聖域――黄金十二宮、第二の宮『金牛宮』
アルデバランは己の守護すべき宮の中で、瞳を閉じ腕を組んだまま微動だにせず立ち尽くしていた。
教皇の間で感じた海斗の小宇宙を探り続けていたのである。
しかし、あの時を境に海斗の小宇宙を感じ取る事が出来なかった。
「……どう言う事だ?」
アルデバランの呟き。
それは海斗の事だけでは無い。
「十二宮にいる他の黄金聖闘士の小宇宙すら感じ取れぬとは」
現在十二宮にいる筈の三人の黄金聖闘士。
彼らの小宇宙も感じ取れなくなっている事にアルデバランは困惑していた。
十二宮の守護者である黄金聖闘士とは言え、この地から離れるには十二宮を通らねばならない。
教皇の間へと向かう時も同様。
神でもない人の身では、それが例え聖闘士であっても。十二宮のあるこの聖なる山に張られたアテナの結界を潜り抜ける事は不可能。
教皇の間から金牛宮へと戻る際に、アルデバランは確かに彼らの存在を確認していたのに、である。
「……いや、違う。確かに小宇宙は感じる。だが、まるでこの十二宮全体が霧に包まれた様な?」
「お前も感じたのかアルデバラン」
余程集中をしていたのか。
アルデバランは背後からそう声を掛けられた事で、自分以外の何者かがこの場所に足を踏み入れていた事を知り愕然とした。
しかし、驚いているだけでは済まされない。
「――ッ、何者だ!?」
咄嗟に振り返ろうとしたアルデバラン。
その動きを止めたのは、己の組んだままの腕を静かに抑え込んだ相手が誰であるかに気が付いたためであった。
「怖い事をするなアルデバラン。いかに俺でも聖衣も無しにソレを受ける気は無いぞ?」
「おお、アイオリアか! いや、ウワハハハハハッ!!」
組んでいた腕を解いたアルデバランは、豪快に笑いながら「すまん」と詫びる。
「ハハハッ、まあ細かい事は気にするな」
「……全く、こちらとしては笑い事では無いぞ?」
現れたのは黄金聖闘士の一人『獅子座(レオ)』のアイオリア。
現在、十二宮にいる四人の若き黄金聖闘士の一人である。
十二宮五番目の宮「獅子宮」を守護し、普段は主に聖域周辺の警護の任に当たっている。
女神アテナ、そして教皇への忠誠も厚く、聖域では『聖闘士の鑑』として尊敬の念を集めている男でもある。
拳による聖闘士にとっては王道とも言える闘法を極限にまで極めた男として、黄金聖闘士の中でも一目置かれる存在であった。
「だが、良い所に来てくれたアイオリア。俺は少し金牛宮より離れる。この異様な小宇宙も気になるが――」
「先程の巨大な小宇宙も気になる、か。お前の弟子である海斗が聖域から離れる許可を求めていたが、それに関係しているのかも知れんな」
「何だ、お前に頼んだのか海斗は。俺が戻るまで待てぬ事でもあったのか? まあいい。教皇は気にするなと言われたが、やはり気になってな」
頼んだぞと、そうアイオリアに頼もうとしたアルデバラン。
アイオリアもまた構わんと、そう答えようとした。
その二人の動きが止まった。
突如として脳裏に響いた声によって。
『それは無用ですよアルデバラン』
「な、脳裏に、いや俺の小宇宙に直接語りかけるこの声は!?」
「まさか!? いや、あの男ならば有り得る。この十二宮を覆う異様な小宇宙。この様な芸当が出来るのは聖闘士の中でもあの男しか考えられん」
キッと、アイオリアは射抜く様な鋭い視線を十二宮六番目の宮「処女宮」へと向けた。
「これはお前の仕業か。乙女座(バルゴ)の黄金聖闘士――シャカよ!」
乙女座のシャカ。
カミュ、アイオリア、アルデバランと、現在十二宮にいる四人の黄金聖闘士最後の一人。
彼は常に瞳を閉じ、己の守護する処女宮で瞑想を続けている。
最強を誇る十二人の黄金聖闘士にあって「最も神に近い男」と呼ばれ、「仏陀の生まれ変わりである」と言われる程の強大な小宇宙を持つ。
女神アテナを護る聖闘士でありながら、異国の宗派を改めず、あらゆる空間を自在に行き来し神仏と対話を行うとさえ言われている。
聖闘士でありながらシャカは明らかに異質な存在であり、他の黄金聖闘士達から一歩引いた場所に己の位置を置いている。
シャカが一体何者であるのかを知る者はいない。
しかし、その実力に異論を挿む者もまたいない。
『フッ、そう気を荒立てるものではありませんよアイオリア』
シャカの声にはまるで赤子をあやす様な穏やかさがあり、二人は我知らず握っていた拳を解く。
「……では、この十二宮を覆う小宇宙は何なのだ?」
「うむ、これでは十二宮はおろか『外』で何が起こっているのかすらも分らんではないか」
『其れについてはこのシャカの落ち度である事を認めましょう。教皇より新たな結界を求められ試してみましたが――どうやらアテナの結界と作用し合い君達の感覚を狂わせてしまった様ですね』
――今解きましょう。
そのシャカの言葉と共に、十二宮を覆う様に感じていた小宇宙が瞬く間に消えた。
「ん? おお、分る。感じるぞ、小宇宙を」
十一番目の宮「宝瓶宮」にカミュの、処女宮にシャカの、そしてこの金牛宮にいるアイオリアの小宇宙を感じる事で、シャカの言葉が真実であったと納得するアルデバラン。
しかし、アイオリアは未だ難しい顔をしたままであった。
その顔を上げてシャカに問う。
「シャカよ、お前は先程海斗を探しに行こうとしたアルデバランに無用と言ったな。何があったかを知っているのか?」
『君が気にする必要はありませんよアイオリア。そしてアルデバラン、教皇は気にするなと言われたのでしょう? ならばそのお言葉に従う事です』
穏やかな口調に反し、その言葉の中に秘められた拒絶の意思。
隠さねばならない何かがあった事は明白。それをシャカも知っている。
だが、と食い下がろうとするアイオリアの肩を、しかしアルデバランが抑える。
「アイオリアよ、俺の弟子の事を気にかけてくれるのはありがたいが、そこまでにしておけ」
「……アルデバラン……」
「分った、お言葉に従おう。だが、これだけは聞かせて貰いたい――海斗は無事か?」
『……』
アルデバランの問いに僅かの逡巡を見せたシャカであったが、全てを語る事は出来ないがこの程度ならば構うまいと、こう答えた。
『……彼は教皇の勅命を受け数日の内にこの聖域から『外』へと向かいます。私が伝えられるのはそれだけです』
第6話
突き出された拳を蹴りを、避ける、躱す、受止める。
十字で受けたにもかかわらず、その衝撃は星矢の内臓を激しく揺らし、込み上げる嘔吐感に堪らず膝を着いた。
「~~ッ!? ッぐぅ~~うえぇえ……」
「何をぼさっとしてるのさ」
いかに苦しんで見せたところで攻撃の手が緩む事は無い。
目前に迫る爪先を、どうにか身体を逸らした事で避けた星矢であったが、そのまま振り下ろされた踵の一撃を背中に受けた事で、ついに地面に倒れてしまう。
「……フゥッ……。全く、成長しない奴だね」
「……な、なにおぅ……」
呆れを含んだその声に、こなくそと闘志を燃やして立ち上がろうとした星矢であったが、駄目押しとばかりに頭を踏みつけられてその意識を失った。
聖域の端には、一見すると廃墟にしか見えない朽ち果てた一角が存在する。
そこでは、聖闘士を目指す多くの若き候補生達が昼夜問わずに激しい修行を行っていた。
早朝であるにもかかわらず、周囲からは大地を砕く音や、気合いの声が聞こえて来る。
彼らと同じ様に、聖闘士を目指す星矢は師である魔鈴と共にここで修行を行っていた。
「痛テテテ。魔鈴さん、これ絶対コブになってるって。もうちょっと手加減してくれたって……」
「したさ。でなきゃあお前の頭は――」
こうだよ、と。
拾い上げた石を軽く握り潰して見せる魔鈴。
それを見た星矢の顔から血の気が引く。
「今の組手の採点をしてやるよ。零点だ」
「な、何でだよ! 今日はいつもよりも持った筈だろ!?」
星矢と魔鈴の修行はこの早朝の組手から始まる。
この結果によってその日の修行内容が決定され、魔鈴の採点が低ければ低い程、その日の修行は辛いものとなっていた。
それだけに、この採点は星矢にとって到底受け入れられるものでは無かった。
しかし、この星矢の態度は減点になりこそすれ加点になる筈も無く。
「げふっ!?」
魔鈴の繰り出した衝撃波を受けて吹き飛ばされた星矢は、瓦礫の中に頭から突っ込んでいた。
「ケツの青いガキが生意気言ってんじゃないよ。この間言った事をもう忘れたのかい?」
「ペペッ、そうやってすぐに暴力を振るってたんじゃ、魔鈴さんには絶対嫁の貰い手が――あぶしっ!?」
「――今、何か言ったかい?」
気にしていたのかいないのか。
折角這い出せたものの、余計な一言を言った星矢は再び瓦礫の中へ。
先程よりも深くめり込んでいる様に見えるのは気のせいか。
「教えただろう? 聖闘士は原子を砕く破壊の究極をモノにした存在だって。そんな相手の攻撃を、聖衣の無い生身で受け止められると思うのかい? 自殺したいってんなら止めやしないけどね」
バタバタと動いていた星矢の足が止まる。
「小宇宙を極めた連中――黄金聖闘士であれば可能かもしれないけどね、あいつらは例外だ。避けるか、間合いを潰すか、相手よりも先に当てるか。お前が選べるのはそれだけさ」
しょうがないね、と呟いて魔鈴は星矢の足に手を伸ばす。
「あんた達はいつもこんな事をやっているのか?」
その時、そう言って現れたのは、どこか感心した様子のシャイナだった。
「成程ね。カシオスにあれだけやられておきながら、毎度毎度ぴんぴんしてるのはこのせいか」
瓦礫の中で「それは違う!」と抗議の声を上げる星矢。
でも、内心そうかもしれないと思っている事は口には出さない。
それを言えば、このドSの師匠は嬉々として自分をいたぶるだろう。そんな未来予想図を破り捨てる。
(姉さん、美穂ちゃん、オレ絶対に生きて帰るからな!)
でもその前に引っ張り上げて欲しい、そう願う星矢の声が二人に聞こえる筈も無く。
魔鈴は伸ばした手を引くと、シャイナへと向き合った。
「なんだ、シャイナかい。よその候補生の修行を覗きに来るなんて、良い趣味とは言えないよ」
「フン、別にあんた達の修行に興味は無いね。ここに海斗がいるかと思って来ただけさ」
「……何で海斗の名前が出るのかが分らないけど、あんたとあいつに接点なんて……ひょっとして昨夜のアレかい?」
昨夜、二十人近くの雑兵達が聖域を離れた事は魔鈴の耳にも入っていた。
その中には海斗に敗れたゴンゴールやジャンゴの姿もあったと。
何をしようとしていたのかは知らないが、どうせ碌でもない事だろうと、魔鈴は当たりを付けていた。
「どうだっていいだろ、そんな事は。で、魔鈴。あんたは知ってるのか?」
「知らないよ」
「使えないね」
そう言うと、シャイナは周囲を見渡した。
「ここにも……いないか。おい星矢!」
魔鈴の横を通り過ぎ、シャイナは星矢の足を掴むと雑草を抜く様にあっさりと瓦礫の中から引き抜いた。
「ぶへっ、ぺぺぺぺっ。口の中が砂利だらけって、何だよシャイナさん」
片手で吊り下げられた星矢が見上げた先には自分を見下すシャイナの姿。
引き上げてくれた事には礼を言いたいが、男としてこの体勢はいかがなモノかと悩む。
「あんた海斗とは親しかったよね。アイツが普段どこにいるのかを知らないか?」
「海斗? さあ? そりゃあ、オレはあいつと同じ所から来たけど、ここで再会したのも最近だしなぁ」
「そうかい」
なら用は無いと言わんばかりに、シャイナは星矢の身体を放り投げた。
「邪魔したね。精々無駄な努力を頑張んな」
後ろで星矢が何か文句を言っている様だが、シャイナにとってはどうでもいい事。
振り返る事無くこの場を後にすると、ならばどこに行ったのかと考える。
しかし、いくら考えたところで思い付く筈も無い。
海斗とシャイナは顔と名前が一致する、その程度の間柄でしか無かったのだから。
「チッ、ジャンゴの事を教えておいてやろうと思ったのに」
不機嫌さを隠そうともせずに呟くシャイナ。
そもそも、自分がこうして探してやっているのに姿を見せないのが気に食わない。
「全く、どこに行ったんだか」
足を止め、見上げた空には雲一つ無い。
だと言うのに気分は晴れない。
それが何故なのかが分らない。
「ハァ……ならアイオリアにでも聞いてみるか。それで駄目ならもう知ったこっちゃないね」
結局、シャイナはこのまま一日を費やしたが、海斗に出会う事も、その行き先を知る事も無かった。