神話の時代より常に噴煙を立ち昇らせる火山島。
今より二百数十年前に一度大きな噴火があったものの、幸いにして大きな被害が出る事も無く。
常に熱く滾る大地の力に満ちたこの島は、効能高い湯治場として現在も遠方から多くの人々が訪れている。
そこは、地中海に浮かぶ島々の一つ――カノン島。
噴煙と熱波に満ちたその火口。
そこは、大地の力が最も満ちた場所。
普通の人間であれば立ち寄れない、毒に満ちた場所でしか無いその場に、鱗衣を纏った一人の男の姿があった。
まるで『そうするために』あつらえられたかの様に形作られた岩に腰を下ろし、身じろぎ一つする事無く静かに瞑目をしている。
男の名は――カノン。
「驚いたな、負傷だけでなく鱗衣の破損まで修復されている」
聞こえた声に、閉じていた瞼をゆっくりと開くカノン。その目に、鱗衣を纏ったソレントの姿が映る。
「……カノン島の伝承、こうして目の当たりにするまでは信じていませんでしたよ」
穏やかな笑みを浮かべるソレント。その表情はカノンの知るソレントに間違いは無い。
「……何の用だ」
しかし、ソレントの言葉の中に含む様な“何か”を感じ取った事で、カノンの言葉にもどこか棘の様な物が含まれる事になる。
殺気、とまでは行かなくとも敵意はあったのか。
僅かに立ち昇ったカノンの小宇宙は拒絶の意思を示すかの様に、周囲に斥力を伴った力場を生じさせていた。
「お見舞いです。しかし、『傷付いた聖闘士が噴煙に身をひたし再び復活する』でしたか」
カノンを中心として岩肌に奔る亀裂。
その力場はソレントをも巻き込んでいたが、当の本人には全く意に介した様子も無い。
ソレントは早期に海将軍として覚醒した事も有り、海闘士の中ではカノンとの付き合いが最も長い人物である。
時折りカノンが見せるこの不安定さには最早慣れたものであった。
「伝承が伝えるものなど真実の一端にしか過ぎんと言う事だ。聖闘士の様な力ある存在しかこの場所に留まる事が出来なかった、ただそれだけよ。奴等に出来て我等海闘士に出来ぬ道理はあるまい」
「……道理ですか。アテナの加護故の奇蹟、その可能性は? 我等海闘士にとっては毒であったかも知れない」
「回りくどいな。何が言いたいのだソレント?」
「別に。ただ疑問に思った事を口に出しただけですよ。他意は……ありませんね」
肩を竦めてそう言うソレント。
カノンはそれを苦々しく思いながらも一瞥すると、「そうか」と呟きゆっくりと立ち上がった。
お互いに無言。そのまま暫く。
「まあいい」
ややあって、先に口を開いたのはカノンであった。
「それよりも、だ。俺は言った筈だな、迂闊に動くなと」
「言ったでしょう? 貴方を心配して、ですよ」
「ぬかせ。『俺に成代わるために命を取りに来た』そう言われた方がまだ納得できる」
軽く腕を振り調子を確かめながら、カノンは鱗衣の状態も確認する。
「この数日の状況は把握している。この圧しかかる様な不快な小宇宙……ギガス共が目覚めた様だな」
「彼らの存在は、私達にとっても見逃す事は出来ない筈ですが」
「お前の言いたい事は分るが手出しは無用だ。他の海将軍達にも――そう伝えておけ」
「……静観すると? 手遅れになる可能性も有ります。私としては承知しかねます」
海将軍シードラゴンのカノン。
その力は海将軍の中でも群を抜く、絶対的強者。
「ギガントマキア、それを知らない貴方では無いと思いますが」
ソレント自身、仮にシードラゴンと戦う事があったとしても無事に済むとは考えてはいない。
最も早く海闘士として目覚め、海皇の名の下に全ての海闘士を統べる者。
それがソレントの知るシードラゴンの全てである。
海闘士の誰も、“カノン”の事を知らない。
「奴等が万全であれば或いは、な。だが今の奴等ではさしたる脅威にもならん。それはお前にも分っている筈だ」
そう言って、カノンは聖域のある方向へと視線を動かした。
「聖闘士共には精々頑張って貰うさ」
それは、ソレントが知る限り普段の傲慢とも思える程に自信に満ちたカノンから一切の色が失われる瞬間。
しかし、それも一瞬の事。
カノン自身意識しての事ではなかったのか、踵を返すと何事も無かったかの様にこの場から離れるべく歩き始めた。
「シードラゴン、貴方は――」
そこまで口に出しながら、ソレントは続ける事を止めた。
先日の事である。
シーホースとスキュラの海将軍が見つかった事で、遂に六人の海将軍が揃った。残るは海将軍はクラーケン。しかし、未だクラーケンの鱗衣は覚醒の兆しを見せてはいない。
ならば、と。ソレントにそこにどうしても引っ掛かるものを感じていた。
(それでは、スニオン岬でシードラゴンと戦った彼は一体何者だ? 残るクラーケンであるならば、鱗衣が反応を見せているはず)
海闘士でありながらアテナの聖闘士であり、シードラゴンを追いつめる程の力量を持つ存在。
彼への執着、双子座の黄金聖衣の介入、多くを語ろうとしないシードラゴン。
本の口から語られぬ以上、何を思ったところで全ては推測でしか無い。
(海闘士を纏め上げる力量。シードラゴンとしての貴方は信用出来る。しかし、“カノン”としての自分を隠し続ける貴方を私は――)
そこまで考えながら、ソレントは頭を振って浮かび上がる疑念を振り払う。今はまだ詮無き事だと。
だから、ソレントは当たり障りのない、しかし気にはなった事を尋ねてみる事にした。
「では、万一聖闘士が敗れる様な事があれば?」
答えを期待していた訳ではない。
ソレントにとっては自分の気を紛らわす、その程度のつもりでしか無かった。
「可能性としてはアレの復活か、それとも……。まあ、それを許す程に間抜けでもあるまい」
「……説明義務という言葉を知っていますか?」
その言葉に歩みを止めたカノンは、ゆっくりとソレントへと振り返り――
「憶測に過ぎん事をベラベラと喋る物でも無かろうに」
そして、ハッキリと言った。
「俺が片を付ける」
第14話
聖域には聖闘士となるべく修行を続ける多くの候補生達がいる。
その大半は十代の少年少女であった。
これには、少年期を過ぎた者の小宇宙の体得率が著しく低下する事が関係している。
聖域を守る雑兵の多くは、聖闘士を目指し修行を積んだ者達である。
その多くは青年から壮年であった。
少年期の内に小宇宙を体得出来なかった彼等にとって、聖闘士は絶対であり、憧れであり、夢であり、希望である。
聖域に於いては最下級とされる彼等ではあるが、修練により得たその力は“普通の人間に比べて”遥かに高みにあり、だからこそ自分達も『聖衣さえあれば』と思い願う。
その想いが自らを高める糧となるのか、妄執として枷となるのかは誰にも窺い知る事は出来ない。
聖域東側の城楼。
聖域を守るのは結界だけでは無く、この様な物理的な城壁がぐるりと周囲を覆う様に建てられている。
「くっ、ひ、怯むな! 怯んではならん!!」
物見台に立った雑兵――兵士長が声を張り上げる。
迫り来るギガスの徒兵を前に、城楼を守る兵士の気合の声が響く。
指示も何もあったものではない。
突然の襲撃に即座に対応できた者は極僅か。
「うおおおおおお!!」
眼前の恐怖から自らを鼓舞すべく、雄叫びを上げて立ち向かう兵士達。
「なんだあの鎧は!? 硬過ぎる!!」
「そっちに行っ――逃げ――」
雑兵に過ぎないとは言えやはりギガス。
人間を凌駕する身体能力、聖衣を彷彿とさせる鎧、倒しても倒しても立ち上がるその姿。
前聖戦からこれまでかろうじて保たれていた平和により、聖域の兵士達の多くは人ならざる者との戦いを経験していない。
「こ、こいつら痛みが無いのか!?」
「くっ、わあああ、うわああああっ!!」
突然の襲撃、未知なる敵に成す術も無く多くの兵士達が倒れる。
しかし、その犠牲は無駄ではなかった。
「敵は多くは無い! 一人で向かおうとするな! 三人で掛かれ!! 倒せない相手では!!」
そう、決して“倒せない”相手では無い。
数人掛りとは言えど確かに“倒せている”のだ。
その事実が彼らの闘士を支え――
「お前達は下がれ!」
大気を切り裂く拳圧がギガスの身体を弾き飛ばし、次いで白銀の輝きが兵士達の傍を駆け抜けてギガスへと向かう。
「ここからは我々の仕事だ!」
「おお!! 皆! 白銀聖闘士様だ!!」
.
戦場に現れた白銀の輝き――聖闘士達の姿が希望となる。
「貴様等の勝手がまかり通る等とは思わぬ事だ! 行くぞアルゲティ! ディオ!」
「応!」
「おうよ!」
巨犬座(カスマニヨル)の白銀聖闘士シリウスの堂々たる宣言に、ヘラクレス星座の白銀聖闘士アルゲティが、銀蠅座(ムスカ)の白銀聖闘士ディオが応じる。
先頭を走るのはシリウス。
白銀聖闘士屈指の敏捷性を持つ男。
「シリウス! 何人か抜かれているぞ!!」
天高く飛翔したディオが叫ぶ。
その星座が司る様に、ディオの得意とするのは空中戦であり、その跳躍力と滞空時間は白銀聖闘士の中でも上位に位置していた。
上空から見れば良く分る。既に戦域は聖域全体に広がっている事が。
「構うな、向こうはシャイナやモーゼス達に任せておけ!」
「俺達はここにいる奴等を叩きのめす! まとめて喰らえ、このヘラクレス星座アルゲティの必殺技を!」
目前へと迫るギガス達を前に、アルゲティがその身を屈めて地面に両手を突き刺す。
「そうれっ! 天高く舞い上がり叩きつけられて砕けろ!! コルネホルス!!」
コルネホルスとはギリシア語で棍棒を持つ者の意。
アルゲティは白銀聖闘士の中でも最も大きな体躯とパワーを持ったヘラクレス星座に恥じぬ剛腕の持主。
裂帛の気合と共に、ギガス諸共地面をめくり上げ天高く放り上げた。
「うおぉおおおお!?」
「ぐああああああっ!!」
高速で吹き飛ばされる事で身動きを封じられたギガス達は、受け身を取る事も出来ず舞い上げられた土砂と共に次々と地面へと叩き付けられる。
コルネホルスから逃れたギガス達も、体勢が崩れた隙をシリウスとディオに狙われ打倒されていく。
「おおっ!」
「凄い、これが聖闘士の力か!?」
劣勢からの逆転は兵士達の士気を否応も無く高めた。
「フッ、伝説のギガスとはこの程度か。精々が青銅レベルより、と言ったところだな」
「くくく、まあ所詮は過去の遺物だ」
それは、シリウス達とても同じ事。
かつて神々すら退けて見せたギガスとはこの程度かと。
この程度、その認識は間違ってはいない。
「お、おい。ちょっと見てみろよ。死体が……」
高揚に沸く中で、周囲を確認する余裕が生まれたのか、ある兵士が奇妙な事に気が付いた。
倒されたギガス達の身体が次々と土くれと化して砕けて行く事に。
「人間じゃ……生物でも無い? こ、こいつ等は!?」
――木偶よ
その“声”は、その場にいた者達全ての脳裏に響いた。
――貴様等虫けらを掃除するための
「――!? 巨大な小宇宙?」
「い、いかん! 避けろアルゲティ!! お前達も下がれッ!」
「う、うわあ――あああああっ!!」
「こ、これは!? 何だこの強大な小宇宙は!?」
「我が名は紅玉(アントラクマ)の鉄(ジギーロス)!」
それは、紅く輝く巨大な鉄鎚を持った、黒く輝く金剛衣に全身を包んだ巨人であった。
腕も、脚も、胴も、全てが大きかった。
「こ、コイツは!? こ、この小宇宙は我等と同等――いや、違う! これは、まるで――」
「光槌破砕!」
紅の輝きを放った鉄鎚が振り下ろされる。
耳をつんざく様な爆音と、目を焼かんばかりの閃光が周囲を埋め尽くした。
巨人の名乗りと共に振り下ろされた鉄鎚は大地を穿ち、光を放った衝撃波が水面に浮かぶ波紋の様に周囲へと広がり弾けた。
そして静寂が訪れる。
破壊の中心に悠然と立つジギーロス。
破壊の波濤は触れた物全てを粉砕していた。
岩も、城壁も、残っていたギガス達ですらも。
更地と化した足下の様子に、いつもの事だとさして気にするでもなくジギーロスは歩を進めた。
巨体の動きで風が吹き、その流れは粉塵を舞い上がらせる。
「う、ううぅう」
「……あ、ぐく……」
僅かながらも聞こえた呻きの声にジギーロスはその歩みを止めた。
「ほう」
その口から感嘆の声が漏れる。
粉塵が晴れた先には倒れ伏した白銀聖闘士達の姿。
聖衣は砕け、重傷を負ってはいたが、その身は城壁やギガスの徒兵達の様に砕け散ってはいない。
しかも、その後ろには、意識のある者はいなかったが聖域の兵士達の姿もある。
「我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したもの。だが――無力」
そう言ってジギーロスは鉄鎚を振り上げると、一切の躊躇をする事も無く振り下ろした。
聖域の外れにある修練場。
打ち砕かれた器材や赤に染まった地面、粉砕された石畳がこの地で起きた戦いの凄惨さを物語っていた。
この場にいたのは聖闘士を目指し修練を積んでいた若者達。
希望に満ちた声、情熱が生みだしていた熱気は全て失われていた。
時折り聞こえる怨嗟の、苦痛にむせび泣く声だけが辺りに響き渡る。
むせかえる様な濃密な死の香りが漂うその中心に、全身を返り血で赤く染めた巨人達の姿があった。
中世の騎士が身に纏った甲冑の様な黒い金剛衣に身を包んだ巨人と、白い甲冑の様な金剛衣に身を包んだ巨人。
そして、剣闘士を思わせる軽装な金剛衣に身を包んだ巨人。
「ヒヨコですらもっとマシではないか? 白(レウコテース)の風(アネモス)よ」
「そう言うな。育てれば卵を産む分、ヒヨコの方が遥かにマシだとは思わんか? 黒(メラース)の雷(ブロンテー)」
ハハハハハ、そう声を大にして笑う白と黒のギガス。
その様子を見て、候補生や兵士達は、あるいは恐怖に震え、あるいは悔しさに唇を噛み締める事しか出来なかった。
そう、彼らは“生かされて”いた。目の前の巨人達はいつでも自分達を殺せるのだと、その事がハッキリと分っていた。
瓦礫に半身を埋められながら、見ている事しか許されない男は涙していた。
死を恐れているのではない。
戦士となるべく聖域に来た時点でその事は覚悟していた。
悔しかったのだ。
絶対的な力を前にして余りにも無力な自分が。
恐ろしかったのだ。
このまま“何も成す事無く”死を迎える事が。
このままでは只の犬死。受け入れられる事では無い。
意味が欲しかった。どんな小さなことでも良い。戦士として生きると決めた以上、死ぬ時には意味が欲しかった。
(力だ! 何者にも屈さない圧倒的な力!! それさえあれば、それさえ……あれ……ば俺だって――)
「さて、では我等も動こうか。お前はどうするのだ、紅(ポインクス)の熔岩(リュアクス)」
「そうだな、ここにいるサコ共を始末してからオレも動こう」
「遊ぶのは構わんが程々にしておけよ? 我等の使命は聖域の破壊だけでは無いのだからな」
「分っている」
そう言ってアネモスとブロンテーがこの場を去ると、リュアクスは生き残っている者達の下へと向かい歩き出した。
(力、力、力、力、ちから、ちか――)
男が意識を失う直前に見たのは、醜悪極まる笑みを浮かべた暴力の具現たる存在であった。
「感じませんか、あの小宇宙を。貴女が無力と嘲ったエクレウスの小宇宙です」
「馬鹿な事を、あ奴は確かに我らが――」
デルピュネはそれ以上を言う事が出来なかった。
シャカの言う通り、結界越しにでもデルピュネには感じ取る事が出来た。
つい先程の事なのだ。忘れられる筈が無い。
忌まわしきヘルメスの従者の星を宿した男。
己の生み出した炎を水の力で消して見せた男。
劫火に包まれて焼け死んだ筈の男。
「そう、エクレウスの聖闘士は無事ですよ。おかしな事です。ゼウスすら封じたと豪語する貴女が、たかが一聖闘士の生死すら判断する事が出来なかった。
もう一度言いましょう。聖闘士を――甘く見ない事です」
シャカの言葉に嘘は無い。それはデルピュネにも理解出来ていた。
感情がそれを認めようとしないだけ。
内心に沸き立つ苛立ちを抑え込みながら、事実だけを冷静にとらえる事にした。
確かに、感じ取れる小宇宙はエクレウスのもの。
しかし、デルピュネは困惑していた。あの時あの場所で感じたものよりも小宇宙が強大になっている事実に。
そして――
「我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したもの。だが――無力」
そう言って鉄鎚を振り上げたジギーロスは、一切の躊躇をする事無く大地へと振り下ろした。
「光槌破砕!」
爆音が響き閃光が周囲を覆い尽くす。
衝撃は光り輝く波濤となって、全てを粉砕せんと倒れたシリウス達に迫る。
光を受けた者達はその身を砕かれて塵となる。
そうなる筈であった。
「……何だと!?」
振り下ろしたその手に握られたのは鉄鎚の柄のみ。
「紅玉槌が折れた? いや、この痕跡は――これは……まるで鋭利な刃物で切断されたかの様な!?」
その事実にジギーロスが到達した時、ドゴンッ、という轟音を響かせて背後に鉄鎚が落ちた。
「これ以上、無差別な破壊を振り撒かせる訳にはいかんのでな。先ずは、その武器を破壊させて貰った」
「……何者だ!」
聞こえてきた声に何者かとジギーロスが視線を向ける。
現れたのは、黄金に輝く聖衣を身に纏った巨漢であった。
「黄金に輝く聖衣、黄金聖衣。そしてマスクにある巨大な二本の角と聖衣に施された意匠。そうか、……貴様がこの時代の黄金の野牛か」
「人に名を尋ねるのなら、先ずは自分が名乗れ。それが礼儀だ。いや、所詮蛮族でしかないギガスに礼儀を求めても無駄か」
ならば、そう言って男はジギーロスに向かい真っ直ぐに歩を進める。
「この俺が――タウラスのアルデバランが、貴様に礼儀を叩き込んでやろう」
ジギーロスの前に立ち、両腕を組んだアルデバラン。
見上げねばならない巨人を前にして、その態度は大胆不敵。
まるで見下すかの様に悠然と言い放った。
それは、誰が見ても明らかな侮辱。
ジギーロスにとって、その姿は神をも恐れぬ許されざる不遜。
「虫けら如きが何たる不遜! 神をも恐れぬその厚顔を討ち砕いてくれるわ!!」
万死に値する。
激昂したジギーロスが掲げた両腕に紅い輝きが宿る。
その輝きは紅玉槌と同じ輝き。
「紅玉槌を破壊した程度で思い上がるでないわぁっ!!」
鉄鎚をそうした様に、ジギーロスは己の両腕を大地へと叩き付ける。
放たれる輝き、鳴り響く轟音。
「光腕破砕!!」
放たれた光り輝く衝撃破がアルデバラン目掛けて迫る。
「己の傲慢を悔いあらた――な、何だとぉおっ!?」
悔やめと、思い上がるなと言い捨てようとしたジギーロスの声が驚愕に震えていた。
全てを破砕する筈の破砕光が押し止められている事に。
腕を組み、不動のままのアルデバランの目の前で。
不可視の障壁。目の前の光景をジギーロスにはそう表現する事しか出来なかった。
「この程度の涼風で、このアルデバランが揺らぐと思うな!」
アルデバランの一喝。
それを合図として、不可視の障壁と光腕破砕のエネルギーが互いを打ち消し合い消滅した。
「う、うう、うおおおおおおおおおっ!!」
人は、己の理解の範疇を超える存在と対峙した時に恐怖を覚えずにはいられないという。
それを受け入れるのか、拒絶するのか。対峙したその先に取る行動にこそ、人の真価が現れる。
ならば、このジギーロスの上げた咆哮は、未知への存在に対する恐怖であったのか、それとも……。
「矮小な人間如きが! 神に刃向うと言うのかあぁあああっ!!」
「むうっ!? この速度は!」
無数に繰り出されるジギーロスの連撃。
巨体から繰り出されるその連撃の速度にアルデバランは驚愕する。
「そうか、貴様の闘法は鉄鎚を用いた物では無く――」
「我が名はアントラクマジギーロス! 紅とは血、鉄とは我が拳! この拳こそが紅の鉄よ!!」
矢継ぎ早に放たれる拳がアルデバランを捕える。
鋼と鋼が打ち合う様な音を響かせてジギーロスの連撃が続く。
アルデバランの足下が連続する衝撃と圧力に耐え切れずに砕け始める。
「ぬぅおおおおおああああああ!!」
「くっ、速い!」
砕けた大地は土砂となり、アルデバランを中心として舞い上がる。
「砕け散れ人間よ! 神に逆らった己の愚かさを悔やめ!!」
ジギーロスが振り上げた巨碗は言わば撃鉄。
その腕に込められた破壊の力を打ち出すための。
「光腕破砕!!」
破砕光を纏った拳がアルデバランに振り下ろされる。
ドンッ、という音が鳴った。
打ち出された光輪は拳を伝い、アルデバランの身体を包み込む。
圧力に押される様に、大地に巨大なクレーターが作りだされた。
「く、くくく、くはははははは――!?」
振り下ろされた拳は確かにアルデバランを捕えていた。
直撃。無事で済む筈が無い。粉微塵に砕け散っている。
(ならば、この拳に“感じている”手ごたえは何だ!?)
全てが終わったのであれば感じる筈の無い感触。
そこに在ると、ハッキリと判る感触。
「ば、馬鹿な……」
そこに在るのは、大地に根差す大木の様に、しっかりと大地を踏みしめて仁王立ちするアルデバラン。
「貴様の拳は確かに早く力強い、まさしく――暴力。だが、そんな拳ではこのタウラスを怯ませる事など出来ぬと知れ」
「我の拳が……効いていないと言うのか!?」
ダメージは有るのだろう。
よく見れば、聖衣の隙間から擦り傷や打撲の痕が見て取れる。
だが、それだけでしかない。
全身全霊を込めた一撃で“この程度の”ダメージしか与える事が出来なかった。
アルデバランが一歩を踏み出す。
ジギーロスが一歩下がる。
アルデバランが一歩を踏み出す。
ジギーロスが二歩下がる。
「冥府へと戻れギガス。地上に我等聖闘士が在る限り貴様等の好きにはさせん!!」
アルデバランの背後に浮かび上がる黄金の野牛。
それは、小宇宙の生み出す力のビジョン。
「神を騙る者よ。聖闘士が、このアルデバランが信じる神はただ一つ」
それは、極限まで高められたアルデバランの小宇宙が生みだす力の具現。
「女神アテナただ一人! 受けよ、タウラス最大の拳!!」
「う、うおおおおおおおおおおおおおお!?」
それは、抜き手を見せぬ居合の拳。
極限にまで高めた小宇宙を両腕に集束させて一瞬の内に解き放つ。
そこから生み出される衝撃波はあらゆる物を撃ち貫き破壊する。
それは破壊の暴風。
「グレートホーン!!」
その瞬間、ジギーロスは己に向かって来る黄金の野牛のビジョンを見た。
「た、耐えきれん! 押し切られ――」
堪えようとするジギーロスの眼前に迫る巨大な掌底。
「ぐぅわあああああああああああああああ!!」
感じた衝撃は一瞬。
風はジギーロスの巨体を包み込み、その身に纏う金剛衣ごとその存在を破壊した。