「いつも一人……か」
アンニュイな気分の神谷ハヤテです。
あの後節穴のおっちゃんと別れた私は、去り際に言われたセリフを反芻(はんすう)していた。
確かに私はこの体になってから、常に一人で行動してきた。
しかし、それは仕方のないことだろう。学校にも行けない私には、友達なんて居やしないし、親までご臨終ときたもんだ。
唯一友達と呼べるような存在はあのパーマのオバサンくらいだが、彼女とは、強敵と書いてライバルと呼ぶ関係でいたい。何よりオバサンもそんな馴れ合い、望んじゃいないだろうし。
一度、いや二度手合わせして分かったが、あの人は剛の者だ。柔である私とは水と油の関係であり、相容れるなんてことは無いだろう。
おっと、脱線してしまった。
まあそんな訳で、珍しく肩を落としながら歩いて、いや、水平移動していた私は微妙な気分に陥っていた。
友達、家族。いたらいたで、トラブルの種になりそうな存在だが(特に今の私にとっては)、流石にここまで孤独な生活を送ったことの無い私は、柄にもなく人恋しくなっていたのだ。
……いきなり部屋に、
『私はあなたの家族よ!』
とか言う人間現れないかなぁ。
いや、それもいたらいたで恐いな。
「甘いもの、食べたいなぁ」
そんなアホなことを考えながら、甘味処を探すことに決めた。
「翠屋、か」
しばらくうろうろしながら探していると、そんな名前の喫茶店が目に入った。外装もなかなか洒落ている。うん、ここにしよう。
ん、あれ? 翠屋? どっかで見たような……あ、思い出した。はやてちゃんの日記に書いてあったっけ。えっと、たしか……
『○月×日 今日は甘いものが食べたくなったので、巷で噂の喫茶店、翠屋に行くことにした。
店に着いて扉を開けると、思わず、「うほっ、いいおっぱい」と呟いてしまうほどの素晴らしいおっぱいの持ち主を発見。私は注文をするのも忘れ、ホイホイとそのおっぱいに誘われるまま手を伸ばし、わしづかもうとしたのだが、この店のマスターと思われる人物にそれを邪魔された。思わず呪ってしまいたくなった。満月の夜だけだと思うなよ。
その後、何度かアプローチを繰り返したのだが、ことごとくあのにっくきマスターに阻まれた。呪い殺してやろうかと思った。月の無い夜には気を付けるんだな。
今日揉むのは無理だと悟った私は、また後日伺うことにして、シュークリームを買ってから帰った。シュークリーム、うま。』
それで確か次のページに、
『○月×日 昨日のリベンジを果たそうと再び翠屋へと突入した。
入ってきた私を見たマスターの目が急に鋭くなった。
真正面から行ったのでは確実に昨日の二の舞だと思った私は、一計を案じた。わざと水をこぼし、それを拭き取りに来た素晴らしいおっぱいを、偶然を装いながら、
『おっとこんなところに美味しそうなシュークリームが二つも』
と言いながら心行くまで揉みしだくのだ。完璧すぎる。相手は、子供のイタズラだと許してくれるだろうし、私は至福の時間を味わえる。ワンダフル。
実行した。
失敗した。
なんだあのマスター。動きが速すぎる。目で追えなかったぞ。
その後何度かアプローチを繰り返したが、やはり昨日の二の舞となった。
どうやら今の私では、あの美味しそうな果実を食すことは出来ないらしい。
そう結論付けた私は、「私は再び舞い戻ってくるぞ、忘れるな!」、と心の中で吐き捨て、シュークリームを買って帰った。シュークリーム、テラうま。』
と、書いてあったはず。
……素晴らしいおっぱい。はやてちゃんが言うからには、それは素晴らしいのだろう。今から揉むのが待ち遠しい。
では、美味しくいただくとしましょうか。いざ突入。
「いらっしゃ……い」
なるほど、この人が件のマスターか。こいつ、私が入った瞬間、「性懲りもなくまた来たか」、という感じの目を向けてきやがった。こちとら客だぞ、コラァ。
「性懲りもなくまた来たか」
おーい。こちとら客ですよ。その接客態度は無いだろう。本当にマスターかお前は。
まあいい、目的は素晴らしいおっぱいだ。えーと、どこにいるかな〜っと。
「お皿、洗い終わったわよ……あら、久しぶりね、可愛いお客さん?」
「うほっ、いいおっぱい」
おっとヨダレが。
私はそのけしからんおっぱいに誘われるまま、ホイホイと美味しそうな果実へと手を……
「ストップだ、お嬢さん。それ以上近づいたら……分かるね?」
拳を口に当て、は〜っと息を吐く守護者。
……なるほど、こういうことね。
さながら今の図式は、モンスターから姫を守る騎士、といったところか。
……燃えるじゃないか。いつの世もモンスターが負けていると思うなよ?
「……押し通る!」
「なっ、この前と動きが違う!?」
「いつまでも同じ私だと思うなぁっ!」
「こいつ……できる!」
流石に飲食店で本は落ちていないとは思うが、一応足元に注意しつつ、フェイントを交えながら接近する。
……しかし、狭い。相手を翻弄するだけのスペースが無い。どうする、私。……いや、手はある。
「……捕獲させてもらう!」
しびれを切らしたのか、奴が突っ込んでくる。……かかったな!
「ジャンプ(跳躍)!」
左脇にあるボタンを押し込む。するとぉ、
「なっ! バカな!」
強力なバネが私の尻の下から勢いよく飛び出し、私を上空へと押し出す。
私は鳥、鳥になる。
上空から水面の魚を狙う鳥のような心境で獲物を定め、一気に垂直落下。そして──
「あらあら」
見事、素晴らしいおっぱいの人に抱き抱えられるのであった──
家で押した時は、首の骨が折れるかと思ったよ……
「君には負けたよ」
「あなたも、かなりのものでしたよ」
あの後、はやてちゃんの雪辱を果たし、見事、素晴らしいおっぱいを手にした私は、守護神と健闘をたたえあっていた。なかなか話のわかる人だ。
「今日もシュークリーム買っていくかい? サービスしてあげるよ」
やはり人とぶつかりあうのはいい。闘いの後の和解はバトルの醍醐味だね。
「では、お言葉に甘えて」
シュークリームか。楽しみだ。……ん? シュークリーム?
「すいません、今日、私と同じくらいの年の男の子、来ませんでした?」
「ん? ああ、来たね、そういえば」
「何しに来ましたか?」
「武道を教えて欲しい、出来れば住み込みで、とか言ってきたんだけど、うちはそういうのやってないからねぇ。シュークリームあげて帰ってもらったよ。……そういえば、去り際に、「こうなったら次は……」とか呟いてたけど、何だったのかねぇ」
大人しく保護されていればいいものを、何してるんだ、あの子は……
「そういえば、君、いつも一人だけど、親御さんとかは──」
「……チャオ!」
シュークリームを受け取り、撤退する私だった……
「たっだいま〜」
予想外に長くなった散歩を終え、家に帰ってきた……が、
「……」
『……』
玄関で私を出迎えたのは、美人のメイド……ではなく、黒い悪魔だった。
「どうやら、痛い目を見ないと分からないようだねぇ」
今朝の一件で懲りてなかったようだ。この害虫が!
私の気迫に圧されたのか、せかせかと逃げる愚か者。
「逃がすか!」
奴の後を追い、キッチンに追い詰める。さあ、もう逃げ場は……
「……」
『……』
『……』
……援軍を呼びおった、こやつ!
くそう、だが、こちらにはゴッキージェット・滅がある。
キッチンの棚に置いてあるそれを手に取ろうと思い、一瞬目を離す。
「……」
『……』
『……』
『……』
視線を戻すと、なんか一匹増えてる……
こいつら、私と棚の直線上に一直線に並んでやがる。黒い三連星かよ……
くそっ、こうなったら一番前の奴を踏み台にして……いや、止めとこう。タイヤ越しとはいえ、踏み潰した感触なんて味わいたくない。
『………』
『………』
『………』
「……戦略的撤退!」
覚えてろよ!
リビングに退避した私は、ふと気付く。
「清掃会社に頼もう……」
金はかかるが、この方法ならば、時間もかからず、かつ、より清潔になることだろう。
そう思い、私は電話へと手を伸ばした。
プルルルルッ、カチャ!
『はい、こちら海鳴クリーンサービス──』
良かった。流石にここまでは呪いは広がってなかったようだ。
明日の午前中には来てくれるようで安心だ。
ククク、明日がきさまらの命日だ、とほくそ笑みながら、私は気分良くベッドに潜りこんだのだが……
『…………』
『…………』
『…………』
なんだか、恨みがましい視線を感じて、なかなか眠れなかった。