自分はいつから上条当麻にこの想いを抱いていたのか。
ふと美琴は思い返していた。
初めて出会った時の印象は最悪だった。
不良に絡まれている自分を助けようとしたことには、今時こんな馬鹿みたいなお人好しがいるんだと少し感心した。しかしあのバカは、よりにもよって常盤台の超電磁砲をガキ扱いして、不良を諫めようとしたのだ。
当然怒り狂い、不良とまとめて感電させてやろうと電撃を放ち、憂さを晴らそうとした。不良は死屍累々と地べたにひれ伏し、美琴は大きく鼻息をついて立ち去ろうとしたのだが――
何故かツンツン頭の少年だけが平然と、まるで電撃なんてくらってないといわんばかりに、右手を前にかざした状態で立っていた。
普通絶対にありえないことだが、もしかすると演算を失敗し、外したのかもしれない。もう一方の可能性を否定したいがために、美琴はもう一度電撃を放った。
その電撃は、少年が慌てて突き出した右腕に触れられるといとも簡単に霧散した。正解はもう一方の可能性――少年の能力で電撃を防がれたことであった。
ありえないと美琴は、何事かを叫んで逃げ惑う少年に何度も何度も電撃を放つが、その度に彼の右手に防がれ消えた。
それは絶対にあってはならないことであった。学園都市第三位のレベル5の力が全く通用しないなんて、そんなの理不尽すぎた。
結局はツンツン頭の少年に逃げられてしまった美琴は、その少年がいったい何者なのか気になった。能力でハッキングを行い、画面に流れる学生の個人情報の中から、あの特徴的なツンツン頭を目をさらにして探した。
まだ美琴の知らない学園都市第一位や第二位なら、まだ諦めがついた。自身の能力がまだその高みに達していないだけであって、悔しかったらレベル1からレベル5に登りつめた時のように努力すればいい。
でも違った。やっとのことで見つけ出したアイツは、レベル5どころかなんの能力も持たない、無能力者だったのだ。
嘘だと思った。レベル5の御坂美琴をあしらった少年が、レベル0だなんて、そんなことあるはずがない。
呆然とする美琴の脳に、上条当麻という名前が刻まれた瞬間であった。
それから美琴は、暇な時間が出来れば学び舎の園を出て、少年の姿を探し回った。
第七学区にある低レベルの小さな高校に通っている情報は、すでに入手していたので、その近辺をひたすら歩き、あのツンツン頭はどこかと見渡した。
何度も足繁く通い、ようやく美琴は少年を見つけ出すことができた。
しかし少年は何度声を掛けてもこちらに気づかず、かっとなった美琴は電撃を放つが、こんな時にだけやたらと勘がいいのか、右手でかき消された。
そのことにますます腹を立てた美琴は、結局は以前と全く変わらないやり取りを経た後、話もろくにできずまたも少年に逃げられてしまった。
どこにもあのツンツン頭が見つけられなくなって、そこでようやく少年にリベンジをしたかったのか、それとも何かを話したかったのか、いや、そもそも何も考えていなかったことに気づいた。
自身の胸の内に、むかむかするような、でもそれだけではないような思いが渦巻いていた。
むかついているだけと信じ、深く考えなかった美琴は闇雲にツンツン頭の少年を追った。
大抵は少年を見つける、でも声を掛けても美琴に気づかない、むかついて電撃を放つ、逃げる、追う、ひたすら追い掛け回し、最後は逃げられる、そんなパターンを繰り返した。
声を掛けても気づかない原因は、大抵何か考え事をしているか、不幸な出来事に巻き込まれて疲れきっているかのどちらかだったのだが、当時の美琴が知る由もない。
結果、少年は「な、なんでお前は俺を目の敵にすんだよ!」「ふ、不幸だー!」などなど悲鳴をあげながら、美琴をあしらうしかなかった。
それでも神様の気まぐれか、少年が美琴に気づき、美琴の機嫌も別段悪くない日もあった。
普段からさんざん電撃を浴びせているのに、少年は「よう、ビリビリ中学生」と馴れ馴れしく話しかけてくることに、若干のいらつきはあったが(もちろんその場で電撃を浴びせることで発散している)。
聞きたいことはいっぱいあったはずなのに、なのに実はやっぱり何も考えられなくて、するのは当たり障りのない会話ばかりだった。
でもどこか、その会話を楽しんでいる自分がいることに、美琴は気づいた。
例えば彼の不幸話に遠慮容赦ない大声で笑ったり、
でも実は女絡みで何故か上条を黒こげにしたい衝動が走ったり、
黒子の猛烈なアタックに愚痴をいったり、
いつかはアンタを見返してやると宣言したり、
彼の私生活が覗ける話を聞いて少しだけ嬉しかったり、
彼と話していると時折自分の心を見失いそうになったり、
――とにかくいろいろな話をした。
こうして彼と他愛のない話をすることも、朝までひたすら電撃を浴びせて追っかけまわすことにも、どこから湧いてくるのかわからない充実感があった。
二人で厄介事に巻き込まれることも多々あった。
大抵は彼が不良に追っかけまわされているのを美琴が見つけたり、逆に初めて会った時みたいに美琴が不良に絡まれているのを、彼が不良を助けるためにしゃしゃり出てきたりと、大したことのないものだ。
その中でほんの一握りだけ、大きな事件もあった。
連続虚空爆破(グラビトン)事件では、爆発寸前のぬいぐるみを超電磁砲で吹き飛ばそうとしたが、コインを落としてしまった。
でも、彼が咄嗟に前に出て右手をかざし、美琴達を爆発から守ってくれた。
気障にも自分が爆発を食い止めたことを告げずに去っていくツンツン頭の少年は、あの時は否定していたけど、不覚にもかっこいいと思ってしまった。
幻想御手(レベルアッパー)事件の時も、まるで狙ったかのように美琴がピンチの時に駆けつけ、AIMバーストの化け物の攻撃から庇ってくれた。
事件解決後、主犯であった木山の幻想すら守ってしまった彼に、思えば初めて恋愛感情めいたものを抱いたのかもしれない。
いつだってそうだった。
アイツは主人公(ヒーロー)みたいに、その右手で守ってくれた。
美琴も、それ以外の人も。
自分だけの主人公になってくれないことには、少しだけ歯がゆい思いもするけど、誰かの為に戦う姿は最高にかっこよかった。
彼はその右手を誰かのために振るう。
傷を厭わず、見返りを求めず、ただひたすら愚直に。
今も、彼は命を賭けて救おうとしている。
空から降り注ぐのは、魔術に素人の美琴でも危険だと感じられる、光の羽根。
美琴の電撃や、神裂の七閃でも欠片も損なうこともできない。彼の進むべき道をろくに作ってあげることすらできない。
それでも彼は進んでいく。
右手で光の羽根をいとも簡単に消し去り、右手も美琴達のフォローも間に合わない時は、素人とは思えない体さばきで避ける。
もはや走っているとはいえず、遅々として前に進めないでいるが、確実に一歩、一歩と進んでいる。
ああ、やっぱりアイツは最高にかっこいい主人公だな。
美琴は絶やさずに電撃を放ちながらも、その背中にかつて自分を助けてくれた時の背中と重ね合わせる。
あの時は、目の前で妹が無残にも殺されようとしているのに、美琴は凍り付いたように一歩も動けなかった。
やめてくれと叫ぶことも、もう嫌だと目を逸らすこともできなかった。
そんな死と絶望の中、彼は来てくれた。
偶然だったかも知れない。たまたま気まぐれで近くにいただけかもしれない。
でも颯爽と駆けつけ、学園都市最強から妹を守ってくれた姿に、そんな些細なことは気にもならなかった。
それだけじゃなかった。
自分の命と引き替えに、妹達の命を救おうとする美琴自身までも守ってくれた。
その右拳に全てを託して、死と絶望の幻想を打ち抜いてくれた。
今回もきっと、いや絶対に上条はインデックスを救い出すだろう。
学園都市第一位のレベル5相手に、身が裂け、骨が折れようとも立ち上がった時のように。
どれほど傷つこうとも、死にそうになろうとも、絶対に。
だからこそ、その最高にかっこいい姿が腹立たしく、憎らしかった。
彼が傷つくたびに、その傷と同じくらいの痛みが美琴の心を苛んでいることを、彼は知らない。
口には死んでも出さないから、美琴が心の底から無事を祈っていることを、彼は知らない。
当麻と叫んだこの声に、どれだけの想いが込められているのか、彼は知らない。
いえる訳がなかった。いってもとまらない人間と知っているから。
いえる訳がなかった。
たった今、彼はインデックスの元に辿り着き、全ての現況である魔方陣を引き裂いた。
魔方陣は粉々に砕け散り、黒い亀裂も光の柱も幻のように消える。
これでもう終わりのはずだった。
ハッピーエンドで終わるはずだった。
なのに嫌な予感がぬぐえない。
早鐘を打つ心臓は一向に静まらず、嫌な汗が頬を伝う。
まるでこれから、最悪な結末へと転がり落ちていくことを予期したように。
そして嫌な予感は、あたってほしくない時ほど無情にも現実のものとなる。
絶対能力進化計画の時のように。
悪夢が再来する。
インデックスの魔術は効力を失ったはずなのに、無数に舞い散る羽根は消えてなかった。
倒れてぴくりとも動かないインデックスに降り注ごうとしていた。
彼がこちらを振り向いた。
とても穏やかで優しげな顔で、悲しく笑いかけた。
彼の唇が小さく動く。
ごめん、と。
そう言い残して彼はインデックスに覆い被さった。
自身の身を顧みず、躊躇いもせずに、一人の少女を救う為に。
あの時みたいに、主人公は颯爽と助けに来ない。
何故なら、助けられるべき彼こそが主人公だから。
だから降り注ぐ羽根から、誰も彼のことを守ってはくれない。
隣で神裂が痛ましい表情で、届くはずのない腕を伸ばしている。
ステイルが悔しげな顔で、目を逸らさずにこれから起こる惨劇を見据えている。
美琴は震えていた。
唇から血が滴るほど噛みしめ、震える眼差しでただ彼を見つめていた。
美琴は怒りに震えていた。
その身を犠牲にしてまでインデックスを救おうとする彼にではない。
まして彼を巻き込んだインデックスにでもない。
こんな時でも動こうとしない自分自身にだ。
これでは全く変わっていなかった。
妹が殺されようとしていた時から、ちっとも進歩なんてしていなかった。
そのことが悔しくて、腸が煮え返るほど憎らしかった。
強くなろうと、思ったのではないのか。
彼のように誰かを守れるくらいに強くなろうと、ぼろぼろの身体で病室に横たわっていた彼に誓ったのではないのか。
誰かを守ろうとする彼を守れるくらいに強くなろうと、決意したのではないのか。
なのに自分は何をしている?
学園都市第三位のレベル5が、常盤台の超電磁砲が、何をしている?
彼が死ぬかもしれないのに、ただ黙ってみていることしかできないのか?
降り注ぐのは、死を孕んだ無数の羽根。
(……それがどうした)
自分の電撃では消し去ることもできない、強大な力。
(……それがどうした)
横たわるのは、どうすることもできない現実。
(……それがどうした)
心を折ろうとするのは、自分では彼を救うことはできない絶望。
(……それが、どうしたっていうのよ!)
美琴の全身から、激しい電撃が舞い踊る。
青く白い電撃は、美琴の想いに応えるように、どんどん力強さを増す。
ただ荒れ狂うだけであった電撃は、次第に美琴の右手へと収束していく。
でも、これだけでは全然足りない。
彼を救う力となりえない。
美琴は再演算する。
より強い稲妻を。より輝く雷光を。
自分だけの現実(パーソナルルアリティ)を塗り替える。
今までまともに扱うこともできず、漏電といった暴走を引き起こしていた想いを抱き込んで、新しい自分だけの現実を作り上げてみせる。
今ならできる。
この想いは、自分だけの現実を揺るがすものではない。
これは――愛という感情は、私の力となるものだ!
瞬間、美琴の電撃はその性質を変えた。
まるで脱色するかのように、美琴の電撃から青色が抜けていく。
誰にも踏まれたことのないようなヴァージン・スノーのように、白く。
白が美琴の右手に宿る。
その様は、まるで純白の片翼をかざしているかのようだった。
不思議と静まりかえった心で、美琴は誰にも聞こえない声で呟く。
「アイツがみんなの主人公(ヒーロー)だっていうのなら」
純白の翼をはためかせ、
「私はアイツを守る主人公(ヒロイン)になって見せる」
降り注ぐ光の羽根全てに狙いを定め、
「神様がアイツのことを見捨てるっていうのなら」
その心にただ一つの想いを宿し、
「まずはその幻想をぶち殺す!」
美琴は真っ白な電撃を放った。
白の軌跡を描いて、翼のような電撃が光の羽根へと突き進む中、
「当麻ぁーーーーーーーーっ!」
美琴は力強い声で愛しい人の名を呼んだ。
インデックスに覆いかぶさり、降り注ぐ羽根をその身で受け止めようとしていた上条は、誰かが自分の名を呼ぶ声を聞きながら、凪いだ気持ちでその時を持っていた。
おそらく死ぬであろう、その時を。
しかしいつまで経っても何も起こらない。
不審に思った上条が顔をあげる。
天井から降り注ぐ光の羽根は、全て消え去っていた。
代わりにあるのは、光の羽根のものとは違う、神々しいまでの白い光の残滓だ。
驚きに見開かれた目で、とんでもないことをしでかした張本人であろう少女の方を見やる。
そこには、上条だけの主人公(ヒロイン)がいた。
右腕に白い翼を宿らせて、まなじりに涙を浮かべた少女が、今までに見たこともない慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
誰かを心の底から想うような、まるで“恋する少女”のような笑顔だった。
たったそれだけで、上条は見えない電撃を心臓に放たれたような、とてつもない衝撃を受けた。
先ほどの戦闘よりも速く鼓動を刻む。未知の感情が心を掻き乱す。
乾ききった喉を震わせ、上条は彼女の名を呼んだ。
「みこ……と?」
上条に声を掛けられたことが、無事な声を聞けたことが嬉しいのか、彼女は一層笑みを深め、万感の想いを込めてこういった。
「よかった……当麻が無事で、本当によかったよお」
彼女の零れ落ちた涙の一滴が、頬を優しく伝っていった。
これはダメだと上条は思った。
こんなの反則だろって思った。
いつもいつも不幸で、今度こそもう取り返しのつかない事態になると思ったところを、まるで漫画の主人公のように助けてくれた。
それだけでも十分なのに。
彼女はこんなにも愛しい笑顔で、愛しい声で自分の名を呼んでくれる。
「……ずりいよ、お前」
思わず漏れた言葉は、幸いにも彼女には届いていなかった。
全ての力を出し切った彼女は、安堵の笑みを浮かべたまま倒れてしまった。
慌てて神裂が抱き留めると、彼女は小さな声でよかったと何度も呟いて気を失った。
「ほんと、無茶しやがって」
人のことをいえない上条が、同じく眠ったままのインデックスを抱きかかえながら、幸せそうに眠る美琴の顔を覗き込む。
その顔は、無茶なことをしでかす困った恋人を見る目と変わらないものであった。
「幸せそうな顔で寝ていますね」
神裂が我が子を見守る母親のような表情で、彼女をゆっくりと床に寝かせ、髪をなでる。
「……今さっき、この少女が使った力は、本当に能力によるものなのか? 『竜王の殺息』を完全に消し去るなんて、そんなこと……ありえるはずがない」
ステイルが当惑を隠せずに思わず言葉をもらすが、上条はさらっとその言葉を受け流した。
「んなことぐらい、どうでもいいだろ?」
「君の右手だって、この少女と同じくらいに、ありえないものなんだけどね。君たち、本当に何者なんだ?」
「だぁー! ったく、お前、難しく考えすぎだ!」
突然叫んだことに驚く無粋なステイルを尻目に、上条はこういってのけた。
「要は、この物語は最高のハッピーエンドで終わりました。それだけのことだろ?」
ステイルはその身を縛る鎖から解放されたインデックスを見て、続いて能天気に笑う上条を見て、深くため息をついた。
「まったく、バカな奴に付き合うと疲れる」
そういいながらも、ステイルは微かに口元を綻ばせていた。
バカといわれて怒る上条を背景に、神裂がいう。
「でも、久しぶりに悪くない気分ですね」
「……そうだな、悪くない気分だ」
「神裂さーん! あなたまで上条さんをバカじゃないって否定しないのですか! ていうか今、暗にバカって肯定しただろ? バカって肯定したよな!?」
上条がますます騒ぎ立てるので、キレかけたステイルが再びイノケンティウスを呼び出そうとするのを、神裂が羽交い絞めにしてとめた。
するといつの間にか起き上がったインデックスが、寝ぼけて「おなかすいたー」といいながら手に噛みついて、上条が悲鳴を上げる。
それを見たステイルが神裂を振り払って炎剣で切りかかり、噛みついたままのインデックスを抱きかかえながら上条が逃げ惑った。
そんなてんやわんやの喧騒の中、彼女は眉を一瞬顰めながらもすぐに表情を和らげた。
「んん……当麻」
夢の中で自分に笑いかけるツンツン頭の少年の名を、幸せそうな声で呼んだ。
お、終わった。ようやく完結した……
みなさん、お待たせしてしまい本当に申し訳ありませんでした。
どうにかこうにか最終話をあげることができて、一安心です。
上条さんの記憶破壊フラグは美琴がぶち折ってしまいました。
彼のため、なにより自分の想いのために、二人の想い出という幻想を守り抜きました。
しかしその結果、美琴センセーが一方さんみたいに覚醒してしまいましたが。
や、やり過ぎた感は否めません……
これまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
このSSが少しでも皆さんに楽しんでいただけたのなら、作者としては本望です。
次回も更新が遅くなりそうですが、これからも頑張って書き進めたいと思います。
次回、上条と美琴の過去が明らかになる、一方通行編
……だと姫神が泣くので、吸血殺し編です。