『もう、嫌や』
小さな少女が、ベッドにうずくまっている。
『どうして私だけ』
小さな少女が、唇を噛みしめながら泣いている。
『うぅ、あ……』
小さな少女が、ぎゅっと自身の体を抱いて嗚咽を漏らしている。
『……』
小さな少女が、力尽きたかのように眠りにつく。
……これは、何だろうか。私はこんな光景、見たことない。こんな、今にも心が壊れてしまいそうな女の子、知らない。
いや、違う。知っている。毎日のように見ているじゃないか。この半年間、ずっと。
そう、この子は……
《はやて》
頭の中に、声が響く。いつか、どこかで聞いたような声が。
《ハヤテ》
呼んでいるのは、私? それとも……
《ごめんなさい》
あなたは誰。なんで謝るんですか? それに、この光景。これは──
《こうするしかなかった。あの子を救うためには》
はやてちゃんを、救うため?
《あなたは、心が強い。はやてよりも、ずっと。だから……》
あ………だから、私は………私達は………
《……あなたは、今幸せ?》
……ええ、とても。新しい家族も増えましたし、毎日が愉快ですし。
ただ、母様や父様に会えないのは、寂しいですが。
《一度だけ》
え?
《一日だけ、あなたを母親と父親の下に帰す事ができる》
本当に? それは、いつ?
《時が来れば、必ず》
……そうですか。楽しみにしてますね。
《……もう、お別れの時間ね。さようなら》
あ、最後に一つ質問を。
はやてちゃん、今幸せですか?
《……ええ、とても》
それを聞いて、安心です。
と、すいません、もう一つありました。
あなた、神様?
《私……私は──》
答えを聞く前に、光が私を包み込む。
「……ん?」
夢から覚め、眠りの淵から意識が浮上した私は、自身の身に起こっている異常に気が付いた。
……体が、動かない。
なんだ、これは。どうなっている。
布団に入って横たわっているというのは分かる。だが、目も開けられないし、ピクリとも手足を動かす事も出来ない。いや、足は元から動かせないんだけど。
ゴソッ。
頭の近くで何かが蠢いている。怖い。でも、それを確認することも出来ない。助けを呼ぼうにも、声が出ない。
「ッ!?」
ゴソゴソと物音を立てていた何かが、突然私の布団の上に乗っかって来た。いや、何かではない。誰かだ。
「はぁー、はぁー」
荒い息を吐いて、私に覆いかぶさっているのが分かる。これが人間でなくて何だと言うのだ。
「く、くくく。ひひひひ」
心の臓を凍らせるようなおぞましい笑い声が聞こえる。や、やばい。身の危険を感じるどころではない。何とかしなくては。
きゅぽっ。
四苦八苦しながら動け動けと体に命令を出していると、真上から不吉な音が聞こえてきた。
こ、この音は、まさか……
「肉、中、米、どれにしようかのう。シグナム、まいっちんぐ。あ、両さん並のゲジ眉も捨てがたい」
や、やめて。それだけは嫌。助けて、ヴィータちゃん、シャマルさん、ザフィーラさん、リインさん。誰でもいい。この悪魔を止めて!
「待て、我はMの方がいいと思うのだが」
「いや、ここは萌だろ」
「天とかどうかしら」
「目玉を書くのはどうだ、邪眼みたいに」
貴様らっ!? 全員グルとかホントに私を主だと思ってんのか!
「うう、油性ペンで書くとか鬼ですか」
「ご、ごめん、はやて。悪ノリしすぎた」
「でも修学旅行の定番っしょ、寝てる人間の額に落書きは」
「これは温泉旅行です! しかも魔法使って身動きできなくまでして。性質(たち)が悪いにもほどがあります」
早朝から家族全員の計略にハマった私は、客室に備え付けられた洗面所で額に書かれた落書きを必死になってこすっている。しかし、まさかヴィータちゃんやリインさんまで加わるとは思わなかった。仲がいいのは結構だが、一人ぐらい止める人間が居てもいいだろうに。初めての旅行ということでテンションが上がってたんだろうか?
「なあ、はやて。朝メシ食べたらまた温泉入りにいかね?」
私が頑固な落書きを消している姿を申し訳なさそうに見ながら、ヴィータちゃんがそんな提案をしてきた。
「ええ、元からそのつもりでしたから構いませんよ」
広い温泉での朝風呂というのは、心惹かれるものがあるよね。……にしても、この落書きなかなか消えないな。シグナムさんめ、太ペンで書きやがって。明日の朝を覚えてろよ。
なんて恨みごとをこぼしていると、その本人が柱の陰からこちらを覗いていた。
「ルックス、10%低下、にゃ」
「誰のせいだと思ってんですか。乳揉みますよ」
うひゃあー、とか叫びながら逃げ出すいたずらっ子シグナムさん。旅行中は自重しようと思ってたけど、ホントに揉んでやりたくなったよ。
『失礼します。朝食をお持ち致しました』
「あ、はーい。どうぞー」
どうやら仲居さんが朝食を運んできたようなので、入ってもらうことにした。
ススーっと襖(ふすま)を開けて入って来た仲居さんは、洗面所で鏡とにらめっこしていた私の顔を見るとクスリと笑って一言。
「可愛いキン肉マンですこと」
「……どうも」
そんな私の様子を見て、みんなが下を向いて笑いを堪えている。しばいてやろうか。
「お世話になりました。また来ますね」
「ありがとうございます。今後とも、どうかひなた旅館をごひいきに」
朝食を食べ、温泉にも浸かって十分旅行を満喫した私達は、旅館を出て我が家へと帰ることにした。
「おいはやて、駐車場見てみろよ。ネコバスが停まってんぜ。ぱねぇな」
「トトロですか……」
石段を下りて温泉街をちょっとぶらついた後、駅にて電車に搭乗。一路、海鳴駅を目指す。
『ファイヤー! アイスストーム! ダイヤキュート! ブレインダムド! ジュゲム! ばよえ~ん! ばよえ~ん! ばよえ~ん!』
「シャマル、貴様、このゲームやり込んでいるな!」
「能書き垂れてる暇があるなら積みなさい。死ぬわよ? ま、中二病患者にはいい薬かしら」
「舐めるな! 管制プログラムであるこの私がこの程度の連鎖を返せなくてどうする!」
車内では、行きの時と同じようにみんなはゲームやトランプで遊んで時間を潰している。
が、私は寝不足だと言ってみんなの輪には入らずに、一人目をつぶって考え事をすることにした。
考え事。それは昨夜の夢について。
あの夢で私に語りかけてきた人物。あの人が何者なのかは分からなかったけど、語った事はたぶん嘘じゃないと思う。理由は無いけど、なぜかそんな気がする。
「……」
おそらく、私とはやてちゃんの体は入れ替わっている。そして、それを行ったのが夢に出てきたあの人物。
あの人は、神様なんだろうか。でも、それだったらなんでこんなまわりくどい事をしたんだろう。全知全能の神様なら、もっとこう、ズバッと解決できるんじゃないのかな。それともそこまで万能じゃないのか? いや、そもそも神様じゃないのかもしれないな。
……まあそれはどうでもいいか。
なんにしろ、私がこの体に憑依した理由が分かっただけでも万々歳だ。
……はやてちゃんを、救うため、か。
確かに、夢のあの様子を見る限りじゃ、限界っぽかったよな。いつ壊れてもおかしくないような感じだった。
私は憑依してからすぐに友達も出来たし、ヴォルケンリッターという家族も現れたから、孤独感をあまり感じることはなかった。
でも、はやてちゃんは違う。何年もあの広い家で一人で暮らしてたんだ。
話し相手は石田先生か図書館のお姉さんくらいだと思うし、家に帰れば誰も居ない。……はやてちゃん、本当に頑張ってたんだね。今さらながらに尊敬の念を覚えるよ。
「幸せ、か……」
今は幸せだと言うが、入れ替わったという事実を母様や父様に話したんだろうか?……いや、それは無いかな。そんなこと言ったら頭がアレな子扱いされてしまう。はやてちゃんのことだ。記憶喪失とか何とか言ってうまく誤魔化してることだろう。
「あ……」
そうだ。そういえば、母様や父様に一日だけ会えるとか言ってたな。どうしてそれだけなのかは何か理由があるんだろうけど、もう会えないと思っていた母様や父様に会えるんだ。一日だけでも感謝しないとね。
……感謝、か。無理矢理憑依させられた相手に感謝ってのもどうかと思うけど、そのおかげでシグナムさんやヴィータちゃん達と会う事が出来たんだもんね。なにより、はやてちゃんを救うためにやったことだ。逆によくやったと褒めてあげたいくらいだ。
「ふう」
大体考えは整理出来た。気になることはあるけど、それはまた夢にあの人が出てきた時に聞いてみるとしよう。もう一度くらいは会えそうな気がするし。
「はやて、眠れないのか? もう少し静かにするか?」
近くでそんな声がしたので目を開けてみると、ヴィータちゃんが心配そうに私を見ていた。
「ああ、いえ。お気になさらず遊んでて構いませんよ。少し考え事に没頭していただけですから」
「……そっか」
その言葉を聞いて安心したのか、私から離れてみんなの下に戻っていくヴィータちゃん。
「……」
そんなヴィータちゃんと、ワイワイと盛り上がっているみんなを見つめる。
私の、家族。たった半年間の付き合いだけど、確実に家族と言える関係になった。それだけの絆を結んだ。
リインさんとはまだそれほどの付き合いではないが、家族と呼ぶことに違和感は無い。
みんな、私の大事な家族。一生を共に過ごすと誓った主従であり、親友であり、親であり、姉妹であり、家族である。
「……私も幸せだよ、はやてちゃん」
おそらくは、罪悪感を感じているだろう。でも、どうか気にしないでほしい。
私は今、まぎれもなく幸せなんだから。
昼過ぎに家に着いた私達は、少々遅めの昼食を取った後、いつものようにリビングでゴロゴロしていた。旅行帰りと言っても、帰宅してからやることは何も変わらない。
ゲーム、マンガ、ネット、散歩。時々思いつきで変わった事をやるが、大抵はこれらの繰り返し。
良い。実に良い。働くことなく遊び呆けるとか、全人類の夢を体現しているようじゃないか。
まあ、私は足が治ったら学校に行かなきゃならないんだけど。それまでは朝から晩までのニート生活を堪能するとしよう。
『メールが届いたにょ。にょにょにょ』
「……ん?」
と、私がネットサーフィンをしているところに、メールが送られてきた。一瞬誰かと思ったが、すぐに送り主を特定する。ここに送ってくる人間なんて一人しかいないじゃないか。
「やはり貴様か」
差出人は勿論、ギル=グレアム。最近はあまり送ってこなかったから、読むのは久しぶりだな。
メールを開いて中身を確認。えーと、なになに……
『ボンジュール、愛しのはやてちゃん。ご機嫌いかがかな?』
貴様の第一声でご機嫌は最悪だ。
『なんと今日はビッグニュースがあるんだ。これを知ったら、はやてちゃんはきっとすごく驚くだろうね』
ほう、珍しい。こんなこと言うのは初めてじゃないかな?
『実はね、近々まとまった休暇が取れそうでね』
へえ、それはよかったですね。
『その時に、君のお家にお邪魔しようかと思うんだ』
へえ…………へ?
『いやあ、これでやっと顔が会わせられるね。おじさん楽しみでしょうがないよ』
いや……ちょっと、待て……
『色々と話したい事があるから、時間を空けておいてくれると助かるよ』
え、あの……
『おそらくは一月の上旬くらいに行けると思う。日時が確定したらまた連絡するよ』
ほ、本気?
『身体に気をつけて。風邪なんかひいたらダメだよ?』
ご忠告どうも。って、そうじゃなくて、これって……
『それじゃ、また。会える日を楽しみにしてるよ』
ロ……ロ……
「ロリコン、襲来……」
「西暦20××年、平穏な八神家の日常を守るため、汎用人型決戦少女ハヤテが今、出撃する。新番組、新世紀魔法少女ハヤテ、第壱話【ロリコン襲来】 この次も、サービス、サービスゥ!」
「取り敢えずもちつけ、はやて」
あとがき
本作品を読んでくださっている方、感想を書いてくださる方、いつもありがとうございます。
さて、そろそろA's編も佳境に近づいてきたでしょうか。
SS書き始めて三カ月ちょっと。皆様のおかげでここまで書きあげることができました。
まだまだ未熟な身ですが、皆様に楽しんでいただけるよう、精一杯頑張ろうと思います。月並みな挨拶で恐縮ですが、これからもハヤテ達を生温かい目で見守っていただければ幸いです。
……目指せ、STS!