――身体が動かない。
また、この夢だとアリシアは定まらない思考の中で思った。
あの日、自分が生き返ったと知らされた時から時々見る悪夢。
見慣れた天井に見慣れた部屋。
今はもうない自分の部屋なのに、そこにもう懐かしさは感じなかった。
この夢を初めて見た時は動転して、声も出せずに泣き叫んだ。
何度も見る夢に今は多少落ち着いていられる。
金縛りにあったようにぴくりとも動いてくれない身体。
凍えるように寒い空気。
青白い光が照らす薄暗い光景。
そして不気味なほどの現実感と息苦しさ。
パニックになることはなくなってもが、不快感を感じずにはいられない。
――そうだ。リニスはどこだろ。
何度も見たおかげで苦しさを感じながらも余裕を持って思考する。
身体は動かない。
せめて視線だけでも、と思って動かす。
ぐらっ、まるで自分の身体じゃないように力なく首が横に向く。
視界が一転して、部屋の内装、それと自分のすぐ横に丸くなっているリニスを見つけた。
「………………」
声を出そうとしても余計に苦しくなるだけだった。
それでも、懸命に声を振り絞る。
「…………っ」
しかしどうしても声は紡げず、手を伸ばすこともできない。
――リニス。
せめて応えて欲しいと思う。
だが、リニスはぴくりともしない。
――ああ、そうか。
唐突にアリシアは気が付いた。
この夢はあたしが死ぬ時のものだ。
リニスが応えてくれないのはもう死んでいるからで、こんなにも苦しいのは今まさに死ぬ瞬間だからなのだろう。
――死ぬっていうのはどんなものだろ。
取り乱さないのはそれをすでに一度体験しているからなのだろうか。
死んだ実感なんてないのに、こんなにも怖くて心が震えているのに、泣き叫ぶ気力が湧いてこない。
ただ一つ思うことは――
――死にたくない。
理屈など関係なくアリシアは叫んだ。
――これは夢だ。
そう言い聞かせて、起きようと念じる。
しかし、悪夢から目を覚ます兆しはない。
そして思い出す。
いつもこの悪夢から目が覚める時にはママかソラのどちらかが必ずいてくれた。
でも、二人はもういない。
もしかしたら、という考えがアリシアの不安を掻き立てる。
――誰か!
声にならない叫びを上げる。
それでもママの手の温もりもソラの声も聞こえない。
一人。
絶対的な孤独の不安にアリシアの精神が限界まで張り詰める。
耐えられない。
こんな死の恐怖なんて耐えられるわけない。
正気を保っていられたのは慣れがあったから、それも結局は短い時間しかない。
――助けて!
「…………ア」
願いが通じたのか不意に誰かの声が耳に響いた。
そして何度も感じた引っ張られる感覚。
「……リシア」
それに伴って声は鮮明に聞こえてくる。
――あれ? この声……誰だったけ?
聞き覚えがあるはずなのに咄嗟に出てこない。
そして、その答えが出ないままアリシアの意識は覚醒した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
フェイト・テスタロッサはドアの前で固まっていた。
ドアの向こうにはアリシアがいる。
それを考えるとどうしても緊張してしまう。
もうすぐ朝食の時間。
早朝の軽い訓練をみんなで行い。
まだ起きてこないアリシアをリンディが起こしに行こうとしたところを気付いたら自分が名乗りを上げていた。
「…………はぁ」
思わずため息がこぼれる。
正直、アリシアに対する気持ちは複雑だった。
彼女が生き返って自分の前に現れるなんて思ってもみなかった。
そして彼女は闇の書の中で会った彼女とは別人で、あれが自分勝手な夢だったと突き付けられた気分だった。
もちろん、あのアリシアが悪いわけではない。
それでも、と考えてしまう。
あのアリシアは本当のアリシアではない。
考えるまでもない。魔法を使えるのだから本当のアリシアであるはずがない。
それでも彼女はアリシアを名乗ることを許された。
「どうして……どうして、わたしじゃだめだったの?」
思わず呟く。
紫電の魔力光じゃなかったから。
SSSランクの最高の魔力がなかったから。
半年でサンダーレイジを使いこなすことができなかったから。
もし、あれほどの才能が自分にもあったなら認められたのだろうか。
そんな風に思ってしまう。
「はぁ……」
思わず暗い思考が過ぎる。
あのアリシアを倒せば自分は認められるかもしれない。
頭を振ってすぐにそんな考えを否定する。
ソラが言っていた。
わたしは認められていた。
その言葉が嘘でなかったと信じたい。
「…………よし」
気を入れ直してフェイトはドアを叩く。
「アリシア……起きてる?」
ノックをするが、返事はない。
「アリシア?」
もう一度呼んで、フェイトは開閉パネルに手をかざす。
「アリシア……起きてる?」
自然と声をひそめて尋ねる。
「…………………フェイト?」
遅れて声が返ってくる。
ゆっくりとした動作で上体を起こすアリシア。
今ちょうど起きた様子だった。
「うん。もうすぐご飯だから……その、呼びに来たの」
近付いてフェイトはそれに気が付いた。
アリシアの顔色が蒼白で汗もかいている。
「どうしたの?」
「あはは……ちょっと怖い夢を見ただけ」
力のない声はかすかに震えていた。
「……どんな夢だったの?」
フェイト自身も悪夢は時々見る。
それはプレシアに真実を告げられた時のもの。
あの時のことは今でも胸をきしませる。
「気にしないで……すぐに行くから先に行って」
「でも……」
「お願いだから……先に行ってて」
強い拒絶の言葉にフェイトは伸ばした手を止めた。
「お願いだから……見ないで……」
シーツにくるまってうずくまるアリシアにフェイトは伸ばした手を戻す。
かすかに震えている白い山に追究することはできなかった。
「分かった……それじゃあ……待ってるから」
ほとんど逃げるようにフェイトは部屋から出ていく。
「…………ママ……」
ドアが閉じる瞬間にもれたアリシアの呟きが、フェイトの心をきしませた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本日の予定。
午前中にショッピングモールで買い物、昼食。
午後には海鳴への帰路に着く。
「G」との遭遇による怪我から入院し、みんなが退院したその日にフェイトがソラと模擬戦を行い。
そして、アリシアとクライドの生還。
文化の違う次元世界ではどんなものが売っているか楽しみではあるが、それを楽しむ余裕はなかった。
「なー……なのはちゃん」
「……うん」
それに加えてこの場に満ちる重い空気が気まずさを濃くする。
はやての座る車椅子を押しながらなのはは背後を窺う。
最後尾にはリンディとアルフが歩いている。
自分たちと彼女の間を歩いているのはフェイトとアリシア。
それも間に一人分の空白を作っている。
互いのことを気にかけているのは分かるが、その微妙な距離感と沈黙が傍から見ていて苦しかった。
「まー流石に下手なこと言えんしな」
アリシアとの距離を掴めないのははやてもなのはも同じだった。
彼女に対して思うことはなくても、フェイトを差し置いて馴れ馴れしくするのも憚られる。
かといってアルフの様に露骨な、それでも本人たちが気付いてない、敵意をむき出しにすることもできない。
「でも……このままなんてやだよ」
「そやな」
そう考えるとこの買い物は絶好の機会に思えた。
しかし――
「このぬいぐるみかわいいね、フェイトちゃん、アリシアちゃん」
「うん……そうだね」
「うん……そうだね」
「このアクセサリきれーやな。ペアみたいやし二人とも付けてみたら?」
「いいよ、別に……」
「あんまり興味ない……」
「フェイト、あ……アリシア、この肉うまいぞ食ってみろよ」
「ごめんアルフ。もうお腹一杯」
「あたしも……」
あの手この手で話を振っても二人はずっと上の空で答えるだけだった。
買い物の間、そして今の食事に至ってもずっと続いている光景に三人はうなだれてしまった。
「これはかなりの重傷みたいね」
今まで見守っていたリンディが頬に手を当てて唸る。
「……なのははもう駄目です」
「うちも白旗やー」
「リニス……不甲斐ないあたしを許しておくれ」
三者三様で突っ伏す。
思考に没頭するフェイトがこんなにも手強い相手だとなのはは思わなかった。
しかも、アリシアも同じような反応しかしてくれないからどうしようもない。
「……撃てばちゃんとお話聞いてくれるかな?」
何を、とは言わなかったがはやてとアルフがその呟きに顔を上げる。
「ナイス提案やなのはちゃん。さー今すぐズドンッと」
「これもフェイトのためなんだ。アリシアの方は別に遠慮しなくてドカンッてやっていいけどさ」
「やめなさい」
レイジングハートに手をかけたところでリンディがなのはを止める。
それに不満そうな顔を返すとリンディは溜息を吐く。
「しかたがないわね」
その呟きに期待が膨らむ。
今まで静観していただけだったが、大人である彼女なら二人の仲を取り持つくらいわけないと思える。
「ところでアリシアさん、ソラ君のことなんだけど」
しかし、その口から出た言葉に絶句する。
プレシアとソラの話題は地雷だと思って避けてきたことを平然と口にするリンディが信じられなかった。
現にソラの名前が出てアリシアの身体が目に見えて震える。
そして、それはフェイトも同じだった。
しかし、リンディは五人の反応を気にせず優しい笑顔のまま続ける。
「彼の能力について何か知らないかしら?
プレシアさんのことを聞き出すのにどうしても戦闘になりそうだから対策を考えないといけないのよ。
それにフェイトも再戦する気でいるから」
アリシアはリンディからフェイトに視線を移す。
そこには先程までのおどおどした様子はなく、真剣な眼差しがあった。
「えっと……ソラの能力って?」
「そうね……あの人並み外れた身体能力も気になるけど、やっぱり魔法を無効にする力の方が気になるわね」
「あれって、そんなにすごいの?
できた時のソラもすごく喜んでたし、ママもクライドもすごい驚いていたけど?」
「それは当然よ。あんなことができる能力は今のところ次元世界では見つかってないんだから。
フェイトも気にしてるし?」
「そうなの……フェイト?」
「うん……すごく気になる」
自然な形でフェイトもそれに答えていた。
思わずなのはとはやては羨望の眼差しをリンディに向けてしまう。
自然な形で二人の会話を成功させた手腕は流石と言える。
とはいえ、ソラの能力について気になるのはなのはたちも同じだった。
「うーん。でも、あたしもよく分からないんだよね」
「なんでもいいんだけど?」
「ソラはちょーこうなんとか技法って言ってたけど?」
それだけの説明では分かることなどない。
結局はソラはそういうことができるという考えるしかないのだろうか。
「技法……ならあれは稀少技能じゃなくて技術っていうことなのかな。
それじゃあ……あの体術は?
魔法も使わないであの身体能力はありえないと思うけど」
「あれはひたすら鍛えたからだって言ってたよ。
それでもまだ足りないって言ってたよ」
「足りないって……あれで?」
「うん……まだまだフワには届かないって」
「フワ?」
「うん。今フワと戦っても絶対に勝てないって言ってた」
あのソラが勝てないという相手などなのはには想像できなかった。
「それってやっぱり魔導師なの?」
「ううん。管理外世界の人だって言ってたから、たぶん違うよ」
思わず聞いていた質問を否定されて唸る。
やはり非魔導師で自分たちよりも強い相手なんて想像できない。
「フワかー……日本人みたいな名前やな」
「あ……そういえばそうだね」
「やっぱり、こー仙人とか賢者みたいな人なん?」
「そうかな? わたしはソラと同じようなスマートな……ほらニンジャっていうのだと思うけど?」
「詳しいことは聞いてないけど、あたしは熊みたいに大きな人だと思うなぁ」
「おっ……みんなの意見が割れたなー。
なのはちゃんはどんなんだと思う?」
楽しそうに会話を盛り上げるはやてになのはも笑みを浮かべながら考える。
「わたしは…………お兄ちゃんみたいな人だと思うな」
自然とそう答えていた。
家伝の剣術がどれ程のものか習っていないなのはには分からないが、見学した時の兄と姉の戦いはすごいと思った。
願望が混じっているかもしれないが自分たちの家族が強いんだと思いたかった。
「なのはちゃんって意外とお兄ちゃんっ子やったんやなー」
「そ、そんなんじゃないよっ」
はやてのからかいに頬を膨らませて反論する。
その光景が面白かったのかフェイトが笑い、アリシアもつられて笑い出す。
そんな二人の姿に安堵する。
やはり、しかめ面で思いつめた顔をしているよりも笑っている方がいい。
「なーなー他になんかないんか?」
「えっとねー」
一度話して抵抗が薄れたのか、アリシアは楽しげにはやてに答える。
「歌うことが好きなんだけど……ぼえ~なんだよ」
「ぼえ~なんかい!」
すかさずはやてが突っ込む。
しかし、はやての気持ちも分かる。
ソラが歌を好きだということも意外だし、何でもそつなくこなす印象があっただけに親しみを感じる。
「うん、クライドはサウンド・ウェポンって言ってた」
「そこまでなんだ……」
ふと考えて見ると自分の周りには歌が上手い人が多いことに気付く。
花見の時に聞いたフェイトの歌。
聞いてない人でもはやてにシャマル、シグナムにユーノもうまいと聞いている。
それに遠い地にいるもう一人の姉も。
「あとは……こんなこと言ってたよ」
「今度はどんな話?」
「えっとね。こっちに来たら本と戦うんだって」
本と戦う。
がばーっと口を開くように広がる本とそれに真面目に剣を構えるソラを想像して思わず噴き出してしまう。
「なんかおもろい人やな」
「名前は確か……」
「アリシアさん、ちょっと待って――」
「闇の本……書だったかな?」
「…………なんやて?」
アリシアの口から出た思いがけない言葉になごんでいた空気が一瞬で凍りついた。
リンディはしまったといった顔で額を押さえている。
「え……え……?」
自分が変えた空気がなんなのか分からずに戸惑うアリシア。
なのはははやての様子をうかがうが、彼女は呆然と固まって空気と同様に凍りついていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「海鳴よ……わたしは帰ってきたー!」
転送ポートから出てはやてが妙なテンションで叫んだ。
空元気でそうせずにはいられなかった。
アリシアの言葉を切っ掛けに、リンディが説明してくれたソラの目的の一つ。
『闇の書の復讐』
あの闇の書の事件から時間が経って、今は十二年前になったクロノの父が死んだとされていた事件。
クライドの帰還によってエスティアでの闇の書の暴走による死傷者は零になった。
しかし、回収される前に引き起こされた悲劇は過去最大のものだったらしい。
『殺人狂の百人殺し』
『都市一つを壊滅させた人間災害』
『生身で戦艦を撃ち落とした悪魔』
その遺業は様々な尾びれをついていて何処までが本当なのか分からない。
それでも、そこに犠牲になった人がいるという事実は確かなことだった。
ソラもその一人だと聞かされて黙っているはやてではなかった。
あの後、帰る予定を無視してソラに会いに行こうとしたはやてをリンディが止めた。
どうしてと食い下がるはやてにリンディが告げたことは衝撃的だった。
「ソラ君は闇の書を完全に破壊する術を持っているのよ」
それがどんな方法かは分からない。
最悪ヴォルケンリッターが消される可能性もある。
それ以上にリンディが突き付けた言葉にはやては何も言い返せなかった。
「謝る……それでソラ君が納得すると思っているの?」
ソラは魔導資質を失って、その上であれほどの実力を手に入れた。
復讐のために費やした年月。
その長い時間をどんな気持ちで、どんな生き方をしてきたのか想像もできない。
それを説得してやめてもらえるのだろうか。
もし、止まってくれなかったらヴォルケンリッターは殺されるのか。
止まってくれても、ソラの気は治まるのだろうか。
結局、はやてはリンディの言葉に従った。
ソラの気持ちを晴らす手段も思いつかず、ヴォルケンリッターを失う恐怖から問題を先延ばしにすることを選んでしまった。
「うまくいかんなー」
清々しい青空を仰ぎながらはやては呟く。
闇の書の罪を償う気でいたのに、いざとなったら何をしていいのか分からなくなってしまった。
頭を下げて、それからどうすればいいのかまったく浮かばない。
軽く考えていたつもりはなかったが、所詮はつもりでしかなかった。
「はやて、お帰り!」
元気なヴィータの声にはやての心臓がドキッとはねる。
「ヴィータ!? どーしてここに?」
「どうしてって……電話で迎えに行くって言ったじゃん?」
不思議そうに首を傾げるヴィータに言われて、はやては昨日の電話のことを思い出す。
昨日だけではない。
「G」に襲われてからヴィータだけではなく、シグナムにシャマル、ザフィーラからも連絡を受けた。
自分たちが襲われたことは報せてなくても、都市部に現れたことを心配していた。
電話越しには誤魔化せたが、今はそれができるとは思えなかった。
「そ、そーいえばそーやったなー」
かろうじてそう応えるが、脳裏に浮かんだソラの顔にヴィータをまじまじと見てしまう。
「ただいまヴィータちゃん」
「ただいま」
その不自然な動きにヴィータが気付くより早く、なのはとフェイトが会話に入ってくる。
「おう、お帰り」
ヴィータの視線が二人に行きはやては思わず息を吐く。
――気まずい。
「G」に襲われたこととソラのこと。
隠し事をしている後ろめたさに気が滅入る。
「なっ!? テスタロッサが二人!?」
ヴィータの叫びに意識を戻す。
並んで立つフェイトとアリシアにヴィータが驚いている。
彼女のことを紹介するサプライズも考えていたのに実行することも忘れていた。
「えっとなー。その子はアリシアちゃんってゆーってフェイトちゃんのお姉ちゃんや」
普通に紹介して、考えていた言い訳を続ける。
「旅行がちょー長くなってしもうたんわこの子に会ったからなんや。黙っていてごめんなー」
「は? お姉ちゃんってテスタロッサよりちびなのに? って、いってーっ何しやがるっ!?」
ちびと言われたアリシアがヴィータの足を思い切り踏みつけた。
「あたしはちびじゃないもん! そっちの方が小さいくせに!」
「んだとー!」
「むーっ!」
ヴィータとアリシアが睨み合い、視線の火花を散らせる。
ぎゃあぎゃあ、わあわあ、と見た目に相応しい喧嘩を始め得るアリシアとヴィータ。
それにおろおろとしながら止めるフェイトとなのは。
微笑ましくもある光景に安堵しながら、はやても二人を止めるために口を開く。
「はやて、危ねぇっ!」
「え……?」
唐突にヴィータが叫び。こちらに向かって飛んだ。
何のことかと理解する前に不意に影を感じる。
見上げると青い空はなく、視界一杯に何かが映った。
「プロテクション」
リンディが張ったシールドがそれを受け止める。
そこでようやくはやてはそれがマンションの屋上に設置されている貯水タンクだということに気が付く。
「アイゼンッ!!」
ヴィータは落下の止まったそれをグラーフアイゼンで横殴りにぶっ飛ばした。
盛大に水をまき散らし、タンクは屋上の床に激突、二度三度バウンドしてようやく止まった。
「てめぇら何者だ!?」
騎士甲冑をまといながらヴィータは屋上のさらに一つ上、貯水タンクがあったはずの場所に立つ二人に向かってグラーフアイゼンを向ける。
年の瀬は二十歳くらいの男女。
剣呑な空気をまとっている彼らにはやては息を飲むが、彼らの背中にある羽に思わず目を奪われる。
「なんやあれ?」
男の方は三対六枚の昆虫のような羽。
女の方は天使のような真っ白い翼。
それが何なのか分からないが、魔法によるものではないと感じた。
得体のしれない存在に恐怖を感じる。が、前に立つヴィータが頼もしく思える。
「姐さん……やっぱ不意打ちって卑怯じゃね?」
「ただの挨拶代わりよ。高ランクの魔導師がこの程度でやれるはずないでしょ?」
「それもそうか」
気楽に言葉を交わして女の方がはやてに向かって口を開く。
「夜天の魔導書の王。八神はやてで間違いないわね?」
「そ――」
「随分とひどい挨拶ね。まずそちらが名乗ったらどうかしら?」
肯定しようとしたはやてを手で制して、リンディが応じる。
「おばさんに用はないわ。用があるのは夜天の王だけよ」
さっさと答えろと言わんばかりに睨みつけられる。
リンディさんをおばさん呼ばわりとは勇気があるなぁ、と感心しながらはやてはリンディの行動を待つ。
未だにリンディははやてに発言しないように手を出している。
ならば、従った方が良いのだろうとはやては口を噤む。
「管理外世界での魔法の行使は重罪よ」
「ふん……管理外世界に住み着いてる奴が何を偉そうに。
だいたいこの力は魔法ではなく超能力っていうのよ」
「超能力って、まさかあのっ!?」
思わずはやては声を上げる。
超能力。それは魔法に並ぶSFの代名詞。
魔法が実在するのだから超能力だって存在していてもおかしくないのだが、実際に現れると驚いてしまう。
驚き、反応を示したはやてを見て、女は納得したように頷く。
「流石は夜天の王。北天の技術に精通しているとは……」
――あれ、なんか誤解しとる?
「どういうことはやてさん? 何か知っているの?」
その誤解はリンディにまで及ぶ。
「えっと……」
なんと説明していいのか迷う。
その間にも女の人は話を進めようとする。
「さて、夜天の王。貴女には二つの選択肢があります。
大人しく我々と共に来るか、痛い目にあって無理矢理来るか」
「……どうやら話し合いの余地はないようね」
先程から徹底的に無視されているリンディは溜息を吐く。
「ヴィータさん、戦闘を許可します。
結界は私が張るから全力で戦っていいわ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「了解っ!」
保護観察の身である以上、勝手な戦闘行動ができない。
しかし、リンディの許可をもらったヴィータは待ってましたと言わんばかりの勢いで突撃する。
「ぶっとべーーーーっ!!」
わずか十数メートルの距離を一瞬で詰めてグラーフアイゼンを振る。
「おおおおおおおおっ!!」
それに対して男が動く。
雄叫びを上げ、女の前に立ち、金の羽を輝かせて拳を振り抜く。
ズドンッ!!
重い音が大気を震わせる。
「くっ……」
「ぬっ……」
互角。ハンマーと拳を打ち付けた姿勢で固まる二人は苦悶の表情を浮かべる。
ヴィータはすぐさまその場を離脱してグラーフアイゼンを構え直す。
「てめぇ……」
防御されたのではなく、相殺されたことがヴィータのプライドに傷を付ける。
一撃の重さは身内の中で一番だという自負がある。
それを目の前の男はその拳で打ち合いに来た。
「名前は……?」
プライドが傷付いたがそれにこだわるつもりはない。
武器を交えて感じた実力は決して雑魚ではない。
魔力を感じないせいで実力が測れないが武器を交えてその強さを感じ取ることができた。
魔導師に当てはめるなら軽く見積もってAAランク。
しかもタイプは騎士に近い。
それを二人同時相手にするのは流石のヴィータも厳しいと判断する。
もう一人の女はなのはたちに任せるとして、目の前の男に集中する。
「知りたけりゃお前から名乗れ」
「……夜天の王、八神はやての騎士ヴィータだ。こいつはグラーフアイゼン」
「……レイだ」
「てめえに教えてやるよ。あたしとアイゼンに砕けないものなんてないってなっ!」
「上等っ! お前の自信をぶっ壊してやるよ! この拳でっ!!」
そして、二人は同時に動き出す。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ハンマーと拳の打ち合いを始めた二人を背景に、女が残った自分たちを見下ろす。
「なのはさん、フェイト……頼めるかしら?」
「はいっ!」
「うんっ」
すでにバリアジャケットとデバイスを構えてフェイトはなのはと一緒に頷く。
「リンディさん、わたしも……」
「あたしだって戦えるよ」
「二人はダメよ」
同じく完全武装したはやてとアリシアが参戦しようとするがリンディは止めた。
「彼女たちの目的ははやてさん、あなたなのよ」
「う……」
「アリシアさんはいざという時はやてさんを守ってくれないかしら?」
「ん……分かった」
はやては渋々、アリシアは素直に指示に従う。
二人に戦わせない本当の理由は分かっている。
相手はヴィータとまともに打ち合える人のパートナー。
まだまだ魔導師としてむらがあるはやてが戦いには早い相手だ。
アリシアに関しては実力が未知数だから。
『アルフ……母さんたちのことお願いね』
『あいよ……気をつけてな』
念話による短いやり取りを終えてフェイトは女を見据える。
白い翼を持つ天使のような存在。
その目は強い意志を持ちながらも冷め切っている。
それに言いようのない不気味さを感じながらフェイトはバルディッシュを握る手に力を込める。
「なのは……先に行くよ」
『プラズマランサー』
「ファイアッ!」
四つの雷槍を放ち、同時に切りかかる。
雷槍は女の目の前で不可視の壁に弾かれる。
それを気にせず突撃。
「はああああああああっ」
気合いを込めてバルディッシュを振り下ろすが、女の眼前で音もなく止まる。
だが、それも予想の範囲内。
『リングバインド』
発動の早い拘束魔法を叩きつけるように放つ。
金の輪が女を囲み締め上げる。
そして、すぐにその場を離脱する。
「バスターーーーッ!!」
響くなのはの声と視界の隅に溢れる桜色の光。
眼下の女は回避行動を取れない。まだバインドも壊されていない。
なのはの砲撃の直撃を受ければ、いかに能力の体系が異なるとはいえ無事で済むはずがない。
しかし――
「えっ!?」
フェイトは驚愕に目を見開いた。
直撃する寸前、女の翼が輝いたかと思うとその姿が一瞬で消えた。
――転移魔法!? それもあんな一瞬で?
どこに、女の姿を探してフェイトは辺りを見回す。
『ラウンドシールド』
突然、バルディッシュが背後にシールドを作る。
振り返るとそこには女がいて、手をこちらに向けていた。
ゾクリッ。
嫌な予感がして、フェイトはすぐに別の魔法を発動する。
『ソニックムーブ』
その場から離脱した瞬間、女は開いていた手を握る様に閉じる。
それに伴ってシールドがひしゃげ、遅れて霧散する。
あり得ない壊され方に息を飲む。
『フェイトちゃん! 大丈夫!?』
『うん……大丈夫だけど……』
超能力がどういう力か分からないがとんでもない力だということは分かった。
何の予備動作なしに行使される力は確かに脅威だ。
それでも敵わないとは思わない。
『敵生体の能力発現時、空間の歪みを感知しました』
「そう……事前に感知できそう?」
『可能です』
短い時間で対策を立ててくれる頼もしい相棒に感謝しながらフェイトは女を見据える。
傾向と対策はできた。
あとはそれがどこまで通用するか試すだけ。
何も分からなかったソラとの戦いと比べれば気が楽になる。
『大規模な空間の歪曲を感知』
バルディッシュの報告と目の前の光景にフェイトは息を飲んだ。
自分が住むマンションを始めとした周囲の建物が何かに握り潰されたように次々と壊れていく。
そして生み出された大量の瓦礫が重力に反して浮き上がる。
「いけっ!!」
その大量の瓦礫が津波になって押し寄せる。
すぐさま飛ぶ。
旋回、急上昇、急停止、急降下。
地面を這うように飛び、フェイトを追い雨の様に降り注ぐ瓦礫。
見慣れた町並みが蹂躙されていく。
それに怒りを感じると同時にゾッとする。
コンクリート片や鉄筋、ガラス、などなど。
それらがかなりの速度を持って追いかけてくる。
勢いと量を考えてシールドを張っても結果は周りの建物と同じになる。
ちらりと、女の様子を窺う。
彼女は最初の位置から動かず、両手を指揮者のように振っている。
――遊ばれている。
なのはもフェイトと同じように瓦礫の波に追われているが、追いつかれていない。
機動力では上の自分が振り切れないのに、なのはがぎりぎりのところで追い掛け回されているのはそういうことなのだろう。
『なのはっ!』
フェイトは一気に加速してなのはを背中から掴み、さらに速度を上げて離脱する。
「撃って!!」
二倍の量になって追いすがる瓦礫。
なのははフェイトの意図をすぐに理解してカートリッジをロードする。
『ファイアリングロック解除』
「ディバイン……バスターッ!!」
桜色の砲撃がより大きな津波となって瓦礫の波を飲み込み薙ぎ払う。
さらにその取りこぼしをフェイトがプラズマランサーで撃ち抜いていく。
「よくできました」
パチパチと手を叩きながら女が褒める。
それが子供にするようなものに感じて神経を逆なでる。
「どうして……こんなことするんですか?」
「言っても、たぶん意味はないでしょ?」
どこかで聞いたことのあるようなセリフ。
「あんたたちは今回は巻き込まれた運の悪い被害者」
「はやてちゃんをどうするつもり?」
「部外者の君たちが知る必要はないわ」
「なら、わたしたちが勝ったらお話を聞かせてください!」
レイジングハートを構え、勇ましく言い放つなのは。
「へーなら私が勝てばあんたたちは諦めるんだね?」
「え……それは……」
まともな反応が返ってくるとは思ってなくて虚を突かれる。
その間にも女は納得して続ける。
「もう少し遊ぼうかと思っていたけど気が変わった」
言いながら取り出したのは黒い石。
そして――
「起きなさい、レグルス」
魔力が溢れる。
それも禍々しく恐ろしいものが。
黒い石は光を放ち、姿を変える。
デバイスのセットアップのように、石は姿を変えていく。
そうして組み上がったのは一本の黒い剣だった。
「え……?」
「何……それ?」
思わずそんな言葉が漏れる。
それは確かに剣なのだが、大きさが異常だった。
並び立つ女の倍の刀身。それに伴い刀身の幅は彼女を十分に覆い隠せるほど。
しかも柄が見当たらない。
いったいどうやって振り回すのか、そもそも振り回せるのか、疑問が尽きない。
「リンカーデバイス、レグルス」
「リンカーデバイス?」
「最強のデバイスを作ることを目的とした破天の魔導書の作品の一つ……って言っても分からないでしょうね」
始めから説明する気がなさそうな口調で女は言ってこちらを見据える。
一層に緊張が高まる。
「そういえば……名前、聞いてませんでした」
「………アンジェ」
「アンジェさん……わたしはたか――」
「興味ないわ」
女、アンジェは名乗ろうとしたなのはの言葉を切り捨てる。
「さてと……それじゃあ死ぬ気で足掻きなさいっ!」
アンジェの足下にミッド式の魔法陣が広がる。
「いけっ! レグルス!!」
重厚な黒い刃が無造作に回り、切っ先をなのはに向ける。
そして、幾重にも環状魔法陣が剣を包み、発射された。
「速――」
『プロテ――』
「なのはっ!!」
傍から見ていたフェイトが叫び声を上げられたのはなのはが不完全なバリアごと吹き飛ばされた後だった。
だが、落ちていくなのはを心配している余裕はなかった。
旋回する剣がこちらに切っ先を向ける。
次の瞬間、フェイトは咄嗟に身を捻っていた。
そして、突風が横を通り過ぎ、マントを引き千切っていく。
振り返ってもそこに剣はもうない。
黄色の魔力光の尾を追って空を見上げ、目に入った太陽に思わず目を細め――
『ソニックムーブ』
バルディッシュの強引な魔法展開にフェイトは逆らわずに従う。
風の衝撃に身体が流される。
その体勢を立て直しながら命じる。
「バルディッシュ」
『ソニックフォーム』
バリアジャケット換装して飛ぶ。
守りに回ってはいけない。
そう判断して、剣に向かう。
「――ここっ!」
紙一重のところで身を捻って剣をかわし、すれ違い様にバルディッシュを叩きつける。
しかし剣は小揺るぎもせずに飛び去っていく。
「くっ……」
そのまま剣が向かった方とは逆に飛び、旋回。
遠くでは剣が同じく旋回してくるところだった。
『ハーケンフォーム』
カートリッジを使ってバルディッシュを鎌にする。
「はああああああっ!!」
交差する瞬間に、剣をかわして刃を打ち込むが、弾かれる。
そのままの勢いで離脱し、旋回、交差。
それを高速で何度も繰り返す。
一方的に打ち込んでいるのはフェイトで、剣はフェイトにかすってもいない。
しかし、フェイトは焦りを感じていた。
何度斬撃を放っても手応えは堅く、効いている気がしない。
それでいて速さは互角で少しでも緩めたりしたら、きっと追いつけなくなって畳み込まれる。
ザンバーフォームなら通るかもしれないが、換装している余裕もない。
そして、何より装填しているカートリッジがあと二発しかなかった。
当然、リロードしている余裕なんてあるはずもない。
今互角に打ち合っていても、すぐに均衡が崩れることは予想できた。
どうすることもできないジレンマ。
打開策なんて思いつかない。
不意に、目まぐるしく変わる景色の中に桜色の光が見えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
剣の初撃をリアクターパージで受けたが、衝撃を殺し切れずになのはは少しの間気絶していた。
「レイジングハート……どれくらい気絶してた?」
『17秒です』
「そっか……フェイトちゃんは?」
『上です』
言われて見上げると閃光が瞬き、衝撃が空気を震わせた。
金色と黄色の光が入り乱れる中で、また一際激しい閃光が光る。
「すごい……」
改めて見るフェイトの高速機動戦に目を奪われる。
目まぐるしく動く金と黄の光はどちらがどちらなのか分からない。
援護する隙間さえない攻防になのははただ傍観することしかできなかった。
『マスター』
「え……あ、何レイジングハート?」
相棒に呼ばれてなのはは我に返る。
『このままではフェイトのカートリッジが持ちません。早急に対処を』
「そう言われても……」
『あの戦場に介入する必要はありません。
術者本人を叩きましょう』
「そう……だね」
自分たちが相手をしているのが剣ではなく、アンジェだったことを思い出す。
当のアンジェはビルの上に浮かび、フェイトと剣の戦いを観戦している。
「レイジングハート……エクセリオンモードいくよ」
『分かりました』
杖から槍に姿を変えたレイジングハートを遠くのアンジェに向けて構える。
「アクセルチャージャー起動……ストライクフレーム」
レイジングハートから6枚の光の羽が広がる。
アンジェがこちらに気付いた様子はない。
「エクセリオンバスターA.C.S……ドライブッ!」
自分を一本の矢に見立てて飛ぶ。
この一瞬、真っ直ぐ飛ぶことだけにおいてフェイトに匹敵する速度を持ってアンジェに迫る。
「なっ……!?」
ようやくアンジェがこちらに気付くがもう遅い。
魔導師なら防御も回避もできない距離と速度。
しかし、なのはの突撃がアンジェの眼前で止まった。
シールドの手応えではない。
何か見えない力で押し返される。
それは……好都合だった。
「ブレイク――」
カートリッジをさらに上乗せし、零距離からのエクセリオンバスター。
自分の魔力光の先でアンジェの顔が引きつる。
「――シュートッ!!」
砲撃した瞬間の炸裂になのはは吹き飛ばされる。
節々が痛む身体を押さえて爆煙を睨む。
「やったかな……?」
手応えはあったと思う。
まだ倒せないにしても、一旦はフェイトに休む暇を与えられたはず。
煙が晴れた中心には黒い塊があった。
「あれは……」
それはフェイトが相手にしていたはずの剣だった。
「そんな……どうやって!?」
フェイトの戦場とは距離があったはずなのに、それはいつの間にアンジェの前に現れて盾となってなのはの砲撃を防いだ。
『来ます』
レイジングハートの警告と同時になのはは手をかざす。
『ラウンドシールド』
防御の完成と共に切っ先が向けられる。
そして――
トスッ……そんな軽い衝撃を身体に感じた。
「え…………?」
見下ろすと黒い剣が胸に突き立っていた。
シールドを何の抵抗も感じさせず剣は突き破ったのだ。
「レグルス、死なない程度に食べていいわよ」
そんなアンジェの声が聞こえたかと思うと身体の内側から激痛と共に何かを抜き取られる感覚を受ける。
「あ……あぐ、あああああああああああああああああああああああっ!」
この痛みは知っている。
かつて、闇の書にリンカーコアを蒐集された時とまったく同じ痛み。
「なのはーっ!」
そしてあの時と同じように叫ぶフェイトの姿がかすむ視界の中に映る。
しかし、飛んでくるフェイトが不自然に止まる。
「あんたの役目はこの後よ」
「きゃあっ!」
そのままの体勢でフェイトはビルに叩きつけられた。
「ふぇ……フェイト……ちゃ……ん」
霞んでいく意識を必死に繋ぎ止めようとするが、その意思も空しくなのはの意識は暗転した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『これから抵抗した場合、この二人を殺す』
念話に似た声が頭に響いたのはラケーテンハンマーを使おうとした瞬間だった。
「なっ……?」
振り返った先には剣に串刺しにされたなのはと気を失っているのかぴくりともせずに宙に浮いているフェイトの姿だった。
「うそだろ」
二人の実力はよく知っている。
AAAランクの二人を同時に相手をして勝つなんてことができるのはヴィータの知る限りではリインフォースだけだった。
それなのにあの白い翼の女はほとんど無傷で二人を倒したことに驚愕する。
「あー……姐さんレグルスを使ったのか……かわいそうに」
同情するようなレイの呟き。
「レグルス?」
「姐さんのリンカーデバイスでな。これまたえげつないスピードで飛んでくんだよ」
レイの説明にヴィータの脳裏にはあることが思いつく。
「まさかテメエもそのリンカーデバイスっての持ってたりするのか?」
「当然、持ってるぞ。俺のはベガって言うんだ」
これ見よがしに青い宝石を見せるレイに怒りを感じる。
「テメエ! 手抜いてやがったのかっ!?」
「何言ってんだよ。常識内の魔導師相手にリンカーデバイスなんて使うわけないだろ」
見下した物言いにヴィータの怒りは振り切れた。
「っざけんなーー!!」
警告のことも忘れてヴィータはレイに襲いかかる。
『あかん、ヴィータッ!!』
頭の中に響くはやての念話の声にヴィータの動きが硬直する。
「あ……」
その隙を逃がすことなく、というよりも反射的に出していたレイの拳がヴィータの側頭部を打ち抜いた。
レイとヴィータの戦いはそんな呆気のない終わりになってしまった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
目の前に放り出されたなのはとフェイト、そしてヴィータの姿にはやては息を飲んだ。
まだまだ未熟な自分なんかと比べて、ずっと強い三人が呆気なく負けてしまった。
しかもその内の一人が自分のせいだということがはやてにさらなるショックを与えていた。
「どうして……こないなことするん?」
呆然と、戦意を喪失してはやては呟く。
「邪魔だったからよ」
にべもなく女は言い捨てて、続ける。
「私たちの目的は夜天の主である貴女だけよ」
「でも……夜天の書はもう……」
「もっと正確に言うなら夜天の技術が刻まれた貴女の脳よ」
「脳……?」
「どうも自覚はないようね。
貴女の頭の中には夜天が培った技術が眠っているのよ。
私たちはそれが欲しいの。なに、命の保証はちゃんとするわよ」
リインフォースが残したものがあると聞いて喜ぶ気持ちがわいてくるが、状況がそうはさせてくれない。
それが何か、はやてには理解できなくても答えは決まっている。
「わたしは……いかへん」
彼女たちが何のために夜天の技術を必要としているのか聞くまでもない。
こんなことをしてまでそれを求める相手なんて信用できない。
「ふぅ……」
はやての答えに女は溜息を吐く。
そして、突然ヴィータの手が弾けた。
「ぐあああああああああああああああっ」
悲鳴を上げるヴィータを踏みつけて黙らせ、女は鋭い眼光をはやてに向ける。
「分かってないようね。貴女には『来ない』という選択肢は与えていないのよ」
「そっちの獣とちびっこにおばさんも下手なことしたらこいつらの命は保証しないぜ」
「あんたら……」
「リンディさん、放してっ!」
「落ち着きなさいアリシアさん!」
牙をむくも男の忠告で動きを止めるアルフ。
それに反して動こうとするアリシアをリンディが止める。
「さて、夜天の王、改めて選ばせてあげる。
このまま大人しく私たちと一緒にくるか、ここにいる貴女の友達を皆殺しにされたいか」
与えられた選択肢に息を飲む。
突然背負わされた六人の命。
おそらく、目の前の二人は殺すと言ったら躊躇わずに殺す人間だ。
この中で強い三人が負けた以上、彼女たちには本当に皆殺しにする力がある。
「わたしが行く、ゆーたらみんなには手を出さないんやろな?」
「はやてちゃん!?」
「追ってきたらその限りではないけど、殺さないことは約束して上げてもいいわよ」
最大限の譲歩。そう思える言葉にはやては納得する。
「そなら――」
「相変わらずえげつないことをしているなお前たちは」
不意に聞き覚えのない声が響いたかと思うと、目の前に手の平大の銀色の球が落ちてきた。
そこに現れる朱の魔法陣。
そして、朱の閃光が弾けた。
「なっ……これは!?」
「なに!?」
二人の驚愕の声、そして何かがはやての横を通り過ぎてその二人を吹き飛ばした。
広がった黒く長い髪。
民族衣装のようなバリアジャケット。
見たことのない背中にはやては言いようのない懐かしさを感じた。
「アサヒ・アズマ……てめえどうしてここに!?」
「答える筋合いはないな」
男の叫びをその人はあっさりと切り捨てる。
「アサヒ……」
その名前をはやては反芻する。
「アサヒお姉ちゃん……」
自然と出た言葉に疑問を感じるより早く、彼女が振り返る。
「やれやれ、私をそう呼ぶということは君は私が知っているハヤテ・ヤガミ、こちらでは八神はやてだったか。
その本人に間違いなさそうだな」
溜息混じりの言葉がはやての感覚を肯定する。
「え……でも……」
続く記憶が出てこないことに戸惑う。
いつ、どこで、彼女と会ったのか思い出せない。
「積もる話は後だ。
先にこいつらを片付けるから少し待っていてくれ」
「片付ける?
今まで逃げ回ることしかしなかった貴女が随分な自信ね」
「かわいい妹分の前だからな。
それからお前たちに一つ言っておくが……」
アサヒの周辺に先程の銀の球体が浮かび上がる。
その数は十二。その全てに環状魔法陣が付いている。
「私はお前たちが恐ろしくて逃げていたわけじゃない。
戦う必要を感じなかったから逃げていただけだ」
「相変わらず口は減らないみたいね」
「だから今日は見せてやるさ。東天の王の力をなっ!!」
アサヒの声を切っ掛けに朱色の魔力が解き放たれた。
あとがき
途中で話を切りましたが、第11話をお送りしました。
時系列は第6話から第7話の時のなのはたちの話になります。
次の話で天空の魔導書の目的を明かす予定です。
できるだけ早く書こうとは思っていますが、気長にお待ちください。
追伸
はやての口調がとても難しく感じます。
こうした方がいい、この言葉使いはおかしいと思う所など、是非アドバイスしてください。