「流派東方不敗は?」
「王者の風よ!」
「全身系列?」
「天破侠乱!」
「……見よ」
「東方は赤く燃えているぅ!!」
「……ハヤテちゃん、本当に記憶喪失?」
「……ハッ!?」
しまった! 孔明の罠や!
母親と思われる人物に、自分は記憶喪失(あながち嘘でも無い)であると言い放った後、取り敢えず話は食事をしながらで、と相手が提案してきたので、私は頷き女性のうしろについていくことにした。
……何て言うか、この反応、絶対信じとらんわ。
だって私のセリフを聞いた時の顔が、
『あらあら、新しい悪ふざけかしら。この子ったらもう、ウフフ』
なんて感じやったもん。読心術でも身に付けたかと思ったくらい心の声が透けて見えたわ。
「あの、嘘じゃないですよ? ホンマに記憶が無いんです」
「ん~、そうねぇ。それじゃあ一つ、私の質問に答えてくれるかしら?」
ふふん、質問やて? そんなの全部分かりませんて答えるに決まっとるやろ。記憶無くしとることにせんと、色々と都合が悪くなりそうやからな。
万が一、娘の人格が消失して、娘が持っているはずのない知識や記憶を持った人間の人格が表出しました、なんてことがバレたらどんな目に会うことやら。
そうなったら、しばらくの間は、平穏無事な生活を送るなんてことは無理やろうな。二度目の親に、会っていきなり忌避の視線を向けられるなんてのはゴメンや。
そんなことになるなら、ゼロからやり直して家族と新たな絆を結んだ方が遥かにマシやろ。……はやてちゃんとの九年間の思い出を奪うという点は変わらんけど。
そんなことを思いながら、質問に答えるべく身構えていたんやが……誤算やった。まさか流派東方不敗の教えを尋ねられるとは。
こんなん、禅僧に『そもさん!』て問いかけるようなもんやろ。間髪入れずに『せっぱ!』て答えるしかないやんか。
いや、こんなこと考えとる場合ちゃうわ。誤魔化さんと。
「いや、今のはその、口が勝手に動いたんです」
「条件反射で雄叫びを上げるなんて、教育方針間違えたかしら?」
いえ、私の育ち方がいびつなだけです。というか、何であなたはあのやり取りを知ってるん?
「……まあ、ふざけるのもこのくらいにしましょうか。ハヤテちゃん、もう一度聞くわよ。本当に記憶が無いの? 嘘をついても、私に通用しないのはよく分かってるわよね?」
いや、記憶無くしてたらそんなん分かりませんて。
「ホンマです。神様に誓って」
あの神様に誓うのは抵抗があるんやけども。
「……あら? ハヤテちゃん、顔をよく見せてくれる?」
なんやろ? あ、そんなに近付いたら手が胸に吸い寄せられて……待て、我慢や、私。
「……嘘じゃ、ないみたいね」
母親の眼力の凄まじさを垣間見た一瞬やった。
疑いは晴れたものの、そこからがまた大変やった。
家、というか屋敷中の人間(メイドさんやら執事さん)が見守る中、連絡を受けて会社からすっ飛んで来た父親と母親の質問の嵐にさらされ、
「私達の名前は?」
とか、
「自分の名前は?」
といった、小一時間にわたる質問責めにあってもうた。まあ、全部の質問に分かりませんて答えるしかないんやけど。
「……確かに、嘘をついてるようじゃないみたいだね」
両親揃って娘をよく見とるなぁ。ハヤテちゃんは幸せ者やったんやな。
それにしても、この二人を見てると妙に懐かしい気持ちになるのはなんでやろ?
「やっぱり病院に連れていった方がいいのかしら?」
まあ、妥当やね。記憶が戻ることは無いやろうけど。
「うん、そうしよう。……でも、記憶喪失って、精神科? 脳外科? 神経内科? どこに連れてけばいいんだろう?」
どこでしょうね?
「もう、あなた、しっかりして下さい。近くに大きな総合病院があるでしょう? あそこに行きましょう」
「おっと、うっかりしてたよ。はっはっはっ」
はっはっはっ、て。娘の一大事にえらい余裕やな。まあ、混乱してわめき散らされても困るんやが。
「そういう訳で、ハヤテちゃん。あ、ハヤテちゃんっていうのはあなたの名前よ? これから病院に行くんだけど、良いかしら?」
是非もないで。検査がどんなものやろうと、異常が見付かるわけないやろうから入院も無いやろ、外傷も無いし。通院はするかも知れんけど。
おそらくは、記憶を戻すきっかけとなる、日常生活を続けろ、なんて指示が下されるんやないかな? マンガでは大抵そうやし。慣れ親しんだ風景を見たり、音楽を聴いたりすると良いんよね、確か。
「はい。ご迷惑をおかけして申し訳ないです」
「そんなかしこまらなくてもいいのよ? あなたは私達の娘なんだから」
「そうだよ。いつものように、父様、母様だぁ~い好きって飛び付いてごらん」
本当に良い両親や……では、お言葉に甘えて。
「父様、母様、だぁ~い好き!」
「あらあら」
「……飛び付くのはいつもそっちなんだよね。本当に記憶無いの?」
許してや。これが私の生きざまなんや。
けど、なんやろ? 出会って少ししか経ってへんのに、自然と父様、母様て呼べたわ。それほど親に飢えてたんかな、私。
「一時的な記憶障害、か」
病院での検査の結果、そう判断が下された。
CTスキャンやら脳波検査、MRIとやらの検査を受け、退屈な時間を過ごした私は、自宅に戻った後、自室でまったりとくつろいでいた。父様と母様がなかなか離してくれなかったんやけど、しばらく一人にしてくれと頼んでようやっと解放された。
医師の話では、しばらくは様子見に徹するようで、入院もしなくて済んだ。
原因は不明ですが、心に大きな傷を負ったか、過度のストレスによる記憶障害かも知れません、とか言っとったなぁ、あの医師。しかも、それ聞いた両親は顔が真っ青やったし。あの時は居たたまれなくなったで、ホンマに。
まあ、当初の計画通りに事が進んでホッとしとるけど。
けど、一時的、かぁ。この憑依状態も一時的なものなら良いんやけども、楽観的過ぎるのも問題やしな。
と、一人で悶々としている所に来客が来た。
「ハヤテちゃん、入ってもいい?」
「どうぞ」
わざわざ断りを入れるとは律儀な……
「ちょっと話があるんだよね」
入ってきたのは予想通り両親。 何やら大きな紙袋を持っている。
「それで、お話とは?」
「さっきの先生の話でさ、記憶障害の原因は過度のストレスによるものかも知れないって、言ってただろう?」
「はあ、それがどないしたんですか?」
「そこで私達、気付いたの。確かに、普段からハヤテちゃんを抑圧してたなぁって」
え、そうなん? この部屋の惨状を見る限り、充分好き勝手させとるように思うんやけど。
「ハヤテちゃんが記憶を無くした原因、きっとそれは……」
それは?
「オタク趣味を人に隠してたからなのよ!」
な、なんだってー!
「きっと、コスプレして外出するのを禁止してたり、学校でオタトークするのを禁止してたり、夏と冬にビッグサイトに行くのを禁止してたから、だからストレスが溜まりに溜まって記憶喪失になっちゃったのよ!」
いえ、あなた方の指示は至極まっとうやと思うんですが……
「それにほら、今だって無意識に関西弁を話してるじゃないか。それはきっと、アニメキャラになりきりたいっていう、ハヤテの願望の現れなんだよ」
これは素の喋り方なんやけど。……そうやった、確かに無意識に関西弁で話しとったわ。
これからは標準語で話そかな? いや、急に戻したら怪しまれるかも知れん。このままでええか。
「だから、さ。これからはハヤテの自由にさせたいと思うんだよ。いやぁ、外面ばかり気にしていた昔の自分が恥ずかしい」
外面も大事やって。世間体というものを考えて下さい。というか、そんなしょーもない理由で記憶喪失になるかい。どんだけ頭の中にお花畑が広がってるんや、この両親は。
「記憶が戻る、戻らないは抜きにして、これからはハヤテちゃんの好きなようにしていいのよ。……ほら、これ。没収してたコスプレ衣装。着てみない? 遠慮しなくていいのよ?」
遠慮も何もあんたらが持ってきたんやないかい。……でも、コスプレかぁ。興味はあったんよね。着てみてもええかもしれん。
「えと、それじゃあ、その赤いのを」
ものは試しや。着てみよか……てこの服と仮面は!
「あらぁ、流石ハヤテちゃん。赤い彗星も真っ青になるほど似合ってるわ」
認めたくないものやな、若さゆえの過ちというものは。よりにもよってシャ○かいな。九歳の女の子の趣味とは思えんよ、ハヤテちゃん。
「ハヤテ、こっち向いてこっち。……はいチーズ」
カシャッ! カシャッ!
デジカメで撮影しとる……なんやいつの間にかコスプレショーになっとるんやが。流れについていけへん。
「ハヤテちゃん、今度はこれよ。 一緒に写りましょ」
……ああ、そうか。記憶を無くして、きっと怖い思いをしとると思って、元気付けてくれてるんやな。優しいなぁ。
「ハヤテ」
「ハヤテちゃん」
「……え?」
いつの間にか撮影会が終わっていて、目の前には微笑みを浮かべた両親が……
「記憶を無くしても、ハヤテちゃんが私達の事を忘れても……」
「どんな状態だろうと、ハヤテは僕達の娘だ」
「記憶が無いなら、また一から作っていきましょう?」
「今のハヤテにとって、僕達は赤の他人かもしれない。でも……」
「私達は、あなたの親でいたいの。今までも、これからも」
「だから……もう一度、呼んでくれるかい。父様、母様ってさ」
「こんな私達で良ければ、だけど」
………不覚。
今の言葉は【八神はやて】に向けられたものやない。……でも、でも、涙が止まらへん。嬉しすぎるわ。なんやのこの人達、はやてキラーかなんかなん?
……ここは答えを返さんとアカンよな。嘘偽りの無い、今の私の正直な気持ちを。
ほんならいくでぇ。耳かっぽじってよぉ聞いてやぁ。
「……父様、母様」
『……あ』
「だぁ~い好き!!」
もう少し、もう少しだけでええ。ハヤテちゃんには悪いけど、もう少しだけ、この温もりを感じていたい。
「……やっぱり、そっちに行っちゃうんだね、ハヤテ」
堪忍や!