白いディアブロス雄は片角を折られ、全身に破片を喰らった。
黒いディアブロス雌は鎚尾を叩き切られた。
本能は彼我の戦力差に開きがあることを認めた。
しかし、“黒白憤鳴”のディアブロスは“厚顔無知”のティガレックスや“疾風塵雷”のナルガクルガとはひと味違った。
窮地を前にして、敵が強いという事実を認め、恐怖という冷水を浴びて冷静に思考したのだ。
――狩人が強い。
自分の二十分の一の身長で、こちらの突進と同等以上の力を有する巨人。
あらゆるこちらの攻撃を受け流す、盾を持った騎士。
こちらの知覚の隙間を綱渡りして、確実に痛撃を与える伏撃手。
鎚尾が届かないほどの遠くから、こちらの動きを操作する射手。
誰もが相手取るには手強く、4人揃った今となっては勝利するのは難しいだろう。
――では、どうする?
――生き延びねばならない。
しかし、ただ生き延びては意味がない。
此処を生き延びても追撃がくれば同じだ。
ならば可能な限り“派手に”生き延びねばならない。
――同種の存在を蹴散らして生き延びるのは?
――おあつらえ向きと言わんばかりに、この街壁の外にはたくさんの人間の気配がする。
――ちょうどいい。
――鳥を毛散らかしながら走るように。
――羽毛の散華のように、人間の命が狩人を止める煙幕となるだろう。
――さあ、走れ。
――この恐ろしい者達から逃げ出すために。
鎚尾を斬られた黒いディアブロス雌をかばうために、ヨシゾウへ突進を仕掛けた白のディアブロス雄は咆吼を発して他の狩人を牽制した。
――地面はダメだ。
――砂漠よりも岩盤が固すぎる。
――奇襲の短距離ならともかく、長距離移動するには向かない。
白のディアブロス雄は後方から接近してきていたアルフリートへ、背後の建築物を鎚尾でたたき壊して威嚇。
咆吼や動作よりも物理的な破片がアルフリートを足止め、黒のディアブロス雌が立ち上がったのを見るや、目配せと同時に一目散に走りだした。
闘技場の壁すらも破壊できる突進でも、市街を守る城壁を破壊するのは難しい。
ならば、城門だ。
少しでも近くの城門へ。
少しでも薄い障害へ。
少しでも多くの人間を犠牲にして逃走できる経路へ。
アルフリートが叫ぶ!
「止めろ! “黒白憤鳴”は市民を轢き殺して逃走する気だ!」
だが、止まってやる道理など無い。
窮地に陥った獣が活路を見出す時、人間の道理に従う理由など無いのだ。
“Striker”アルフリート達と“黒白憤鳴”のディアブロスの対決は、最終局面に向かったのだ。
――市民の命を賭けた、互いに必死のレースが始まる。
ウォルダンはドンドルマから凄まじい勢いでこちらに向かってくる足音を聞いた。
その音は次第に大きさを増しており、その足音から、ディアブロス二頭がこちらに向かっているのでは、と想像するのは非常に容易であった。
――狩人の歌は途絶えた。
壁の向こうを見ることが出来ないウォルダンは、娘のアルシアを抱き寄せて思った。
――あの時、高らかに聞こえた歌よ。
――狩人よ。
――お前達はそこにはもういないのか?
不安の静寂が恐怖を呼び、ディアブロスの咆吼一つで市民達が混乱に陥るのは、まさに時間の問題だった。
満身創痍とは言え、いや、満身創痍だからこそ必死の逃走をみせる“黒白憤鳴”のディアブロス二頭にアルフリート達は追いつけるのだろうか?
答えは不可能、であった。
30mの巨体の一歩一歩は、人間に換算すれば8~10歩の距離を稼ぐ。
事、走ることに関してならディアブロスの方が圧倒的に有利であり、さらにアルフリート達も満身創痍であった。
走って追いつくことなど不可能だったのだ。
――ただ一人を除いては。
跳躍するような大きなストライド。
啄木鳥が幹を打つような連打で、地面を叩く足。
肩で赤い残影を引きながら。
長い黒髪を風に流して疾走。
人の身でありながら、ギルドナイト“Typhoon”ラピカがディアブロスを追い抜いて先へ行く。
ラピカは思ったのだ。
“Striker”アルフリートの強さは失われてはならないのだ、と。
ラピカは聞いたのだ。
“F・F”ミサトと“Sir.”スティールから、自分達は運命共同体なのだ、と。
ならば走るのに理由は要らない。
狩人の邪魔にならない限り、このギルドナイトが狩人の狩場を保証しよう!
“Typhoon”ラピカは、ギルドナイトとして叫んだ!
「“Master horn”!!」
「聞こえているのでしょう! 高みの見物のギルドナイト達! ギルドナイトがギルドと契約した約定に基づき、正規の狩りを行う狩場の規律を保証しなさい!」
“Red eye”コーティカルテは“Master horn”クルツを見た。
“Backstab”アデナは“Master horn”クルツを見て苦笑した。
「仕方ないのぅ、仕方ないのぅ。ああ言われたらギルドナイトとしての約定をな、うんうん」
妙にいそいそとした調子で、自分のルナ-クライを構える“Master horn”クルツがいた。
「お主は今自分がどんな顔をしているか知っておるか?」
「どうせ、笑いじゃろ? そろそろ体を動かしとぉーてたまらんところじゃった。手伝え、コーティカルテ」
「はっ!? なんでわらわが? まず、アデナじゃろう?」
「そいつはダメじゃ。絶対ダメじゃ」
「なんでじゃ?」
“Master horn”は深いため息をついた。
「限りなく音痴なんじゃよ、アデナは……」
「ほっとけ」
ここは酷い街であった。
数日間の眠りより猛烈な乾きと飢餓から目が覚めてみれば、体は鎖に縛られて生きながらに解体されようとするところだった。
そこから暴れて狭い街の中を散々暴れ回った挙げ句、シビレ罠と麻酔玉でまた寝かされてしまったのだ。
何一つ、この街では“黒白憤鳴”のディアブロスの思い通りにはならなかった。
また目覚めてみれば、今度は四人の強力な狩人が片角をへし折り、尻尾を切られる痛手を与えられてしまった。
本当にこの街では思う通りにはいかない。
だが、それもここまでだ。
あの強力な狩人達から、この憎たらしい街から出られさえすれば全ては上手くいくだろう。
壁を壊しさえすれば、外へ出さえすれば、砂漠の暴君として本来の生き方が出来るであろう。
そうだ、今やあの憎たらしい狩人達も必死の逃走によって置き去りにされたままだ。
――上手くいくのだ!
――この街から出れば、全てが上手くいくのだ!
“黒白憤鳴”のディアブロス達にとって、全てが目論み通りに運ぼうとしていたその時だった。
それは広く全てのものへ伝える歌。
ここに在ると伝える歌。
『 此処より 風に乗りて 広がる 古の血潮の歌よ 』
――力が在る、と伝える歌だ!!
それは狩猟笛の音色に乗って、少女の歌声と共に聞こえてきた。
――四人の狩人はそれを聞き、力の足りない両足を叱咤した。
――市民はそれを聞き、迫る足音が『どうにかなるのだ』、と悟った。
――ディアブロス達はこの悪夢のような敗北の始まりを思い出した。
『 陸に 空に 海に 広がる 調べよ 』
狩人達には力を。狩人を知るもの達には安らぎを、飛竜には畏怖と振戦を!
狩猟笛が力強く伴奏を走らせて、曲へ宿る力を膨らませる。
『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』
少女の声に、さらに狩人達の声が加わる。
ドンドルマを守る狩人達の声だった。
最初にディアブロスに蹴散らかされた者達。
だが、彼らもその歌に力を与えるために反抗の意志を掲げた。
――狩人の街 ドンドルマの反撃が始まる。
――この街が狩人の街でありその気概に力を宿す限り、飛竜の思い通りになることなど、何一つ有りはしない!
“Typhoon”ラピカが走る。
ディアブロス達の先回りすることに成功したラピカは、アルフリートがクリスに言って仕掛けさせた大タル爆弾Gの一つを発見した。
ただでさえ重い大タル爆弾Gを抱えて、ディアブロスより速く走るなど不可能だ。
だから、ラピカは賭けに出ることにした。
悩む暇など無いから一瞬で決めた。
失敗すると空前絶後の間抜けとなるが、ラピカはそれを実行した。
まず、大タル爆弾Gを横に倒す、と言う作業だ。
想像してみるといい。
石ころを投げつけただけでも大タル爆弾Gは起爆するのだ。
それを横に倒すのは、ロウソクを消さないように生身で川を渡る蛮行に等しい。
だが、悪運の強いことに大タル爆弾Gは起爆しなかった。
だから、もっと怖いことに挑戦しないといけない。
石ころをぶつけるほどの力で起爆する、と言うのなら。
石ころをぶつけるよりも弱い力で押し続ければ起爆しない、と言うことである。
――そう、ラピカは大タル爆弾Gを手で何度も押して、ディアブロスの前に転がそうとしているのだ。
幸い、道は平坦な石畳だが、加速している最中に起爆しない保証は一切無い。
むしろ起爆する割合の方が高いだろう。
しかし、ラピカの双剣では走っている最中のディアブロスを止めることなど出来ない。
轢かれて吹っ飛ばされるのが関の山だ。
だから、大タル爆弾Gを使うしかない。使うしかないのだが。
勇敢なラピカでもさすがに逡巡していると歌が聞こえた。
『 此処より 風に乗りて 広がる 古の血潮の歌よ 』
ラピカは思い出した。
『 陸に 空に 海に 広がる 調べよ 』
突進するディアブロスの前に立ち塞がったあのハンマー使いを。
『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』
歌を歌いながら力を振るったあの勇者を。
ラピカは押した。
赤子を扱うように繊細に。
急ぐ伝令のように拙速で。
死の塊とも言える爆弾をその手で加速して押し出した。
かくして、大タル爆弾Gの火薬はまるでラピカの意気に気圧されたかのように沈黙し、その身を加速してディアブロス達の前へと転がっていった。
「アデナさん! 貴女の出番です!」
「気楽に言ってくれるな! 何百mあると思っている!?」
ラピカの意図を察して闘技場の縁へと登った“Backstab”アデナはディアブロスの前方、ドンドルマの最終防衛ライン、つまり、城門へと転がっていく大タル爆弾Gを目視した。
概算で400m。
弓の飛距離としては遠すぎる距離だ。普通ならまず届かない。
弓の競技射撃で使われる距離は18m。的の大きさは40cmだ。
それですら実際に立ってみれば小さいものと認識出来るだろう。
大タル爆弾Gの大きさは人間大。約1m80cm。
的の大きさこそ五倍弱だが、距離にして競技射撃の二十三倍だ。
そして、弧を描く弾道の弓ではあまりにも遠く、狙いを付けるのは困難だ。
あまりにも遠すぎる。
――だが、それは普通の人間の規格の話だ。
そもそも、“Backstab”アデナの使う弓 イヌキは普通の複合素材式弓と素材からして違う。
大剣の素材にすら使われる鎌蟹ショウグンギザミの爪に、鎧竜グラビモスの甲殻を組み合わせさった弓だ。
まともな人間には引くことすら適わず、引けたとしても特製の手袋無しでは弦で指を切断するほどその弓は硬い。
森で対峙したヨシゾウの直感は当たっていたのだ。
“Typhoon”ラピカ。
“Red eye”コーティカルテ。
“Master horn”クルツ。
そして、“Backstab”アデナ。
この四人のギルドナイトの中で、“Backstab”アデナは“Typhoon”ラピカに次いで二番目の筋力を誇っているのだ。
上半身を鎧のごとく覆う背筋と大胸筋が唸りを上げて駆動し、大木の雄々しさすら思わせる硬い複合素材の弓を引く。
硬い金属を連想させる軋みを響かせながら引かれる弓。
それに番えられる矢も特製だ。
あらゆる飛竜の甲殻を貫通する、と言うことはその矢尻は硬くなければならない。
尋常ならぬ射撃時の衝撃に負けぬように、その矢は強くなければならない。
量産されている木の矢など比べものにならないレベルの強い素材が求められる。
弓の中でも最強の貫通力を誇るイヌキなら、なおさらそうだ。
故に、イヌキはその矢すらも鎌蟹ショウグンギザミの爪に、鎧竜グラビモスの甲殻を組み合わせて作られた複合素材の矢を用いる。
すなわち、400mの距離はイヌキにとって、十分射程距離内である。
そして、武器以上に重要なのは射手の腕だ。
500mを狙撃できる狙撃手を参考にしよう。
その狙撃手が頭部を狙い撃たなければならない場合、頭部の大きさは約20~30cm。500m先のバレーボール大の大きさの物を狙う話は精度の良い狙撃銃ならず、精度の良いアサルトライフルやバトルライフルでも行われた例は少なくない。
500m先の20cm、つまり、10m先の4㎜の大きさを狙うことは現実において有り得ない話ではないのだ。
ましてや、相手は400m先の1m80cm。
動き回る飛竜の頭部を狙うことに比べたら、ずいぶんと楽な狙いと言えた。
息を止めて天を仰ぎ、姿勢を筋肉ではなく骨で支えて固定。
動作は出来うる限り単純に、無駄な動作が狙いをずらす。
慣れ親しんだ手袋の滑りが、最後の弦から指を離す動作を何十万回と行った通りに誘導する。
鎌蟹と鎧竜の複合素材が互いに互いを咬む音。
弦が空気を切り裂いて鳴らす音。
矢が空気の抵抗を突き破る音が響いて混ざり合い、ボウガンにも劣らぬ音を立てて射撃は為された。
矢は己に与えられた運動エネルギーのまま、天頂へ向かって昇り、重力と空気抵抗の複雑な融合を果たした弾道を弧として描き、ディアブロスの背を乗り越える。
それを確認した瞬間、“Backstab”アデナはイヌキをたたんで腕に収納した。
着弾の目視も、命中の報告も必要ない。
大タル爆弾の轟音。
“黒白憤鳴”のディアブロス達が驚いてあげた叫びこそが、何よりも分かりやすい命中の証だ。
「まあ、オレには余裕なんだけどな?」
あとの結末は分かり切っていた。