外を見ようとすると窓に映った自分の顔に遮られる。
外の光量が減り、室内の蛍光灯の漂白されたような肌寒い光を窓硝子が反射させていると言う事。
なぜ光量が減っているか。
それは雨粒の地表を叩く音がそのまま答えだ。
午前いっぱいは晴れていたのだけれど、今は6月らしい雨模様。
空気が全体的に重みを帯びたかのように、湿っているように感じる。
鼓膜を揺らす雨音にそのままそっと身を委ねていると、まるで体が雨音に包まれているような錯覚を覚えた。
優しく穏やかなそれは心地いい。
だけど、背後から聞こえた物音が僕の意識を現実に引き戻した。
余り見たく無い現実に。
「で・・・これは一体どーゆー事だ」
「オレに聞くな!!」
そこには胴体を椅子に締め付けられ、後ろに組んだ手には手錠を掛けられた二人の男子高校生の姿があった。
二人は背中合わせの形になっておりむさ苦しいことこの上ない。
「どーしてこの俺様がこんな手錠で拘束されにゃならんのだ!?」
「知るか!!なんでオレまで!?テメーが雨宮の恨み買うような事何かしでかしたんじゃねーのかよ!?」
「そんで何でお前は縛られてねーんだ!?」
うわ、びっくりした。
急に夜科さん達が首の角度を折り曲げ、理不尽だと言わんばかりの視線を送ってくる。
妙に二人の動きが揃っていて不気味だ。
「そんな事僕に言われても・・・雨宮さんに聞いて下さいよ」
窓から視線を離し、そう切り返した。
もし雨宮さんに聞いて趣味だ、なんて答えが返ってきたらどうしよう。
もしそうならもう雨宮さんをまともに見る自信が無くなってしまう。
「はっ・・・!まさか罠にハメられたんじゃ・・・!!雨宮の部屋なんてのも嘘で・・・」
「バカ言ってんじゃねえよ!!」
どんどん疑心暗鬼になって行く二人。
心なしか話す声も微かに震えているような気がする。
「うお!?」
すると、クローゼットが突然開き中から一振りの刀が倒れてきた。
夜科さん達は露わになったクローゼットの中身、大小幾つかの刀と鎖鎌を見て盛大に頬の筋肉を引き攣らせている。
確かに何であの場、サイレン世界に刀があるんだろうと密かに思っていたけど、こういう事だったのか。
いや、サイレン世界で生き延びるのには武器も必要なのかもしれないけど、実際に一人の女子高生の部屋に光り物が幾つもあったら引くのも仕方ない気がする。
「お、オイ!動けるんだからお前が、戸ッ・・・!戸を閉めろ!!」
「見てない!オレ達は何も見てない!!」
「はあ・・・」
ふう、と内心でもため息を一つ吐いて、テレキネシスを使う。
逆回しの映像を見ているように刀がクローゼットに吸い込まれて扉も独りでに閉まった、ように夜科さん達には見えただろう。
「・・・それもPSIか」
「夜科さん達もそのうち出来るようになりますよ。・・・多分、きっと」
「そこは自信持って言ってくれよ・・・」
朝河さんがすかさず突っ込みを入れる。
付き合いは凄く浅いけれど、何となく朝河さんのキャラが分かった気がする。この人、突っ込みキャラだ。
「勝手に私の物に触らないで。
そうだ、この間刀一本オシャカにしたからまた学校に隠しておかなきゃ・・・」
突然ドアの向こうから現れた雨宮さんにビクッと体を硬直させる二人。
がたがたと椅子を鳴らしてクローゼットから離れようとしているけれど、すごく挙動不審だ。
というか、雨宮さんも何さり気なく物騒な事を言ってるんだろうか・・・
そんな事を思う僕や未だ不安の色が隠せない二人を余所目に雨宮さんは何かの準備を始めたのだった。
――・・・
「おーし!!オレ様は狼ウサギのアンドリュー様だ!よろしくな!!いいかー!今日はオレ様がPSIについてみっちり教えてやっからよ!!
ちゃーんと話を理解してしっかりオレ様についてくるんだぜ!!ワオーン!!」
・・・何やってんですか、雨宮さん。
雨宮さんが神妙な顔つきでベッドの縁に腰掛けたかと思うと、取り出したのは狼ともウサギともつかない手をはめるタイプの手人形だった。
そして雨宮さんはそのまま裏声を使ってアンドリュー?を演じる。
「みんながんばるワーン」
「くそっ・・・!最初っから話について行く自信がねえ・・・!!」
「オレ達に一体何をさせるつもりだ?もう少し分かりやすく説明しろ」
ついていけないのはどうやら縛られ組二人も同様のようだ。
雨宮さんの横に座っている僕も何とコメントしたら良いか分からずに黙ってしまった。
「はい、コレ」
「いや、僕に渡されても・・・」
狼ウサギのアンドリューが僕の頭に乗っかったと思うと、そのまま雨宮さんは手を抜き取る。
僕の頭からはアンドリューが垂れ下がり無表情な目で僕を見つめていた。
「さ、冗談はこれくらいにして」
「あ、そのキャラもう終わりなんだ!?」
「何の意味が!?」
「もーいちいちうるさいなあ!!私のペースでやらせてよ!!
なんならこのまま3日くらいほっとこうか!?いいんだよ私はそれでも!!」
「あ、ききますききます!」
「・・・・・・!!」
二人の突っ込みに雨宮さんがとうとうキレた。
持っていたスケッチブックで床を叩いて憤慨の意を表す。
仕草は可愛らしいけど、言っている事はかなりえげつない。
二人はそんな雨宮さんに振り回されっぱなしだ。
・・・もう雨宮さんのノリには突っ込まない方がいいんだろう。
突っ込み役がもういるんだから、僕が出しゃばる必要もないよね、とどこか現実逃避気味な僕。
それに、これからPSIの説明らしいので僕が話に参加する雰囲気じゃなさそうだ。
仕方ないのでテレキネシスでアンドリューを頭から下ろし、操り人形のように動かす。
「・・・ん?」
ふと視線を感じたので顔を上げると雨宮さんが操り糸なしで動くアンドリューをキラキラとした目で見ていた。
アンドリューを動かすと雨宮さんの視線も釣られて動く。
・・・何か期待されている気がしたのでアンドリューに踊ってもらった。
自分で操っておいて言うのもあれだけど、見てるとMPを吸い取られそうな動きだ。
しかし何が雨宮さんの琴線に触れたのかは分からないが、雨宮さんは感極まっていた。
「あなたが真のアンドリューマスターよ・・・!!これからそう名乗るといいわ・・・!」
「いえ、恥ずかしいので遠慮します」
そう断ったけれど、半ば強引にアンドリューを授けられた。
アンドリューの無表情な目が疲れているように見えるのは、僕が疲れてるからなんだろうか。
「・・・いや、漫才はいい加減にしてくれ」
「っつーか、俺達を開放しろ!!俺達は暴力には屈しない!!!」
二人の突っ込みが入る。
ああ、突っ込まなくていいって素敵だ。疲れない。
「うるさい」
「ひうんっ!?」
夜科さんが何処かの人質のような台詞を大声で言うと、雨宮さんは機嫌悪そうにトランスらしい端子を夜科さんの頭に突っ込んだ。
奇妙な声を発しながら夜科さんは全身を弛緩させ、顔を伏せる。
・・・何か、気持ち悪い動きでビクンビクンしてる。
何か呟いているようなので近付いてみると、微かにその声が聞こえた。
「・・・体中の穴と言う穴に・・・うなぎパイが・・・尿道は・・・やめて・・・」
・・・聞かなきゃよかった。
尿道から表面がざらざらのうなぎパイが侵入するのを無駄に想像してしまって背筋が凍る。
・・・というか人の土産物をなんて使い方してるんだろうか。いや、実際に使っている訳じゃないけど。
朝河さんは急に痙攣し始めた夜科さんを見てドン引きしている。そりゃそうだ。
「ジャスト1分よ。悪夢(ゆめ)は見れたかしら?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――・・・」
壊れたスピーカーのように言葉を発し続ける夜科さん。
おお よしなさん こわれてしまうとは なさけない。
「あの・・・流石に話を進めた方がいいんじゃ・・・?」
つい突っ込んでしまった。
突っ込みが2人じゃ足らないと言う事だろうか、恐るべし雨宮さん。
それから夜科さんが復活するのを待って、話が再開されたのだった。
始まっても無かったから再開と言うのもおかしな気がするけど、もうその辺はどうでもいいだろう。
――・・・
「――・・・今日はまず3つの力の内の1つ、"バースト"の力を試して行きましょう。
今日コーヒーカップで見せてもらったあの力を発展させていくの」
あれからしばらくは雨宮さんによるPSI講義が続いた。
PSIにはバースト、ライズ、トランスの3つがある事と、どの力が大きく伸びるかは人の素質による事。
力の大小は有れど、3つの内どの力かは使えないとか言う事は無く、PSIに目覚めた人間には等しく3つの力を持っている事。そんな辺りの事だった。
「"バースト"ね・・・!いいぜやってやるよ・・・!!今度こそコイツにオレの本当の力を見せてやらあ!!」
「フン・・・!カップでやった事をもう一度やりゃあいいんだろ・・・?楽勝だぜ・・・!」
夜科さん達二人はPSIと言う未知との遭遇に惹かれているのか、真剣に雨宮さんの言葉に聞き入っていた。
僕は既にPSIについてはそれなりの知識があるので今更口を挟む事は無し。
二人は互いに動けないながらも目線で火花を散らし合っている。
特に夜科さんはさっきコーヒーで上手く力を発現出来なかった事を引きずっているようだった。
「さーて、それじゃ・・・んー・・・」
説明を終えて雨宮さんが長い息を吐きながら何かを思案しているように呟く。
両手の指を組んで伸びを一つ。雨宮さんの向こう側の、硝子窓の更に向こう側では相変わらず雨がか細い銀線を描き続けていた。
「その場から動かずに、どこでもいいから私の体にタッチしてみて」
コーヒーの時は力を及ぼしやすい波面だったのに対して、今度は空気中にPSIを伝導させるやり方を教えるらしい。
物体によってPSIの伝導率は異なる。そう以前に聞いた。
空気はまだPSIの伝導率はそれなりに高い方らしい。
一番PSIの伝導率が悪いのは、実は生き物との事だ。
例えばテレキネシスを人間の体内に作用させて体の内側から壊す、なんて事はそう簡単には出来ない。
なぜなら人間の体、特に脳には恒常的に外界からのPSIの影響に抵抗を持っているからだ。
多分それはPSIを生み出す部位が脳な事に関係しているんだと思う。
ただし、それもバーストに限った話。
トランスは、相手のPSI抵抗を突破して内側に侵入する事が出来る特徴を持っている。
さっき雨宮さんはトランスの端子を使って直接夜科さんの脳にPSIを作用させて幻覚を見せていたのだろう。
とにかく、PSIには様々な性質がある。
PSIを使う時はPSIの性質を考えて状況に応じた物を使う事が大事で――・・・
「シャアアアアアアアアアアアアア!!!!バァアアアアアアストオオオオオオオオッ!!!!!」
「っ!?」
突然の大声に意識せずに体が跳ねた。
夜科さんが必死の形相でPSIを使おうとしている。
・・・いや、と言うより必死に雨宮さんにタッチしようとしているみたいだ。顔にそう書いてある。
気迫は凄いけれどそう、何と言うか・・・単純だ。いっそ清々しい程に。
「まったく・・・!コーヒーカップの時の私のアドバイスをすっかり忘れてるんだから・・・!」
雨宮さんがそう嘆息した。
私は呆れています、と一目で分かる表情をしていた。
「朝河君も、頑張ってね」
それから呆れ顔を解いて朝河さんに微笑みかける。
朝河さんは一瞬驚いた顔をしたが、その後何かに対して溜息を吐いて静かに瞼を閉じた。
朝河さんの方からPSIの力の高まりを感じる。これはPSIが作用しようとしている時のソレだ。
雨宮さんのアドバイスを覚えていたみたいだ。
「正解」
そして再び目が開かれた時、朝河さんの目の前にPSIの波動が形成された。
ただし一瞬だけ。
「がっ・・・!イメージを維持するだけで頭ん中が茹であがっちまいそうだぜ・・・!!」
形を成したPSIは数秒の間ももたずに霧散してしまう。
PSIを初めて使う時はこんなに苦労するものらしい。
僕が初めて使った時は・・・別に大した苦労も無く使えたけど。
これがサイレン世界でPSIに目覚めた人と自然にPSIに目覚めた人の違いなのかもしれない。
もしかしたら僕が異常なのかもしれないけれど、エルモア・ウッドのみんなにもその事を尋ねた事はないので真偽のほどは分からない。
それにもしそうだとしても、自分がちょっと変わってると言うのにはもう慣れっこだ。
「少しずつ・・・少しずつだ・・・」
朝河さんが自分に言い聞かせるように言う。
そうして二人はPSIを使う為に奮闘し始めたのだった。
「・・・さて、放ったらかしにしてごめんなさいね」
「いえ。それより八雲さんも言っていた聞きたい事って・・・」
二人が集中し始めたのを見届け、やるべき事を一先ず終えた雨宮さんがスカートの皺を直しながら僕の方に向き直った。
八雲さんが言っていた、聞きたい事が何なのかずっと気になっていた。それとは別に僕の方の用事の事もある。
膝の上に乗っていたアンドリューを下ろして僕も雨宮さんと向き合う。
「・・・あなたのPSIの事よ。単刀直入に言うわ。あなたのPSIは、一体何なの?」
「・・・はい?」
眼鏡越しにある透き通った雨宮さんの瞳と僕の視線がかち合う。疑惑と、不安とが混ざり合ったような色。
僕は、PSIの事なんかについて聞かれるとは思っても無かったので間抜けな声を上げてしまった。
「えっと、僕のPSIですか?」
「そう。
あの時見せた波長の違う二種類のバーストや、あなたが気絶した後のあの不思議な光・・・」
不安は未知の物との遭遇によるものらしかった。恐る恐ると言った様子で言葉を並べる雨宮さん。
だけど、気絶した後の光・・・?それは一体何のことだろうか。身に覚えが無い。
と、言うか何でそんな事を聞いて来るんだろう。
天然のサイキッカーは珍しいとは言え、そんなに興味を惹く物でもないだろうに。
「えーとですね、何て説明したらいいか・・・簡単に言えばですね、僕はPSIを持ってないんです」
「・・・どういう事?あなたはさっきもテレキネシスを使っていたじゃない」
僕の言葉で更に疑念を深める雨宮さん。目つきが少し細くなった。
まあ、あんな説明にもなっていない言葉で納得できるとも思ってない。だから言葉を続ける。
「すいません、分かり辛かったですね。PSIを使えないんじゃなくて、PSIを持っていない。
あれは僕のPSIじゃないんです。・・・僕は他人のPSIを模倣してるだけなんです」
「他人のPSIを模倣(コピー)する、力・・・?嘘、そんなの聞いたこと無い・・・!」
雨宮さんの表情が疑惑のそれから驚愕のそれに変わる。
そんなに珍しいのだろうか、この力は。確かにどの文献にも載っていなかったけれど。
「まあ、そうらしいですね。前にも別の人にも同じ事言われましたし・・・でもホントなんです」
おもむろに右手を空に翳す。思考を二つに割いて別々のイメージを練り上げる。
自分自身の力の高まりを脳髄に感じながら、力を解放。
目の前に擦りガラスのように微かに白く濁ったブロックが現れた。
「・・・これは?」
「空間系のPSI、マテリアル・ハイって言うらしいです。それから・・・」
もう一段階力を意識して空中に固定されている立方体の壁面を軽く叩いた。
ブロックの中にくすんだ白の炎が灯る。
「っ・・・!」
「パイロキネシス。と、まあこれらは元々他人のものなんですけど、一度覚えれば僕にも使えると言う訳です。
あ、そうそうこれもだった」
これ以上は力を重ねるのは頭へのダメージから厳しい。
中で炎が踊るブロックを一旦消して掌にトランス端子を出現させた。
「これは・・・私の・・・!?」
「そうです。昨日使えるようになりました」
それは、先程夜科さんの頭に突っ込んだトランス端子と見た目が同じものだった。
使い方は何となく頭の中に入っている。いつもPSIを覚えた時にその使い方も分かる仕様だ。
雨宮さんはトランス端子をまじまじと観察している。
「・・・目の前で見せられたら流石に信じるしかないわね。未だに信じがたいんだけど・・・」
「なにその力。・・・つーか、ズルくね?こっちはPSI使うのにこんなに苦労してんのに・・・」
ふと気付くと夜科さんが集中するのを中断してジト目でこちらを見つめていた。
確かにPSIを行使する事自体は大変じゃないのは不公平かもしれないけれど、そんな事言ったってそう言う体質、いやPSI質なんだからしょうがない。
「あんたは集中だけしてなさい」
「ヒィッ!?ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・」
雨宮さんが軽く叱責ついでにうなぎパイを手に取ると夜科さんは真っ青な顔をして集中する作業に戻った。
見せられた幻覚がよっぽど怖かったのだろう。無理も無い。
「ところで、僕が気絶した後の光ってなんですか?それは身に覚えがないんですけど・・・」
「え・・・?あなたのPSIの内の一つじゃないの?」
「いや、そんなPSIは覚えてない筈です」
僕がそう言うと雨宮さんはまた難しい顔をしてしまった。
気絶した後なんだから僕が覚えている訳が無いんだし、疑問に思うのは僕も同じだ。
「この子のPSIじゃないとすれば、一体誰が・・・?それとも気絶した後に無意識でPSIを使ったと言うの・・・?」
雨宮さんがブツブツと独り言をつぶやきながら自問自答を始める。
全く記憶のない僕よりは、その不思議な光と言うのを間近で見ていた雨宮さんの方が情報保持量は多い筈だ。
そう考えて今度は逆に僕が尋ねる。
「あの、雨宮さん。その光ってどんな感じでした?」
「えっ?あ、ああ・・・そうね、どんな感じかって言うと・・・異様。そう、異様としか言いようがなかったわ。
見ている傍で傷が逆回しの映像のように消えて行ったんだから・・・しかもあれはライズじゃなかった」
「傷が消えた・・・?でも、傷が治ったのってキュアのおかげじゃ・・・?腕にその感覚が残ってましたし」
「いいえ。確かにあなたはキュアによる治療を受けているわ。けど、それは本当に念のためといっただけなの。
実際の所はその光だけで問題なかった・・・」
八雲さんの家で目が覚めて、すぐに全身の傷が消えている事に気付いた。
体にキュアを受けた感覚が残っていたのだから、てっきりキュアの力による物だと思い込んでいたが、どうやら何か裏があるらしい。
でも、キュアや自身のライズ以外での治癒ってなんだろう。聞いた事が無い。
それに誰がそのPSIを僕に作用させたと言うのだろう。
雨宮さんの言うように僕が気絶した後で無意識の状態でPSIを使ったのかもしれない。
でもそのPSIは僕自身知らない、傍で見ていた人が異様だと評するPSI。
・・・何が何だかわからない。
「マツリ先生が知りたがっていたのはその異様なPSIの事よ。
・・・残念だけどあなた自身が知らないと言うなら、これ以上分かる事はないわ」
頭にこびりつく疑念や思考を振り払うように雨宮さんはしばらくしてそう告げた。
確かにその通りだ。
・・・やはりこのPSIは僕の正体を知る手掛かり足り得るのかもしれない。
「実はこの力の事をよく知らないのは僕も一緒なんです。何か分かればお知らせしますよ。
それで、今度はこっちの要件なんですが・・・」
「何か話があって今日はわざわざ伊豆から来たんだったわね?」
僕のPSIの事は聞かれたから答えたに過ぎない。一年とちょっと自分でも謎なままのPSIの事なんか今更考えたって分かる訳も無い。
それより、昨日約束していた夜科さん達を交えての話をしなければいけない。
「ええ。夜科さんと朝河さんも一旦集中を中断して聞いて下さい」
雨宮さんに向いていた体を三人全員に向けるように捻る。
怪訝な顔をして集中していた二人もその瞼を開けた。
「みなさん、一度伊豆、僕の住んでいる家に来れますか?」
「伊豆ぅ?何だってそんなとこに・・・」
夜科さんが怪訝な思いを言葉の端にのせたまま聞き返して来る。朝河さんも言葉には出さなかったが同じような思いらしい。
雨宮さんは一人真剣な目をしていて、僕が夜科さんの問いに答える前に雨宮さんが口を開いた。
「あなたの保護者、天樹院エルモアが、私達(サイレンドリフト)と話をしたがっているのね?」
「その通りです」
「ちょ、ちょっと待てよ!!雨宮はなんか知ってんのか!?」
「そう言えば、さっきもあっちの世界でもそんな事言ってたな。サイレンの謎に5億の賞金を掛けたエルモアが親だって・・・
そんな天樹院エルモアがオレ達に何の用だ?説明しろ」
朝河さんが尋ねてくる。
そう言えば、サイレン世界で僕の保護者が天樹院エルモアだと告げて周りの人達が騒然となった時に、その場に朝河さんはいた。
殆どの人が賞金の話に食らいついて来る中、朝河さんは特に反応していなかったので何となく印象が残っていたんだった。
「・・・ヒリューまで知ってんのかよ。なんで俺だけ・・・」
あ、夜科さんがスネた。
それはどうでもいいとして、話を続ける。
「一度、サイレン関係者と話をしたいそうです。それから、これから先の事も話し合わなければいけないですし」
「これから先の事・・・?」
朝河さんが相槌を返して来る。この人は真面目な話になったら輝く人な気がする。
それはともかく一瞬間を置いてから、告げる。
「世界は、崩壊します」
「っ!」
驚愕に顔を染める人が二人に、表情を険しくする人が一人。
構わずに言の葉を続ける。
「お婆さんは、PSIの力を使って元々それを予知していました。だけど、その崩壊がいつなのか、原因は何なのかなど細かい事は分かりませんでした。
サイレン世界のあの崩壊した姿・・・きっと何か関係あるはずです」
「・・・・・・」
「それを、話し合いたいんだそうです」
沈黙がその場を支配した。
みんなそれぞれに思うとがあるらしく、自分の心の内に目を向けているようだった。
「・・・そうね、天樹院エルモアの真意を一度本人の口から聞いておいた方がいいかもしれない」
沈黙を保っていた雨宮さんが目を閉じたままそう言った。
言葉から察するに伊豆に来れると言う事だろう。
「じゃあ、皆さんは学校があるでしょうし、今週の土日のどちらかにでも」
「その方が都合がいいわね」
雨宮さんが軽く顎を引いて肯定の意を表す。
雨宮さんが三人の総意みたいになっているけれど、一応他の二人にも聞いた方がいいだろう。
「夜科さんと朝河さんもそれでいいですか?」
「ああ、オレは問題ない」
「いつでも構わねえよ、俺は。どーせ、俺は話に入れてもらえないしね。俺なんか居ても居なくても一緒だしね。どーせ」
どうやら他の二人も大丈夫みたいだ。
一人は違う意味で大丈夫じゃなさそうだけど、まあそれはそれとして。
「じゃあ決まりですね。車は多分お婆さんが出してくれると思います」
さて、これで僕の方の用事は終わったんだけど、これからどうしようか。
それに夜科さん達の訓練の様子を見ていたら、僕もなんだか居てもたっても居られなくなってきた。
なにか、僕も出来る事をしないと。
「用事は終わったみたいだけど、これからどうするの?」
「そうですね、特にもうすることも無いんで帰ろうかと思います」
荷物を肩にかけて立ち上がると雨宮さんが尋ねてきた。
こう言っては感じが悪いけれど、PSIを使う事から始めている訓練の場に居ても、僕に出来る事は何もない。
「帰りは車なの?」
「いえ、お婆さんが今日の夜に何処かへ出かける用事があるらしくて。車がないので帰りは電車です」
「外、雨が酷いけど」
「・・・・・・」
そう言えば雨が降っていたんだった。それもかなり激しく。
この状態で外に出れば駅に着くまでに全身しっぽりと濡れる事は間違いないだろう。
「雨、上がるまで待っていったらどうかしら?」
「お言葉に甘えます・・・」
雨は好きだけど、不便な所は好きじゃない。
そんな自分勝手な思考をしている事に気付いて、内心溜息といっしょに苦笑いが零れた。
◆◆◆
味気なさを感じさせるほどに整頓され過ぎている雨宮さんの部屋。
生活に必要な物と、あとは気持ちばかりの観葉植物が置いてあるだけ。
その部屋で時計の爪先が空気をコツコツと叩く音と、雨が地上に降り立つ音が一つの音楽を奏でていた。
賑やかな時には耳を傾けられる事はないその音楽を今は楽しむ。
雨が一向に上がる気配はなく、ただ時計の長針が短針を追いかけて、追い越して、再び追い始めた。
・・・そんなどうでもいい事を考えていないとやってられない。
「あの・・・雨宮さん、これ滅茶苦茶辛いんですけど・・・」
「だからそう言ったじゃない・・・」
雨宮さんがやれやれと言わんばかりの表情をしながら言った。
今僕はマテリアル・ハイで創った剣を左手に添え、その剣を体の正面に構えてじっとしていた。
そう、ただ単にじっとしているだけなのに、何でこんなしんどいんだろう。
・・・あれは、僕が手持無沙汰にしていた時の事だった。
――・・・
『そういえば、あの剣も力の内の一つなの?』
雨宮さんがふと思い出したように尋ねた。
あの剣とは、サイレン世界であのエプロンを付けた化物、禁人種に対して出したマテリアル・ハイとパイロキネシスを合わせた剣のことだろうか。
と言うかそれ以外に思い当たる剣が無い。
『能力の一つ、と言うよりは力の応用と言ったとこですね。さっきブロックを作ったのと同じ力です』
そう言ってさっきはブロックの形で投影したマテリアル・ハイを今度は薄く、鋭い二等辺三角形のブレード型にする。
固定解除は予めプログラミング済み。物の大きさに対しては軽い剣の重みを右腕に感じた。
『あなた、剣を握った事は?』
『まるっきり無いです。サイレン世界で初めてこんな形で力を使いました』
雨宮さんが僕を、正確には僕の手元を注視する。
品定めをするような目線を感じて、多少居心地悪く思いながらも剣を見つめた。
薄く白いそれは僅かに蛍光灯の光を反射して表面に僕の顔を映している。
・・・剣を使った時の事を思い出してまた自己嫌悪。
いつまでも自己嫌悪している自分に更に嫌悪。剣に映る自分の顔を見たく無くて目を逸らした。
『まあ、普通は剣を握る事なんて無いわよね』
そう言って軽い息を吐きながら雨宮さんは腰を上げた。
腰を上げて向かった先は、先程夜科さん達が見て慌てていたクローゼットの所。
取り出したのは、一振りの日本刀。
左の親指と人差し指を輪のようにして自然体に緩く刀を携えた雨宮さんは、そのまま自然な動作で親指で鯉口を切った。
周囲の空気を切断するかのような冷たい鋼の刀身。
黒味を帯びた軟鉄に白味を帯びた硬鉄部分の明暗の差が刃紋として浮かび上がっている。
雨宮さんは正面に刀を構えて、それから微塵も動かなくなった。
まるで時が凍ったように思えるほどに剣先と視線で正面を睨みつけたまま動かない。
それからゆったりと振りかぶったかと思うと、銀の軌跡を目で追えないほどに鋭く刀を振り下ろす。
風を裂く音が、一拍遅れて部屋に響いた。
一切の澱みの無い流れるような動作に一瞬目を奪わる。
裂かれた空気が焦げる幻臭までして来そうにさえ思った。
『・・・・・・』
雨宮さんは静止して微動だにしない剣先の更に向こう側をその目線に捕えていた。
何をその瞳で見ているのだろうか。多分、それは剣を振った事のある人間にしか分からないんだろう。
そして雨宮さんはそのまま無言で刀を鞘に収める。
鍔が鞘を鳴らす音でハッと我に返った。どうやら比喩で無く意識を奪われていたらしい。
『武器は心得のない者が持てば、手を塞ぐ事にしかならない。
もし、あなたがこれから剣を使うのなら、あなたはその使い方を知るべきだわ』
そして僕の背後にに回り込み、腕で包み込むような形になって剣を握る僕の手に雨宮さんの手を添えた。
伝わる掌の感覚に、あれ?という疑問が心中に生まれる。
外側は白く滑らかな皮膚をしている雨宮さんの掌は、内側は女性らしくないゴツゴツとした物だった。
そしてそれが刀を振るが為に出来るマメによるものだと気付く。
そして夜科さんが血の涙を流さん勢いの目でこっちをまた睨んでいる事にも気付いたけれど、それはどうでもいい。
『剣を握る時は、左手の薬指と小指だけで剣を持つ感覚で。後の左の指は刀を包むように。右手は紙筒を持つように緩く、けれどしっかり』
ガチガチに柄の部分の真ん中あたりを握り締めていた僕の手を、雨宮さんの手が解いて持ち直させる。
左手の小指で柄の先、柄頭を巻きつけるように、右手は刃と柄の境目に。
・・・初めてこんな持ち方をするけど、違和感が凄い。
本当にこの持ち方で合っているのだろうかと疑問を抱くけれど、どう考えたって経験者の雨宮さんの方が正しい。
『・・・剣の振り方の前に剣の持ち方から始めた方がいいみたいね』
――・・・
・・・と、そんなやり取りがあったのが一時間以上前の事。
雨も上がらないし、丁度いいかと思って軽く考えていたのが間違いだった。
柄を体の中心、鳩尾辺りに持ってきて腕を軽く突き出した形。
両足は肩幅ほどに開いて足の先を同じく正面に向ける。足は踵を濡れた紙が一枚入る程だけ浮かせた爪先立ち。
また左右の足を上下に少し差を付けて、体重を後ろに引いている左足に僅かに傾ける。
剣はさっき教わった持ち方で固定。
これが雨宮さんから習った剣を中段に構える、正眼の構えだった。
そして雨宮さんは剣を持つ事になれる為に"この姿勢のまま動かない事"を指示した。
なんだそんな簡単な事か、とか初め余裕をこいていた自分を殴りに行きたい。
そして雨宮さんは、最初のうちは辛いから30分程度にしておこうか、と提案してくれていたのに、調子に乗ってもっと長くやれますとか言っていた自分がほんともう大嫌い。
爪先で体重を支えているため脹脛に掛かる負担が凄まじい事に気付いたのは開始して10分もしない内。
軽く思っていた剣が鉛のように重く感じ始めたのは開始して30分もしてからだった。
自分の筋力の無さとその疲労を考慮に入れていなかった。実に簡単で、間抜けな事だ。
「大丈夫・・・?キツいならもうやめておく・・・?」
雨宮さんが心配そうに尋ねて来る。
確かにキツいけれど今更止められない。なぜなら、今止めるのはとてもカッコ悪いから。
「だ、大丈夫です・・・」
有言実行、約束は守るが座右の銘です。たった今適当に決めた物だけど。
奥歯を噛んで無理やりな笑顔を作って答えた。
その間頭の中では何故かカイルがしゃがみ込んで下溜めの格好をしていた。
そしてフレデリカはにぱー☆と言い、ヴァンは砂糖に砂糖をかけて食べてて、シャオはマリーの事をこっそり陰から見つめてて、マリーはビスケットを食べていた。
人間って、しんどい時頭がおかしくなるのだろうか。特にフレデリカ。誰だ。
シャオは平常運転な気がしないでも無かったけど、どうでもいい。とにかく今はキツい。キツいと考えると余計にキツい。
剣先がぶれて脹脛も痙攣し、先程の雨宮さんとは比べ物にならないほど無様な僕だけど、心だけはまだ折れていない。・・・辛うじて。
――・・・更に時が流れた。
「すいません、ギブアップです・・・」
あれから更に30分程経って、腕がもう上がらなくなった所で白旗を上げ、同時にマテリアル・ハイのブレードを消した。
腕と足の両方が僕の意志とは関係なく震えている。明日は筋肉痛に違いない。
「初めてにしては上出来な方よ。そんなに落ち込まないで」
雨宮さんはそうフォローしてくれたけど、自分が情けない。
もうちょっと自分は頑張れるかと思っていたが、どうやら思い違いだったみたいだ。
「はあ・・・」
自分の体重が支えきれなくなった膝が崩れる。ふと荒い息とため息が合わさってどちらか分からなくなった息交じりに時計を見上げた。
1時間と30分ちょっと。永遠のように思われた時からの解放は、解放感よりも悔しさの苦みの方が強かった。
・・・少し、休憩しよう。
少ししっとりとした床に四肢を投げ出しながら窓の外に視線を向ける。
相変わらず雨は止まない。このままでは街が水没してしまわないかと心配するほどだ。
夜科さんと朝河さんは、少しづつPSIを作用させられるようになって来ている。ただしほんの一瞬だけ。
力を維持できるレベルに到達するまでには、もうしばらく掛かりそうだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・よし、っと」
弛緩させた四肢から疲労物質の乳酸が少しだけ抜ける感覚がしたので沈黙を破る声と一緒に再び力を込めて立ち上がった。
やけに体が重たく感じられる。
今日は何気に力を結構な頻度で使っているので、頭に僅かな痛みを感じながらもブレードを創る。
それを合図にしてベッドの上で本の頁を捲っていた雨宮さんがその手を止めてこちらに目を向けた。
「あなたがライズを使えないで、逆に良かったかもしれない。力任せの剣が身に付いたら癖を直すのが大変だから。・・・見てて」
再び白刃が湿めり気を帯びた大気の元に晒される。
凛、と音がしそうな刀を先程と寸分の狂いも無く精緻な軌跡で振るう雨宮さん。
人間の動きを極限に極めたのなら、どんな芸術も敵わないと言うのもあながち間違いじゃないのかもしれない。
そう思わせるほどには雨宮さんの動きは美しかった。
「・・・・・・」
ただ見とれるのではなく、今度は観察としての視覚を働かせる。
雨宮さんは今、どんな動きをしたか。筋肉の動き、目線、体の運び、刀の先の軌跡――・・・
人の真似をするコツは、その人を出来る限り観察して、自分の中で理解し、消化する事だ。剣に限らずあらゆる場面において。
記憶を失くし色々な事を思い出せなくて、唯一の物事の判断基準としてあるのは他人の行動だった。
そんな僕にとって、人を真似る事は正しい事をするのと同義だった。
だから自然と観察する目が育って、気が付いたらモノマネが上手くなっていた。
「・・・・・・」
無言で剣を振る。違う。この動きじゃない。
頭の中に描くイメージと現実の体の動きは全くもって噛み合わさらない。
雨宮さんは言葉もなしに剣を振り始めた僕に対して気を使ってくれたみたいだ。
何も言わずに見守ってくれている。
剣を振る。違う。
剣を振る。違う。
剣を振る。違う。
剣を振る。・・・今のはほんの少しだけ近かった、気がする。でもまだまだだ。
地表を洗い流す雨のように、留まる事は無く、時間は流れて行った。
◆◆◆
「・・・すごいわ」
「楽勝だよ」
時計の二本の針が丁度時計盤を左右に等割する午後6時を過ぎた辺りの頃。
朝河さんが雨宮さんにPSIで触れる事に成功した。
気が付けば雨も上がっている。
雨音がしない事と窓から差し込む朱色の陽光に今更ながらやっと気付いた。
「どうだ・・・?」
「その調子・・・!」
先に訓練を終えた朝河さんと雨宮さんは残る一人、夜科さんの訓練を見守っている。
俺だって、と言わんばかりに夜科さんもPSIを練り上げる。
「ああっ・・・!」
だがしかし、PSIの力は高まるものの、それが形を結ぶ事は未だ無かった。
どうも傍で見ていて力が高まり切らないと言うか、高まっていく間に同時に力が霧散していっているような印象を受けた。
「まだまだ掛かりそうだけど、彼のPSI自体は作用してるみたい。安心したわ」
「それはそれは」
そして朝河さんは夜科さんより一足早く拘束を解かれた。
雨宮さんはマンションの出口まで朝河さんを見送りに部屋を出て行った。
「あ゛――・・・」
ドアが閉まった後に部屋に響いているのは、何らかのマイナスなイオンを放出する夜科さんの声と、薄白の剣が風を切る音だけ。
あれからひたすらに剣を振り続けて、ようやく弱々しい音が出せるようになった。
「あ゛―――・・・・・・」
「・・・なんですか」
夜科さんが何かを訴えるような目で僕を見ていたから、剣を振るのを止めて答えた。
柄から手を離すと白い柄には薄茶色の染み、僕の掌からの血が付着していた。
・・・夢中で気が付かなかったけど、痛い。すごく痛い。
左手の小指と薬指の付け根の辺りの皮が捲れて血の赤色とは別に真皮のピンク色が顔を覗かせていた。
他にも親指と人差し指付近や右手にも水膨れが出来ていたが、これは雨宮さん曰く良くない握り方故に出来る物らしい。
痛いけれど、何となく頑張った証のような気がして悪くないものだ。
「・・・いや、さあ。自分が女一人守る力も身に付けられないダメ野郎だとは思わなかったからさあ・・・
・・・生まれてきてすいません。生まれ変わったら貝になりたい」
朝河さんに先を越されたのがそんなにショックだったのか、えらい卑屈になってらっしゃる。
ブレードを消して椅子に縛られた夜科さんの元へ近寄る。
「ちょっと位ダメでもそんなに落ち込む事はないですよ。それに、雨宮さんは夜科さんに守られるほど弱くなさそうですし」
「・・・死のう」
あれ?フォローのつもりで言ったんだけど、逆効果だったらしい。
夜科さんは顔を伏せてブツブツと辞世の句がどうとか呟き始めてしまった。
「そういや!お前PSI教えてくれるって言ったじゃん!何でさっきからずっと剣振ってんの!?
そんなに振りたいんならもう腰でも何でも振って踊り狂ってろよぉぉぉぉぉ!!!!」
「いや、意味分かんないです。
そもそも僕が教えられるのはPSIをどうコントロールするか、とかであって、PSIを発現させるやり方とか基本的な事はちょっと・・・」
椅子ごと体を倒し横になる夜科さんの隣に体育座りで並ぶ。
傍から見ればシュールな光景なんだろうなぁとぼんやり思った。
「うるさい!大体ガキが生意気なんだよ!!雨宮と手を繋いだり雨宮に後ろから抱きつかれり雨宮に手を添えられたりぃぃィィィ!!!!!!」
「いふぁい!!いふぁいでふって!!!」
突然関節を外して手錠を抜けたかと思うと、夜科さんはそのまま目をぎらつかせて僕の頬に手を伸ばして来た。
滅茶苦茶に頬を引っ張るもんだからすごく痛い。千切れたらどう責任とってくれるんですか。
「コラ!!なに子供に当たってるの!!!」
頬を抓られ過ぎて顔の輪郭がゲシュタルト崩壊を起こし始めた頃、丁度雨宮さんが戻って来てくれた。
夜科さんの延髄にチョップで仲裁してくれる。仲裁と言うよりは夜科さんが奇妙な声を上げてダラリとしたという話なんだけど。
夜科さんが白目を剥いてビクンビクンしていて気持ち悪かったのでキュアをかけると直ぐに意識を取り戻した。
・・・と言うか、延髄チョップって玄人がやっても死ぬ可能性ありませんでしたっけ、雨宮さん?
「全くもう!さっきはもう少しだったんだから、不貞腐れずに頑張りなさい!!」
「うぅ・・・死んだ母親が見えた・・・」
不吉な事をサラりと言いながら夜科さんは再び体を起こす。
そうしてまた集中する作業に戻るのだった。
「大丈夫?」
「なんとか・・・まあ、別の場所の方が痛いんで別に気にならないです」
「別の場所?あー・・・」
血がにじむ掌を見せると雨宮さんは納得したようだった。
そして自分の時の事を思い出したのか、痛ましげに顔を歪ませた。
ちょっと待ってて、と言って別の部屋に行った雨宮さんが抱えて持って来たのは、救急箱。
雨宮さんは妙に手慣れた手つきで治療を施して行く。
「いつっ・・・!」
「染みるけど、我慢して」
オキシドール消毒液が傷口に染みて脳髄から尾底骨にまで電流が走った。
消毒液は酸素の泡と音を立てながら傷口に浸透していく。
「ちょっとやり辛いから、膝の上に来てくれる?」
「はい!?」
傷口にガーゼを当ててテーピングしようとするが、向きが悪いのか悪戦苦闘し、最終的にそんな提案を雨宮さんがしてきた。
僕が子供だからか雨宮さんは恥じらいの成分を微塵も滲ませずに言いきる。
いや僕は多少の恥ずかしさはあるものの構わない。問題は・・・
ぎぎぎ、と錆び付いた擬音がして来そうな動作で夜科さんの方を向いた。
「・・・・・・」
いかん、目がマジだ。
嫉妬だの何だのじゃなくて、あれは何かを超越した目だ。
「どうしたの・・・?さ、早く」
「ちょっと、まっ・・・!」
必死に抵抗したけれど悲しいかな、体格の差からか僕の体は不思議そうな顔をした雨宮さんにあっさりと持ち上げられ、雨宮さんの太ももの上に着陸することとなった。
因みに雨宮さんは今スカート姿であり、その太ももは大気に晒されている。
「・・・シャアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「うおおおおおおおおおおおおお!!!?」
「キャッ!!
今日の昼ごろに感じた恐怖感が全身を貫いて通り抜けて行った。
本格的にマズいと感じ、雨宮さんを押し倒して横に倒れ込む。
すると背後からとてつもない衝撃を感じ、体がまるで木の葉のように吹き飛んだ。
ギャグみたいなタイミングだったけど、あれは間違いなく危険なPSIだった・・・!
「そんな・・・!」
吹き飛ばされた衝撃で頭がガンガンしているけれど、急いで顔を上げる。
するとそこには円形に削り取られた、いや、円内の壁が消滅して出来た虚穴があった。
PSIの基本は集中、創造、投射・・・だけど、今の夜科さんのバーストは全く違った。
爆ぜるような感情にPSIが呼応し、膨らんで弾けた・・・!
夜科さん自身にも全くコントロールできていないとてつもなく危険なモノ。
これが、昼ごろに味わった恐怖感の元凶だった。
続く