いつか対面するというのは分かっていた。
それでも、メールで来訪を知らされた時は心臓が止まるかと思ったくらい驚いた。
謎の足長おじさん。私のわがままをなんでも聞いてくれた、イギリス紳士。莫大な資金援助をしてくれる、ロリコン疑惑の男性。
ギル・グレアム。
今、その正体が明らかになった。
彼は、魔法使いで、管理局の人間で、提督なんて偉そうな肩書きを持っていて、
そして──
「いやー、やっぱり近くで見るハヤテ君は一段と可愛く見えるなぁ。また写真撮っていいかな?」
案の定、ロリコンだった……
予想だにしない闖入者の登場により、今この場は静寂に支配されている。みんなが唐突に出現した三人の様子を窺っているためだ。もちろん私も。
さっきまで私達に抗弁を振るっていたクロノ君も、この三人がなぜこの場に居るのか理解出来ないといったように疑問符を顔に貼り付けて、沈黙を保っている。
「あ、あの、グレアム提督」
が、黙っていてもらちが明かないと思ったのか、クロノ君は顔を体ごとロリコ……グレアムさんに向けると、
「先ほどの、『その必要が無い』、というセリフはどういう意味でしょうか? それに、罪を償いに来たというのも、意味が分からないのですが」
続けざまに疑問をぶつける。
その質問を受けたグレアムさんは、懐から取り出したカメラを一旦元に戻し、チラチラと横目で私を見ながら軽い口調で答える。
ただし、その口から紡がれる言葉は聞き逃せられるような軽いものではなかったが。
「そのままの意味だ。ハヤテ君達は身柄を拘束される必要も無いし、ましてや贖罪(しょくざい)のために管理局に隷従する必要も無い」
……は?
なんだそれは。えーと、つまり、……お咎め無しってこと?
「ああ、あと罪を償うと言うのはだな──」
「ちょ、ちょっと待ってください! それはどういうことなんですか!?」
さらに言葉を続けようとしたグレアムさんだが、慌てふためくクロノ君の大声によって繋ぐセリフが遮られてしまった。
そんなクロノ君を、グレアムさんは物覚えが悪い生徒に懇切丁寧に説明する先生のような顔付きで見下ろすと、
「つまり、ハヤテ君達は無罪放免というわけだ」
私が考えていたことズバリなセリフを言い放った。
しかし、クロノ君は怯まずに追及の手を休めない。
「そういうことを言っているのではありません。なぜお咎め無しなのかと聞いているのです。この車椅子の子、今回の闇の書の主ならともかく、守護プログラム達は過去に幾人もの魔導師を襲っているのですよ? 罪を償うのが筋ではありませんか」
「……罪を償うのが筋、か。そうだな、その通りだ」
クロノ君の言葉に何を思ったか、グレアムさんは表情を曇らせる。が、それは一瞬のことで、すぐに不敵な笑みを浮かべるとクロノ君の目を真っすぐに見つめ返し、
「だから私はここに居る。私が犯した罪を償うために。ハヤテ君と、その大事な家族を助けるために、な」
なんだか、すごいカッコイイことを言いだした。
その訳の分からないセリフを聞いたクロノ君は眉をひそめると、グレアムさんに詰め寄るように一歩足を前へ出す。そして、私を横目で見つつ、目の前の男性に再度質問を投げかける。
「グレアム提督、そういえばあなたはこの闇の書の主と知り合いの様ですが、一体どのような関係なのですか? 先ほどの質問と合わせてお答えいただきたい」
「……ふぅむ、そうだな。では一つずつ答えるとしよう」
そう言うとグレアムさんは一旦口を閉ざし、考えをまとめるかのようにアゴに手を当てた後、この場に居る全員を見渡しながら話し始めた。
「まず、私とハヤテ君の関係だが、これを説明するためにはハヤテ君の身の上も話さねばなるまい。ハヤテ君、いいかな?」
「え? あ、は、はい。どうぞ……」
いきなりこっちに話を振られたことに驚きつつ頷く。そんな私の姿を慈しむかのような目で見ながらグレアムさんは頷きを返し、再びクロノ君に向き直って口を開く。
「実はここにいるハヤテ君の両親は、ハヤテ君が物心付くか付かないかくらいの時に事故で亡くなっていてな。それを知った私は、今日(こんにち)まで資金援助や資産管理などを行ってきたのだよ」
「ええっ!? ハヤテちゃん、お父さんとお母さん居ないの!?」
グレアムさんの説明にいの一番に反応し驚きの声を上げたのは、なのはちゃん。そういや、なのはちゃん達には家族は居るって言ったけど、具体的には言って無かったっけ。そりゃ驚くか。
「別に黙ってたというわけじゃありませんよ? その機会が無かっただけです」
「う、うん。でもびっくりだよ……」
そりゃ、家族と言えば普通は両親を思い浮かべるからねぇ。まさか、血が繋がって無いどころか、人間でもない存在を思い浮かべる人はおるまい。
「提督、一つ疑問があります。なぜ彼女にそこまでしているのですか? 施設に預けるなりなんなりすればよかったのでは?」
クロノ君のしつこい程の問いかけに、グレアムさんは気を悪くするでもなく淡々と答える。
そう。淡々と、平然と答えた。……とんでもないことを。
「それはな、クロノ。彼女が闇の書の主だと分かっていたからだ」
「なっ!?」
……ちょっと待て、聞いてないぞそんなの。
それじゃあ、管理局の人間に初めから闇の書の主だとバレていて、なおかつ援助まで受けていたという事になるのか?
訳が分からない。闇の書という危険なロストロギアを今の今まで放っておくってどういうことさ。この男の狙いは何なんだ?
「そ、それじゃあ、今まで見過ごしていたという事ですか? なぜ、発見したその時に確保しなかったのですか?」
私と同じ疑問を持ったのか、クロノ君がやや攻撃的な口調でグレアムさんに詰め寄る。が、グレアムさんはそれを手で押しとどめると、目を細めて諭すようにクロノ君に声を返す。
「クロノ、闇の書の特性として、転生機能があるというのは知っているな?」
「え?……ええ、知っています」
先ほどとは逆に、今度はグレアムさんがクロノ君に問い掛けるように話を進める。
「なら、完成する前に闇の書を破壊しても、主をどうこうしたとしても、転生してしまうということも分かるな?」
「それは、そうですが。しかし、破壊せずとも確保して本局で厳重に管理すれば──」
「それは無理だ」
クロノ君の言葉を遮り、グレアムさんが断言する。そして、追い打ちをかけるように言葉を繋げる。
「なぜなら、ハヤテ君は闇の書に身体とリンカーコアを蝕まれており、そう遠くない未来に死ぬはずだったのだから」
「ッ!」
……よくご存知で。
「闇の書を主から遠ざけても、主が死ねば闇の書は転生してしまう。そして、別の世界で悲劇が起こる。私はそれが許せなかった。だから……」
言葉の途中で、グレアムさんが悲しげな顔をして私をチラと見る。私がそれに気付いて視線を向けると、一度目を伏せるが、何かを決意したような表情を作って見つめ返してきた。
そして、そのまま私の顔を見ながら彼はゆっくりと、しかしはっきりとした口調で言い放った。
「だから、闇の書が完成するのを待ち、闇の書が暴走を始めるその時に、ハヤテ君ごと凍結魔法で封印するつもりだったのだ。……永遠にな」
ひっ、と声を漏らしたのは、なのはちゃんか、別の誰かか、それとも、私か。
「………」
こちらを見つめるグレアムさんを見返しながら、私は今のセリフを頭の中で反芻(はんすう)する。
完成を待って、そして永遠に氷漬け。
なるほどね、そういうわけだったのか。ただの足長おじさんにしては援助や気配りが異常すぎると思ってたけど、これで合点がいった。
多額の援助や過保護すぎる私への対応は、せめてもの罪滅ぼしだったんだな。死ぬ前に、なに不自由の無い生活を送らせてあげようって、そういうことだったんだな。
……ここは、怒るべきなのだろうか?
いや、真っ当な精神の持ち主なら当然怒り狂うところだろうが、どうも私はこの人が憎めない。
闇の書が私から別の主の下に転生してしまうと、そこでまた暴走が起こりたくさんの人が苦しむ。そして再び転生し、延々と悲劇が続いてしまう。それを防ぐために、彼は苦渋の決断を下した。私を犠牲にすることで、闇の書の被害に遭うであろう多くの人々を救うという決断を。
小を捨て、大を生かす。
こうした考えは、私は嫌いではないのだ。大人の選択、とでも言うのだろうか。
なにより、彼は罪を償いに来たと言っている。であるならば、私を冷たい氷の中に閉じ込めるという行為に、大きな罪悪感を感じていたという事だ。良心の呵責(かしゃく)に苛まれながら、彼は数年間を過ごしてきたのだろう。
ならば、私は……
「ハヤテ君、君はこんな私を恨むかな。君を……殺そうとした私を」
グレアムさんが、真っすぐに私の目を見つめてくる。ただ、さっきとは違い、その表情には悲哀の色が見て取れる。
……そんな辛そうな顔しなくてもいいのに。
「ロリコ……ロリアムさん。私はあなたを恨みません。正直に言ってくださいましたし、あなたのその顔を見れば、今までどれほど苦しんできたかがよく分かりますから」
「……済まない、そしてありがとうハヤテ君。ちなみに私の名前はグレアムだ」
「これは失礼つかまつった」
やっべ、素で間違えちゃった。だって、ロリコンには違いないと思うんだもんなぁ、メールでのやり取りとかさっきの様子を見る限りだと。
って、あれ? そういえば、グレアムさんが今この計画をバラしたってことは、もうそれを実行する必要が無いってことだよね。
ということは、闇の書が無害な存在になったってことを知っているというわけで。
……いつ知ったんだろ。さっきの私やマルゴッドさんの言葉を聞いて初めて知った、というわけじゃなさそうだよなぁ。グレアムさん、どうも闇の書が直ったって確信してるっぽいし。謎だ。
でもまあ、それは後で聞くことにしよう。今はクロノ君達とのやり取りに注目しないと。なぜなら、まだクロノ君の質問でグレアムさんが答えていないものが残っているのだから。
「グレアム提督。あなたが闇の書の主を発見しながらも放置していた理由は分かりました。凍結封印というのも、違法ではありますがお気持ちは分かります。今回は未遂ということですので、僕は何も聞かなかったことにします。ですが……」
と、私とグレアムさんの会話を黙って聞いていたクロノ君が、ようやく聞ける、という感じにグレアムさんの顔を見て、最初にした質問を繰り返す。
「守護プログラム達が無罪放免になるというのは納得できません。それは確固たる根拠に基づいた意見なのですか?」
そう、クロノ君が言うにはみんなは罪を償わなければならないはずなのだが、グレアムさんはその必要は無いと言う。これはどういう事なのか?
「ああ、それか。それはなクロノ」
クロノ君の強い視線を受けたグレアムさんは、私からクロノ君へと意識を向け直し、先ほどの受け答えと同じ前置きをしてから答える。
淡々と、またもやとんでもない事を。
「過去に魔導師を襲った人物、その人相、特徴、名前、そういったデータが管理局に存在していないからだ」
……データが、無い?
でも、クロノ君は以前結界の中に飛び込んできた時、みんなの顔を見て守護プログラムだと断定してたはずだ。それは、管理局にヴォルケンリッターの情報が少なからずあるということ。
にもかかわらず、グレアムさんは自信満々にデータが無いと言う。
「ゆえに、今ここに居るこの四人を捕まえることは出来ん。なんせ、襲ったという証拠が無いんだ。捕まえられるはずが無いだろう?」
もしかしてこの人……
「グレアム提督、あなたまさか……管理局のデータベースを改竄(かいざん)したのですか?」
「ん? 何の事かな? 私はただ事実を述べただけだが」
とぼけているが、丸分かりだ。
なるほど、罪を償いに来たとはこういう事だったのか。やってくれるじゃないか、グレアムさん。ロリコンは悪だと決めつけていたが、世の中には良いロリコンも居るもんだな。見直したよ。
「き、詭弁だ! それにたとえデータが無くとも、先ほどこの守護プログラムは自分達が犯した罪を償うために犯罪組織を壊滅させたと言った。それはつまり、過去に魔導師を襲ったことを認めたと同義──」
「え、ウチら魔導師襲ったなんて一言も言ってないっすよ?」
そこで、クロノ君に指を差されていたシグナムさんが、さも心外だ、という風に眉をひそめ、クロノ君の言葉を遮るように口を挟む。
「なっ、き、貴様……」
「いやー、ちょっと昔ヤンチャしてたことを思い出してさぁ。管理局にもちょびっと迷惑かけたことあったから、その罪滅ぼしとして犯罪者撲滅に貢献してあげたってわけ。お分かり?」
さらに追い打ちをかけるシグナムさん。
明らかに嘘だと分かるでまかせにクロノ君は眉を逆立てるが、何かに思い至ったのか、眉尻を下げ、ふん、と鼻息を一つ吐く。
「言い逃れをしようとしても無駄だ。貴様らが守護プラグラムだという事実は覆らんし、闇の書の守護プログラムは魔導師を襲い魔力を奪う、というデータは残っている。顔や名前のデータが無くとも、そのデータが残っていれば貴様らの罪は確定──」
「ああ、そうそう。私が先日ロストロギアのデータベースにアクセスしたところ、なぜか闇の書についての情報だけ消えていたんだ。あれではもう闇の書がどんな機能を持っているのか分からんなぁ」
「提督! あなたって人は!」
声を荒げて今にも掴みかからんばかりにクロノ君はグレアムさんを睨みつける。が、グレアムさんは飄々(ひょうひょう)とした態度でそんなクロノ君を見つめるばかり。
しかし、グレアムさんがここまでやってくれるとは思わなかった。確実に犯罪に手を染めてるだろうけど、それだけ私達のために尽力してくれたということだ。頭が下がる。
「い、いや、まだデータはどこかに残っているはずだ。アースラの端末や、それに無限書庫なら──」
「クロノ、もうそのくらいにしておきなさい」
と、そこでクロノ君に声を掛ける人物が現れた。それは、先ほどからじっと私達のやり取りを見ていたあのおっとりした女性。
彼女はクロノ君に近づくとその肩に手を置き、落ち着けるかのように静かな声で話しだす。
「私はね、クロノ。彼女達はそっとしておくべきだと思うの」
「な、なぜですか艦長。奴らの犠牲になった魔導師は数多く居るのです。それに、父さんも──」
何かを言いかけるクロノ君だが、その先のセリフは女性の言葉によって遮られることとなった。女性は私の顔を横目で見つつ、
「彼女、ハヤテさんと言ったかしら。あの子は父親どころか母親まで居ないのよ? それに、彼女たちの様子を見る限り、家族の絆のようなものが見て取れる。おそらく、守護プログラムである彼女達がハヤテさんの家族代わりになっているんでしょうね。クロノは、その家族を引き離したいのかしら?」
「そ、それは……しかし、情に囚われて犯罪者を見逃したとあっては、管理局員として……」
女性の言葉に動揺を露わにしたクロノ君は、それでも自分の意見を通そうとするが、言葉尻が小さくなって断言出来ないでいる。……迷っている?
「クロノ、一つ聞くわ」
女性はそう言うと、クロノ君の揺れる瞳を覗き込むように顔を寄せ、彼に問う。
「ここはどこで、今は何をしていて、私達は誰?」
「と、突然何を言ってるんですか? ここは結界の中で、今は犯罪者と対峙中で、僕達は管理局員で──」
「いいえ、違うわ」
訳が分からないといった感じのクロノ君の答えを即座に否定し、女性は周りを見渡しながら手を広げて、クロノ君に言い聞かせるように朗々とした声で言う。
「ここはオタクの聖地、東京ビッグサイト。今はオタクの祭典、コミックマーケットに参加中。そして私達は、このイベントを楽しむためにここを訪れた、名も無きオタク。……言いたい事は、分かるわね?」
「あ……いや……でも……」
何かに気付いたような顔をしたクロノ君だが、心の中で葛藤が起きているらしく、歯切れが悪い。
そんなクロノ君に業を煮やしたのか、事の成り行きを見守っていたなのはちゃんが一歩前に踏み出し、援護してくれる。
「そうだよクロノ君。今は私達はコミケに参加しているただのオタクのはずでしょ? 仕事熱心な管理局員なら、今も海鳴のマンションに居るはずでしょ?……お願い、そういうことにして。ハヤテちゃんは私の大切な友達なの」
「なのは……」
「クロノ、僕からもお願いだ。マルゴッド、じゃなかった、シグナムさんの悲しむ顔なんて僕は見たくない。それは、君も一緒じゃないのかい?」
「ユーノ……」
なのはちゃんに続いて、シグナムさんの知り合いと思われる可愛い顔の男の子まで説得に加わる。
さらに……
「クロノ、私からもお願い。あの子達、とても仲が良さそう。引き離すのはかわいそうだよ」
「そうそう、ちょっとくらい見逃したってバチは当たんないって」
金髪の女の子と、特盛りの女性までもが私達を援護してくれる。
「フェイト、それにアルフまで……」
クロノ君の連れの全員が彼を見ている。けれど強要はしない。自分達はお願いしただけ、判断は任せるとでも言う風に、じっとクロノ君を見つめている。
彼女達だけではない。私達も、グレアムさんと二人の女性も、クロノ君に視線を注いでいる。
そうして、みんなの視線を一身に受けたクロノ君はしばらくして、
「………分かった」
ポツリと、下を向いて小さく呟いた。そして、彼は顔を上げてもう一度、今度は大きな声でみんなに向けて言い放つ。
「ここでは僕達は何も見なかったし、聞かなかった。そういうことに、しよう」
そう言った彼の表情はどことなく晴れやかで、けど、若干の後悔を感じているようでもあった。
「さっすがクロノ君! そこに痺れる憧れる!」
「それでこそ私の息子ね」
「はっ、もしや今のでシグナムさんとのフラグが立った!?」
「クロノ、ありがとう」
「いいとこあるじゃん、クロノも」
クロノ君の言葉を聞いて、説得に加わってくれたなのはちゃん達が口々にクロノ君を持てはやす。
それに、彼女達だけでなく、グレアムさん達もクロノ君に近づいて彼を褒めそやす。
「済まんな、クロノ」
「クロスケ~、よく言った」
「さすが私達の弟子ね」
「ロ、ロッテにアリア、頭をなでるな……」
ネコ耳の二人がクロノ君をもみくちゃにしているところを見ると、結構仲がいい知り合いのようだな。
……そうだ、私達もお礼を言わないと。みんなの説得があったとはいえ、折れてくれたのは彼自身の判断なんだし。
そう思い立った私は、いまだ知人に囲まれている(ネコ耳の女性には耳を噛まれている)クロノ君に近づき、ペコリと一礼する。
「その、なんといったらいいか分かりませんが……ありがとうございます」
私の言葉を受けたクロノ君は一歩前へ出て、少し気恥ずかしげに返す。
「か、勘違いするな。闇の書が二度と暴走しないという言葉が嘘だったり、守護プログラム達が再び魔導師を襲うようなことがあったなら、その時は容赦なく捕獲させてもらうからな。肝に銘じておけ」
「……ツンデレですか?」
「ツンデレだぜ」
「ツンツンデレデーレ」
「う、うるさいうるさい!」
こいつ狙ってやってんじゃねーか? なんてことを思いつつ、私は安堵の息を吐く。
管理局との意図せぬ遭遇から始まり、ロリコ……グレアムさんの登場、そして介入。最後に和解。
一時はどうなることかと思ったけど、なんとか丸く収まって良かった。これで逃亡生活を送る必要も無いし、愛すべき家族と離ればなれになる事も無い。家に帰って再びまったりライフを送る事が出来る。やったね。
なんて思いつつ今後の予定を頭の中で練り上げていると、突然クロノ君が真面目な顔つきになり、思いもよらぬ事を言いだした。
「ただ、今回見逃すにあたって、一つ条件がある」
「……えっと、なんでしょう?」
あまりいい予感はしないなぁ、と不安になりながら尋ねる私の顔を一瞥すると、クロノ君は次いでシグナムさんに向き直って杖を突きつける。
「僕と勝負しろ、シグナム」
「……ほう」
決闘を申し込まれたシグナムさんはスウッと目を細め、嬉しそうに口の端を上げる。って、ちょっと待て。
「あの、どうしてシグナムさんと戦うんですか?」
ひょっとして、クロノ君もバトルマニアとかだったりするのかな? バトルマニア同士惹かれあったとか?
疑問に思う私に、クロノ君は率直に答える。
「これはな、僕なりのケジメのつけ方だ。十一年前の事件に対する、ケジメのな」
結界に閉ざされた空を仰ぎ見て、クロノ君は目をつぶる。そして、目を見開くともう一度シグナムさんを見据え、杖を突きつけながらさっきより強い口調で言葉を投げかける。
「僕と勝負してくれるな、シグナム」
それに対するシグナムさんの返答はもちろん──
「いいだろう。この勝負、受けて立つ」
相手の目を見返しながらの、肯定。
……十一年前の事件というのは何の事だか分からないけど、クロノ君の様子を見るに、闇の書やヴォルケンリッターのみんなが関わってそうだな。
クロノ君の意思も強いし、シグナムさんも決闘を受けちゃったことだし、ここは黙って行く末を見てるのが吉かな。どちらが勝つにしろ、死人は出る事は無いだろうし。
「へえ、決闘かい。面白そうじゃないか。実はアタシも戦ってみたい奴がいたんだよねぇ」
と、そこでクロノ君に便乗する様に特盛りの女性がこちらに近づいてきて、私の後ろに控えているザフィーラさんに好戦的な目を向ける。
戦ってみたいって、この人ザフィーラさんとどんな関係なんだろうか。
「ザフィーラさん、この方とお知り合いですか?」
後ろを振り向き、近づいてきた女性とメンチを切り合っているザフィーラさんに聞いてみる。
「この女、以前主と散歩をしていた時に河川敷で出会った犬だ」
なんと!? ということは、この女性もザフィーラさんと同じ守護獣ってやつなのかな。
……あ、胸ばかりに目がいってたから気付かなかったけど、この人にも犬耳としっぽが生えてる。こりゃ間違いないか。主はやっぱりあの金髪の子かな?
「主、我もこの女と戦ってみたいのだが、構わんな? どちらが上なのか、身体に教え込む必要がありそうなのだ」
「ハッ、一度負けといてよく言うよ」
「黙れ! あの時は、ええと……鼻の調子が悪かったのだ」
なんだか因縁がある相手のようだ。ザフィーラさんも戦う事に異議は無いようだし、構わないか。
「ザフィーラさん、やるからには勝ってくださいね。ウチの守護獣はそんじょそこらの守護獣とは違うと言う事を、あのボインに見せ付けてあげてください」
「フッ、任された」
やはり頼もしい。散歩の時の競争では私が足を引っ張ってしまったが、単体では絶対にザフィーラさんの方が上なんだ。勝つって信じてますからね。
「へえ、こりゃ面白くなってきたッすね。おいロリッコ、せっかくだしお前も誰かと戦ってみろ。ギャルゲーばっかしてて身体鈍ってるっしょ?」
ザフィーラさん達とのやり取りを見ていたシグナムさんが、ヴィータちゃんをけしかけようとする。が、ヴィータちゃんは乗り気で無さそうな顔をシグナムさんに向け、参戦を断わる。
「あたしは別にいいよ。ここで無駄な体力使うより、今日買った人形を愛でている方が百倍はマシ……って、ねえ!? あたしのクドはどこにいった!?」
「お探しの品はこちらでヤンスか?」
「あ、テ、テメー!」
見てみると、シグナムさんがヴィータちゃんの人形の頭を片手で持って、今にも握りつぶさんばかりに手をワキワキさせている。これは……人質か!
「さてヴィータ、言いたい事は分かるな?」
「ク、クド……チクショウ、分かったよ。戦えばいいんだろ戦えば」
「わふー♪」
流石に人質を取られては逆らう事も出来ず、ヴィータちゃんはシグナムさんの言いなりになってしまった。えげつねえ……
「んじゃ、あたしの相手はっと……おい、そこの金髪。あたしの相手してくんねーか。見ての通り人質取られてて誰かと戦わなきゃなんねーんだ」
人形から目を離したヴィータちゃんは、対戦相手を見繕うためになのはちゃん達の方へと目を向けた。そしてそこから選んだのは、特盛りの女性の主であろう、あの金髪の女の子。
女の子はヴィータちゃんに指名されると、少し嬉しそうな顔をして頷いた。
「うん、いいよ。私、戦うのは嫌いじゃないから」
ああ、思った通り、あの子もバトルマニアだったか。以前、いきなり勝負申し込んできた時からそうだとは思ってたけどね。
しかし、これでシグナムさんが満足するとは思わないな。きっとこの後も……
「よーし、んじゃ次は……おいそこの小僧。お前も誰かこっちから選んで勝負しろ」
「ええ!? ぼ、僕ですか? 無理無理、無理ですよ。僕は戦闘は苦手ですし……」
予想通り、再び勝負を促した。今度はなのはちゃんの隣に居る大人しそうな男の子だ。でも、あの子は見た目通り戦いとかは苦手そうで、首をブンブンと振って拒否している。
だが、次のシグナムさんのセリフを聞いた瞬間──
「もしこっちにいる誰かと勝負して勝てたら、僕の胸を好きなだけ揉みしだく権利をあげよう」
「ふぉおおおおおおおお!!」
天を引き裂くほどの大声で咆哮を上げると、ビッ、とシャマルさんを指差し、
「そこの弱そうな金髪! 僕と勝負しろ!」
先ほどの態度とは一転して、ギラギラと好戦的な目を向けてきた。……私が言うのもなんだけど、男って、ホントにバカなんだな。
で、挑戦状を叩きつけられたシャマルさんはというと……
「ねえ、ハヤテちゃん。あの人を舐め腐ったセリフを吐いたガキ、潰しちゃってもいいかしら?」
「え、ええと、非殺傷設定でお願いしますね」
大層お怒りの様子で、額にバッテンマークを張り付けながら笑顔を浮かべております。少年よ、はらわたをブチ撒かれないことを願うぞ。
『ここは、空気を呼んで私達も参戦しなければいけませんね、マスター』
「え? レイジングハート、まさか……」
と、怒れるシャマルさんが放つオーラにビビっていると、なのはちゃんが怪訝そうな声を出して首元に下げたペンダントを見る。というか今、あのペンダントから声が聞こえたような気がしたけど……
私が不思議に思いつつなのはちゃんを見ていると、今度ははっきりとあのペンダントから声が聞こえてきた。
『そこの車椅子の少女、私と勝負しなさい』
「ちょ、レイジングハート!?」
なんと、ペンダントに勝負を挑まれてしまった。いや、あれはもしかしてなのはちゃんのデバイスかな。確か、ああやってぺちゃくちゃと喋るデバイスを、インテリジェントデバイスって言うんだよね。いつだったかヴィータちゃん達に聞いたことがある。
しかし、この挑戦を受けると必然的になのはちゃんと戦うことになるわけか。
断わるか? いや、それは、そんなのは……あり得ない。
「レイジングハート、話ちゃんと聞いてなかったの? ハヤテちゃんは魔導師だけど、念話しか魔法使えないって言ってたでしょ」
『おっと、そうでしたね。ではそちらの眼鏡の女性で──』
「いいえ、私がお相手しましょう」
「え?」
そうだ、勝負から逃げるなんてあり得ない。相手がどれだけ強大であろうとも、なのはちゃんという友人であろうとも。
この私、神谷ハヤテは、今まで勝負を挑まれて断わった事など一度も無い! 勝負から逃げるなど、弱者のすることだ。
ならば返答は一つ。
「で、でもハヤテちゃんは魔法が念話くらいしか使えないって──」
「ええ、確かに私一人では念話が関の山です。ですが……リインさん」
傍らに立つリインさんにアイコンタクトを送る。
私を『強くする』者、リインフォース。さあ、今こそその名前に恥じない働きを見せる時です。
「ふう……どうせ断わっても無駄か。なら、手早く片付けるとしよう」
溜息を一つ吐いたリインさんは、私のすぐそばに立つ。そして──
「なのはちゃん、見ててください。これが私の100%中の100%」
「え? え?」
融合、開始。
まばゆい光が私を包み込むと同時に、体中に活力が巡るような感覚を得る。動かない足が動くようになる。
「え?」
右手に杖が、左手に本が出現し、それぞれの手で掴む。髪の色が変色し、黒を基調とした騎士甲冑を纏う。
「ええ?」
最後に私の背中から真っ黒い羽がにょきっと生えて、はい、融合完了。
魔法少女ハヤテ、ここに爆誕。
「えええええ!?」
……そりゃ驚くよね。ずっと車椅子に座ってた少女がいきなり変身して、中二病全開な格好になって立ち上がったんだから。なのはちゃんだけでなく、他のみんなも驚いたような目で私を見つめてきてるし。
でも、こうしなければ私は戦えないのだ。ちょっとくらいのサプライズは大目に見てもらおう。
「ハ、ハヤテちゃん、それって……」
「細かい事はまた後でお話しますよ。今は勝負に集中しましょう?」
話してたら長くなりそうだしね。
『素晴らしい! まさに、相手に取って不足なし! やーってやるぜ!』
「ちょ、ちょっとレイジングハート。……もう、仕方ないなぁ」
私の姿を見て興奮したのか、ペンダントがハイな感じになって叫んでいる。なのはちゃんはそれを見て溜息を一つ吐くと、胸元のペンダントを手に取り、
「レイジングハート、セーット、アーップ!」
天に掲げて、そう叫ぶ。
すると、なのはちゃんも私と同じように光に包まれる。その光が拡散すると、そこには白を基調とした防具服を装備し、身の丈ほどもある大きな杖を持っているなのはちゃんが立っていた。
……なんか、すごい普通だ。普通の格好だ。やっぱり私ももっと地味な騎士甲冑にすればよかったかな。一人だけ浮いてるような気がしてならないなぁ。まあ今さらだけど。
「それがなのはちゃんの騎士甲冑ですか。可愛いですね」
「えへへ、ありがと。でもこれは騎士甲冑じゃなくて、バリアジャケットって言うんだよ?」
おっとそうだった。騎士甲冑っていうのは確か、ベルカだかなんだかの魔法を使う人が身に付けるものを言うんだよね。まあ、名前が違うだけで機能は一緒みたいだけど。
「おお、壮観壮観。これだけ揃ってりゃ余は満足じゃ。んじゃ、そろそろガチンコバトルといきますか」
私達の変身を見届けたシグナムさんが、相対しているみんなを見回して満足そうにそう言う。まだマルゴッドさんが残ってるんだけど、シグナムさん的にはこれでオーケーらしい。
その残ったマルゴッドさんは微妙に残念そうな顔をして、同じく残った女性に近づいて声を掛ける。
「拙者達は戦わなくてもいいみたいでござるが、どうするでござる? 勝負するでござるか?」
「いえ、止めておきます。私はあまり戦闘は好きではないので。それに、これだけの人数が暴れたら結界が持たないかもしれないので、私達で補強するのがいいんじゃないでしょうか」
「ああ、それもそうでござるな」
と、そういうわけで彼女達は脇の方で結界を保持しながら観戦することに決めたらしい。グレアムさん達三人も、彼女達同様に私達から離れて見ているとのこと。
さて、これで準備は整ったのかな?
今、私達はサッカー選手が試合を始める挨拶をする時のように、列を作って自分の対戦相手と顔を合わせているという形だ。今すぐにでも始められるけど……
「えっと、どうします? 誰から始めましょうか?」
「僕からやらせてもらおうか。なぜかこんな大所帯になってしまったが、言いだしたのは僕だからな」
私の質問に答えたのはやる気満々なクロノ君。まあそれが妥当かな?
「そうっすね。んじゃ、さっそくバトる?」
「ああ。手加減などせんからな」
シグナムさんに頷き返したクロノ君は宙へと飛び上がり、シグナムさんがやってくるのを待ち構えている。それを見たシグナムさんもすぐに続いて飛び上がろうとしたが、
「おっと、そうだ主」
飛び上がる直前に私の方を向くと、いつになく真面目な顔つきと口調で話しかけてきた。
「一対一、しかも尋常な勝負を挑まれたのです。コスプレの様なふざけた格好で相手をするのはあまりにも無礼。騎士に相応しい甲冑を賜りたいのですが、よろしいでしょうか」
だ、誰だこいつ……
い、いや、シグナムさんだって腐っても騎士なんだ。こういう礼儀を欠かすのは許せないってこともあるんだろう。そういや、一対一の真剣な戦いってこれが初めてだし、私が知らなかっただけなんだろうな。
騎士は礼儀を重んじる。そういうことか。
「分かりました。では、とっておきの、シグナムさんにぴったりの騎士甲冑をプレゼントしましょう」
思えば、みんなにはコスプレばっかさせて専用の騎士甲冑って作ってなかったな。いい機会だし、それぞれの戦いが始まる前に作ってあげよう。
まあ、今はシグナムさんの甲冑をイメージするのが先だ。
「………」
シグナムさん。キリッとした目に、ポニーテールが似合う長身の女性。
想像しろ。そんな彼女に似合う騎士甲冑を。
作り出せ。理想的な騎士甲冑を。
剣を振り回し、大空を舞う、凛々しい彼女に相応しい騎士甲冑。
それは……これだ!
カッ!
私がイメージを固めるのと同時に、シグナムさんの体が一瞬光る。そして、光が収まると、そこには……
「……素晴らしい」
ピンクを基調とし、動きやすさを重視したデザインの甲冑を身に纏い、満足そうに笑みを浮かべるシグナムさんの姿があった。どうやら気に入ってもらえたようだ。
手の甲にはガントレットのような金具が付いており、胴周りにも同様の物が張り付いている。下半身は動きやすいように露出を多めにしてあり、それを隠すように腰部分に長いマントが取り付けてある。これぞナイトって感じだ。
うん、我ながら良い物を作ったものだ。
「シグナムさん、色はピンクが好きでしたよね。それを基調にしたんですが、どうです?」
「素晴らしいの一言です。主ハヤテ、やはりあなたは最高だ」
頬を緩めながら腰の部分を触ったりマントをいじったりと、かなりお気に入りの様子。こんなに喜んでもらえるとは、主冥利に尽きるってもんだね。
「さあ、お相手が空で待ってますよ。ガツンと一発カマしてきちゃってください」
「ええ。騎士の戦い、とくとご覧あれ」
私の応援に応えるように、シグナムさんは大きくマントをはためかせて飛び上がり、中空で待つクロノ君の下へと移動する。
そうして上空十メートルほどの高さまで飛翔したシグナムさんはピタリと静止して、眼前で杖を構えているクロノ君へと剣を向ける。
「待たせたな」
「それほどでもないさ。しかし、似合っているな、それ」
「フッ、惚れたか?」
「……さてな」
杖と剣を向け合ったまま、上空で二言、三言、言葉を交わす。
……楽しそうだな、シグナムさん。真面目モードになってもバトルマニアなことには変わりないのか。
「では、始めるとするか」
シグナムさんが剣を構え直し、口の端を吊り上げながら楽しそうに言う。
「そうだな。そうしよう」
クロノ君が目をつむり、一つ息を吐きだす。
そして、次の瞬間──
「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウン」
「守護騎士、烈火の将、シグナム」
「いくぞ!」
「いざ尋常に、勝負!」
騎士と魔法使いの、真剣勝負が始まった。