朝起きると、目の前にたわわに実った美味しそうな果実があった。さあ、八神はやて。どうする?
1 据え膳食わぬは、はやての恥。躊躇なくかぶりつく。
2 周りを見回して障害が無いか確かめてからかぶりつく。
3 否応なしにかぶりつく
4 しばらく様子を見てからやっぱりかぶりつく。
……よし、周りを見回しつつ少し様子を見てから躊躇せずに否応なくかぶりつこう。
「……いただきます!」
もにゅもにゅ!
「……やん♪」
ええ声で鳴きよるわ、この果実は。……て、起きとる!?
「もう。記憶が無くなってもこういうところは変わらないのね、ハヤテちゃんは」
「あははは……えーと、おはようございます」
「はい、おはよう」
誤魔化す為に挨拶なんかをしてみたんやけど、普通に返されてもうた。もっと言及されるかと思っとったのに。……乳揉みが日常茶飯事なんかな、この家は。
「どう? よく眠れた?」
「ええ、おかげさまで快眠です」
一人で寂しく寝ていた時とは比べ物にならんくらい気持ち良かったわ。人肌のぬくもり、最高。
そう、私は昨夜ハヤテちゃんの母親、もとい、母様と一緒に寝たのだ。夜、突然彼女が部屋に現れてベッドに潜り込んできた時は驚いたが、人肌に飢えていた私は拒絶することなく受け入れた。
なんで一緒に寝ようとしたのかは言わんかったけど、ひょっとしたら顔に出てたのかもしれんな。人恋しいって。
「それじゃあ、朝ごはんを食べましょうか。着替えたら食堂にいらっしゃい。場所は分かるわね?」
「はい。昨日散々探検したので」
これから自分が住む家の構造を知らんのはアカンと思い、昨日の夕食後に屋敷の中を歩き回ったのだ。アホみたいに広くて全部回りきるのに時間は掛かったんやけど、大体の場所は把握した。決して、各所で見られるメイドさんの胸を揉み回ったついでに場所を覚えた、とかではないんよ?
「今日は学校だから、制服に着替えていらっしゃいね」
そう言い、母様は部屋を出ていった。
……学校、か。昨日の段階で担任には記憶喪失の件を伝えたらしいんやけど、不安やなぁ。……いじめられたりせえへんやろか?
ああ、あり得そうでなんや怖いなぁ。どないしよ。最近の子供は加減を知らんというからなぁ。スカートめくりから始まって、リコーダーの先端を隠されたり体操服を隠されたりするんやろうなぁ。……これは何か対策を講じる必要がありそうやで。
「おっと、まずは朝ごはんやな」
着なれない制服を四苦八苦しながら装着した私は、思考を一旦中断して廊下へと歩きだしたのだった。
「ごちそうさまでした」
給仕さんが運んでくる朝食に舌鼓を打ちながら母様と学校についての話をしていたのだが、あっという間に食べ終わってしまった。
それにしても、他人が食事を用意してくれるんは楽でいいんやけど、妙に物足りないのは何でなんやろ? 仕方なく始めた料理やったけど、自分でも気付かん内に調理中毒者にでもなってたんかな。……今日の夕食、私に作らせてもらえんかな。
「そういえば、父様はどないしたんですか?」
てっきり朝食を一緒すると思っとったのに。
「あの人は忙しい身だから、いつも朝早く出るのよ。外国に出張なんてことも日常茶飯事だから、一緒に食事を取るのはなかなか難しいの」
なるほど。金持ちには金持ちの苦労があるってことやな。
「あら、そろそろ時間ね。準備が済んだら外に出ててね。車を用意してるから」
「はい」
予想はしとったけど、車送迎か。なんと豪勢な。金持ち舐めたらアカンな。
そんなことを考えながら食堂を出て自室に戻った私は、万が一のいじめに対する仕込みを済ませてから鞄を掴んで外に出た。備えあれば憂い無しや。
「お待ちしておりました、お嬢様。それではこちらへどうぞ」
玄関を出た私を待ち構えていたのは、外国人のイケメンの使用人と……リムジン!? どんだけー。
「えっと、あなたは……」
「これは失礼しました。私はお嬢様の送迎を担当致します、アレックスと申します。以後、お見知り置きを」
「はあ、よろしくお願いします」
アレックスさん、ね。眼鏡が印象的なイケメンやな。
「ハヤテちゃーん、初めが肝心よー。しっかりねー」
声に振り向くと、玄関から母様が手を振ってエールを送ってくれている。そやな、初めが肝心や。
「行ってきまーす!」
手を振り返しつつ車に乗り込む。……行ってきます、か。見送ってくれる人が居るってのは、良いもんやな。
「それでは出発します。……ククク」
ハンドルを握ると同時に怪しげな笑みをこぼすアレックスさん。正直、恐いで。
「あの……何で笑っとるんですか?」
「え? ああ、失礼。実は私、ハンドルを握ると自然と笑ってしまうんです。昔、峠ではしゃいでいた事を思い出してしまいまして」
「そ、そうですか……」
気のせいか、アレックスさんの顔がしげの画調になっている気がする……というかどっかで聞いたような設定やな。
「えと、それじゃお願いします」
「了解しました……うおぉぉー! 鷹嘴(たかはし)いぃー!」
「ぬおぉー!?」
私立正祥大学付属小学校。通称、正祥学園。小学校から大学までエスカレーター式で、良家の坊っちゃんやお嬢様やらも多数通っているらしい。
「ここが今日から私が通う学校……」
「正確には今まで通っていたのですが、今のお嬢様にとっては初登校となりますね」
妙にツヤツやした顔で補足してくれるスピード狂。あれでよく解雇されないものだ。まったく、あんなにスリル溢れる登校は初めてやで。
「待ってたわ、ハヤテちゃん」
「え?」
校門近くで降車した私に声を掛けてくる人物がいた。誰?
「お嬢様、こちらの女性はお嬢様の担任の先生ですよ」
へえ、随分と綺麗な先生やな。……胸もなかなか。
「私の名前は黒野リンよ。ハヤテちゃん、覚えてない?」
残念ながら、私にとってはここで出会う全ての人物が初対面です。
「ごめんなさい。記憶が無いもので……」
「記憶喪失。……聞いていたけど、本当なのね。……あ、気にしないでね。ゆっくり思い出していけばいいのよ?」
くっ、騙しているようで罪悪感が。……いや、実際騙してるようなもんやが。
「黒野先生。お嬢様をよろしくお願い致します」
「はい。お任せ下さい」
先生に一礼して去っていくアレックスさん。さて、こっちも気合いを入れていこか。
「やっぱり不安?」
こちらの様子を察したのか、そう問いかけてくる先生。
「不安やないと言えば嘘になりますけど……」
「フフ、安心して。私のクラスの子達は皆良い子だから。……一人を除いて」
安心できるかい。なんやねん、その一人を除いてって。
「さあ、教室に行きましょ。もう皆集まってるでしょうし」
「……はい」
気にはなるけど、まあ行けば分かるかな。虎穴に入らずんば虎児を得ず、や。
「……ん?」
しばらく先生の後ろに付いて歩いていると、花壇を整理している男性が見えてきた。白髪で髭を生やしているが、みすぼらしいという感じは微塵もせず、それどころかある種の風格を漂わせている。何者や?
「校長先生、おはようございます」
リン先生が件のナイスミドルに挨拶を交わした。このおじさん、校長やったんか。どおりで風格がある訳や。
「ああ、黒野先生。おはようございます。おや、その子は例の……」
「はい、ハヤテちゃんです」
校長先生にも記憶喪失の話は伝わっとるんか。まあ当然やな。……おっと、取り敢えず挨拶はせなあかんな。
「おはようございます」
「はい、おはよう。礼儀正しい良い子だね」
慈しむような目でこちらを見つめるナイスミドル。穏和な先生やなぁ。
「ハヤテちゃん。こちらはこの学校の校長先生よ」
「ゲル=ゴーレムだよ。よろしくね」
ゲ、ゲル?
「……随分と個性的な名前ですね」
「はは、よく言われるよ。子ども達にはDr.ゲルの名で親しまれてるけどね」
それは親しまれてるのか?
「ハヤテちゃん、行きましょう。校長先生、失礼しますね」
「ええ、今日も一日頑張って下さいね」
あんたは頑張らんのか? なんて思いつつリン先生の後を追う。
「やはり幼女は良い……イエスロリコン、ノータッチ……」
風に乗ってそんな言葉がどこからか運ばれてきた気がした。
「着いたわ。心の準備はいい? ハヤテちゃん」
「……八神、じゃない、神谷ハヤテ、いつでもいけます」
教室にたどり着き、ドアの前で深呼吸をして覚悟を決める。
新たな学校、新たな先生、そして新たな友達。楽しまなきゃ損やで。
「分かったわ。それじゃ私が皆に説明するから、その後に入ってきてね」
「はい」
リン先生が扉に手を掛け、ガラッと開ける。と、同時に教室から響いていた喧騒が鳴りを潜める。……しつけはきちんとされてるみたいやな。流石私立。
「きりーつ、……礼」
『おはようございます』
「はい、おはようございます」
「着席」
教壇に立った先生に挨拶をするクラスメイト達。問題はここからや。果たして、受け入れてもらえるんやろか?
「センセー。ハヤテちゃんが今日も居ないんですけど、どうしたんですか?」
一人の女子が質問をした。気に掛けられるくらいに仲がいい人物は居るようやな。
「そのことで皆に伝えなければいけない事があります。……実はハヤテちゃんは──」
「死んだの?」
「みんな! コイツに暴虐の限りを尽くすのよ!」
「え? ちょっ、冗談……アッーーー!?」
ぼこすかぼこすか、けちょんけちょん。
「皆、そこまでにしてくれるかしら。その子、一応私の息子だから」
『は~い』
「う、うぐぅ……一応って酷くね?」
なにやらコントが繰り広げられている。でも明るいクラスみたいで良かったわ。
「話を戻します。実はハヤテちゃんは……記憶喪失になってしまいました」
『……は?』
「皆のことも、私のことも、ご両親のことも、忘れてしまったそうです」
「母さん、それ、マジ?」
「ええ、マジです。あと、学校では先生と呼びなさい」
「えっ、それじゃあ、学校にはもう来ないんですか!?」
「いいえ。なんでもお医者様の話では、しばらくは日常生活を続けさせて記憶の回復を待つ、という方針だそうで、実はすぐそこに居ます。ハヤテちゃん」
それを聞き、さらに教室がどよめく。ああ、入りにくいなぁ。
「静かに。……それでね、皆にはこれまでと同じようにハヤテちゃんに接してほしいの。避けたり、意地悪したりしないで、今まで通りに」
『………』
「初めのうちは難しいと思うけど、どうかお願い。分からない事とかも沢山あると思うから、助けてあげて。ね?」
シンと静まり返る教室。……そろそろ出番やな。うう、まんま転校生の気分やで。
「……じゃあ、呼ぶわね。ハヤテちゃん、いらっしゃい」
……南無三!
ガラッ!
「私の名前は神谷ハヤテ。普通の人間には興味ありません。マンガ、ゲーム、ラノベなどが好きな人間がいたら私の所に来なさい、以上」
『オイ!!』
オタクの性や! 堪忍!
あとがき
次回、もう一話番外編が続きます。
次回のあとがきにて、本作品の設定を明かそうと思います。まあ、今回でモロわかりでしょうが。