春。
気づけばすでに小学校も終わりである。
周りの同級生達の心境は、中学校への興味と恐怖が半々といった所だろうか。
当人達にとって、未知の環境へ放り込まれる事に対して戦々恐々なのだろうけど、既に一度経験した身としては、それ程変化が在る訳でもない。
少しばかり難易度が上がるだけだ。勉強も、ルールも。
えてして環境の変化なんて、思いの外すぐに慣れてしまう物だ。
先立って、厄介な事と言えば部活だろうか。
中学にもなるとなにかしらの部活に入らなければならない学校も多いし、体育会系の部活は上下関係が突然厳しくなるといえる。
あまりやる気のない身としては、活動の活発では無い文化系の部活にでも入って幽霊部員でもしていようかと思ったりもするが、同級生の『一緒に入ろうぜ!』オーラをかわす事が何気に難易度高いので、そう都合よく事は進まないかもしれない。
まあ、なるようになるさ。
結論はいつもと変わらず。
たとえ空にハンマーが浮いていたからといって、それが日常に与える影響なんて在りはしない。
あの日、天にそびえるビスケットハンマーを見つけた日から、俺の日常は変わった……なんてことはない。
リンカーネイションじゃなくてトリッパーだったとか、世界崩壊まであと数年だとか、渇望していた非日常だとか色々思う事は在ったのだろうと思うけど、俺が抱いた感想は一つだった。
なんでこんなマイナーな世界なんだろう。
そりゃ勿論、死亡フラグバリバリな世界とか、文明? 何それ食えるの? みたいな世界よりはよっぽど良いんだけど。
俺はテンションが上がるでも下がるでもなく、首を傾げながら家に帰った。
濡れ鼠のまま。
叱られた。親に。
あと泣かれた。小石に。
兎に角。
ここが惑星のさみだれの世界、ないしそれに類似した世界であると仮定した上で、状況を整理してみた。
この世界は魔法使いに狙われている。
それを防ぐはヒロイン:魔王さみだれ。付き従うは主人公:雨宮夕日。
どっちが勝っても世界は滅ぼします。
あれ、詰んでね? これ。
ガリガリとこれだけ紙に書いた時点でなんかエンディングテーマが流れる予感がした。
とりあえず続きを書いてみる。
他の登場人物:騎士12人-夕日(固定)
はい、余計な人間の入る余地は在りません。
俺はペンを投げた。
放物線を描いた後、先端が壁に引っかかり傷をつける。
それを見なかった事にしてドサリと布団に身を投げた。
意味ねー。俺やる事ねーし。ってゆーか最初からやる気も無いけど。
それにしたってこのガッカリ感は無いと思う。
登場人物と家族だったりしたら別かもしれんけど、明らかに一般人参加禁止な作品で一般人ポジとか無くね?
かといってこれで隠された13人目の騎士とかって設定現れたら羞恥心で死ねる。厨二乙。
あの作品って一般人どのくらい出てたっけ?
登場人物の身内以外だと、刑事さんにヤクザに学園関係者に浮浪者。
なかなか愉快な構成だ。
そしてアニムスとの戦いに手を出せる人間がいる訳も無く。
国家権力を動かせる相手にどうしろというのか。
布団の上で悶えながら一通り不平不満を脳内で吐き出した後、体を起こした。
まあ、とりあえず。
愛玩鳥人インコマンを見よう。
第1話 予定と未定
それから更に1年が経った。
別段問題も無く平凡に過ごしている。
中学に入ってから交友関係は特に増えていないが、小学校時代から気にかけてくれた友人に至っては、今も変わらず声をかけてくれているのはありがたい事だと思う。
部活動は適当に申請してほぼ毎日欠席している。
一度呼び出しを食らったが、正直にやる気がありませんと答えた所、そのまま放置してくれるようになった。
親切な人だ。見限るのが早すぎる気もしないが。
そんな訳で放課後はいつも暇だ。
ある日の帰り道、俺は一人トボトボと歩いていた。
トボトボといっても別に寂しそうだったり肩を落としていたりする訳じゃない。
夕暮れ時に一人で歩いている状態を表すのにトボトボという表現が相応しかっただけだ。
友達がいないとか学校で辛い事が在ったとか、そういうんじゃないんだからね!
キモイ。
脳内でアホな一人ボケをしてそれにツッコミを入れる。
カラスがアホーと鳴いた気がして、声につられて夕暮れの空を見上げた。
赤から紫に空のグラデーションが変化しても、目に映る造形には変化は無かった。
太陽が沈んでも、反対側から月が昇り星が空を覆いつくしても、ハンマーの姿は微動だにしない。
もしもあそこにロケットが突っ込んだら、ぶつかった人間はどう感じるんだろうか。
見えない壁に激突したと感じるのか、それとも原因不明の爆発を感じたとでも認識して、『ぶつかった』という認識は上書きされるのか。
誰かで試せば分かるかもしれないけど、自分で試す事はもう無理だ。
ハンマーが見えているという事は、自分は間違いなく普通の人とはズレているんだろう。
外れた頭のネジが戻るなんて、聞いたこともない。
つまり俺も、ありえない事を受け入れるバカの一人という訳だ。
騎士の席はもう無いけど。
皮肉なものだと思う。
憧れていた筈の『異常』を全部諦めて、全て『当然』と認識した為に、異常の仲間入りを果たす事になるなんて。
悲嘆にくれるような言い回しをした所で、残念、という程度にしか心は揺れないけれど。
諦観する心が直ぐに感情の波を静かにしてしまう。
期待を裏切られるのは嫌だから、必死に手を伸ばす事をしない。
退屈だ、退屈だと言いながら、それを変えようと努力なんてせず、偶然変わった出来事に出会えれば儲け物。
そんな後ろ向きな期待だけ抱いて、真っ直ぐ帰らず知らない道をフラフラしながら帰るのが、無趣味な自分の数少ない趣味と言えるだろうか。
視線を戻した。
「天川織彦くんだね」
「っ! ……?」
2メートル程先に、不審人物が立っていた。
かなり近くから突然声をかけられてわずかに息をのむ。
影から生え出たのかと思えるほど、突然の出現だった。しかし認識した時には、ここに存在しているのがあたかも自然であるように感じてしまい、困惑する。
老人……といっても、弱々しさとは無縁に思える強い声音をした男性。
トレンチコート姿の男性は帽子を取り、俺に向けて挨拶を……トレンチコート?
「私の名前は秋谷稲近。人呼んで……」
「師匠っっ!?」
容姿、そして名乗りによって相手が誰であるかの可能性に行きついた瞬間に、思わず声が出ていた。
この世界で自分の存在に気付きうる特殊な人物なんてそうはいない。
相手の自己紹介を遮るように叫んだ言葉に、彼は一瞬呆気にとられた表情をしていた。
「……く、くははははははははっ」
そして何とも楽しそうに笑い声を上げた。
その反応に、今度はこちらが呆気に取られていたが、彼の笑いがおさまる頃にはこちらも頭は落ち着きを取り戻し、俺はいつものやる気の無さそうな顔に戻る。
「そう、人呼んで『師匠』だ。はじめまして」
「あ、はい。はじめまして」
手を差し出されたので握手しながらの挨拶となった。
ん、なんかちょっと嬉しい。
気分は有名人と握手した気分というかなんというか。
なんといっても師匠だし。
そしてこんな時ついつい頭を下げてしまうのは日本人の性なんだろうか。
「ふふ……長く生きてきたが、押しかけ弟子以外で名乗る前からそう呼ばれたのは初めてだよ。
さて、織彦くん。突然だが、これから時間在るかな?」
「腐るほど在ります」
即答した。
むしろこれからの人生全部暇です、というのは場の空気を悪くしそうなのでやめておいた。
「では」
ぽん
「へ?」
ひゅんっ
「実は以前から君には会いたいと思っていてね。
丁度時間が取れたのでうかがった次第だ」
「はあ……」
喫茶店でコーヒーを飲みながら彼の話に相槌を打つ。
が、正直先ほど起こった出来事が衝撃的過ぎて未だ上の空だった。
彼が肩に手をかけてきたと思った瞬間には一瞬にして喫茶店の目の前に移り、そして促されるまま席について今に至る。
いや、頭では理解していたつもりだったが、実際に体験してみるとそのトンデモ具合は次元が違った。
もしも彼が全盛期にその力を好き勝手に振り回そうとしていたら、彼とてこの星を砕く事が出来たのかもしれない。
そう考えると、彼の人格が人間に友好的であった事は人類にとって奇跡にも等しい程の幸運ではなかろうか。
コーヒーを一口飲む。
今の思考はなんとも彼には失礼な物だったかも知れないなと思ったが、まあ口に出していないのだから構うまい。
仮に読心術を使えたとしても、相手の思考にまでケチを付けるのはいわば人格の否定であって、そもそも相手の思考を勝手に読み取るという行為が人権の侵害に等しい行いなのだからそれによって得た情報による名誉毀損の訴えなどという物は大きな矛盾であり、例えその気分を害したとしてもその感情をこちらに向けるのは見当違いと言わざるを得ない訳で。
壮絶に思考を脱線させる事で一息つき、一旦混乱をおさめた。
「さて、織彦くん。君は前世の記憶を持っているね?」
それを見計らったかの様に彼が本題に入った。
……ホントに読んで無いよね?
「はい」
「私の事も既に知っていた」
「はい」
一つ一つ、確認を取られる。
彼がピンポイントで質問をする事で俺は彼がどこまで知っているかを知り、俺が肯定を返す事で彼の確認も進む。
そうしてお互いの情報を整理した上で、彼は何を告げるのか。
「そして何より、君は……」
「はい……」
俺は、未来を知っている。何故ならこの世界とは別の……
「カジキマグロの騎士である」
「はいっ、俺は……はい?」
は?
一瞬、思考が止まる。
今何か、想像の斜め上を行く話を聞いたような気がする。
「俺が、騎士?」
「そう、君がなるのだよ。魔法使いと戦う、12人の騎士の一人としてね」
自分が、物語に関わる可能性の中で真っ先に除外していた物。
物語の中心たる騎士の誰かが欠けるなんて、想定していなかった。
「そんな筈は……だって、カジキマグロの騎士になるのは貴方でしょう?」
騎士が選ばれる基準は本人の素質による、という話だったと思う。
ならばそれは個人がどうこうした所で何とかなる物じゃ無い筈で、俺がそれを満たし、それが登場人物の誰かの位置を奪い取るほどだなんて誰が予想出来ようものか。
「そうだね。いや、そうだった、というのが正しいかな」
『だった』。
つまりその未来は確かに存在したという事だ。
そして今は違う、と。
だったらもう、この世界は俺の知ってる世界とはまるで別物になったのかもしれない。
なんだろう。この、ブックカバーと中身が別物だった気分は。……そのままだな。
「あの……最初から説明してもらえませんか?」
「勿論良いとも。年長者は下の者にその先を示すのが仕事だからね」
当然の様に彼は答えた。
疑問に優しく答える様子は、素直に年上の人間を敬えなくなっていた自分の眼にも、頼れる大人の姿に見えた。
「君は私の事は『マンガ』で知っているのだったね」
「はい……アカシックレコードって別世界の事まで分かるんですね」
「いや、分かるのは君の情報に連なる事だけだよ。どうやら君がこの世に生まれた日に、情報が上書きされたようだ」
「上書き? 追加じゃなくて、ですか?」
と言う事は俺の存在によって消えた情報が在る?
「心配しなくとも、君が誰かの人生を消したという事は無いよ。君の情報が書き込まれた事で、削れて変化した箇所は在るようだが」
心配は特にしていない。自分の意志で周りを押し退けた訳でも無いし、今更返せと言われた所で返す気もないのだから。
変化した箇所というのは、つまり彼の騎士としての役割と言う事か。
「じゃあ、貴方は死なずに済むんですね」
泥人形と戦う必要が無くなったのだからそう尋ねたが、彼は首を横に振った。
「私の役目は騎士としての役割に依存しない。子供達に教えるべき物は騎士としてのそれでは無いからだ」
穏やかな表情で、彼は死ぬと言った。
彼にとって、守るべき未来という物は子供達なのだろう。
彼らのために自分の命を使うならそれを躊躇う理由など無いのだと。
凄い人だ。
俺には誰かのためになんていう思想は持てそうに無かった。
「でしたら、俺の役割は無さそうですね」
秋谷稲近は、二人の子供のために戦い死んだ。
その役目は彼が騎士で在る無しに関わらず起こるという。
ならば、本来死人である筈のカジキマグロの騎士が埋めるような役割は存在しない。
納得のいく話だ。俺に渡されたのは、単に騎士という肩書きだけなんだろう。
「……」
俺の言葉に、彼は沈黙だけを返した。
「……あの?」
肯定か、否定か。
そのどちらかが来ると思っていたが、この反応は予想外だった。
「君は、この世界をどう生きる?」
「どうって……」
質問は抽象的な様で、しかしもっと深い所を問いかけているようだった。
どう答えるべきか。
耳障りの良い模範的な解答など彼は期待していないだろうし、かといって、適当に生きると返しても良いのだろうか?
「俺は……」
「……」
「特にやりたい事がありません」
「ふむ」
「だから何もしないと思います」
少し考え、正直に、言い回しだけ変えて答えておいた。
「そうか」
彼は目を閉じた。
しばしの間、沈黙が流れる。
俺の言葉に何を思ったのかは分からない。
彼は俺が転生した事を知っている。
つまらない大人だと思っただろうか。
いつまでも子供だと思っただろうか。
「君の存在で、世界は変わった」
「……」
「私の見ていた未来は、酷く曖昧な物となった。まるで、ノイズが混じったように」
彼は目を開き、俺の目を真っ直ぐ見つめた。
何処までも見透かすようで、俺には見えない何かを見ているようだった。
「君の選択で未来は変わる。君の心の真実が、世界を変えるのだよ」
「俺は何もしませんよ」
「それもまた、君の選択だ」
聞き分けの無い子供を優しく諭すように、彼は優しく俺の言葉を肯定した。
喫茶店を出て、彼と別れた。
外はもう夜だったから、空には月が昇っている。
少し長居し過ぎたな。
急いで帰ろうと歩き出した所で立ち止まり、彼が立ち去った方向に振り返った。
既に彼はいない。
きっともう会う事も無いだろう、そんな予感がした。
そして今日の出会いも、直ぐに日常に塗りつぶされる。
いつか彼が死ぬその日が来ようと、俺には関係無い。
俺は今生きている。
過去に死んだ。未来でもいつか死ぬ。
生も死も普遍。
なら何も特別なんかじゃない。
今日は走って帰ろう。
駆け出す直前、師匠の笑顔が脳裏に浮かんで消えた。