「時は満ちた……」
テンションがうなぎ登りの神谷ハヤテです。
今日の日付は8月12日。お盆直前だ。一般的な家庭ならば、提灯(ちょうちん)を飾ったり、ご先祖様を迎えるための準備をしたりと、なにかと忙しい日々を送る時期である。
しかし、私にはそんなの全く関係が無い。祀(まつ)るご先祖様の顔なんて見たことも無い、というか両親の顔さえ見たことが無い今の私にとって、お盆なんて有って無いようなものだ。加えて、同居人達は日本どころか地球出身ですらなく、先祖を祀るなんて風習にこれっぽっちも興味は無いため、我が家はいつも通り、まったりとした時間を過ごしていた。……今日、この時までは。
「またですかい。今度は山ですか? それともハワイにでも旅行っすか? いい加減思いつきで行動すんのはよせっつーの」
失礼だなぁ、シグナムさんは。 そこまで猪突猛進になった覚えはないのに。
「明日が何の日か、分かりませんか?」
夕食後のだら~っとしている姿の皆を見回してみる。あ、ヴィータちゃんだけピクッと反応した。どうやら知っていたようだ。
「……行くのかよ、あそこに」
「ええ、勿論。あ、今回は強制ではないですからね?」
流石に今回の場所は、私のエゴで連れていくには酷だしね。
「主よ、どこに行こうというのだ?」
ザフィーラさん、その言葉を待っていた。
「……戦場ですよ。自らの欲望を満たす為の、ね」
「ご託はいいから、さっさと場所を言え、オッパイ星人」
……空気読んで下さいよ、ニートさん。もう、仕方ないなぁ。
「有明の東京ビッグサイト、そこで行われるコミックマーケットですよ」
「コミックマーケット? マンガでも買いに行くのかしら」
「まあ、あながち間違ってはいませんよ、シャマルさん。ただ、今回の目的は参加することにあるんですがね」
「?」
そう、今回は会場の空気を感じられればそれで良い。母様から禁止されていたコミケ参加がやっと解禁されたのだ。これから行く機会は何度もあるだろう。ならば最初の一回くらいは、商品求めて奔走するのを自重して、ゆっくりと見て回ることにしよう。勿論欲しい商品はあるが、通販や委託販売で大抵は手に入るだろうから、無理をする必要は無いし。
「なあ、マジで行くのかよ。夏のあそこはかなりキツイって聞くぜ。暑さとか色々」
「対策をしていけば何とかなるでしょう、たぶん。それにしても、よくコミケを知っていましたね、ヴィータちゃん。リレー小説の時もそうでしたが」
「ネットサーフィンしてりゃ、自然とそういう知識が手に入るんだよ」
普段どんなサイトを見てるんだろうか、この子は。
「それにドリキャスのコミパなんて、もろビッグサイトが舞台じゃねえか」
ああ、そういえばヴィータちゃんに勧めたっけ、あのゲーム。
と、そこでザフィーラさんが話し掛けてきた。
「話から察するに、かなりの暑さが待っているのだな? ならば我は辞退させてもらおう。太陽光は我の敵だ」
身体中に毛が生えてますからね。夏はキツそうだ。
「私も右に同じ。マンガとかに興味無いのよねぇ」
シャマルさんもダメか。マンガだけという訳ではないんだけど……まあ、聞くだけ無駄か。
「……はぁ。しょうがねぇ。ハヤテ一人だけ遠出させる訳にもいかねえし、あたしも行くよ」
ええ子や!
「……ヴィータちゃん、確か鍵っ子でしたよね?」
「ん? ああ、渚と真琴は私の嫁だけど、それが?」
「企業ブースで好きな商品買って良いですよ」
「マジでか!? 抱き枕カバーにしようかな〜。いや、人形も捨てがたいな」
しっかり商品チェックしてるとは、ヴィータちゃんも侮れなくなってきたな……
「シグナムさんは、やっぱり家でのんびりしてますか?」
「いんや、あちきもお供するじぇ」
なんと。てっきり家に引き込もって、ポケモンのW○-Fi対戦に夢中になるものかと思ってたよ。このドーブルはワシが育てた、とか言って自慢してたのに。
「珍しいですね。暑くなってきてから、あまり外に出なくなったのに」
「ん~、何だか戦いの予感がするんだよね、ビシバシと。久し振りにバトル出来るような気がしてさぁ」
「……お願いですから、いきなり人を襲わないで下さいね」
突然怖いことを言わないでいただきたいものだ。
「では、ヴィータちゃんとシグナムさんが参加。ザフィーラさんとシャマルさんが居残りということで。留守番お願いしますね?」
「任された!」
「はいはーい。楽しんでらっしゃいね」
頼もしいことこの上ないね。実際、泥棒や強盗なんか一捻りだろうし。
「さて、明日は早くに出るのでもう寝ましょうか」
「もう寝るんすか。まだ八時だっぜ」
「始発に乗るんです。これくらいがちょうど良いでしょう」
世の中には徹夜組なんて人達も居るらしいが、そんなのはマナーがなってない事極まりない。……実際にはアホみたいな人数がいるらしいけど。カタログの規約をよく読めってんだ。
「どうせだったら、私が転移魔法で送ってあげるわよ?」
「断固拒否します」
以前、病院まで魔法で送ってもらったことがあるのだが、まさか屋上の十数メートル上に飛ばされるとは思わなかった。グレン号のあの能力が無かったら、潰れたトマトになるところだったよ。それに……
「ビッグサイトへの道のりを楽しむ事も、コミケ参加の醍醐味だと思いますから」
動画や画像で見たことがあるけど、本当にあんな感じなのかな? 今から楽しみだ。
「ハヤテはマジで変わりもんだな。あたしはあの光景を想像しただけで気分悪くなるんだけど」
やっぱりヴィータちゃんも見たことあったか。
「二人で何の話してんすか?」
「明日になれば分かりますよ」
ああ、楽しみだ。こんな興奮した状態で眠れるかなぁ。なんてことを考えながら、皆がいつも寝る部屋へと足を進める私。
「そういや、シグナムに壊されたベッド、新調したんだよな。あっちじゃ寝ないのか? あたし達と雑魚寝じゃ狭いだろ」
「ヴィータちゃん。それは言わぬが花ですよ」
やっぱり、人肌を感じて寝たいんです。こう見えてもまだ子どもですからね、私。
「朝起きると決まって胸に顔をうずめた少女が居る件について」
……人肌が、恋しいんです。
目が覚めると、予定していた時間をオーバーしていた。
「寝坊したぁぁー!?」
なんてこったい。目覚ましはきちんとセットしといたはずなのに……あ、剣で真っ二つに斬られてる。
「シグナムさぁーん!?」
隣で剣を抱えながら寝ているアホを叩き起こす。
「うるせえっすよ、ぼてくりまわすぞ」
「そのセリフは前にも聞きました。アンタなにしちゃってんですか、目覚まし時計たたっ斬るなんて」
「ん? おお、我ながら素晴らしい切れ味だ。……寝惚けてやっちゃったみたいでござる、てへ」
この人はもう!……まあいい、今はヴィータちゃんを起こさないと。
「ヴィータちゃん、起きて下さい。始発が出てしまいますよ」
壁に掛かった時計を確認したが、今から出ればまだ始発に間に合う時間帯だった。コミケ参加は始発。オタクたる者、これは遵守せねばならない鉄のオキテだ。
「んぉ?……ああ、おはよ、ハヤテ」
「はい、おはようございます。時間が押してますから、手早く準備をお願いしますね」
「んん、りょーかい」
まだ少し寝惚けてるが、大丈夫だろう。……問題はこっちの目覚ましクラッシャーだ。起きたと思ったらまた布団に潜り込んでやがる。
「起きろっ、このっ!」
「待って~、あと五分~」
「その五分が命取りなんだよ! ……そぉい!!」
布団を剥ぎ取り頬っぺたにビンタをかます。このっ、このっ!
「アタタ、ちょ、やめ……やめろって言ってんだろ!」
やっと起きたか。とんだ寝坊助だよ、まったく。
「顔洗って目を覚まして来て下さいね」
「もう十分覚めたでヤンスよ」
そいつは重畳(ちょうじょう)。さて、私も準備しないと。
「騒がしいわね。……あら、おはよう。もう出るのね」
「むう……気を付けるのだぞ」
シャマルさんとザフィーラさんも起き出したようだ。
「ええ、夜には帰りますので。遅くなるようだったら連絡しますね。では、行ってきます」
「あと……五分……」
「アンタも来るんだよ!」
『行ってきま~す』
着替えを済ませ素早く出発の準備を整えた私達は、まだ太陽が出ていない薄暗い道を駅へと向かって進んでいた。早朝とはいえ、真夏なだけあって気温は高めだ。日が昇ればさらに高くなるだろう。
今私は、グレン号のバッテリーを少しでも節約するために、シグナムさんに押してもらっている。今日一日稼働しっぱなしでは、バッテリーが切れる可能性があるからだ。もしかしたら、グレン号の能力を発動する時が来るかもしれないしね。まあ、一応予備のバッテリーは持ってきてるんだけど。
「主ハヤテ、この坂をダッシュで下ると、とても気分が良さそうなんだが」
「さっきのビンタのお返しですか? 胸はでかいのに心は狭いんですね」
「ぬぬぬ」
「ふふふ」
「喧嘩してんの? お前ら」
しばらくシグナムさんと舌戦を繰り広げていると、駅が見えてきた。少し大人げなかったかな?……仕方ない、謝るか。
「シグナムさん、そろそろ仲直りしましょう。さっきはビンタしてごめんなさい。興奮して、気が立ってたんです」
「ふ、ふん! 許してあげなくもないんだからね!」
「なんでツンデレなんだよ」
良かった。許してくれたようだ。
「では、仲直りしたところで電車に乗りましょうか」
改札を抜け、ホームへと足を運ぶ。発車まで……あと五分か。危なかった。
発車間近の電車に乗り込み、席に着く。といってもシートに座るのはシグナムさんとヴィータちゃんだけで、私は元から座ってるけど。
しかし……
「結構居ますね、同じ穴のムジナが」
「ああ、居るな」
周りを見渡すと、スーツを着たサラリーマンなんぞは見当たらず、携帯ゲームや携帯電話を手にしている人物ばかり。この人達は、私達と同じ目的地を目指していると直感で分かる。あ、表紙剥き出しのラノベ読んでる人まで。なかなかの強者だ。
「まあ、こんなのはまだ序の口でしょうね」
「……これがピークだったらどれだけ良かったか」
「だから二人でなに話してんじゃい」
すぐに分かりますよ。
「……なるへそ。こういうことっすか」
「こういうことだ」
始発が発車して三つほど駅を通過した辺りで一気に人が増えた。特に、バッグやでかい袋みたいな物を持った男性が。想像はしてたが、なるほど、これが有名なオタクラッシュか。現場にいるという実感がひしひしと伝わってきて、実に感慨深い。
「なんか浸ってるとこ悪いんだけどよぉ、あたしら、めっちゃ浮いてるよな」
「それもあるけど、暑苦しくてたまらんでござる」
やっぱり、女三人、しかも内二人は幼女というメンツは、この場では少々目立つなぁ。
「おそらくまだまだ増えるでしょう。気を引き締めていかないと、有明に着くまでにバテてしまいますよ?」
「まだ増えるんかい」
「あたしは来て早々に後悔してるよ……」
だらしないなぁ。
「さあて、ビッグサイトに着くまでに、鬼が出るか、蛇が出るか、楽しみですね」
『オタクしか出ねぇよ』