僕がエルモア・ウッドに拾われて、そろそろ一年近くが経とうとしていた。
つまり、お爺さんが灰になって亡くなってから約一年。
僕が旅に出ている間も、お婆さんは西にサイレンの情報があると聞けば西へ行き、
東に怪人 ネメシスQが出たと聞けば東へ行くような、必死の捜索を続けていた。
その話を聞いて、そんなお婆さんを尻目に勝手な旅を続けていた事を申し訳なく思った。
お婆さんは、『気にする事はない。お主の願いと老いぼれの願いどっちが大事か比べるまでも無いじゃろう』
と言ってくれたけれど、やっぱりなんの恩も返せてないのは気が咎められる。
こうして旅を続けていられるのもお婆さんの好意だし、そもそもお婆さん達に拾われていなかったら
野たれ死んでいても不思議じゃなかった。
恩を一つも返せていないどころか、恩がどんどん増えていっているのは申し訳ないという気持ちを通り越して
罪悪感すら抱くようになってきたのだった。
少しでもサイレンの手掛かりに対してアンテナを広げて旅をしていたつもりだけど、旅の途中でそんな話を聞く事は無かった。
だから、どうにか恩を返す方法は無いかと考えながら今日も道を歩いていた。
陽光は分厚い雲に遮られ、どんよりとした空気が満ちる中で強めの風が僕の頬を叩く。
置き去りにされた冬の名残を感じさせるような、肌寒くもある日だった。
◆◆◆
・・・そもそも僕は一体どういう形でお婆さんに恩を返せるのだろうか。
お婆さんが今最も望む物はサイレンについての情報だ。
そしてそのサイレンの情報は、お婆さんの予知夢の事も考えると、世界崩壊の謎に恐らく繋がる。
その情報をお婆さんが掴む手助けになること。これが僕の出来る最大の恩返しだろう。
そこで、サイレンについて考えを纏めてみた。
お爺さんは赤色のテレホンカードを用いサイレン世界へ行った。
その後、帰ってきてお婆さんに何か告げようとして灰になった。
ここで気になるのは、お爺さんが帰って来た、という事だ。
もはや噂が広まり過ぎて社会現象となっているサイレンに対しての世間一般の認識はこうだ。
・現実が嫌になった者を集め、楽園へと導く。
・全国の神隠し事件は、サイレンが首謀者なのではないか。
・サイレンは秘密結社と称される組織である。
等と言ったところである。
・・・そう、神隠し。
つまりサイレンへ行ったとされる者は、帰って来ない筈なのだ。
それがサイレンは楽園であるという噂の種火になっているのだろう。
サイレンは一度行った人間が帰って来たくなくなる程の魅力的な場所である、と。
しかし、お爺さんは帰って来た。
つまり、帰ってくる人間はいると言うこと。
では何故サイレンへ行って帰ってきたと言う報告が無いのか。
これだけ世間が騒いでいるのだから、実際にサイレンへ行った、なんて話があれば過剰なほどに注目される筈。
これは多分、話さない、のではなく話せないのだろう。
お爺さんが灰にされた理由。
それは定かではないけれど、恐らくサイレンの話をお婆さんにしようとしたから。
推測になるけれど、サイレンの話を他言しようとしたら、命を奪われる。
命を奪う理由、サイレンについて他言させない理由なんかは不明。
しかし、分かるのは秘密を漏らす者には制裁が下るということ。
だから、例えサイレンから生還した人間がいたとしても、それが知られない。
そしてサイレンの情報が広まる事も無い。
こんな事では、お婆さんが欲しがるサイレンの情報なんて手に入る訳もない。
情報が流出しないようになっているのだから。
ならば、サイレンの情報を手にしようというのなら、方法は二つ。
サイレンの世界へ行き、生き残った人間に直接会う事。
もしくは、自分自身がサイレンへ行く事。
この二つしかないのだ。
しかも前者の方法は、条件が厳しすぎる。
まず、出会う事自体が難しいし、出会ったとしても情報を漏らすことは出来ないのだから。
かといって、後者の条件が易しいかと言えばそんなことはない。
なんの共通点も持たない人間が無作為に選ばれ手にすると言う赤いテレホンカード、それをそんな簡単に手にする事ができるだろうか。
そんな考えてもどうしようもない事を考えて、思考を纏めきれずにいたら辺りが暗くなり始めていた。
曇っているためか、いつもより暗くなるのが早い。
空を見上げると、濁った雲が僅かに流動していた。
近いうちに雨が降るかもしれない。そんな気がした。
◆◆◆
宿泊施設を探すために、地図を確認しながら最寄りの駅へと向かう。
辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
肌寒さと視界の悪さが相まって、漠然とした不安な気持ちがこみ上げてくる。
―――風が吹いた。
その余りの冷たさに驚き、ブルッと身震いを一つする。
首を襟の中に引っ込めて寒さに耐えようとした。
しかし、その時に顔に何か当る違和感を感じた。
何かと思って顔を上に向けると、続いてまた同じ感触。
顔に手を触れると指が濡れた。
予測されたことだけれど、雨が降り出していた。
本当に今は五月なのだろうか、という疑問を感じる程の気候。
容赦なく僕に吹き付ける風と、徐々に強くなっていく雨を避けるため、僕は走り出した。
現在地が住宅街らしく、入れる店のようなものは見当たらなかった。
人の家の軒先で雨宿りをしてもいいのだけれど、それでは風は防げない。
何か適当なものはないか、と走る足を緩めない。人通りは僕以外に無かった。
ますます強くなる雨。荷物を頭の上へ持っていき、ないよりはマシ程度に雨を凌ぐ。
その時、外灯とは違う明かりを見つけた。
それは、古びた電話ボックスだった。
携帯電話が普及し、次第にその姿を見せなくなっていった物。
それでも一部の人の為に、と残されていたのだろうか。
とにかく全方位覆われているそこならば雨風を防げる。
急いで扉を開け、駆け込む。
扉を閉めると、風の唸る音と雨が全てを濡らす音だけが世界を支配した。
一先ず避難できた安堵からかはあ、と息を吐く。
樹脂でできた壁が口から零れた水蒸気で白く曇った。
個人の電話番号が落書きされた台、ずたぼろに裂かれた電話帳、
壁に貼り付けられたいかがわしい店の電話番号が書かれたシール、それを剥がそうとして汚く残った跡。
それらを無感動に見つめ、はあ、と再び息を吐いた。
どうしてこんなに憂鬱で、不安な気持ちになっているのだろうか。
まるで、何か嫌な予感でもしているみたいだ。
荷物を台に置き、背中を樹脂の壁に預ける。
静かに瞼を伏せ、目で捕らえる世界から耳で受け取る世界へ移行した。
何かが近づく音を感じ、ふと瞼を開く。
一台の車が、電話ボックスの横をそのスピードを落とすことなく走り抜けていった。
「・・・」
一人世界から置き去りにされたような重たい空気の中、言葉が発せられる事はない。
何かから目を背けるように、僕は再びその瞼を閉じた。
――その時。
突然目の前の公衆電話がけたたましく鳴り出した。
「ッ!?」
心臓が一瞬跳ね、バッと体を起こす。突然の事に一瞬思考出来なくなった。
「びっくりした・・・」
しかし、冷静になると大した事ではない。
日本の公衆電話がどういったシステムになっているかは知らないが、
前に公衆電話に電話が掛かってくるというシーンを外国の映画で見た。
公衆電話だって、この電話の番号が分かればこの電話に掛ける事は可能だろう。
でも、どうしてこの公衆電話に掛ける必要があるのだろう。
単なる悪戯か、それとも・・・
前に観た映画は、その公衆電話を主人公が取ると見越した上で、公衆電話が鳴っていた。
もしかしたら、ここに僕がいて、電話を取る事を見越した上での連絡なのかもしれない。
「・・・なんてね」
この周りの雰囲気の影響で不安な気持ちにさせられたから、こんな事を考えるのだろうか。
リリリリン、と僕に呼びかけるように鳴り続ける電話を見て思った。
「・・・」
・・・でも、どうしてこの嫌な予感は拭えないのだろうか。
心臓がドクン、ドクンと鳴るのが耳の奥に聞こえる。
放っておけば止むだろうと思っていたが、呼び出し音のサイレンが止む気配は無い。
ひたすら鳴り続けている。
生唾を飲み込む。その音が嫌にはっきり聞こえた。
震える指を伸ばす。
そして、頭の片隅で数えていたベルが21回鳴った時、僕はその受話器を握った。
「・・・もしもし」
受話器を耳に当て、言う。自分でも驚く程の低い声が出た。
『・・・もしもし』
僕の声と全く同じ低く、起伏の無い抑揚で合成音声のような声音が聞こえてきた。
その不気味な声音に僕の心臓が再び高鳴る。
そして、ふと視線を持ち上げたとき、視界に飛び込んできた映像に愕然とすることになった。
『ピー・・・ピー・・・ガガガッ』
「なっ・・・!」
樹脂の壁に映っていたのは、僕の驚きに目を開く顔と、人外の存在だった。
鳥の嘴のような形をし、翼のような模様が描かれたマスク。
そのマスクの下にぼんやりと球が光っている。
腰の高さまで悠に届く長い三つ編みの髪。
ファーのついたゆったりめの服。
両手首にある丸い球。
怪人 ネメシスQと思われる者が、そこにいた。
「ッ!!」
扉を殴りつけるように開く。
雨に打たれるのも構わず飛び出た先で、ネメシスQと対面する。
パタンと何かが閉じる音がした。
ネメシスQの手元をよく見ると、携帯電話らしき物が握られている。おそらくその音だろう。
そしてネメシスQが体勢を変え、飛び上がろうとした。
「っ、待て!!」
テレキネシスを投影。
その手で掴もうとしたけれど、手は空を切るだけ。
『ピー・・・ガッ・・・、・・・Q・・・!!ガガッ』
ノイズ音を空に残して、ネメシスQらしき存在は煙のように消えてしまった。
「消えた・・・!」
しばらく呆然としていた僕にを現実に呼び戻す物があった。
ピー、ピーと公衆電話を使用し終えた時に鳴る音。それが聞こえてきた。
電話の前に戻るとそれは、そこにあった。
「赤い、テレホンカード・・・!?」
真っ赤なカードに三本の縦線と横に倒した月のような線等から成る不思議な模様。
恐らくサイレンと読むのだろう、P、S、Y、そしてロシア語のЯ(ヤー)のような反転したR、E、Nの文字が描かれている。
震える手でそれをカード返却口から引き抜く。
驚きの連続で停滞する頭と別に、冷静に今何をすべきか考えている自分がいた。
荷物から携帯電話を取り出し、電話を掛ける。
一コール、二コール、三コール・・・
長く、もどかしく感じられる呼び出しの後、電話が繋がった。
「・・・ファイです。迎えをお願いします。大事な話が、あるんです」
降ってわいた都合の良すぎる偶然。
これは運命とかいう物なのだろうか。それとも、もっと別の何かか。
いや、そもそも偶然や必然などと区分するのがおかしいのかもしれない。
土砂降りの雨が、全てを包み込み、そして洗い流していった。
粘りつく胸の高鳴りだけが、耳に残るだけだった。
◆◆◆
「・・・して、なんじゃ大事な話とは。お前さんが旅を中断せねばならんほどの事だったのかの?」
エルモア・ウッドに連絡を入れたあの後。
お婆さんはこんな日も暮れてから、しかも隣の県まで迎えに来いという僕の要求に驚いていたが、
僕の真剣な口調から何か汲み取ってくれたのか、すぐに車を寄こしてくれた。
それでも隣の県に僕が居るため、車が到着するまでに結構な時間を要した。
けれど、赤いテレホンカードで頭が一杯になっている僕にはその程度の時間はあっという間に感じた。
「・・・コレです」
ポケットに仕舞ってあったあの赤いカードを取りだす。
そして目の前のテーブルの上にそっと差し出した。
お婆さんの目が開かれる。
ガタッという音と共に立ち上がった。
「こ、これは・・・!!」
お婆さんが恐る恐るといった様子でカードに手を伸ばす。
「これを、どこで・・・?」
震える指を抑えようとして、抑えきれなかったお婆さんが尋ねてくる。
ただ、瞳はカードに固定されたままだった。
「愛知県に居た時にその道中で。何の変哲もない電話ボックスで、です。
・・・その時にネメシスQに、逢いました」
「なんじゃと!?」
お婆さんが顔をバッとこちらに向ける。
目に宿る眼光の色が変わった。
「ソイツは、特に僕に何かをするという事も無く消えてしまいました。
ソイツが消えた後には、そのカードが」
そう告げるとお婆さんは何かを考えるように少しの間押し黙った。
沈黙が、満ちる。
「・・・ファイよ、このカード、ワシに預けてくれんか?
このカードからは異様な感じを受ける。少し知らべてみたいんじゃ」
考えが終わったのか、暫くしてお婆さんが口を開いた。
「ええ、それは構いませんが・・・」
「・・・すまんの。
さあ、今日はもう遅い。他の子供達はとうに眠っておる。お主も休むとええ」
お婆さんがそう言い残し、部屋を出て行った。
「・・・」
後に残された僕は、去っていくお婆さんの背中を見つめるだけだった。
◆◆◆
深夜、雨の降りしきる中人影が一つ歩いて行く。
目的地の、近くの公衆電話に向けてひたすら歩みを進めている。
前方から吹きつける雨風に抵抗するために傘を前に傾ける。
風が押し返そうとするかの如く吹きつけ、その余りの力に一瞬歩みが止まった。
「・・・」
それでも歩みを再び進めようとする。しかし、
「・・・お婆さん」
その人影、エルモアは声が掛けられ、立ち止った。
エルモアが声を掛けられた方向を向くと、同じく傘をさした、白い髪の少年が立っていた。
「・・・どうしたんじゃ、こんな雨の中真夜中に」
「それは、こっちのセリフですよ。お婆さんこそ何してるんですか」
「・・・」
エルモアが口を閉ざす。
しかし、自分が何をしようとしていたのかを少年が理解しているだろう事も、エルモアは分かっていた。
「・・・赤いテレホンカード、ですか?」
「どうして気付いたんじゃ・・・?」
少年がエルモアに近づく。
答えになっていない答えだが、それは質問への肯定を意味した。
「・・・お婆さんの言葉に、違和感があったんですよ。それで嫌な胸騒ぎがしたんです。
感謝の気持ちがあるなら、ありがとうと言えって教えてくれたのはお婆さんじゃないですか」
「そうか、そうじゃったの・・・」
納得したように頷いて、また前を向く。
「ワシは、知りたいんじゃ。古比流が見た物を」
「だから、お婆さん自身がカードを使うんですか。
もし、お婆さんまで灰になったらどうするんですか!灰にならなかったとしてもお婆さんは心臓に持病があるでしょう!?
・・・お婆さんまで居なくなったら、みんなどうしたらいいか分からなくなりますよ・・・僕だって悲しいです」
少年はエルモアの背中に声を投げかける。少年の言葉がエルモアに届く事を祈って。
「・・・万が一の事があった時のために、後の事はもう手筈は整えてある。お主らが何不自由なく暮らしていける手筈がな。
じゃが、それも世界が崩壊すれば何の意味も成さぬじゃろう。・・・ワシは知らなくてはいけないんじゃ」
「そんな事じゃなくて!お婆さんがいないと駄目なんです!!」
「ならば、このまま手をこまねいて見ているというのか!
こんなにも近くに、渇望した情報があるんじゃ!これを逃す訳には・・・」
エルモアが声を荒げる。
少年に対して怒鳴っているのではない。どうしようもないほどの焦りから来る声。
目に見えない何かに対しての問いかけだった。
「・・・だったら、僕がやります」
「なんじゃと!?」
「誰かがやらなくちゃいけないんだったら、それが僕でもいいでしょう。
・・・ずっと、恩返しがしたかった。
これは僕を拾ってくれた事への、僕に居場所を与えてくれた恩を返すチャンスなんです」
「・・・お主達子供を失う訳にはいかん」
「死にませんよ。自分の事も思いだす前に死にはしないです」
エルモアと少年の瞳が交差する。
少年の瞳に宿る意志は、揺らぎが無いようだった。
「・・・・・・必ず帰ってきてくれると、約束できるか・・・?」
エルモアが何かを堪えるような痛切な表情で尋ねた。
その問いは、少年の意志にエルモアの心が動かされた事を示す。
「!、はい!!」
少年が大きくうなずく。
「・・・ならば、頼む。どうかワシに力を貸しておくれ」
そう言って赤いテレホンカードを少年に差し出した。
「はい」
そして二つの人影は、揃って進みだした。
目的地である公衆電話にむかって。
◆◆◆
目の前にある公衆電話の明かり。
いつもと何ら変わらない筈のそれが、嫌に不気味な物に思えた。
「・・・」
電話ボックスの扉を開ける。
これからする事への緊張感からか、喉がヒリつく感覚を覚えた。
お婆さんには外で待ってもらっていた。雨風は先程よりは弱まっていた。
手の中にある赤いテレホンカードをじっと見つめる。
カードに描かれた模様が僕を見ていた。
受話器を持ち上げ、そして意を決してカードを挿入口に入れた。
ピポパポポピパポ、と自動でどこかに繋がる音が受話器から聞こえた。
急いで受話器を耳に当てる。電話のトゥルルルルとどこかを呼び出す音が耳に吸い込まれた。
一体どこに繋がって何が予備出しに答えるのか。唇を軽く舐めた。
呼び出し音が、ほんの一瞬途切れた。
『おはようございます!世界はつ・な・が・る。サイレン入国管理センターです』
「っ!!」
『――それではこれから入国審査を行います。質問にお答え下さい』
聞こえてきた声に驚き、一瞬言葉が詰まる。
それでも返事しようかとしたら、続けて音声が聞こえてきた。
多分この感じは録音音声なのだろう。
ならばこの女の人の声に話しかけても無駄と言う事。
チラっと外を見るとお婆さんが不安そうにしていた。
頷いたのと目配せで、自分は大丈夫だと伝えた。
『質問ハ二択ニナッテオリマス。はいノ場合ハだいやるノ①を、いいえノ場合ハだいやるノ②を押シテ下サイ』
質問?なにかの選択形式と言うことは何かアンケートのようなものなのだろうか。
そう考えている間に、問いが始まった。
『第1問―― 12歳以上ノ日本人デアル Y or N(イエスオアノー)』
・・・僕は何人なのだろうか。今までそんな事考えた事も無かった。
でも戸籍をお婆さんに取って貰ったと言うこともあるし、日本人なのかな・・・
髪色から判断するなら決して日本人ではないのだけれど。
結局、12歳にもなってないような気がしてこの問いは②、N(ノー)を選んだ。
二択なら余り煩わしくないだろう。余り悩む必要のない質問ならさくさくこなしていこう。
『第2問―― コノ国ノ未来ニ絶望シテイル・・・ ――Y or N』
・・・②
『第3問 過去ニ脳ニ傷ヲ負ッタ事アルイハ疾患ガアルト認メラレタ事ガアル Y or N』
過去、か。今の僕にあるのは一年前からの記憶だけだ。
もしかしたら、それより以前には疾患があったかもしれないが、分からない。
分からないという項目が無いので迷った挙げ句、②を押した。
『第4問 慢性的ナ呼吸困難・・・モシクハコノ星の空気ガ息苦シイト感ジル事ガアル Y or N』
・・・②
『第5問 喋ル羊ノ夢ヲ見タ事ガアル・・・ Y or N』
・・・②
『第6問 宇宙人ハイルト思ウ・・・ Y or N』
・・・①
『第7問 昔ノ事ヲ思イ出シテ赤面スル事ガアル・・・ Y or N』
・・・②
『第8問 自分ハ優レタ存在ダ・・・ Y or N』
・・・②
『第9問 幼イ頃ボンボン派ダッタ・・・ Y or N』
・・・②
『第10問 他人ガ自分ノ考エヲ読ンデイルト思ウ事ガアル・・・・・・ Y or N』
・・・①
『第11問 他人ガ怖イ・・・ Y or N』
・・・②
『第12問 言葉ガナクトモ想イハ伝ワル・・・ Y or N』
・・・①
『第13問 青イ血ヲ流シタ事ガアル・・・ Y or N』
・・・②
『第14問 神ハイルト思ウ・・・ Y or N』
・・・②
『第15問 自分ノ内蔵ヲ見タ事ガアル・・・ Y or N』
・・・②
『第16問 人間ヲ殺シタ事ガアル・・・ Y or N』
・・・②
『第17問 大切ナ人ヲ裏切ッタ事ガアル・・・ Y or N』
・・・②
『第18問 タケノコノ里ヨリキノコノ山ガ好キ・・・ Y or N』
・・・②
『第19問 カレー味ノウンコヨリハウンコ味ノカレーガイイ・・・ Y or N』
・・・ッく!①!!
『第20問 後悔シテイル事ガアル・・・ Y or N』
・・・①
『第21問 魂ハ存在スル・・・ Y or N』
・・・①
『第22問 痛イノハ嫌イダ・・・ Y or N』
・・・①
『第23問 好意ヲ寄セル人ガイル・・・ Y or N』
・・・①
『第24問 大切ナ友人ガイル・・・ Y or N』
・・・①
『第25問 アノ頃ニ帰リタイ・・・ Y or N』
・・・②
『第26問 目玉焼キニハ醤油ダ・・・ Y or N』
・・・①
『第27問 死ヲ経験シタ事ガアル・・・ Y or N』
・・・②
『第28問 月ニハ不思議チカラガアル・・・ Y or N』
・・・①
『第29問 人ハ分カリ合エル生キ物ダ・・・ Y or N』
・・・①
『第30問 人間ヨリ大キナ生物ヲ殺シタ経験ガアル・・・ Y or N』
・・・②
――・・・
『・・・それでは第60問!!』
いい加減にしんどくなってきた。
この良く分からないアンケートはいつまで続くのだろうか。
お婆さんの体を冷やすのは余り良くないから早く切り上げたいのだけれど。
『記憶ヲ失ウ前ノ自分ガ怖イ・・・ Y or N』
・・・①
「・・・え?」
無意識的に問いに答えてから気付いた。
どうして、僕が記憶を失っていると知っている?
それまでの質問とは全く異なるモノ。
治まっていた鼓動が再び鳴り始めた。
『第61問 本当ハ自分ガ何ナノカ知ルノガ怖イ・・・ Y or N』
「・・・」
無言のまま①を押す。
否定しようとして、出来なかった。
薄々気付いていて、ずっと目を逸らしていたもの。ずっと心の内に隠しておいたもの。
答えをどれだけ探しても見つからない問い。
その問いの答えに不穏な気配を感じずにはいられなかった。
『第62問 ドウシテ心ガ、コレ以上読メナイ?』
「ッ!!」
受話器を投げ捨て、心羅万招を発動。PSIの流れが瞳に映るようになる。
「やられた・・・!!」
その目で自分自身を見ると、僕の内にあるPSIの流れが明らかに狂っていた。
どうやら、トランス系のPSIで侵入されていたらしい。
あの意味不明なアンケートは、僕の内部に侵入するための罠・・・!
・・・だが、何も起こらない。
遅効性の物なのか、それともある条件で発動するタイプの物なのか。疑問の渦が唸る。
耳障りな心音を聞きながら、再び受話器を拾い上げた。
『お前は、私を知っている・・・?』
「え・・・?」
聞こえてきた言葉が理解出来なかった。
僕の過去の陰が一瞬チラついたのだと、理解するのに数秒要した。
「ッ!どういう事だ!?お前の事を僕は知らない!!
お前は、誰なんだ!?」
『・・・』
急に黙る受話器。
その沈黙が永遠の物のように感じられた。
『―・・・第63問 "さいれん"に行キタイ? Y or N』
拳を痛いほどに握る。爪が掌に食い込んだ。
「お前が、そこに居るのなら」
そう呟き、迷わずに①を押した。
『審査終了――・・・。合否は追ってこちらから連絡いたします――・・・』
そう告げられ、入国審査とやらは終わった。
謎が謎のままである不快感。それが胸の内を焦がしていた。
電話ボックスの扉を開けると、お婆さんが心配そうな顔でこちらを見てきた。
・・・何はともかくこれ以上お婆さんの体を夜の冷気に晒すのは良くないだろう。
僕が怒鳴った理由や、ふざけたアンケートの事、
トランスで侵入されてしまった事などを話しながら、僕達はエルモア・ウッドへ向かって行く。
「・・・お婆さん」
「なんじゃ」
「サイレンに行く理由が、恩返しだけじゃなくなったんですが、構いませんか?」
「そのような事を気にする必要はない。とにかく、お主が無事に帰って来てくれるならの」
「・・・ありがとう、ございます」
雨はすっかり弱くなっていた。
この分なら、日が昇る頃には晴れ間が見えるかも知れないと、歩きながら思った。
◆◆◆
昼過ぎ。
昨日はかなり遅くに寝たためか、起きるのが大幅に遅れてしまった。
予想通り、空には雲が多少残っているものの、雲の切れ間が出来ていた。
そこから青い空が顔を覗かせている。
着替えを済ませ、寝起きで気だるい体を引きずりながら部屋を出た。
体温が微妙にいつもより高い気がする。昨日の雨で風邪でも引いたのだろうか。
「ゲホっゲホっ」
咳まで出てくる始末。
これは、マズイかもしれない。風邪を引いた事が無かったのが自慢だったのに・・・
「あ゛ー・・・」
「あれ?ファイじゃん!お前いつ帰って来たんだよ!」
フラフラ歩いていると、後ろから声を掛けられた。
振り返ってみてみると、記憶に寸分違い無いカイルの姿。
「あー・・・昨日の夜にね。用事があってお婆さんに迎えを頼んだんだ」
「え?ファイ君?」
続けて別の声がかかる。声で分かったがマリーだった。
その横にはフレデリカも居た。
「アンタ、途中だったんじゃないの?帰ってきて良かったの?」
以前ほど僕に対してわだかまりが無くなったフレデリカが尋ねてくる。
フレデリカは飴を銜えたまま器用に喋っていた。
「それくらい大事な用だったんだ。言い忘れてたけど、ただいま」
三人に向けて言う。
やはり、ただいまを言うと安心する。
「おう!思ったより早かったな!」
「おかえりなさい」
「・・・おかえり」
三人がそれぞれの返事をくれた。
挨拶を考えた人は凄いと思った。こんな簡単な事で気持ちがはずむのだから。
「これからどうすんだ?しばらくはここにいんだろ?」
「ああ、一応そのつもり。なんか風邪ひいたみたいだし暫くは大人しくするよ」
カイル達と会話しながらリビングへ向う。
リビングに入るとヴァンがいた。おやつの時間じゃないのにお菓子をむさぼり食べていたみたいだ。
「ただいま、ヴァン」
「うー」
ヴァンにも挨拶をする。
ヴァンは口いっぱいに物を詰めていて上手く話せていなかった。
「これ!ヴァン!!おやつの時間じゃないのに食べてはならんと言うたじゃろ!!」
僕もヴァンに一つ貰おうかと思っていたらお婆さんがリビングに入って来た。
その後ろに続くシャオ。
全員が何故か一度にリビングに集合するという不思議な事になった。
お婆さんとシャオにも挨拶をする。
ただ、お婆さんとは昨日の時点で既に逢っていたのだけれど。
お婆さんと目があった時、昨日の確認のつもりで軽く頷いた。
サイレンに行くのを誰にも話さないという事も含めて。
みんなには心配を掛けたくないし、サイレンの事は黙っているつもりだ。
普段からあちこちに出かけている僕なら、急にサイレンへ行ったとしても不自然じゃないだろうし。
それに、もしかしたらサイレンの情報のみならず、サイレンへ行くと言う事を漏らす事自体禁忌なのかもしれない。
いつサイレンへ呼び出されるのか分からない。
だから、それまではこの暖かい空間に浸っていたいと思った。
「全く!ヴァンは仕方のない。
しょうがないから、これからお茶会にでもしようかの?」
何がしょうがないのかはよく分からないが、お婆さんが皆におやつを提案してきた。
多分、僕が帰ってきたので揃ってみんなと話す機会を提供してくれたのだろう。
その心遣いに感謝する。
「あ、じゃあお茶淹れてきますね」
「冷蔵庫にケーキもあるからそれも持ってきておくれ」
マリーがキッチンへ向かって行き、マリーにお婆さんが声を掛けた。
ヴァンはケーキの単語に目を輝かせていた。
昨日とは打って変って、暖かな日だった。
春の柔らかな陽光に包まれて、気だるい体がすこし楽になった。
――・・・
「それじゃ、頂きま・・・す?」
ケーキを食べようとした所で、気が付いた。
「・・・あれ?電話鳴ってない?」
遠くからジリリリと電話のベルの音が聞こえた気がしたので、皆に確認してみる。
みんなは、不思議そうな顔をしていた。
「電話?ううん、聞こえないけど」
マリーがみんなの意見を代表するように言った。
「え?おかしいな・・・でもどんどん音が大きくなっていってるし」
そして、ハッと気が付いた。
お婆さんに目配せする。それでお婆さんは気が付いてくれたようだ。
「あー・・・ごめん、みんな。ちょっと席外すね。
僕の分のケーキは取って置いてよ。絶対だからね!」
「ちょっと!どこ行くのよ!」
フレデリカの声が背中に降りかかった。
それを無視して急いでリビングを出て、真っ直ぐに自室に。
赤いテレホンカードを掛けてあった上着のポケットから取り出す。
見ると、あの不思議な模様が変化していた。
横倒しの月のように見えた線が二本に分かれていく。
完全に分かれた時、それはまるで閉じていた瞼が開かれたようだった。
上着を羽織り、再びそのポケットにカードを突っ込んだ。
後は、帰って来た時の為に携帯電話を引っ掴む。
靴を履いて家の外に。敷地の外に出た時に携帯電話を取りだした。
携帯電話は非通知から着信中だった。
これからどうなるのか分からないのに、不思議と怖くは無かった。
久し振に皆に逢えたから、一人の状態じゃなくなったから、気持ちが昂ぶっているのかもしれない。
「行ってきます」
ケーキがヴァン辺りに食べられる前に帰ってこよう。
そう思いながら、携帯電話を耳に当てた。
『――・・・世界は・・・つ・な・が・る・・・』
続く