思わず膝を崩した。
ブロックから落ちそうになるけど、堪える。
「頭・・・痛い・・・」
足を宙に投げ出しブロックに腰掛ける形になる。
心臓の鼓動に合わせて、ガンガンと頭の中で警鐘が鳴っているようだった。
その鈍い、けれど痛烈な痛みに顔をしかめる。
元々体調が悪かったのに加えてあんなに大規模なPSIを使ったのは初めてだった。
その結果か、これでもかと言う程具合が悪かった。
「はあ・・・」
脳だけじゃなく、神経系全体が痛いような錯覚すら覚える。
掌は微かに震えていて力が入らなかった。
いい加減流れてくる鼻血が邪魔なので止めようとポケットの中を手探りでティッシュを探す。
ようやく見つかったのでそれを鼻に当てた。
そう言えば、雨宮さんにティッシュ渡し忘れてたなぁ・・・
「・・・」
見渡す限りどこまでも続く荒れた大地――・・・
上空のブロックからその景色を眺め、放心する。
しばらくそうしていると、突然強い風が吹いた。
「っ、うわっ!」
その風が砂嵐を、雲を吹き飛ばしてゆく。
ついでに僕もブロックの上から飛ばされそうになった。
視界を遮っていた物が消え遠くに見覚えのある高い、高い円錐型の山が見えたけれど、
ここが未来だと分かっているので見てもああ、やはりそうか、ぐらいにしか思わなかった。
飛ばされては叶わないので慌ててブロックをいくつか下に作り、それを使って地上に降りる。
PSIがまだ使えて良かった・・・
使えなかったら空から降りようがない所だった。
地上に降りると、そこには先程まで戦っていた怪物の死骸が転がっていた。
ブレードは解除した為にもう存在しないが、怪物の体には無数の裂傷がはっきりと残っていた。
全身からとめどなく血を噴き出させて、怪物はピクリとも動かない。
刺し貫かれてしまい、原型を留めていない怪物の顔を見た。
空虚な疑瞳孔が相変わらず僕を見つめている。
・・・いや、疑瞳孔は僕の見る角度によって現れる物でしかない。
暴力で何かを傷付けたという苦み。
頭の痛みよりも、体の痛みよりもそれは響いた。
空虚なのは、僕の方だった。
「・・・」
自分がした事、それを確かめる為に怪物の体に触れてみようとする。
しかし・・・
「な・・・っ!?」
手を後ほんの少し伸ばせば届きそうな所で、怪物の体は灰になった。
それは空気と混ざり合い、風に煽られてやがて消えてしまった。
後に残ったのは、本当に空虚さだけだった。
「・・・倒したら、モンスターは消えるって?・・・はは、ホントにこれが現実か疑いたくもなるよ・・・」
余りの出来事の連続に、頭が自棄になってしまっていた。
今度こそがっくりと膝をついた。
・・・だけど、これは紛れもない現実なんだ。
お爺さんが殺され、お婆さんが追い求めた現実。
気付けば鼻血は止まっていた。
垂れていた頭を持ち上げ、前を向く。拳を堅く握った。
「あの人達の所に行かなきゃ・・・!夜科さんは・・・」
最後まで言い切る事は出来なかった。
なぜなら、僕の体が風に吹かれた枯れ葉のように宙を舞っていたから。
「か、は・・・っ!?」
肺から息が漏れる。
辛うじて認識出来たのは、背中への凄まじい衝撃だけだった。
それはまるで自家用車が後ろから突っ込んできたような衝撃だった。
背骨がミシリと音を立てたのを確かに感じた。
何の慈悲も無く地面に叩き付けられる。
勢いでゴロゴロと転がる中で受け身もまともに取れず全身を強かに打った。
勢いが治まった時、熱を感じて腕を見ると岩肌と擦ったのだろう、真っ赤な液が滴っていた。
頬や掌からも同様に紅い血が流れる。
「また別の奴か・・・!っく!!」
歯を食いしばり体を起こすと、目の前に新たな怪物が迫っていた。
咄嗟に身を捻ってその怪物の体当たりを躱す。
怪物が通り過ぎた際に、ちらっとその姿を僕の目が捕らえた。
それは、やはり異形としか言いようのない怪物だった。
左右対称な薄い羽に、突出した頭部。
背からは幾つもの突起が生え、尾が収斂していき最後には針のようになっていて、三つの目玉がこっちを見ていた。
そして腹部にはあのカマキリのような怪物と同様に丸い玉が。
「っ・・・!!」
気配を感じ、辺りを見回すとまた別の怪物が。その横から更にまた別の怪物が現れる。
夜科さんが言っていたようなムカデの姿の怪物に、蜘蛛の足に芋虫の体をした怪物。
新種の生物として学会に発表したくなるような奴らが僕を囲んでいた。
「これは、ちょっと・・・拙いかも、なぁ・・・」
唇を舐めると鉄の味が口内に広がる。
冷たい汗が、背中を流れた。
◆◆◆
「あの子達、大丈夫かな・・・」
廃屋に雨宮と二人取り残された千葉は、窓ガラスの向こうを見つめながら呟いた。
雨宮はじっと目を閉じて荒い呼吸を繰り返している。
千葉は窓ガラスに映る自分の顔を見ると、思わず目を逸らした。
それは、ガラスに映った自分に責められているような気がしたから。
幼い子供を危険な場所に行かせ、自分は安全な所で待っているだけ。
自分が行ったってどうしようもない。
そう言い訳をするが、窓に映る自分はその嘘を容易く見抜いていた。
(本当は、行くのが怖いだけなんだ)
(違うっ!)
(誰だって自分の身は可愛いもんな、仕方ないよ)
(そうじゃない!そうじゃないんだっ・・・!!)
葛藤が千葉の頭を支配する。
その心のもやもやのままに拳を壁に叩き付けた。
「しょうがないじゃないか・・・!!」
その言葉が雨宮に聞こえたのだろうか、雨宮は瞼を薄く開けた。
そして深い呼吸を一つして、言った。
「・・・あの子は、力を持っているわ。・・・少なくとも夜科よりは頼りになるはずよ」
「っ!!でも、あんなに小さい子供じゃないか!!」
それは、力が無いから、行ってもしょうがないから行かない、
逆に言えば力があるなら行くのはおかしい事ではないとする千葉の言い訳と矛盾した言葉だった。
思わず本音が出た事に、混乱した頭の千葉は気付いていない。
「・・・ええ、そうね。いくら力があるとは言え、危険な事にはなんら変わりないわ・・・
歯痒い・・・!私も動けたら・・・!」
雨宮は体を起こそうとするが、膝に力が入らず再びその場に崩れた。
そして悔しそうに息を吐く。
「どうして・・・どうしてみんなそんな風に頑張れるんだ・・・」
そんな雨宮を見つめ、そして自らの危険も顧みず男達を助けに行った少年を想い、千葉は言った。
その時、廃屋の階段から何者かが上がってくる足音が聞こえた。
二人は少年達が帰って来たのかと思い、緊張の眼差しで階段を見つめる。
「・・・よう」
「キミは!?」
そこに現れたのは、朝河だった。
二人の視線を浴びながら若干居心地悪そうに朝河は言った。
「あなたは・・・?」
気を失っており、朝河とは初対面だった雨宮が尋ねた。
「あの男と約束した・・・これからアンタらを連れてゲートに行く。
あの男とはゲートで合流する手はずになってる・・・」
説明する暇も惜しいと思ったのか、朝河は質問にも答えなかった。
「ちょ、ちょっと待って!あの子は!?」
夜科の生存は朝河の言葉から確認出来たが、少年の名前が出て来ず千葉は不安に駆られる。
そしてよろけている朝河に詰め寄った。
「・・・ガキは・・・化け物の所、だそうだ・・・」
「そんな!あの子、一人で戦ってるの!?」
雨宮の顔が驚愕に染まる。
一方、千葉は化物というのが何なのか分からずに戸惑った表情をしていた。
「ば、化け物って、どういうこと・・・?」
「・・・」
千葉の見つめてくる瞳に耐えられず、朝河は目を逸らした。
そして、事情を掻い摘んで話した始めた。
外には人間を襲う異形の化物がいること。
自分を含む、先にゲートを目指した男達は化物に襲われて殆ど死に絶えたこと。
少年は男、夜科を先に進ませる為に一人化物の足止めをしたこと。
夜科は、襲われた男達で生存の可能性がある者と、少年を助けに行ったこと――・・・
話終えると、千葉は朝河に詰め寄っていた所から放心したかのようにフラフラと離れた。
「そ、んな・・・大人も殺してしまう化け物の所にたった一人でなんて・・・」
「あの男は、ガキなら大丈夫だって言っていた・・・あのガキがそう言ったんだとよ・・・」
「そんなの・・・!周りを心配させないようにするために決まってるじゃないか!!」
千葉は怒鳴っていた。
少年を犠牲にした青年に対してではない。
少年が一人戦っているのに、逃げてしかいない自分に対して怒鳴っていた。
(ボクは、ボクは・・・!ボクは!!!)
色が変わるほどに唇を噛み、血が滲むほどに拳を固める。
そして、意を決したように窓の外を見た。
「ッ・・・!」
「おい!!どこ行くんだ!!」
背中に降りかかる朝河の制止の声も聞かず、千葉は廃屋から駆けだした。
◆◆◆
(風が強くなってきたな・・・視界も悪くなってきやがった・・・!)
朝河と別れた後、夜科は広大な荒野を一人駆けていた。
前方から吹き付ける砂礫混じりの向かい風に、行く手を阻まれながらも走る。
目的地は、朝河達が化物に襲われた場所。
初めは人型の怪物の他に別の化物が襲ってこないかと用心しながら進んでいたのだが、それは杞憂だったようだ。
あの人型の化物が何処かへ移動したのと同様に別の化物達も移動したのか、化物の姿は一切見えなかった。
しかし、その呆気なさに夜科は逆に不穏な様子を感じ取っていた。
嵐の前には静けさが訪れるものだ。
ひょっとしたら、何かが起ころうとしているのではないか。
そう考えると、どうしようもない程の不安に駆られた。
(・・・けど、今はとにかく進まねェと・・・!)
そんな考えを頭から追い出すように頭を振る。
自分に言い聞かせ、進める足を更に早めた。
「ッ・・・!!」
それからしばらく進んだところで、夜科は急に足を止めた。
地面に、真っ赤な華が咲いていた。それは血と肉で出来た花弁だった。
「・・・ひでえッ・・・!!」
顔面を無くした男。服装から察するに眼鏡の男だったのだろう。
それと、顔面はあるものの元の形を留めていない男。これは髪を纏めた男だったのだろう。
二つの肉塊と化した男達を見て、夜科は憤りを露わにする。
その側を歩いた時、靴裏に感じたプチプチした感触が男達の脳髄によるものだと気付き、夜科は吐き気を催した。
そして風に混じって鼻を掠めた、鉄と塩とアンモニアの臭い。
死亡した事により筋肉が弛緩したのだろう。男達の股間は等しく濡れていた。
「ぐ・・・ううう・・・」
「!!」
その時、風の唸り声に遮られながらも確かに声が夜科に届いた。
声がした方向を見遣ると、そこにはニット帽の青年が体を引きずっている姿があった。
急いで青年の元へ駆け寄る。
青年の体を抱えながら大声で呼びかけた。
「オイ・・・オレだッ・・・!!わかるか・・・!!」
「ア゛ア゛ッ、ケホッ・・・い゛てえッ・・・助けてくれ・・・」
「ああ助ける!!今はあんま喋んな・・・!!」
青年が喋ると、それに伴って口から血が溢れた。
(クロスボウ・・・傷が深いな・・・!とにかく安全な所へ運ばないと・・・!!)
青年が呼吸と共に血を吐き出したという事は、呼吸系、恐らく肺に損傷があるのだろう。
青年の背中の上部に牙を立てている矢を見てそう判断した。
その矢を抜こうか迷ったが、矢を抜くと血が大量に流れる可能性を考えて止めた。
そしてニット帽の青年を起こそうとして顔を上げた時、気付いた。
「!?・・・これはッ・・・!!」
周りにあった男達の死体が風に吹かれて形を失って言っている事に。
「灰・・・!?灰だ・・・・・・!」
近くに寄って死体に触れてみると、その触れた箇所は呆気なく崩れた。
それはまるで燃え滓のような軽さと脆さだった。
「そんなバカなッ・・・!死んだ人間が灰になるなんて・・・!?」
呟きながら、夜科は思い出していた。
この世界に来て一番初めに化物の被害に遭った男の事を。
(――・・・そうだ・・・!最初に殺されたあの男・・・!まさかあの男の死体が煙のように消えていたのは――・・・!!)
「・・・・・・嘘だ・・・」
「・・・行くぞ」
ニット帽の青年が弱々しく言った。
そんな青年の肩を強引に担ぎ、夜科は歩き出す。
「ぐぅ・・・!!俺も死んだら灰になっちまうのかなァ!なァッ・・・!!」
「・・・・・・バカ言ってんじゃねぇよ!!黙って歩くんだッ・・・!」
「いやだァ・・・!!チック・・・ショォ・・・!!俺みてえなガキがテレカ拾って・・・調子に乗っちまった・・・!!」
青年はもう自分の足で歩く気力も無いのか夜科に引きずられるようだった。
夜科はそれを支えるが、青年の蹌踉めきにつられて夜科自身も倒れそうになる。
青年が崩れかけ、咄嗟に背中に手を回すと背中に染みていた青年の血が夜科の腕にべっとりと付着した。
「・・・いやだ・・・こんなどこかもわからねえとこで・・・死にたくねェよ・・・!」
「オイ!しっかりしろ!!」
荒かった青年の呼吸が少しずつ弱くなって行っている事に夜科は気付いた。
立ち止まり青年の肩を担ぎ直す。
「ゲホッげほ・・・!!はっ、はっ・・・!」
「っ!!」
激しく咳き込み、青年は大量の血を吐いた。地に零れた血は直ぐに砂に染み込んでいく。
ヒュー、ヒューという浅い雑音が青年の呼吸音に混ざり出した。
「ゲホっ・・・!・・・っなァ・・・ひとつ頼んで、いいか・・・な・・・
俺は杉田望・・・もし俺が死んだら・・・俺のテレカ・・・を・・・俺の母親に届けて、くんねえかな・・・
一回使っちまったけど、少しは・・・生活費の足し、に・・・!」
「死なねェつってんだろ!!!そんなもん自分で渡せ!!!
行くぞ・・・!!生き残るんだ・・・!!」
今にも掻き消えてしまいそうな青年、杉田の言葉に叱責を飛ばす。
担いでいた肩を一度離すと夜科は杉田を背中に背負った。
「・・・!あそこは・・・」
地図を確認しつつ警戒区域から離れようとしていた夜科の目に、断崖に存在する岩穴が飛び込んできた。
「よし・・・!」
岩穴を覗き込むと、そこには優に人が入れるほどのスペースが中にはあった。
身を屈めながら岩穴に体をねじ込む。
「・・・ここなら多分化け物には見つからねえ。ここで待っててくれ。
他にもう一人連れて来なきゃいけねえ奴がいるんだ」
背から杉田を下ろし、地に寝かせながら夜科は言った。
杉田は薄く目を開け微かに頷いた。
「じゃあ行ってくる・・・!?」
走りだそうとした夜科が背中が何かに引っかかったような抵抗感を感じ、
振り返ると杉田が弱々しく夜科の短ランの裾を掴んでいた。
「なぁ・・・悪かったよ・・・お前の、事・・・笑ったりして、さ・・・」
「・・・ああ、んな事はどうでもいいんだ。気にしちゃいねェよ・・・」
突然の杉田の謝罪に夜科は首を横に振りながら静かに答えた。
それを聞くと、杉田の表情が少し晴れた物になる。
「よかっ、た・・・
・・・そんで、さ・・・やっぱり、テレカ・・・頼むよ・・・!そうじゃなきゃ、俺、安心・・・できねェから・・・」
杉田がずっと握りしめていた掌を解くと、そこには折れ跡のついた赤いテレホンカードがあった。
震える腕を伸ばしそれを夜科に差し出す。
「・・・っ!ああ、分かった・・・!だから安心して待ってろ!!」
テレホンカードを両手で受け取ると、夜科は杉田に背を向け走り出した。
それを見送る杉田は満足そうに頬笑んでいた。
「へへ・・・済まねえなァ・・・」
吹けば消えてしまいそうな程にか細く杉田は呟いた。
「・・・でも・・・もう、ダメかもしんねえや・・・・・・」
言い終えると再び血を吐いた。口一杯に血の味を感じていると杉田の表情が変わった。
穏やかなモノから酷く怯え、歪んだソレに。
「一人、で・・・死ぬのは・・・寂しいなぁ・・・!
やっぱ・・・死にたく、ねえ・・・!死にたくねえよ・・・!!・・・母さん・・・・・・」
最期にそう言い残し杉田はゆっくりと目を閉じた。
その言葉が誰かに届く事は、決して叶わなかった。
◆◆◆
空を駆る怪物が僕に迫る。
そのスピードはあのカマキリの怪物よりも数段速い。
カマキリの怪物のように地上と空のどちらにも適応しているのではなく、この怪物は空にのみ適応している形なのだから、
この差は当たり前なんだろうと思った。
そう思ったのは怪物が僕の脇を掠めてから。
体調の不良で鈍くなっているとは言え、思考すら追いつかない程の速さだった。
そして、追いつかないのは思考だけでなく回避も。怪物が脇を掠めただけで声を漏らす程の激痛が走った。
「がッ・・・!!」
痛みに思わずよろける。
その体を崩した所に更に他の怪物が追い打ちを掛けた。
「シャアアアアアアアアアアッ!!」
「く・・・っ!!」
蜘蛛の足に芋虫のような体をした怪物が真っ赤な口腔を見せつけながら突進してくる。
僕は痛む脇を押さえながら炎を具現化させようとする。
しかし・・・
「あ、ぐ・・・!!」
ここにきてPSIの行使、いや酷使による脳へのダメージが痛みとなって表れた。
固まりかけたイメージが霧散し、そして無防備のまま怪物の体当たりをもろに食らった。
凄まじいまでの衝撃に吹き飛ぶ僕。
しかし、そのまま呆けていると即死んでしまうので急いで体を起こす。
口内を切ったようなので唾と血を吐くと、中に白い歯が混じっていた。
まあ、乳歯だろうから構わないけれど。
そして、走り出しながら思った。
――痛みとは、体からの警告だ。
それ以上の負荷が掛かれば壊れるという知らせであり、ブレーキでもある。
人は痛みを恐れるが、それは痛み自体を恐れる訳では無い。痛みの先にある物を恐れているのだ。
・・・だけど、と僕は思う。
その先にある物よりも恐れる物があったら?
痛みの先にある物を恐れるせいで、それよりも恐れる物を味わう事になったら?
僕がここでこの怪物達から逃げ出したせいで、夜科さん達が襲われる事になったら?
・・・誰かの死の可能性。
それは痛みの先にある物、自分が死ぬ事なんかよりもよっぽど怖い。
だから、痛みなんか怖くなかった。
「っああああああああああああああああ!!!」
走る方向は迫ってくる怪物の方。
ブレーキなんか、いらない。痛む頭と体を無視して駆けた。
「ギィイイイイ!!!」
僕を迎え撃つように怪物は長く、二叉に分かれた舌を伸ばしてくる。
身を屈め、躱そうとするが避けきれず舌が僕の左上腕を裂く。
血が迸るが、しかしその程度。
怪物の懐に潜り込み、左手を翳す。
そして、一気に怪物の口腔にその左手を突っ込んだ。
「・・・暴力を正当化するつもりは無いさ。全部・・・全部僕が受けとめるから・・・・・・壊れろ」
「ギイイ!?ギャアアアアアァァ!!!」
左手が炎に包まれる。
突如口腔内で発生した火炎に怪物が悶えた。
蛋白質が焦げる不快な臭いが鼻を掠め、左腕を引き抜く。
一度発生させた炎は僕が解除するまでは中々消えない。
口腔内の炎が全身に回り、鳴き声にもならない叫びを上げながら怪物は行動を停止した。
羽音が聞こえたので、確認もせず大きく右に跳ぶ。
先程まで僕のいた場所を空を飛ぶ怪物が猛スピードで通り過ぎていく。
着地し、体勢を立て直そうとしてハッと気付いた。
「しまっ・・・」
跳んだ先にいたのはムカデの怪物。
目の前に跳んできた僕は、怪物には自分からやられに来た間抜けな獲物に見えたのかもしれない。
ムカデの怪物はその大顎を広げ、僕の右腕に噛み付いた。
そして、その顎肢にある毒腺から毒液、消化液を傷口から流し込んだ。
「づ、あああああああああ!!!?」
ムカデ毒の成分である、蛋白質分解酵素、ヘモリジン、ヒアルロニダーゼ、サッカラーゼ、
ヒスタミン、セロトニン等の酵素が注がれ肉を溶かす。
そしてセロトニンが、激しい痛みを腕に灯らせた。余りの激痛に視界が赤く点滅する。
噛まれた箇所は心臓の鼓動に合わせて紅くなったり白くなったりしていた。
感じる羽音。
振り向くと羽を持つ怪物がこちらに戻ってきていた。
腕を噛み付かれ、身動きが取れない。
このままではまともに突進を受けてしまう。今度食らったら多分もう動けなくなる・・・!
どうする・・・!
怪物は速い。ムカデの怪物を倒していたらやられる・・・!!
怪物が目の前に迫る。
怪物が閉じていた口を開き、その中からナイフのような牙が覗かせた。
「・・・っ!!間に合え!!マテリアル・ハイ!!!!」
咄嗟に閃き、イメージを展開させた。
怪物が早いか、マテリアル・ハイが早いか。
・・・いや、僕が死ぬか、怪物が死ぬかだ!!
――・・・僕の体が、血で染まった。
それは、怪物の血だった。
怪物が僕の体に触れるか触れないかのその瞬間、ギリギリで空気の刃が僕の前に投影された。
空中に固定された極薄の刃。
それに猛スピードで突っ込んだ怪物は、鮮やかな二つの断面を見せながら、左右に開かれた。
殆ど抵抗もなく切れたので、怪物の勢いのまま怪物の体液が僕に降りかかる。
白い僕の髪は怪物のヘモグロビンによって紅く染められた。
口に入った血に吐き気を覚えながら、僕は行動を止めない!
「"固定解除 フォールダウン"!!!」
空中に投影した刃は、単なる刃では無かった。
それは、僕が握る為の柄が作られていた。
噛まれている右腕の反対でその柄を握り締め、空に捕らわれた刃を解放する。
そのまま、僕の右腕に噛み付いているムカデの怪物の額に刃を吸い込ませた。
刃は表面に突き刺さり、怪物に苦悶の声を上げさせるが、力のない僕では頭蓋骨を貫通させることは出来なかった。
だから、何度も何度も繰り返し突き刺す。
引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、
引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺した。
怪物の両方の眼窩に刃を突き立て眼球を裂いたりしたが、怪物を傷つければ傷つけるほど怪物も必死になり、
腕に噛みつく力は増して行った。
その間にも噛まれた箇所はどんどん肉が溶けて落ちていった。
二桁ほど突き刺すのを繰り返した頃だろうか、怪物の噛み付く力が弱まる。
無理矢理力任せに腕を引き抜き、刃を怪物の柔らかい箇所、喉から胴にかけて刃を走らせる!
鋭い刃は易々と怪物の体を縦に裂き、その裂かれた腹から血と臓物を溢れさせ、怪物は絶命した。
裂いた本人である僕はその血と臓物の雨を全身に浴びる。
「はあ・・・はあ・・・っつ・・・」
全身が、痛い。
痛くない所を探す方が難しいくらいだった。
噛み付かれた腕を見ると皮膚は破れ、肉は溶けてぐずぐずになっており、溶けた肉の隙間に尺骨と橈骨の白い二本の骨が見えた。
あまり見たくは無い物だったので目を逸らす。
怪物の血が目に入ったのか、目が紅い液体で覆われてやけに見辛い。
目を擦ったが、一向に良くならない。
そして、それが自分の目から流れている血だと気付いた時には、僕は限界だった。
怪物の血溜まりに倒れ込む。
その生暖かさと気持ち悪さが、罪悪感と安堵でごちゃ混ぜになった胸を誤魔化してくれた。
今は、それがありがたかった。
続く