「・・・外・・・外をウロつくのは止めたほうがいい・・・!」
建物を出て門"ゲート"へと向かおうとする男達に、黒髪の青年が言った。
思い出すのはこの建物に来る前の事。
突然見知らぬ土地に飛ばされた青年の耳に飛び込んできたのは、恐怖に彩られた男の叫び声だった。
そして、助けを求める男を絶望で塗りつぶすかのように現れた異形の化け物。
生理的嫌悪感を抱くムカデのような体に、人間のような顔。
青年よりも大きなその化け物は、男を牙のような顎で捕えると傷口から消化液を流し込み、溶けた男の肉を吸い始める。
その激痛に悶え苦しむ男。だがそれも長くは続かない。
既に絶命した男から溢れだす血を旨そうに啜るその化け物は青年の存在に気が付くと、
獲物を前にした獣のように青年に襲いかかって来たのだった。
「バケモンがいるんだよ・・・!!人間のカオしたムカデみたいなヤツで・・・!
オレよりデカくて・・・!そいつ人間を喰っちまうんだよ・・・ッ!!」
青年の言葉に一瞬男達はポカンと呆けた表情をして、お互いに顔を見合わせる。
全員が青年の言っている事が理解できないと言った様だった。
「ガハハハハハハハ!何言ってんだコイツ!」
「アハハハハハハ、頭ワリー!!」
「突然何を言ってるんだキミは・・・」
青年が突然妄言を吐いたと判断し、嘲笑する者もいれば呆れて青年の正気を疑う者もいた。
各人の反応は様々だが、青年の言葉を信じていないという点では共通していた。
「本当だって!!オレも襲われたんだよ!!」
男達の全く信じていない様子に若干の苛立ちを込めながら、青年が続けた。
しかし、それもニット帽の青年によって遮られる。
「とにかく!外に出るのは少し様子を見た方がいいって・・・!!」
「ハッハァーン・・・わかったぜ・・・お前さァ、オレ達を行かせたくないんだろ?
そーだよなァ・・・こんな場所に動けない女とガキとグズのデブなんかと置き去りなんてカンベンだよなぁ・・・」
ニット帽の青年が片方の口角を釣り上げながら言った。その目には嘲笑の色が浮かんいる。
そして、それが黒髪の青年の苛立ちを増長させた。
「ああ!?ちっげーよボケッ!!」
「じゃあ証明しろ。あるんだろ?死体がよ・・・」
朝河の言葉に苛立ちを何とか抑え、青年と男達は歩き出した。
青年が襲われた、あの場所へ。
(バケモンの死体を見りゃコイツらだって信じる・・・!!)
そう考えた末に青年はなんとか爆発しそうな苛立ちを抑えたのだった。
しかし・・・
「ッ……!?死体が、ない!?」
そこにあったのは、風に舞う細かな砂礫と、冷たい岩肌だけだった。
「アーーッアホらしいわァーーーッッ!!」
「とんだ時間の無駄だったな・・・」
「クソガキ・・・」
片膝を付き、呆然と岩肌を見つめる青年に容赦なく男達の罵倒の声が降りかかる。
しかし、青年の頭は疑問で占められ、男達の声は届かなかった。
(ムカデの死体も男の死体も消えちまってる―――・・・!!
血の跡すら無いなんてそんなバカな事が――・・・!!)
「ガッカリだぜ。狼少年クン」
擦れ違った朝河にそう声を掛けられた時、ようやく青年はハッと気が付いた。
瞬間、怒りが込み上げてくる。
「・・・んンだとコラァアッッ!!!」
だが、男達は最早青年の言葉に耳を傾ける事は無かった。
そうして、男達は青年に背を向けて去って行ってしまった。
◆◆◆
『あンのトサカ野郎ーッ!!』
短ランさんの怒鳴り声と、何かと何かがぶつかり、そしてそれが落下する音が聞こえてきた。
女の人を覗き込んでいた顔を階段の方に向ける。
見ると、短ランさんが階段を上がってきていた。
短ランさんは眉間にしわを寄せ、歯をギリギリと食いしばっていて、見るからに怒っている様子だった。
男達とどこかへ行っていた間に何かあったのだろうか。
男達の姿が見えない事も関係しているのかな。
「ッ!お前ら雨宮に何してんだ!!」
女の人、どうやら雨宮さんというらしい、を覗きこんでいた僕と千葉さんに向かって短ランさんが駆け寄ってくる。
すごくピリピリした感じで正直怖い。
「な、何もしてないよ・・・ボク達はこの子が心配で・・・キミもどっか行っちゃうし・・・」
短ランさんの様子に圧倒された千葉さんがしどろもどろに自己弁護する。
知らない人間が気を失った連れの傍で何かしていたら、たしかに焦るだろう。
だけど、短ランさんの言葉には焦りだけじゃなくて、怒りみたいのも含まれていた。
何があったかは知らないが、八つ当たりは勘弁して欲しいと思う。
「・・・僕達はこの人の様子を見てただけです。
それより、何かあったんですか?随分と荒れてるみたいですけど・・・」
「ああ!?
ッ、ああ・・・。アイツら人の話も聞かねェでどっか行っちまったんだよ。クソッ」
荒れてる事を指摘して一瞬怒鳴られるかと思ったけど、何とか抑えてくれたみたいだ。
短ランさんの話を聞くと、どうやらあの男達は短ランさんの様子を見てからにしろという制止も聞かずに、
門"ゲート"を探しに行ってしまったらしい。
「お前らは何で行かなかったんだ?」
近くの廃材に腰掛けながら短ランさんが尋ねてきた。
「・・・僕はあの人達にここにいろって言われましたから」
「ボクは、アイツらに足手まといだって言われて・・・」
短ランさんが腕を組みながら僕と千葉さんをじろじろと交互に見る。
そして、どこか納得したように息を吐いた。
「まァ、確かにお前らじゃアイツらに付いて行けそうにないもんな・・・
特にお前、どうしたんだ?雨宮程じゃねェが、お前も随分とキツそうだぜ?」
僕がぐったりしているのを見て短ランさんが言った。
実際かなり辛い。来る前に風邪薬飲んでおけばよかったと激しく後悔していたところだ。
「・・・風邪だと思います。まあ多分気絶したりはしませんから大丈夫ですよ。
それより、雨宮さんはどうして?」
「・・・分からねえ。こっちに来て、会った時にはもうこんな状態だったんだ」
短ランさんが雨宮さんの顔を見たのに釣られて、僕と千葉さんも雨宮さんの顔を見る。
すると、雨宮さんの長い睫毛が眼鏡の奥で微かに動いた。
ゆっくりと開かれる瞼。
「・・・・・・ん・・・」
開かれた瞳は、焦点がしっかりと定まっていなかった。
「雨宮!!まだ動かねェ方がいい・・・!」
「う・・・ぐ・・・けほっけほっ・・・!!」
短ランさんが急いで傍に駆け寄る。
雨宮さんは激しく咳き込み、起き上がるのも無理な様子だった。
「ほ・・・他の人達・・・は・・・?」
雨宮さんは僕と千葉さんを見て一瞬安堵したような表情になったが、
辺りを見渡してこの場の4人以外居ない事に気付き、短ランさんに尋ねた。
「行っちまった・・・!電話がかかって来て・・・」
倒れそうになった雨宮さんの体を支える短ランさん。
「みんな・・・門"ゲート"ってやつを探しに行っちまった・・・!」
それを聞いた時、弱々しく閉じられていた雨宮さんの目がカッと見開かれた。
そしてそのまま支えている短ランの胸倉を掴んだ。
「どこへ・・・!!!そいつら一体どこへ・・・ッどっちに行ったのッ!?」
「サッ、サイレンが・・・!!
電話の後警報が鳴って・・・!そっちへ行ったんだよッッ!!」
雨宮さんに首を極められ、苦しげに短ランさんが言う。
突然の事に茫然とするしかない僕と千葉さん。この二人の会話に割って入れる自信は無かった。
「サイレン・・・・・・!!サイレンの方へ・・・?」
何かショックを受けたような、蒼白な顔を雨宮さんは俯けた。
短ランさんの首を絞めていた両手は力なく地に付いている。
「・・・あああ・・・!ああああああ・・・!!」
そして、真珠のような大粒の涙をぽろぽろとこぼし始めた。
その反応をみて、僕の中では一つの可能性が浮かんできていた。
雨宮さんはこの世界について何か知っている、という可能性が。
「・・・雨宮さん、あなたは何か知ってるんですか?」
「・・・ええ・・・知ってるわ・・・
あの映像だけ・・・じゃ門"ゲート"は見つからないのよ・・・!!辿り着く前に・・・殺され・・・る・・・!!」
雨宮さんが息も絶え絶えに言う。
そんな事を尋ねたのでは無いのだけれど、今は尋ねている余裕は無さそうだ。
「げほっ!!げほ、げほっ!!」
「無理するな!雨宮!?」
雨宮さんが震える指を突き出し、何かを差す。
指された方向の先を見ると、そこにはあの公衆電話があった。
「・・・公衆電話・・・・・・!!
電話のメモボタンを押して・・・!早く・・・!!」
真っ先に短ランさんが駆け寄り、それに僕と千葉さんも続いた。
短ランさんが言われた通りにメモボタンを押すと、液晶画面に地形図のような物が表示された。
「これは・・・」
「地図・・・!
そこに・・・ゲートの位置が描いてある・・・!」
見ると、地形図の中に、何らかの意味を表すであろう、記号が記されていた。
Sの文字・・・これは恐らくスタートだろう。
扉の記号・・・これがゲート、つまりゴール。
そして不思議な記号。
足場のようなものの上に拡声器が置かれている記号。それを中心に色づけされた円が広がっていた。
「サイレン塔・・・」
後ろから雨宮さんのか細い声が聞こえた。
それに反応して全員が振り返る。
「あの警報は・・・門"ゲート"を探す手掛かりなんかじゃ・・・ないの・・・!地図の黒い部分は警戒区域・・・!
入ってはいけない場所・・・侵入した者は問答無用で殺される・・・!」
「こッ、殺される・・・!?」
殺される・・・つまり殺す存在がいるという事か。
一体誰が、なんの為に・・・?
「どッどういうことだ・・・!?雨宮・・・!ここはッ・・・!!
オレ達は今どこにいるんだ!?」
そう、それは僕が聞きたかった質問。
この世界は一体何なのか、ここは一体どこなのか。
「・・・教えてあ――・・・げ・・・」
「・・・未来」
全員が雨宮さんに注目する中、僕は何故かそう呟いていた。
僕の中で燻ぶっていた疑問がそうさせたのだろうか。
「ッ!?」
呟きが聞こえたのか、雨宮さんの顔は驚愕の色に染まっていた。
「なんであなたがそれをっ!?
まさか・・・あなたも漂流者(ドリフト)経験者なの!?」
雨宮さんに詰め寄られる。
この雨宮さんの反応それ自体が答えのようなものだ。
・・・やはり、未来か。
お婆さんの見た夢、お爺さんの見た景色、そして僕が見ているこの世界。
全てが、繋がった。
「漂流者(ドリフト)と言うのが何かは分かりませんが、僕がここに来たのは初めてです」
「じゃあ・・・じゃあどうして・・・?」
「それは、後でいいでしょう。それよりも・・・」
警戒区域に侵入した者は殺されるというのが引っ掛かっていた。
男の人が進んだ方向は、あの警報が聞こえてきた方向。
雨宮さんの言う事が本当ならあの人達は、殺されると言う事だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!
未来、ってどういう事だよ!!ここが未来の世界だって言うのかよ!?」
短ランさんが僕の言葉を遮る。
それを聞いて雨宮さんの目の色が変わった。
短ランさんを見つめるその目には、諦め、失望、苛立ちなど様々な、しかし等しく負の感情が浮かぶ。
堪えていたものが決壊したように雨宮さんは言った。
「フ、フフ・・・何よ・・・どうせアンタも信じないくせに・・・頭のおかしい女と思うんでしょ・・・!
みんなそうよ・・・私が何を言っても、いつも誰も信じなかった・・・!!
そして死んでいった!!いつも無駄!!!うんざりよ!!!」
最後は、叩きつけるよう、泣き叫ぶようだった。
雨宮さんの顔はもう涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「・・・僕は、信じます」
「・・・え・・・?」
雨宮さんが涙で濡れた顔を僕に向けた。
「僕にも心当たりはあったんです。今やっと雨宮さんの言葉で確証が持てました」
「・・・あなた、一体・・・?」
「僕は天樹院ファイ、天樹院エルモアの家の人間です」
「サイレンに5億の懸賞金をかけた、あの天樹院エルモアの・・・?」
「詳しい事は後で話します。今はそんなことよりもあの人達の事が先です!侵入したら殺されるって・・・!」
そう言うと、雨宮さんの顔は再び涙で曇った。
両膝に顔を埋め、何かから逃れようとするようだった。
「塔に向かった人達はもう手遅れ・・・!でも私には関係ない・・・ッ
関係ないもん!!・・・もう・・・誰が死んでも・・・!!私にはどうする事もできないの!!!」
「そんな・・・!」
「私のせいじゃ・・・ないよ・・・ぅ・・・!」
雨宮さんは嗚咽を噛み殺しきれていなかった。
しゃっくりをする音、鼻をすする音が聞こえてくる。
「・・・なんかよくわかんねェけどよ。俺も信じるぜ、雨宮」
沈黙を保っていた短ランさんが、何かを決意したような目で、そう言った。
雨宮さんの嗚咽の声が途切れる。
「言ったろ。俺は元々お前を助けに来たんだよ。
それなのに、俺がお前を信じてやらなくてどーすんだ。オラ、顔上げろ」
雨宮さんがおずおずと顔を上げた。
うん、後でティッシュ渡しておこう。
「俺は、お前の味方だ」
そう恥ずかしげもなく短ランさんは雨宮さんの目をじっと見つめたまま言った。
雨宮さんはせっかく上げた顔をまた伏せてしまった。
伏せた意味は、さっきとは違っているだろうけれど。
「・・・クサイですけど、いい言葉ですね。クサイですけど」
「オイ、何で二回言うんだ」
短ランさんの言葉を無視して、僕は公衆電話の方へ向かう。
そしてケータイのカメラで地図を撮る。
「何してんだ?」
「・・・ただ、一つだけ僕は雨宮さんの言葉を信じません。
あと、ケータイ出して下さい、短ランさん」
顔を伏せていた雨宮さんも含め全員が僕を見た。
「なに・・・?」
「あの人達が手遅れだなんて、僕は信じません。きっとまだ間に合います。
赤外線通信で。コレ、地図です」
「あなた、まさか・・・」
雨宮さんが信じられない物を見るかのような目で見てきた。
「今からあの人達を追いかけます。急いで警戒地区の外まで引き帰らせれば何とかなる筈です」
「キミ、この子の話聞いてなかったの!?キミも危険じゃないか!!」
ずっと話に入れずに黙っていた千葉さんが抗議の声を発した。
僕は、千葉さんの目を見る。
「・・・千葉さん」
「なんだい・・・?」
「ありがとうございました。最初に話しかけてくれた時、すごく嬉しかったんです。
こんな場所でこれからどうなるか分からなくて不安だったんですけど、千葉さんと話しができて不安が和らぎました」
「そんなことっ・・・!
キミ、殺されたらどうするの!?生きて帰ろうって約束したじゃないか!!」
「僕なら、大丈夫ですよ」
言いながら微かに微笑んだ。
譲る気は微塵もなかった。
「・・・塔に近づくなっつールールに逆らってこのゲームをひっくり返す、か。なかなかいい考えじゃねーか。
俺も賛成だぜ、その考え。丁度これを企んだやつをブッ飛ばしてやりてぇと思ってたんだ」
そうしていると、短ランさんが僕に話しかけてきた。
頭の上に手をポンと置かれた。大きな掌だった。
「夜科ッ!!」
「ただし、お前はここにいろ。俺が行く。
そんなフラフラの子供(ガキ)が行ってもどうしようもねぇだろうが」
短ランさん、夜科さんが僕の目線に合わせて腰を屈めながら言う。
ああ、そうか。この人は僕をただのふらふらな子供だと思ってるのか。
「・・・ただの子供なら、ですが」
心の深淵からイメージを呼び起こし、具現化させる。
想像するのは灼熱の炎、とまでは行かないけれど、フレデリカが使っていた発火現象(パイロキネシス)。
掌に、小さな炎の華が咲いた。
「「「なッ!!?」」」
「子供は子供でも、ちょっと変わってるんです。これなら多少は役に立つと思いますけど」
「あ、あなたもサイキッカーだったの!?」
雨宮さんが一番早く現実に復帰し、尋ねた。
しかし、サイキッカーの事まで知っているとは。しかも、あなた"も"ってまさか・・・
「その話も纏めて後でします!そんなことより、急がないと!」
「あ、ああ・・・じゃあ、ホントにいいんだな?お前がいいんなら行くぞ!
そこのアンタ!雨宮の事は頼んだ!!」
「あ、ちょっと!!」
僕と夜科さんは千葉さんの制止も聞かずに、飛び出して行った。
僕の走る足がふらふらで危なっかしかったので、途中で夜科さんに負ぶわれた。
◆◆◆
男達が荒野を歩いて行く。
強く吹き付ける風と共に砂塵が舞い、ほんの少し先までしか見えない程に視界は悪かった。
服で覆われていない箇所に飛んできた砂礫が突き刺さり、痛みを覚える。
しかし、それでも歩みが止まる事はなかった。
「あれは、鉄塔・・・?」
歩みを進めると、隆起した岩壁の向こうに何らかの建造物の影が見えた。
しかし、やはり砂塵に遮られボンヤリとしたシルエットしか見えない。
「くそ・・・よく見えない・・・あれが警報の発信源・・・!?」
「門"ゲート"は近いぞ・・・・・・!!」
「どこかにビルか何か見えないか!?」
「あ――・・・シンど・・・」
男達は信じて疑わなかった。警報が示すのはゴールの在処だと。
自分達が間違っているのではないかなどと、男達は疑いもしなかった。
そして、物陰から自分達の命を刈り取ろうと狙っている者が居る事に、男達は気付きもしなかった。
「がッ・・・!?」
「何だ!?」
風を切って飛来したボウガンの矢が先頭を歩いていた眼鏡の男の右肩に突き刺さった。
唐突にもたらされた激痛に、眼鏡の男は肩を押さえながらパニックに陥る。
苦痛で歪められる男の表情。
何が起こったか理解しようと、その歪められた顔を矢の飛んできた方へ向ける。
「・・・あ・・・」
男の網膜に映った物は、迫りくる矢。それが男の最期に見た物だった。
眼鏡を粉砕してボウガンの矢が男の眼窩に突き刺さる。
矢は眼球を貫通し、脳を破壊し、男を呆気なく絶命させた。
男の体がグラリと傾き、少量の砂埃を巻き上げながら力なく地に伏せた。
俯けになった男の体に影が差す。
影は無防備になった男の後頭部に降り注いだ。
影は、男の頭蓋骨を砕き、脳を包む三層の髄膜を破り、血と脳漿で彩られた灰色の脳をブチまけた。
水の入った袋が破裂したかのように血飛沫と脳の一部が飛び散り、周りにいた男達の衣服を染め上げる。
「・・・アグロ・・・」
フルフェイスのメットのような物で顔を覆い、露出した肌のあちこちがクリップのような物で肉を留められている。
身に付けた衣服の上にはエプロンが掛けられ、そのエプロンには既に酸化し黒ずんだ血がこびり付いている。
眼鏡の男の脳と血で汚れた足で地を踏みしめ、その降って来た影、人の形をした化け物は不気味な言葉を呟いた。
「う、うわあああああああああああああああっ!!!」
男達は突然の出来事に頭が追いつかなかったが、一瞬の硬直の後、恐慌状態になる。
化け物は男達へと歩み寄って行った。
歩く度に鳴る靴底に付着した脳がプチプチと弾ける耳ざわりな音と、塩と鉄の臭いは、風に吹かれて消え行く。
「こっ、殺しやがった!!!」
「ヤベェッ!!ヤベェぞ!!!」
(なんだこいつは――!!?)
これから運動でも始めるかのように化け物は関節を鳴らす。
男達には、その音が無慈悲な死刑の宣告にも等しく聞こえた。
そして、化け物は虚空に向けてその口を開いた。
「ヒイイイイイィィィイ!!!」
空中に放たれたその鳴き声と思しき音は、荒れた地に木霊する。
数拍置いて、その声に応ずるかの如くまた形を異にする化け物が岩陰から姿を現した。
「ば・・・ッ化け物・・・!!?」
「に・・・逃げろ・・・!!」
残ったニット帽の青年と髪を纏めた男が正気に戻り、危険から逃れようとする。
しかしそんな中、朝河は一人化け物へと向かった。
助走から入りその勢いを殺さぬように左半身を半歩引き、左足に重心を預ける。
「調子ノッてんじゃねェよ・・・!!」
そして、裂帛の気合と共にその右足を振り下ろした。
◆◆◆
走る夜科さんの背に負われ、揺れる世界を眺めながら自分の内面を観察する。
僕はどうして、あの人達を助けに行こうと思ったのだろうか。
個人的にあの人達に良い印象を持っていなかった筈なのに。
死ぬかもしれない人を見捨てる事が出来ないという正義感から?
―・・・いや、違う。
少しでも知り合った人達が死ぬのは寝覚めが悪いから?
―・・・これも違う。
死の可能性が、怖かったから。
―・・・これだ。
あの人達が死ぬかも知れないと聞いた時、喩えようもなくただ怖かった。
自分とは関係の無い死の可能性なのに、何故だか分からないがまるで自分の事のように恐怖を覚えた。
どうしてそんな風に思考の回路が繋がるのかさっぱり分からない。
もしかしたら、記憶を失う前に何かあったのかも知れないが、それは考えても仕方のない事。
まあ、そもそも僕の内面の事なんか自体今はどうでもいいことだった。
とにかく、これからどうするかだけを考えるべきだろう。
「大丈夫ですか!?夜科さん!」
「ちょ、キツい・・・!今話しかけんな・・・!脇腹がいてェんだよ!!」
流石に僕を背負って全力疾走は堪える物があったみたいだ。夜科さんは息も絶え絶えになっている。
この歳くらいの平均体重からは大分下回るんだけど、それでも20キロを超えるからキツいのも当然か。
「地図ではこのまま真っ直ぐです!あ、返事はいいです!」
片手で夜科さんの首に手を回し、もう片手でケータイで撮った地図を見ながらナビゲートする。
多分、もうそろそろ塔に近づいてきた頃だ。
『ヒイイイイイィィィイ!!!』
突然、風の唸り声を切り裂いて前方から何かの鳴き声のような物が聞こえてきた。
それはまるで獣が咆哮するかのような声だった。
それを聞いて夜科さんの顔が、険しくなったのが背中側から見えた。
「な、なんですか!?今の!」
「・・・バケモンだ」
「え・・・?」
「ッ!!!」
規則的に揺れていた夜科さんの背中が急に一際大きく揺れ、そして揺れが止まった。
どうやら走るのを止めたみたいだ。
「チッ!!」
舌打ちが聞こえてくる。
夜科さんの首の向こう側を覗くと、そこにいたのは我が目を疑うような異形の怪物だった。
四本の人間の足のような物がでっぷりとした胴体から生えていおり、
背中には羽が畳まれ、顔は人間の顔を逆三角形に切り取ったかのような輪郭。
そして、人間の上腕を長くしたような二本の腕からは、まるで鋸の刃のような棘がびっしり生えていた。
人間とカマキリを足して間違って二乗したかのような姿の怪物だった。
それが、僕と夜科さんの前に立ち塞がっていた。
「・・・近づいたら問答無用で殺されるってこういう事かよ、クソッたれ!!」
「何か知ってるんですか!?」
「ああ。さっきの建物に行く前にアイツの親戚みたいのに襲われたんだよ・・・!
だから、止めたのに・・・ッ!あいつらまだ死んでねえだろうな!?」
どうやら、この世界は単なる滅んだだけの世界じゃないみたいだ。
未来は異形の怪物が複数存在する不思議な世界になるらしい。
「ギギ・・・!!」
怪物が鎌を左右に広げる。
どうやら威嚇しているらしい。
「ただで通してくれる訳じゃなさそうですね・・・」
「・・・どうする!?雨宮もいねェ・・・!!一体どうやってアイツを倒す!!?」
そうこうしている内に怪物がこっちに向かって来た。
大きな体に似合わず、その動きは素早かった。
「クッ!!」
「・・・夜科さんは、このまま真っ直ぐ行って下さい」
夜科さんの背を降り、掌を翳す。
怪物は、縛られたかのようにその場で硬直している。
「ギ!?」
「なっ!?」
「ここは僕に任せて!早く!!」
僕は見えざる掌、テレキネシスでカマキリの怪物を押さえつけていた。
さあ、ここからが僕の頑張り所みたいだ・・・!
続く