「………………」
空気が凍る、という比喩表現がある。場にそぐわない素っ頓狂な発言を聞いたり、思いがけない事象に遭遇してしまった時などに、周りの人間が空気が凍ったかのように動きを止めるというアレだ。
お世辞にも人生経験が豊富とは言えない私でも、そのような場面に出くわしたことは幾度かはある。
とある女子生徒が間違えて先生のことを「お母さん」と呼んでしまった時。部屋で魔法少女のコスプレしながらノリノリで踊っているところを親に目撃された時。見ないと言っていたマブ〇ブのHなシーンを、ヴィータちゃんが約束を破って夜中にこっそりと見ていたのを目撃してしまった時。隙を突いてガードが固い図書館のお姉さんの胸を揉んだのはいいものの、実はパッド装着者であったことが判明してしまった時。
こうした場面に直面した時、当事者である人間はあまりの事態に思考がフリーズ状態に陥ってしまい、必ずと言っていいほどに場が静まり返る。理解が追いつかないためだ。
「………………」
そして、まさに今、私達は空気が凍った空間の渦中にいた。
「……えっと、あの」
誰もが瞳に映る光景に目を奪われ、聞こえた発言に耳を疑う中、私はしぼり出すように声を発する。
「シグナム、さん?」
今、彼女は何と言ったのだろう。今、彼女は何をしているのだろうか。ダメだ、理解が追いつかない。
これは現実なのか? 夢だと言われてもアッサリ信じてしまうぞ、今の私だったら。むしろ夢であれ。
「主ハヤテ」
だが、そうは問屋が卸さないとばかりに明瞭な声が私の耳朶(じだ)を打つ。私の勘違いでなければ常より1オクターブほど低いその声は、静まり返ったリビングに不思議なほどに響き渡った。
「誠に、誠に申し訳ございませんでした」
……何だ、これは。いや、違う。
誰だ、この人は。
「数々のご無礼、重ねてお詫び申し上げます。お許しいただきたいなどと恥知らずな事は言いません。どうか、この愚かな従者に厳正なる罰をお与えください」
えーっと……
「……その、言いたいことは色々ありますが」
「はい」
「とりあえず…………土下座は止めろ」
冷や汗が止まらない神谷ハヤテです……
◆◆◆◆◆◆◆◆
事の始まりは、夕食後に開催したチョコレートパーティーでの一幕だった。
世にカップルが最も発生しやすい日、バレンタインデー。そんなめでたい日を迎えた八神家だったが、住人のほとんどが異性と縁が無いせいか、特に浮ついた会話をするでもなく、私達は普段とさして変わらぬ態度で一日を過ごした。
とは言うものの、イベント事に目が無い私達であるからして、女性陣はちゃっかりチョコレートをザフィーラさんのために作って渡したりもしたのだが。恋愛感情は皆無だが、せっかくだから八神家唯一の男性であるザフィーラさんのために一肌脱ごうじゃないか、と女性陣満員一致でこの案は可決されたのだ。
まあ、唯一の誤算というか何と言うか、ザフィーラさんが近所の子どもやおばさま方(あとアルフさん)から山のようにチョコレートを受け取ってきたおかげで、リビングに甘ったるい空気が充満してしまうとは思ってもみなかったが。
で、テーブルに積まれたチョコの山を前に、私達は話し合った。その結果……
「……このチョコ、全部ザフィーラさんが一人で食べるんですか?」
「いや、流石にこの量はちとキツイ。というか、主達、それとアルフからもらった分を食べるので精一杯だろうな。多分、それ以上食べたら我は死ぬ」
「大袈裟な奴だな。けど、それじゃこのチョコの山はどうすんだよ」
「そうだな……日持ちしない物ももらったし、そもそも我はチョコがあまり好きではない。悪いが、これらは主と貴様らで処理してもらえると助かる」
「ほう、ならば私はこの闇のように黒いブラックチョコレートをいただくとしようか」
「それじゃあ、私はこっちのチョコチップクッキーをもらおうかしら。クッキー好きなのよねぇ」
「そんじゃ、あっしはこのウイスキーボンボンをゲットだぜ。酒の力が私を大人の女に変える……」
「お前もういい大人だろ」
てな具合に各自が好きなチョコをいくつか取っていき、夕食を食べた後に歓談しながらパクつこうという流れになった。
そこまではよかったのだ。シグナムさんが突然包装紙に包んだカレールーを持ってどこかに出かけたり、グレアムさんが我が家にやって来て「チョコをください」と土下座したり、夕食時にロッテさんが我が家にやって来て「私を食べて!」とチョコまみれの体で襲い掛かってきたりしたが、ここまでもよかった。どっちも即行で追い出したし。(最近、ロッテさんのキャラがますます酷くなってきてることには憂鬱にならざるを得ないが)
しかし、その後が問題だった。
夕食をつつがなく済ました私達は、当初の予定通りリビングでチョコレートパーティーを開いた。
ブラックチョコレートの予想外の苦さに涙目になるリインさんをからかい、みんなからチョコを略奪しようとするシグナムさんを叱咤し、なぜか虚ろな瞳でチョコをペロペロと舐め続けるザフィーラさん(狼形態)を不審な目で見つめ、どっちがポッキーを素早くかじり尽くせるかヴィータちゃんと勝負する。
そうした、何でもないようでいて、けれど楽しいひと時を私達は過ごしていた。
そう、この時までは。
「……おや?」
異変に気付いたのは、たぶん私が最初だっただろう。
パーティー(という名の単なるだべり)も終盤を迎え、さて、そろそろお風呂に入って寝ようかな? と思い始めた時のことである。
「スラム街で暮らしてえなぁ。冗談抜きでスラム街で暮らしてぇ」なんてぼやきつつ最後のお楽しみであったウイスキーボンボンに手を伸ばすシグナムさんを何とはなしに見つめていたのだが、なぜか彼女は六個ある内の最初の一つを胃に収めると、下を向いて動きを止め、かと思えば急にカタカタと震え出したのだった。
いつもの悪ふざけにしては少しばかり様子がおかしいと思った私は、体の調子でも悪くなったのかと心配して声を掛けようとした。
が、次の瞬間、信じられない光景を目にすることとなった。
「あ……ああ……うあぁ……」
体を震わしていたシグナムさんがピタリと静止したかと思うと、彼女はまるで茹でダコのように急速に顔を真っ赤にし、座っていたソファーの上をいきなりゴロゴロと転がり始めたのだ。顔を両手で隠して小さく呻きながら。
いや、別にここまではそれほど驚くことじゃない。彼女の奇行にはもうみんな慣れている。このくらいであれば、「今度は一体何を始める気だ……」とため息を吐いて、呆れ顔で事の推移を見守る程度の反応が関の山だった。
だが、シグナムさんの次の行動は、私達の想像をはるかに超えるものであった。
自身に向けられる複数の視線に気付いたのか、彼女はびょーんとソファーから跳ね上がると車椅子に座る私の正面に向き直り、なんと、なんと、あろうことか……
「申し訳ございませんでしたぁーっ!」
謝ってきたのだ。平謝りで、しかも土下座で。なおかつ、「サーセン」でもなく、「めんご~」でもなく、「ごめんちゃい」でもなく、真っ当な謝罪のセリフを用いてだ。
私は驚愕した。出会ってから今まで、ここまでまともな謝罪の言葉を述べるシグナムさんの姿をお目に掛かったことが無かったからだ。
さらに、私の驚愕はそこで終わりではなかった。床に額をこすり付けんばかりの土下座を敢行したシグナムさんは、ゆっくりと頭を上げると、口調も表情も先ほどまでとは打って変わった真面目一本調子で再び謝ってきたのだ。誰だこいつって感じである。これには流石の私も冷や汗が止まらない。
見れば、私だけでなく他のみんなもシグナムさんの変わり様に開いた口が塞がらないようで、そろって彼女の顔を凝視している。いや、ザフィーラさんだけはなぜだか部屋の隅に寝そべって体をピクピクと痙攣させているが。
とりあえずアレは見なかったことにして、今は目の前の恐怖(?)の対処に専念するとしよう。
「……えーっと」
と、言っても、私にはなぜシグナムさんが謝っているのかがよく分からない。彼女のセリフから推察するに、私に対する今までの行いを恥じているように思えるのだが……なぜ今頃になってこんなことを言い出すのだろうか。まさに今さらじゃね? 別に私は大して気にしてもいないし。
それに、この急激な態度の変化、これは一体何なんだろう。今までこんな風になったことは……あったな。けど、あれはバトル時特有のものだと思うから、今のこれとはなんか違う気がするし。う~ん?
……考えても分からんことばっかだ。まあいい、答えを知っている人物はすぐ目の前にいるのだ。分からないなら彼女に聞けばいいだけのこと。
そこまで一瞬の内に思考を巡らした私は、ようやく土下座を解いて立ち上がったシグナムさんに質問することにした。
「あんた誰……じゃなくて、どうしたんですかシグナムさん、いきなり人が変わったみたいに。それに、土下座までしてもらってなんですけど、私には謝られる理由が無いと思うのですが。数々の無礼、とか言ってましたが、私にとってはどれも可愛いイタズラ程度でしたよ?」
「……そう、ですか。そうでしょうね。お優しい主ならばそう言って頂けると思っておりました」
「なら──」
「ですがっ!……失礼。ですが、謝罪をせずにはいられませんでした。なぜなら、誇り高いベルカの騎士が、敬愛する主に対してあのような振る舞いを……あのような……あの、ような……」
私の言葉を遮って主張を続けたシグナムさんは、そこまで言うと何かを思い出したのか、さっきと同じように顔を真っ赤にして後ろのソファーに顔を埋めてしまう。
「うあああぁ……私は、何ということを……珍妙な言葉遣いから始まり、主に暴言を吐き、家具を破壊し、奇行を繰り返し、果てには温泉であのような格好を……おおおぉ……」
何が恥ずかしいのか耳まで真っ赤にして身悶えるシグナムさん。彼女のこんな姿も初めて見る。初めてのバーゲンセールだな。
というか、ソファーとシグナムさんの顔の間から漏れ聞こえるセリフを聞くに、これじゃまるで……
「シグナム、お前、まさか昔の性格に戻ったのか?」
と、そこで私の想像を代弁するかのように、ソファーの陰に隠れて様子を伺っていたヴィータちゃんがシグナムさんに問い掛けた。
彼女の問いを耳にしたシグナムさんはハッと声を漏らすと、ソファーに埋めていた頭を勢いよく跳ね上げてヴィータちゃんを指差し、「それだっ!」と鬼気迫る表情で叫ぶ。
「私としたことが、いの一番に主にご報告すべきことを……何たる失態」
「お前いつも失態ばっかじゃねーか……って、今のシグナムは『違う』のか?」
「ああ、今の私はあのような変態ではない。そう、あのような……あのような、変態……うああぁ……」
「そのリアクションはもういいっての」
三度(みたび)顔を赤くしてソファーに跳び込もうとするシグナムさんであったが、ヴィータちゃんの一言でこのままでは話が進まないと気付いたようで、顔を赤く染めたままではあるが何とかその場に留まることに成功する。
そして、そんな彼女は数秒ほど深呼吸を繰り返し気を静めると、周りで自身を見つめる同居人達を刃物を思わせるその鋭利な瞳で見返しながら、堂々と宣言するのだった。
「ヴィータ、シャマル、リイン、ザフィーラ……は寝ているのか。毎日寝食を共にしていたとはいえ、元に戻った今は久々に顔を合わせたかのように感じるな。そして……主ハヤテ、ご存知かとは思いますが、今の状態でお話しするのは初めてですのでまずはご挨拶をば。我が名はヴォルケンリッターが烈火の将、シグナム。既にお気付きでしょうが、この度、ようやく正気を取り戻すことができた次第です」
◆◆◆◆◆◆◆◆
ヴォルケンリッターのリーダーであり、みんなの頼れるお姉さん的立場であったシグナムさん。質実剛健、謹厳実直を絵に書いたような人物で、落ち着いた物腰と常に冷静沈着を心掛ける様は正に将を名乗るに相応しく、その風格は敵対する魔導師が震えを走らせるほど。
故に、将を決める際は誰一人の異論も無く即決し、また、彼女もそれを当然のように受け入れた。
戦場では戦況に合わせた的確な判断を下し、自らも剣を持って魔導師を屠る姿は、味方に安心感を、敵に畏怖の念を抱かせたという。
こいつになら背中を任せられる。こいつが将で良かった。口には出さないが、仲間であるみんなは常々そんなことを思っていたらしい。
「……とまあ、以前みんなに昔のシグナムさんの事を尋ねた際、このような答えが返ってきたわけなんですが」
「なんと、それは初耳です。いやしかし、フフ、嬉しいものですね。仲間からそうして好意的な評価が得られるというのは。リーダー冥利に尽きると言うものです」
「まあ、私はまるっきり信じてなかったんですけどね」
「主!?」
シグナムさんの驚くべき宣言を聞いて衝撃を受けた私達は、「いや待て、これは孔明の罠かもしれん」とここぞとばかりに猜疑心を働かせ、ことの真偽を入念に確かめることにした。シグナムさんが仕組んだドッキリという可能性も捨て切れなかったためだ。むしろそうとしか考えられなかった。
そのため、私達四人(ザフィーラさんが床で死んだように眠ってしまっているため、四人)は、彼女が芝居を打っているに違いないと決め付け、シグナムさんがボロを出すまで考えられる限りの質問をこれでもかと浴びせた。
が、結果は以下の通り。
Q:おい、ネタはあがってんだぞ。今さらこんなドッキリに引っかかるバカがいると思ってんのか? あ?
A:ヴィータ、証拠も無しに始めから疑って掛かるのはよくないな。そんな体たらくでは守護騎士は務まらんぞ。
Q:つまらない演技なんてよしなさい。バカを見るのはあなたなのよ? このバカ。
A:……分かってはいたが、酷い変わりようだな、シャマル。いや、私が言えた事でもないか。だが、侮辱されて黙っているなど騎士の沽券に関わる。いいか、一度は許すが、二度は無いと思え。たとえ同じ守護騎士であろうと容赦はせんからな。
Q:やだ、なにこの人カッコイイ。もう演技でもいいからずっとそのままでいたらどうです?
A:主ハヤテ、あなたまで……なぜ信じていただけないのですか。
Q:今までの自分がしでかしてきた奇行を一つ一つ思い返してみろ。そうすればおのずと答えは見えてくるだろう。……しかし、こうして見るとまるで二重人格だな。ん? まてよ。二重人格か。このネタはおいしいな。後で私も……
A:おい、リイン。勘違いしているようだが、私は二重人格ではない。遺憾ながら変態的な行動を取っていた記憶も全てあるし、主やお前達と過ごした日々もハッキリと思い出せる。傍目から見れば二重人格のように見えるだろうが、おちゃらけていたこれまでの私と今の私、そのどちらもが『私』なのだ。
Q:ん~、つまり、今まではっちゃけてたシグナムさんは酔っ払い状態みたいなもので、その酔いからようやく醒めて素面に戻った状態が今のシグナムさん、と。で、酔いから醒めても酔ってた時に体験した事は忘れることなく覚えている。シグナム超恥ずかしい。……こんな感じでしょうか?
A:素晴らしい比喩です。つまりはそういうことなのです。
Q:……それで、いつになったら「ドッキリでした~! や~い、騙されてやんの!」って言うつもりですか?
A:だから嘘ではないと言っているでしょう! なぜ信じてくれないのです!
Q:いや、だって、なあ? 今までが今までだったしさ。騙されてバカにされんのも嫌じゃん?
A:くっ……分かった。ならば全員が認めるまで問答に付き合おうではないか。さあ、なんでも聞いてこい。
Q:おや、そうですか。では私から。今のあなたはどういったご趣味をお持ちでしょうか?
A:まるで見合い相手に対する質問のようですね……まあいいです、お答えしましょう。趣味と言えるかは微妙ですが、鍛錬。これに尽きますね。断じて近所の小学生にゲーム勝負を挑んで大人気なくボコボコにするのが好きだったり、道端で目が合った人物に因縁をつけるのが好きだったりとかはしませんので。そこのところをお間違いなく。
Q:お前、実は町の嫌われ者だったりしないか? や、それは別にどうでもいいや。んじゃ、次はあたしからな。正気に戻ったって言うけどさ、今はどんな気分だよ。今まであれだけはっちゃけたんだ。堅物のお前にゃ耐え難いもんがあるだろ。
A:ああ、正直今すぐにでも腹を切りたい気分だ。だが、闇の書のバグのせいだろうが何だろうが、今までの所業は私自身がしでかしてきた事。受け入れるしかないのであろうな。出来得ることなら全てを忘れたいが……
Q:記憶消してあげましょうか? パンツも消えるかもしれないけど。
A:断固断る。今のシャマルの魔法はどうにも信用できんしな。……それに、主ハヤテの下に転生してからの思い出を消すなど、出来るはずもない。今の私にとっても、かけがえのない記憶なのだから。
Q:シグナム、貴様……演技が上手いな。どれ、もういい加減疲れてきただろう。ここらで芝居は終わりにしようではないか。
A:リイン、貴様ぁ!
と、このように質疑応答を繰り返したわけなのだが、シグナムさんは全くボロを出すことも無く全ての質問に真っ当な答えを返してきた。そして一時間にも及ぶ舌戦の末、ついに私達は確信するのだった。
「おいハヤテ、こりゃマジで性格が戻ってるぜ」
「へえ、ヴィータちゃんが言うからにはそうなんでしょうね。いや、驚きです」
「はあ、はあ……だから……始めからそうだと、言っているでしょう……」
「あら、なんだかあなた疲れてるみたいね。やっぱり慣れない演技をして疲れが──」
「喋りすぎて疲れたんだっ!」
「冗談だと気付け。そういうところは前の性格の方が一枚上手だったのではないか?」
「ぐっ、なんという屈辱……」
そう、シグナムさんの言っていたことは本当で、彼女の性格が私と出会う前の実直なものに戻っていたのだ。昔のシグナムさんをよく知るヴィータちゃん達が太鼓判を押したのだからこれはもう間違いない。
で、確信を得た後なのだが、堅物なシグナムさんというものに私が興味を惹かれないはずも無く、シャマルさんに入れてもらった麦茶で彼女がノドを潤す中、私はシグナムさんのそばにすり寄って話をしようと持ち掛けた。すると、彼女も始めからその気だったようで、快く了承してくれた。
ヴィータちゃん達も「久々にシグナムとまともな会話が出来る」と会話に加わってきたため、しばらくの間リビングには姦しいほどの住人達の声が響き渡ることになった。(ザフィーラさんは相変わらず死んだように眠っているので、起こしては悪いと放置している)
性格が戻った(ヴィータちゃん達曰く堅物である)シグナムさんとの会話は思いのほか楽しかった。おちゃらけたシグナムさんとは真逆の性格らしく、私の冗談に真面目な顔をして返答したり、シャマルさんにからかわれて顔を赤らめたりと、彼女の新たな一面を知ることも出来た。
そうして会話に花を咲かせること一時間。いつもならもう布団に入る時間を迎えたのだが、私達は興奮冷めやらぬといった感じで間断なく会話を続けていた。
しかし、私が放ったある一言でリビングは静けさに包まれることになる。
「……ところで、聞こう聞こうと思っていたのですが、シグナムさんの性格が戻った原因って……やっぱりアレでしょうか?」
私のこの質問に、みんなは「ついにその話題に触れたか」といった表情になり、私が見つめる物体へと同じように視線を送った。みんな先ほどからチラチラと見ていたが、まさか、そんなベタなことがあるわけが……と話題を先延ばしにしていたのだ。
みんなの視線を一身に受けた物体、それは、シグナムさんが最後に口にしたチョコレート……ウイスキーボンボン。その名の通り、チョコレートの中に少量のウイスキーが入ったアレである。
「いやいや、まさか、そんなわけねえって。アルコール摂取して性格変わるとかベタすぎだろ」
「いや、主の言う通りだと思う。実際、私はあれを食べた直後に変化したわけだしな」
「……うそん。どんだけ基本に忠実なんだよお前。しかもたった一つでって」
シグナムさんの指摘に愕然とするヴィータちゃん。けど、気持ちはよく分かる。私だってにわかには信じられないし。
というか、バグが僅かな量の酒で直るとかそれでいいのかロストロギア。大したことないな、おい。
「でも、それじゃまるで今のシグナムさんが酔っ払った状態で、はっちゃけたシグナムさんが素面の状態みたいですね」
「恐ろしいことを言わないでください、主ハヤテ。今の私が本来の有り様なのです。あんな変態がデフォルトなわけが……あんな、変態……おおおぉ……」
「何回自爆したら気が済むんだよお前は」
またゴロゴロと転がり始めたシグナムさんを尻目に、切れのいい突っ込みを入れたヴィータちゃんは満足そうに麦茶を口に含む。堅物と聞いて心配していたが、どうやらこっちのシグナムさんも中々にボケの才能はあるようだ。これならヴィータちゃんも安心して突っ込めるだろう。……いや、何かおかしいな。まあいいか。
それはさておき、気になることがある。
シグナムさんがウイスキーボンボンを食べて性格が戻ったというなら、シャマルさんやザフィーラさん、リインさんなどはどうなのだろうか。ヴィータちゃんだけは性格はほとんど変わっていないと聞くが、私の下に転生してから変化したという彼女達であるならば、アレを食べればまた元に戻ったりするんじゃないだろうか。
そんな好奇心とも言える疑問が私の中に湧き上がった。食べさせたい。そして見てみたい、昔の彼女達の姿を。以前マルゴッドさんがバグを直すか聞いてきた際はそのままでいいとも思ったが、こうしてシグナムさんの新たな一面を見てしまった今、シャマルさん達の別の一面も見てみたいと思うのは自然の理であろう。
……よし、食わせちゃれ。
「シャマルさん、どうです? ここは一つ、あなたもアレを食べて原点回帰をしてみるというのは」
「え? 嫌よ、私は今の自分が気に入っているの。それに、お酒は嫌いなの」
「むぅ……」
思いついたら即実行が信条の私であるからして、早速シャマルさんに勧めてみたものの、呆気なく断られてしまった。
ぬぬ、ならばザフィーラさんは、と視線を部屋の隅に移してみるが、いまだに寝たままなので今は食べさせることも出来ない。
となれば、残るはリインさんのみ。私は期待を込めた瞳を彼女が座るソファーへと向ける。が、なぜだかそこにリインさんの姿は無く、彼女はいつの間にか立ち上がってテーブルのそばに佇んでいた。
何をするのかと見守っていると、なんと彼女はテーブルに置いてあった例のウイスキーボンボンに手を伸ばし、みんなが何かを言う前にひょいっとそれを食べてしまったではないか。
「む、なかなか美味いな。……ん? あ……ああ……」
果たして、私の願いは図らずも叶えられることとなった。
チョコを食べた直後、リインさんは先ほどのシグナムさん同様に震えだし、そして動きを止めたかと思えばいきなり顔を赤くしてソファーに顔を埋めたのだ。シグナムさんと全く同じ反応である。
「死にたい……死にたい……誰か私を殺して……」
ただ、漏れ聞こえるセリフは若干物騒なものになっていた。
そこまで厨二的な発言が恥ずかしかったのか。まあそれもそうか、誰にとってもああいったものは黒歴史だしね。
今のシグナムさんはまともだし、この場にいる全員が空気を読めるため、羞恥に悶えるリインさんに声を掛ける人物は現れない。今はそっとしておくのが優しさだとみんな分かっているのだろう。後で慰めてあげよう。
「……にしても、これでこのウイスキーボンボンが原因だとハッキリしましたね。いや、中に入ってるお酒が、でしょうか」
リインさんから目を背けていた私は、騒動の発端となったブツを見下ろして呟く。
……そういえば、シグナムさんと話してたらまた少し小腹が空いてきたな。私も一ついただくとしよう。
「ああ、そうみたいだな。てか、まだ気になることがあるんだけどさ、こいつらの性格ってもう……って、おいハヤテ、お前まで食べるのかよ。少しとはいえ酒が入ってるんだぜ?」
もう誰も食べる気配が無いようだったので、しめしめ、と私は四角い容器から一つ指でつまんでポイッと口に放り込んだ。うん、デリシャス。ウイスキーボンボンは初めて食べるけど、結構イケルじゃないか。
「大丈夫ですよ。ウイスキーボンボンっていうのは大抵が子どもでも食べられるようになってますから。一個や二個食べたところでどうということはありません。それより、今何を言おうとしたんです?」
「ん、いや、シグナムとリインの性格ってさ……」
ぐらり。
ヴィータちゃんの言葉を聞いていた途中で、なぜか急に視界が傾く。おまけに音もよく聞こえなくなった。
……あれ、なんだこれ? どうなってんの。え? え?
「は……くっ……」
あっれー? ほんとに何だこれ。なんか体まで熱くなってきてんじゃん。まるでサウナだ。熱い熱い。いつから八神家のリビングにサウナなんて設置されたんだよ。ロリコンか? あのロリコンの仕業か? よーし、あのヒゲ今度あったら容赦しねぇ。マジで盗聴器仕掛けてやがったしな。自慢のヒゲを剃ってやる。全部だ。体毛を剃られた哀れなプードルみたいにしてやる。
「──い──どうし──ハヤテ──」
「ハヤテちゃん────顔が赤──」
周りが何か騒がしい気がする。でもそんなの気にしてらんない。こっちは今それどころじゃないんだよ。体が熱くて熱くて溶けそうなんだよ。
ああ、もう。やばい、このままじゃ、本当に……
…………………
…………
……お?
「──ハヤテ、おい、しっかりしろって。まさかマジで酔い潰れちまったのか?」
「こうなったら、もう寝室に運んで寝かすしかないかしら?」
さっきまで傾いていた視界が元に戻り、周りの声もハッキリと聞こえるようになった。体はまだ熱いままだが、これなら普通に動けそうだ。
なんだよ、びっくりさせやがって。マジで死んじゃうかと思ったじゃんかこのやろー。驚いて損したよ。
ああ、それにしても、驚いたらなんだか急に胸が揉みたくなってきた。お、手頃なところに、一、二、三。三人も良いおっぱいの持ち主がいるじゃないか。いいよね? 揉んでもいいよね? だってあんなにビックリしたんだから、私にはおっぱいを揉む権利があるはずだもん。これはもう世界の理。
「む? 主が顔を上げられたぞ」
「お、ほんとだ。おーい、大丈夫かー? 自分で寝室まで行けるか? 無理そうだったらあたしらが運んでいくけど──」
は? 寝室? 行くわけないじゃん。まだ胸揉んでないのに。そんなことも分からないなんてヴィータちゃんもまだまだだなぁ。だから胸が小さいままなんだよ。女ならボインを目指そうよ。貧乳はステータス? そんなのは戯言よ。
にしても、みんなちょっとうるさいなぁ。声がガンガン頭に響いてくるんだよ。
ああもう、うるさい、うるさい、うるさいなぁ。黙れっていうのが分かんないかなぁ。ああ、だから、もう──
「うるせええええぇっ! お前ら黙って私に胸を揉ませろぉーっ!」
「……………は?」
「……ハ、ハヤテちゃん?」
なんだよ、なんだよ、なんですかぁー? みんな揃って鳩が豆鉄砲くらった様な顔しちゃってさぁー。今私変なこと言ったぁ? 言ってないよね。ただ胸揉ませろって言っただけだし。ほら、いつも通りの私じゃん。
「……ハヤテ、お前、悪酔いしてる?」
「えええぇ~? 何言ってるんですかぁ、ヴィータちゃーん。私、酔ってなんかいませんよぉ。ウヒッ」
「完全に出来上がってんじゃねーか!」
うるっさいなぁ、怒鳴んないでよ。頭痛いんだってば。それに体も熱くて熱くて、もう服なんか着てらんないっつーの。
「ちゃらりらら~。わ~お、セクシー」
「いきなり服脱ぎだしたし……お前、今は幸運なことにアイツがいないからいいものの、もしいたら大変なことになるぞ」
「え~? どうでもいいってそんなの。それよりさぁ、ちょっとこのシャツ脱ぐの手伝ってくれません? なんか上手く脱げなくって」
ガラッ!
「その役目、私が引き受けたぁっ!」
「何か来た!?」
脱げないシャツに四苦八苦していると、リビングの窓が開いて変態紳士が現れた。
よくぞ来たなロリコン。あはぁ、ここであったが百年目。さて、神谷ハヤテ、どうする? どうする? どうしちゃう?
──ロリコンがシャツを脱がしたそうにこちらを見ている。
一、仲間にする。
二、警察に通報する。
三、見逃す。
四、ヒゲを剃る。
「二も捨てがたいが、せっかくだから私は四を選ぶぜええええーっ!」
「む? はやて君、なんだか様子がいつもと違う……なっ! 一体何を!?」
獲物を見つけたガゼルのごとく、私はグレン号を操作して一直線にロリコンに肉薄する。そして、勢いを利用して奴の胸元に跳び付き首にぶら下がる。さぁて、後はヒゲを剃るだけ……あ、ヒゲ剃りもカミソリも持ってねえや。んー、なら、ぶっこ抜くか。
「は、はやて君が抱きついて……おお、私は今猛烈に感動して──」
ブチブチ。
「いたああああああ!?」
「wwっうぇwwwwっうぇww」
オラオラ、ロリコンのくせに偉そうにヒゲなんか伸ばしてんじゃねー。ケッケッケ、つるっつるにしてやんよ。
「……なんつー恐ろしいことを。ハヤテって酔ったらあんな風になるんだな」
「私とはまるで正反対だな。以後、主がアルコールを摂取しないように注意すべきか」
「守護騎士諸君! のんきに見てないで助けてくれたまえ! ぬあああ、私のヒゲがぁ!?」
フヘヘ、ざまーみそしる。この場にノコノコ現れたのが運の尽きだっつーの。あー、でもヒゲぶっこ抜くのも飽きたな。しょうがない、この辺で許してやるか。ハヤテ様の慈悲の心に感謝しな!
「あ……ああ……私のダンディーなヒゲが……」
ストン、と首から手を離してグレン号のシートに舞い戻った私は、アゴを押さえてむせび泣くロリコンをあざ笑いながら後退する。
さて、次の獲物は誰にしようか。そんな事を考えつつ三つのおっぱいの持ち主を品定めしていると、またもやリビングの窓から人影が滑り込んできた。千客万来だな。フヒヒ。
「はやてー、さっきはごめんね~。今度はちゃんとしたチョコ作ってきたからさ。あ、変なものとか入ってないよ? ほんとだよ? ロッテだけにチョコレートにはうるさいんだよ?」
「うるせえええ! いいから黙って私に胸揉まれろ!」
「……え? なに? どうしたのはやて。頭でも打った?」
なにがおかしいのか、いつも通りのはずの私を見て、闖入者のロッテさんは目を白黒させている。だからなにがおかしいんだよぉ。私はいつも通りだって言ってんじゃんか。
「こら、ロッテ、それにお父様。こんな夜更けにお邪魔したら迷惑でしょう。ほら、帰りますよ」
と、苛つきながら変態ネコ女を睨んでいると、そこに今度は双子の片割れであるアリアさんがやって来た。
優雅な動作で窓からリビングに侵入してきた彼女は、床にへたり込んで散らばった自分のヒゲをかき集めていたロリコンとロッテさんの手を取ると、いつものように二人を廊下まで引っ張っていき、去り際にぺこりと一礼して玄関へと向かった。早業だなぁ。言葉を挟む暇もない。
「ちょ、待ってよアリア。まだハヤテにチョコ渡してないって。ロッテ印のチョコレート……」
「私のヒゲ……」
「はーいはいはい、いいから帰りますよ」
次第に声が遠ざかっていき、バタン、とドアの閉まる音が聞こえると同時に再び八神家に静寂が訪れる。
うん、いつもながら見事な仕事だ地味女、じゃなかった、アリアさん。双子のおっぱいも楽しみたかったが、あのうざったいヒゲを連れ帰ってくれたからよしとしよう。まじヒゲうざい。
「さーてと……」
ロリコンも消えたし、もう誰かがいきなりやって来ることもないだろう。だったら心置きなくおっぱいフェスティバルを開催できるってもんだ。お預けくらってたせいでもう我慢の限界なんだよなぁ。手が疼いて疼いてしかたないっつーの。
「うっ……主がこちらに狙いを定めたようだ。シャ、シャマル、なんとかしろ」
「酔っ払いの相手なんてごめんだわ。シグナムがなんとかしなさいよ。あなたリーダーでしょ」
「今の私ではあの主を上手くあしらえる自信が無いのだ。かと言って大人しく胸を差し出すのも御免こうむる。む、そうだ。おいヴィータ、お前ならなんとか──」
「悪い、あたしもう風呂入って寝るわ」
「お前一人だけ守備範囲外だからって!」
アクビを漏らしながらリビングを出ていくヴィータちゃんを、シグナムさんとシャマルさんが恨めしそうに睨んでいる。
まあ私はお子ちゃまには用は無いからヴィータちゃんは見逃そう。だが残る三人は絶対に逃がしゃしねえ。絶対にだ!
「まずいな、臨戦態勢に入ったぞ。こうなったら、もう主の戯れに付き合うしかないか」
「律儀ねぇ、あなた。あら? そういえばリインは何をして──」
「死にたい……死にたい……」
「まだやってたのね……」
どうやらシグナムさんは覚悟が決まったようで、観念した様子でソファーに座り込んだ。シャマルさんはリビングから一度逃走しようと試みたが、すかさず私がドア付近に回り込むと逃げるのを諦め、シグナムさんの隣に疲れた表情で座った。フヒヒ、どうやら諦めたようだ。
リインさんはさっきからソファーの上をゴロゴロ転がっているから逃げる心配も無い。おお、完璧な布陣だ。これはもう勝利の音頭を取るしかあるまい。
「おーっぱい! おーっぱい!」
「おい、いきなり手を振りながら叫びだしたぞ」
「酔っ払いのやることは分からないわね……」
さて、やることはやった。やらなくていいこともやった。むしろ無駄なことをやってしまった。だがその無駄がいい。何がいいのか分からないけど、とりあえず格好つけておく。……ん? 自分でも何考えてんのかよく分かんなくなってきた。けど問題無い。もうおっぱいはすぐそこにあるのだから。
ああ、ようやく、ようやく揉める。私の、私だけの、おっぱい……
「…………あ?」
あれ? おかしいな。急に視界が曇ってきた。それに体が言うことをきかない。うそ、なんでさ。
止めとばかりにシグナムさん達の姿が遠のいていってしまう。あ、ちょっと待ってよ。どこ行くんだよ、私のおっぱい。おーい、おいでー、こっちに戻っておいでー。沖縄いいとこ一度はおいでー、って違うよ。何言ってんだよ私は。寒いよ。沖縄はあったかいけど心が寒いよ。
あ、つまんないギャグかましてるうちにおっぱいがあんなに遠くに。そんなバカな。しかもどんどん辺りが暗くなってきてる。うわ、もう真っ暗に……
く、くそう。こんなところで終わってたまるか。もう少し、もう少しのところだったのに……あ、意識が、もう……
ううっ……神谷ハヤテ……一生の、不覚……
◆◆◆◆◆◆◆◆
翌朝、目を覚ました私はなぜか酷く痛む頭に疑問を覚えつつ起き上がり、着替えを済ませてからリビングに向かった。いつもならヴィータちゃんに着替えを手伝ってもらうのだが、私が起きた時にはすでに全員の布団はもぬけの殻になっていたため、久々に一人で着替えることになったのだ。
時計を見てみれば時刻はすでに十時を回ろうとしていた。私がこんな時間まで起きなかったことも珍しいが、先に起きたみんなが私を起こしてくれなかったということの方が気になる。こんなことは今まで無かったのに。
「あ、皆さんおはようございます。あの、何で起こしてくれなかったんですか?」
痛む頭を押さえながらグレン号を操作してリビングに入ると、中には全員が揃っており、みんなが挨拶をした私の顔を見てくる。……なぜか苦笑しながら。(ザフィーラさんだけ昨日と同じように床に寝てるが)
みんなの表情に首をひねっていると、パソコンを操作していたヴィータちゃんが椅子から立ち上がり、私の方にやって来た。
「あー、悪かったなハヤテ。何度か声掛けたんだけど、なかなか起きないからそのまま寝かしといたんだ」
「あ、そうだったんですか。しかしおかしいですね。昨日はいつも通りの時間に寝たはずなんですが。なんでこんな時間まで起きなかったんでしょうかね?」
「……お前、もしかして昨夜のこと覚えてないのか?」
昨夜のこと? 何のことだろうか。昨日の夜は確か夕飯の後にチョコレートパーティーを開いて、シグナムさんがおかしくなって、いや、まともになって、色々と話をして、その後リインさんまで性格が戻って、それから、えっと……あ、そうそう。眠くなったからすぐに布団に入ったんだった。
「覚えてますよ。シグナムさんのことも、リインさんのことも。でもやっぱりおかしいですね。昨日はリインさんがウイスキーボンボン食べた後にすぐに寝たはずですから、寝坊する理由が分からない」
「都合の良いように記憶が改ざんされてやがる……」
小さく呟くヴィータちゃん。いってる意味がよく分からないな。
「まあそれはもういい。それよりだな、ハヤテに知らせることがあるんだ。性格が戻ったはずのシグナムとリインなんだけど──」
と、そこまで言ったヴィータちゃんを後ろから押しのけて、聞きなれた声のトーンと見慣れた表情を伴いながら、彼女は現れた。
「じゃじゃーん! シグナム、復活! いやー、昨日は大変お見苦しいところを見せてしまってすまんかった。シグナム、超恥ずかしい」
「……あれ?」
私の前に姿を見せたシグナムさんは、昨夜の凛々しさなど欠片も感じさせずに、いつも通りのテンションと口調ではしゃいでいるではないか。
横に押しのけられたヴィータちゃんはと言えば、私を見つめながらやれやれと言った感じで苦笑している。
……これは、まあ、恐らくそういうことなんだろうな。
「なんともお約束的な。つまりは……」
「ああ。アルコールが切れたから元に戻った、と。そういうことだな。あ、この言い方は適切じゃないな。またおかしくなった、って言うべきか」
なんとまあ。もしかしたらそんなオチが待っているんじゃないかとは思ったけどさ。ほんと期待を裏切らないなぁ。
「ということは、リインさんも同じように?」
「あー、それなんだけどさ……おい、リイン、ちょっとこっち来い」
途中で言葉を濁したヴィータちゃんは後ろを振り向くと、ソファーに座って漫画に視線を落としているリインさんをこちらに呼びつける。
「何だ、今いいところだから後にし……う、ぐああああ……」
呼ばれたリインさんはチラリとこちらに眼を向けるだけで立ち上がろうとしなかった。が、いきなり彼女は芝居がかった動作で頭を押さえると、苦しそうに呻き始めた。
そして、待つこと数秒。ようやく動きを止めた彼女は、ゆらりと立ち上がってゆっくりと私達の方へ足を進め、ポカンとする私の目の前まで来ると、うやうやしく頭を下げてきた。
「ああ、我が主。これまでの蛮行、どうか、どうかお許しください」
……何だこれは。いつもの慇懃無礼なリインさんはどこにいった。リインさんの敬語とか初めて聞いたぞ。
「ヴィータちゃん、元に戻ってるんじゃないんですか? こんなのいつものリインさんじゃないですよ」
「いや、問題はここからでな」
小声でヴィータちゃんに問い掛けると、彼女はウンザリとした顔をしながら「見てな」とリインさんをアゴで指す。わけの分からないままリインさんへと視線を戻した私は、彼女が次に起こした行動で全てを悟った。
なんというか、見てて非常に痛々しいのだが、私に頭を下げたリインさんは再び頭を両手で押さえると、以下のような会話(?)を始めたのだ。
「ぐあああ、止めろ、出てくるな。貴様は出てきてはいけない存在なんだ」
「ふはははは、足掻け足掻け、もはや手遅れだがな!」
「あ、主、いけません、このままでは再び奴が出てきてしまう。早く……」
「残念だったな。もはやこの身体は掌握済みだ。貴様は永遠に闇の底で眠っているがいい」
「き、貴様ぁ……」
……うん、もうね、痛々しくて見てらんない。
だけど、これでどういうことかよく分かった。要するにリインさんもアルコールが切れて元の性格に戻ったんだな。で、厨二要素が大好物のリインさんは、昨日のシグナムさんの様子にインスピレーションを刺激されてこんなバレバレな一人芝居を打っている、と。
……わたくし涙が止まりません。
「リインさん」
「どれだけ足掻こうとも無駄だと言うのがまだ──」
「あの、リインさん」
「え?」
「その、あなたの趣味は分かりましたから。とりあえずそれはもういいんで」
「え、あ、うん……」
私のリアクションが気に入らなかったのか、どこか釈然としない様子ですごすごとソファーに戻るリインさん。彼女の厨二病は治るどころか時が経つごとに酷くなっている気がする。永遠の十四歳じゃないんだから厨二は早く卒業してもらいたいものだ。……お酒をたくさん飲ませたら直ったりしないかな?
「結局、二人とも元に戻っちゃいましたね。そういえば、私厨二病じゃないリインさんと全然会話しませんでした。少しぐらい話せばよかったです」
少し残念な気もするなぁ。あの時のリインさんってどんな感じだったんだろうか。ソファーの上で恥ずかしがってた姿しか見てないけど、さっきのリインさんみたいに敬語で話したりするのかな?
「少しの間とはいえアルコールで性格が元に戻るって分かったんだから、また摂取させりゃいつでも話せるんじゃねーの?」
「あ、それもそうですね」
よくよく考えてみれば、ヴィータちゃんの言う通りいつでも普段とは違った彼女達と会うことが出来るんだった。おお、これはすばらしい発見だ。
真面目なシグナムさんともまた話してみたいし、今回会話できなかったリインさんとだって話したい。チャンスがあればシャマルさんにもお酒を飲ませてみよう。彼女の新たな一面を見るというのも楽しみだ。それにザフィーラさんだって……
……ん? ザフィーラさん?
「あの、ザフィーラさんさっきからピクリとも動きませんが、眠ってるだけですよね?」
「え、ああ。あいつ昨日のチョコレートパーティーからずっとあそこで寝てんだよな、朝飯も食わずに。まったく、老犬かっつーの。おいザフィーラ、いい加減に起きろー」
……ん? チョコレートパーティー? ……チョコレート?
何かが頭の中で引っかかっている。けどそれがなんなのかが思い出せない。何だろう、何かとても大事なことだったような気がするんだけどな。
私がうーんうーんとうなっていると、ザフィーラさんの背中をポスポス蹴っていたヴィータちゃんが、なかなか起きないザフィーラさんをいぶかしんで寝顔を覗き込んだ。
そして次の瞬間、リビングにヴィータちゃんのけたたましい悲鳴が響き渡る。
「うわあああああ! ザフィーラ、死んでるううう!?」
「え? ちょっ、えええええええ!?」
あ、思い出した。チョコレートって犬には毒なんじゃん。食わせちゃまずいでしょー、常識的に。
「って、今頃思い出してどうする私っ!」
肝心なところでポンコツな頭を振りつつザフィーラさんの下へと向かう。
眠ったように動かないザフィーラさんの顔を見れば、確かに死んでいると思ってもおかしくないほどに酷い顔をしていた。だが、それはヴィータちゃんの勘違いだったようで、幸いなことにまだ呼吸はしているし、ちゃんと生きている。
ああ、でもやばい。よだれが垂れっぱなしだし、僅かだが痙攣もしている。早く治療しないとマジでくたばってしまいそうだ。
「あーん? だらしねえなぁ。おい犬、それでも盾の守護獣ですかー?」
ゲシゲシ。
「シグナムさん、蹴っちゃめぇ! チョコは犬に毒だったんですよ。ああ、もう、どうしたら……あ、そうだ! シャマルさん、回復魔法でザフィーラさんを治してください! 彼の体内からチョコを全て排出してください!」
「え? 無理よ、そんな回復魔法無いもの」
「ですよねー!」
あわわわ、どうしよう、どうしよう、と右往左往すること一分。
「動物病院連れてきゃよくね?」
「あ」
ヴィータちゃんのナイスアイデアによって、ザフィーラさんの一命は取り留められましたとさ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
某動物病院にて。
「ハヤテちゃん、この子、ひょっとして狼なんじゃ──」
「犬です」
「いや、でも──」
「犬です」
「……そうね、犬よね。久遠みたいな子がいるくらいだし、こんな犬がいてもいいわよね」
◆◆◆◆◆◆◆◆
あとがき
明けましておめでとうございます。
最近ある事情により筆を取る気力が出なかったのですが、ビッグサイトでヒャッハーしてきたら急に書きたくなってきてしまいまして、再び筆を取った次第です。
今後も更新は不定期になるかと思いますが、上がっていたときはまあ暇つぶしにでも読んでやってください。
……なのはブースの情報戦は今回も熱かったなぁ。