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No.17872の一覧
[0] PSYchic childREN (PSYREN-サイレン-) 【オリ主】[昆布](2011/06/12 16:47)
[1] コール1[昆布](2011/03/04 01:52)
[2] コール2[昆布](2010/12/23 03:03)
[3] コール3[昆布](2010/12/23 04:52)
[4] コール4[昆布](2010/12/23 04:53)
[5] コール5[昆布](2010/12/23 04:53)
[6] コール6[昆布](2010/12/23 04:53)
[7] コール7[昆布](2010/12/23 04:54)
[8] コール8[昆布](2010/12/23 04:54)
[9] コール9[昆布](2010/12/23 04:54)
[10] コール10[昆布](2010/12/23 04:55)
[11] コール11[昆布](2010/12/23 04:55)
[12] コール12[昆布](2010/12/23 04:55)
[13] コール13[昆布](2010/12/23 04:56)
[14] コール14[昆布](2010/12/23 04:56)
[15] コール15[昆布](2010/12/23 04:56)
[16] コール16 1stゲーム始[昆布](2010/12/23 04:57)
[17] コール17[昆布](2010/12/23 04:57)
[18] コール18[昆布](2010/12/23 04:57)
[19] コール19[昆布](2010/12/23 04:58)
[20] コール20 1stゲーム終[昆布](2010/12/23 04:58)
[21] コール21[昆布](2010/12/23 04:58)
[22] 幕間[昆布](2010/12/23 04:59)
[23] コール22[昆布](2010/12/23 04:59)
[24] コール23[昆布](2010/12/23 04:59)
[25] コール24[昆布](2010/12/23 04:59)
[26] コール25[昆布](2010/12/23 05:00)
[27] コール26[昆布](2011/06/20 03:08)
[28] コール27[昆布](2011/06/12 16:49)
[29] コール28 2ndゲーム始[昆布](2011/07/29 00:23)
[30] コール29[昆布](2014/01/25 05:06)
[31] コール30[昆布](2014/01/25 05:05)
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[17872] コール27
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:9f519081 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/12 16:49
 放課後。

 ホームルームを終えた生徒達は帰宅する者、部活へと向かう者、友人達と話を続ける者など思い思いの時間の過ごし方をしている。
 一方夜科アゲハは一人第一校舎と第二校舎を繋ぐ連絡橋の柵に体重を預け、それらの人々を漫然と眺めていた。

(『世界は、崩壊します』……か)

 思い出すのは、あの白髪の少年が告げた言葉。
 そして自らの脳裏に浮かぶ、あの静謐と呼ぶには余りに荒れすぎ、荒涼と言うその一言では表し切るを能わない光景。
 言うなれば、止め処ない空虚。

 それを今現在目の前に広がる何の変哲もない日常と重ねて見るには、あの景色は些か懸け離れすぎていた。
 あの世界が未来だと、そう言われてもどうしたらあの光景が現実の物だと想像できると言うのだろうか。
 そもそも何を以て世界は崩壊するのか。そしてそれは何時の事なのか。

「……」

 瞳を動かすことも少なく、ただボンヤリとグラウンドで部活に勤しむ生徒達を追っていた夜科は、そこで溜め息を吐いた。
 思考が及びもしないことを考えるのが馬鹿らしくなったのか、それとも考えることに疲れを覚えたのか。
 いずれにしろ、夜科は後頭部を荒々しく掻くことで頭にこびり付いていたその思考を頭の隅に追い遣った。
 そう、真に今悩むべきはそんな事ではない。

「夜科クン、話って……?」

 夜科が一人こんな場所で黄昏れていた理由、倉木まどかが夜科の背後から声をかけた。
 倉木まどかは呼び出された理由が分からないようで、少しの疑問に困惑を混ぜたような顔をして立っていた。
 そんな倉木を横眼で一瞥すると夜科は再び息を一つ吐いて、それから倉木へ向き直る。

「……あーその、なんてーか、この前はゴメンな。アン時はちょっと急用で急いでたんだ」

「この前……?ああ、先週の……」

 倉木が思い浮かべたのは、先週の土曜日の事。
 以前から頼んでいた愛猫の捜索はどうなったか、といった旨を目の前の夜科アゲハに尋ねた所、夜科はそれまでの態度を急に改め、突っぱねるように捜索を断ったのだった。
 突然の夜科の変容に倉木は面喰らってしまい、ただ茫然とするしかなかった。夜科への憤りや悪態が零れる以前に思考が真っ白になってしまったのだ。
 そんなわざわざ気まずくなる話題を持ち出して来た夜科の真意を問おうと、倉木はじっと夜科の顔を見る。やはり、夜科は気まずそうであった。

「……それが、どうかしたの?」

「あー、特に他意はないんだ。ただ謝っておこうと思ってさ。あと、コイツ」

 倉木は問いかけた。そんなことでわざわざ呼び出したのか?と。
 視線に困ったような笑みを浮かべた夜科は、目線を一度も合わせる事無く、足元にあった籠を持ち上げ倉木へと差し出した。
 なんであろうか、と倉木は自分が呼び出された釈然としない理由や、夜科の態度、籠の中身など様々な疑念が重なり、重たげな疑問符を浮かべて籠を受け取った。

「……! ミィ!!」

「見つかって良かったよ。……そんじゃ、オレはこのへんで」

「あの、待って!!」

 終始一貫して気まずげな雰囲気を漂わせそそくさと去ろうとする夜科を、倉木は慌てて呼びとめた。
 これでこの話は終わりだと言わんばかりに背を向けて走り出そうとしていた夜科は、声にギクリとし、再び振り返る。

「その、ありがとう。ミィを見つけてくれて」

「……」

「……やっぱり何か様子ヘンだよ夜科クン。どうして何も言わないの?それに、朝のホームルームの時、雨宮さんと……」

 夜科は、振り返ったもののやはり倉木を見る事は無かった。しかし、そこには先程浮かべていたような、何かを誤魔化す為の笑みは張り付いていない。
 俯きがちな夜科の顔は、能面のように無表情だった。
 そんな夜科の顔が、僅かに歪んだ。倉木の言葉を聞いてからだ。目が細まり、犬歯を噛み合わせているのか口角が微かに上がる。

「…………くっだらねぇ」 

「え?」

 それは、何に対しての言葉だったのか。子供じみた虐めにも似た行為をする倉木に対してか、そんなサイレンと言う巨大な問題の前では些細な事で頭を悩ます自分に対してか。
 それとも、身を削るようにたった一人戦う少女が誰にも認められず、それどころか輪に入る事すら叶わない、そんな現実に吐き気がしたのか。
 倉木まどかは気付く事が出来なかったが、夜科の周りの空気は変わっていた。その空気に触れる者をまるで消し去らんとするかのように重々しく、苛烈な物に。
 ジ、と何かがまるで空気を引き裂き千切るような音を夜科は聞いた気がした。

「……ゴミ捨て場で財布拾ったんだ。中身抜いて無かったから、盗みじゃねえ」 

「あ……」

「……下らねえよ、ホント」

 まだ続けそうになる句を無理矢理飲み込んでそう短く言い残し、今度こそ夜科は走り去っていった。
 歪を孕んだ空間は終ぞ爆ぜる事は無く、ただ吹き抜ける風とその風が運ぶ部活動の掛け声だけが場を包み込んだ。
 
 あとに残された倉木は一人、去っていく夜科の背中を見つめる。
 クラスに馴染めていない、言ってみれば異端であった雨宮を苛めても誰も咎める事をしなかった。加担した者はみな笑っていたのだ。
 それは肯定と言ってよかった。自分の行動に罪悪感が伴う事は一度たりとも無かった。
 だが今、夜科に断じられた。なぜ関係の無い夜科に言われるのか倉木には分からなかったが、ともかくはっきりと自分の行動を否定されたのだ。
 夜科の言葉は夜科が思う以上に、そして倉木も予想だにしないほどに倉木へと深く突き刺さっていた。
 
「……チッ!! 何だってのっ!!」

 夜科の前で晒すような猫を被った姿では無く、素の状態の倉木が思わず悪態を吐いた。
 しかし、悪態を吐いたからと言って胸の蟠りも吐き出されると言う事は無く、より一層蟠りは体積を膨張させていく。
 中身の三毛猫が動いたのだろう、倉木の持つ籠が揺れた。その揺れに、自身までもが不安定に揺れていくような気がして、思わず見つめていた籠から目を逸らす。

 風が校舎の隅に吹き込み、つむじ風となって地面の塵芥を吹き回した。
 風に塵芥が巻き上げられ乱されているその様は、否定と言う名の冷たい風が吹き込んだ倉木の胸中によく似ていた。


――・・・


「クソッ!!」

 学校を飛び出て自宅へと向かう帰路で、夜科は吐き捨てた。
 本来ならば夜科は倉木に財布の事を話すつもりは無かった。見なかった事としてその話題に触れる事無く、穏便にさっさと籠を渡してそれで終わりの筈だった。
 何故なら夜科は倉木に対して言う事のできる言葉を持っていなかったからだ。

 誰かをからかって、つまる所蔑んだり、馬鹿にしたりすることで愉悦に浸るという心の仕組みを夜科は知らない訳では無い。
 夜科も過去にそういった類の行動をとった事があったのだ。例を上げるとするならば、牛乳が苦手な朝河に力ずくで牛乳を飲ませたりしたことなどである。
 夜科は倉木の行動が理解できなかったのではない。また、道徳に背く行動を倉木がしたから憤った訳でもない。夜科はどちらかと言えばそのような類の物とは遠い距離にある人間だ。
 それらの事から、つまり夜科には倉木を咎める資格が無かったのである。

 ならば何故、夜科は現に倉木に対して憤りを露わにしたのか。 

「クソっ……なんで、オレは……」

 それは、夜科自身にもよく分かっていなかった。分かるのは、その憤りが雨宮に関連していると言う事だけ。
 何故自分とはそこまで関係も無い筈の雨宮の事でこれほどまでに感情が揺れるのか。よく分からないからこそ、更に苛立ちは膨れていく。
 苛立ち紛れに夜科は電柱を蹴りつける。乾いた快音が道路に響くが、蹴りの為に持った足の裏の熱は、夜科を尚も苛立たせた。

「――よォ、白瀧高(シラコー)の夜科アゲハ君」

「……あ?」

 内面の苛立ちにずっと気を取られていた夜科は、不意に声を掛けられ意識を現実へと帰還させた。
 俯いていた顔を上げると、目の前には多良高の制服を着たいかにもな出で立ちの男が複数人。その中心には見覚えのある顔もあった。
 見渡すと背後にも幾人かの男達が夜科を睨みつけており、辺りにその集団以外の人影も見当たらない。
 夜科は、まさに四面楚歌と言った状況に立っていたのであった。

「テメーは、多良高の判戸……!」

「おーおー、ボクチンを覚えてくれてたか。そいつは嬉しいねぇ」

「……ンの用だ、……ってそんなにぞろぞろ引き連れてんだ。まァ聞かなくても分かるか」

 中心に居た金髪の角刈りの男、判戸に向かって言葉を返す。
 判戸は、かつて倉木まどかに付きまとうストーカーまがいの事をしていた男であった。そして、夜科によってそれを止めさせるよう暴力で説得させられた男でもあった。
 夜科の脳裏にとっさに浮かんだ言葉は、復讐。夜科に一度は屈した判戸が、仲間を連れて再び目の前に現れたのだろう、そう夜科は考えた。またそれは正解であった。
 それ故に夜科は挑発的な雰囲気を醸し出していた。そして顔に浮かんでいたのは、夜科本人は気付かなかったが、喜びの表情だった。口の端を持ち上げ不敵な笑みを作りながらに言う。
 夜科のそんな余裕の表情に、判戸の周りに居た金属バットなど数多の凶器を抱えた男達は殺気立つ。だが、判戸はそれらを視線で一先ず引っ込めさせた。

「理解が早いようで助かるよ。本当は学校まで迎えに行くところだったんだが、丁度キミが走って行くのが見えたからねえ。こっちとしても人に見られない方がありがたい。
ま、要するにチミは今ここでボクチンに殺される、って事だ……!!」

「ボクチン達、だろ。いいね、らしいぜ。すげェ小物っぷりだ。弱ぇ奴らが息巻いて群れてやがる。
……だけど残念だなァ、ハンブンどころか丸ごと一個間違いがあるぜ。――ボコボコにされんのはテメーらの方だって事だよ!!!」

「上等だ……!!」

 その遣り取りを皮切りに、夜科と男達は動いた。
 まず真っ先に行動を起こしたのは夜科だった。前方と後方を男達に挟まれて進退窮まる夜科は、迷うことなく横にあった路地へと掛け込む。
 狭い路地ならば囲まれて背後からやられると言う事は無いだろうと瞬時に判断したが故の行動だ。
 また建造物の隙間である路地は一人が通るのがやっとな程で、大勢いた男達は路地へと入るのにもたついてしまっていた。
 
「野郎ォ!! 待ちやがれ!!!」

「ヘッ! この状況で待つヤツなんかいねぇよ!! 顔だけじゃなくオツムまでゴリラなのかァ!!?」

 そんな中夜科は一人スイスイと置かれているゴミ箱等の障害物を器用に躱して進んで行く。
 無心で足を進める夜科は、密かに内心でどこか違和感を感じていた。――何故自分は今日こんなにも好戦的なのか。
 倉木の時もそうであったし、今現在も喧嘩を売られた側だとは言え、やけに挑発的な言葉が自然と口をついていた。
 
(『衝動的な暴力に身を任せている瞬間だけが、原因の分からない心のもやもやを吹っ飛ばしてくれる』……か)

 脳裏に浮かんだのはあのサイレン世界へと夜科を導いた、赤いテレホンカードを初めて使用した時の事。
 公衆電話へと吸い込まれたカードは、代わりに入国審査と表して吐き出すように多くの質問をぶつけてきたのだ。
 その質問のどれもこれもが下らない物に思えて正直なところ夜科は質問の殆どを忘れてしまっていたのだが、やけにハッキリと今、その内の一つが思い出された。

(そうだ……間違っちゃいねぇぜ。暴れてる間だけは、下らねえ事を考えなくて済むんだ)

 何故自分が雨宮に関する事でここまで心乱されるのかも分からない。
 だったら、考えなくてもいい。考えても仕方のない事だ。そう夜科は一人結論付けた。
 心の蟠りや、その原因、本質から瞳を逸らし、腹腔で燻ぶる暴力的な衝動に身を委ねる。ある種の逃避であった、が夜科はそれに気付かず甘んじて衝動を受け入れる。
 
「っらあッ!!」

 走っていた足を急に減速させ運動を無理矢理停止させた。靴裏で地面を踏みしだき、上半身を捻じって後ろを睨む。
 そしてゼロになった運動エネルギーは、それまで進んでいた方向を正とするならば、負の方向へと転換された。
 後ろを追いかけて来ていた先頭の男に向かって、不意打ちとも呼べるタイミングで夜科は飛び掛かった。足を折り曲げ、膝の皿やや上あたりを以て男の顎を打ち抜く。

「ぐあ!!?」

「っの、野郎!!!」

 一撃で昏倒した男を跨いで次の男が再び夜科に迫って来る。男が手に握るのは金属バット。
 鈍器として用いられるそれは、いとも容易く人の頭を破裂させる威力を秘めていて、例え急所に当たらなかったとしても人体の何処かに当たりさえすればかなりの痛みを与える事が出来る。
 だが夜科は恐れなかった。神経が昂ぶっていたからではない。雑魚のような面構えをした男を侮っていたからでもない。

 単純に、見えたのだ。男がバットを振りかぶって、自分へと振り下ろそうとしているその男の動作が、信じられないほどに緩慢に。
 初めは冗談かと思った。だがしかし男の顔は真剣そのもので、ふざけてやっていると言った様子は見られない。
 訳が分からなかったが、とにかく夜科は振り下ろされたバットを難なく躱し、体をずらした流れのままに男の腹へと蹴りを叩き込んだ。
 それほど強く踏み込めた訳ではなく、本人としては余り威力を出せていない筈の蹴りで男が沈む。その様を見て夜科は微かに訝しむ。

「なんだ……? 真面目にやってんのか?」

 一人ごちながらに夜科は後ろを振り返る事すらしないで、裏拳を背後から迫っていた男の顔面にめり込ませる。
 次いで別の男が振り下ろさんとしていた鉄パイプの、男が握る根元の辺りを蹴りつけスイングの軌道をズレさせた。
 そして傾いた上体を起こす勢いに乗せて、固めた拳を男の向こう側へと貫かんばかりに打ち抜く。
 流れるような動作。物理的な時間では瞬息の経過であったが夜科には感覚的にその時の流れが酷くゆっくりな物に思えた。
 それはまるで感覚が途方も無く鋭敏になったようで、自分だけが周りと異なる時の感じ方であるような――

「オラァッ!!!」

(……アー……)

 男を殴ったことで体勢が崩れた夜科を男が羽交い締めにし、また別の男が身動きの取れない夜科に向かう。
 だがやはり夜科は動じない。上半身を掴まれて動けない為、夜科は拘束されたまま思い切り飛び跳ねた。そして男が武器を振りかぶるそれ以前に男の喉に靴底をめり込ませる。
 目の前の男が湿った息を漏らしながら崩れるのを脇目に頭を大きく反らし、後頭部で以て羽交い締めにしている男の鼻を潰した。
 一瞬ひるんだ男は夜科に投げ飛ばされ地面と熱い抱擁を交わす。
 
 圧倒的であった。

(…………つまんねー)

 それはまさに赤子の手を捻るように容易く。
 一切合切男達を寄せ付ける事無く、夜科はただひたすらに暴力的であった。


――・・・


「――さて、残りはアンタ一人みたいだけど、どうする? 判戸さんよ」

「グ……」

 物の数瞬で判戸を除く全ての男達を叩き伏せた夜科は、多少乱れた息を整えながら言い放った。
 夜科の足元、そして周りには失神する者やうめき声を上げて微動だにしない男達が地に伏せている。
 判戸へ未だ夜科の暴力が届いていない理由は単純。判戸は夜科へと襲い掛かる事無く、後方の安全な位置で夜科とその他男達との遣り取りを傍観していたからだ。
 この大人数、そして凶器を携えているのだからまず負ける筈がないと高を括って当初余裕の表情を見せていたいた判戸は、ここにきて自分に残された可能性が最早そう多くない事にやっと気付いていた。

「く、クソっ……!! コイツ本物の化物か……!? 有り得ない、これだけの状況の差をたった一人でひっくり返しただと……!!?」

 判戸が顔に浮かべるのは、焦燥と絶望に彩られた物。目の前の状況が受け入れがたい物で、必死に現実を否定しようとする顔。
 震える手を懐に忍ばせ、判戸は鈍く輝く刃物を取り出した。本来ならば使う予定の無かった物だが、予定は狂いに狂った。そして縋る物は最早ちっぽけなナイフ一本しか無かったのだ。
 化物。そう呼ばれて夜科の顔が僅かに曇ったのに、判戸は気付く事は無い。
 
 夜科は一通り男達を倒し切り、余裕が生まれたことで物を考える余地が生まれていた。
 そこに掛けられた言葉が『化物』だ。化物、そう聞いて浮かぶのはあのサイレン世界で出会った、化物と言う言葉が形容では無い、正しく化物をしていた存在の事であった。
 同時に浮かべたのは、助ける事の出来なかった一人の青年、杉田望。こんなものではない、そう思った。あの化物はこんな程度の生易しさでは無かった。

 自分が本当に化物だとしたら、ここに居る人間は等しく人間だった物、に変えられていただろうと胸中で嗤う。
 その思考には、あの時本当に自分に化物のような力があったなら、という苦みを伴う反実仮想が吐いて回ったからだ。

「バケモノ。化物、ね……」

「……」

 夜科が空を仰いだ。ビルの隙間の路地からは建物に切り取られた薄青の空が僅かに覗く。その抜ける青さも、夜科を見下ろし嘲笑を浴びせかけているように感じて、憎らしかった。
 はっきり言ってしまえば、その行為は慢心であった。今目の前にいる男がナイフを振りかざして突っ込んで来たとしても、軽くいなせるであろうと言う油断。

 判戸が夜科の表情の変化に気付かなかったように、夜科もまた判戸の様子の変化に気が付かなかった。
 判戸が見ていたのは、夜科の背後。倒れていた男のうちの一人だった。倒れていた男はその顔を持ち上げ、判戸と視線を交わす。視線は確認と、希望の糸口を見つけた喜悦。
 脂汗に装飾された判戸の顔が僅かに上下に動いた。

 その時。

「――ラァッ!!!」
 
「なにっ……!!?」

 突如背後で声が起こった事により思考を中止し、反射の如く振りかえった。
 夜科が見た物とは、倒した筈の男が起き上がりざまに鉄パイプを振りかぶる姿。反応が一瞬遅れた夜科の膝に、鉄パイプが吸い込まれていった。

「――がっ、ああっ!!!」

 衝撃は瞬時に痛みに変換され、体への警告、痛みが脳を駆け巡る。その痛みは夜科の視界を真っ赤に染めるほどであった。
 夜科は殴りつけられた足とは逆の脚で、男の後頭部を思い切り踏みつける。男の顔面が硬いアスファルトと接吻を交わし液体が漏れる音が混じった鈍い声を漏らす。
 だが、その時には既に判戸は夜科へと接近し終えていた。そしてその距離はナイフが夜科へと突き立てられるに十分な物で――
 
「……っ」

「へ、へへ……ボクチンに喧嘩を売るからだ……!!」

 夜科の肩口から鈍い輝きを放つソレが、生えていた。
 震えた声で、この結果は自分に喧嘩を売ったお前の責任であると自己弁護に似た言葉を放つ判戸。だが、そんな矮小な物に夜科は目を向けなかった。
 向けたのは、自分の内なる声。脳髄から湧き上がる衝動。
 
(痛ぇ。……そうか。ああそうか、痛ぇんだ。俺)

 自分が今、痛みを覚えているのは目の前の男が自分にナイフを突き立てたから。
 詰まる所、痛みの原因は目の前の男にある。ならば、どうするか。
 夜科はその声を聞いた。次にするべき事は。否、自分が望む行動は。夜科の内なる暗がりが囁く。疾(と)く、疾く、早くしろと駆り立てる。
 鼓動と共鳴するその声が鬱陶しくもあり、逆に甘美な響きも含んでいた。

(なら、どうするって? ……簡単だろ)

 夜科が、肩に突き刺さったナイフの刃の部分を握った。
 暖色の掌が更に赤色を重ねる。刃に傷付けられた掌から血が溢れるのも構わずにナイフを抜き捨てた。
 無言で血を流す夜科に、判戸は嫌な感覚を覚えていた。まるで今目の前に居るのが誇張では無く人外の存在であるかのような気がして。
 そしてその化物が牙を剥くように仕向けてしまった気がして。取り返しのつかない事をした、そんな感覚がねっとりと絡みついていた。

「ひ……! グッ!!?」

「……」

 血が止め処なく流れる掌で判戸の喉を掴んだ。その勢いのまま凄まじい膂力を以てして判戸をビルの壁面へと押し付ける。
 夜科の身長を悠に超える巨体が哀れな人形のように、この光景を見る者がその場に居たのならば、映ったかもしれない。

 俯き加減の夜科の表情は判戸からは見えない。
 だが、それは判戸にとって幸運だったのだろう。何故なら、夜科は嗤っていたから。
 怒るでもない、脅えるでもない、この極限の状態で尚も口角を持ち上げ顔を歪ませていたからだ。もしそれを見ていたならば、判戸は恐怖のあまり失禁すらしていたかもしれない。

(壊しゃいいんだ。気に入らねぇ物は……全部)

 夜科の眼前の空間が歪み始める。
 剛力で無理矢理空間を捻じったような、軋むような、悲鳴の如き音が路地に静かに響いた。
 
 「あ、ひ……!! ば、バケ……モノ……」

 「ッ!!!!」

 その言葉が最後のブレーキを壊してしまった。
 夜科の感情が沸騰し、それは容易く弾けた。


 ――轟く炸裂音。

 
「あ、あふぅ……」

 判戸の顔の真横の壁面に、巨大な穴が穿たれていた。それは以前雨宮の家で見せたPSIの発露と同じ物。
 雨宮宅でのあの後、夜科は雨宮に力の訓練を禁止されていた。正体不明の強大な力が暴走する事を恐れたのだ。
 せめて、その力の正体が判明するまで使用を控える事、そう告げられて夜科は解放されていた。

 だが、夜科は密かに力を再び行使しようとした。手の内に転がり込んできた物を無視できるほど、夜科は堪え性では無かったのだ。
 もっとも、PSIの暴走と言う雨宮の杞憂は徒労に終わる事になったのだが。何故なら夜科は再びPSIの力を使う事が出来なかったから。
 何度PSIを練り上げても、雨宮宅でのように力が破裂する事は無く霧散してしまっていた。

 コツを掴んだような気はしていたが、どうにも何かが邪魔しているような感覚が夜科にあった。
 それが、理性と言う名のブレーキであったと気付く事は無く。そして、今。そのブレーキは判戸の言葉によって壊された。

「……お……俺は……! 違う!! 違うんだ!!!」

 絞めていた判戸の首から掌を離す。ドサリと音を立てて気を失った判戸の体は崩れた。
 自分のしでかした事を目の当たりにして、突然夜科はうろたえる。
 それは内面を占めていた禍々しいまでの感情がPSIの破裂と共に姿を隠したために理性が戻り、そして気が付いたと言った風であった。

 自分は、目の前の男を殺す気であったと言う事に。

 力が具現するその直前まで戸惑う事も無く、何処までも冷徹に、残酷に。
 寸前で我に返り力を男にでは無くその横に逸らさせたのは、ブレーキを壊す事にもなった『化物』という言葉による物。
 その意味に夜科は気付き、愕然とした。

「お、俺は……力が欲しかっただけだ!! ちが、うんだ……っ」

 誰に言い訳をしているのか夜科は必死に否定の言葉を繰り返す
 脳裏には、あの白い髪の少年に告げられた言葉が蘇った。 

『夜科さんは……力をどう使いますか?』

 化物の如き力を欲していた事は事実。二度と何かを喪わないように。
 だがその力に囚われて、今、夜科は衝動のまま本物の化物になろうとしてしまっていた。その事に、気付いたのだ。
 そして化物になることなど望んでいない事にも。自らの内に眠る化物の巨大さにも。

 気が付けば夜科は走り出していた。
 足や肩、掌の焼けるような痛みに構う事無く一心不乱に何かから逃げるように。
 夜科に問いかける少年の言葉は胸を抉るかのように苛み続ける。

 何か、とは少年のその言葉だったのかも知れない。


◆◆◆


 金曜日。

 本当は昨日と一昨日、水曜日と木曜日も早朝の練習をしたかったのだけれど、生憎の梅雨空がそれを許してくれず、仕方ないので室内で出来るPSIの集中の練習をしたり、本を読んだりで過ごしていた。
 そして今日は快晴とはいかないものの雨雲の姿は見当たらず、雨が降る気配もなさそうだったのでまた早朝に訓練する。
 その為に暖炉にくべる薪が積んである家の裏へ行き、割られる前の手頃な丸太を探し出して来た。

「ふう……」

 丸太は結構な重さを持っていて、中々持ち上げられなかったのでテレキネシスを使って運んだ。
 生身よりもPSIの方が強い、と言うのは喜んでいいのか悪いのか。
 でも、初めてPSIが使えるようになった頃の生身と同じ程の力しか出せなかった頃よりは進歩していると言う事なので、喜んでいいのだろう。
 そんな事をつらつらと思いながら丸太を芝生の真ん中に置いた。
 直立する丸太に視線を向けていたのを一度目を瞑って視線を切る。そして瞼を開いて、同時に創り上げていた物を解放する。

「……」

 目の前に、柄のついていない三本の刃が現れた。
 それらは空中に固定されていて地面とは垂直に、つまり地面に水平にその刃を向けている。そしてその刃先は先程置いた丸太の方へ。
 サイレン世界で思いついたブレードを飛び道具として使う技の縮小版である。

 あの時この技を実際に化物、禁人種へと使ってみて分かったのだけれど、どうも狙いが甘い。
 ブレードは禁人種へ刺さっていたものの、二十本あったブレードの内、半数ほどしか当たっていなかった。

 倒せたからよかったが、もし外れていたらと思うと嫌な汗が出る。もっとも、外れる事の無いように禁人種をブレードで囲んだんだけれど。
 しかし一々敵をブレードの檻に閉じ込めていては効率が悪いし、何より負担が大きい。
 理想は1本のブレードで一体の敵を倒すことだろう。その為にも、ブレードの投擲練習をしようと思い立ったのだ。

「固定解除(フォール・ダウン)」

 呟いたその言葉と共に刃が地面へと落ちかけるが、それを僕のテレキネシスが許さない。
 テレキネシスの意識を保ちつつ、目線を丸太へと向けた。

「よし……! 行けっ!」

 掌をゆっくりと持ち上げ丸太へと五指を伸ばした。息を一つ吐いて、テレキネシスに力を加える。
 ブレードは結構な勢いで飛んで行き、丸太へと深々と突き刺さった。……ただし一本だけ。
 残りの二本は丸太から狙いが逸れ、丸太の縁を掠りながら後ろへと飛んで行きそのまま重力に負けて地面へと墜落した。
 力を直ぐに解除したのでブレードはゆっくりと空気へと溶けて行く。

「あれー……おっかしいな……」

 何が駄目だったのか、考え得る原因を頭の中に幾つか浮かべてもう一度刃を投影する。
 また3本の刃を創り上げて、飛ばした。
 今度は掠りはしたものの一本も当たらなかった。何が駄目なんだろうか。……いや、答えは何となく分かっている。

「……」

 PSIのブレ。

 目覚めた当初より力は大きくなっているが、相変わらずテレキネシスの精度はそれほど高まっていないように思う。
 いや、恐らく成長してはいるのだろうけども、初めが酷過ぎたために成長してもこの程度なのだろう。
 PSIのブレを根本的に治すしかPSIの成長を見込めないのかもしれない。……だけど、どうやって?

 そう言えば、マテリアル・ハイのブレが少し収まったのは二度目の熱を胸に感じてからだった。
 感覚的に分かる。あれは、恐らくカイルの心により近づいたからだ。

「要するに誰かと仲良くなれ、って事なのか……?」

 誰しもが自分じゃない誰か、他人に対して壁を持っている。その大きさが大なり小なり個人差はあれどそれを持たない人間なんか居ない。
 その壁が、あの熱を感じた時にほんの少し薄らいだような気がした。

 人を羨み、その人のように成りたい、何も無い自分から生まれ変わりたい。
 ……いや違う。僕は、自分が誰なのか知りたいんだ。誰かが誰かであるその証拠とは何なのか、恐らくみんなそれぞれが持っているだろう自分が自分だと言えるような証明、それがどんな物なのか知りたいんだ。
 そう願い壁を侵してまで人の心に触れようとする。触れて、ずっと分からない物『自分』とは何なのか知ろうとする。
 そんな決して綺麗とは言えない利己的な心から、誰かの力に依存するのが前提なこの不思議な力は生じているのかもしれない。

 ただ……自分と人との距離感が上手く掴めない。
 壁を無理に侵そうとすれば逆にその壁は厚くなってしまう、ような気がする。だけど触れようと手を伸ばすのを止められない。近付き過ぎてしまう。
 そして無遠慮にべたべたと心を触ってしまったなら、きっと僕はその人の隣に居る事が許されなくなる。

 そもそもまず第一に、色々な事を含めて自分が判断する全てが正しいのか分からない。
 手を伸ばそうとするのが正しいことなのか間違っていることなのか。例えば誰かが僕の隣に居るとして、僕はどうするべきなんだろう。
 顔を向けて手を取り合う事を願うのが正しいのか、視線を交わらせる事も無くただそこに平行線のように在るだけでいるのが正しいのか。

 こんな大事な事も分からない、身についていないのは僕に記憶が無いせいなのだろうか。
 それに、人と仲良くなる事の根本的な方法を教えてくれる人もいなければ、そんな本も無かった。

 ……みんなどうしているんだろう。
 いつの間にかみんな誰かに教えてもらっているんだろうか。それとも独りでに出来る事なんだろうか。
 僕だけが、分からない事なんだろうか。

「……っ!」

 思考を振り払うようにブレードを再三飛ばした。今度は、三本とも掠りもしない。
 ……考えても答えが出ない事をうじうじと考えるのは、きっと良くない癖だ。頭を振ってこびり付く思考を頭から追い出してまた丸太へと向き直った。
 今やれる事をやる。無いものを望まない。それが正しいかどうかは分からないけれど、間違ってもいない。そう思う。

「おはよう、ファイ君」

 不意に声がかかった。
 後ろは振り返って無いけど、声から判断するに多分マリーだろう。
 振りかえると、そこにはやはり思い描いていた通りのマリーの姿があった。声から一抹の眠気が感じられるマリーは、寝巻から既に着替えた普段着にサンダルの格好。

「や。おはよ」

 いつも通り軽く挨拶を交わす。そう、いつも通り。無駄に心配を掛けたくないから、つまらない考え事をしていたのを顔に出さないようにして。
 こんなタイミング良く声を掛けて来ると言う事は、マリーは結構前からこっちに気付いていて敢えて声を掛けなかったのかもしれない。
 気配りの出来るマリーなら僕の訓練が終わるまで待とうとするだろう。

「フーちゃんから聞いたんだけど、ホントに朝から訓練してるんだ。偉いなあ、ファイ君」

「フレデリカが? まあ確かにこの間訓練してるのを見られて……もののついでに燃やされそうになったんだけど」

 あの時フレデリカは何だか不機嫌なようだった、と言うより僕が怒らせてしまったようだったから、あの事について誰かに話すとは思わなかった。
 早朝の訓練だから、誰かに見られる事はもうないだろうとも考えていたけど、それだったら思いがけない遭遇が重なるのも頷ける。
 マリーは、少し離れた所に置いてある丸太と、僕を感心したように見比べていた。そんなマリーの視線は、少しこそばゆい。

「偉い、って程のもんじゃないさ。ただ僕がしたいからしてるだけ」

「ううん。それでも偉いよ。でも、どうして急に? ……おばあ様が言ってた事となにか関係ある、の?」

 不安そうな顔。
 お婆さんが言っていた事、とはお婆さんの予知夢の事、世界崩壊についての事だろう。
 お爺さんが亡くなって暫くしてからお婆さんに予知夢の事を話された、あの日の事を思い出しているようだ。
 急に僕が訓練なんか始めたから、何かに対して備えるような事をし始めたから不安になったと言ったところか。

「……いや。その事とはまた違う、かな?」

「そう、なの? よかったぁ……何かあるんじゃないかって心配してたの」

「その事とは、ね。ま、単純にこのままじゃマズイなと思ったんだ。まだまだ弱いから。弱くて、何の力にも成れないから僕は」

 サイレンの事は、言えない。
 灰にされる事もあるし、やっぱり余計な心配を掛けるのは無用。避けられるなら避けた方がいい。
 上手く誤魔化せられたと思うけど、どうなんだろう。この家の人達は妙に鋭い所があるから。サイレンには触れなくとも何か厄介事に首を突っ込んでいる事くらいは見抜かれそうで怖い。
 意識しなかったのに言葉の端々にも苦みが現れてしまっているような気がしたし。

「そんな! ファイ君は随分PSIの使い方が上手くなったよ! 私が一番みんなの中で弱いから、私こそ訓練しないといけないのに……やっぱり偉いし、すごいよ。ファイ君は」

「……」

 おっと。いつものマリーの自信の無さが出たみたいだ。俯き加減でもじもじと芝を見つめながら言う。
 視線を下に落とすのはマリーの自信のない時の癖だと言う事にこの家で生活し始めてからしばらくして気付いた。
 そしてマリーは訓練をあまり好まない自分を恥じているようだった。

 マリーが力を、PSIを戦う為に鍛えるのに抵抗が有るみたいなのは、マリーが優し過ぎるからだろう。
 優しいから、他人を傷つける目的で力を使うのに嫌悪を示す。だから訓練自体から無意識に遠ざかる。
 訓練をしてしまったら、力の刃を研いでしまったらこの平穏と言う名の日常が壊れ始めるように錯覚して。それは誰にも責められないし、責めるべき事でもない。

 だったら、どうするか。

 簡単。マリーが心を殺してまで力なんか使わなくて済むようにすればいい。
 そしてマリーだけじゃなくて、誰かの代わりに力を振るう人間が居れば、誰かが傷つかなくて済む。その人間とは僕でも構わない。それだけの事。

 それはわざわざ言わなくても良い事だ。言ったら何だか恩着せがましいと言うか、その、気恥かしいから。
 その事もあって誰にも会わないように早朝に秘密に訓練しているんだけど、思いっ切り見られてしまった……無念。
 
「ふむ。マリーが一番弱いとは思わないなぁ、別に」

「でも……」

 仕方ない。こうなったら多少強引に話を変えよう。
 内心密かに頭をボリボリと掻くようなイメージで、向こうに置いてある丸太へと向き直った。
 そっと瞼を結んで、力を思い浮かべる。

 ―――投影。

 目の前には先程と全く同じマテリアル・ハイ製のブレードが三本。揃って丸太へ刃先を向けている。
 何が何だか分かっていなさそうなマリーに再び顔を戻して、言った。

「じゃ、さ。僕に教えてよ、テレキネシス。見てたかもしれないけど、僕じゃ上手い事当てられなくて」

「え? で、でも……」

 はい、と体をどかしてマリーとブレードの間を開ける。
 殊更に笑顔で言って、有無を言わさない話の切り替え。マリーがおずおずと掌をブレードに向けたから、成功のようだ。

「いいからいいから」

「う、うん……じゃあ、いくよ?」

 マリーがテレキネシスのプログラムを組む為に力を練り始めるのと同時に僕はまた眼を閉じる。
 開いたのは、片目だけ。その片眼には先程までと異にする景色が広がっていた。
 『心羅万招』シャオの力だ。僕らを取り巻く空間にはPSIの存在が流れて見える。マリーを中心にしてPSIが高まっていくのも片眼が捕えた。
 
 ……あれ、こうやって改めてマリーを見てみると何か普通に力が強い気がするんだけど?
 溢れ出ているPSIの存在が強い。それこそ、エルモア・ウッドの誰よりも強い気がする。
 口から出まかせにマリーが弱いとは思わないと言った訳じゃない。僕なんかよりもずっとテレキネシスに長けているのだし。
 それにしても、こんなに強い力を秘めているとは思わなかった。

「えっ、えい!!」

 マリーのテレキネシスがブレードに絡みついたのが見えたから、固定解除してブレードを自由にする。
 可愛らしい掛け声とは裏腹にブレードは、さっき僕がやったみたいのとは違う、まるで躾されているかのような綺麗な軌道を描いて飛び、丸太へと全てが突き刺さった。

 衝撃で倒れた丸太に近寄って見てみると、ブレードは三本とも深々と食い込んでいた。
 三方向から異なった角度で丸太に突き刺さった筈なのに、丸太はマリーから見て真っ直ぐ後ろへ倒れている。

 つまりは、左右の二本は真ん中の一本から等しい角度で、また等しい力と等しいタイミングで入ったと言う事になる。
 そしてブレードは深々と食い込んでいた。加えられた力は相当な物らしい。
 とんでもなく精緻なコントロール、そして十分に巨大な力。それらを目の当たりにして、思わず笑みが浮かんだ。……自嘲の。

「……なんか、ゴメン」

「え!? なんでファイ君が謝るの!?」

「いや、調子乗ってた。もうそろそろ追い越せはしなくともみんなに追いつけたかな、とか考えてた僕がバカだった。何だこれ僕如きがテレキネシスを使えると自称する事すら恥ずかしいレベルだよ……いや存在がもう恥ずかしい」

「えっ、えっ!?」

「ナマ言ってすいませんでしたマリー先輩」

 何がマリーが一番弱いとは思わない、だ。エラソーに。マリーの足元にも及ばないじゃないか僕。
 若干カッコ付けてた。マリーを元気付けようとか考えた。それは認めよう。とんでもない。身の程知らずだったあの頃の僕を殴りたいよ。
 マリーは頭を下げる僕にどうしたらいいか分からずにあうあう言っている。
 先輩呼びは恥ずかしいと以前言っていたから、その事もあるのかもしれない。

「あの、すみません先輩。もう一回お願いできますか……? 愚鈍な後輩めにぜひその卓抜したテレキネシスをご教授下さい」

「せ、先輩はやめてってば!!」

 土下座せん程の勢いだったのをマリーに慌てて止められた。
 ……流石にここまでの差を見せつけられると少し凹む。途方も無く壁は高い、か。いや壁が高いのもあるけどそもそも僕が低いのだろう。日々精進するしかないらしい。
 今度は僕が俯けていた顔を上げるのと同時にブレードを作り出す。気を取り直して先程の言葉通りマリーに教えてもらう為に。
 目にまた心羅万招を使ってPSIの流れを観察する。

「あ、あの……ファイ君? か、顔が近いかなー、なんて……」

「え? あ、ゴメン気付かなかった。口臭? その、寝起きだから……」

「そうじゃなくて……いいや、もう」

 マリーの掌に僕の掌を重ねてPSIの波長を感じられるようにしてテレキネシスを教えて貰おうと思ったのだけど、なんだかマリーに心なしか遠ざけられた気がする。
 そして僕は、咄嗟に冗談で誤魔化した。そもそも歯はもう磨いてあるのだから多分大丈夫。
 ただ――また僕は無意識で接し方を、距離を間違えてしまったのかもしれない。マリーの思った、感じた、考えた事が、分からない。

 ……止めろ。今考える事じゃない。落ち込むのは独りの時だけだ。そう言い聞かせて、再び教えてもらうのに意識を移した。

 その時だった。胸に熱を感じたのは。
 いつか感じた事のあるそれは、ゆっくりと僕の内側に染み渡っていく。少し熱いけれど、暖かい。
 ――だけど、その暖かさがほんの少しだけ、怖く思ったのは気のせいなのだろうか。望んで手を伸ばしている筈なのに、何かを恐れるなんて意味が分からない。

 距離が縮まる事は、縮める事を望むのは正しい事なのか。
 とてもじゃないが僕なんかには、分かりそうになかった。

 ……ホントに口臭だったらそれもそれでどうしよう。


◆◆◆


 土曜日。

 その日、夜科アゲハと朝河飛龍と雨宮桜子の三名は豊口駅に待ち合わせしていた。
 駅で、と言っても鉄道を利用するのではない。ただ単に集合場所として三名の家から大体等距離にある分かりやすいこの場所を選んだのだ。
 
「よう」

「……おす」

 駅の構内で互いの姿を確認した朝河と夜科は軽く声を掛け合った。
 もう一人の待ち人である雨宮の姿は未だ見えない。もっとも現在時刻は集合時間の三十分は前なのだから、致し方ない事である。

「……」

「……」

 声を掛け合った切り、無言になってしまう男二名。
 共通の話題が無い訳ではない。ただ、何となく二人はお互いにしばらく黙っている気分だったのだ。
 二人の間には雑踏の騒音が駆け抜けていったが、奇妙な静謐にもまた満ちていた。

「なあ……」

 そうして十分は経っただろうか、不意に朝河が声を発した。ただしそれは夜科の方を向いて言った言葉では無かった。
 朝河の正面にある改札口から溢れる人の群れを視線で捕えたままに、口の端から零れるようにふと声を上げたのだ。
 そんな朝河に同様の視線を合わせない返事を夜科が投げ返す。

「あんだよ」

「多良高の判戸、って知ってるか」

「……! ……知らねぇ」

「そうか、なら良いんだけどよ」

 手持無沙汰だった腕を組むのに合わせて大きめの息を一つ吐く朝河。
 相変わらず二人は視線を合わせる事をしない。果てに、朝河は静かに瞳を閉じた。

「……その多良高の判戸がどうしたってんだ」

 多良高の判戸という言葉を聞いて夜科が僅かに顔を強張らせたのに横目で気づいていても、朝河は何も言わなかった。
 一度は閉じた瞼を再び薄く開け、視線をもう少し下げると組んでいた夜科の脚は解かれ、壁に預けていた背中も浮いるのが映った。
 夜科は隠し事が大の苦手である。その事を朝河が知らずとも、何かあると言うのは薄らと傍目で分かったらしい。

「いや。今週妙な噂が俺の高校にも聞こえてきたもんでな。噂によると判戸って野郎は中々に強い力を持ってたらしい。勿論、不良の勢力ってカテゴリーの中の話だが。
……そいつが、ついこの間ボコボコにシメられたって話だ。それも完膚なきまでにな」

「……それがどうした。どこぞの不良がバカやらかして、俺と何の関係がある?」

 むきになっているような声音。語尾が僅かに上擦っていた。
 朝河に食ってかかろうとしている自分に夜科はハッと気付き、それがばれない様に背中を壁に再度着陸させる。尤も、その行動も見透かされてはいたのだが。

「そいつらはよっぽど手酷くやられたらしくて、揉め事をやらかしていた時の事は口外しないそうだ。安いプライドってやつだろう。
ただ、現場にはバカデカい穴が残っていたそうだ。それと付近にいた人が爆発音を聞いたらしい。あんな街中で爆発物を使うなんて、相当ヤバい奴だったって噂だ」

「っ!」

 夜科の目が見開かれた。その深い色を漂わせる虹彩には、明らかな焦燥と、それに類する感情が浮かんでいる。
 何か言おうと唇が微かに震えるが、喉が鳴る事は無い。見つからなかったのだ、この場に相応しい言葉が。
 流石の鈍い夜科と言えど、朝河がその出来事と自分を何らかの形で結びつけんとしているのに気が付いた。

「なあ、お前が先週送ってきた雨宮の部屋のあの大穴、あれは……」

「……うるせえよ」

「PSIってヤツは確かにすげえ。だがその力をむやみやたらに使うのは」

「うるせえッつってんだろ!!」

「おーす」

 群衆の視線を集めるほどの大声を上げて、勢いで朝河の胸倉を掴む夜科。
 一触即発のその状況に、場違いな程の暢気な声が二人を遮った。見ると、私服姿の雨宮桜子が軽く手を上げて二人のすぐ側に居た。
 その雨宮の突然の登場に気勢をそがれた夜科は、乱暴に掴んでいた朝河の服から手を離した。朝河もいざとなったら応戦するつもりであったが、同様にそんな気勢ではなくなってしまっていた。
 ただ、互いに目を合わす事はまたしても無くなり、今の気分を表すかのような粗野な舌打ちが響いた。

「二人とも、どうかしたの?」

「何でもねぇよ」

「何でも無い」

 様子のおかしい二人に対して首を僅かに傾けて言う雨宮だが、二人は同じ内容の言葉を即座に叩きつけた。
 まるで聞くな、と言っているように。事実そうであったので、それを何となく察した雨宮はそれ以上突っ込む事は無かった。
 ただ、傾けていた表情の変化のあまり無い顔を真っ直ぐに戻しただけ。内心はまだ首を傾けたままなのだが、仕方なくそれとは別の話を始める。

「それより、そろそろ時間だわ。恐らく車はもう着いている筈よ。探しましょう」

 確か迎えの車は黒塗りのメルセデス・ベンツだった筈だ。それならば見つけやすいだろうと駅の構外へと三人は向かって歩き出す。
 そんな折、雨宮は本人に気付かれぬようにちらりと夜科の顔を見た。不機嫌な顔をしている。
 何故自分は今夜科の顔を見たのか、理由を説明できない自分の行動に雨宮は訝しんだが、考えても具体的な答えが出て来ないので、その思考を頭の隅から追いやった。

 そして三人は酷く目立っていた黒塗りの車を容易く見つけ、乗り込んだ。
 三人を乗せた四輪駆動車は注ぐ陽光に黒の体を焼かれながら、排気ガスの呼気を吐き出して伊豆へと向かうのだった。


――・・・


 車内にはエンジンの駆動音と、タイヤのゴムがアスファルトを撫でる音だけがあった。
 運転手は一言二言話したみで、あとは三人ともが口を開く事は無かった。朝河と夜科の剣呑な雰囲気に加えて、雨宮は一人考え事をしていたからだ。

「……天樹院エルモア。サイレンの秘密に五億円の懸賞金を掛けた大富豪……か。そして、あの不思議な子の保護者」

 乗車してそれなりの時間が経過した後、雨宮が思考の海から意識を掬い上げてポツリと言った。
 エルモアがサイレンに拘る理由については、大まかに白髪の少年から聞いていた。それについては疑問は無い。
 だが、どうにも違和感があったのだ。サイレンについての情報を望んでいるエルモアの元に、実際にサイレンのゲームに参加している者、しかも子供が居る事が。

 偶然にしては出来過ぎな気もする。まるで、誰かに仕組まれたかのような都合の良さだ。
 もしかするとその仕組んだのはエルモアで、年端も行かない子供を使ってサイレンを探っているのでは無いか、と邪推すらした。
 
「……アイツは何なのかねぇ。なんっか変な感じがするんだよな。アイツ見てると。こう、見た事がある気がする、と言うか」

 その邪推についてはエルモアの口から本意を聞けばいい、わざわざ伊豆くんだりまで呼ばれたのだから、と雨宮が考えるのを打ち切ろうとした時、不意に夜科がそう零した。
 どうやらエルモアの事では無く、白髪の少年の事を言っているらしい。そしてその内容には引っ掛かる物があった。

「……お前もか? 実はオレもどっかで会ったような気がするんだが」

「え、あなたたちも? 私はデジャヴかと思って口に出さなかったんだけど……それも三人ともだなんて」

 ふとしたことから、それまで視線を交わす事すら無かった三人が顔を見合わせた。
 それまで生きて来て三人が経験する事の無かった奇妙な感覚。それが共通して三人にあった。だがその正体は分からない。

「……」

「……」

「……」

「……間もなく到着いたします」

 三人の会話に入るタイミングを暫く見計らっていた運転手が何とか隙を見つけて、ここだとばかりに告げた。
 三人がその声で見合わせていた顔をまた別々に向ける。告げる事が出来た運転手は、どこか嬉しそうだった。


――・・・


「大奥様はこの先のお屋敷にいらっしゃいます。少々お待ち下さいませ」

 車が大きな門を潜り、その先にあった建物の前で停車した。客席の扉を丁寧に開けた運転手はそう言って建物の中へ消えていった。
 残された三人は車から降り、背伸びしたり肩を回したりしていささか窮屈だった車からの解放を体で感じ取っている。
 空を見上げると仄白い欠けた月が浮かんでいた。

「今日はいい天気だな。それにしても、大きな屋敷だ」

「あまり広すぎても寂しいだけじゃない」

 肩に次いで首を回し終えた朝河が降り注ぐ光線に目を細めながら呟く。その呟きに雨宮が感情を乗せない声で何気なく返した。
 雨宮は特に意図したわけでは無かったのだが、朝河にはその言葉があの雨宮の寒々とした広さの部屋のイメージと重なり、どこか哀調を帯びた物に聞こえた。

 一方夜科は、水音を聞きつけ何気なくその音源である噴水に近づき、何気なく覗きこみ、何気なく靴を脱いで噴水に入り、何気なく噴水内の鯉を捕まえていた。
 えも言えない何かで満たされた顔を、夜科は離れた所に居る二人に向ける。

「おい、なんでアイツあんな嬉しそうなんだ。なんであんなドヤ顔してんだ」

「……色々とためらいってもん持ってないのかしら」

「あの錦鯉、二百万円はするんですけどね……」

「うわっ! びっくりした!」

 意識を夜科に取られていた二人には少年が突然現れたように思えた。実際は普通に建物から出て来て横に並んだだけなのだが。
 呆れた表情の二人のように少年の顔にも呆れのような物が浮かんでいたが、それはどちらかと言うと高級な鯉を遠慮会釈も無く手で弄んでいる事への驚きに近い物だった。

「いつの間に、って二百万……だと!!? おい馬鹿止めろ夜科鯉を今すぐ捨てろ!! いや全力で優しくそっと下ろせ!!!」

 金銭にあまり不自由のない雨宮はさほど驚かなかったが、庶民である朝河は二百万円と聞いた途端顔色を変えて夜科に向かって怒鳴りつけた。必死の顔だった。
 少し離れた所の夜科は朝河の必死な顔をする理由がよく分からずにポカンとしている。

「あ? 恋は優しく全力で? 何言ってんだあい……ブォッ!!?」

 胡乱な眼をする夜科だが、最後まで独り言を言い切る事は叶わなかった。急に光が陰ったと思った瞬間、顔面に予想もしない大きな衝撃が走り、夜科は吹き飛ばされていたからだ。
 それと同時に鯉も空中へと投げ出される。

「ああっ! フレデリカ!!」

「夜科!!? いやそんなのより鯉だ!!!」

 朝河が見ると、鯉は空中にふわふわと漂っている。あのままでは地面に叩きつけられると咄嗟に判断した少年が、テレキネシスを使ってそれを未然に防いでいたのだ。
 そのままゆっくりと噴水い戻される。朝河はそれを見てほっと安堵の息と共に胸を撫で下ろした。

「何だ!? 飛んで来やがった!!?」

「はッはァ!! 我こそはエルモア・ウッドの……」

「んな事より、なに鯉なんかに人の名前付けてんのアンタ。燃やされたいの?」

「金髪の方のフレデリカ!!? いや、あの鯉達名前無いって聞いたから、カイルとかマリーもいる……ってあァァっっっっつぅぅぅぅぅぅぅ!!!? 燃えてる!! 襟足!! もう燃えてるから!!!」

 順序立てて描写するならば、まず夜科が鯉を手にして少年のような笑顔を浮かべていた。
 次に突然肌の浅黒い白髪の少年と同じ背丈ほどの別の少年が夜科の顔面を気持ちがいいほどに蹴り飛ばした。
 そしてフレデリカと言う名の鯉が白髪の少年のテレキネシスによって噴水に戻されて、それからまた唐突に現れた金髪碧眼の少女に白髪が燃やされた、と言った所だ。

「金髪の方って、アタシと鯉の区別はそこか。そこだけか。もし鯉に金髪が生えたら見分けが付かないのか」

「ああああああああああ!!! 禿げる!! これは間違いなく禿げる!!!」

 白髪の少年、ファイは襟足から炎の尾を引きながら慌てて噴水へと飛び込んで行った。噴水に頭を突っ込んで足をジタバタしている。
 気付けば一同に静寂が降りていた。あまりに展開が唐突かつごちゃごちゃして、ついて行けなかったのだろう。
 フレデリカと呼ばれた少女はそんな一同を一瞥し、フンと鼻を不愉快そうに鳴らして再び建物の中に入っていった。残された一同は相変わらず何も言えない。

「あー……その、な? オレはこの家の警備隊長で、天樹院カイルって言うんだ。よろしくな」

「あ、ああ、よろしく? それよりアレ、大丈夫なのか……?」

 すっかり雰囲気が消沈してしまい、カイルは気を取り直して夜科に手を差し出す。
 咄嗟に差し出された手に困惑しながらも起き上がった夜科は噴水を、気付けば顔を沈めたままぐったりして動かなくなったファイを見遣って、若干顔を引き攣らせながら尋ねた。

「まァ大丈夫なんじゃね? もやしに見えてそれなりにしぶといから、あいつ」

「そうか……じゃ、謝ろうか」

「へ?」

 ガシっと頭を掴まれたカイルは間の抜けた声を上げて夜科の顔を見上げた。そこにはこう書かれていたと言う。悪ィ子゛はいねが、と。
 歯をむき出しにしていっそ清々しい程極悪な笑みを浮かべた夜科に、カイルは本能的な恐怖を覚えた。

「あ、あああ……」

「キャーッチ」

 頭を掴んだまま持ち上げようとする目が真剣な夜科に、このままだと最悪殺されると判断したカイルは身を捩って夜科の手を振りほどいた。
 それもまた必死の形相だった。どうしてこんな事に、とカイルは後悔するが後悔した所で目の前の悪鬼をどうにかする方法が浮かぶ訳ではない。
 
「い、嫌だ!! う、うわああああああああああああああ!!!!」

「待てコラぁぁ!! 悪い事したら謝罪と習わなかったのか!! よーしアゲハ様を敵に回したなクソガキ!!!」

 残された唯一の選択肢、逃げる事を選ばざるを得なかった。空中にブロックを形成し、空へと跳び上がって一目散に駆けだす。
 ただの人間が自分に追いつける訳が無い。そう自分に言い聞かせるが目をギラつかせて迫る夜科の憤怒の形相を見ると、その自信は儚く瓦解していった。

「……なんだか、酷く賑やかね」

「ああ……ところで俺達、忘れられてないか?」

 どちらが子供なのか分からない具合に早速騒々しさに馴染んだ夜科が走り去っていくのを見送りながら、雨宮と朝河の二人は呟いた。
 呆然と呆れが入り混じったような表情が互いに浮かんでいる。そこに、一人の老婆が現れゆっくりと二人に近付いていった。

「まあ遠い所へよう来てくだすったね。ありがとう、ありがとう。うちの子達がとんだ失礼をしたね」

「……!」

 天樹院エルモア、その人であった。


◆◆◆


 後頭部がヒリヒリする。幸い火傷は負っていないようだけど。
 あの後噴水から引き摺り出た僕は、お婆さんと雨宮さん達について客間へ移動した。サイレンの参加者でもあるんだから話には参加しないと。
 雨宮さん達がお婆さんに促されるままソファに腰を下ろしたのを見て僕も座る。机を挟んで僕とお婆さん、雨宮さんと朝河さんは向かい合った。
 
「カイル君のあの動き……彼も超能力者ですね?」

「うむ……その通り。カイルも先程のパイロキネシスの子も自分の持って生まれた力と環境によって行き場を失くしてしもうた子供達。
わしは、ここでそういった子供達を集め育てておるのじゃ」

「じゃあ、あなたもなの?」

 お婆さんがさっきのみんなについて説明していたと思ったら、突然僕に話を振られてびっくりした。雨宮さんと雨宮さんと朝河さんの瞳がじっと見つめて来る。
 びっくりしたせいで初め何を聞かれたのか分からなかったけど、少しして僕の境遇について聞いているのだと分かった。
 
「いえ、僕は違うんです。僕のは少し変わった事情と言いますか、どう説明したらいいか……けどまあ今はいいじゃないですか。話、続けましょう」

 話をしてもいいのだけど、それを説明するにはやはり時間がかるし、それは本筋ではないだろう。
 控えめな笑みを浮かべて首を振っておいた。

「……ふむ。先に話しておく事がある。この子には友達、と紹介されたがお前さん達の事情をワシは推測は出来ておる。サイレンの世界に行き、生き延びた人間じゃろ」

「……」

 雨宮さん達と視線を交わす。どこまでお婆さんに話したのか、という問いかけを含んだ視線だろう。
 サイレンについての核心に触れるような事は話していない。僕が灰になっていないのがその証拠だ。大丈夫です、という意味を込めて頷いておいた。

「だからお前さん方は何も話さんでいい聞いとればいいんだ。これでもただのババァじゃないんでね」

「極度のトランス偏重型サイキッカー、そして、予知能力者……」

「そうじゃ。この子からこちら側の事情は大体聞いておったようじゃの。ならば話は早い」

 事のあらまし、どうしてお婆さんがサイレンに拘るのか、お婆さんが見た夢の事についてなどは以前に雨宮さんに話しておいた。
 朝河さんにもそれが伝わっているのだろう、二人は揃ってお婆さんの言葉に頷いていた。
 
「ワシはね……サイレンと世界崩壊の謎をその足で直接調べに行ける……資格と実力を持ち合せた者とずっと話がしたかったんじゃ」

 お婆さんは言葉をそこで切って、ふと、首を傾け窓を見つめた。
 それはお婆さんがよくする癖。多分、お婆さんのPSIの特徴がそのまま癖となって普段無意識のうちにも表れているのだろう。

「正確な時も原因も分かん、だが確かに近く訪れるあの崩壊を何としても止めねばならぬ。……ここでPSIを学ぶ子はこの子のみではない。未来の希望は、ワシの巣の中ですくすくと育っておるのだ」

「……」

 ……なんだろう? さっきから雨宮さんの視線をチラチラと感じる。
 お婆さんの話を聞いていない訳じゃない。だけど、その合間合間に意識が僕に向けられているみたいだ。

「……だが、そんな事よりも。どうかこの子とよろしくしてやってくれ。この子を……よろしく頼む」

「お、お婆さん?」

 突然、お婆さんが頭を下げた。
 どうやら二人に僕の事を頼む、つまり保護者のようにあって欲しいと頼んでいるらしかった。

「今日お前さんらを招待したのは、他でもないその事についてじゃ。……ワシはサイレンへ行く事は出来ん。その肩代わりをこの幼子に背負わせてしまっている。
だがお前さんらなら、共にサイレンへと行く事が出来る。どうか……どうかこの子の事を見守ってやっておくれ」

 ……僕が思っていた以上に、どうやら僕はお婆さんに心配を掛けていたようだ。世界の崩壊の事を、そんな事とまで呼んで。
 みんなの前、特にお婆さんの前ではサイレンと言う物が危険な物だと悟られないよう、また何の異変も無いように振る舞ってはいたけど、見透かされていたのかもしれない。
 もしかすると、僕がお爺さんのように灰になって消えてしまうのではないかと恐れているのかもしれない。

「……分かりました。頭を上げて下さい」

「雨宮?」

 雨宮さんが平生と変わらない口調で短く言った。
 表情は、なんだか複雑な物だ。薄く微笑んでいるような、何か納得し切れていないような、とにかく雨宮さんの感情が読みとれない。

「本当は、一言二言聞きたかったんです。どういうつもりだって。こんな小さな子たちを、まるで運命を変える道具みたいに使う人だと思ってましたから」

「あ、雨宮さん!?」

「それについては……ワシは弁解しようも無い。この子たちを危険に晒すような真似をしているのは事実。この子たちにはどれだけ責められても責められ足りんのは、分かっておる」

「……だけど、なんとなく分かったんです。あなたとこの子との関係が。あなたはとてもこの子の事を心配している。サイレンの事なんかよりも、ずっと。
胸が張り裂けそうなほど、この子をサイレンに送る事をついて悩んだのでしょう。部外者の私にはとてもじゃないが想像もつかないほど」

「……」

「大丈夫。この子の事は、私達に任せて下さい」

「……すまぬ。いや、ありがとう、と言うべきじゃな……本当にありがとう」

 雨宮さんがお婆さんの手を取った。
 なんだろうこの穏やかな雰囲気。話し合いがこんな方向に向かうなんて全く予想していなかった。
 と言うか、なんで僕がそもそも守られる前提で話が進んでいるんだろう。僕だって、誰かに守られなくてもいいように一応は頑張っているつもりなんだけど。
 朝河さんも、なんで目を細めて僕を見るんだ。満場一致で子供扱いか。いや、子供か。……こんなに子供であるのが何だか悔しい事は無かった。

「あの……なんで僕が守られる立場前提なんですか。僕だって……!」

 そう言おうとしたけど、その場に居た僕以外の人がなんだか微笑ましい物を見るような目つきをしていて、最後まで言いきる事が出来なかった。
 ……なんだこれ、すごい悔しいんだけど、なんだこれ。
 悔し紛れに窓の外を見ようと微笑ましい顔をした大人組から顔を背けると、目が合った。外からこちらを覗いていたフレデリカと。

「……」

「なにしてんの」

 その言葉が向こうに聞こえたのかどうかは分からないが、フレデリカのギクリとした顔がゆらゆら揺れていた。
 この部屋は一階だけど窓まで微妙に高いから、何かの上に乗って覗いていたのかもしれない。……マリーとか。で、ビックリしてバランスが崩れたと。

「……あ」

「ん? ……あ」

 窓の向こうのフレデリカの更に向こうに不吉な物が見えて、思わず声が漏れた。
 その声に反応して、部屋にいたみんなも一斉に窓を見た。そして僕と同様の声を漏らしたのは、傍から見ればおかしな光景だったかも知れない。
 不吉な物とは、カイル、そしてその背中に掴まっている夜科さんだ。空中をギクシャクした動きで飛行しながら、その軌道をフレデリカに向かわせている。
 こうしてこんな事を考えてるうちにも……

「どいてどいてお願いだからそこどいてぇぇぇぇ!!!」

「な!!? に゛ゃああああああああああ!!!?」

「きゃああああん」

 ああ、ほら考えている間に予測が現実となった。予知能力なんかなくても誰でも分かる未来予想だった。
 フレデリカ、ついでにやっぱり居たらしいマリーを挟んで壁に激突した二人の衝撃で家が僅かに揺れる。この家結構年季入っているんだからそんな事されると埃が振って来る。やだなぁ。

 ……とか、現実逃避に考えてないで、さっさと外に向かおう。


◆◆◆


 遡る事幾許か。
 来客の姿を確認しに来て、たまたま聞こえてきた同居人の白髪の少年の発言に腹が立って少年にその苛立ちをぶつけた後。フレデリカは客間を盗み見していた。

「何なのよあいつら!! アイツの友達が来るとか言うからどんなツラしてるか見に行ったのに、全然友達に見えないじゃない! アレ絶対ただの友達なんかじゃないわよ」

「私もビックリしたんだけど、疑っても仕方ないよ、フーちゃん。ファイ君の知り合いなのは本当みたいなんだし……」

「怪しい。怪しさの塊よ。疑うなって言う方が無理があるわ」

 フレデリカ達エルモア・ウッドの住人には予め、今日来客があると言う旨が伝えられていた。エルモア曰く、白髪の少年の友達だと。
 この家にエルモアへの客以外で来客がある事自体が珍しく、またこの家の外の友人などと言われれば気になるのは仕方のない事だろう。
 好奇心と、外の人間への警戒を織り交ぜた感情を秘めて、その客人を見定めに行ったフレデリカだが、その客人は彼女の予想に反して、少年少女と言うよりは青年と言った風体の三人組だった。

 流石のフレデリカも面喰ってしまい、また少年への苛立ちも加わって有耶無耶になってしまった偵察だったが、そんな事で諦める彼女では無い。
 エルモアが人払いをしたのに巻き込まれて外へ行かざるを得なくなったフレデリカだが、そこは自称高貴で美しい女スパイの彼女である、なんとか秘密の会合を耳に入れようと躍起になっていた。

「……ところで、重たいよ……フーちゃん」

「煩いわね。中の声が聞こえないじゃない」

 苦労するのは、専らマリーなのであったが。
 彼女の背丈では覗く事が出来ない高さに窓がある為、彼女はマリーの肩を踏み台にすることでどうにか窓に達していた。
 フレデリカの蒼い瞳がキョロキョロと部屋の中を転がすように眺めている。しかし、部屋の中の人らが窓から遠いのも手伝って、残念ながら声ははっきりと聞きとる事が出来なかった。

『サ……レ……』

 聞こえてくるのは途切れ途切れの声だけだ。ああ、もうじれったいと、地団太を、正確にはマリーの肩を強く踏みつける。その度に小さくマリーが苦悶の声を漏らした。
 そうしている内に、中の少年がふと、窓の方を向いた。そしてフレデリカの蒼い視線と少年の薄い銀色の視線がぶつかった。

『なにしてるの』

 少年の口元がそんな風に動いたように見えた。
 ドキリ、と内心の動揺と同調するかのように思わずバランスを崩してしまう。倒れまいと強く踏ん張ったせいでとうとうマリーが悲鳴を上げた。

「痛い!! 痛いよフーちゃん!!」

「あっ、ごめ……」

 フレデリカはその句を最後まで告げる事は叶わなかった。
 この後の悲劇の種がガラス窓にしっかりと映っていた事に、フレデリカはフレデリカが気付く事も無かった。


――・・・


 いつの間にか開催された鬼ごっこに、カイルと夜科は興じていた。
 尤も、二者どちらも興じるなどと言う言葉が似つかわしくないほどに必死の形相であったが。

「な、なんで……! ただの人間がオレに付いて来られる!?」

「超能力なら持ってるぜッ!! 根性と言う名の超能力をなああああああああ!!!」

 そう叫びながら夜科は執拗にカイルを追いかけ回す。
 マテリアル・ハイを用いて逃げたとしても先読みと先回りを繰り返し追い詰めるなど、勘と体力に物を言わせた方法で夜科は縦横無尽に三次元を飛び回るカイルに対抗していた。
 そしてその荒くなった鼻息と血走った目が更なる恐怖をカイルに与えている。

 カイルが言うように、夜科はPSIが使えないわけではない。
 ただ夜科のPSI、バーストは牽制や威嚇に用いるような、そんな器用な使い方が出来るような気が夜科にはしなかった。まるで用途が破壊それのみに限られているような気がしてならなかったのだ。
 そんなPSIをおいそれと使うわけにはいかない。また夜科は未だライズを修得していない。結論として、頼れる物は己の肉体のみであった。

 そうしてその鬼ごっこがどれほど続いた頃であろうか、両者に疲労の色が現れ始めた。
 カイルにはPSIの連続使用による脳へのダメージ、そして追われる事への精神的疲労が。夜科には単純に肉体的疲労が。
 そんな中カイルは致命的なミスを犯した。

「見えたッ!!」

「なっ!!?」

 創り出すブロックの高度を誤って低くしてしまったのだ。
 空中を闊歩するカイルの動きをしばらく観察し続け、夜科はそれが飛行しているのではなく、何らかの物体に着地とそれからの跳躍を繰り返しているのだと考えた。
 その推測は的を射た物であり、実際カイルの能力はほぼ不可視のブロックを創り出す物である。
 それに気付けば後は早かった。カイルが乗ったと思わしき物体目掛けて、夜科は跳んだ。

「ファイっトぉぉぉぉ!! いっ、ぱああああぁぁぁつッ!!!」

「い゛っ!?」

 目論見は見事成功し、土踏まずに感じる確かな感触と共に、夜科は空へと舞い踊った。
 勢いのままにカイルの背中に飛びつき不敵な、いや、不気味な笑みを浮かべる。

「ぐふふ。ぐふふふふふふふふうふふふふ」

「ごっ、ごめんなさああーい!!」

 首筋の裏側で気味悪く笑う夜科が真剣に怖かったと、後にカイルは語ったと言う。
 思わず無我夢中でブロックをデタラメに創り、その上を駆け出す。背中の鬼を振り払うような滅茶苦茶な動きで。
 そうして見えてきたのは、マリーの肩を踏んづけて、なにやら建物の中を覗いているらしいフレデリカ。
 不規則な軌道で、だが確かにその方向へと進んで行く。フレデリカはまだこちらに気付いていないらしかった。
 マズイ、と夜科が慌ててこちらに気付くよう大声を上げるが、後の祭りである。

「……って、どいてどいてお願いだからそこどいてぇぇぇぇ!!!」

「な!!? に゛ゃああああああああああ!!!?」

 まるでその運命が最初から定まっていたように、また美しい方程式のように、きっちりとその結果は訪れた。
 フレデリカをサンドイッチの具として勢いよく壁と激突した夜科達。衝突音にフレデリカ達の悲鳴のコーラスが加えられた。

「いっちち……無茶苦茶しやがるこのヤロウ」

「脳ミゾいでえ……」

「いたぁい……って、キャー!! フーちゃーん!!!」

 全身の痛みに顔を顰めながら瞼を開いたマリーが見た物とはカイルと、その下の得体の知れない男と、そしてそれらに下敷きにされたフレデリカの姿だった。
 重なるような形で倒れたため夜科の顔とごく至近距離、僅か数センチで向かい合うフレデリカの顔。痛みの為か、羞恥の為か、怒りの為か理由は判別がつかないが、赤らんだそれは小刻みに震えていた。

「う、うわっ悪い!!」

「……こッ……こッ……この……!! この、野蛮人共が~~!!」

 慌てて夜科は体を起こす。が、一度燃焼を始めたフレデリカの怒りがそう容易く鎮火する事は、無さそうであった。
 肩を震わすのに合わせて髪も、そして彼女の周りの空気さえも震え始める。大気が爆ぜる小さな音が辺りに響いた。

「ゲッ、やべ!!」

「って、うわ!! あれはマズイ!! 夜科さん!! 早く逃げて!!!」

 いち早く自体を察したカイルは焦燥に駆られてフレデリカから離れるが、彼女の事を知らない夜科は何が起こっているか分からないようで、呆然と立ち尽くしている。
 そこに、建物から現れた白髪の少年が夜科へと警告を送りながら駆け寄って来た。少年の顔は脳裏に照らされた過去の経験から真剣に焦っている物だった。

「は? ……え?」

「……お前ら、全員灰にしたるわボケ――ッ!!!」

 だが少年の警告も空しく、大気が熱を帯び始めた。フレデリカのPSIが顕現する前兆だ。
 間の抜けた声を上げる夜科の目に映った物は、陽炎に揺らぐ眼前の景色。そして自分の立っている場所ですら危険そうだと言うのに、更に金髪の少女の近くに倒れている茶髪の少女の姿だった。

「い、痛っ! 嘘、立てない……」

「おっ、おい!! マリー!! マズイって、関西弁が出てる!!」

 茶髪の少女、マリーは起き上がろうとするが、足首を捻ったらしく足に力を入れる度に痛みが走り、立つのは能わないようだった。カイルの顔に自分の身の危険とは別の種のマリーの身を案じる焦りが浮かぶ。
 そうこうする間に小さかった大気の爆ぜる音が徐々に大きくなって行く。そして、ついに火蓋が開かれ中の火薬に火が灯るように、空気が一気に膨張した。

 だが様子がおかしい。流石のフレデリカも近くにマリーが居る状態で最大出力の炎を使うほど非情では無い。しかしフレデリカ本人の意志とは裏腹に、炎は拡大するのを止めない。
 それは通常の順当に構成されたPSIではなく、一時の突発的な感情の高まりから生まれた物。コントロールの効かない、所謂、PSIの暴走と呼ばれる現象だった。

「うぐ……ぐ!」

「チッ!!!」

「きゃっ!?」

 具現した炎を前に夜科が取った行動は、逃げる事では無く炎へ向かって行く事。
 痛みと焦燥と恐怖に駆られて身動きが取れないでいるマリーを、炎から庇うように抱きしめた。

「っ!!」

 訪れるであろう熱の痛みに備える為に歯を食いしばる夜科。抱きしめる腕に力も籠った。
 ――だが、何時まで経っても痛みは襲い掛かって来なかった。何故なら、夜科の周囲だけ炎が存在していなかったからだ。

「何……!?」

「あ、あれは……!?」

 目の前の事態に頭が追いつかず、駆け寄っていた足を思わず止める白髪の少年。
 夜科の周りを炎が避けたのではない。炎が喰われたのだ。夜科の背後に浮かぶ紫電を帯びた漆黒の球体によって。
 それは、正しく暴力の権化と呼ぶに相応しかった。何をかを破壊し混沌を生み出す為だけに存在するかのような、圧倒的な力の塊。不用意に近付けば、音も無く消されると、少年は理性では無く本能のような物で判断する。

「あ、あ……」

「フーちゃん!!」

 いつしか内臓が溶けるようなPSI暴走の反動も忘れ、フレデリカはただ呆然とその漆黒の球体に見入っていた。マリーの自分を呼ぶ声も耳に届かない。
 その存在に牙を向けられたら最後、自分の恐怖心ごとに抹消されそうに思えて。どうする事も出来ないと諦めるしかないように思えて。
 
「……くっ!!! 」

 恐怖心に駆られたのはPSIの持ち主である夜科を除き、その場にいた者全て。ファイもその例に漏れなかった。
 粘つくような、頭の底から湧きあがってくる恐怖心。だが少年はとりあえずその恐怖心を無視した。無視して、炎に向かって再び駆け出す。球体がどう動くかは不明だが、何となくあのままでは炎を喰らうのに巻き込まれフレデリカも喰われてしまうと思ったのだ。
 自身も危険に晒されるか、少女が危険な目に遭うか。どちらの恐怖心の方がより強いか――比べるまでも無かった。

「フレデリカッ!!」

「アンタ……くっ!?」

 瞬間固定解除までプログラミング済みのマテリアル・ハイを前面に作用させ空気の壁を作り出し、壁によって未だ盛んな炎の渦を突破する。
 そう、炎は渦なのだ。仕様者本人まで炎が及ばない様に、その中心に炎は存在しない。炎の壁を抜けるのは一瞬、抜けたと同時にマテリアル・ハイを解除。呆然としたフレデリカに勢いのまま覆いかぶさった。
 砂埃を上げながら後方へと倒れ込む。直後、先程までフレデリカが居た場所を球体が通過して行った。

 驚きと衝撃の連続で意識が強制的にPSIから切り離されたのか、いつの間にかフレデリカの炎は消えてしまっていた。
 その事と、球体をとりあえずは避けられた事にファイは安堵する。――先程、正確には夜科が球体を呼びだしてから耳元で鳴り続けている、電話の呼び出し音のような物に気付く事も無く。

「ふう……、……え?」

 安堵の息を漏らしたのも束の間、振り返ると漆黒の球体が今まさに自分へと襲い掛かろうとしている光景が目に映った。
 炎と言う獲物が消えた今、球体はどこへ向かうのか。その答えが自分自身だとは、思いもしなかったと言う表情だった。

「夜科!!」

 その時、遅れて出てきた雨宮と朝河の声が響く。自分のしでかした事態に唖然としている夜科に、それと同時に投げつけられた物体が迫った。
 夜科が、消えた。まるでその場に消しゴムを掛けたように。いや、それ以上に完璧に、何の跡形も無く消え去った。
 投げつけられた物は、雨宮の携帯電話。それが夜科の顔面に触れるか触れないかの瞬間の出来事であった。

「これは……?」

 夜科が消えるのと同時に消えた球体。余りに唐突過ぎて理解の及んでいない少年の頭が、ようやくそこでベルの音に気が付く。
 その音は以前にも聞いたことのある物。サイレン世界への誘い、ネメシスQが掛ける招集の音であった。

「呼び出しよ! 音が脳を壊すほどに大きくなる前にあなたも早く電話を……」

 雨宮の言葉が少年に届く事は無かった。何故なら、言いかけたその時既に少年の体はそこに無かったからだ。
 少年もまた視界から拭い去られたかのようにその姿を忽然と消していた。

「え? 電話を当てずに、招集に答えた……? どう言う事……?」

「とにかく雨宮、俺達も行かねぇと!!」

「え、ええ」

「おお……これはまさか……」

 雨宮が浮かべた疑問はともかく、早く電話を取らないと呼び出しの音はいつかベルが聞こえる者の脳を壊してしまう。朝河が焦った声音で言った。
 いやがおう無しに答えなければならないそれに、苛立ちの表情を浮かべる雨宮。
 そこに、ようやく追いついたエルモアが驚きの声を上げた。

「はい。ご想像の通り、です」

 夜科が手にしていたわけではない無いため、招集に巻き込まれなかった雨宮の物である携帯電話を拾い上げ、薄く笑みを浮かべながら雨宮は答えた。
 その笑みはあの子の事は任せろと言っているような、優しげな物だった。

「大丈夫。行ってきます」

 その言葉の響きを残したまま、雨宮と朝河の姿も消える。
 雨宮にとっては幾度目かの、少年や夜科、朝河にとっては二度目の命がけのゲームが、音と共に始まりを告げた。


続く




近いうちに、とか言っておきながらはや三ヶ月近く。申し訳ございませんでしたッ!
原作主人公が活躍せずに何の二次創作か、と言う事でアゲハの描写多め。原作より危なげになることを期待しての活躍ですが。原作と違った終わりを迎えるために色々蒔いてます。
あとオリ主が原作キャラに好かれると言う二次創作王道展開を狙ってみました。好かれるのは暴王の月からですが。
PSI使ってないのに暴王に狙われる理由とか色々あるのはいつか本編で。


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