翌日、エルモア・ウッドの庭園。
アーチ型の屋根の付いたベンチに座り、マリーとシャオからPSIの手ほどきを受けている。
フレデリカとヴァンは初めからここにいない。カイルは初めのうちはいたんだけど、途中から話に飽きがきたみたいでどこかへ行ってしまった。
「えっと、PSIっていうのは思念の力、言葉にするとこんな感じかな?簡単に言うと超能力、あ、こっちの方が分かりやすいね」
マリーがPSIとは何たるかを語っている。皆は生まれついてのサイキッカーだという事なのでその道のプロだ。
PSIに目覚めたてらしい素人の僕はプロのお言葉を有難く拝聴する。
僕が何故そんな素質を持っているかは、気になりはしたが不思議と疑問に思わなかった。
自分に脳が存在するのを疑問に思わないように、むしろ当たり前のようにすら思っていた。それが何故だかはわからないけれど。
「PSIは3つの種類の基礎の能力からなる。”裂破のバースト””心破のトランス””強化のライズ”の3つだ。
PSIに目覚めた人間は少なからずこの3つの力を使える。その人の資質によって得手不得手はあるけどな」
シャオは言う。言いながらも僕の顔をじっと見つめている。
僕の顔になんか着いてるのかな?刺青は入ってるけど、これはもう皆にこの刺青については僕も何も知らないという事を説明済みだ。
尋ねようかと思ったけど、話の腰を折りそうなので自重しておいた。
「強い力を持ってると・・・制御することが絶対必要になってくるから、そのためにも自分がどんな力を持っているのか把握しておくのは大事だよ」
強い力、と言うところで少しマリーの顔が曇った気がした。
どうしたんだろう。何か引っかかる事でもあったのだろうか。
「まずは基本のテレキネシスだな。手を触れずに離れた場所にある物体に力を加える能力。
PSIの波動を放出し、波動のベクトルを操るんだ。やってみてくれ」
シャオはそう言って地面から砂を少量拾い上げ、ベンチに置いた。
「やってみてくれって、どうすれば」
「精神を集中させて、砂を動かす力をイメージするんだ」
ひどく抽象的で何のヒントにもなっていないような気がしたが、これ以上聞くのも何だか気が咎めたので、言われた通りにやってみる。
目を閉じて精神を研ぎ澄ます。頭に奇妙な熱を感じる。これがPSIなのだろう。
それを頭の中から外へ放出するイメージ。
瞬間。奇妙な熱が灼熱に変わった。
心臓が跳ねて、急に周りから酸素が奪われたかのように呼吸が出来なくなる。
「っ!」
自分でもコントロールできない体から漏れるPSIの奔流に、シャオはビクリと体を硬直させたようだった。
だけど、今はそんな事を気にしている余裕はない。
「ッぐ!あ゛ぁあ゛ああああああああああああああああああああああ!!!!」
奔流が止まない。
押さえつけようとすればするほどに勢いが増して行くかのようだった。
「キャッ!」
「チッ!PSIがコントロールできてない!!おい!しっかりしろ!」
シャオが何かを言っているが全く耳に入らない。
頭が融けそうなくらい熱い中、脳裏に風景が浮かんでくる。
剥き出しのコンクリート、大きなガラスの壁、白衣を着た人たち、その手に握る解剖器具、そしてそれが僕にゆっくりと近づいてくる。
銀色に輝く解剖器具が僕の額に吸い込まれていった。
脳裏の風景が一瞬だけ浮かんだかと思うとまた直ぐに霞みがかって消えて行った。
鼓動の音に聴覚を支配されそうなくらい心臓が煩い。
なんだ、これ・・・
思い出せない思い出したくない思い出しちゃ駄目な気がする。
割れそうな頭、髪の毛を乱暴に鷲掴みして別の痛みでその地獄のような痛みを抑えようとした。
「あああああぁぁ・・・・・・ぁ・・・」
だけど、髪の毛を掴む皮膚の痛みも、身を苛む熱も全てが徐々に遠くなって行く。
そして僕はそこで意識を手放した。
後に残ったのは途轍もない疲労感に、果てしのない闇。
闇に意識が浸食され、呑まれて、沈んで行った。
◆◆◆
エルモア・ウッドの一室。
「フム、つまりあの子はPSIを使おうとしたら暴走し、脳が自己防衛のために意識のブレーカーを落としたと、そういうことかの」
ファイを彼の部屋に運び、事の次第をエルモアにシャオは話していた。
窓に映ったその表情は優れない。
「ハイ、ただファイは強力な固有の能力を使おうとして暴走したのではなく、単にイメージの固まりきらないPSIを放出しようとして暴走していました」
「ふぅむ、単なるPSIを放とうとして暴走することはまずありえないことじゃ。
PSIの資質を持つ者ならば本能的に、無意識的にPSIの扱い方が多少なりとも分かる筈なんじゃが・・・
・・・・・・記憶喪失、かの。魂に刻みつけられておるPSIの扱い方までが消えてしまったか・・・?そうなると、単なるショックによる記憶喪失ではない・・・?」
エルモアは思案し、一人の世界に入り込み一瞬目の前にいるシャオの存在を忘れてブツブツと呟いていた。
やはり、その表情は明るい物ではなく、不安、疑念と言った負の物だった。
「あの、彼は一体何者なんですか・・・?」
「分からん。本人にすらな」
そんな見た事のないエルモアの様子を不安気に見つめながらシャオが尋ねた。
その言葉で思案の水面から顔を上げエルモアは答えた。
「本人が思い出すのを待つしか無かろうて。
・・・しかし、の。記憶の枝葉を揺らすのは風じゃ。ワシ達はその風となれるよう力をあ奴に貸してやろう」
「ハイ・・・」
シャオは少年の事を浮かべつつ答える。その表情は、やはり晴れやかでは無かった。
それは未知の異物への恐怖感だったのかもしれない。目の前で起きた圧倒的な力への恐れだったのかもしれない。
いずれにしろあの白髪の少年の存在がシャオの中に鮮烈に刻みつけられたと言う事だけは真実だった。
「ところでシャオ、お前さんにはあ奴はどう見えたかの?」
エルモアがふと思い出したようにシャオに尋ねた。
シャオは特殊なトランス能力の持ち主であり、その人間の本当の姿、魂の姿が目に見えるという能力を持っている。
エルモアはそんな少年の言葉をいつも興味深そうに耳を傾けていたものだった。
そして今回もその例に漏れず、エルモアはあの白髪の少年の印象について何気なく尋ねた。
シャオに見える物があの少年の正体へと繋がる切っ掛けとなるかもしれないとも思っていた。
「・・・見えませんでした」
「・・・何じゃと?」
「見えなかったんです。いや、何も無いのが『無』が有ったと言った方が良いでしょうか。
真っ白なぼんやりとした何も無い空間”空隙(くうげき)”を彼をみて感じました。何かの間違いかと思って何度も確かめていたのですが・・・
結果は変わりませんでした」
だが、その言葉はより謎の色を濃くするだけの物だった。
分かった事は謎は謎のままである事、そしてその謎は想像した以上に深そうであると言う事だけ。
「”空隙 ケイオス”・・・か。この世に生を受けた者ならば必ずその者の魂の色がある。
それがないなどという事はあってはならない事なんじゃが・・・あ奴には謎が尽きんのう。
如何なる運命が待っておるのか、ワシの耄碌した目には見えんわい。・・・いや、そもそも未来などと言うものは分からぬものか」
エルモアは窓を見つめながら噛み締めるように呟いた。
一抹の不安が溶けたその言葉は何を想っての言葉だったのだろうか。
もしかすると、エルモアは感じ取っていたのかもしれない。
これから何かが変わるのだと。これから何かが始まるのだと。
だが当然、その漠然とした不安に答えを与えてくれる者の存在は有り得なかった。
運命とはその渦中に在る者にとって、決して見据え得ぬ物なのだから。
運命という舞台の上の役者が与り知らぬ所で、静かに劇の序曲が奏でられようとしていようとも。
◆◆◆
また、夢を見ていた。
僕が僕を後ろ上から眺めていて、それで夢だと気付いた。
僕が誰かと話している。
「き・み・は・だ・れ・?」
・・・僕はファイ、名前を教えるのは初めてだね。君は?
「・・・・・・」
返事はなく無音だったが、暫くすると光が集まり人の形を成した。
その人の形はチカ、チカと不定期に点滅している。
何か意志のような物を感じるけれど、人語を喋ってくれないと理解できない。
仕方ないのでこちら側から発信するしかない。
・・・どこから来たの?
「・・・・・・」
やはり光が声を返してくれる事は無かった。
だけど、答えない代わりに人の形をした光は、空を指差した。
『ト・モ・ダ・チ・に・・・』
光が霧散していく。思わず追いかけようとしたが、また体は動かなかった。
◆◆◆
エルモア・ウッド、古比流の部屋。
バスローブからスーツに着替えた古比流は、スーツの懐に手を入れる。
取り出したものを確認すると、シルクハットを被った。
そして壁に立てかけてあるステッキを握るとゆっくりとした足取りで部屋を出ていく。
部屋には書置き『少し出かけてくる』とだけ。
先程から鳴り止まず、むしろ次第に大きくなって行っているベルの音が古比流の胸中を波立たせた。
期待半分、不安半分。何れにしろ胸が高鳴るのを古比流は止められなかった。止めようとも思わなかった。
人生とは長い道のようなものだと、人はそんな安い言葉で表現する。
それが古比流という男にとって少々苛立たしくもあった。
人生とは、一つの劇である。
それが悲劇であろうと喜劇であろうと、面白い物であるに違いない。
古比流はそう信じていた。詰まらない一本の道などであってたまるか、と。天樹院古比流とはそんな人間だった。
だから古比流は常に飢えていた。満たされなかった。
どれほどの事を成し得ようとも、まだどこかで何かをより上手く出来た筈だと後悔を繰り返した。
しかし、ある時気付く。
自分は決して満たされる事のない人間なのではないだろうか、と。
それは後悔を重ねに重ねてより良くしようともがき続けた疲れから来る思考だったかもしれない。
だが、しかしその思考の真偽の程は分からずとも、その瞬間から古比流の中の何かが変わってしまった。
急激に色褪せて行く世界を、老いが差し迫っていた古比流にはどうすることも出来なかった。
古比流は、もう既に役者としての自分が終わっている事に気付いていたのかもしれない。
ただ漫然と日々を隣を歩む老婆と共に過ごして行く日々の中で、古比流は平穏を手に入れた。
それはあの身を焦がすような渇望から解き放たれた時間でもあった。
ただ、その平穏の緩やかな甘さは一抹の苦みを伴った。
劇などではなく、自分が心底憎んだ詰まらない平坦な道を歩んでいる自分が、そしてそれを悪くも無いと思っている自分が、情けなかった。
その苦味は古比流の深くに突き刺さって痛みを生んでいたが、最早古比流はそれをどうこうしようと言う気概すら湧かなかった。
その痛みを抱えたまま自分は歩いて行くのだろうと諦めていた。
だがある時、色褪せた世界に急に色が再び息を吹き返すのを古比流は覚える。
赤いテレホンカード。
その魔性の魅力に古比流は骨の心髄まで魅入られてしまった。
何かが変わる。
平坦な道はいつの間にか再び舞台へとその様を変えていた。
スポットライトに照らされて、劇の開幕を告げる音に背筋が震えるのを古比流は感じた。
耳殻の裏のベルの音が福音のようにさえ思えた。
部屋の扉を閉まると同時に、一人喜悦の表情を浮かべてそっと呟いた。
それは、感謝の言葉。
「楽しい楽しい舞台の始まりじゃ。せいぜい、儂の空虚が満たされんことを。
――・・・のう、ネメシスQ」
手には、赤色のテレホンカードが握られている。
携帯電話を耳に当てると、古比流の姿は跡形もなく消え去った。
書置きが扉から吹き込む隙間風でカサリと揺れた。
『――・・・世界は・・・つ・な・が・る・・・』
続く