バイト帰り。
マウント深山商店街で夕飯の買い出しをする。
「そう言えば、お茶請けが切れてたな」
と気付いて、いつもの江戸前屋でどら焼きを購入していたら、後ろから
くいっ
と袖を引っ張られた。
どこかで見たようなシチュエーション。
振り返るとそこには、
銀髪の少女ではなく、振り袖姿の見知らぬ女性が立っていた。
Detective’s Circumstances(氷室の場合は、) 前編
まあ、正月も7日、明日から新学期という時期だ。和服姿はさほど珍しくはない。
歳は、俺と同じくらいか。
正直、美人は見慣れている俺だが、その女性には、派手さこそ無いが、落ち着いた貴品と言うべきものが感じられた。
とは言え、見覚えがないのも事実だ。
「えー…」
振り返った姿勢で、そのまま固まっていると、彼女の方から口を開いた。
「久しいな、衛宮某。終業式以来だったか。
新年の挨拶もまだだったな。今年もよろしくお願いしたい」
「へ?」
思わず、まぬけな声を出してしまう。
目を丸くしたまま、頭の中の人名簿を超スピードで検索する。
…うん、知り合いではない、はずだ。
しかし、このそっけない口調、クールな眼差し、アップに纏めてはいるが灰に近い髪の色はどこかで…
「なんだ、見慣れぬ格好をしているから、戸惑っているのか?ほら」
彼女はそう言うと、巾着袋の中からケースを取り出し、丸メガネをかけて見せた。
「………ひ、氷室っっ!!??」
そう、我が穂群原学園3年A組、陸上部女傑三人衆の一、氷室鐘女史だった。
「…まさか、分からなかったと言うのではあるまいな」
彼女は腕を組み、ベリークールな視線をこちらに向けてくる。
「あ、いやだって氷室…さん、メガネしてないし、髪型も違うし、服装だってほら……」
手を振り回して言い訳するが、説得力の欠片も無いのが自分でも分かる。
「和服にいつもの髪のままでは、鬱陶しいだろう。
眼鏡も、この髪型では似合わないと言われたから外しただけだ。
元々、多少の近視と乱視が入っているだけだからな。外しても、通常生活には支障ない」
そう言いつつ再びメガネを外す彼女を、俺は呆然と見つめていた。
白を基調とした振り袖は一見地味ではあるが、よく見ると金糸銀糸で様々に彩られ、品の良さが際だっている。
やはり白の、モヘアの襟巻きを肩にかけ、手にしているのは臙脂の巾着袋。
灰色に近い髪を上品に結い上げ、そこに銀のかんざしを一つ。
そっけないくらいのその飾りが、彼女には妙に似合っていた。
「…あまり、女性をそうジロジロと見つめるものではないぞ」
わずかに頬を染めて言う氷室の言葉に、ようやく我に返った。
「うあっ!?
い、いやゴメン!
ほ、ほら、あんまり似合ってるもんだから!!」
…あ。
またやってしまった。
いくら狼狽していたとは言え、思ったことをそのまま口に出すクセは、いい加減なんとかならないものか。
氷室はしばらく固まっていたが、
「………はあ」
やがて、大きなため息をついた。
「年が明けても変わらないな、君は。
世辞ではなく、本音であることが分かるだけに始末が悪い。
遠坂嬢たちも、今年も苦労することだろう」
ん?
俺のクセが、始末が悪いのは分かるが、なんで遠坂たちまで苦労するんだ?
「…もういい。
今さら私程度の者が言って直るくらいなら、彼女らの苦労も無いだろう。
君は君のままでいれば良い」
さらに呆れられた様子。
なんか納得できないが、ここでこの問題を追及していくと、さらにややこしい問題に発展するだろう。
その辺は、それこそ遠坂たちからじっくりと学んでいる。
「あ、あー、ところで氷室…さん。
遅れたけど、あけましておめでとう。こっちこそよろしくな。
で、今日はどうしたんだ?家はこの辺じゃなかっただろう?」
「呼び捨てで良い。
『さん』付けされるのも、今さらだろう。
新都大橋のたもとで君を見かけたからな。
少し話をしたいと思って、待っていただけだ」
大橋のたもと?
あそこでは誰にも会わなかっ…
ああ。
そう言えば、バイト先から歩いて帰る途中、信号待ちしていたら、振り袖姿の女性が乗っている車が横に止まったっけ。
派手ではないがいかにも高級そうな、リング四つ並びのエンブレムが付いた車だった。
正直、中の人よりも車の方に目が行ってたんだが。
「そうか、あの車に乗ってたの、氷室だったのか」
「君が私を認識していなかったとは思わなくてな。
説明しておこうと思って、連れに頼んで、ここで降ろしてもらったんだ」
説明?
何の説明だろう。それに、連れって…
「あ。あの時、運転してた人か?」
車同様、派手にならない程度の上等なスーツを着こなしていた、俺たちより少し年上に見える男性だった。
へえ、それって…
「チラッと見ただけだったけど、なかなかカッコいい人だったじゃないか。
なに、もしかして彼氏とか?」
からかうように言ってみる。むろん、本心からではない。
「婚約者だ」
まあ、そうだよな。
前に彼女自身、
『自分の恋愛には興味が無い』
って言い切ってたし、そんな氷室が彼氏とドライブなんて………って
「えええーーーーーっっっ!?!?!?」
「……傷つくな、その反応は。
そんなに大騒ぎするようなことを言ったか、私は?」
いや、言っただろう!!!
「な、なんなんだ、その、こ、こん や…」
「婚約者は婚約者だ。許嫁といった方がしっくりくるか?
私には、親が決めたそういう人間がいる。
蒔の字や美綴嬢から聞かなかったか?」
あ。
そう言えば以前、美綴が話してたっけ。
美綴の恋人を探る探偵騒動の時、氷室が
『顔も知らない許嫁がいる』
と冗談を言っていたと。
『すっかり騙されたよ』
と、美綴は苦笑いしていたが…
「軽い気持ちで言ったら、思いのほかリアクションが大きかったのでな。
とっさに冗談にしたまでだ。
こんなことで、彼女らとの関係が変化するのは、好ましくない」
あくまでクールな氷室女史。
「じゃあ、本当に…」
言いかける俺を、氷室が遮った。
「少々、長い話になる。
立ち話も何だろう。場所を移そう」
そう言うと、先に立って歩き始める。
確かに、商店街の真ん中でするには微妙な話だ。
俺は買い物袋を下げたまま、彼女を追った。