翌日の話。
アリサが学校に行って家に帰ってくるまでに俺はお医者さんの定期健診を受けた。
「怪我の調子はどうかな? 一郎君」
「先生までそう呼ぶのですね」
「違うのかね?」
「いえ……いいですよ。別に」
お医者さんに言われて改めて自分の名前、一郎の定着度に気付いた。
俺の名前は一応違う──実際には未だに分からないままだが、まぁこれはこれでいいんじゃないかなと思い始めてはいるのだ。
何より覚えやすいしね。
逆に言えば普通すぎてインパクトには欠けるかもしれないけど。
「怪我の治りは早いね、まるで野人のようだ」
「褒めてるのですか?」
「当たり前だよ。何を言ってるんだい? ああ、そうか頭が怪我してるから理解できないのかね」
「医者の発言とは思えませんね!」
「事実を言っただけなんだがね。医者は事実を患者に教えるのが仕事のひとつなんだよ」
「余計に酷いです!」
患者が俺じゃなければもしかしたら、相当落ち込んでるかもしれないよ?
俺だからこうやって話してくれるのかもしれないけど。
こういった検診兼カウセリングは実は俺の中では楽しい時間の有意義な時間のひとつとなっている。
俺の日々はアリサとしゃべるか、犬と戯れるか、この人としゃべるかだ。
アリサや犬はこの家に住んでいるので、遊んだりしゃべったりするのは当たり前だが、先生とはいかほどにと思うかもしれない。
しかし先生は見ての通り、聞いての通りお茶目っ気のある人だ。
明らかに患者に対する会話ではないのだけれど、逆にその会話が親近感を感じるのもまた事実。
彼曰くは、患者のケアも医者の仕事だからね、とのことだが、患者に悪口というか傷つくようなことを言うのも医者の仕事なのか?
さらさら疑問である。
こんな調子で、お医者さんとしゃべっていると時間は過ぎアリサの帰ってくるころの時間になる。
この時間になるとお医者さんは次の検診日を告げて帰る。
今日も今までどおりに、帰っていった。
そしていつもなら先生と入れ替わりにアリサが帰ってくると言うのが日常なんだが……、
「帰ってくるのが遅いなアリサ」
今日は帰ってくるどころか、家に帰る気配すらもない。
こうすると俺は非常に暇になるのだが、それ以上にアリサの身が心配になる。
鮫島さんが居るから万が一と言うことはない思うけど、ね。
それでも気になるものは気になるな。
俺にとってアリサは……なんだろう。
今まで考えたこともない疑問が思い浮かぶ。
今となっては、アリサの家に住み着いていると言っても過言じゃない状況で、例えそれが怪我が治るまでと言う条件であっても、居候に変わりなかった。
それは、アリサにとって俺が命の恩人であるからであり、俺にとってアリサとは?
「……友達、でいいのかな?」
俺とアリサはよくしゃべるとは思うし。
そこそこには、くだけて話をすることもある。
お互いの事情には関与せず、というか暗黙の了解的に深いところまでは関わろうとはしない。
アリサにはアリサの、俺に俺のといったふうに。
これ自体は俺の方がこの傾向が高いんだけどね。
主に、転生のこととか転生のこととか転生の……大切なことなので3回言ったんですよ。
そんな時だった。
俺の部屋のドアが開いた。
「に、逃げてきちゃった……」
顔を真っ赤にし半泣きのアリサが立っていた。
◆
さて、アリサが前々から‘気に入らない’奴と言っている人が居るのだが、その人の名前を俺は知らない。
単にアリサが好かない、程度にしか。
しかし、彼女は俺が寝ているベッドを涙でぬらしながら語っているのを聞くとどうも、アリサはなぜかその‘気に入らない’奴のことをよく知っているようだった。
それは単純に‘気に入らない’と言う感情だけじゃないからだろうと俺は思う。
‘気になる’のだ。
その人、その子の事が。
好きとか嫌いとかを除き、アリサが‘気にしている’存在なのだろう。
彼女の場合、本当に嫌いなら話すことすらも拒否するだろうしそいつの事を考えることなど拒絶するだろう。
その点から考えて俺の予想は正しいと思う。正しいものとして考える。
では本題、アリサのないている問題はその気になるあいつが関わっている。
それは学校での出来事だったらしい。
アリサは俺に言われたとおりに、気に入らない奴に構おうと、絡んでいこうとしたらしい。
この行動からみても、やはり‘気にしている’ようだった。
ここで口論となってしまったらしい。
詳しい話をアリサは語ろうとしないので、結果しか分からないのだがなんとなく想像は出来た。
つまりアリサはちょっかいを出したのだ。
それは、まるで気になる女の子に手を出す男の子のように。
悪い予想が当たってしまったな。
ただ暴力は振るってないみたいだからそこまでの問題ではないかもしれないけど。
それでも何にちょっかいを出したかによっては大問題だ。
例えば……大切なもの、とかね。
アリサは続きを話す。
涙声で、擦れるような苦しそうな声で。
「その時に、他の奴が来たのよ」
そのほかの奴。
そいつはアリサを叱咤し、バシンと一撃、平手打ちを頬に食らわせたと言う。
「『分かる!? でも大事な物をとられちゃった人の心はもっともっと痛いんだよ!』だって。その言葉を聞いて、また口論に……なっちゃった」
嗚咽すらも聞こえてくる俺とアリサの距離。
実際に分かるはずのない悲しみが直に伝わってくるようだった。
アリサはこの言葉を聞いて逆上したのか?
違う……アリサはそこまで愚かでもないし、元々聡明な子だと俺は知っている。
だからたぶん……
「分かっていたのよ!! 分かって……た。私が悪かったのも……でも」
止められなかった。これ以上また傷つけるかもしれないそう思った。
だから、逃げてきてしまった。
アリサは後悔している。
なぜ正直に成れなかったのかと。
どうして、こうなってしまったんだろうと。
もっと、もっと自分がしっかりして話しあっていれば……
「友達が……出来ると思ったのにね……。私ってバカよね。本当な心のどこかであの子……すずかって子と私がどこか近いものがあってなんとなく、なんとなくだけど友達になれると思っていたのに」
本当に私のバカ。
ここまで一気に語り、そして泣き崩れた。
ベッドのシーツを千切れるほどに強く握り捻り、悲しみと後悔を涙にして。
アリサが話したいことはこれで全部かな。
結局アリサは友達が欲しかった、そうだよね。
なら、答えは簡単じゃないか。
雨降って地固まる。喧嘩するほど仲がいい。
後者は若干違うかもしれないけど、それならこれは逆に……チャンスじゃないか?
だからここからは俺が少しアドバイス。
転生前の記憶の中にある思い出の欠けた知識と言葉でアリサを……。
「失敗したと思ってる?」
俺が急にしゃべりだしたので、アリサは少しビックリしたようにビクッ身体を震わせたが、顔を上げずに頭を少し上下に動かす。
肯定の意だった。
分かってるじゃないか、自分でやったことを。
なら何を悩んでいるんだよ。
そう言ってやりたかった、けどそれではアリサに届かない。
素直になれないアリサには届かない、だから
「なら挽回しなくちゃな」
「…………」
「サッカー選手だって自分がミスしたらその分を取り返すために必死にプレイするんだ。
ミスをしたマイナス分をプラスにするために。
ミスしたら手遅れなんじゃない。ミスしたからこそ燃える物だってある。ミスしたからこそ起きる奇跡だってある」
「…………」
「問題はそのポジティブな発想。逆転への発想が出来るかだ」
ただ塞ぎ込むのではなく、だったらその分を取り戻すと言うやる気。
今回の出来事については手遅れなんて言葉はない。
学校でまだ小学一年生、やり直しはきく。
人生にやり直しはきかないが友情にはやり直しなんてつき物だ。
「アリサ……言っていることが分かる」
頭を左右に振る。
「分からない」と答えたということだ。
「ならもっと分かりやすく。単純な話だ謝ればいい。昨日はごめんね、本当は友達になりたかったと言えばいいんだ」
フルフルと、身体を震わせる。
握っていたシーツをさらに強く握る。
そんなこと……出来ない。そう言っているように見える。
でも、だからこそ。
「素直に謝ればいい。アリサは素直になるのが苦手そうだから難しいだろうけど。でも、それが最も近道だ。友達に……なりたいんだろ? ピンチは最大のチャンスさ」
「……うん」
かなりの間が開き小さな声で答えた。
色々考えたのだろう、そして現実を見た。
俺が言わなくても本人分かっていたんだと思う。
だからこそ最後の一押しが必要だった。何かのきっかけが必要だった。
それがたまたま俺だったというだけで、誰でもいいはずだ。
ただアリサは家に俺がいると言う環境のために、現実から逃げて帰ってきた。
俺がいなくても解決は出来ただろうしむしろいないほうがよかったのかもしれない。
でも……そんな事を考えても仕方ない。
もしかしたらその逆だってあったわけだ。
「……ありがとう。おかげで目が覚めたわ」
「礼には及ばないよ。今も世話になってるしね」
「……そうね。なら礼は言わないけど感謝はしてるわよ」
「まぁ余計なお節介だろうけど」
「ふふ、なんかお兄ちゃんみたいよね。実際どっちが年上かも分からないけど」
「ならお兄ちゃんってい──」
「言うわけないじゃない、バカ!」
アリサにいつもの調子が戻ってきたようだった。
よかったよかった、これで何一つ心配もない。
あとは、いつこの家を出て行くかだね。
怪我もあと一週間もすれば治るだろうしね。
「でも、一郎には助けれてばっかしね」
「それは例の子と友達になって言うんだな」
「う……分かってるわよ。でも、ちょっと安心した」
「うん? なにが?」
「ううん、もし一郎にまで怒られたら私は……」
そこまで言いかけて、なんでもないわと言う。
すごく先が気になるセリフだが、聞きたい気持ちはあるけど、聞かない。
たぶんその先はアリサの正直な気持ちだから胸の内にでも隠しておくといい。
そして、なんだかシリアスっぽくなってしまったので、
「お、アリサの顔が真っ赤だ」
「な、何よ! 顔が真っ赤だなんなの!?」
「いや、なんか恥ずかしい事を考えていたのかなと思ってさ」
「そそそそ、そんなわけないじゃない!」
あれ、図星だった?
いつもより慌て方が異様と言うか異常なんですけど。
そんなに恥ずかしい事を考えていたのだろうか……。
というか、俺が想像、もとい妄想するのも恥ずかしいです。
「べ、別に今日は寂しいからここで一郎と寝ようと思ってるわけじゃないんだから!」
「俺と寝たいの?」
「ち、違うわよ! 誰があんたなんかと」
「そうか……そこまで否定されると傷ついちゃうな」
「え……」
「アリサは俺と一緒が嫌だ何て……知ってたけど本人の口から言われるとショックだな」
「そんなこと言ってないわよ!」
「え? そうなの?」
「うっ……今日は少し寒いから、誰かが暖房代わりに一緒に寝てくれたら暖かいなと思っただけよ!
あんたと一緒に寝たいんじゃなくて、私が寒いから私の都合でそうなるだけ」
「……ツンデレ?」
「誰が、ツンデレですって!? 別に私はツン何てないわよ!」
「じゃあデレるの?」
「誰がデレるかッーーー!」
「痛っ! だから頭はデリケートだから叩くなっての」
ツンドラじゃないかと言う言葉が喉まで出かけたが、またアリサを怒らせるだけなので黙っておいた。
ちなみに今年は温暖なので寒いって事はない。
俺はこんなアリサを弄り遊び、気付けば寝る時間となっていた。
アリサはなんだか恥ずかしそうに頬を染めながら俺の部屋にやってきて。
寒いわと一言言って、俺の布団に潜り込み結局二人で寝た。
さらにアリサは俺の腕に抱きつき、丸くなりながらすぐ隣ですやすやと気持ちよさそうに寝ていた。
その顔は年相応の子供らしくすごく愛想溢れるかわいい姿だった。
しかし、俺は逆に寝ることが出来なかった。
別にアリサを意識して寝れなかったわけじゃない。
そう、俺は暑すぎて寝れなかったのだ。
◆
一週間後。
それは俺の怪我を治すには十分な時間であり、アリサが変化するにも十分な時間だった。
結果から言えばアリサは仲直りすることが出来た。
無事で何より、それが俺の中で一番最初に思い浮かんだ言葉だ。
何故かこの件で、アリサのお父さんに感謝されたが未だに疑問である。
実はアリサに友達が居なかったとか? そんなわけないか。
アリサは家に帰ってくるなり、よく学校の事を話すようになった。
それは楽しそうに楽しそうに、毎日が充実しているかのように……羨ましいことだ。
だからと言ってまた学校に通おうとは思わないわけだが、得てして聞いているだけだと行きたくなるのは不思議なものだ。
今日も今日とてアリサは学校に行っている。
だから、こんなチャンスを逃すはずがなかった。
アリサたちには十分に世話になった。
世話になりすぎたと言っても、おかしくはないほどに。
ここで暮らした僅かな時間は、俺の先の見えない暗雲な人生の中では輝しい希望の光に溢れたもので、憧れるものもあるが……。
やはり、いつまでもお世話になるわけには行かないわけで、できれば礼の一つでも言っておきたいのだが……それだと引き止められてしまいかねないので俺がここで……。
だからせめてもの意思表現として置手紙をする。
『実は俺……ダンボールハウスに憧れてるんだ』
{お医者さんの顔はきっとカエルが(ry……もしくは顔がつぎは(ry}