「第二回、コスプレショー、はっじまっるよー!」
いつになくハイテンションな神谷ハヤテです。
リインさんが私達と暮らし始めて早三日。
シャマルさんの料理に少しずつ慣れてきたのか、彼女が食事中に愚痴をこぼす事は無くなってきた。まあ、別の物が瞳からこぼれてるのはご愛敬だが。
魔力蒐集のために毎日がバトル三昧だった日々から解放された私達は、そんなリインさんと共に、昼食後、いつものようにリビングでまったりとした時間を過ごしていた。
シャマルさんとシグナムさんはゲームで対戦。私とリインさんは、ロリコンが送って来たマンガをソファーに座って読み、ヴィータちゃんはパソコンを占拠して、ニヤニヤと画面を見て笑っている。ザフィーラさんは珍しく人間形態になっており、指一本で腕立て伏せという荒技に挑戦している。
そんなありふれた日常を楽しんでいた私は、唐突にあることに気が付いた。
リインさんが居れば、私もコスプレやりたい放題じゃね? ということに。
「こここ、こりゃえらいこっちゃ……」
その可能性に思い至った私は、読んでいたマンガを放り投げ、みんなの同意を得ること無く、独断でコスプレショーの開催を告げるのだった。
「……いつかやるとは思ってたけど、やっぱりきたか」
いの一番に反応したヴィータちゃんがディスプレイから目を離し、瞳を輝かせる私を見る。どうやらヴィータちゃんはあまり乗り気ではないらしい。一旦コスプレしたらノリノリなのになぁ。
「む? 主、コスプレショーとは何だ?」
隣でマンガを読んでいたリインさんが、不思議そうに聞いてくる。そっか、リインさんは知らないのか。ふふふ、ならば教えてあげないとな。某説明お姉さん風に!
「説明しましょう。コスプレショー、それはレイヤーの意地と情熱とキャラクターへの愛が試される究極の自己表現方法。日本においては、アメリカのSF大会(サイエンス・フィクションコンベンション)の影響を受け、1970年代あたりから日本SF大会にコスチューム・ショーとしてプログラムに取り入れられておりました。しかし、当時はこの『架空の人物に扮する』という行為は異端とみなされおり、少数の限られた嗜好であったそうで、~中略~、同人誌の即売会等でもコスプレは行われており、コスチュームプレイと正式に呼ばれるようになったのは、~中略~、1988年代頃から同人誌即売会でのコスプレは、混雑やマナー、過度の露出などの問題から禁止とするイベントも──」
「そおい!」
ピコッ!
「はりゃほりゃ、うまうー!(はっ、私は何を……)」
「取り敢えずもちつけ、ハヤテ」
ヴィータちゃんのハンマーで正気を取り戻す私。いけないいけない、どうもコスプレのことになると熱くなりすぎてしまうようだ。猛省せねば。
「筋肉筋肉ぅ~(ありがとうございます、ヴィータちゃん。おかげで頭が冷えました)」
「いいってことよ。んじゃ、解除するぜ」
「ねえ、今なんかおかしくなかった?」
ハンマーの効力を消してもらい、普通に喋れるようにしてもらう。シャマルさんが首をひねっているが、どうしたんだろうか。いや、今はリインさんにコスプレの素晴らしさを知ってもらう事の方が先決だ。
「いかがでしたか、リインさん。コスプレショーとはどういったものかご理解いただけましたか? まだ知識が不足のようでしたら、微に入り細をうがちご説明しますが」
「いや、いい。今ので十分理解した。主の性癖を含めてな」
それなら結構。じゃあ、あとはみんなに参加を呼び掛けるだけだ。嫌だと言っても付き合ってもらうがな!
「皆さん、どうです? 久しぶりにやりませんか? 新しい衣装もご用意しますよ? やりますよね。やるって言え!」
「ハヤテちゃん、キャラ崩れてるわよ。でもそうねえ。レパートリーを増やすのもいいかもしれないわねぇ」
シャマルさん、参加決定。
「僕もやる~。マル助に負けたままじゃいられないしね。冬に見返してやるわ」
夏のコスプレ勝負に敗北したの、気にしてたんだ……まあいい。シグナムさんも参加決定と。
「我も参加しよう。ちょうどブロリーの格好がしたいと思っていたところだ」
流石ザフィーラさん。映画版を全部ぶっ通しで見続けただけのことはある。さて、残るはヴィータちゃんのみだ。
「あたしは……気が乗らねえな」
むう、やはりヴィータちゃんは難関だな。こうなったらあの手でいくしかないか。
「ヴィータちゃんは寝る時に、いつも渚ちゃんか真琴ちゃんの抱き枕を抱いてますよね?」
「ん、ああ。それがどうしたよ」
「その渚ちゃんの中の人のサイン色紙が手に入るとしたら、どうします?」
「まいたんのサイン!?」
ザ・買収。
「マ、マジかよ……一体どうやってそんなものを……」
「心優しい友達がいましてね。頼みこんだら譲ってくれたんですよ」
こんな時のために密かに隠し持っていたのだ。奥の手はこういう時に使わないとね。
「ハヤテ……犬と呼んでくれ」
流石にそれはちょっと……でも、これで全員参加となったわけだ。ああ、これであんな事やこんな事が可能に……ククク。
「さあ、では早速始めましょう。レッツ、コスチュームプレイ!」
「待て主。なぜ私の了承を得ない」
「だって、リインさんが居ないと私がコスプレ出来ないじゃないですか。残念ながらリインさんには拒否権はありません」
「まだマンガ読んでる途中──」
「レッツ、コスチュームプレイ!」
新コスチュームお披露目、一番バッターザフィーラさん。お題は希望通り、ブロリー。何気にまだイメージしてなかったりする。
「カカロットオオォォー!」
ズオオオオ!
「カッケー!」
筋肉がすごい盛り上がってる。いつの間にこんな特技を……
二番バッターシグナムさん。お題は意表をついて深窓の令嬢風ワンピース(麦わら帽子付き)
『ぷっ』
「ぬっ殺すぞ」
似合わねー。
三番バッターシャマルさん。お題は体操服(ブルマ)
『ぶはっ!』
「やっぱりケンカ売ってるでしょ、ねえ」
「サ、サーセン……」
破壊力抜群だわ、腹筋的な意味で。
四番バッターヴィータちゃん。お題は同じく体操服(ブルマ)
「ロリコンがこの場に居たら確実に襲いかかるでしょうね」
「嫌なこと想像させんなよ……」
やはり幼女にブルマは鉄板だろう。
そしてついにやってきました私のターン。
「リインさん、融合準備はよろしいですか? ちゃんと私のイメージ通りに騎士甲冑を生成してくださいね」
「こんなことで融合するのは不本意なんだが──」
「融合、開始!」
カッ!
「え、私の意思無視でなんで融合できんの?」
前回同様、リインさんが光の粒となり私の体の中に入ってくる。そして、光が収まった後にその場に残るのは、いかにも魔法少女が持ってそうなステッキを手にしながら、赤いスカートを翻してポーズを決めている私。
変身した私は、くるくるとステッキを回しながらあのセリフを言い放つ。
「はぁい、お待たせみんな! 愛と正義の執行者、カレイドルビーのプリズムメイクが始まるわよ!」
き、決まった……
「それにしてもこの主、ノリノリである」
「ていうか何で杖まで変化してるのよ」
「似合ってるっちゃあ、似合ってるな」
周りがなんか言ってるが、今の私の耳にはそんなのは入ってこない。なぜなら……
「ああ、気持ちいい……」
立ってコスプレするのが久しぶりな上、精巧すぎるほど精巧なコスチュームに身を包んでいる私が、その気持ちよさに陶酔しているからだ。ああ、やはりコスプレは良い。コスプレはリリンの生み出した文化の極みだよ。
「おーい、ハヤテー。続きはいいのかよ。これで終わりじゃないんだろ?」
はっ、そうだ。まだまだお楽しみはこれからだ。こんなのは前座に過ぎない。これからが本番なのだ。
「ふふふ、よくぞ言ってくれました、ヴィータちゃん。さて皆さん、ここで私から提案があります。今まで一人一人変身してきましたが、ちょっと趣向をこらしてみんなで一斉に変身してみませんか?」
そう、私がやりたかったのはこれなのだ。一人では効果が薄くとも、五人揃えば絶大な効果を発するグループ。世の中にはそんな集団が五万と居るのだ。ちょうど五人揃ってるんだから、やらなきゃ損ってものだろう。
「一斉に? 一体何に変身するんだよ」
「それは変身してからのお楽しみです。私がイメージを皆さんに送りますから、皆さんはその通りに変身してくださいね」
「へえ、面白そうっすね」
「何が出るのか楽しみね」
「一番最初にやるこれは、ザフィーラさんが気に入ると思いますよ」
なんてったって、一番のお気に入りだからね。
「ほう、楽しみではないか」
期待した目でみんなが私を見てくる。その期待、見事に応えてみせようじゃないか。
「では皆さん、横一列に並んでください」
みんなに指示し、私を中心として横一列に並んでもらう。私だけみんなと反対方向を向いているのに疑念の眼差しが向けられるが、変身すればその意味は分かるだろう。
よし、準備は整った。あとは変身するのみ!
「いきます! へーん、しん!」
五人の体が一斉に輝きだし、部屋の中を明るく照らす。が、それは一瞬のことで、すぐに収まる。
そして、今ここに、あの伝説の五人が蘇る!
『な、なんだと……』
「こ、これは……」
「ま、ましゃか……」
「な、なんという……」
「え? なにこれ?」
シャマルさんだけ理解していないようだが、まあいい。とにかく、この格好になったならば、あのポーズを取らねばなるまい。
「皆さん、いきますよ!」
『応!』
シャマルさん以外の皆が威勢よく応えてくれる。リインさんまで乗り気なのは意外だが、まあマンガ好きなら一度は憧れるものだし、そこまで不思議ではないか。
「え、なに?」
一人呆けているシャマルさんに、私は急いで念話で指示を下す。
『シャマルさん、あなたはヴィータちゃんの後に、グルド! って叫んで、ヴィータちゃんと同じポーズを取ってください。絶対ですよ!』
『え、ええ。分かったわよ……』
私の気迫の圧されたのか、素直に頷いてくれた。
そして、私の指示が終わると同時に、すぐに意図を察した三人が順番にポーズを取ってくれる。
まずは一番左端のザフィーラさん。両手を中央に居る私に向けて伸ばし、両足を開いて腰を落とし、甲高く一喝してから名乗る。
「イイイイヤアア!……リクーム!」
次に、右端のシグナムさん。ザフィーラさんと同じポーズを取りつつ叫び、名乗る。
「ケェーケッケッケ!……バータ!」
お次は私とシグナムさんの間に居るヴィータちゃん。クラウチングスタートのような体勢になりながら髪を振りまわし、カマキリの手のように手首を曲げた両手を上に伸ばし、名乗る。
「ハアアアアア!……ジース!」
次いで、私とザフィーラさんの間に居る、すごく嫌そうな顔をしたシャマルさん。嫌々ながらもヴィータちゃんと同じポーズを決めてくれて、ヤケクソのように名乗る。
「ふう……グルド!」
ラストは私。両足を開き、足の間から後ろを見るように上半身を曲げ、頭の横に開いた両手を添えて、名乗る。
「……ギニュー!」
全員の名乗りが終わると同時にみんなが中央に集まり、名乗りのポーズとは別に、各々に定められたポーズを取る。
そして、締めは勿論このセリフ。
「み」
「ん」
「な」
「そろっ」
「て」
『ギニュー特戦隊!!』
やべえ、超気持ちいい……
「ねえ、なんなのよ、この得体の知れないアホなポーズは」
みんながポーズを決めて浸っている中、ポーズを解いたシャマルさんが質問する。
「知らねーのかよ。ギニュー特戦隊だぜ? スペシャルファイティングポーズだぜ? ああ、まさかこのポーズが出来るなんて夢にも思わなかったぜ。コスプレも悪くないかもな」
「うむ。一日に一回はやってもいいかもしれんな、これは。そうすると、シャマルには最後の決めのポーズを練習させなければならんな」
「勘弁してちょうだいよ……」
特戦隊のスーツを身にまとったみんなが楽しそうに話している中、シャマルさんだけが眉をひそめて嫌そうな顔をしている。後でドラゴンボールを読ませよう。そうすればきっとあのポーズの素晴らしさが理解できるはずだ。なんてったってリインさんまで虜にするほどだしね。
「さあ、皆さん。コスプレはまだまだ始まったばかりですよ。次行ってみよー」
「もうあんなポーズを取るコスプレは無いわよね?」
さーて、どうでしょうかね~。
「アカレンジャイ!」
「キレンジャイ!」
「アカレンジャイ!」
「アカレンジャイ!」
「……キレンジャイ」
「五人揃って」
『ゴレンジャイ!』
「……なんで赤と黄色しかいないのよ?」
そこが突っ込みどころだからです。
「左手は、そえるだけ」
「骨が折れてもいい、歩けなくなってもいい……」
「どあほう」
「安西先生、バスケが、したいです……」
「これ、なんのコスプレなの?」
熱き男達のコスプレです。
「ペガサス流星拳!」
「聖剣!(エクスカリバー!)」
「ダイヤモンドダスト!」
「鳳凰幻魔拳!」
「なんであなた達そんなノリノリなのよ……」
楽しいからです。
「ゲロゲロゲロゲロ……」
「タマタマタマタマ……」
「ギロギロギロギロ……」
「クルクルクルクル……」
「これ、もはや着ぐるみよね?」
こまけぇこたーいいんだよ。
「皆さん、お疲れ様でした。今日はこれくらいにしておきましょうか」
コスプレ開始から二時間が経過。いつまでもみんなを束縛しているわけにもいかないので、ここらへんで終了することにした。いやぁ、それにしても楽しかったなぁ。
「ハヤテ、わりと面白かったぜ」
「そっすね。たまにならまたやってもいいかもしれんぞい」
「やってみると悪くないものだな」
「一番はやはり特戦隊だな。あれはまたやりたいものだ」
「あれだけは勘弁してほしいわね……」
みんなも結構楽しんでくれたみたいだし、万々歳だ。ふふふ、冬コミの楽しみが増えたな。早く大勢の前で披露したいものだ。
「主よ、今日は気分が良い。散歩の際は背中に乗せていってやろう」
「わ、ホントですか。やった」
ザフィーラさんに乗せてもらうのも久しぶりだな。あの背中の感触を味わいながら散歩できるのか。楽しみだ。
「何時ごろ行きますか? 私はいつでも構いませんが」
「では今すぐに行こう。体が激しい運動を求めているのでな」
「おいザフィーラ。揺らしすぎてハヤテを振り落とすんじゃねえぞ」
「ふん、そんなヘマはせん」
ザフィーラさんのバランス能力は並じゃないからな。それに、逐一私の体勢を気に掛けてくれるし、振り落とされたことなんて一度も無いから安心して乗れるよ。
「というわけで、私はザフィーラさんと散歩に行ってきますね。皆さん、今日はお付き合い頂きありがとうございました。また誘うかもしれないので、その時はよろしくお願いしますね」
あーい、うーい、と声を返しながらバラバラに散っていくみんな。シグナムさんは外へ、ヴィータちゃんはパソコンへ、リインさんは読みかけのマンガを手にしてソファーへ、シャマルさんはキッチンへと移動して行く。
「あれ、シャマルさん、もう夕飯の準備するんですか。ちょっと早くありません?」
「違うわ。ちょっと新作メニューに挑戦しようと思ってね。夕飯までには納得のいく味にしたいのよ」
なるほど、そういうことか。なんだか本当に主婦みたいだな、シャマルさん。立派にみんなのお母さんしてくれちゃってまあ。
「いつもご苦労様です。新作、楽しみにしてますね」
「ええ、任せなさい」
包丁を握りながら笑みを返してくれる。今日の夕食が楽しみだ。
「主、行くぞ」
「あ、ただいま」
急かすザフィーラさんの背中にグレン号から飛び乗り、玄関へと向かう。さぁて、今日はどこまで行こうかな~。図書館辺りまで足を延ばそうか。いや、ザフィーラさんの意見も聞かないとな。
そんな事を考えながら玄関を抜ける私の耳に、こんな会話が聞こえてきた。
『おい、貴様。今鍋に何を入れた?』
『……別に、何も』
『嘘をつけ。その赤いのは何だ。……見せろ、この!』
『やめて! HA☆NA☆SE!』
……さて、出発進行と。
「うわー!? また椅子女が犬に乗ってやがる。みんな、逃げろ!」
「悪い子はいねがー! 弱いものイジメする悪い子はいねがー!」
「それはテメーだ!」
ヒー! ギャー! と逃げ惑う近所の悪ガキどもを追いかけ回して遊んだり、
「グルルルル、ガウッ!」
「クゥーン……」
「ザフィーラさん、どう、どう」
すれ違う犬に吠えかかる大人げないザフィーラさんをなだめすかしたりしながら、私達は町を練り歩く。
「ザフィーラさん、自重してくださいね」
「むう……」
でも、こういう散歩もいいね。グレン号で風を切って走るのも気持ちいいけど、ザフィーラさんとお話しながら周りの景色を楽しむというのも、また格別だ。何より、背中の感触が気持ち良いし。
「……ん?」
と、私がザフィーラさんの背中の感触を楽しみながら河川敷を歩いていると、前方に不思議な人影を発見した。遠目だからよく見えないが、なんか形がいびつというか、普通に立って歩いてるという感じじゃない。そう、まるで私と同じように動物にまたがってるような……
「犬にまたがってんじゃん……」
近づくにつれて、その全貌が明らかになる。なんと、本当に犬の上に乗っている。しかも私と同じくらいの年の女の子だ。夕日に輝く金髪を揺らしながら、私達の方向に向かって来ている。どうやら彼女も私達に気が付いているようで、こちらをじっと凝視しているのが分かる。
『私みたいに足が動かないんでしょうか? それとも犬に乗って散歩するのが彼女の日課なんでしょうか?』
『どうだろうな。ただ、あの娘を乗せている犬。奴の顔が気になるな。何かを企んでいるような顔だ』
どんな顔だよ、と思い、もうすぐ近くまで来ていた犬を見てみると、本当にそんな感じの顔をしていた。ニヤリと口の端を吊り上げ、まるで人間が不気味に笑っているかのような表情をしている。あれ、犬がする表情じゃねーだろ。
『なんだか不気味ですねぇ。関わり合いになるのはやめときましょうか』
『それが賢明だな』
ザフィーラさんと念話で密談し、挨拶する程度に留めることにした。この女の子にちょっと興味はあるけど、あの犬がなんか変な感じするんだよなぁ。
「……こんにちわ」
「……こんにちわ」
すれ違いざまに挨拶をして、そのまま通り過ぎる。ふう、いきなり襲いかかってくるかも、なんて想像してたけど、別にそんなことはなかった──
「やっぱり──まあ、私も──」
突然、後ろの方から小さく声が聞こえた気がした。……なんだろう、このまま何事も無く終わる予感がゼロなんだけど。
「ねえ、君」
話しかけられた!?
「な、何でしょうか」
無視するわけにもいかず、こちらも振り返って相手の顔を見る。すると、女の子は何かに挑むかのような顔でこんな事を言ってきた。
「私とこの子、あなたとその子で、競争しない?」
「……」
『……』
……予想だにしない展開!
「ダメかな?」
上目使いにこちらを見てくる少女。……だが、競争か。見ず知らずの女の子であっても、勝負を挑まれたとあっては逃げるわけにはいかないよな、いかねーよ。
この神谷ハヤテ、今まで勝負を申し込まれて断った事など、ただの一度も無いのだ!
『ザフィーラさん、この勝負受けようと思うのですが、構いませんね?』
『無論だ。あの自信満々そうな犬の天狗ッ鼻、へし折ってくれる』
やはり頼もしいな、ザフィーラさんは。それでこそ私の家族だ。
互いのパートナーとのタッグバトル。下で走る相棒の体力、走力は勿論のこと、上にいる人間のバランス能力、操縦力、果てはパートナーとの絆まで試される熱い戦いだ。こいつは燃えてきた。
「その挑戦、受けて立ちましょう」
「あ、ありがとう」
自分から勝負を持ちかけてきておいて、なぜか驚いた表情をしている少女。私が了承するとは思ってなかったって感じだな。ふふん、勝負から逃げるなんて私がするはずないでしょうが。
「ではゴールを決めましょう。ここから500メートルほど真っすぐ進んだ所に橋が掛かってるんですが、その入口でどうでしょうか?」
「……うん。そこでいいよ」
少し考えるそぶりをしてから少女が答える。よーし、後は突っ走ってぶっちぎりで勝負に勝つだけだ。やってやるぜ!
「それでは始めましょうか。スタートの合図は私が言ってもいいですか?」
「うん、任せる。やるからには、負けない」
「こちらこそ」
二人と二匹は一列に並び、一瞬だけ視線と笑みを交わした後、ゴールである橋の方向を見据える。と、そこで、私達の横を数人の学生が小さな声で囁きながら通り過ぎていった。
『おい、あれ、海鳴のアルルゥだよな。俺初めて見た』
『しかも隣に居るのは遠見の申公豹(しんこうひょう)だぜ』
『ああ。最近居なくなったって聞いたけど、こっちに越してきたのか?』
……いつの間にそんな通り名がついてたんだ。しかも隣の子まで。申公豹ってあのネコ目の雷使い?
まあいい、今は勝負に集中だ。私のポカでザフィーラさんを困らせるわけにはいかないしね。
「準備はいいですね?」
「うん、いつでも」
ならば、あとは駆け抜けるのみ!
「位置について、よーい……ドン!」
こうして唐突に、謎の少女とそのペットの犬 VS 私とザフィーラさんとの対決が始まったのであった。
「ふぬぬぬぬぬぬ!」
『主、姿勢を低くしろ! 背中にべったり張り付いてもいい!』
『りょ、了解!』
スタートしてから20秒ほど経ったのだが、当初楽勝かと思われたこの勝負、思わぬ苦戦をしいられることとなった。
なんと隣の彼女、スタートと同時にありえないほどの加速力で瞬く間に私達を置き去りにし、ペースを落とさないまま爆走してくれちゃったのだ。奥歯に加速装置でも付いてんのかと思ったよ。
あの犬も大したものだが、それより凄いのは主であるあの少女だ。風圧にも負けず、振動で振り落とされることもなく、とんでもないバランス能力で見事にあの犬と一心同体になって突き進んでいる。
対して私は、遅れを取って焦ったザフィーラさんの加速に対処できず、その背中に張り付くことでしか体勢を維持できないという体たらく。
「く、くそう……」
ぎゅっとザフィーラさんの首に腕を回して、振り落とされないようにしがみつきながら前を見る。
前方には、綺麗な金髪をなびかせながら華麗なフォームで疾駆する少女の姿があった。ザフィーラさんが加速してから少しづつ差は埋まってきているが、まだ10メートルほどの距離がある。
ゴールまであと200メートルといったところ。間に合うか?
『ザフィーラさん、いけますか?』
『今のペースではまずいな。さらに加速すれば分からんが……主、覚悟はあるか?』
『勝つためなら、この身を悪魔に捧げても構いません。仮に振り落とされて怪我をしたとしても、ザフィーラさんに回復してもらえばいいですからね。多少の痛みなら我慢できます。どんどん加速しちゃってください』
『……その覚悟、見事。では、ゆくぞ!』
ゴウッ!
「くっ!?」
さらにスピードを増したザフィーラさんに必死になってしがみつく。これ、ジェットコースターに乗るよりスリルがあるんじゃなかろうか。
だが、その甲斐あって少女との距離はみるみる縮まっていく。
「ッ!?」
こちらの急激な接近に気付いた少女が、ちらりと後ろを見て驚愕の表情を浮かべる。が、すぐに前に向き直り、ゴールに向かってひた走る。……ヴィータちゃんのように油断はしないか。しかし、それでこそ抜きがいがあるというもの!
ゴールまであと50メートルほど。対して、私達と少女の距離は2メートルといったところ。ラストスパートだ!
『ザフィーラさん、あなたに、力を……』
『その思い、しかと受け取った!』
加速、さらに加速!
「なっ!? くっ、アルフ!」
ついに、少女の横に並ぶ。死ぬ気でザフィーラさんに抱き付きながら、横をちらりと見る。そこには、余裕を無くして慌てている少女の姿があった。
「負け、ない!」
「こっち、こそ!」
目と目が合い、一瞬睨み合った後、バッと同時に前に向き直り、間近に迫ったゴールを穴があくほど見つめる。
残り、10メートル。
8メートル。
5メートル。
3。
2。
1。
『いっけえええええー!』
両者が同時に咆哮を上げ、そして……
ゼロ。
長い激闘の末、ようやくゴールに到着。その結果は──
「……引き分け?」
勝者も敗者もいない、ゼロサムゲーム……
「あなたとそのワンちゃん、強敵でした。また、勝負したいものですね」
「うん、そうだね。今度こそ決着をつけよう」
バトルを終えた後、互いに健闘を称え合った私達は、再び相まみえることを約束し合い、それぞれの岐路へとつくのだった。
長時間慣れない振動に身をさらしていたためか体の節々が痛むけど、今回得た報酬の代価だと思えば安い物だ。ライバルという報酬のね。
「ザフィーラさん、次に出会う時までに特訓をしておきましょうね」
「そうだな。奴らのコンビネーションは並ではなかった。我らもあれくらい一心同体にならねば勝てんかもしれんな」
今回は賭けの部分が大きかったからなぁ。私が転がり落ちる可能性も結構あったわけだし。特訓を積んでザフィーラさんの加速に体を慣らした上で、彼女のようなバランス能力を手に入れなければ、次に勝つのは難しいだろう。
「それはそうと、今日はお疲れ様でしたね。お礼として焼き鳥を買ってあげましょう」
「レバー、いや、つくねを所望する。いや、やはりレバーか……」
「では両方買いましょう」
「死力を尽くした甲斐があったというもの……」
その後、焼き鳥をパクつきながら私達は帰宅するのであった。
「あーっ! 主、買い食いっすか? いいなー。あっしにもくださいよ」
帰宅途中にシグナムさんに発見されてしまい、焼き鳥を奪われてしまったのは、まあご愛敬?