最近、王都では大きな騒動があった。亜竜が王都から2日ほど離れた場所にある山に現れたのだそうだ。亜竜は翼を持ち、空を飛ぶことができる。おそらくその気になれば、王都にも飛んで現れただろう。それが無かったのは、近郊の村を先に襲ったからなのだそうだ。
被害は大きく、村が王都に急ぎ注進した結果、王家から巨額の報奨金と共に名うてのパーティーを複数雇い入れ、亜竜に当たらせたのだという。
なんでそんな事を知っているのかと言えば、最近よく店に顔を出すようになった新しい常連さんであるところのメリッサさんが、その『有力なパーティー』の一員であるからである。あまり自画自賛を好まない人らしいが、聞かれれば教えてくれる人でもある。という事で、僕は亜竜との戦いについても、一通り聞かせてもらっていた。
正直、僕はその場に立ち会わなくて本当に良かったと思っている。
名うてのパーティー3組が合同であたり、辛勝したのだというから相当の物なのだろう。
「ほっほっほ。まあ、亜竜を初めて相手にするなら、そんなもんじゃろ」
イルク爺さんが笑いながら、お茶を飲んでいる。
その前に座ったメリッサさんは、そんな爺さんに苦笑いで頷き返していた。
「確かにその通りですわ。事前に打ち合わせた事も、竜を前にしたら頭の中が真っ白になって――本当に、未熟さを思い知らされます」
なんで爺さんにそんなに丁寧な態度なんだろう、と思う僕だが、先達に対する敬意なのだろうか。
「かーっ。見たか、クロエ坊。このお嬢さんの殊勝さを! お前さんも見習わんか」
「それを爺さんに言われるのはどうなんだろうなあ!」
店は今日も平穏である。
道具屋さんの一日 その4
イルク爺さんがのんびりとお茶を啜り、メリッサさんがその前に座って上品にお茶を飲む。その隣にリンさんが座り、本を読んでいる。
いつからこの店が喫茶店の類になったのだろうか、と頭を悩ませそうになる光景である。まあリンさんもメリッサさんも美人なので、目の保養にはなるのだけれど。
「クロエー。お茶ー」
そしてリンさんは本から目を離すことなく、そんな風に要求をしてくるのである。
「はいはい。お二人はどうされます?」
「おう。貰うぞい」
「……あ、ええと。ええ、お願いしますわ」
当然のように頷く爺さんと、ちょっとだけ戸惑った様子を見せるメリッサさん。この二人がなんで仲良くお茶を飲んでるのかが、今でもよく分からないのだけれど。
お茶を注ぎながら、思わずそれを尋ねてしまう。するとメリッサさんが、驚いたように目を見開いて僕を見上げてきた。
「呆れた。知りませんの? イルク殿のこと」
「え。いや、近所の酒場の元店主で、今は楽隠居の爺さんだって事は知ってますけど」
あと、孫にはものすごく甘い。
ほっほっほ、と笑っている爺さんを横目に、メリッサさんが妙に興奮して言葉を続けてきた。
「イルク殿は、30年前に亜竜の大群を相手に一歩も引かなかった『黄金の獅子』のお一人ですわ! かつて剣聖とまで呼ばれた長剣使い。うちの剣士も、イルク殿がここに居られる事を知れば、飛んできますわよ!」
イルク殿が教えないように頼んでいるから、今はこうして平穏ですけれど。そう言ったメリッサさんの言葉に、僕は唖然となる。
爺さんが高名な冒険者であった、と?
「……えー。なんかそれ、信じがたいんですけど……」
なんせ僕がこの店で働くようになったのは、4年前だ。その頃にはすでに爺さんは爺さんだったし、冒険者などという職に就いていたようには見えなかった。酒場の老主人。娘婿に店を譲り、楽隠居した爺さんだったのだ。
「そんな事はありませんわ! そもそも、イルク殿がその気になれば、王立騎士団の顧問職とて――」
「まあまあ、メリッサちゃんや。その辺にしておいてくれんかのう」
興奮冷めやらぬメリッサさんを押さえるように、爺さん。だが僕は気付いていた。爺さんの小鼻が得意そうに膨らんでいることを。この爺、格好つけてるけど褒められて得意になってるのは間違いない。
「ふふ。まあ、イルクが引退したのは随分前だものね。確か、その亜竜の群れとの戦いの後でしょう?」
「まあのう。さすがにガタが来たからのう」
リンさんが微笑む姿に、爺が照れる。いや、なんでそこで照れるかなあ。
「この辺りでもイルクが冒険者をやっていた事を知っている人は、ほとんど居ないわ。だからクロエが、イルクの事を酒場のお爺ちゃんだって思っているのは、間違いじゃないのよ」
「はあ」
ですよねえ、と僕。実際、爺さんは人望はある、と思う。町内の人は何かあれば爺さんに話を持って行くし。でもかといって、爺さんがメリッサさんの話に出てくるような英雄かと言われると、それには首を傾げてしまうのだ。
「英雄っていう物は時間と共に神格化されるものよ、クロエ」
リンさんはそう言ってウィンクする。
メリッサさんはまだ不満そうだけれど、とりあえず爺さんが否定しないので口を挟むつもりは無いようだった。
「それに剣聖などと呼ばれたとしても、儂はまだまだじゃったよ」
ほっほっほ、と笑う爺さんは、なんだか妙に誇らしげだ。
「確かにあの当時の儂は強かった。それはもう、自信を持っていえるぞい? じゃが、それだけじゃよ。強いが――それだけじゃ。たった一人で運命を覆せるほどの力は無い。儂はあくまで人間にすぎんかった。――『剣』では、なかったよ」
けれど少しだけ爺さんが寂しそうに見えたのは、気のせいだったのだろうか。
そして、安堵しているようにも見えたのも。
† † †
「……『剣』ってなんですの?」
メリッサさんが不思議そうに首を傾げる。爺さんの口にした言葉が気になったらしかった。
剣。つまり武器という事か。剣の神髄に至れなかったとか、そういう事なのだろうか。
「メリッサさんは、レムリアース1世陛下の事はご存じよね?」
そんなメリッサさんに答えたのは、リンさんだった。
眼鏡越しの瞳が、人に教える時の先生モードになったリンさんの目になっているのが分かると、僕は諦めて拝聴する事にする。実際、気にはなったし。
「え、ええ。このフリスタリカの建国王ですわ。そして、竜殺しの英雄」
「そう。フリスタリカの建国譚は教えたわよね? クロエ」
「はあ。確か500年くらい前の話、ですよね。竜王フリスタリカの餌場だったこのインゴバルド大陸中央部が人間によって開拓されたのは、竜王を打ち倒した人間がいたからだ、って」
リンさんは、したりと頷く。
「その通り。かつてこの大陸中央部は肥沃で広大な土地を山と海に囲まれていながら、人間が入る事は無かったわ。なぜか。その理由は簡単。竜王と呼ばれた強大な古竜、フリスタリカがこの地を餌場としていたからよ」
◇
竜王とは人間が名付けた畏怖の名だった。竜の中の竜。王の中の王。人間がどう逆らっても、無慈悲に蹂躙する暴虐の王。だがそれは竜という種からすれば、当然のことだっただろう。脆弱な人間も、生まれつき強大な魔力を持つエルフといえども、竜に抗うなどという事はできなかったのだから。
その結果、大陸は中央で大きく分断された。人間は細々と狭い大地の中で暮らし、そしてそんな小さな土地を争って戦争をしていた。結果、人間は滅びる寸前だったのだと、リンさんは言う。
エルフはまだ良かった。彼らは人間よりもその絶対数が少ない。そして、戦争などというくだらない行為に命を浪費する事は無かったから。だが人間は違った。その行為がどれほど愚かに見えても、人間同士で諍い殺し合い、そして滅亡への道を邁進していたのだ。
そんな最中、一組の冒険者パーティーが現れた。彼らはたった4人で竜に挑み――そして竜を殺した。絶大な力を持つ凶王、暴虐の主、大陸の中央に鎮座した竜王フリスタリカを殺した。殺し尽くしたのだ。
それこそが建国王レムリアース1世。『学院』の創始者、賢者クルド。『教会』の聖女マリアンヌ。そして、名の伝わらぬ『魔法使い』。
彼らは竜王の名を冠した国、フリスタリカをこの土地に建国した。
「レムリアース1世こそは、人間という種の『剣』だった」
リンさんは、静かに告げる。
「『剣』とは種が滅びに瀕した時、種の全てを賭して産み落とされる存在。嵐に立ち向かい打倒するための力なの」
滅亡の危機に瀕した種族が、滅亡を回避するために原因を打倒せんと産み落とされる、絶対の強者。けれども、今もこの世界ではきっと数種の生物は滅びているのだろう。
「そんなのが生まれるなら、滅びる種族がそんな居るはずが」
「その通りよ。でもね、『剣』が生まれる可能性は本来、途轍もなく低いの」
だからこそ、そのまま滅びる種がいるのだ。『剣』が生まれることすらない種は多い。そして例え生まれたのだとしても、滅びを絶対に回避できる訳でもない。
滅びの前に、逆に打倒される『剣』とているのだ。
「人間という種の異常さは、ここにあるわ。人間が産み落とす『剣』は強い。圧倒的なまでに」
運命を覆すほどの力。そんな物がホイホイ生まれるはずが無い。だが人間には、それが生まれる確率が非常に高い。そして生まれた剣は―――圧倒的に強かった。
「それこそ、竜王すらも打倒するほどに。この世界における最強をすら、『剣』は屠ってみせた。魔獣がはびこるこの世界で、人間が未だに世界の中心で栄えている理由は、それなのよ」
◇
「つまり、『剣』っていうのは」
「規格外の化け物。人を超えた存在よ。それこそ物語の英雄のような存在。問題はそれが生み出されるのは――」
「滅びが近づいた時……という事ですわね」
僕のつぶやきにリンさんが答え、そしてメリッサさんがまとめた。
「いやいやいや! それってつまり、爺さんが『剣』じゃなくて良かったって話じゃないですか!」
「ほっほっほ。確かにのう。だがの、クロエ。儂とて男じゃ。剣で身を立て、いつしか剣聖とまで呼ばれた。そんな自分じゃからこそ『剣』の強さに魅入られ、そして絶望したのじゃよ」
どれほど自分を磨き上げ、研ぎ澄ませようとも。
『剣』には届かない。そう思えてしまうからこそ、爺さんは剣を置いたのか。
「……まあそれにの。今の『剣匠』のほうが、往年の儂よりも強いしの」
剣聖などと呼ばれて調子に乗れる時期は案外短かったのじゃよ、などと。爺さんは笑って話を締めくくったのだった。
気がつけば外は夕日で赤く染まっていた。窓から差し込む夕日で店内も赤く照らされている。リンさんの黒髪は夕日で明るく照らされ、メリッサさんの金髪も燃えるように輝いている。爺さんのつるりとした頭が照り返していた。
「お爺ちゃん、いるー?」
勢いよく開く扉。そこから顔を出したのは、ガーネットだった。
「おう、ガーネット。もうそんな時間かい」
爺さんは途端に相好を崩し、立ち上がった。
「さて、そろそろお暇しようかの」
そしてガーネットに歩み寄ると、こちらを振り返った。
「のう、リン。『剣』になれなかった事を、今の儂は嬉しいと思えるようになったんじゃよ」
「……そうね。きっとそれで良いのよ」
頷き返したリンさんと爺さんを、僕らはキョトンとして見比べるしかない。
そして、ガーネットはリンさんと僕の間に立っているメリッサさんを見て、首を傾げていた。
「さて、私もそろそろお暇いたしますわね」
メリッサさんもそう言って玄関へと歩き出す。
「では、皆様。ごきげんよう」
そして、颯爽と店を出て行く姿を、僕らは見送る。
「あ、あの。お爺ちゃんがお邪魔しました!」
「ほっほっほ。行くかの、ガーネット」
ぺこりと一礼して、ガーネットと爺さんが店を出て行くのを見送って、僕はため息を一つ吐いた。
結局、今日は売り上げゼロか。そう考えつつ、店じまいの準備をするのであった。
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そんなわけで、ちょっとだけ建国譚と世界について。
説明ばっかりですね、今回。
>死亡フラグ
メリッサさんにそういうつもりが無いので、きっとフラグにならないのですw
単純に防御用アイテムを借りた程度のつもりでしかないのです。今んところ。