エルモア・ウッドの一室。
「なー、何で俺達はここに居なきゃいけないの?」
褐色の肌、流れるような銀の髪をした少年、カイルが寝っ転がりながら脇の少年にぼやく。
いかにも不満げであり、その不満を押し隠そうともしていなかった。
「俺"達"じゃない。ここに居なきゃいけないのはお前だけだ」
艶やかな黒い髪、中国風の服を着て、静かに本を読んでいる少年、シャオは答えた。
バッサリと切り捨てるその言葉には遠慮と言う物が無い。何故なら、カイルに対してはそのくらいで丁度いいと既に知っているから。
「えー、じゃあ何でお前ここにいんの?」
カイルがそう言うと、シャオは溜め息を吐きながら本を閉じた。
開いていた目を半目に薄めて呆れを言葉の端に含ませながら言う。
「オレはお前の見張りするよう言われてるんだよ。お前がヴァンの治療の邪魔をしそうだからだろ」
「邪魔なんかしねーよー。様子見てるだけじゃん」
カイルが心外だ、と言わんばかりにガバッと身を起こした。
けれどもシャオはそんなカイルを、やはり鬱陶しく思う。
「お前があそこに居ることがもう邪魔になるんだよ。結局騒ぐんだろ?」
「まーそりゃぁ、じっとしてるの無理だし」
「そういうことだよ」
そう言って再びシャオは本を開く。
カイルは何か反論しようかとも思ったがそれは別に面白は無いな、と思い至り結局再びゴロンと横になった。
「暇だねぇ・・・」
カイルの呟きについぞシャオからの返事はなかった。
白い髪の少年が目を覚ます少し前の事だった。
◆◆◆
声が消えて行き、思わず追いかけようとしたが体が動かなかった。。
体に脳が動くよう命令するが全く動く気配がない。
僕の体が僕の物じゃなくなってしまったみたいだ
ああもう・・・!なんなんだよこれ!!
首だけでも動かそうと全力で力を込める。
ふと僕が僕の姿を斜め上から見ている事に気付いた。
って、ああそうか、これは夢・・・
動いた!と思ったら見知らぬ女の子にヘッドバットをかましていた。
――・・・
ここは伊豆にあるエルモア・ウッドという家であり、
僕は道の真ん中で倒れて倒れていたところを拾われたという事を後から部屋に入ってきたお婆さんに説明された。
お婆さんは天樹院エルモアという名前らしい。
目が覚めたら知らない場所だった+ヘッドバットで完全に混乱していた僕の脳も情報が整理されて落ち着いてきたみたいだ。
「つまり、お前さんは事故に遭いあそこに倒れていたということじゃな?」
衝突事故に遭いその場から逃げ出し、走り続けた挙句倒れたのだということを僕はお婆さんにかいつまんで説明した。
お婆さんを連れてきた女の子、(マリーという名前らしい。お婆さんに聞いた)と僕がヘッドバット挨拶をした女の子(フレデリカという名前。お婆さんに同左)
は大事な話という事でお婆さんに部屋から出るよう言われていた。
僕が挨拶してしまった女の子は僕を親の敵のような目で僕を睨んでいたけど。
「はい。ただ以前の事は全く思い出せないんです。
自分がどこから来たのか、なぜあの車に乗っていたのか、自分が誰なのか・・・全く思い出せないんです」
口に出して再確認した事で、再び腹腔から不安が湧いてきた。
唇を噛みしめて不安を痛みで打ち消す。
「ふむ、記憶喪失というやつか。事故のショックで記憶が一時的に飛んでおるのかもしれんな・・・ちょっと待っておれ」
そう言うとお婆さんは部屋から出て行った。
部屋の扉が音を立てて閉まるのを確認して、どさっとベッドに倒れこむ。
「・・・やっぱり思い出せない」
記憶の喪失が事故に起因しているというのは違うような気がする。
事故が起こる前にはもう既に記憶がなかったと思う。そう思うのも事故に遭って記憶が拗れたからかもしれないけど。
・・・ダメだ自分の記憶すら頼りにならなくなってる。
自分が誰なのか分からないというのは、酷く怖いものだった。
――・・・
暫くすると、お婆さんはバスローブを着た知らないお爺さんを連れて帰ってきた。
「こっちのジジィはワシの亭主の古比流じゃ」
「初めましてお客人。まずは歓迎させてもらおうかの、エルモア・ウッドへようこそ」
お爺さんが手を差し出して来たので僕も手を差し出し握手する。
掌越しに伝わるザラっとした皮膚の感触がそのお爺さんの年輪のように思えた。
「お前さんの事は話しておいたぞよ。古比流は心を読むサイキッカーでの。お前さんの記憶も読み取れるかもしれんのじゃ」
お婆さんがお爺さんについて説明しているらしい。
サイキッカーの単語が気になったがそれよりも記憶を読める、その言葉に飛びついた。
「ほ、本当ですか!?お願いします!」
溺れていたときに丁度目の前に浮き輪が流れて来た気分だった。
一気に光が見えてきたような気がした。
「ウム」
そう言ってお爺さんは掌を僕の額にのせた。
「心速10000fm/m(フェムト)で潜行開始」
◆◆◆
潜行し始めてすぐにそれまでの記憶が光となって見えて来る。
だがある時を境に光が全くなくなった。何かに挟まれて身動きが取れない状態。これが少年の言う事故の直前なのだろうと老翁は思った。
そしてそこから先は闇、ではなく真っ白
記憶が細かな塵のように舞って全体が薄明るいため、記憶領域は白く見えた。
何故こんなにまで記憶は散りじりにされてしまったのだろうか。
記憶の塵からは細かすぎて何も読み取ることはできなかった。
その中でも少しだけ大きい光の塊へ近づいてみる。
――・・・グリ・・・リ・・・号 素体・・・コード・・・ふぁい・・・・・・
酷く曖昧で、かつ老翁みはその言葉の意味を理解出来ない。
その後もどれだけ深く潜っても記憶を失った手掛かりになり得そうな物はなかった。
◆◆◆
「・・・グリ・・・リ・・・号 素体・・・コード・・・ふぁい・・・・・・」
お爺さんが記憶を読み取る最中に無意識に呟いた言葉。
その中の”ファイ”という言葉を聞いた時、電流が頭を走ったように思った。
何かが繋がるような感覚、それを感じていた。
「ファイ・・・!!」
思わず口から言葉が零れる。
・・・そうだ、僕はファイと呼ばれていた!
ファイ。
その短いたった三文字の言葉を、何故か確信を持って僕は自分の名前だと言い張れるような気がした。
「何か思い出したようじゃの。それがお前さんの名か?」
お婆さんが尋ねてくる。
お爺さんも記憶を読み取るのを中止し、意識がこちらへ戻って来たようだった。
「はい!思い出しました!」
喜びが、安堵が胸に満ちてくる。
他は何も分からなかったが、名前。誰かにつけられた名前。誰かに呼んでもらえていた名前。
それは誰かとの繋がりを意味するもの。繋がりは自分の存在の証明。
お爺さんは手掛かりが他に見つからなかったことを申し訳無さそうにしていたが、それが分かっただけでも大収穫だった。
そしてお爺さんは自室に帰ったようだった。
――・・・
「しかし、ファイ。お前さんの戸籍も見つからず、身元は分からんかったし、これから行くあてもないじゃろう。この家にしばらく身を寄せんか?」
「ええ!?いいんですか!?」
「お前さんが構わんのなら、じゃ。
お前さんを拾うのも運命だったなら、お前さんがこの家に入るのもまた運命なんじゃよ。今日から天樹院を名乗るとええ」
「すみません・・・」
「感謝の気持ちがあるならありがとうといいんしゃい。その方が気分ええじゃろ?」
掌を僕の頭の上に置きお婆さんはニヤリと笑っていた。
頼もしいその言葉に、突然の家に入らないか、と言う宣言での驚きが身の置き場が決まる事の安心に塗りつぶされていく。
「・・・ありがとう、ございます・・・」
涙が堪えれそうになかった。新しい繋がり、それは不安や恐怖に勝る安堵や喜びだった。
感傷に浸っていたその時、不意にバンと大きな音と共に扉が開かれた。大きな音に反射的に首がそちらを向いてしまう。
「アタシは認めないからね!!!」
そこにいたのは、扉の外で話を聞いていたらしいフレデリカだった。その後ろにはマリーがオロオロしている。
フレデリカの顔をには怒りのような表情が張り付いていた。
「ヨソ者がこの家に居るってだけでも我慢できないのに、今日から家族!?
ふざけないでよ!!絶ッッッッッッッッッッッッッッ対アンタなんか認めないから!!!」
そうとだけ吐き捨てるように言うとフレデリカは走って行ってしまった。
マリーも戸惑いながら後を追いかけて行く。
「・・・なんか、凄く嫌われてしまったなあ・・・」
突然の宣言に半ば呆然としながら呟いた。
まあ、確かに知らない奴がいきなり家に上がり込んで居座り始めたら、そりゃいい気持ちはしないだろうなぁとは思うけど・・・
第一印象が最悪だった事もあるだろう。
「許してやっておくれ。家族に捨てられここに来るしかなかったフレデリカにはここが唯一の居場所なんじゃ。
だからかあの子のここに対する思い入れは一際強くての・・・外からの来訪者に対する過敏な反応は仕方のない事なんじゃよ」
傍に立って口を出さずに事の推移を黙って見守っていたお婆さんが僕の方を向いて口を開いた。
それはフレデリカが暴言を吐いた事を僕に対し済まなく想う気持ちと、またフレデリカを慈しむ言葉だった。
「捨てられた?あの子はお婆さんと血の繋がりはないんですか?」
「ワシと古比流はとある理由で居場所の無くなった子供達を引き取って共に暮らしておる。
先程のマリーも引き取った子じゃ。他にも子はおるが皆元は赤の他人じゃった。
だが、此処では血の繋がりなんぞは取るに足らん事。互いが互いを支え合う事が出来るのならそれは最早家族と呼んで差し支えはあるまい」
「とある理由?」
「彼らは皆、サイキッカーじゃ。古比流も、そしてワシもの。・・・お前さんにも未だ花開かぬ素質があるようじゃが」
「サイキッカー・・・さっきの古比流さんの記憶の読み取りのような力を扱う人の事ですか?」
僕にも素質があると言われ驚いたが、サイキッカーという物がいまいち要領を得ないため問い続ける。
「いかにも。遠い昔に人間が忘れてしまった超能力、PSI(サイ)を行使する者。すなわちサイキッカーじゃ。
じゃが、サイキッカー達は他の大多数の能力を持たぬ者に対し少数であるが為に周りから疎まれ、奇異の目を向けられ居場所を無くしがちじゃ。悲しい事にの。
・・・だからワシ達は居場所を作ろうと思ったんじゃ」
居場所、自分の存在理由がない・・・それはとても悲しく辛い事だ。
僕は記憶がない事を凄く不安で怖いと思った。それは、自分の居場所が分からなくなっているから。
自分がどこに、何故存在しているのか分からない。煙のようにフッと消えてしまいそうな感覚。それに耐える術を人は知らない。
だから人は人の繋がりを求め世界を繋げようとする。居場所を作ろうとするのだろう。
「フレデリカも環境に敏感なだけで良い子なんじゃよ。仲良くしてやっておくれ。
そして願わくばフレデリカもお前さんの支えにもなることを祈っておるよ。今一番辛いのはファイ、他ならぬお主じゃろうて」
そう言ってお婆さんはゆっくりと歩み、部屋を出て行った。
お婆さんの言った言葉が頭から離れずに何度も繰り返される。
何もかも分からないこの状況で、たった一つ確信できる事があった。
新しく出来たこの繋がりを、大切にしようと僕は思った。
その時。
脳のそして胸の内側に熱い物が染み渡る。
正体不明の力が湧き上がって来るのが分かる。もしかしたら、これがPSIなのかもしれないと直感的に思った。
その熱は不愉快ではなくむしろ不思議と心が落ち着くような気がした。
◆◆◆
エルモア・ウッド、客間。
長机にエルモア・ウッドの住人がさっきのお爺さんを除いて全員が席についている。
全員が、僕を見つめていた。
その12個の好奇の視線やらその他の色々な視線を肌に感じて少し物怖じしてしまう。
「皆揃ったかの。では紹介しようか。新しくこの家に住むことになったファイじゃ」
「初めまして。お婆さんに行き倒れていたところを助けてもらい、行く宛てもないので住まわせて貰うことになりました。
ファイです。今日からお世話になります」
言いながらお辞儀をする。
引っ掛かりも無く挨拶出来た事にこっそり安堵して再び顔を上げる。
自己紹介にもなってない名前だけの紹介にどう思われるか少し不安だったけど、問題無いみたいだ。
「よろしくね。あ、もうババ様に聞いてるかもしれないけど私はマリー。分からないことがあったら何でも聞いてね」
誰が僕に最初に声を掛けるか、その場にいたみんなは互いに目配せして相談しているような感じだったけど、
結局はさっき会った女の子、マリーが一番で決まったようだった。
マリーが言う。引っ込み思案な印象を受けたけど、同時に世話焼きでもあるみたいだ。そんな印象を言葉尻から感じる。
知らない人ばかりの場所で親身になってくれるのはとても有難い。近いうちにお世話になる気がした。
「ボクはヴァン。よろしくお願いします」
抑揚のない声でヴァンが言った。
声のした方を向くとヴァンとは視線が噛み合わなかった。何故ならその目は目の前に置かれたケーキに注がれていたから。
「ヴァンにはお前さんが衰弱しておったので治療を頼んだんじゃ。ヴァンは癒しの力のPSI、キュアを持つ子じゃ」
余りにもヴァンの言葉が少なかったからか、お婆さんが紅茶をすすりつつ捕捉するように言う。
癒しの力、なんて物もあるのかと改めてPSI?と言う物が不思議な物のように思えた。
「おかげで大分体の調子もいいよ、ありがとう」
「・・・・・・」
お礼の言葉を言ったけどヴァンの反応は無い。
挨拶が終わるとヴァンはもうケーキしか見えていないようだった。
「・・・・・・」
「シャオ君?」
シャオが僕の顔を見たまま身動きしないので隣に座っていたマリーが不審そうに尋ねた。
さっきから一切視線が離れていないので気にはなっていたんだけど、どう切り出せばいいかも分からずにいたのでマリーがそれに触れてくれた事はありがたい。
「あっ、ああ・・・シャオだよろしくな」
シャオは突然我に返ったように体をビクリと震わせ、おざなりな自己紹介をしてまた僕をじっと見ていた。
何だろう、初対面だし思い当たることも無いんだけど・・・
「フン!!]
思い当たる節も無く、疑問に思っていると鼻を鳴らす音が聞こえたのでそちらを向く。
さっきから決して僕の方を見ようともしない女の子、フレデリカだった。
「さっきはごめん。それとこれからよろしく」
「・・・・・・」
怒らせてしまったのなら、とりあえずは謝罪と思ったんだけど、フレデリカからの返事は無かった。
僕を無視してケーキを食べているけど、その行動の端々に怒りを含ませているのが分かる。
思いっきりクリームを頬に付けているのに、それに気付かない程度には怒っているようだった。
つまり、相当怒らせてしまっていると言う事だ。
・・・沈黙が、気まずい。
「俺様はエルモア・ウッドの切り込み隊長カイルだ。よろしく!」
褐色のはだをしたカイルは元気よく言った。
気まずい空気を、空気を読まずに破ってくれたのはありがたい。
「なーなー後で遊ぼうぜ!暇で暇でしょーがなかったんだ!」
切り込み隊長って何だろうか、とは思わずにはいられなかったがそれは今聞くべき事じゃない気がして黙っておく。
とりあえずは頷いておいた。
――・・・
「ファイっはPSIの素質を持っておる。皆と同じじゃ仲良くするように」
一通り挨拶を交わした後エルモアが締めにそう言った。
PSIという言葉を聞いてみんな思う事があったのだろうか、それぞれがそれぞれの表情を浮かべる。
「・・・ファイはもうPSIに目覚めてる」
そんな何とも言えない雰囲気の中、ケーキに夢中だったヴァンがケーキが無くなったからかこちらを向いて言った。
PSIに目覚めている、と言われても全く自覚がないんだけどどういう事だろう。
そこまで考えてさっき感じた不思議な胸の熱が浮かんだけれど、確証は持てない。
「なんと。何が切っ掛けで力に目覚めるか分からんもんじゃな・・・ならばこの子達に力の使い方を教わるとええ。
力も使い方を知らねば邪魔になるだけじゃからの。お前たち、ファイに教えてやってくれ」
『ハイ』
みんな違った表情を浮かべて皆が揃って返事をした。やっぱりフレデリカはそっぽを向いたままだったけれど。
とにかく、これからの身の振り方が決まったみたいだ。
決心する事もないけれど、これからの生活に色々と想いを馳せずにはいられなかった。
◆◆◆
みんなと客間で別れた後、誰も居ない廊下を一人歩く。
皆変わっているけれど、悪い人達ではなさそうだ、なんてそんな事を思いながら足を進めた。
部屋は気がついた時に寝ていた部屋が僕の部屋に宛がわれたようだったので、案内されずとも部屋に行く事は出来る。
窓の外を見遣る。
自分で選択した状況じゃない。ここに今僕がいるのは、奇妙な運命の巡りあわせだと言う他ない。
今は、その運命に感謝しよう。
初めは宛がわれた運命だとしても、きっと自分の足で進む事になる。その一歩目を与えてくれた事に。
窓の外には青い空が広がっている。
まるでこれからの運命を暗示している、なんてロマンチックな事は思わないけれど、単純に晴れだと暖かくて気持ちが良かった。
「・・・あれ?」
ふと、窓に映る物に何か引っかかりを覚えた。
雪のように白く、眉にかかる程まで伸びた髪、その髪を映したかのように鈍色を帯びた瞳、そして右目の下にある不思議な模様の刺青。
「なッ!?」
背筋に、あの時の寒気が去来した。
気が付いてからまだ一度も自分の顔を確認していない事に今更気付く。
燃え盛る乗用車の炎に照らされたトラックの積み荷達がフラッシュバックする。
あの死体達と、僕は同じ顔をしていた。
僕はいったい誰なんだろう。いや、何なのだろうか。
新しい繋がりができた安堵で一時忘れていた疑問が、再び湧き出してきた。
続く