はやてに異変が起きたと思ったら、今度は守護プログラムまでもがえらいことになっていた。さらに、はやては守護プログラム達による蒐集行為の一切を禁止し、自分がマスターである間は普通の人間のように平穏に暮らすことを守護プログラム達に誓わせた。
その様子をこっそり盗聴していたリーゼ姉妹は始めは色々と騒ぎ立てたものの、気持ちを落ち着けて思考に耽った結果……
「……取り敢えず、父様とこの事を話し合いましょう」
「それが妥当だね。アタシ達だけで考えてても仕方ないし」
という結論に至り、急ぎグレアムの居る本局へと戻ることにしたのだった。
守護プログラム達に転移反応を察知されないために離れた所で転移しようと、リーゼ姉妹はその場を離れようする。が、塀から地面に跳び降りたところでロッテは足を止め、ふと気付いたことをアリアに質問する。
「監視、どうしよっか。はやて放っておいて大丈夫かな?」
背中に問いを投げかけられたアリアは、何を言ってるんだこいつは、というような顔で後ろのロッテを見やる。
「守護プログラム達が付いてるんだから護衛という面では心配無いし、これ以上盗聴してても有益な情報は得られそうにないわ。そんなこと言われなくても分かるでしょう」
「いや、でも、あいつらバグってるみたいだしなんか不安なんだよね」
「一応、一人だけまともなのが居るようだから、そこまで心配する事も──」
ない、とアリアが言おうとしたその時、巨大な魔力反応が八神家内部に発生。次の瞬間、バゴォッ! と豪快な音が周囲に響き渡り、八神家の一角が大きく揺れた。
「…………」
「…………」
二人は無言でイヤホンを耳に装着し、スイッチを入れる。
《壁と床と家具の修繕費、体で払ってもらおうか》
《正直、すまんかった》
《まったく、今後は気を付けてくださいね》
《かたじけない》
そこまで聞いた二人はイヤホンをひき剥がし、視線を交わして頷く。
「アタシ、監視続けてるわ。父様の所にはアリアが行ってきて」
「了解。はやての身の安全は保障出来ないという事がよく分かったわ。というかどんだけバグってるのよ……」
額に汗を垂らしつつ再び塀に登るロッテを尻目に、アリアはバグりすぎの守護プログラム達に悪態を吐きながらグレアムの下へと向かうのだった。
時空管理局本局にあるグレアムの私室。そこではその部屋の主であるギル・グレアムがソファーに身を沈めて、眼前に展開した半透明のモニターを真剣な顔付きで凝視していた。
「…………」
凝視である。食い入るように見つめているのである。その様子はまるでのんきに平原を歩くインパラを草葉の陰から狙うガゼルのごとし。
時空管理局歴戦の勇士の通り名を持つグレアムがぎゅっと拳を握り締めながら見つめる長方形のモニター。そこに映るもの、それは……
『待って~、待ってよお姉ちゃ~ん。置いてかないでよ~』
『遅いわよスバル。早く来ないとゴハン先に食べちゃうんだから』
『うう~、いじわる~』
公園を歩く小さな二人の幼女であった。見た目、五、六歳くらいの。
「…………」
グレアムは見る。見まくる。穴が開くほどにモニターをガン見する。二人の幼女を。
やがて、妹が姉に追いついて手を握り合って帰宅する場面になった時、映像が途切れる。そこでグレアムは前のめりになっていた体をソファーに戻して脱力し、モニターを消しつつテーブルに置かれたカップを手に取ってコーヒーを一口すする。ふぅ、と一息ついたグレアムはカップをソーサーに戻すと、満ち足りた表情になって一言。
「やはり、幼女はいい……」
人に聞かれたら通報確実な言葉を呟いたグレアムは、映像に夢中で朝食を取っていなかったことを思い出すと、何か食べてこようとソファーから立ち上がり体を部屋の出入り口へと向ける。が、
「…………」
「…………」
そこには、汚物を見るような目をグレアムに向けたアリアが立っていた。
ザ・ワールド。時は止まる。
「…………」
「…………いや、違くて」
時が止まった世界で先に動き出したのは英国紳士グレアム。今回ばかりはレディーファーストとか言ってられないようだ。
「違うんだアリア。今の映像はだな、えーと、あれだ。ちょっとした用事でミッド西部に行ったんだが、帰りに寄った公園に綺麗な花が咲いていたからそれを撮影しようとしてな? その時になんの弾みか映ってしまったのだよ、幼女が。そう、偶然。すべては偶然の産物なのだ」
言い訳を並べ立てるグレアムを無表情に見返すアリアは、これまた無表情に口を開く。
「ごたくはいらないので、取り敢えず今の映像のメモリーを消してください。それですか? その通信端末に入ってるんですか? 今すぐ消してくださりやがれ」
思わず口調がおかしくなってしまうアリアだった。まあ、自分の主が犯罪一歩手前な行為をしていたのだから言葉も乱れるというものだろう。
対して、アリアに詰め寄られたグレアムはというと……
「はっはおいおい、何を誤解しているのか分からんが別にやましい事なぞこれっぽっちもないぞ。おおっと、そういえば私に何か用があって来たのではないのか? さあ、この紳士の中の紳士、キングオブジェントルマンに言ってみるといい」
アリアに奪われまいと携帯型の端末を後ろ手に隠し、さり気なくデバイスを展開して威嚇行動を取る。
ダメだこいつ、早く何とかしないと、と胸中でアリアは焦るが、すでに手遅れなような気がしたので諦めて話を進めることにした。どこまでもかわいそうな使い魔である。
「はあ、もういいです。……で、本題に入りますが、闇の書が起動しました」
「っ!……そうか、とうとう」
アリアの報告を聞き一瞬で真顔に戻ったグレアムは、後ろに隠した端末をこっそり秘密の小部屋に転送すると、アリアをソファーに促して自身も対面に座り、話を聞く態勢になる。
「報告はそれだけではあるまい。相談したいと顔に書いてあるぞ」
「流石は父様ですね。ええ、実は困った事になってしまいまして……」
「それは?」
問うグレアムに対して、アリアは少し前に第97管理外世界で見聞きした出来事を伝える。闇の書の起動から始まり、守護プログラムの様子がおかしいこと、そして、はやてが守護プログラム達に蒐集行為を禁止させたことを。
話を聞き終えたグレアムは、ふむ、とアゴに手をやり、しばしの間思考に没頭する。
「……アリア」
そうして思考に時間を費やすこと三分。焦れてきたアリアが口を開こうとした矢先、先手を打つようにグレアムがアリアの目を見据えて名前を呼び、そのまま言葉を続ける。
「アリアははやて君のことをどう思っている?」
「え?」
突然の問い掛けに戸惑うアリアだが、質問の意図がよく分からなくとも答えるべきだと察し、率直に思ったことを述べることにした。
「嫌いではありません。いえ、むしろ好意的な感情を向けています。今まで一人で暮らしてきたのに歪むことなく真っすぐ育ちましたし、弱音を吐かない強さも持ち合わせています。……ただ、内に溜めて吐き出さなかったせいで、人格障害を起こしてしまいましたが。でも、今のはやてもとてもいい子です。ロッテもあの子のことを気に入っていますし」
「……そうか。まあそうだろうとは思っていた」
頷いたグレアムは窓に顔を向けて目を細め、かつて一度だけ対面したことのある少女を思う。八神はやて。幼くして両親を亡くした悲劇の少女。闇の書に選ばれた主。強いが、儚い少女。
そして……
「……様子見だ」
視線を窓からアリアに戻したグレアムは甘い対応だと自覚しながらも、静かに、しかしハッキリと目の前の使い魔に告げる。
その言葉を受けたアリアは、思ってもみなかった主の返答に目をパチパチさせると不思議そうに聞き返す。
「様子見、ですか? 蒐集せざるを得ないような状況を作り出すのではなく?」
グレアムの闇の書に対する憎しみの深さを知っているアリアからすれば、様子見などという日和見(ひよりみ)な対応をするなど想定外であり、てっきり無理にでも蒐集をさせるように命令されると思っていた。ゆえに、今のグレアムの言葉が何かの間違いではないのかと疑ってしまったのだ。
だが、再度のグレアムの発言を聞き、アリアはそれが間違いではないのだと知る。
「そう、様子見だ。不服か?」
「不服、ではないですが……」
奥歯に物が挟まったようなアリアの物言いに、グレアムはフッと苦笑を浮かべると、カップに手を伸ばしてコーヒーを口に含む。そして、一息吐くと再びソファーに深く身を沈め、滔々(とうとう)と語り出す。
「私もな、メールのやりとりをしたりお前達から話を聞かされているうちに、あの子の事が気に入ってしまったのだよ。……性的にではないぞ? 純粋にだ」
余計な一言であった。
「それに、今回の件でますます気に入ってしまった。幼さゆえの純真さなのかもしれんが、人を傷つけることを嫌って蒐集を禁止させるとは、なんと素晴らしいことか。力を求めず平穏を求めるとは、それだけで尊敬に値する。だから、それゆえの様子見だ」
「確かにはやての決断は誰もが出来る事ではないでしょう。ですが、それでは闇の書の封印はどうするのですか? このままずっと様子見を続けるおつもりで?」
アリアの当然の質問に、グレアムは真っすぐ目を見つめ返しながら答える。
「いや、封印はいずれ行う。ただ、今はまだその時ではないというだけだ。そうだな……はやて君が成人したその時、または何らかの理由により守護プログラム達が蒐集を開始した時。そのどちらかが訪れた時に、私達は再び動き出すとしよう。監視は続けるが、それまでは静観に徹することにする。それでいいな?」
その決定にアリアは不満を唱えるはずもなく、グレアムの心変わりを大いに歓迎しながら答える。
「はい! 了解しました」
アリアは小躍りしたい気持ちを抑えつけて、退出するために立ち上がる。
あと約十年。たとえ将来凍結封印することが決定付けられていたとしても、はやてにはそれだけの未来が与えられた。本来得る事が出来なかった時間なのだ。これが喜ばずにいられものか。
そう心中でこぼしながら部屋の扉の前に立ったアリアは、ソファーに座ったままのグレアムに振り返って会釈をすると、うきうきとした足取りで部屋を出ていった。
「…………」
その様子を黙って見ていたグレアムは、アリアが退出したと同時に大きく息を吐く。
(成人するまで、か。まるで私がはやて君の生殺与奪の権利を握っているようで、気分が悪い)
しかし、時が来たらグレアムは容赦はしない。闇の書の凍結封印は決定事項であり、すでにその覚悟を固めているからだ。はやてがどれだけ人格者であっても、闇の書を野放しにしておくことは出来ない。復讐のために、これ以上闇の書の被害者を出さないために、絶対に封印する。
「済まない、はやて君……」
出来れば、殺したくはない。現段階で闇の書を破壊して彼女をただの少女に戻すという手もある。だが、それでは闇の書が再び転生して破滅を世界に撒き散らしてしまう。それだけは許せない。だから、彼女が主であるうちに封印するしかない。
グレアムは少女を犠牲にしなければ悲願を達成出来ない自らの不甲斐なさに、ため息を漏らす。
(誰も犠牲にせずにすべてが丸く収まる、などという奇跡が起きてはくれないものか)
あり得ない未来を夢想しても時間の無駄か、と再度ため息を漏らしたグレアムは、アリアの訪問のおかげで遅れてしまった朝食を取るために、重い足取りで部屋を出るのであった。
闇の書が起動し、守護プログラム達が出現してからもリーゼ姉妹の監視生活は変わる事はなかった。海鳴に滞在中は八神家に張り付いて監視任務に励み、本局に戻れば管理局の仕事に精を出す。世のニート共に見習わせたいくらいの働きっぷりであった。
それだけ精力的に働けば大きなストレスや疲れが出るというものだが、リーゼ姉妹にはそのようなものは見られなかった。
なぜなら、
「すいません、イクラと中トロおかわりです。五貫ずつ」
「嬢ちゃん、たまには他のも頼みなよ……」
「イクラと中トロです。あ、やっぱり七貫ずつで」
「……あいよ」
疲れが出たならば常連となった寿司屋で骨休めをし、
《さらにさらにこのロリコン、実は私に熱を上げているようで、頼みもしないのにゲームやらマンガやらを送りつけてくるんです》
《ぬう、とんでもないロリコンだな》
《ってことは何か? このロリコンの気分一つであたしらは路頭に迷うことにもなりかねないって訳か?》
《相手は悪魔も裸足で逃げ出すロリコンの中のロリコンだっぜ》
「……ブハッ! あっはははは! ロリ、ロリコン。ぷはっ、はひ~、はひ~。さ、流石はやて。鋭い観察眼をお持ちのようで。腹いて~。……これ、父様に聞かせたら面白いことになりそうだなぁ」
溜まったストレスは、元気なはやての姿を見たり八神家の幸せそうな声を聞いたりして発散させていたからである。
そう、八神家には笑いが溢れていた。まるで両親を失う前のにぎやかさが戻ったかのように、はやては笑い、怒り、喜ぶようになった。すべては守護プログラム達が現れてから。
リーゼ姉妹は、当初は様子がおかしな守護プログラム達に困惑していたが、はやてと家族同然に過ごす様になった彼女達を見て感謝の念を送るようになった。彼女達のおかげではやては以前にも増して笑うようになったし、時折見せていた寂しそうな顔を見せることが無くなったからである。
一ヶ月、二ヶ月と平穏なまま時間が過ぎていった。
だが、闇の書が起動して四ヶ月の時が過ぎた、十月の中旬。リーゼ姉妹が恐れていた事態が起きてしまった。
守護プログラム達が蒐集を開始してしまったのである。それも、はやてを伴って他の次元世界に転移して魔法生物を狩るという方法で。
彼女達が蒐集を開始した理由はすぐに分かった。守護プログラム達の会話を盗聴したところ、はやての足の麻痺が早いスピードで進行しており、それは闇の書がはやての体とリンカーコアを蝕んでいるためであり、それを治すには闇の書を完成させるしかない、ということであった。
リーゼ姉妹はその事実に驚き、また、それに気付かなかった自分を恥じた。一番身近に居る守護プログラム達でさえ気付かなかった事なのだが、二人はそんなことは気休めにもならないとばかりに自らを叱咤(しった)した。なぜ今まで気付かなかったのだと。
やがて、二人はそんなことを今さら悔やんでも仕方ないと気を取り直し、以前グレアムに命じられた任務を遂行することにした。蒐集行為を手助けし、管理局の介入を妨害し、最後に闇の書をグレアムと共に凍結封印するという、悲しい任務を。
二人の報告を受けたグレアムもその事実に驚いたものの、以前下した命令を撤回することなく凍結封印の準備を進めることにした。心中では、やはり苦悩が渦巻いていたが。
リーゼ姉妹が監視する中、はやて達の魔力蒐集は滞りなく進んでいった。闇の書のバグの影響か、蒐集した魔力が守護プログラム達に分配されたり、転移するたびに犯罪者の集団と鉢合わせたり、はやてが一人ドラゴンが跋扈(ばっこ)する次元世界に放り出されたりと、多種多様なトラブルがあったものの、蒐集自体は早いスペースで進んでいき、みるみるうちに闇の書のページは埋まっていった。
絶対的なピンチになったり管理局が介入してきたら姿を現そうと、リーゼ姉妹は陰から蒐集行為を見つめつつスタンバっていたのだが、拍子抜けしてしまうほどにスムーズに事が進んだ。
そうして守護プログラム達が魔力蒐集を始めてから一ヶ月半が過ぎ……それは起こった。
「……ねえ、アリア。あれって何だと思う?」
「……えーっと、化け物?」
岩場の陰に隠れているリーゼ姉妹の視線の先には、触手やトゲなどを背中に生やした巨大な四足の化け物が身を震わせて咆哮を上げていた。距離にして百メートルほどは離れているにも関わらず、リーゼ姉妹の目にはハッキリとその異様が目に映っている。それほどに、デカイ。
「一体、何がどうなってるのさ……」
ロッテは呆然としたまま怪物を見つめ、誰にともなく呟く。
今日、リーゼ姉妹は二人ともオフだということで揃って監視任務に赴いたわけなのだが、まさか転移した先でこんな事態に直面するとはカケラも思ってはいなかった。
始まりは眼鏡をかけた女性とはやて達との出会いだった。遠くからこっそり尾行していたリーゼ姉妹は、いつぞやのビッグサイトとかいう場所ではやて達と知り合った女性がこの場に居るのを見かけた時は、「こいつも魔導師だったのか、ふーん」程度にしか思っていなかった。
だが、あの女性が守護騎士が持つ闇の書に強い興味を示したのを見て、これは何かあると警戒を強めた。
そして、案の定だった。あの女性はしばらくはやて達と言葉を交わすと、いきなり闇の書に自分のデバイスから生やした触手をブッ刺したのだ。離れた場所に居たから声は届いていなかったので、あの女性が何のためにあんな事をしでかしたのか分からないが、不確定要素は取り除くべきだと判断し、リーゼ姉妹はあの女性を排除しようと岩陰から飛び出そうとした。
その時である、事態が急変したのは。
眼鏡の女性が持つ闇の書から光が溢れ、気が付いたらそのすぐそばに巨大な怪物が出現していたのだ。
その後、はやて達はその場から避難するために飛び立って離れ、リーゼ姉妹も大事を取って怪物から少し離れて様子を窺うことにしたのであった。
「あの化け物さあ、闇の書の中から出てきたように見えたんだけど、どうなってんの?」
「私に聞かれても困るわよ……」
「あの女、闇の書に一体何したの?」
「私に聞かれても困るわよ……」
岩壁に隠れたままリーゼ姉妹はあれこれと議論を交わすが、どちらも何が起こっているのかサッパリなので正確な答えが出てくるはずもない。
やがて、二人が不毛なやり取りに疲れを見せ始めた頃、前方の化け物がその体を大きく振るわせて動き出そうとした。それと同時に、はやて達が移動したと思われる場所からドーム状の結界魔法が展開され、怪物とリーゼ姉妹を包み込んだ。
さらに、それからすぐに守護騎士の一人が怪物の下にやって来て攻撃を加え始めた。
「なに? あいつらあの化け物を倒そうとしてるの? 確かに放っておいたら悪さしそうだけど……」
「ちょっと、ロッテ見てあれ。あの怪物、周囲の岩とか木とか取り込んでいってるわよ」
アリアが指差す先をロッテが辿ると、そこでは気色の悪い肉のような塊が蠢き、触れる物全てを貪欲に吸収してその体積を加速度的に増していっていた。
「うわ、本当だ。って、あれ? あの現象って前に見たことなかったっけ?」
「ええ、十一年前の闇の書事件。あの時にエスティアが闇の書に乗っ取られた際、内部があんな風になっていたわね」
「え? ってことは……闇の書が暴走してるってこと? あれ、それってやばくない?」
「やばすぎるわね。このままじゃこの次元世界そのものが危険……ん?」
「どしたのアリア? って、ええ!?」
事態の重要性に気付いたリーゼ姉妹は顔を突き合わせて打開策を考えようと頭をひねる、が、そこで二人は怪物に近づいてくる一団を見て驚きの声を上げる。
残りの守護騎士達はいい。眼鏡の女もいい。だが、その後に遅れて飛んできた人物は何なのか。黒い羽を生やし、銀髪を揺らし、騎士甲冑らしき衣服に身を包んだ少女は。
リーゼ姉妹はその少女に見覚えがあった。というか毎日のように顔を見ていた。そう、その少女の名は八神はやて。闇の書の主である。
「は、は……はやてがグレた……」
信じられない光景に思わずボケた事を言うロッテだったが、それにアリアは突っ込まず、冷静に状況を分析しようと頭を働かせる。そして、アリアはその明晰な頭脳から一つの答えを導き出すのであった。
「はやてはグレたのではないわ……魔法が使えるようになったのよ!」
「いや、そんなん見りゃ分かるから」
どうやらアリアも冷静に見えて割と混乱しているらしかった。
「でも、どうしてはやてがあんな素敵なことになってるのかな?」
「そんなの私が知るはずないでしょう……って、まさかあの子まで戦うっていうの?」
そのまさかであった。リーゼ姉妹が見上げる先では、杖と本を手にして怪物の上空まで移動したはやてが、今まさに魔法を使用せんと杖を天に掲げ、力ある言葉を唱えていた。
「デスボール!」
「……デスボール(死の球)だって。かっけー」
「……そう?」
掲げた杖の先から黒い球体が生まれ、次第に大きくなっていく。はやては成長が止まったその球を眼下の怪物に向けて解き放ち、怪物が展開したバリアにぶつける。それと同時に怪物の巨体を完全に包み込むまでに死の球は肥大化し、内に取り込んだものに破滅の力を浴びせる。やがて、その圧力に耐え切れなくなったのかバリアにひびが入り、ついには砕け散る。
「おお、すごいすごい。ねえアリア、はやてすごいよ」
「言ってる場合? 確かにすごいけど、はやて達だけに任せてられないわ。どうして闇の書が暴走してるのか分からないけど、あれを完全に消滅させるには私達も加勢するべきよ」
「いや、でもアタシらが入る隙なんて無いような気もするけど。ほら」
ロッテが示す先では、はやてに続いて眼鏡の女性がすでに攻撃を始めており、接近戦による連続攻撃でバリアにダメージを与えていた。次の瞬間には、強烈な蹴りの一撃によって二枚目のバリアが砕かれた。
さらに、続いて狼に変身した守護獣が口から怪光線を放ち瞬く間にバリアを粉砕。間を空けずに金髪の守護騎士が雷の魔法を発動し一瞬で四つ目のバリアを破壊した。
その後、小さな守護騎士が巨大化させたハンマーを叩きつけ続けることで怪物の再生を食い止め、その間に剣を持った守護騎士がドラゴンを召喚し、そのドラゴンと共に巨大な砲撃を再生途中の怪物に向けて放った。
「……確かに私達が入る隙なんて無いわね」
「パワーアップしすぎだよね、あいつら……あ、まだ終わりじゃないみたい」
二つの光の奔流に呑み込まれた怪物はその身を大きく削られるが、仕留めるまでには至らなかったようで、砲撃によって生まれた巨大なクレーターの中央に核のような黒い球が浮いていた。一瞬後、その球から再び化け物の肉体が再生され始める。が、先ほどのはやての魔法がその球体を包み込み、再生するそばから怪物の体を削り取っていく。
「おお、ついにとどめの一撃が入るみたい。頑張れ守護騎士~」
「なんだかすっかり観戦モードね……」
二人が見つめる先では、地面に降り立った剣を持った守護騎士が真竜クラスのドラゴンでさえ軽がると切り裂けそうなほどの魔力刃を形成しており、クレーターの中央に突撃する構えを見せていた。
そして、まばたきをするほんの一瞬で核に肉迫した守護騎士は、その手に持った漆黒の刃を容赦無く標的に突き刺し、粉々に破壊した。
「ベルカの騎士に挑むには……まだ足りん!」
「……あれ? あいつって一番変態的な奴じゃなかったっけ? なんであんなにカッコイイの?」
「空気を読んだんじゃないかしら?」
なにはともあれ、と一息ついたリーゼ姉妹は、全てが終わったようなので脱力して岩場に背を預ける。
「結局何だったのかな、あれ。闇の書の暴走っぽいけど、闇の書ははやてが持ってたし、おまけに魔法つかえるようになってたし、訳分かんないよね」
「そうよねぇ。詳しい事情を知りたいところだけど……あら?」
リーゼ姉妹が岩場の陰でこれからどうするかを話し合おうとした時、結界の一部が外部から破られ、中に一人の魔導師が侵入してきた。その侵入者の顔を見たリーゼ姉妹は、本日何度目になるか分からない驚きの声を上げることになる。
「クロスケ!? ってことは、管理局が嗅ぎつけて来ちゃってたんだ。まずくない?」
「まずいわね。守護騎士達はまだしも、はやての顔が見られたら父様の計画に支障が……」
が、二人の懸念はそのすぐ後に払拭されることになる。
金髪の守護騎士が結界を修復して他の局員の侵入を防ぎ、残りの守護騎士達がクロノを襲って気絶させ、記憶消去の魔法をかけたのだ。……記憶だけでなく、服も消えたが。
「ぶはっ! すっぽんぽん!? すっぽんぽんだよアリア! ちょ、見て!」
「クロノ……かわいそうな子」
その後、この場に居ても管理局に捕まるだけと思ったのか、はやて達は転移してこの次元世界を去った。それを見届けたリーゼ姉妹も、はやて達を追って転移することに決めた。どうやらはやて達は第97管理外世界に戻ったようなので、このまま監視を続けることにしたのだ。
「今なら盗聴すれば有益な情報が得られるかもしれないからね」
「今さらだけど、私達って立派なストーカーよね……」
「本当に今さらだよ」
立派な犯罪者であるアリアは、一つため息を吐いてから転移魔法を発動させるのであった。
海鳴に転移した二人はさっそく八神家に向かい、いつものようにネコの姿で塀に登ってイヤホンを装着する。
『やっぱここに戻ってたね。さてさて、あの場で起きた出来事が何だったのか、うまい具合に話しててくれるといいんだけど』
『そんな都合良くいくかしら?』
塀の上に並んで座るリーゼ姉妹は軽く言葉を交わすと、器用に手をイヤホンのスイッチに手を当て、同時にスイッチを入れる。
すると、予想通りはやて達の会話が聞こえてきた。……予想もしなかった、鮮烈な印象を持った会話が、鮮明に。
《いの一番に改変すべきは、はやて君の身体を蝕む呪いだね。これさえ消せば麻痺の進行が止まるどころか、はやて君の足は徐々に機能を取り戻していく。というわけでさっそく、ちょい、ちょい、と》
《おい、そんなんで本当に──》
《デリート完了、と。ん? ヴィータ君、どうかしたかい?》
《……なんでもねーよ》
《お次は防衛プログラムの生成だ。またあんなことがないように、ちゃんとしたセキュリティーを構築しとこう。ふんふーん……と、はい、出来上がり》
《お前、私が懸念していたことをそんなアッサリと……》
そこまで聞いた二人は、ギギギ、とブリキのようなもどかしさで首を隣の双子に向けると、耳に意識を集中させたまま念話を送り合う。
『……ちょっと待て、今こいつなんてった?』
『改変、そう言ったわ。この女、闇の書のプログラムを書き換えられるって言うの? 信じられない……』
闇の書に主以外の人間が無理にアクセスすれば、闇の書は主を取りこんで別の次元世界に転生してしまう。これは過去のデータにハッキリと残っていた。だからグレアムもリーゼ姉妹も闇の書自体に手出しはしてこなかった。いや、出来なかったのだ。なのに、この声の主、おそらくはあの眼鏡の女性は事も無げに改変したと言った。
『あり得ない、こんなこと』
アリアは半ば放心状態になるが、今、ここではやて達の会話を聞き逃すと絶対後悔するような気がしたので、気合で意識を引っ張り上げ、一言一句聞き逃すまいと全神経を耳に集中させる。
その結果、さらに信じられない言葉をリーゼ姉妹は耳にすることになる。
《さて、残るは無限再生機能と転生機能なわけなんだが──》
それは、闇の書の無限再生機能と転生機能の消去。これはつまり、もう二度と闇の書は再生と転生を繰り返すことは無くなったということである。
『……え? ってことは、え? ええ? つまり、ええっと、ア、アリア?』
『え、ええ。そういうことなんでしょうね。つまり、私達ははやてと闇の書を氷漬けにしなくてもいいということ。あの女がプログラムを書き換えたのならば、暴走して破壊の力を撒き散らすなんてことも無くなったでしょうし』
『そ、そうだよね。そういうことなんだよね……』
『ええ、そうよ。そういうことなのよ……』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
しばしの間、二人は八神家の方を向いて黙りこむ。気持ちを整理しきれておらず、どんな反応をすればいいか分からないのだ。
そんな状態が五分ほど続いていたのだが、二人の沈黙を破るかのように近くで大声が響いた。
「超神田寿司、お届けにあがりましたー! てやんでい、バーロー!」
二人が声のした方を見ると、そこには大きな円形の容器を抱えた若い女性が八神家の玄関に立っており、家主が現れるのを今か今かと待っているようだった。
十秒ほどすると、はやてとポニーテールの守護騎士が扉から顔を出し、女性からその容器を受け取った。容器を運んできた女性ははやてから代金を受け取ると、きびすを返し八神家の門を抜けようとする。と、そこでその女性は塀の上に座る二匹の猫の存在に気付き、小さく笑みを浮かべる。
「寿司食いねえ」
女性は意味不明な言葉をネコに投げかけると、近くに置いていた自転車にまたがり、道路を爆走して去っていった。
ポカンとするリーゼ姉妹の耳に、イヤホンから「野郎ども! 寿司パーティーじゃー!」なんて楽しそうな声が流れてきた。
二人は再び顔を見合わせると、イヤホンを外して同時に地面に降りて、とあるお店に向かって歩き出す。
『……なんか、お腹空いたね』
『そうね。こんな時はやっぱりあれよね』
『うん、あれだよね』
ガラッ! と威勢よく扉を開けて、二人は見慣れた店内に入る。
「へいらっしゃい。へえ、お嬢ちゃん達が二人で来るなんて珍し──」
「おじさーん!」
「今日は!」
『寿司パーティーだっ!!』
「……元気が良いねぇ、嬢ちゃん達は」
その日、海鳴市のとある寿司屋では、笑い泣きしながら寿司を食べまくる双子の姿が見られたとか。
あとがき
はい、というわけで『リーゼ姉妹の監視生活』でした。
次回からまた本編に入ります。が、そろそろ本当に(A's編の)終わりが見えてまいりました。ペースを落とさないで続けていきたいところです。