「あ、牛乳……期限切れの」
神谷ハヤテ、ただいま冷蔵庫を物色中です……
非情な現実に絶望しながら乾パンを貪った私は、食料の備蓄を確認するため、キッチンにある棚や、冷蔵庫の中を調べまわることにした。
流石に三食乾パンはごめんこうむる。食料が無かったら買い出しに行かなきゃならないしね。……弁当を。
何で食材を買わないかって? そんなの決まってる。
蝶よ花よと両親に可愛がられながら育った私は、包丁なんて持たせてもらえるはずもなく、……なんてことはなく、
『花嫁修行? ごめん今レベル上げで忙しい~』
刺客(母様)から、ありとあらゆる手練手管を用いて逃げ続けたため、料理なんて一度も習ったことが無いのだ。
ん? ああ、そういえば前に一度だけ作ったことがあったっけ。
そう、あれは調理実習の授業の時、隣の席の生徒と二人一組になって玉子焼きを作れと言われた私は、無垢な表情で、「卵焼きってどうやって作るの?」と、ペアの生徒に聞いたのだ。
『はあ? そんなことも知らないのか?』
こいつ正気か? なんて感じの視線を向けてきたが、相手は女子のスカートめくってきゃっきゃと猿のようにはしゃぐようなガキ。ここは大人の対応を、と思い、
『……作り方、教えて』
額にバッテンマークを付けながら、慈愛の表情で聞いた私に、奴はこうのたまった。
『お前、本当に女か?……仕方ねえ、と・く・べ・つ・に教えてやるよ。感謝しな』
バッテンマークを顔中に張り付けながらも、淑女な私は料理の説明を聞き、初めて作ったとは思えない程の見事な玉子焼きを作ったのだった。
そういえば、あの時作った玉子焼きをペアの相手に食べさせたら、急にお腹抱えてトイレ行くんだもん、ビックリしちゃった。
『腐った牛乳を拭き取ったゾウキンの味がした……』
失礼しちゃうなぁ。
「おっと、昔を懐かしんでる場合じゃない」
目の前にある腐りかけの牛乳を見つめながら、正気に戻る。
「母様(刺客)から逃げ続けたツケを、今になって払うことになるとは……」
人生何が起こるか分からないもんだね。他人に乗り移るとか、その最たるもんだ。
ん、んん? そういえば今まで考えたこと無かったけど、今の……【神谷ハヤテ】の肉体ってどうなってるんだろう?
私の意識(魂?)はここにあるわけで。
考えられるとしたら……
1 今の神谷ハヤテの肉体は脱け殻。生命活動が停止しているかわからないが、良くて植物状態、悪けりゃ死体そのもの。
2 別の意識が芽生え、神谷家の一員として優雅な時を過ごしている。
3 神谷ハヤテに体を乗っ取られ、成仏するはずだった八神はやてが、恨みパワーで私の肉体を乗っ取り返し、神谷家の一員として以下略。
……1は遠慮したいなぁ。父様や母様を悲しませたくはない。…中身が私じゃなくても、神谷ハヤテの姿をした【誰か】でも、神谷家の一員として、家族を安心させていてほしい。
ベストはやはり3だろう。私も、はやてちゃんを(不可抗力とはいえ)殺した、という罪の意識に苛まれずに済むし、はやてちゃんも、何不自由しない家の長女として生まれ変われるんだから、文句は無いはず。オマケに美人だしね!
ふうむ、しかしここで考えてても何もわからん。
……いっそ、神谷家にグレン号で突入して、
『父様、母様、騙されないで! そいつは偽物よ!』
とかやってみるか?
でも1だった場合、お通夜ムードの神谷家に珍獣が紛れ込みました、なんてことになりかねんしなぁ……
……そうだ、ちょっと覗いて確認するだけでいいじゃん。
1だった場合は、……大人しく八神家に戻ろう。突然車椅子に乗った女の子が、
『父様、母様、私よ! 父様と母様の愛の結晶よ!』
なんてほざいた時にゃ、いくら温厚なうちの両親でもブチギレ確実だろう。
2だった場合は、……やっぱり大人しく八神家に戻ろう。
たとえ見知らぬ誰かが私の身体を好き勝手していたとしても、周りから見ればそいつこそが神谷ハヤテであり、異分子は私なのだ。
……父様、母様と疎遠になるのは辛いなぁ。
そして、3だった場合。もしこの状態だったならば、みんながハッピーエンドを迎えることができる。
私が考えたプランはこうだ。
下半身不随の身寄りの無い女の子が、神谷家に突入し、養子にして下さいと泣きつく。
情に厚く、お人好しな我が両親、号泣しながら承諾。
ハッピーエンド
……いや、少し虫がよすぎるか。プランBにしよう。
プランB
はやてちゃんと接触、交友を深める。
はやてちゃんを洗脳、私無しじゃいられない体にする。
我が両親に、
『私、はやてちゃんみたいな妹がほしいな~』
と、囁くように指示。
娘に甘すぎるマイペアレント、考えることもなく了承。
そして、新たな娘を温かく迎え入れようと、抱き締める父様、母様に挟まれながらこう呟くのだ。
『……計画通り(ニヤリ)』
……完璧すぎる。
新世界の神なんぞ目じゃないわ!
「考えはまとまったし、行こうか……な……!」
プランを実行すべく、家を出ようとして、気付く。
「なん……だと?」
あり得ない、何で?
「家の住所が……わからない」
いや、住所を忘れた、とかじゃないよ? 知識として知っている筈なのに、家がどこにあるのか考えると、頭の中が真っ白になってしまうのだ。
何これ、何かの呪い?
「……無理、もうだめぽ」
十分ほどねばってみたが、一向に改善の兆しが見られない。頭痛が痛い…間違えた、頭が痛い。
「今は無理、か」
しょうがない、いつか思い出すでしょ。
楽観的だとはわかってるけど、どうにもならないしね。なるようになれ、ケセラセラってやつだ。
「さーて、と」
長い間考えごとしてたせいで、時刻はもう昼前だ。
流石に二日間放置してただけあって、冷蔵庫の中のものには消費期限が切れている物が幾つか見付かる。
しかしその中で一際異色を放つものがあった。
「何故ある、おでん缶」
しかも、側面にギャルゲに出てきそうな女の子がプリントされてるやつ。
買ったは良いけど勿体無くて食べられなかったの、はやてちゃん?
はやてちゃんの新たな一面を垣間見た瞬間だった。
冷蔵庫の中をあらかた整理した私は、それがあまり意味の無い行為だったことに気が付いた。
料理出来ないんだから、食材全部捨てるしかないじゃん……
生の人参や肉にかぶりつくわけにもいかないしなぁ。黙って腐るのを見ているわけにもいかない。
ポリ袋にポイポイと放り投げながら、お魚さん、お肉さん、恨むなら、私に料理の楽しさを教えられなかった、あのバカなクラスメイトを恨んでね? と念じてみる。食べ物の恨みは怖いって言うしね。
あれ、食材があるってことは、はやてちゃん料理出来るんだ。ほんとハイスペックな八歳児だなぁ。
「グレン号、お前に命を吹き込んでやる!」
いざっ、見知らぬ外の世界へ。
代わり映えのしない家並みを横目にグレン号を駆る私。風がきもちいい。
取り敢えずコンビニかスーパーを発見するまで、適当にグルグル探索しよう。
……しかし本当に気持ちいいなぁ。運動なんて滅多にしないから、頬を流れる風がこんなに心地いいものだなんて知らなかった。
チリンッチリンッ!
「お?」
なにやら背後からやかましいベルの音が……
身体をよじって背後を覗く。そこには、ママチャリにデカイ尻を乗せたパーマのおばちゃんの姿があった。
なるほど、邪魔だから横にどけと、そういうわけですな? いいですとも、どきましょう。
「……チッ」
私を追い抜く際、奴はわざわざ聞こえるように大きく舌打ちしていった。
……ババア、貴様は私を怒らせた。
「リミッターを外させてもらう」
本来、日本では車椅子の最高速度は時速六キロに定められており、日本製の車椅子はそれ以上の速度は出ないようにされている。
だがしかーし! このグレン号は一味違う!
外国製のオーダーメイド、日本円にして八十万は下らない、スペシャルな機体なのだ。(説明書に書いてあった)
その最高速度、なんと時速十四キロ!
まさか外に出て5分でその真価を発揮することになるとはね……
「燃え上がれハート、刻み込めビート!」
今が駆け抜けるとき!
「はぁぁぁーっ!」
忌々しいパーマを追走する。その勢い、修羅の如く。ぐんぐんと縮まる距離。こちらに気付いたパーマが恐怖で顔を引きつらせるが、もう遅い。
「グゥゥレイトォォ!」
パーマを追い抜き華麗にターンを決める。タイヤが焦げ臭いが気にしたら負けだ。
ガタガタと震えるパーマ。ふん、ざまあない。
「オバサン、人に道を譲ってもらったら、何て言うのかな?」
「……あ、……ありがとう……」
「良くできました」
マナーは大切だよ?
『あー、そこの暴走車椅子の子、ちょっとコッチ来てくれるかな?』
「……アディオス!」
権力の犬が、事件の匂いを嗅ぎ付けたようです。
なんとか白黒の車を撒いた私は、ようやくスーパーを発見し弁当をゲットしたものの、帰り道が分からなくなり、先程まで追いかけられていた相手に保護されるのだった。
「カツ丼、うま」
ちなみに、弁当とカツ丼交換してもらいました。こっちの方が美味しそうなんだもん。