆「仲達さん、これ!」 そう言って、馬岱はゆったりとした女官の服に隠し持っていた二本の剣のうち、一本を司馬懿に放る。 司馬懿は小ぶりの剣を受け取ると、殺到してくる弘農兵に目を向けた。数はざっと二十人といったところか。 全員を斬り倒すことは不可能でも、切り抜けることは不可能ではない。自分たちだけならば。「ああああ、母上、母上えええエエエエッ?!!」 変わり果てた姿になった母親にとりすがり、狂乱したように――否、真実、狂乱して劉弁は泣き叫んでいる。 司馬朗は先ほどから劉弁をなんとか正気づかせようとしているのだが、司馬朗の声が劉弁に届いていないのは誰の目にも明らかであった。 司馬懿は内心で悔やむ。何太后の無残な姿を目の当たりにして、わずかとはいえ自失してしまった。すぐにこの場から立ち去るべきであったのに。 だが、司馬懿も樊稠と同様、何太后の死という状況は予想だにしておらず、その衝撃を消化するためには少なからぬ時間が必要だったのである。 そして、衝撃が鎮まれば、次に浮かぶのは疑問だった。 この段階で何太后に手をかけることに何の意味があるのか。ましてや――(このような残酷な殺し方をして、あまつさえそれを見せつけることの意味はどこにあるのか) つとめて冷静を保とうとしながら、それでも司馬懿は心が波打つのを抑えきれずにいる。 何故なら、樊稠が現れたタイミングと、その後の行動を見れば、何太后の死が司馬家に対する陥穽であることはあまりにも明らか(と司馬懿はみなした。実際には樊稠も知らなかったのだが)であり、必然的にこの惨死を演出した人間の見当もついたからだ。 政敵に対して策を仕掛けることは別にかまわない。というより、策を仕掛けているのは司馬懿も同様なのだから、相手を責める資格はないとわかっている。 それでも、かりそめにも主君の母、自らが立てた皇帝の母親ではないか。これを殺害し、その罪を政敵にかぶせて抹殺するなどという策略を行使してくる相手に対して、司馬懿は深甚な嫌悪を抱かざるを得なかった。 司馬家の次女はいかなる時も冷静沈着であると思われているが、それは感情の欠落によるものではなく、ただ並外れた自制心で感情を抑制している結果である。 その心の奥には、喜びも、戸惑いも、悲しみもあった。むろん、怒りもまた。「アアアアア――あ…………」 不意に劉弁の身体ががくりと崩れ落ちる。 まるで糸の切れた人形のような倒れ方を見て、司馬懿はもしや劉弁が憤死したのではないかと顔を青ざめさせたが、幸いというべきか、劉弁は気絶しただけのようであった。咄嗟に劉弁の身体を支えた司馬朗も安堵の息を吐き出す。 だが、その顔はすぐに鋭く引き締められた。「璧、馬将軍。陛下はわたしが」 そう言うと、司馬朗は劉弁の身体を軽々と抱え上げる。 少年とはいえ、劉弁はもう身体が出来ている年齢なのだが、司馬朗はまったく苦にする様子を見せない。司馬朗は女性としては大柄だが、手足は細く、膂力は人並みだろうと思っていた馬岱は、それを見て目を丸くした。「おー、お姫様だっこだ。伯達さん、力持ちなんですね」 あえておどけたような声を出したのは、平静を取り戻すための馬岱なりの方法なのだろう。それがわかったので、司馬朗も顔に険をあらわさなかった。「父が厳しい人でしたので」 馬岱は知らないことだが、司馬家の先々代家長が娘たちに対する教育態度を改めたのは、次女である司馬懿以後の話。つまり、司馬朗は司馬懿並の徹底した教育を受けて育ったのである。 当然、司馬朗は剣も人並み以上に使えるが、劉弁を抱えたままでは剣を振るうことなどできるはずもない。 道を切り開くのは、司馬懿と馬岱の役割であった。 雄たけびをあげて突っ込んでくる弘農兵の初撃を、司馬懿と馬岱は受け止めようとはしなかった。宮殿の通路は広く、目の前の一人に固執していては、すぐにまわりを囲まれてしまう。 二人はほとんど同時に身を翻し、相手に空を斬らせる。そして、伸びた敵の腕をめがけて自身の剣撃を繰り出した。「があッ?!」「ぐぬッ!」 弘農兵は悲鳴をあげて床面に倒れこむが、とどめを刺している暇はない。二人はすぐに次の相手と向かい合った。二人の鮮やかな手並みを見て、弘農兵がわずかに怯む。 と、後方から樊稠の叱咤が飛んだ。「ばか者! 年端もいかぬ小娘相手に何を怯んでおるか! 所詮は女の膂力、正面から身体ごとぶちあたれば何とでもなろう。多少の傷など気にかけず、真っ向から食らいつき、押し倒し、組み伏せよ。首尾よく捕らえた者には金銀はもちろん、その女どもを好きにする権利をくれてやるぞッ」 その命令に戦意と欲望を刺激されたか、弘農兵の顔から怯みが消えた。 対する司馬懿と馬岱はといえば、こちらは今さら恐れを抱くはずもない。 この時、司馬懿と馬岱の二人は互いの背をかばう位置に立ち、終始その位置取りを崩さなかった。弘農兵は二人の連携を崩せず、捨て身の突進を試みた兵も、左右から繰り出される鋭利な斬撃で両手を失い、絶叫の末に命を落としてしまう。 長年、共に戦ってきたような巧妙な連携であったが、実のところ、この連携が維持できた理由のひとつは樊稠の命令の不徹底さにあった。 反逆者。 樊稠は司馬朗らをそう呼んだ。必然的に何太后の死は司馬朗らの行いと弘農兵は判断した。 そして、皇帝はその反乱者の手のうちにある。 その事実が弘農兵を躊躇させた。下手に斬りかかれば皇帝を傷つける恐れがあるというだけではない。下手に自分たちが斬りかかれば、反逆者たちがそれを理由に皇帝を害するのではないか、と恐れたのだ。皇太后を虐殺した者であれば、皇帝を弑逆することにためらいはないであろう、と。 皇帝が死ぬ危険を冒しても司馬朗らを討ちとるのか。あるいは皇帝の命を救うことこそ最優先の事項なのか。 本来であれば、その二つは秤にかけるようなことではない。皇帝の命を優先するに決まっている。だが、洛陽政権の現状は兵士たちも承知しており、樊稠が劉弁個人の命をどの程度重く見ているのかが判然としなかった。 並の相手であれば、そもそも悩むまでもなく数で押し切って仕舞いであるが、司馬懿にしても馬岱にしても並という表現からはほど遠い。二人の反撃が続けば続くほどに、命令の不徹底さは如実に弘農兵の動きを縛っていく。 そのことに気がついた兵のひとりが、たまらず樊稠に決断を請うた。「将軍、陛下は反逆者の手のうちにありますが、万一のことがあってもよろしいのですか?!」「今さら何を言っているか! さっさと伯達めを殺せ!」 強い意思が込められた命令は、しかし、兵士たちが欲するものを何一つ含んではいなかった。それは果たして意識的なものなのか否か。 聡い兵の中には、もしこのまま戦い続け、結果として皇帝が害されるようなことがあれば、その責任は自分たちに帰せられるのではないか、そんな疑惑を抱いた者もいた。司馬朗を討つことに固執し、虜囚となっている皇帝に注意を払わない樊稠の様子は、兵にそんな疑惑を抱かせてしまうくらいに不自然だったのである。 実際には、樊稠は焦慮が昂じて司馬朗以外は目に入らない視野狭窄を起こしているだけであったが、兵たちにそこまで察しろというのは無理な話。 断固とした樊稠の命令とは裏腹に、弘農兵の動きが目に見えて鈍る。 その隙を司馬懿たちは見逃さなかった。包囲の一角を破り、宮殿の外へ向かおうと試みたのだ。 その試みは半ば以上成功した。少なくとも馬岱はそう思ったのだが、その楽観をあざ笑うかのように、向かう先の通路から鋭い誰何の声が浴びせられた。「何事か?!」 そして、新たな将兵の一団が馬岱たちの前に姿を現す。 馬岱らは弘農兵の包囲から脱しかけていたため、必然的に彼らに最も近い位置にいた。馬岱の口から思わず失望の吐息がこぼれおちる。軍装から、眼前に立ちはだかった一団が南陽兵であることがわかったためであった。 だが、すぐに馬岱は気を取り直す。 そも馬岱たちに援軍の心当たりがない以上、あらわれる兵はすべて敵とみなして間違いないのだ。当たり前のことにがっかりしている暇があるのなら、向こうが状況を掴みきれないでいるうちに、一気に突破してしまうべきだろう。 もっとも――(うーん、ざっと三十人くらいいる上に、なんかみょーに強そうな人もいるなあ……) 一口に突破といっても大変そうだ、と馬岱は眉をへの字にする。 それでも、もう無理とか、これでおしまいとか、その手の言葉がまったく思い浮かばない楽天ぶりは、まぎれもなく馬岱が持つ将としての長所の一つであろう。 馬岱は自身が先頭に立って突っ込むことを伝えるべく、傍らの司馬懿の顔をうかがった。おそらく司馬懿であれば、自分のように益体もない失望など感じたりせず、新たな一団が現れるや、すぐに状況を打開するため、考えをめぐらせているはず――そう思っていた馬岱は、しかし、視線の先で思いがけないものを見出して、思わず驚きの声をあげる。「ちゅ、仲達さん?」 馬岱の視線の先では、司馬懿が目を瞠り、身体を硬直させている。いま敵に斬りかかられたら、反撃することもできずに斬り倒されてしまうだろう。馬岱がそう確信できるほどに、視線の先にいる司馬懿は呆然としていた。司馬家の麒麟児が、ただ呆然としていた。