/プロローグ
夜空には雲も無ければ月も無く、星達はその輝きを何人にも邪魔されること無く光を放ち満天の星空がそこに広がっていた。暗黒の森と呼ばれる中にある神殿の前で、灰色の僧衣を着たダファラという名の男は星空を見上げている。
月が出ていないことは良いことだ。星の並びがよく見える。月が出ていればその輝きで小さな星の輝きは消されてしまう、だが月が無ければ小さな星たちもはっきりと目に捉えることが出来た。
今日は果たしてくるのだろうか、と待ち人のことに思いを馳せる。彼が来なければ始まらない。いや、彼らというべきなのだろうか。この世界をダファラにとって意義あるものに変えるためには必要なものが二つあった。
そのうち一つは既にダファラ自身が用意している。しかし、もう一つはダファラの力だけでは準備することができなかった。そこで、ダファラと同じくこの世界を意義あるものにしようとしているイロウ=キーグなる者の力を借りることにしたのである。
今ダファラが待っているのはそのイロウ=キーグだった。彼が意義ある世界のため、これから始めようという遊戯のために必要な駒を準備するためでかけてからどれほど立ったのだろう。
ダファラ自身は優れた駒を求めているわけではない、すぐ手に届くこところに駒があるためだ。だが、ある意味この遊戯の対戦者であるイロウ=キーグは自身の駒を持っていない。おそらくどのような者が自分の手駒に相応しいのか吟味しているのだろう。
「仕方の無い人だ」
溜息を吐きながら足元を見た。そこには雑草が生い茂っているはずだが、星明りだけでは見えない。服越しではあるがそよ風で揺れた草が当たる感触でそこに草が生えていることがわかる程度だ。
顔を上げて周囲を見渡す。暗黒の森はその名の通り暗黒に包まれていた。名前こそ暗黒の森ではあるが、常に暗闇に閉ざされているわけではない。昼間になれば普通の森と同じく木漏れ日の差す森だ。
なのに何故この森が暗黒の森と呼ばれるのかダファラは知らない。そして知る気も無かった。この森の名前などダファラにとってはどうでも良いことなのである、大事なのはこの森の中に人々が忘れ去った神殿があるということだ。
その神殿は今ダファラの背後でその口をぽっかりと開けている。この神殿に祀られているのはダルナ・ベルンという名の夜を司るとされる神であった。ダルナ・ベルンそのものは今もこの大陸全土で崇拝されている神である。
だというのにこの暗黒の森の中にあるダルナ・ベルン神殿は人々に見捨てられ、そして忘れ去られてしまった。理由はやはり知らない。これもまたどうでも良いことなのである。大事なのは神が祀られている神聖な場所でありながら誰にも知られていないということだった。
ここならば人は来ない、余程の物好きであったとしても来ることはないだろう。この暗黒の森にはカギヅメトカゲと呼ばれる人より少し大きな怪物が生息しているのだ。カギヅメトカゲは一匹ではそれほど恐ろしいものではないと言われているのだが、彼らは常に集団で狩りを行う。
カギヅメトカゲの集団に襲われたらどんな大型の動物でも逃げられないと言われていた。そんな凶暴な怪物が多く生息しているため、暗黒の森に立ち入るものは少ないのである。もしかするとカギヅメトカゲが増えたためにここのダルナ・ベルン神殿は人々に捨てられたのかもしれない。
有り得ない話ではなかった。幾ら人々が神を信仰しており礼拝を欠かさずに行おうとしても、その道中に怪物が現れ命を奪われるとなれば礼拝どころではない。所詮、人間の信仰心などそんなものだとダファラは小さく笑った。
信仰とは一種の狂気にも似ている、故にそれでも礼拝をしにくる人間はいただろう。もっともそういった人々はカギヅメトカゲに襲われ、彼らの繁栄に力を貸す結果になったはずだ。
「それにしても遅いですねぇ」
呟きながら空を見上げた。星の位置で時刻を計っているのだが、約束の時から大分と経っている。彼の身に何かあったということは有り得ない。ダファラもそうだが、イロウ=キーグを傷つけることの出来る存在は今この星には存在しないのだ。
もし唐突にそのような存在がやってきたとしても、自分たちと対抗できるだけの力を持つ存在が現れたのならば知覚することが出来る。そしてこの星の周囲にそのような存在はいない。
となれば、イロウ=キーグ個人の都合で遅れているということになる。急ぐ必要はどこにもないとはいえ、悠久とも言える怠惰な時を送っていたのだ。そんな中、唐突に巡ってきた遊技の機会。
これを逃したくはないし、できることなら早く始めたい。己にとって時間など大した意味を持っているわけではないが、遊技に使う駒たちは時間の縛りを受ける。ダファラやイロウ=キーグにとっては瞬きをするほどの一瞬の間であったとしても彼らは寿命で消え去ってしまうかもしれない。
だからこそダファラはこの遊技を今すぐにでも始めたいのだ。でないと駒となるべき人間たちは死に絶えてしまうかもしれない。彼は一体何を手間取っているのだろうか、イロウ=キーグの思考はまったくわからないのだ。
どうしたものかと、自分に取れる手段は何か無いものかと考えを巡らせていると背後から「おや、今回もその姿かね」と声をかけてくるものがある。息を吐き出しながら振り返ってみればダルナ・ベルン神殿の入り口を背にし、全身を黄衣で纏った人物が立っていた。
表情は蒼白の仮面を付けているために見ることが出来ず、声で性別が男であると判断できるのだが声を聞かなければ彼の性別を判断することはまず不可能だろう。
「そう言うがイロウ=キーグ、君こそまたその姿か。いい加減に芸がないとは思わないのか?」
仮面が揺れた。声は出ていないが笑っているのだろう、釣られてダファラも笑う。
「私は取れる姿が君より少ないのだよ。それよりも君はもうあの姿にはならないのかい?」
「あの姿とはなんだね? 今まで多くの姿をとってきた私だ、あの姿といわれてもわからん」
「アーカムにいた時の姿だ。といっても神父のことではない、旧神となった人間と出会っていたときの姿だよ」
イロウ=キーグの言う姿を思い出し、ダファラは思わず苦笑する。いつの話だったか忘れてしまったが、あの時は胸の大きな妙齢の美女の姿を取っていたはずだ。あの時はあれで良いと思ったのだが、後々思い返してみれば自分らしくないと思う。
女性の姿というのも悪くは無い、悪くは無いのだが威厳に掛けてしまうのである。今のように僧衣を初めとした聖職者が着る衣を纏っている方が威厳と、そして貫禄が出るのだ。
「あの姿はとらぬよ。この星であの姿は場違いというものだ、それにこの遊技では我らは魔法使い然とした格好をしていた方が都合がよい。君もそう思っているのだろう」
また仮面が揺れる。
「そうだともそうだとも。でなければ仮面など付けるものか、我らに必要なのは神秘さと怪奇性だ。それがなければこの遊戯を行う意味がない」
「そうだとも黄衣の王よ。時に、私は早く遊技を始めたかったのだがなぜ遅れた? この星には様々なものがいる。駒の選定には困らぬはずだが?」
「うむ、それなのだが少し趣向を凝らしてな。時と次元を超えた世界より連れてきたのだ、その人間はもちろんこの世界の言葉も文化も知らぬ。よって学習させるために今より少し前の時に置いてきたのだ」
「ほぅ、それは面白い。実に良い趣向だ、私もそうすれば良かったかもしれん。私が選んだのはこの国の騎士だ」
「いや、我らの駒は出会う運命。影響はそちらにも現れる」
今度は声を上げてイロウ=キーグは笑う、仮面が音を立てながら揺れた。彼は今、これから始まる遊戯に思いを馳せているのだろう。まさか彼が次元を超えた場所から駒を取り寄せるとは思いもしなかった。
それでは時間が掛かってしまうのも仕方のないこと。しかし、それでこの遊技が愉快で痛快なものになるのならば構わない。自分ももっと手間をかければ良かったかもしれないと後悔しそうになったが、始めてしまえばどうなるかはわからないのだ。
なんにせよ結果は見てのお楽しみ、これから遊技の始まり始まり。